18.胎動


「おっきーお骨であります!」
「これは……竜の骨だな」
 走るテケリの後をついて行きながら、前方の巨大な骨を見上げる。
 骨だけとなった体は白い砂に半分埋もれていたが、頭蓋骨の大きさからして、生前はナイトソウルズくらいの大きさはあったかもしれない。
 辺りを見渡すと、そんな骨があちこちに埋もれていた。
「これがガラスの砂漠、ですか」
「ガラスの砂漠?」
 首を傾げるエリスに、ユリエルは白い砂をつかみ、感触を確かめながら、
「私達の時代の、竜の住処がある場所です。そこには『竜の穴』と呼ばれる巨大な洞窟があり、竜達はそこを住まいにしているんです」
「言い伝えでは、大蛇に似た姿のとてつもなく巨大な竜がいたそうだ。その竜の死骸が陸となり、空洞化した体内に子孫である竜達が住むようになった。それが『ドラゴンズホール』と呼ばれるゆえんだ。この砂は竜達の体が朽ち、砂と化したものが積もって出来たものだと言われている」
「じゃ、俺達、竜の死骸の上にいるってわけか」
「き、気持ち悪いこと言わにゃいでくださいにゃ!」
 キュカの余計な言葉に、ニキータが毛を逆立てて震える。
 ジェレミアは辺りを見渡しながら、
「それにしても、生き物の気配がしないな。フラメシュが言っていた竜は本当にいるのか?」
「オイラ的には、にゃにも出てきてほしくにゃいですにゃ……」
「ここまで来た意味なくなるだろーが」
 完全に逃げ腰のニキータを、キュカが呆れて小突く。
「しかし、これだけの数の竜を死に追いやるとは、どれほどの戦だったのか……」
「でも、テケリ達の時代に竜がいたってことは、どこかに生き残りがいるってことでありますよね?」
 テケリの言葉にうなずこうとして――その場に立ちすくむ。顔が引きつるのが自分でもわかる。
「……案外、すぐそこにいるかもしれんぞ」
 引きつった声を絞り出す。
 前方には白い岸壁があったが――その岸壁の一部が、かすかに動いた。
「うきょ!?」
「え? なに?」
 岸壁のくぼみにすっぽり収まったその姿は、ほとんど周辺の白い石と同化し、近づいてよく見なければ気づかなかっただろう。
「なんだ? これ、竜か!?」
 ようやく皆気づいたのか、竜の姿――いや、竜の形をした岩に驚く。
『……私がどう見えているのかは存じませんが、用件くらいは聞いておきましょうか』
「しゃべった!?」
 エリスが驚くが、しゃべったというより頭の中に直接声が響いてくる感じだ。実際、竜の口は動いていない。
 落ち着いた、女の声だった。
 すっかり石化してしまっているが、本物の竜のようだ。しかも、生きている。
 片目はヤニが石のようにこびりつき、かろうじて開いているもう片方の目も白濁している。おそらく視力はほとんどないだろう。
 角も折れ、翼もいびつな形に歪み、膜は破れてボロボロだ。体のあちこちに折れた矢や剣が刺さったままになっている。
 さらに視線を下に向けると、下半身が大地と同化していた。
「お前、その体……」
『私は、この場所を動くわけにはいかないのです。もっとも、動くことも出来ませんが』
 単に埋まっているだけなのかもしれないが、その姿は『同化している』と言ったほうがしっくりくる。決して動かないという意志を、身をもって示しているかのようだ。
 その強い意志を秘めた声からは、不思議な気高さを感じた。ボロボロで、今にも朽ち果てそうな姿だというのに。
「マーメイドに、物知りな竜がいると聞いたのですが、あなたがそうですか?」
『物知りかどうかは知りませんが、この地にいる竜はもはや私だけです。あなた達が何者かは知りませんが、退屈していたところです。私に答えられることでしたらお答えしましょう』
 こちらに敵意がないと判断したのだろう。竜は、白濁した目をこちらに向ける。
「闇のマナストーンを探している。心当たりはないか?」
『マナストーン……』
 単刀直入に聞くと、竜はしばし瞑目し、
『あなた達がなにゆえあの石を求めるかは知りませんが、今はもう、この地にはありません。かつて人間に持ち去られ、それっきりです』
「『かつて』? つまり、元々はこの地にあったということか?」
『そう。我々は、かの石を守護することを使命としていた。しかし『使命』を理由にこの地に縛られ、外界との関わりを制限されることを嫌った若い竜達が、人間達をそそのかしたのです。マナストーンの力を手に入れれば、さらに国を発展させられると……そして、竜と人の争いが始まりました』
「『使命』、か……」
 ようするに、裏切りだ。
 しかし、その若い竜達にしてみれば、自分で望んだわけでもない『使命』に縛られることに耐えられなかったのだろう。一方的に悪いとも言えない。
『誰もが、人に勝ち目はないと思っていました。しかし、当時、バラバラの民族の集まりでしかなかった人間達が、我々との戦いの中でひとつとなり、そして先の竜達の協力によってマナストーンの元にたどり着いた時、我らは敗北を悟りました』
