8.内緒の目標 - 1/2


「まったく、強情ですね」
 かたくなに口を閉ざすレニに、向かいに座ったユリエルは、呆れた様子で肩をすくめた。
 朝食が終わった頃に起き出してきたレニを捕まえ、屋敷の応接間にてさっそく夕べの一件についての尋問を始めるものの――完全黙秘だ。
 話したくない事情があるというよりは、なんとなく、気にくわないから話さないといった雰囲気だった。
 ユリエルの斜め後ろに立ったキュカも、ソファの背もたれに手をかけ、
「まったく、ガキじゃあるまいし、何ふてくされてるんだお前は」
「…………」
 こちらの嫌味にも無言だ。
 ユリエルはため息をつくと、
「わかりました。この件についてはもう聞きません。ですが今後、勝手な行動は慎むようにしてください」
 キュカもここぞとばかりに、
「そうそう。お前、あくまで監視される側なわけだしな。本当なら、自由にうろつき回れるご身分じゃねーんだぞ。むしろこっちに感謝しろってんだ」
「ええ。――というわけでキュカ。頼みましたよ?」

 …………?

 一瞬意味がわからず、ユリエルに目をやると、彼はさも当然と言わんばかりに、
「前にも言いましたが、彼のお目付役です。次、勝手な行動をしたら罰掃除の刑ですので、その時は掃除の仕方などを教えてあげてください」
『なっ……!』
 その言葉に――さっ、と、全身から血の気が引き、レニも血相を変えて、
「待て! なんだ罰掃除というのは!? 第一、なんでこんなモミアゲが私の目付役なんだ!?」
「消去法です」
「それじゃまるで、俺が罰喰らってるみたいじゃねーか!」
「そう言われましても、他に適任者がいませんので」
「たしかにそうだが、だからってなんで俺が――」
「キュカ」
 さらなる苦情を言うより先に、ユリエルは立ち上がると、ぽんっ、と、こちらの肩に手を置き、
「私がナイトソウルズの六法全書です」
「…………」

 訳:逆らったら死刑。

「では、お願いします」
「…………」
 そして、ユリエルは応接間を後にし――キュカはソファの背もたれに、レニはテーブルに突っ伏し、
『……死にたい……』
 まったく同時に、まったく同じ言葉をつぶやいた。

