20.幸せのとき - 1/2


 とにかく、彼は一生懸命だったと思う。
 他の新兵は上官が終了の合図を出せば帰ってしまうのに、彼は自分が納得するまでやめなかった。
 その向上心はすばらしいものだが、教育担当はたまったものではない。みんな嫌がり、ほとんど押しつけられる形で彼と組むはめになった時は、己の不運を嘆いた。
 最初こそ面倒なヤツだと思ったが、次第に、どうしてそんなに一生懸命なのか不思議になり――興味を持った。
 
 ◇ ◇ ◇
 
「ここは?」
「夢の跡地……と言ったところかしらね」
 ルカに案内され、やってきたのは旧ヴァンドール領内の廃墟だった。
 元々は街だったようだが、石作りの建物はほとんどが崩れ、草木も枯れ果てている。生命の気配はまるで感じられず、灰色の空が不気味さに拍車をかけていた。
 ルカは先を歩きながら、
「ここには、かつて栄えた都があった。何年も、何百年も、気の遠くなる時間をかけて大きくなって、たくさんの人々が生活を営んでいた。でも、滅びるために必要なのはほんの一瞬」
「…………」
「バカみたいよね。どんなに必死になったって、終わる時は一瞬で終わってしまうんだから」
 それからは無言で、薄気味の悪い街を進む。
「ねえ。どうして、聖剣なんてあるんだと思う?」
 その唐突な質問に、反射的に、担いでいた布包みに視線を落とす。
「マナの聖剣は、世界の創造にもちいた黄金の杖の仮の姿と言われている。どうして、わざわざ剣の形にしなくてはならなかったと思う? どうして杖のままじゃいけなかったの?」
 そんなこと、考えたこともなかった。
 たしかに言い伝えでは、元々、マナの女神は杖を持っていたはずだ。なのに女神は、それを剣に変えた。
 剣ということは、何かを切るためだろうか?
 そういったことを考えた末、
「……悪を断ち切るため?」
 いたって普通に答えたつもりだったのだが、その返答にルカは吹き出し、馬鹿にしたように笑い出す。
 これまで厳しい顔しか見たことがなかっただけに、馬鹿にされた怒りよりも驚きの方が大きかった。
「そんなもの……この世にないわよ」
 彼女はひとしきり笑ってから、
「そんなもの、なかった。これまでいろんな人を見てきた。でも、完全な正義も、完全な悪もなかった。みんなどこか不完全で、どこかで迷ってて……ただ、弱いだけの人ばかり」
「…………」
「剣なんて、しょせん斬るための道具。伝説の聖剣だって、剣である以上、斬るための道具でしかない。女神は、その剣で何を斬るつもりだったのかしらね……」
 結局、ルカを満足させる回答は出来ぬまま、再び廃墟の街を進んだ。
 