 竜は淡々と続ける。
『若い竜達の裏切りに、老竜達は怒り狂いましたが、私は彼らに希望を見ました。竜と、人との共存、共栄……それまで、関わり合いになることを拒み続けることで『共存』してきた我らと人が、力を合わせ、ひとつになる……古き時代が終わり、新たな時代が始まると』
 だが、彼女は小さなため息をつくと、
『しかし十年前、それは崩れ去りました。突然の人間達の襲撃……皮肉なことに、竜によって人間の手に渡ったマナストーンが人間達の文明を発展させ、その文明によって、竜達は滅ぼされた。やはり、竜と人は相容れない存在なのか、私が見た希望はまぼろしに過ぎなかったのか……今となっては、わかりません』
 竜は、ただただ悲しそうだった。怒り狂ってもいいはずなのに。
「しかし、なぜヴァンドールはあなた達を襲ったのでしょうか?」
『私達の中には、マナストーンが人間の手にあることをよく思わない者もいました。もしかすると、自分達が出兵中に襲われることを恐れ、先手を打ったのかもしれません』
「なるほど……後方の安全と、自国の強さを世界に見せつけるため、ということですか」
 ヴァンドールが他国と戦争。たしかに竜達にしてみれば、マナストーンを奪い返すまたとないチャンスだ。
 テケリは竜に向かって手を上げ、
「ドラゴンさんは、ここでなにをしてるでありますか?」
『未来の守護……』
 竜の背後に、なにか見えた。
 最初はただのくぼみだと思っていたが、そのくぼみが、何か布のようなものに覆われている。
「見せてもらっていいか?」
 竜は特に何も言わなかったが、制止もしなかった。竜の横に回りくぼみをのぞき込むと、布に見えたものは、布というより繭だった。
 くぼみ全体が繭に覆われ、その繭越しに、丸い石のようなものが複数、うっすらと見える。
「まさかこれは……竜の卵か?」
「卵ぉ?」
 キュカも目を丸くしながら、こちらの肩越しにのぞき込む。
「ちょっと待てよ。竜が絶滅したってのは十年前だろ? 竜の生態はよく知らねーが、十年も孵化してないってのはさすがにヘンだろ。そもそも生きてるのか?」
 キュカの失礼な言葉に、竜は気を悪くした様子もなく、
『十年前の戦の際、この場所に集められた卵は時が来るまで石の眠りにつきました。その封印がいつ解けるのか、それは私にもわかりません』
「その時まで、ずっとここにいると?」
『ええ。死んだ友との約束です』
「約束?」
『そう。約束』
 確認するように、竜は小さくうなずく。
「おい……まさかこの中に、竜帝になるドラゴンがいるんじゃないのか?」
 ジェレミアのつぶやきに、息を呑む。
 まさかどころか、確実にそうだろう。もしくは、竜帝につながる竜か……
『竜と人の共存……あなた達は、夢物語だと思いますか?』
 こちらの心情を知ってか知らずか、竜は、突然そんなことを聞いてきた。
『さっきの話の若い竜のひとり……彼は『人が好きだ』と言っていました』
「人が、好き?」
 キュカが眉をひそめる。
 これまで見てきた竜は人間への憎しみに満ちた者ばかりだっただけに、信じられないようだ。
『時に弱く、時に強い。簡単に傷つき、倒れるのに、何度でも立ち上がる……面白い生き物だと』
 そんなことを考える竜が本当にいるのだろうか。
 長い歴史の中で、人間と竜が友好的だったことはない。
 実際、ペダンが世界相手に起こした戦で竜族はペダンの味方をしたが、おおかた、どこかでペダンを出し抜き、アニスの鏡の力を奪うつもりだったのだろう。そうでなければ、竜が人間の戦に首を突っ込む理由はない。
『十年前、彼は、竜と人間に殺されました。同胞から裏切り者と追い出され、傷ついた体でひとり飛び続け、最後は人間が放った矢で射落とされた』
 竜は、視線をこちらに向け、
『あなた達はどうですか?』
 見えないはずの白く濁った目が、一人一人の目を覗き込んでゆく。
『彼を愚かだと笑うなら、私を殺し、あなた達の未来を守りなさい。しょせん私は死に損ない。抵抗する力もありません』
 不気味な緊張感に、背筋が寒くなる。
 未来のことを思うなら、そうするべきなのだろう。
 しかし――
「……フン。そんなことしたら、あたし達のほうが悪者じゃないか」
 ジェレミアの吐き捨てるような言葉が、沈黙を破る。
 竜は、表情こそ変わらなかったが、笑ったような気がした。
 彼女は空を見上げると、
『ひとつの命を奪うということは、未来に続くすべての命、すべての可能性を奪うということ――』
 顔を上げると、空がずいぶん暗くなっている。
『そんなことを続けていれば、めぐりめぐって、いつか自分の未来が絶たれてしまう……それは、悲しいことです』
 竜の視線の先――その先には、藍色の空で小さく輝く、一番星が見えた。
 
