「ハハハ! 素晴らしい! 世界に魂があふれている!」
ぼんやりと目を開けると、冷たそうな岩肌が見えた。
誰かに引きずられているようで、どこかの岩山を登っているらしい。こちらの意識が戻ったことに気づいたか、突然、乱暴に放り出される。
体を起こすと、最初は、草ひとつ生えていない岩山が視界に入った。続けて、暗い空が。そして視線を下に向けると、不気味な黒い霧が海のように広がり、その先に、巨大な怪物の姿が見えた。
「いやはや……アナイス様、よくやってくれました。あなたは最高です!」
声がしたほうに目を向けると、どこかで見た道化が――死を喰らう男がいた。
何やら褒めてくれているようだが、特に返す言葉もなかったので、そのはしゃぎぶりをぼんやりと眺める。
「お礼に、あなたの魂は最後に取っておきますよ。残りの時間を、ごゆっくりお過ごしください。ククク……ハハハハ!」
なるほど。それでここまで運んで来たのか。笑いながら、一瞬で姿が消える。
騒がしい笑い声が、風の音にかき消され――ぽつりと、
「……フン、喰われるのはどっちだろうね」
喰って喰って喰いまくり、そして最後は、自分で自分を喰らうのだろう。
なんとも――哀れな、魂。
空を見上げる。
分厚い雲に覆われ、太陽は見えない。
その暗い空を、見覚えのある影が、通り過ぎていくのが見えた。
◇ ◇ ◇
「来てみたはいいけどよ」
目の前のどうしようもない光景に、キュカは腕組みをしたまま、
「どーすんだよこれ……」
「ですね……」
なすすべなく立ち尽くす。
遠目ではあるが、ゆっくりと北上する神獣を中心に、地面は黒い渦と煙が立ち込め、タナトスが飛び交っているのが見えた。
船には事前に結界が張られ、それを精霊達がさらに強化しているので、船内にいるうちは安全なはずだが――それはつまり、外に出ることも出来ない、ということだった。
中央の、女の顔の神獣が顔を反らし――
――キェェェェェェェェェ――
そして辺りに、奇声と共に防風が巻き起こった。
「――つかまれ!」
言われるまでもなく全員適当なものにしがみつくが、船体が激しく揺さぶられ、立っていることも出来ず床に伏せる。
「キュゥッ!?」
ラビがコロコロ転がっていくが、かまう余裕もない。
揺れが収まり――立ち上がって外を見ると、黒い霧が十字の形に切り裂かれていた。恐らく、下の大地ごと割かれているだろう。
そしてその裂け目が、遠くの大陸までつながっている。
「なんじゃこりゃぁぁぁぁぁ!? 地形変わってんじゃねーか!」
「今のは、『ヘル・サザンクロス』だ。直撃すれば、こんな船跡形もなく消し飛ぶぞ」
「なるほど……それで我々の時代とは地図が違うんですね」
頭を抱えるキュカに対し、シェイドの説明を聞くユリエルは冷静だった。
ユリエルは表情ひとつ変えず、
「近づこうとすると今のがくる。近づけたところであんな大きなものに剣や弓が利くわけもないことが改めてわかりました。それでは我々の任務はここまでです。帰りましょう」
「どこへ!?」
いや、ひょっとすると一番テンパっているのかもしれない。外の現実から、すっ、と目をそらすユリエルを、ジェレミアが引き留める。
キュカは頭を抱えたまま、
「元々俺ら、ただの偵察部隊だったはずなのに、それがなんでこんな」
「知るか! あたしが知りたい!」
余裕がなくなると怒鳴り散らすのがジェレミアの悪い癖だ。彼女自身もどうしようもない現実を自覚しつつも、目をそらすまいと必死のようだ。
「お前達、聖剣のありかとか……そういうのはわからないのか?」
「さっきからマナの気配を探ってはおるのじゃが……」
「こうも邪気が渦巻いていると、聖剣の気配も読み取れないダスー」
ノームとジンだけでなく、他の精霊も目を閉じ、意識を集中しているようだが、肝心の聖剣の手掛かりは見つかりそうにない。
船は、神獣の後ろに回る形でゆっくりと近づく。
「――なんだ?」
「どうしたでありますか?」
操舵管を握ったジェレミアの顔に、焦りの色が浮かぶ。
「なにか……引っ張られる!」
「おいおい!? なんか前にもなかったかこのパターン!」
慌てて何かにつかまり、揺れに備える。