「さて。急がにゃならんのは重々承知だが……」
 朝のダメージから立ち直ると、キュカは呼び出したテケリとニキータを見回し、
「稼げる時に稼がにゃならん」
「でも、こんな森でどう稼ぐでありますか?」
「だよな……」
 テケリの当然の質問に、キュカは肩を落とす。
「やっぱりここは、リィ伯爵やイザベラさんに聞くのが早いんじゃあ」
「イヤだ」
 迷わず断言する。
 一瞬の沈黙ののち、
「……にゃんでですにゃ?」
 首を傾げるニキータに、キュカは真顔で、
「伯爵はともかく、美女に『弁償代稼がにゃならんので金儲けの話ありませんか?』なんて聞けん。みっともない」
「ムダなプライドでありますな」
「『男のプライド』と言え!」
「ギャー!」
 テケリの脳天に拳が振り下ろされ、悲鳴が響く。
 ふと、レニがいないことに気づき、振り返ると、彼はいつの間にか現れたイザベラに、
「――というわけで金がいる。何かいい話はないか?」
 こちらのことなどお構いなしに、素直に聞いていた……
「やっぱり、ムダなプライドだったであります」
「…………」
 頭をさすりながらつぶやくテケリに、とりあえず二発目のげんこつを喰らわせる。
 イザベラは少し考え、
「そうだな……『月のしずく』という宝石は知っているかね?」
「――あ。それなら知ってますにゃ。宝石コレクターの間では人気の石で、小さいものでも千ルクから取り引きされているそうですにゃ」
「千ルク……!?」
 ニキータの言葉に、キュカが食いつく。
 本棚の前で調べ物をしていたリィも振り返り、
「たしか、デーモンヘッドやスカルドレイクだったかな? そいつらの体内から見つかるらしい」
「魔物の体内から?」
 驚いて聞き返すと、リィは本を閉じ、
「おそらく月のマナストーンの影響だろう。元々、魔物の体内にあった石に月の魔力が引き寄せられ、結晶化すると言われている。……ふむ。もし見つけたら、私が買い取ろう」
 その言葉に――側で聞いていた黒の執事は、おずおずと、
「あの、伯爵。あまり不要な出費をされるのは……」
「私は、不要なものに金は使わない」
 言い切る前に言い返され、結局黙り込む。執事の様子からして、いつものことのようだ。
 イザベラも呆れた様子で、
「まったく、こいつは金銭感覚がないからな。人間界で生活する以上、少しは金の使い方を覚えて欲しいものだ」
「レニさんと同じでありますな」
 振り返りもせず、レニはテケリの頭に拳を振り下ろし、テケリは本日三度目の悲鳴を上げる。
 リィは笑いながら、
「悪い話ではないと思うがね。小さいものでも千ルクからと言っていたな? それを目安に、報酬を支払おう」
「……ひとつ見つければ、最低でも千ルクは手に入るということか……」
「――よし。それで行こう」
 即決すると、ニキータは驚いた顔で、
「それでって……そんにゃ簡単に見つかるんですかにゃ?」
「うるせぇ! 他にねーだろ!」
 弱気なニキータに、キュカはヤケクソ気味に怒鳴る。
「――では、決まったのならさっさと行きましょう」
 ビィン……と、弓の弦をはじく音が響く。
 振り返ると、しっかり武装したユリエルが立っていた。
「今度は宝石か。まあ、巨人のキバよりはマシだろう」
「そうだな。数倒さなきゃならないけど……前みたいに、手に負えないことはないだろうし」
 ジェレミアとロジェまでもがしっかり首を突っ込み、エリスもなんとなく一緒にいた。
 キュカは一瞬、頭を抱え――そして、
「……配分は?」
 ユリエルはにこやかな笑顔で、
「そうですねぇ……二割は軍資金として収めていただき、残りは平和的に、均等配分としましょう」
「…………」
「あ、キュカ。ちゃんとお前の取り分から、俺への支払い出してくれよ? 今回は六百三十ルク」
「…………」
 ロジェもロジェで、笑顔で借用書を差し出す。後ろで、イザベラがクスクス笑っているのが聞こえた。
 そんな中、ニキータはおずおずと手を挙げ、
「あ、あの~。オイラ戦えないんで、他の方法で稼ぎますにゃ」
「他の方法?」
 聞き返すと、ニキータはひとつうなずき、
「この辺りは、めずらしい薬草が生えてるんですにゃ。それを摘んで、乾燥させておけば、どこかの街で売れますにゃ」
「薬草、か……」
 地道ではあるが、堅実な方法ではある。
 それに夕べの一件で、獣人達も村でおとなしくしているはずだ。歩いているだけで襲われる、ということはないだろう。
「それなら、わたしも手伝ってあげる。昔から、山菜とか薬草とか摘んだりしてたし」
「それは助かりますにゃ」
 エリスの申し出に、ニキータは素直に喜ぶ。
「それでは、我々は宝石探し。ニキータとエリスは薬草採取。問題は……」
 ユリエルの言葉に、自然と、視線がレニに集まる。
「な、なんだ?」
 思わず一歩後ずさるレニを、ジェレミアは軽くにらみつけ、そしてキュカに目をやると、
「……どうするんだ? 魔物退治に非戦闘員を連れて行くわけにもいかない。かと言って、屋敷に一人で置いておくのも不安だ」