 ◇ ◇ ◇
 
「なあ。お前、どうしてそんなにがんばるんだ?」
 もう何度目になるか。再び転がされ――それでも起きあがるユハニに、半ば呆れつつ聞いてみる。
 こんなこと初めてだったかもしれない。外の世界に出てから、人に興味を持ったのは。
 もう空は赤くなり、訓練所には誰もいない。先に帰った者達は、去り際に、ユハニには小馬鹿にするような視線を、こちらには同情するような視線を向けて去っていったが、そんなものはおかまいなしだ。
 ユハニは立ち上がり、再び木剣を構えると、
「強くなるためだ!」
 短くそれだけ答えると、木剣を振り上げ向かってくる。疲れているはずなのに、最初と比べるとそのキレは良くなっていた。
 とはいえ、
「――うぁっ!?」
 こちらの足払いをまともに食らい、再び地面に転がる。最初は数えていたが、数えるだけ無駄だと気づいてからは数えていない。
「っくぅ……」
「さっきから言ってるだろ。いくら相手が剣持ってるからって、剣しか使わないとは限らないって」
 剣を振り回すことに必死で、足下がスキだらけだ。何度も指摘しているのだが、一つのことに必死で追いつかないのだろう。
 ……ふいに、自分が宮殿を出たばかりの頃の事を思い出す。
 あの頃は何もかも必死で、周りのことなどまるで見えていなかった。
 彼もあの時の自分と同じで、追いつこうと必死なのだろう。なにしろ、お世辞にもいい体格をしているとは言えず、周囲は年上ばかり。気を使われたくないのかも知れない。
 だが――自分とは、何かが違うような気がした。
 自分のことだけに必死で、周りを見ている余裕などなかった自分とは違い、彼は、何かが違うような――
 立ち上がられる前にしゃがみ込み、視線を合わせると、
「……なあ。どうしてそんなにがんばるんだ?」
 もう一度、さっきと同じ質問を繰り返す。
 ユハニはその場であぐらをかき、少し考えてから、
「……姉さんを守るためだ」
「姉さん?」
「そうだ」
 それから、少し話をした。
 普通なら十八、十九歳で入隊するところを、彼は二年前倒しで入隊していた。それが不思議だったが、なんのことはない。二つ年上の姉が軍に入隊し、その後を追ってきたのだ。
「僕達の両親は早くに亡くなって、姉さんはこれまでずっと僕を守ってくれた。でも、僕だっていつまでも子供じゃない。だから強くなって、僕が姉さんを守るんだ」
 ユハニは真顔だったが――正直、納得できなかった。
「守るって……何から?」
「敵だ」
「敵って?」
「敵は敵だ。姉さんを傷つけるもの、すべてさ」
「…………」
 その返答に、頭を抱える。一体、どこをつつけばいいのかわからない。
 考えた末、
「でも『軍人』っていうのは、国を守るものだろう?」
「もしかすると、明日、敵が攻めてくるかもしれないじゃないか!」
 ムキになって反論するユハニに、さすがに面食らって言葉を失う。おまけに話がかみ合っていないような気がしたが、ユハニはそんなことなどおかまいなしに、
「それに戦争が起こらなかったにしても、最近は魔物が凶暴化しているだろう? 姉さんだって、軍隊に入ったからには討伐に行かなきゃいけないけど、僕が戦えるようになったら、姉さんが戦わなくて済むかもしれないじゃないか!」
「…………」
 そんなわけがない。
 国からすれば、彼も、彼の姉も、大勢いる中のたった一人の雑兵に過ぎず、彼が戦えるようになったからと言って彼の姉が戦わなくていい理由にはならない。むろん、姉が退役するならともかく、本人がそれを望むかどうかは別の話だ。
 なので、彼のその言葉はひどく子供っぽくて――滑稽ですらあったが、嫌ではなかった。
 一瞬、消し去ったはずの兄の顔がよぎった。
 ほとんどケンカ別れで、わけのわからないまま宮殿を出てしまったが――同時に、外の世界というものに、心のどこかでわくわくしていた。
 しかし、外の世界とは想像以上に不自由で、窮屈なものだと気づくのに、さほど時間はかからなかった。
 あれほど恋焦がれた外の世界だったのに、目標も、外に出てきた理由も見出せず、ただただ、生きることに精一杯だった気がする。
 外に出て初めて、これまで自分がどれだけ守られた場所にいたかを思い知った。
 そして、その場所を誰が守ってくれていたのか。亡き父であり、兄だった。
 では、兄を守るのは?
「……おまえ、姉さんを守るために強くなりたいのか?」
「そうだ。この国ごと、姉さんを守りたい」
「そっか……」
 ……たとえ、たった一人の雑兵であったとしても、ペダンを守ることが兄を守ることにつながるのなら、それも悪くないかもしれない。
 ユハニが言っているのは、つまりはそういうことなのだ。
 ……その時初めて、外の世界に出てきた意味を見出したような――世界が、広がったような気がした。
 
 ◇ ◇ ◇
 
「――ルカ様、お話はそのくらいにして、そろそろ本題に入りましょうか?」
「そうね」
 唐突に降ってきた声に顔を上げると、すぐそばの廃屋の屋根に、死を喰らう男が立っていた。
 彼はこちらの前に飛び降りるなり、口から青白い玉をひとつはき出す。
「それは?」
「ククッ……剣の力をさらに高めなくてはなりません」
 光の玉は青白い尾を伸ばして逃げようとするが、死を喰らう男は尾を踏みつけて阻止すると、
「死者の嘆き……滅びのこだま……この地には、それがあふれかえっている。その心地よさが、暗黒剣の力をさらに強くする」
「…………」
 死を喰らう男に促され、担いでいた布包みを解き――黒い剣を手に取ると、玉に突き刺す。
「―――!?」
 次の瞬間、目の前に、恐怖に引きつった女の顔があった。
 
