17.廻る運命の輪 - 1/3


「隠すって……何を?」
 極力、平静を装うが、心は激しく動揺していた。
 エレナはこちらの動揺を見透かしたようだが、怒ることもなく、ただ、優しい微笑みを浮かべ、
「ユハニも言っていたわ。あなた、私達に何か隠してるって」
「…………」

 ――ユハニも?

 隠し事といえば、世間ではやましいことを真っ先に考える。そして、相手を疑い、怒り、真相を探ろうとする。
 なのにエレナは笑顔だった。怒りを隠している様子もなく、日没の朱と紺が混じり合う海を眺めている。
 自分も海に目をやると、水面が揺れ、陽光を反射してキラキラと輝いていた。
 波の音を聞いていると、不思議と、動揺していた心が静まっていく。
 しばらく、その音に耳を傾け、
「……聞かないのか?」
「?」
「何を隠しているのか、知りたいんだろう?」
 エレナは変わらず海に視線を向けていたが――しばらくして、
「いいの」
「え?」
「ユハニとも相談したの。聞かないでおこうって」
「…………」
 その言葉に、開いた口がふさがらなかった。
 聞きたいはずだ。
 知りたいはずだ。
 だからわざわざこんな話をしてきたはずなのに、聞かないでおく?
 こちらの疑問を察したのか、彼女は海に背を向け、柵に身を預けると、
「私はただ、あなたが何かを隠していて、そのことで悩んでいることを、私もユハニも知っていることを伝えたかっただけ」
「…………」
「今すぐ全部話せなんて言わない。辛いことなら話さなくていい。でも、話せないことが辛いのなら……いつか、話してね。私、待つから。ずっと待ってる……」
「…………」
 空を見上げると、暗くなりつつある空に、一番星が見えた。
 それを眺めながら、口を開こうとして、
「待ってるって……」
「え?」
 振り返ると同時に、どんっ! と、体に衝撃が走る。
 ゆっくり見下ろすと、エレナの銀色の髪が見えた。体当たりをかまされたのだと思ったが、違う。
「待ってるって、言ったのに」
 エレナが顔を上げる。
 その目は憎悪に満ち、両手に握られた短刀は、こちらの腹に根本まで突き刺さっていた。

 ◇ ◇ ◇

「――――!」
 目を見開くと、ずいぶん小さくなったたき火が視界に入った。
 ロジェはしばらく、肩で荒い息を繰り返し――落ち着つくと、思わず腹に手を当てる。
 ただの夢だ。
 夢なのに――なんとなく、腹に鈍い痛みを感じる。

 ――なん……だったんだ?

 全身に嫌な汗が噴き出し、冷たい夜風に震える。
 周囲からは虫の鳴き声と木々のざわめきが聞こえるだけで、いつも通りの静かな夜だった。
「…………」
 ようやく見張り中だったことを思い出し、慌ててたき火に薪をくべる。
 新たな薪を得て育っていく炎を、しばらくぼんやりと眺めながら、

 ――また、夢……

 最近になってからというもの、あの二人のことをよく思い出すようになった。
 時間が経てば経つほど、自分の中で、わけのわからない不気味なものが育ってゆくのを感じる。
 ……いっそのこと、本当に夢だったらよかったのに。
 夢なら、目が覚めればそれで終わる。
 覚めてしまえば、もう夢のことなどさっさと忘れて、いつも通りに過ごせばいい。夢でさえあれば――
「…………」
 辺りを見渡すと、皆、眠っているようだ。
 そして少し離れた場所に、こちらに背を向け、眠っている兄の姿が見えた。
 彼の姿を確認すると、ここがいにしえのファ・ディールなのだと、否応なしにでも自覚せざるを得ない。
 ……どうして、いにしえのファ・ディールなのだろう。
 もし、ここまで大昔ではなく、あの戦いが始まる少し前に戻れるのなら……同じ過去にさかのぼるれるのなら、そこに行きたかった。
 そうすれば――
「――うっ……」
 かすかなうめき声に、顔を上げる。
 兄の元に近づいてみると、悪い夢でも見ているのかうなされている。
「…………」
 どんな夢を見ているのかは知らないが、傍らに膝をついてしゃがみ込むと、どこか冷めた目で、その苦しむさまを眺める。
 もし、あの戦いが始まる少し前に行けるのなら、そこへ行って――そして――
 無言のまま右手を伸ばし、兄の頬に触れる。
「――――!」
 その拍子に、目を覚ました。
「……ロジェ?」
 兄はかすれた声でつぶやいたが、その顔は驚き――そして、何か恐ろしいものを見るような顔だった。
 その顔をのぞき込みながら、手を首にずらすと、
「兄さんはいいよな。どんな悪夢を見たところで……ただの『夢』でしかないんだから」
 つぶやき――そして、首に添えた手に、一気に力を込めた。