 ――確かに……

 魔物退治に連れて行っても、足手まといにしかならないのは明らかだ。かと言って、一人にしたが最後、今度は何をしでかすか……
「……兄さんも、ニキータ達と一緒のほうがいいんじゃないのか?」
「なに?」
 ロジェの言葉に、レニは目を丸くするが、
「魔力が戻ってきてるったって、まだ本調子じゃないんだろ? 無理に戦わせるわけにはいかないよ」
「そうですね。では、キュカ。彼の見張りをお願いします」
「――はぁっ!?」
 さも当然と言わんばかりのユリエルに、素っ頓狂な声を上げる。
「ちょっと待て! その場合、取り分とかはどうなるんだ!?」
「ええ。我々がありがたくいただきますから、心おきなく草むしりしてください」
「納得出来るか! ――そうだ! テケリ! お前に任せる!」
「うきょっ!?」
 突然の指名に、ラビと遊んでいたテケリが驚いて顔を上げる。
 キュカはテケリが何か言うより早く、
「夕べ言ってたな? こいつがいなくなったのは、自分がしっかり見張ってなかったからだって。名誉挽回のチャンスだぞ!」
 その言葉に、テケリは一瞬ぽかんとしたものの、
「――ラジャ! であります! テケリがしっかり見張るであります!」
 元気に敬礼する。
 そして今度はレニをにらみつけ、
「というわけで、お前はニキータ達と草むしりだ。文句ないな?」
「ま、まあ、別にかまわんが……」
 勢いに押されたのか、後ずさりながらも、一応首を縦に振る。
 そのことに満足してユリエルに振り返ると、
「これで問題ないな?」
「さて、どうでしょう」
「…………」

 ――大丈夫……だよな。

 不安は感じたものの――今さら変更するわけにもいかない。
「――なあなあ。ウチはどっちについてったらええんや?」
「そっちだ」
 姿を現したウンディーネに、レニは無表情にロジェを指さした。

 ◆ ◆ ◆

「にしても……こんな暗いんじゃ、薬草なのかどうかもよくわかんないわね……」
 ブツブツ文句を言いながら、エリスは草をむしる。
 確かに、月明かりは木々に遮られ、足下は真っ暗だ。
 ランプの明かりを頼りに目当ての薬草を探してはむしり、カゴに入れていくが、果たしてどれくらいの金額になるか……
「金を稼ぐというのも大変だな……」
「キィ」
 金稼ぎとは無縁のはずのラビが、同意するようにうなずく。
 薬草の採取くらい、宮殿の庭でしたことはあるが、摘むのはその時必要なものだけなのでたかが知れている。
 しかし、換金目的となると、どうしても時間と労力が必要になる。
 さらにエリスの言うとおり、暗くてどれが薬草なのかよくわからない。後で確認しなければならないことを考えると、要する時間はかなりのものとなる。
 ふと、隣のテケリに目をやると、
「……テケリ。それは雑草だ」
「うきょ!? 薬草じゃないでありますか!?」
 テケリの傍らに積まれた草を手に取り、確認すると、薬にもならない雑草ばかりだった……
 それを捨てながらため息をつくと、自分が摘んだ薬草を見せ、
「さっき教えただろう。こっちがそうだ」
「レニさん、それも雑草ですにゃ」
「…………」
 ニキータの言葉に――無言で、草を捨てる。
 夜目が利くニキータはともかく、やはりこの暗闇の中での薬草採取は、思ったよりも難しいらしい。
「……まだ、宝石探しのほうがマシだったか?」
「でもあんた、戦えないんでしょ?」
「…………」
 エリスの言葉に、反論も出来ない。
「……そもそも、その宝石は魔物しか持っていないものなのか? 他に出所は?」
 ニキータは首を傾げ、
「さ、さあ……オイラ、宝石は専門外ですにゃ。にゃんにせよ、『月の力が宿った石』というのは確かですにゃが」
「月の力が宿った石、か……」
 石といえば――
 肩から提げたバッグの中を探り、ロリマーの洞窟で採った、手のひらサイズの水晶を出す。
 無垢なるマナの結晶。これに月の力が宿れば金になるかもしれないが――
「……今の私には無理、か……」
 ため息をつくと、バッグの中に戻す。
 何かに魔力を込めるくらいの作業は、過去に何度も経験している。
 しかし、今の不安定な魔力では――
「せめて、力を増幅出来れば……」
 顔を上げると、木々の隙間から月読みの塔が見えた。薬草を探しているうちに、近くまで来てしまったらしい。
「……空と地上の中間……」