窓の外に、黒い霧が立ち込める。
「落ちてる!?」
「落ちてるって言うより……引きずり込まれてる!」
ジェレミアの言葉に、危険を承知で甲板に出る。
「ロジェ! 戻ってください!」
ユリエルの声を無視して身を乗り出すと、船底に、黒い手のような影がまとわりついていた。
「タナトス……なのか?」
「――違う。あれは『思念』だ」
「思念?」
ついてきたシェイドが答える。
「世界中の思念が神獣の力に引き寄せられ、それが渦となっている。恐れるな。『闇』は、『悪』ではない」
「悪ではない……」
父も、そんなことを言っていた。
代々、闇の術法を受け継いできた家だ。扱いを誤ると危険な力に恐怖を感じた自分に、父はよく言っていた。
「『闇』は、ただの『闇』でしかない。そこに善も悪もなく、あるがまま、存在しているだけ。お前が怖いと思っているのは闇ではなく、お前の中にある弱さが、そう思わせているだけに過ぎない」
幼い自分には、父が何を言っているのかよくわからなかった。
――父さん……
何も、出来なかった。
それどころか、何も知らなかった。
いつも自分はのけ者で、役立たずだった。
それもこれも、闇に怯える臆病者だったからだ。
だから兄に、宮殿から追い出されたのだろうか?
ぼんやり黒い渦を眺めていると、そこに吸い込まれるような錯覚に陥る。
「――へ?」
腕が、誰かの白い手にがっしりつかまれていた。
そのことに気づいた頃には、めいっぱい体が引っ張られ――甲板の外へと引きずり落とされていた。
「え?」
さっきまで、ナイトソウルズの甲板にいたはずだ。
なのに、いつの間にやらどこかの部屋の中にいた。落下した記憶も叩きつけられた感覚もなく、唐突に、薄暗い部屋のど真ん中に突っ立っていた。
室内を見渡すと、壁一面に書棚があり、カーテンが閉じられた窓際には机がひとつ。机の上には、明かりが灯されたランプと、積まれた本が置かれていた。
外は風が強いようで、カーテン越しに窓がガタガタ揺れる音が聞こえた。
なぜか、懐かしい気がした。
自分は、この場所を知っている。
父の書斎だ。
どういうわけだか、実家に――ミラージュパレスにいた。
「なんで……?」
父のことを考えていたからか?
しばらくぽかんとしていると、机の上の、開いたノートに目が留まる。
ノートをめくると、数日に渡る天候と月の動きが記されていた。そして、一番新しい日付は――
「――誰かいるのか!?」
突然背後のドアが開き、反射的に振り返ると、硬直する。
ドアを開けたのは、よく知っている人だった。そしてもう、二度と会えないはずの人。
暗緑色のローブを着て、やつれた姿をしているものの、誰かと同じ、意思の強そうなまなざし。
間違いない。
「とう……さん?」
「お前は……」
驚いているのは向こうも同じらしい。ぽかんとした顔で、こちらの顔を見ている。
幻を見ているのかと思ったが、違う。相手は、こちらを認識している。
生きている。
「――儀式を中止してくれ!」
肩につかみかかり、叫ぶ。
「その……信じられないだろうけど、俺、未来から来たんだ! 今夜の儀式は失敗する! 兄さんが……ペダンが大変なことになる!」
もしかすると、夢を見ているのかもしれない。
しかし、自分はいにしえのファディールにいたのだ。だったら、五、六年前にだって。
父は、しばらく呆気にとられていたが――やんわりと、こちらの手を引き離すと、
「……立派になったな。ロジェ」
「父さん……わかるのか? 俺が」
「当たり前だ。私を誰だと思っている」
こちらを横切り――机の上のノートを閉じると、
「ここは、お前がいるべき場所ではない。帰りなさい」
「父さん!」
「自分の無力が悔しいか?」
父はカーテンを少し開けると、窓の外を見ながら、
「お前は、自分には何の取り柄もないと劣等感に苦しんで、いつも窓の外ばかりを見ていたな」
「そう……だったかな」
「庭で一番高い木に登ろうとして、落ちて首が変な方角に曲がってた時は、さすがの私も焦った」
「あ、あったかな? そんなこと」
そういえば、兄とマリーが半狂乱になって泣いていたような記憶があるような……ないような。いや、あったか?