 * * *

「……まだ起きてたのか?」
 かすかな明かりにジェレミアが目を開けると、隣で毛布にくるまったエリスが、ドリアードに照らしてもらいながら本を読んでいた。
 だいぶ光を押さえているようだが、狭いテントの中ではさすがに気づく。
「あ、起こした?」
「なんの本だ?」
「シェーラにもらった絵本よ」
 横からのぞき込むと、エルフと人間の絵が描かれている。さすがに字は読めなかったが。
「昔、エルフと人間が恋をして、互いの寿命を縮めてまで一緒になったっていう話よ」
「寿命を縮める?」
 眉をひそめると、エリスの代わりにドリアードが、
「エルフに伝わる禁断の魔法です。エルフとしての命を一度終わらせる。そして協力者の命を半分もらう。命を分かち合うことで、相手と同じ種族に生まれ変わるんです」
「あ、それで人間も寿命が縮むんだ」
 エリスが納得した顔でうなずく。
 ドリアードは笑いながら、
「等のエルフ達も、まゆつば程度にしか伝えられていませんから。本気にしているエルフなんて、今ではいないと思いますよ」
「ふぅん……」
 ジェレミアは気のない返事を返したが、エリスは身を乗り出し、
「ねぇ。ジェレミアはどう思う?」
「……なにが?」
「そこまでして一緒になった二人のこと、どう思う?」
 なぜそんなことを聞くのか。
 話の内容より、そんなことを聞いてくるエリスに戸惑いを感じたが――少し考えてから、
「……そもそも、なんでエルフが人間になる必要があったんだ?」
「え?」
「エルフはエルフのまま、人間は人間のままでも一緒に生きることは出来ただろう。自分だけの寿命が縮むならまだしも……相手の命をもらうなんて、あたしはゴメンだ」
 ドリアードは『命を分かち合う』と言ったが、当のエルフは相手からもらうだけで、何も与えてはいない。
 なんとも勝手な話だ。エルフとして生を受けたのに、それを否定し、ましてや恋人の命を半分もらうなど。
「本気で好きなら、身を退くのも愛情だろう。そうでなくとも相手の一生を見届けてやるくらいは出来たはずだ」
 なのにそれをしなかったのは――
「そっか……逃げちゃったんだ」
 こちらより先に、エリスが口を開いた。
 彼女は本を閉じると、
「ごめんね、ヘンなこと聞いて」
「あ、いや……」
 どこかがっかりした顔のエリスに、悪いことを言った気分になる。特におかしなことを言ったつもりはないのだが……
「じゃ、わたしもう寝るね。ごめんね起こして」
「――待ってください」
 エリスが毛布をかぶろうとしたところで、ドリアードが待ったをかける。
「どうした?」
 ドリアードは目を閉じ、
「……静かすぎる。何か良くないことが起こるような……」
 森の声を聞いているのだろうか。ジェレミアは寝床から出ると、枕元の短剣を取る。
 次の瞬間、外から、闇を切り裂くような甲高い声が響いた。