 ――空の月と地上の月は互いに引かれあい、その中間である塔の頂上で儀式を行うことにより、より強い力を得ることが出来ると言われておる――

 バドラの言葉が頭の中をよぎる。
 振り返ると、エリスとニキータは薬草を探すことに集中しており、テケリに至っては、
「うきょっ! なんかヘンな虫さん発見であります! ホカクするであります!」
 虫を追いかけ、茂みの中に飛び込んでいた。
「…………」
 それを確認すると、そろそろと離れ――ある程度距離を取ると、走り出した。

「誰もいない、か」
 念のため、木の陰からしばらく様子を見るが、塔の周辺に獣人達の姿はない。昨日のマミーシーカーの残骸は一カ所に集められ、地面にはまだ、血の跡が残っていた。
「――キィッ!」
 振り返ると、茂みの中からラビが跳び出す。
「お前か。まったく、いつも私にまとわりついてくるな?」
 呆れつつ、すり寄ってきたラビをなでてやる。
 放っておいても後をついてくるのはわかっていたので、そのまま塔の中へと足を踏み込む。
 中はひんやりと冷たい空気が漂い、自分の足音が不気味に響く。なんとなく、足音を立てないよう慎重に奥へと進むと、巨大な石の元に辿り着いた。
「これが、月のマナストーン……」
 形はウェンデルで見たものとほぼ同じだった。支えも何もないのに宙に浮かび、ほのかな輝きを放っている。
 恐る恐る触れてみると、不思議なあたたかい力を感じた。この中に、世界を滅ぼす災厄が眠っているとは思えない。
「――ようこそ、月読みの塔へ」
 顔を上げると、光を放ちながらルナが姿を現した。
 ルナは、特にこちらを咎(とが)めることもなく、
「マナストーンは、マナの女神が作り出した聖なる石。正しい心を持って接すれば、力を貸してくれる」
「……中に災いを封じていても、か?」
「…………。マナの減少が続けば、マナストーンの神獣を封じ込める力も弱まってしまう。そうなると、いずれは……」
「…………」
 黙り込むこちらに対し、ルナは気を取り直すと、
「それより、何か目的があって来たのでしょう? さあ、行きましょう」
「いいのか?」
 止めに来たのかと思ったが、ルナは塔の奥へと漂いながら、
「案内するわ。……と言っても、ほとんど一本道だけど」
「…………」
 一瞬ためらうが――すぐに、その後を追った。