 * * *
 
「――言え! マナストーンはどこだ!?」
 自分の声ではなかった。
 いつの間にか女の胸ぐらを乱暴につかみ、壁に押しつけている。
 しかし女は恐怖で声が出ないらしく、口をぱくぱくさせるばかりで話にならない。
 声の主もそう判断したのか、手を振り上げ――振り下ろした瞬間、確かな手応えを感じた。そして一拍遅れて、袈裟斬りにされた女が崩れ落ちる。
 その時、長い耳が視界に入った。
 
 
「――彼女も気の毒だな。自分の恋人が、逆賊の兄だとは」
「逆賊など、もはや弟でもなんでもありません!」
 今度は鎧姿の中年男が見えた。
 その男に向かって、ツバを飛ばしながら、
「私が行きます! この手で、逆賊共を一人残らず討ち取ります!」
 その言葉に、上官らしい男は満足げにうなずくと、
「よし、ならば行け。逆賊を討ち取った暁には、キミには勲章が与えられるだろう。恋人も誇らしいだろさ」
 
 
 ……途切れ途切れに、しかも高速で映像が流れていく。
「にい、さん、どうして……」
 血まみれの少年の顔が、一瞬で流れていく。
 あまりに膨大な情報。もはや読み取ることも何かを感じることも出来ず、横切っていくのを眺めるだけだ。
「――俺はリロイ。キミは?」
「……シェーラ」
 
 ◇ ◇ ◇
 
「――――!?」
 全身に強い衝撃が走り、気がつくと地面を転がっていた。少し遅れて、脇腹に痛みがやってくる。
「おい……大丈夫か?」
 声がした方角に頭だけ向けると、片足を上げたままのルカが怪訝な顔をしていた。どうやら、彼女が思い切り蹴飛ばしてくれたらしい。かたわらには黒い剣が地面に刺さったままだった。
「っくぅ……」
 蹴られた場所より、頭を押さえる。
 今、間違いなく、自分は別の誰かを『体験』していた。
 その異常事態に、傍目にもおかしく見えたのだろう。ルカが剣から引き離してくれなければ、文字通り頭がパンクしていたかもしれない。
 ……蹴る以外に方法はなかったのか、疑問は残るが。
「今の……は……」
 なんとか体を起こし――全身が嫌な汗でびっしょり濡れていることに気づく。
 死を喰らう男は楽しそうに笑いながら、
「ククッ……ワタクシは、単にディオールで見つけたのを捕まえただけで、誰の魂かまでは存じませんねぇ。ですが絶望と嘆きにあふれ、とても美味でしたよ。クククッ……!」
「ディオール……」
 リロイだ。
 ほんのわずかしか読み取れなかったが、間違いなく今、自分はリロイを『体験』していた。
 そして今頃になって、彼のことを誤解していたことに気づく。
 その境遇が、自分に似ていると思っていた。
 しかし、違ったようだ。彼が本当に似ていたのは自分ではなく――
 
 ユハニだ。
 
 愚直なまでに国に従い、死んでいった、ユハニそのものだ。
 とたんに、彼のことが理解出来た。理解、出来てしまった。
「そう……か。そうだったんだ……ユハニ……お前、そうだったんだ……ハハハッ……」
 なんとも簡単なことだ。どうして今の今まで、こんな簡単なことに気づかなかったのだろう。
 
 彼は我が身かわいさに、友に剣を向けたのだ。
 
 考えてみればそうだ。身近な友人が、ましてや姉の恋人が反逆者など、周囲からどんな目で見られるか。自分の立場がどうなるか。想像は容易につく。
 国のため、姉のためと口ではそれらしい言葉を吐いておきながら、逆らうことが怖くて、自分の立場が悪くなることを恐れて、自らを守るために戦っていたのだ。
 自分の命と他人の命。どちらが大事か、考えるまでもない。
 