 ◇ ◇ ◇

「――キイッ! キイィッ!」
「…………っ!」
 手が、熱い。
 ラビに噛まれたのだと気づいた時には、その甲高い声が夜の静寂を打ち破っていた。
「――なんだぁ? こんな夜中に……」
「なんや? なんかあったんか?」
 今なお甲高い声で騒ぐラビに、眠っていた者が次々と起き出し、精霊達も現れる。
「……え? 俺……」
 ようやく我に返る。
 目の前では、喉を潰された兄が背を丸め、激しく咳き込んでいた。
「…………」
 その光景をぽかんと眺め――自分の手を見下ろす。
 ラビに思い切り噛まれた右手の甲からは血が流れ落ち、今頃になって痛みだす。
 もしラビの邪魔がなければ、今ごろ――
「おい……ロジェ? お前、何やって……」
 状況が飲み込めないのか、キュカ達が呆然とした顔で後ろに突っ立っている。
「――なんだ? 何があった?」
 近くのテントで休んでいたジェレミアとエリスも駆けつけ、その場に凍り付く。
 それもそうだろう。
 喉を潰され、苦しむ兄の首にはくっきりと手の跡がつき、その傍らにはラビに手を噛まれた自分の姿。想像は容易につく。しかし、理解したくないのだろう。
「――しっかりして!」
 ただ一人、真っ先に我に返ったエリスが兄の元に駆け寄る。
 それをきっかけに、ようやくキュカが、
「……どういうことだ?」
「…………」
 重苦しい沈黙がのしかかるが――視線は、エリスから離れなかった。
 不気味なくらい、エレナにそっくりな少女。
 彼女はこちらの視線になど気づいていないのか、兄の首に手をかざし、ヒールライトで治療をしている。
 ……これまで二人の姿を見るたびに、わき起こってくる感情があった。
 それがなんなのか、よくわからなかったが――今ならわかる。

 エリスを失えば、兄はどんな顔をするだろう?

 想像するだけでゾクゾクする。泣くだろうか? わめくだろうか? それとも――
「――何がおかしい!?」
 キュカに怒鳴られ、ようやく、自分が笑っていることに気づく。
「フフッ……アハハ……」
 自分でも、どうしてしまったのかわからない。しかし、止まらなかった。
 ひとしきり笑い――ゆっくり振り返ると、
「……何がおかしいって? 今さら何言ってるんだ。こっちの世界に来てから、おかしなことばかりじゃないか」
「……ロジェ?」
 テケリが不安げな顔でこちらを見上げるが、それは無視してキュカ達をにらみつけ、
「――おかしなことばかりじゃないか! なんでアナイスがいるんだ? なんでエレナそっくりなのがいるんだ? なんで……なんで、こんなヤツがいるんだ!?」
 怒鳴りつけ、後ろの兄を指さす。
 そう。ずっと不思議だった。
 この世界に来てからというもの、まるで何かの導きのように――まるで、あの戦いがまだ終わっていないかのように、見知った顔に出会う。
 自分はそんな導きなど、望んでいないのに。
「……どうして、待っててくれなかったんだ……」
 ヒールライトが効いてきたのか、エリスに支えられて体を起こした兄を見下ろす。
「どうして待つことが出来なかったんだ!? あの宮殿でじっとしていればいいものを、なんでしゃしゃり出てきた!? そんなに俺が信用出来なかったのか!?」
「…………」
 声が出ないらしく、兄は口をぱくぱくさせるが――どのみち、声が出たとしても聞くつもりはない。何も、聞きたくない。
「あのままずっと、誰にも知られることなく、消えてしまえばよかったんだ!」
 吐き捨てると、夜の森に向かって駆け出す。
「ロジェ!?」
「ダメです! 夜の森は危険です!」
 背後からキュカ達や精霊達の声が聞こえたが、もはやどうでもよかった。

 どこをどう走ったのだろう。
「――――!」
 突然草で足を滑らせ、斜面を転がり落ちる。
「っ……」
 痛む体を起こし、改めて仰向けに寝転がると、荒い呼吸を繰り返す。
 どう走ったのかも覚えていない。こんな暗闇の中、障害物に当たることなく走り回れたことには正直驚きだ。
 ふと、伸ばした腕に硬いものが触れる。
 手探りで探し当てると、兄からもらった幻想の鏡だった。腰の防具の裏に紐で留めていたのだが、転んだ拍子にはずれたらしい。
 ぼんやりと、その鏡をのぞき込むが、相変わらず自分の姿は映らなかった。
「ハ……ハハッ……」
 見ているうちに、自然と笑いがこみ上げてきた。
 そうだ。自分だ。これこそが自分だ。
 自分には、もう、なにもない。
 愛する者も、帰る場所も、自分自身さえも――もう、なにもない。
 この鏡は間違いなく、嘘偽りもない真実を映してくれている。まったく、こんな素晴らしいものをくれるなんて、なんてありがたい兄だろう。
「ハハッ……ハハハハハッ!」
 しばらく笑い――体を起こすと、鏡を、思い切り地面に叩きつける。
 鏡は地面を跳ね、鏡面を空に向けて止まる。憎たらしいことに、割れるどころか傷ひとつついていない。
「ハハッ……ハァッ、ハァッ……」
 笑うことに疲れ、肩で荒い息を繰り返す。