「……一体、何階建てなんだ?」
 延々と続く階段に、さすがに息が切れ、足を止める。
「キュゥ……」
 足下に目をやると、ラビも疲れているらしく、何か訴えかけるような目でこちらを見上げていた。
「まったく……」
 仕方なしに抱き上げると、嬉しそうに耳をぱたぱた動かす。
「もう少しよ。がんばって」
 ルナは自らの光で通路を照らし、先導する。
 小部屋に入っては中の階段を登り、そしてまた小部屋に入って階段を登るの繰り返しだ。最初は何階まで登ったかを数えていたが、だんだん馬鹿馬鹿しくなってやめた。
「――――!」
 何度目かの扉を開き、突然吹き込んだ冷たい風に、目を細める。
「……ずいぶん登ったな」
 外の通路に出たらしく、手すりから身を乗り出す。
 外に出る通路ならこれまで数回あったが、やはりこれほどの高所まで来ると、空気はさらに冷たく、風も強い。
 空を見上げると、黒い空に無数の星がきらめいていた。
「空を見るのは、好き?」
 ルナの問いには答えず、無言のまま遠くの空を眺める。
 地上で見た時は木々に阻まれ、空はなんとも狭くしか見えなかったが――この高さまで来ると余計な障害物もなく、思う存分空を眺めることが出来た。
 眼下の黒々とした森を見下ろし、ふと、ロジェ達がどこかにいないか捜すが――この高さ、そして暗さだ。見つかるわけがない。
 あきらめて、再び空を見上げる。
「空って不思議ね。同じなのに、全部違う」
「……違う?」
 ルナに目をやると、彼女は空に目を向けたまま、
「朝の空、昼の空、夕方の空、夜の空……全部同じ『空』なのに、全然違う。知ってる? ここは確かにずっと夜の空だけど、毎日違う表情をしている」
「…………」
 改めて空を見上げると、黒一色だと思っていた夜空が、月を中心に濃紺のグラデーションで、雲がゆっくりと空を泳いでいた。
 そして月も、昨日見た時はもう少し赤みがかっていたと思うが、今日は白い。
 そう言われてみると、確かに違う。
「さあ、行きましょう。もう少しよ」
「…………」
 ルナに促されるまま、次の階へと進む。
 まったく、頂上につくまでに体力を消耗したのでは、自分の目的が果たせるかどうかわかったものではない。
 再び、階段を登り続け――
「ここが頂上よ」
「……やっとか」
 最後の扉を前に、大きく息を吐く。
「ところで……お前、どうして私の案内などをした?」
「…………」
 ルナは答えず、代わりに、
「……この塔は、二つの月のために建てられた塔」
「バドラから聞いた。月のマナストーンは地上の月。そしてこの塔の頂上は、空の月との中間地点」
「二つの月……同じでありながら、異なる存在。もう一人の自分と出会える場所」
「もう一人の自分だと?」
「そう。特に月の力が強まる空間……ここでは、たまに不思議な体験をする人がいる」
 ルナは微笑むと、
「それが自分にとって、いいものなのかどうかはわからないけど」
「…………」
「キュゥ……」
 腕の中のラビが身をすくませるが、かまわず扉を押し開ける。
「――――!?」
 扉の向こうは、視界ゼロの空間だった。