「外へ行けば、自分の居場所が見つかるとでも思ったか?」
「…………」
言われてみれば、たしかに、いつも自分は窓の外を見ていた気がする。
宮殿の庭から外へ、自由に飛び交う鳥を、うらやましいと思っていた気がする。
「だがそれは、私も同じ……私には力がない。ペダンはおろか、家族を守ることさえ出来ない。無力でもろい、ただの人間。この宮殿の中だろうと外だろうと、きっとそれは変わらないだろう」
父はため息をつき、振り返ると、
「儀式は中止しない」
きっぱりと断言する。
「今宵、命を落とすことになったとしても、やらなければならない」
「ダメだ! 兄さんが……そのせいで兄さんやペダンが、世界中がとんでもないことになる!」
「大丈夫だ。お前がいる」
何が大丈夫なんだ。意味がわからない。
「……怖くは、ないの?」
「怖いさ。出来ることなら逃げ出したい」
「とんでもなくひどい死に方をする!」
「それでも、やらなくてはならない。これは私の戦いだ。……幻夢の主教でもなんでもない。私自身の、弱さとの」
「…………」
なぜ、自分はここにいるのだろう。
父が、目の前にいるのに。いっそ、力尽くででも止めてしまえばいいのに、体は動かず、説得の言葉も思いつかない。
「たしかに、ミラージュパレスにロジェは必要ないかもしれない。だがレニには、他の誰でもないお前が必要だ。……ペダンの影として生きてきた私にとって、お前達は希望の光だ。だから私は、安心して行ける。すべて、うまく行く」
父は、横を通り抜けると、
「お前達がいてくれたこと。私は、幸せだ」
とんっ、と、背中を押され――視界が、暗くなる。
「――え?」
「……いつまで寝ぼけているつもり?」
ぐいっ、と、腕を引っ張られ、振り返る。
「いい加減、目を覚ましなさい。……あなたに聖剣を手にする資格があるのなら、ね」
こちらの腕をつかんだまま、ルカは冷たい目でにらみつけた。
「あれ? 俺……」
辺りを見渡すと、また光景が変わっていた。
薄暗い、不気味な場所だった。
足下を見下ろすと、暗くて自分の足すら見えない。右を向いても左を向いても真っ暗で、こちらの腕をつかむルカの姿がうっすら見えたが、平衡感覚がおかしくなっているのか、どこかななめに傾いているように見えた。
「ここは闇の神獣の領域。闇の力とマナの力が入り乱れ、時空ですら歪む。何が起こったって不思議はない」
「あんたがいることもか?」
「なおさら不思議じゃない。でしょう?」
無表情に、小首を傾げる。死んでも無愛想な女だ。
ルカはこちらの腕をつかんだまま、どこへともなく歩き出す。
仕方ないので後をついて行くが――どこを歩いているのか、どこを目指しているのか、まるでわからない。
彼女には色々と聞きたいことがあるはずなのに、なぜか言葉が出てこなかった。
「どうして――」
ふいに、ルカが口を開いた。
彼女は足を止めると、
「どうして、聖剣なんてあるんだと思う?」
以前、同じことを聞かれた気がする。
「女神は、その剣で何を斬るつもりだったと思う? どうして手放してしまったの?」
「…………」
「質問を変えましょうか。あなた、どうして今、聖剣を求めているの?」
「…………」
――聖剣……
言われて、ようやく元々の目的は聖剣の捜索だったことを思い出す。
どうして自分だったのだろう。
別に聖剣を求めたことなんてなかったはずなのに、世界がΨに呑み込まれた時、なぜか自分の元に、突如聖剣が降ってきた。
あの時は夢中で、そんなこと考えもしなかった。
今にして思うと、女神が、自分自身の不都合を取り除くために、こちらを利用したのかもしれない。
そして今。
以前は勝手に降ってきた剣を、今度はこちらから探している。
なんのために?