 ――何やってんだ俺は……

 ここまで来て、自分がどうしたいのか何もわからない。
 この世界に来たのだって、元を辿れば自分が望んで勝手に来たはずだというのに。なのにどうして――
「――お前の心は虚ろでからっぽ。その空間は、もはや血で血を洗う戦いでしか埋まらない」
 唐突に降って沸いた声に、一瞬、息が止まる。
 声がした方角に振り返ると、近くの木陰に白い光が灯った。
 その光に照らされ、姿を見せたのは、白い法衣と青いマントを身につけた若い男だった。
 彼はケロッとした顔で、
「やあ。いい夜だね」
「……何をしに来た?」
 腹の底から、忌々しげに声を絞り出す。一瞬、自分の声ではないと思ったくらいだ。
 彼――アナイスはにこやかな笑みを浮かべ、
「そろそろ、いい弟やるのも疲れた頃じゃないかと思ってさ。迎えに来たんだよ」
 無言でにらみつけるこちらに、アナイスは呆れたように肩をすくめると、
「いいかげん認めたらどうなのさ? 光だけの存在なんてあり得ない。どんなに隠そうとしたって、心の奥底には常に『影』が潜んでいる」
「…………」
「お前は英雄でもなんでもない。ただのロジェさ。怒りも憎しみもある……それを、理性と悲しみでごまかしているに過ぎない」
 脳裏に、ルジオマリスに迎撃され、海に沈む黒い船がよぎる。
 ……今にして思うと、あれこそがエレナの復讐だったのかもしれない。
 こちらの心を知っていながら、まるで絶望のどん底に突き落とすように――当てつけのように、死んでいった。
 だとすると、なんて女だろう。あの女は見事に復讐を果たしたのだ。

 差し出したこちらの手を、永遠に拒んだのだから。

「お前が正しいと信じて進んだ先に、何があった?」
 アナイスの声に、現実に引き戻される。
「正しいことをすれば報いがあるって? じゃあ、お前はなんだ? お前は何かを手に入れたのか?」
「俺は……何かが欲しくて戦っていたわけじゃない。何も望んでなんかいない。ただ――」
「ただ?」
「ただ……」
 言葉の続きを探そうとして、頭の中が真っ白になる。

 ただ――なんだ?

 守りたかったものはすべて失い、ペダンも滅亡した。双子の兄も、ついさっき殺そうとした所だ。共に戦ってきた仲間達のことも、考えてみればよく知らない赤の他人だ。消しようのない傷だけが残って――
 なにが、あるんだ?

 ――お前にはもう、帰る場所も、待っている人もいないんだ――

 ユハニのあの言葉が、すべてだった。
「お前の振りかざした正義が、お前からすべてを奪った。ホントは後悔してるんだろ? どうしてミントスを助けたのかって」
「…………」
「自分の知らない、赤の他人。そんなものを助けたがために、自分の大事なものをすべて失った。もし失うと知っていたら、お前、どうした?」
「…………」
 何も、言い返せなかった。
 もし失うとわかっていれば――虐殺される獣人達から目をそらしたかもしれない。キュカやユリエル達と戦うことになったとしても、ペダン側につく道を選んだかもしれない。
 なのに戦う道を選んだのは、二人なら、きっとわかってくれると信じていたからだ。
 二人なら話を聞いてくれると、わかってくれると信じていた。間違いじゃないと言ってくれると、信じていた。

 信じていたのに。

「ククッ……感じる。感じるぞ……お前の中にある、怒り……憎しみ……」
 背後から、聞き覚えのある不気味な声が聞こえる。
 もう振り返る気にもならない。闇の底から聞こえてくるような不気味なその声は、耳元でささやくように、
「隠せば隠すほど、影は濃くなり、大きくなる。その影はやがてお前を呑み込み、支配する。本当は気づいているのだろう? お前の中の、もう一人の自分に」