 
「……ロジェの目的は、未来を消し去ることなのかもしれない」
 幻想の鏡の縁をなぞりながら、鏡面に移る自分の顔をぼんやりと眺める。
 夜の砂漠は静かで、中心のたき火がはぜる音だけが響く。
「ここはいにしえのファ・ディール。ここが消えれば未来も消える。私達も含めて……」
「テケリ達、消えちゃうでありますか?」
「……『消える』というより、『なかったこと』になる。なにもかも、すべて」
 不安げな顔をするテケリに、ユリエルが付け加える。たしかに、そのほうが近いだろう。
 テケリは眉をしかめ、
「ん~……全部なかったことになるってことは、テケリ達は生まれなかったことになるわけで……そうなると、アナイスさまもこの時代に来るわけないから、最初っからこんなことが起こらないし……そうなると、やっぱりなかったことはあったってことになるわけで……あ~もう! わけわかんないであります~!」
 こんがらがってきたのか、その場にひっくり返って一人でじたばたする。
「ねぇ。あんた達って、どれくらい先の人なんだろうね?」
 突然のエリスの言葉に、全員きょとんとする。
 彼女は小首を傾げ、
「千年? 二千年? もっと先かな? それとも、もっと短い?」
「さあ……正確にはわかりませんね」
「それがどうかしたか?」
 怪訝な顔をするジェレミアに、エリスは指をひとつ立て、
「だってさ、この世界のどこかに、あんた達のルーツになる人達がいるってことでしょ? 途切れることなく、ずっと続いて……それって、スゴイことじゃない?」
 
 ルーツ。
 
 エリスとニキータ、ついでにラビを除く全員、この時代に生きる誰かの子孫であることは間違いない。
 考えてみれば当たり前のことなのに、あまり意識したことがなかった。
「……もし……」
 気がつくと、口を開いていた。
 この世界のどこかに、自分達の先祖がいる。それはつまり――
「もし……この時代の、この世界の誰かを殺せば、その後に続くはずだった者も……私達の時代に存在していたかもしれない者、出会っていたかもしれない者、最悪、自分自身が消えるかもしれない……ということか?」
 
 ――ひとつの命を奪うということは、未来に続くすべての命、すべての可能性を奪うということ――
 
 不思議と、あの竜の言葉が脳裏によみがえる。
 
 ――そんなことを続けていれば、めぐりめぐって、いつか自分の未来が絶たれてしまう……それは、悲しいことです――
 
 全身から、血の気が引いていくのを感じる。
 それはつまり、誰かを殺すということは、自分を殺すということ。
 当然のことなのに、なぜ気づかなかったのだろう。
 胸元に手を触れると、あの小さな指輪の感触が服越しに伝わってきた。
 