「伝説の女神の剣も、剣である限り、所詮、斬るための道具に過ぎない」
ルサは、まるでこちらの心を読み取ったかのように冷たく言い放つ。
「あなたはその剣で、何がしたい?」
遠くから、甲高い声が聞こえる。
暗闇の向こうから羽音が近づいてきたかと思うと、視界いっぱいに白い毛むくじゃらが広がった。
「おい、ロジェ! 大丈夫か?」
「…………」
キュカに揺さぶられるが、夢の中から強引に現実に引きずり戻され、すぐには返事が出来ない。
――キュゥゥゥン――
声が聞こえた方角に振り返ると、ついさっき、自分を甲板に放り出してくれたフラミーが、船と並んで飛んでいた。
とにかく船内に引っ張られ、ようやく、右手に何かつかんでいることに気づく。
「え?」
船内の誰もが、困惑しているのがわかる。
しっかりつかんでいたのは、女の手首だった。
ルサだ。
顔に生気はなく、髪はほどけてボサボサで、まるで幽霊かなにかのようだった。
「――ルサ! おい、ルサ! しっかりしろ!」
困惑の中、いち早くシェイドが必死に呼びかけるが、ルサはへたり込んだまま、
「アナ、イス……さま、は?」
「は?」
ルサは、虚ろな目で辺りを見回し、震える声で、
「アナイス、さま、は?」
「――お前な! 状況わかっているのか!? こんな状況であんなヤツのことなんて知るか! お前の妹だって、あいつに殺されたようなもんだろ!」
「だからどうした」
ジェレミアが怒鳴るが、ルサはまるで意に介さないようだ。つかんでいたこちらの手をふりほどき、持っていた杖と錆びた棒を抱きかかえると、
「その程度のことで、私の憎しみがアナイス様に向かうとでも思ったのか? ルカが死んだならなおのこと。私にはもう、あの方しかいない」
「おいおい……男なら、他にもいっぱいいるだろーが」
「黙れヒゲ。私にはわかるぞ。お前達は、父上と同じだ。くだらん正義のために、本来守るべき自分の家族や周りの者を不幸にする最低最悪のクソ馬鹿野郎だ。知りもしないその他大勢のために寒い正義を掲げて、自分自身と自分の身近な者を苦しめる。くだらない。……くだらない!」
ルサは最初こそ淡々としていたが、最後あたりは、血を吐くように叫ぶ。
「お前達だってそうなんだろう? 自分勝手なくだらん正義で自分の大事なものを傷つけて、英雄にもなれず逃げ回っている! 父上も! ルカも! どいつもこいつもくそ食らえだ!」
泣きながら怒鳴り散らすルサの姿に、全員、面食らって言葉を失う。
いつも、冷静な大人として見ていたが、今はただの幼い少女のようだ。なりふり構わず、わんわん泣いている。
しばらくの間、ぽかんとその姿を眺め――嗚咽が落ち着いて来たあたりで、
「……アナイスは、違うのか?」
「あの方に、正義も悪もない。あの方の心は空っぽだ。何をやっても満たされない。だから、お救いせねばならぬのだ」
「どうやって?」
「聖剣だ」
ルサはどこか、薄ら寒い目で、
「あの方の心が満たされないのは、誰かが穴を開けているからだ。そいつを取り除かねば……あの方の心は救われない。聖剣なら……聖剣なら、それが出来るはずだ」
なんだかもう、何言っているのかわからない。色々ありすぎて、正気を失っているようだ。
しかし、言わなければならない。ルサの正面にしゃがむと、
「……無理だ。ルサ」
「何が無理だ」
「だってそれ、錆びてる」
「え?」
やはり、気づいていなかったらしい。自分の腕の中のものを見下ろし――愕然とする。
「どう、して……」
一応、剣の形こそしていたが、刃は赤黒い錆びに覆われ、柄もボロボロ。聖域で自分が抜いた時と同じ、いや、それ以上にひどいありさまだった。
「……そんな剣じゃ、救うどころか草刈りだって無理だ」
「どうして……」
ごとんと、重い音を立てて剣が落ちる。