 もう一人の自分。

 まさにその通りかもしれない。
 言葉では信じておきながら、どこかで疑っている自分がいる。
 人である以上当然の感情なのに、それを認められない自分がいて――必死で信じておきながら、裏切られた現実に納得する自分がいる。
 その腹黒さが、彼らには見えるのだろう。
「で、実際問題、どうすんのさ?」
 アナイスは適当な木の根に腰を下ろし、頬杖をつくと、
「今からのこのこお仲間のとこに戻る? それとも一人でどっか行く? 残念だけど、この辺人里なんてないから普通の人なら野垂れ死にだろーね。ま、それでもいいって言うんなら止めやしないけど」
 野垂れ死に。
 一瞬、それもいいかもしれないと思ったが、同時に、それでいいのかとも思う。
 もしそれでいいというのなら、自分はなぜ、こんなところにいるというのだろう。
「どう? こっちにつかない?」
 こちらの心を見透かしたかのように、アナイスが三つ目の選択肢を投げかける。
「別にかまわないんだよ? レニを始末した後、僕を始末しようとしてくれても。昨日の敵は今日の友。今日の友は明日の敵。それでいいじゃないか」
「…………」
 少し前まであんなに拒み続けていた彼の言葉が、今は、ひどく心地よく聞こえた。
 その言葉はまさしく、自分の言葉とまったく同じだった。
 自分の中にいる、もう一人の自分――

 ◆ ◆ ◆

「どう? しゃべれる?」
「…………」
 目を開けると、木々の隙間から薄暗い空が見えた。まだ夜も明け切っていない時間のようだ。
 しばらく、ぼんやりと空を眺め――
「……ロジェは?」
 開口一番、たずねる。
 潰れた喉は治っているようだが、声はまだかすれている。そして首には、今もなお絞められた時のあの感覚が残っていた。
 起きあがろうとすると、エリスはこちらを無理矢理寝かしつけ、
「今、精霊達が捜し回っているわ。あんたは休んでなさい」
「…………」
 エリスの言葉に、無言のまま視線をさまよわせ――すぐ傍らに、ラビと一緒にテケリが眠っていることに気づく。
 そういえば、あの後わんわん泣いていたが、そのまま泣き疲れて眠ってしまったのだろう。目元が赤く腫れている。

 ――なんでこいつが泣くんだか。

 胸中でつぶやきながら、手を伸ばして頭をなでる。
 ユリエルは弓の準備をしながら、
「もう少し明るくなったら我々も捜しに行きます。あなたはここで休んでいてください」
「――その必要はないダスー」
 その声に振り返ると、ジンが何かを持って戻ってくる。
 そして、次々と他の精霊も戻ってきた。
「それ、は……」
「鏡か?」
 近くにいたジェレミアが鏡を受け取り、眉をしかめる。
「……なんだこれは」
「どうした?」
 キュカとユリエルも後ろから鏡をのぞき込み、ジェレミアと同じように気味悪そうに眉をしかめる。
「……見せてくれ」
 制止するエリスを押しどけ、鏡を受け取る。その鏡は、間違いなく――
「……幻想の、鏡……ロジェにやった……」
 鏡面には、血で文字がつづられていた。
「……『イルージャ島に来い』、か……」
「…………」
 後ろから鏡をのぞき込んでいたエリスが、息を呑むのが気配でわかった。

「イルージャ島ってのは?」
「さ、さあ……オイラも初めて聞きましたにゃ」
 キュカに聞かれて、ニキータは首を傾げる。
「……地図には載っていないな」
 ジェレミアも地図を調べるが、それらしい島はないらしい。
 そこに、ジェレミアの後ろから地図をのぞき込んでいたエリスが一点を指さし、
「ここ。この辺りよ」
 ちょうど地図の真ん中――海以外、なにもない場所を指さす。
「知っているのか?」
 驚くジェレミアに、エリスはひとつうなずき、
「いつもは霧に包まれた島よ。だから外の人は島の存在すら知らないわ。まあ、噂のひとつやふたつくらいならあるでしょうけど」
「その島に、何があるんです?」
「小さな村よ」
 それだけ答えると、エリスは荷物を片づけ始める。
「行くなら早く行きましょ。……きっと、そこで待ってるはずよ」
「イルージャ……」
 鏡面に書かれた文字を眺めていると、突然、鏡面に水が叩きつけられ、血文字が流れ落ちる。
「こんな気味の悪いモン、さっさと消してまえ」
「あ、ああ……」
 血は、ウンディーネに洗い流され、鏡面に自分の顔が映る。
 自分でも情けないくらい不安げな顔、そして首には、まるで怨念かなにかのごとく、絞められた時の手の跡がくっきりと残っていた。