「どうなっているんだ、ここは……」
 暗闇の中、辺りを見回すが――何も見えない。
「ルナ、これは――」
 振り返り、ルナの姿を捜すが、
「ルナ?」
 返事もなければ姿もない。それどころか、入ってきた扉はおろか、自分がどこに立っているのかもわからない。
 ただ、ひんやりと冷たい空気だけが流れ、まるで一人だけ取り残されたような状態に、呆然と立ちつくす。
「――キュゥッ!」
 腕の中のぬくもりに気づき、我に返る。
「……お前がいたな」
 ラビは、まるで自分の存在を主張するかのように、胸に鼻を押しつけ、耳をぱたぱた動かす。
 それだけだというのに、不思議と気持ちが落ち着いていく。
 ラビを抱きかかえたまま、その場に座り込み――その時になってようやく、バッグにランプをぶら下げていたことを思い出し、手探りで火を灯す。
「キィッ」
 なんとも小さな明かりだったが、その明かりにラビは安心したのか、こちらの手からようやく離れる。
「ここは……」
 ここも石造りの床だったが、どうにも雰囲気が違う。少なくとも、月読みの塔ではない。
 ランプを手に立ち上がり、辺りを見渡すと、どうやら倉庫として使われている部屋らしい。壁際に木箱や荷物が積まれており、近くに上へと続く階段が見えた。
 見覚えがあるような気がする。
 たしか子供の頃、よく――
「――まさか!?」
 ある可能性に気づき、階段を駆け上る。
 階段を駆け上るうちに、疑念は確信へと変わっていく。
 そうだ。ここは一番暗くて、深い場所――
「――――!」
 外へ飛び出し、まぶしさに目を閉じる。
 すっかり暗闇に慣れた目には酷なくらい、よく晴れているらしい。息を切らしつつも、ようやく明るさに慣れて目を開けると、木々の鮮やかな緑が視界に入った。
「……これは……」
 ざわざわと木々が風に揺れ、木漏れ日が降り注ぐ。
 見たことのある風景だった。
 いや、見たことがあるというより、これは――
「キュゥッ!」
 少し遅れて、後を追ってきたラビが足下に寄ってくる。
 どうやら、周辺の森が見えるテラスに出たらしい。テラスから庭に出て、後ろに振り返ると、巨大な建物がそびえ立っていた。
 間違いない。
「ミラージュパレス……」
 周辺を森で囲まれた、ペダンのまぼろしの宮殿。
 今、目の前にあるのは、間違いなく、かつて自分が暮らしていた宮殿だった。
 最初にいたのは、倉庫として使われていた地下室だ。どうしてあそこなのかはよくわからないが。
 どうやら、自分の過去の記憶を元に作られた幻のようだが――安堵感や懐かしさよりも、戸惑いのほうが強かった。
 少し前までここ以外のものなど知らず、離れたのもほんの数日前だというのに、まるで知らない場所に、突然放り出されたような……
「――キキッ」
 視線を下ろすと、突然、ラビが宮殿の奥へと跳んでいく。
「待て! 何が起こるかわからないんだぞ!?」
 呼び止めるが、ラビはお構いなしに跳んでいく。
 ランプの火を消す時間も惜しい。そのまま、慌ててラビの後を追って、開きっぱなしになっていた扉から宮殿の中へと入る。
  ラビはまるで、どこへ向かうべきなのかを最初から知っているかのように、迷うことなく跳んでいく。
 妙な感覚だった。
 まるで、誰かに手を引かれているような気がした。
 過去に、こんなことがあったような――
 ラビを追って、廊下を走り、階段を駆け上り――気がつくと、宮殿で一番空に近い廊下に立っていた。
 この廊下からは直接空が見えて、その中間にバルコニーがある。そしてそのバルコニーに、人影が見えた。
「…………」
 すっかり乱れた呼吸を整えると、ラビの後を追ってゆっくりと歩き出す。
 ここからだと、一体誰なのかよく見えない。
 ただ、声が聞こえてきた。
「――大気のマナに、自分の波長を乗せて……同化する。後はもう、自分の思うまま――」
「……誰だ?」
 ラビはまっすぐ人影のほうへと跳んでいき、人影も片膝をついてすり寄ってきたラビを迎える。
「お前、は……」
 近づくにつれ、輪郭がはっきりとしていく。
 見覚えのある暗緑色のローブに、薄紫のマントを身にまとった、若い男だった。
 彼は足下のラビをなでていたが、こちらがすぐ側までくると立ち上がり、振り返る。
「――――!」
 振り返ったその顔に、凍り付く。
 間違いなかった。

 ――同じでありながら、異なる存在……もう一人の自分と出会える場所――

「……幻夢の、主教……」
 やっとの思いで、それだけをつぶやく。
 鏡に映したかのように、自分と、まったく同じ顔。
 なのに、どこか違う気がした。それが何かはわからなかったが。
 彼は――幻夢の主教は、まっすぐこちらの目を見据えたまま、両手で何かを差し出すと、
「忘れるな。役目を果たさぬ限り、あの空の果てには行けない」
 それが何かもわからぬまま受け取ると、主教の姿はかき消える。
 その向こうに、真っ青な空が見えた。