「どこへ行くんです?」
ルサは杖を支えに立ち上がると、ふらつく足取りで、
「決まっている。アナイス様のところだ」
「だから! あんなヤツのことなんて放っておけ! どんなに尽くしたところで、返ってくるものなんて何もないぞ!?」
「それがどうした!」
ジェレミアがルサの肩をつかむが、ルサはその手を振り払うと、
「言ったはずだ。私は私の道を行くと。自分がしたいように生きて何が悪い。お前達が私の手足をぶった切っても、私はあの方の元へ行く!」
「ルサ! お前がアナイスに対して抱いているのは愛情ではない! 執着だ! 目を覚ませ!」
「そんなのどっちもたいして変わらん! 執着すら持っていないよりは! 他人に対しても! 自分自身にさえも! あの方は何も持っていない! 虚ろで空っぽだ!」
「虚ろで、空っぽ……」
自然と、手が、腰に下げた幻想の鏡に触れる。
アナイスは言った。鏡に映っていた女を、『虚ろで空っぽ』だったと。
「……アナイス様を捜すのは勝手ですが、後にしてはいかがでしょうか」
「なに?」
ユリエルは、ルサではなく外の一点を見つめていた。
窓に駆け寄ったテケリも目をこらし、
「なんか来るであります」
その言葉に、全員、窓の外に目をやり――最初は小さな点だったものが、次第に、その形がはっきりと見えるようになる。
「ルジオマリス?」
「マナストーンであります!」
「まさか……兄さん?」
ルジオマリスだけならわかるが、その周囲を、光の鎖に繋がれた七つの巨石が囲んでいる。
闇の神獣の復活で、ほったらかしになっていたマナストーンだ。
呆気にとられていると、なぜか、船体の下から主砲が現れ――いきなり次元魔導法が発射された。
『えええええええええええええええええええ!?』
魔導砲はこちらの船底を通り過ぎ、その風圧で船は激しく揺れたものの、自由を取り戻して浮上する。
助かったと言えば助かったのだが、キュカは無線を繋ぐと、
「コラー! 何やってんだお前は!?」
『ああ――』
出てきたのはミエインの声だった。彼女はのほほんとした声で、
『注目されちゃうと私、何かしなきゃいけないと思っちゃうんです』
「だからって前触れなしに魔導砲ぶっ放すな! あぶねーだろ!」
『わかりました。次からは『撃つ』と言ってから撃ちます』
「いや、そうじゃなくて――」
「馬鹿な話はその辺にしろ! レニ、そっちにいるんだろ!? どういうつもりだ!」
キュカを押しのけ、ジェレミアが割って入る。
「なんでマナストーンが……いや、その前にエリスはどうした? そっちにいるんだろう」
『エリスなら行ったぞ』
「は?」
『自分が行くべき場所へ、行った』
「……は?」
素っ気ない返事に、ジェレミアはしばしぽかんとしていたが、
「なん……なんだそれは!? あたしらに一言もなしに! お前もお前だ! なんで止めなかった!?」
『なぜ止める必要がある?』
怒りで顔を赤くするジェレミアに対し、無線越しの兄は、淡々と、
『自分の生き方を決められるのは自分だけ。お前の価値観に照らし合わせて、人の幸不幸を決めるな。耳障りだ』
ジェレミアは、何か言い返そうと、頭を抱えたまま周囲を見回し――一瞬、ルサに視線が留まった。
結局、言葉が出てこなかったのか、
「あたしには……理解不能だ!」
それだけ吐き捨てると、腕を組んで黙り込む。
「…………」
――私は、幸せだ。
消える寸前、確かに聞こえた父の言葉が脳裏をよぎる。
自分の周りは、救いようのない頑固者ばかりだ。
その先に何が待ち構えていようと、自分の決めた生き方を曲げたりしない。
「マナストーンをどうするつもりだ? まさかお前……」
『ルサ? 無事だったか』
ルサの声に驚いたようだったが、すぐに、