 
「いつまでこうしているつもりだ?」
 皆が寝静まった頃を見計らい、勝手についてくるラビと共にやってくると、竜は相変わらず同じ場所に鎮座していた。動けないのだから当然ではあるが。
 月明かりに照らされ、シルエットしか見えない竜は、さも当然とばかりに、
『この子達が、生まれてくるまで』
 予想通りの回答に、ため息をつくと、
「……おまえ、人が憎くはないのか?」
『そんな感情、とうに失ってしまいました。今の私は、ただここに有るだけの存在。石ころと同じです』
「石ころ、か」
 足元に目をやるが、砂ばかりで石ころすら見当たらない。
「石ころなら我らのことなど無視して、石のふりをしていればよかっただろう」
『それは出来ません』
 笑ったらしい。竜のシルエットが、かすかに震える。
『私もまた、人が嫌いではありませんので』
「変わっているな。お前」
 フラメシュが言っていたような気がする。どこにでも変わり者の一人や二人はいる、と。
『すべての命は、何らかの形で自分の生きた証を残す。たとえ私達の存在を忘れ去られようと、この子達の存在が私達の生きた証』
 卵があった場所に近づくと、真っ暗で何も見えなかったが――
「…………? 生き、てる?」
 聞こえる。
 目を閉じ、耳に神経を集中させると、かすかにではあったが鼓動の音が聞こえる。
『目覚めの時が近づいている……たとえ世界の滅びが目前に迫っていようとも、この子達が生まれることを望むなら、私はここで、その時が来るのを待ち続ける』
「…………」
 目を開け、卵のある場所を呆然と見つめる。
 そして、竜に振り返ると、
「なぜだ……? なぜ、生まれるかどうかもわからないもののために、おまえはここで待つことが出来る? 約束など……死んでしまった仲間の約束など、消えたも同然!」
『いいえ。私が約束を守り続ける限り、約束は消えない。そしてなにより、これは私が選んだ道』
「選んだ、道?」
『そう。本当は、約束なんて関係ない。私が考え、選び、決めた道。それがただ、友の約束を守ることに繋がっているに過ぎない。たとえ誰かが、この子達の存在を否定しようとも、私は私が選んだ道を信じるだけ。この子達は、この子達の道を行けばいい。それだけのことです』
「…………」
 暗くて顔は見えない。
 月明かりに照らされ、見えるのはシルエットだけだったが、彼女は月を見ているようだった。
 隣に並んで立ち、同じように月を眺めながら、
「私は……自分で道を選んだはずだった」
 気がつくと、口を開いていた。
「後悔しないと誓ったのに……約束したはずなのに、いつもどこかで迷っている。もしかすると、本当はどこにも自分の意志などなくて、これが自分の意志だと思いこんでいるだけなのかもしれない……」
 こんな話、誰にもしたことがない。
 それを、今日会ったばかりの竜相手にしてどうするのだろう。
 我ながら馬鹿げているとは思ったが、竜は笑うことなく、
『あなた、名前は?』
「? レニ」
 突然名前を聞かれ、ほとんど反射的に答える。
 竜は満足げにうなずくと、
『あなたには今、『答えない』という選択肢もあったのに、私の問いに答えました。それはあなたの意志です』
「…………」
 一体何がしたいのかわからなかったが、不思議と気が抜けていくのを感じる。
「さっき……自分で選んだ道なら、後悔してはいけないと言ったな?」
『ええ』
「たとえ自分にとってはそうだったとしても、巻き込まれた者は? 自分の意志と無関係に巻き込まれ、傷つけられた者達はどうなる? それでも、悔いてはいけないというのか?」
『ええ。それが自分で選んだ道ならば、突き進みなさい』
 断言する竜に、言葉をなくす。竜は見えぬ目を細め、
『あなたは優しい人……自分が動くことで誰かが傷つくこと恐れ、何もできないでいる。でも、それは本当の優しさではない。本当にあなたが恐れているのは、誰かを傷つけることで、自分が傷つくということ』
 いつだっただろうか。以前、誰かに似たようなことを言われた気がする。
「人に優しく、自分にはもっと優しいとでも?」
『いいえ。ただ、臆病なだけ』
 竜は顔を上げると、どこか遠くを見るように、
『我らも人も、ただ弱いだけ。その悲しい弱さを許してやって欲しい……彼の最後の言葉です』
「『我ら』? 弱者の中に、自分達も含まれていると?」
『ええ。我らもまた、心弱き者……あなた達と同じ。だから滅びた』
 ……その竜は、一体何を信じていたのだろう。
 現実の残酷さを知らないから、そんな夢を見ることが出来たのだろうか?
「お前、名前は?」
『名前?』
 一瞬、竜は考え込み、
『さあ……もう、名を呼ばれることもなかったですから。忘れてしまいました』
「そうか……」
 そういう意味では、名前というものは自分のためのものではなく、呼ぶ側のためにあるものなのかもしれない。
 自分もまた、名を呼ばれることなどもうないと思っていたから。
「では、ヴァディスという名はどうだ?」
『ヴァディス?』
「私が小さい頃、父上に読んでもらった絵本の竜の名だ。人と竜が絆を結び、友として生きたという話だ。絵本の姿とは似ても似つかんが、雰囲気がお前と似ている。……気に入らんか?」
『ヴァディス……』
 やはり、人間につけられた名前など気に入らないだろうか。
 彼女は、しばし名前を反復していたが、
『良い名です。気に入りました』
 ひとつうなずく。心なし、嬉しそうな気がする。
『人間にも、彼と同じことを考える者がいるのですね』
「え?」
『そんな絵本を描くなんて』
「……そうだな」
 もちろん、知っている。
 彼女の夢が、夢でしかないことを。
 これから生まれてくる竜達の未来は、人間を憎み、いずれ戦いを挑む未来。
 そして人もまた、竜と戦う。自分達を脅かす敵として。
 憎み合い、否定し合いながら存在している。そんな形でしか共存出来ない。
 そんな未来など知るよしもない彼女は、満足げにうなずくと、
『それがわかっただけでもう充分……そろそろお行きなさい。仲間が心配しますよ』
「ああ……」
 促され、元来た道へと引き返す。
 少し複雑な気分だったが、もう会うことのない相手に、そんな余計なことを教える必要はないだろう。
『――レニ』
 呼ばれて足を止める。
 次の瞬間、風が吹き、光が舞った。
「これは――」
 白い砂が、月の光で青白く輝く。
「これが、ガラスの砂漠?」
 なぜここが『ガラスの砂漠』と呼ばれるのか不思議だったが、砂の一粒一粒が月の光を反射させ、まるでガラスのように輝いている。
 しかし、それだけではない。
 青白く、どこか寂しい光。この光は――
『あなたは私に名を。私はあなたに目と耳を。絆の証として、交換です』
「目と、耳?」
『何も恐れることはない。世界は、女神の愛で満ちている』
 月が雲に隠れ、何も見えなくなる。
 雲が晴れ、再び辺りが照らされた時には、竜は周囲の岩と同化して、もうどこが竜だったのかわからなくなっていた。
 