 ――この……空は……

 どこかで見た気がする。
 しかし、その答えが見つかるより先に、意識が遠のき――視界が、暗転した。

「――兄さん、兄さん!」
 揺さぶられていることに気づき、目を開けると、ロジェがこちらの顔をのぞき込んでいた。そのさらに向こうには月が見える。
 状況がわからず、ぼんやりと月を眺めるが――石の床の上に横たわっていることに気づくと、ようやく体を起こす。
「……ロジェ? ここは……」
「何言ってやがる。自分で来たんだろうが」
 キュカが、呆れた様子で肩をすくめる。
 どうやら塔の屋上らしく、月明かりが辺りを照らし、冷たい風が吹いていた。
 よく見ると、全員そろっているらしい。月のしずくを探していたロジェ達はもちろん、薬草採りをしていたテケリとニキータもいる。
「……エリス?」
 少し離れた場所で、今の自分と同じように床に座り込んでいるエリスに気づく。ユリエルとジェレミアが何かを聞いているが、エリスは青ざめた顔のまま、首を横に振っていた。
「――彼女はあなたの後にここへ来たの」
 ルナの言葉に、ロジェもうなずき、
「ああ。俺達が来た時には、兄さんと同じように倒れてて……何かあったのか?」
「…………」
 彼女も、何かを見たのだろうか?
 ふと、傍らに目をやると、ラビがぐっすり眠っていた。こちらは気楽なもので、なんとも幸せそうな顔をしている。
 テケリは頬をふくらませ、
「ダメでありますよ~。勝手にこんなトコに来ちゃあ」
「お前がちゃんと見張ってないからだろーが!」
「ギャー!」
 キュカに殴られ、テケリが悲鳴を上げるが、ユリエルは振り返ると、
「テケリに任せたキュカのせいです」
「…………」
 その言葉に、キュカはテケリを殴った拳を無言でさする。
「ところで、にゃんでこんな所に?」
 ニキータの言葉に、本来の目的を思い出す。
「あ、ああ……月のしずくを、人工的に作れないかと思ってな」
 言ってから、何かを握っていることに気づく。
「これは……」
「それ、ウチの洞窟のマナの結晶やん」
 ウンディーネが姿を現し、マナの結晶に視線を落とす。
 これに、月の力を宿せないかと思っていたのだが――
「何か、力が宿ったようね」
 ルナの言うとおり、月の力ではないものの、かすかに光を放ち、何か不思議な力を感じる。

 ――まさか、さっきの……?

 一瞬、さっきの幻夢の主教の姿が脳裏をよぎる。
 しかし感じるのは、月の力でもなければ闇の力でもない。どちらかと言えば、あたたかい――優しい力だった。
「どうなっているんだ……?」
 あれは、間違いなく自分だった。
 しかし――不思議と、何かが違う気がした。『幻夢の主教』は過去の自分のはずなのに、違うような――
「なあ。それ、高く売れねーかな?」
 キュカの言葉に顔を上げると、彼はこちらの手の中の石を指さし、
「これだけ大きいんだ。二束三文ってことはないだろ」
「…………」
 たしかに、値段についてはよくわからないが、マナの結晶自体めずらしいもののはずだ。
「……そういえばお前達、月のしずくは見つかったのか?」
 ロジェは困った笑みを浮かべ、
「それが……小さいのが二つだけ」
「まったく……」
 眠っているラビを抱えて立ち上がると、
「わかった。これを売って、その金を均等配分すればいい」
「なに!?」
 こちらの言葉にキュカは目を見開き、よろめきながら後ずさると、
「極悪主教が……気前のいいこと言ってる!?」
「……オイ……」
 失礼極まりない言葉に、こめかみが引きつる。
 やはり、今の発言は撤回しようとした瞬間、しっかり聞いていたらしいユリエルがすかさず、
「いやぁ助かります。幻夢の主教様々ですね」
「…………」
 出来れば、もうその名で呼んで欲しくはないのだが――黙っておく。
「そろそろ戻るぞ。あまり長居すると、バドラ達に文句を言われる」
 ジェレミアに促され、エリスも立ち上がる。
 その顔は、いつものお気楽さがなく、何か思い詰めたような顔だった。
「お前……何を見たんだ?」
「…………」
 聞くが、エリスは床をにらみつけたまま、無言で出口へと向かった。