『馬鹿な弟のせいで苦労をかけたようだ。だがまあ、あいつが一人ではなかったことには感謝する。ありがとう』
「は?」
予期せぬ感謝の言葉に、ルサはぽかんと突っ立ったまま、言葉を失う。たぶん、アナイスのことだと気づいてもいないだろう。
「いや、それはそうと! お前まさか、マナストーンで次元魔導砲ぶっ放すつもりか!?」
『船に積める程度のガイアの石では、火力が足りんからな』
ルジオマリスにマナストーン。
目的は皆すぐに感づき、兄もあっさり肯定すると、
『石に秘められたマナエネルギーを引っ張り出すという仕組み自体は同じだ。とりあえず、やるだけやってみる』
「『とりあえず』って……」
あまりにも適当な回答に、キュカも目を点にする。
「最悪、マナストーンの封印が解けて、他の神獣までよみがえるかもしれませんよ? そもそも、船が保つかどうか――」
『出来る、出来ないの議論をするつもりは毛頭ない』
兄は、ユリエルの心配をさえぎると、
『やるか、やらないか。私は、もう決めた』
どのみち、他の案もない。さすがのユリエルも黙り込む。
「ちょっと待ってくれ。その……兄さんは、どうなるんだ?」
『うん?』
「俺は、兄さんみたいに魔法に詳しいわけじゃないけどさ。マナストーン自体、強力なマナを秘めているのに、それが一カ所に集まって、今、その中心にいるんだろ? そのエネルギーを引き出すってことは、船だけじゃなくて、中にいる兄さん達も危ないんじゃないのか?」
『…………』
「いくらタナトス憑きったって、七つものマナストーンのエネルギーを扱うんだろ? 父さんは……たったひとつのマナストーンを呼び戻すことすら出来なかったんだぞ。失敗、したら……」
その先は、言葉が出なかった。
脳裏に、兄の幻術で見せられた、血の海がよみがえる。
無線の向こうの兄は、しばらく黙っていたが――
『……ロジェ。聖剣は見つけたか?』
「え?」
一瞬、反応が遅れる。
床に放置された剣に目を向け、
「一応、あるけど……」
『では、こちらへ。精霊も、こっちにこい。マナストーンの制御を頼む』
「え?」
「――聖剣、確かに……」
「ま、後はワシらに任せるといい」
「心配は無用ダスー」
返事も待たず、錆びた剣が浮び上がり、シェイドが剣と共に姿を消し、ノームとジンも後に続く。
「短い間でしたが、お世話になりました」
「色々ありがとう」
「めっちゃおもろかったで!」
「そんじゃ、行ってくるぜ!」
ドリアード達も口々に挨拶すると、姿を消していく。
「なに……言ってんだ? まるで……」
――お別れ、みたいじゃないか……
頭の中に、血の海の中でバラバラになった父の姿がよみがえる。
「お前達、わかってるのか!? マナの力がぶつかり合う空間なんて、精霊が一番ただじゃ済まないんじゃないのか!?」
ジェレミアが叫ぶが、すでに精霊達は姿を消した後だった。
「……死ぬつもり、なのか? 兄さん……」
「なに?」
「だから、エリスをあっさり行かせたのか? 最初から、こうするつもりだったから!?」
無線に向かって怒鳴るが、何も返ってこない。
「……おいおい。まさか、世界のために自分の命を捧げますなんて言うんじゃねーだろーな? さすが主教様。立場をわきまえた、殊勝な心がけじゃねーか」
キュカが、薄ら笑いを浮かべて皮肉を吐くが、その目はまったく笑っていなかった。
黙りこくった無線にしびれを切らして、
「――なんか言ったらどうだ!? なに今さら自分の仕事思い出して、幻夢の主教に戻ろうとしてやがる! 名前の墓はぶっ壊したんだろーが!」
目の前に本人がいれば、つかみかかりそうな勢いで怒鳴る。
「…………」
父と同じだ。
生まれ持った宿命を受け入れて、真っ正面から戦っている。
自分とは、まるで違う。
「――レニさん! がんばってなのであります!」