 ――ズシン。
 
「出たわね」
 辺りに重い音が響く。
「……なんだあれ?」
 立ち上がり、音がした方角に目を向けると、ガレキの山の向こうに巨大な岩の塊のようなものが見えた。
「クク……世界の終焉に現れるという、一つ目の怪物です。たしか『サイクロプス』と呼ばれていましたっけ」
「世界の終焉?」
「さて、単なる言い伝えか、それとも……どちらにせよ、我々だけでは骨の折れる怪物。おまけにこの辺りの負のエネルギーを吸収して、かなり狂暴化しています。暗黒剣を育てるのに、これほど適した怪物はいません」
「剣を育てる? 俺が?」
「聖剣をこんな風にしておいて、何を今さら」
 ルカが吐き捨てる。どうやら、彼女には相当嫌われているらしい。
「剣は抜かれたばかりで力を失っている。力を取り戻すには、ああいった闇に染まった怪物の力を取り込むのが手っ取り早い。……わたし達が援護してやるから、さっき魂を吸収したように、ヤツの力を剣に取り込め」
 一方的に命令すると、背負っていた剣を抜き放ち、怪物へと向かっていく。
 一人取り残され、地に刺さったままの黒い剣に視線を落とす。
「……世界の終わりだって?」
 彼女達――いや、アナイスは本気でそんなそんなことを考えているのか?
 世界の終わりに現れる怪物。暗黒剣へと変わり果てた女神の聖剣。そして、その剣の主が自分……
 馬鹿な話だ。本当に、馬鹿な話だ。
 
 ――一番、馬鹿なのは――
 
 怪物の巨大な目がこちらに向く。もはや、退くことは許されない。
 地面に刺さったままの黒い剣の柄を握りしめると、一気に引き抜いた。
 
 ◇ ◇ ◇
 
「姉さんに言われたんだよ。『あなたがする話って、ロジェのことばっかりね』って」
「え?」
 その言葉に、目をぱちくりさせる。
 ユハニがするのは、大抵姉の話だった。
 姉以外の話などほとんど聞いたことがないので、誰とでもそうなのだろうと思っていたが――彼が姉以外の話をする相手がいるとすれば、姉本人しかいない。
 その時になって初めて、彼が姉とどんな話をしていたのかを知った。
 
 自分の話をしているのだ。
 
 その頃には、ユハニの姉のことに自分はずいぶん詳しくなっていた。好きなものや嫌いなもの、得意料理や趣味……ユハニが勝手に話してくるので、自然と記憶してしまった。きっとユハニの姉も同じなのだろう。
 会ったこともない、顔も知らないユハニの姉が、自分のことを知っている――
「――なあ。俺のこと、なんて言ってた?」
 気がつくと、そんなことを聞いていた。
 言ってから、知ったところでどうすると自分でも思ったが、なぜかひどく気になった。
 ユハニは少し考え――いたずらっぽい笑みを浮かべると、
「なんなら、直接聞いてみる?」
 
 ◇ ◇ ◇
 
「いやはや、さすがですねぇ。正直、ここまで戦えるとは思っていませんでしたよ。ククク……」
「…………」
 剣の切っ先から、黒い血がぽたぽた落ち、水たまりが出来る。
 異臭混じりのぬるい風が吹き、体温を奪っていくが、それすら心地よく感じる。
「ハハッ……ハハハッ……」
 
 そう。自分が一番馬鹿だった。
 
 外の世界は想像以上に不自由で、狭いと知った。
 期待していたような場所ではないと、思い知ったはずだった。
 それなのに、あの時――ユハニの姉に会えると聞いた時、不思議と、宮殿を出る前のことを思い出した。
 あの時の自分は、まだ見ぬ外の世界に想像をふくらませ、ワクワクしていた。
 不安と期待に、胸が高鳴った。
 ……あの時と、同じだった。違ったのは、思い知るのに少し時間がかかっただけ。
 結局、ユハニも、その姉も、同じだった。
 夢を見させるだけ見させて、冷たい現実を突きつける――
 
 冷たい世界と、同じだった。
 
 本当に、馬鹿な話だ。一瞬でも信じた自分があまりに馬鹿馬鹿しくて、笑いすらこみ上げてくる。
「……トドメ、お願い」
「…………」
 ルカの声が、現実に引き戻す。
 
 どうでもいい。
 
 もう、なにもかもどうでもいい。
 幸せのときなど、後からやって来た絶望と比べれば、あまりにもささやかで、ちっぽけで――くだらない。
 
 ――みな、くたばってしまえ。
 
 剣を構えると――その黒い刃を、迷うことなく怪物の巨体へと突き刺した。