「やっと出てきたか」
 塔の外に出ると、バドラとプリシラが待ち構えていた。
 葬儀の最中に抜け出してきたのか、はたまた一段落したのか、二人とも黒い服を着ている。
 ユリエルはいつもの笑みを浮かべ、
「勝手にすいません。決して、何か悪さをしようとしていたわけでは……」
「わかっておる。……して、どうじゃった?」
「…………」
 バドラに目を向けられ、一瞬、言葉に詰まる。
「……まるで、私がここに来るとわかっていたような口ぶりだな?」
 バドラは笑うと、空を見上げ、
「当然じゃ。今は行っておらんが、ワシは月読み師じゃからな」
「月読み師? 占い師みたいなもんか?」
 キュカの素朴な疑問に、バドラは淡々と、
「ここで言う『月読み』とは、人の背負いしさだめを読み取ること……ワシは色々な者のさだめを読み取ってきたからな。なんとなく、感じるんじゃよ。何かしらさだめを背負う者は、自然と、行くべき場所へと引き寄せられるもんじゃ」
「……フン。馬鹿馬鹿しい」
 それだけ言うと、バドラ達を横切って、屋敷の方角へと向かうが、
「――待って」
 ルナに呼び止められ、足を止める。
 ルナは全員振り返るのを待ってから、静かに、そして、はっきりとした口調で、
「私も、あなた達と共に行きます」
「なんや? 気ぃ変わったんか?」
 ウンディーネの言葉に、ルナはひとつうなずき、
「正直、マナストーンの側を離れるのは心配だけど……それよりも重大なことが起ころうとしている。それがどんなことなのか確かめるためにも、私は行かなくてはならない」
「うむ。ワシらのことなど気にせず、行くがいい」
 あっさりうなずくバドラに、プリシラは驚いたようだが――結局、
「まあ……おばあ様がそう言うなら……」
 渋々うなずく。
「結局、マナストーンは教団の手に渡る、ということか」
「…………」
 ジェレミアの言葉に、バドラ達は黙り込むが、エリスはあえて明るい声で、
「でも、ものは考えようじゃない? マナストーンのせいでこの辺りはずっと夜なんでしょ? いっそマナストーンがなくなれば、この辺りにも昼が来るんじゃないの?」
「……もしそうなれば、人間達がやってくる」
「?」
 その言葉の意味がわからないでいると、バドラは重い口調で、
「昼がない。作物も育たない。死者に花すら手向けてやれない……そんな住みにくい土地じゃからこそ、人間はやってこない。もし、この地に太陽が差し込むようになったら、人間達は領土拡大のためにやってくるじゃろう。そうなれば、我らはまた、住処を追われてしまう……」
 空を見上げると、ちょうど、輝く白い月が塔の真上に見えた。
 バドラは、まぶしそうに目を細め、
「だからこそ、我らは月のマナストーンを守る。この夜の闇が、我らを守ってくれると信じておるからじゃ」
「……なんか……悲しいわね」
 肩を落とすエリスに、バドラもため息混じりに、
「誰だって、争いたくはない。傷つけたくはない。ただ、静かに暮らしたい……それだけなのに、どうしてそれが難しいのか……」
 首を横に振り、再びため息をつく。
「…………」

 ――ただ、静かに……

 本当に、それだけなのだろうか?
 何かが足りない気がする。
 足りないから――求める。
 求めて、その結果、争いが起こるはずなのに――

 ――何を……求めていたんだ?

 どうしても、思い出せない。
 ただ、静かに暮らしていたはずなのに、どうして――
「キュゥ?」
 足下で、ラビが不思議そうにこちらを見上げる。
「理想は、人間も獣人も関係なく、争いのない世の中なのでしょうが……」
「――来ないさ。そんな日なんて」
 ユリエルの言葉に、プリシラはうつむいたまま、
「どんなにきれい事を並べた所で、この憎しみ、悲しみが消えない限り、私は人間を許さない。絶対に許さない……」
 憎悪のこもったまなざしでこちらをにらみつける。バドラがいなければ、本当に襲いかかって来そうな目だ。
「……お前達、もう行くがいい。ルナを頼むぞ」
「ああ……」
 ロジェがうなずき、ぞろぞろと屋敷の方へと歩き出す。
 自分も足を踏み出そうとして、プリシラが思い切りこちらをにらみつけていることに気づく。
「……完全に嫌われたみたいやな?」
「かまわん」
 耳元でささやくウンディーネに、振り返りもせず返した。