重苦しい空気を打ち破ったのは、テケリの声だった。
「幻夢の主教のお仕事が終われば、次のお仕事が必要でありますよね!? 実はテケリ、前から夜なべしてレニさんの分のタスキ作ってたであります!」
そう言ってテケリが引っ張り出してきたのは、偵察部隊全員が持っている三角が並んだ模様のタスキだったが――なんとも出来が悪く、ヨレヨレだった。
全員が目を点にする中、
「無事に終わったら、レニさんをテケリの『後輩』にしてあげるであります! なのでその、あのおっかないの、なんとかしてほしいであります!」
「あのな、テケリ……」
何かつっこもうとして言葉が出てこず、目頭を押さえる。ひとまず言えるのは、このタスキやベルトはペダン軍から支給されたものであって、別にチームの結束だとかそういうためのものではない……
「そういやこれ、もうつけてる必要ないはずなんだよな……」
「ペダンもへったくれもないですからね」
なんとなく全員身につけていたが、そういえばそうだった。
『タスキって、お前らがつけてるあれか?』
「それであります!」
『そうか。前から思っていたんだがな』
「なんでありますか?」
無線越しの兄は、どこか申し訳なさそうに、
『前から思ってたんだが――あれ、ダサくてかっこ悪いからいらない』
「レニさん!?」
ぶつん、と、通信が途絶えた。
「……いいのか? これで……」
「よくわからん……」
ジェレミアのつぶやきに、キュカも投げやりに返す。テケリにすっかり毒気を抜かれてしまい、力なく壁にもたれかかる。
「ロジェ、どうしますか?」
「……どうしようもないよ」
――儀式は中止しない。
父の言葉がよみがえる。
「止めたって聞きやしない。父さんだってそうだ。ペダンのために自分の人生を捧げて、自分一人が犠牲になって、終わらせようとした。兄さんも、同じだ」
「――違う!」
ジェレミアだった。
彼女は真っ直ぐこちらをにらみつけると、
「あいつは、けじめをつけに行ったんだ! 誰のためでも、ましてやお前のためでも世界のためでもない! 自分のことに決着をつけるために行ったんだ!」
「でも結局は、自分一人だけ犠牲になって終わらせるつもりだ」
だから、宮殿から追い出したのだ。
なんの迷いもなく跡目を継いだのも、宮殿に留まり続けたのも、父の最期を隠したのも、全部。
「昔っからそうだ。自分一人が傷ついて丸く収まるならそれでいいと思ってる。俺を頼るなんて一度もなかった。宮殿から追い出したのだって――」
「そんなことないであります!」
今度はテケリが声を上げる。
「レニさんは、ロジェに未来を託してお城の外に出したであります! テケリもちっちゃい頃、パパとママに村から追い出されたでありますが、キライになったから追い出したわけじゃないって知ってるであります! ホントに頼りなくて一人でやってけそうになければ、追い出すなんてしないであります!」
船内が静かになる。
全員の視線がテケリに集まり――テケリは、ばつが悪そうに目をそらすと、
「……と、テケリのおじさんとおばさんが言ってたであります」
「…………」
受け売りだった。
「あー、もう、とにかく! レニさんはちゃんと帰ってくるであります! ラビきちにだって、名前つけるって約束したであります!」
「信じて、いいのか?」
ルサだった。
彼女は窓の外を見つめたまま、
「……信じて、いいのか? 希望を持っても、いいと、信じて……」
ジェレミアは、大きなため息をつくと、
「信じてここで待つのも、疑ってあの馬鹿を捜しに行くのも、勝手にすればいい。もう止める気も失せた」
「そう、か……」
ルサは、それ以上何も言わなかった。
そして誰も何も言わないまま、風のうなる音が次第に大きくなっていった。