 
「――――!」
 全身に寒気が走る。
 もう何度目だろうか。ざわざわと、全身の血が騒ぎ立てるような――何かに呼ばれるような感覚。
 キャンプに戻るつもりが、気が付くと、それとは逆の方角に駆け出していた。
「キュ?」
 ラビが必死で追いかけてくるのが気配でわかったが、かまっている暇はない。一心不乱で砂を蹴る。
「あれは……!?」
 一瞬だったが、前方で、人が横切るのが見えた。
 いるはずがない。
 違うとわかっている。なのに、足は止まらない。
「キィッ! キュィッ!」
 ラビがこちらを止めるように追いかけてくるが、無視して、自分でも驚く早さで走る。
 大きな岩の裏側に出ると、捜していた姿が視界に入る。
 暗闇の中でも、間違えない自信はあった。
「ロジェ!?」
 こちらに背を向けていたが、あの後ろ姿は――
「――キィッ!」
「ぐっ!?」
 ラビの甲高い声が聞こえると同時に、首の後ろに衝撃が走る。
 視点がひっくり返ったかと思うと、そのままぷっつりと、意識が飛んだ。
 
 ◇ ◇ ◇
 
「こいつ……やっぱり」
 気を失ったレニの腕をつかみ、袖をめくると、肌に邪精霊の黒い模様があった。
 いつからだろうか。普通なら、とっくに発狂して体を乗っ取られていてもおかしくないはずだ。
「ぷきっ! ぷきーっ!」
 すっ飛んできたラビが、全身の体毛を逆立て、こちらを激しく威嚇する。
 本来、臆病な生き物だ。普通なら威嚇する前に逃げ出すのだが……逃げも隠れもせず、立ち向かうラビなど初めて見た。
「……安心なさい。命を取るつもりはないから」
 笑ってみせるが、ラビは警戒を解くつもりはないらしい。今にも噛みついてきそうだ。
「……ルカ、本当にいいのか?」
「アナイスが聖剣を手に入れてしまった以上、あなただって、もうわたし達とはいられないでしょう?」
「ルサはどうする?」
「あなたが気にすることじゃない」
「…………」
 用意してきたメモを、ナイフで近くの骨に留めると、彼に振り返り、
「あなたには苦労ばかりかけたわね」
「……自分で決めたことだ」
 ロジェ――正確には、ロジェの姿に化けていたものが、本来の姿へと戻る。
 彼は黒い翼を広げると、
「……では、参ろうか」
 ルカは、足下のラビに目をやり、
「あんたも来る?」
「キュ、キュゥ……?」
 聞かれて、ラビは困った顔で身をすくませた。