おかあさんといっしょ - 1/4

 11時45分。
 公園の柱時計の針は、その時間を指していた。

 ――早く来すぎたか。

 約束の時間は12時。しかし『アレ』の性格を考えると、時間通りに来るとは思えない。
 とりあえず目についた自販機で、サイコソーダを買う。
 ぷしっ、と、軽い音を立て、缶を開けた次の瞬間。
「――あれ? おまえ、ひょっとして……」
 聞き覚えのある声に、シンジは反射的に振り返り――
 その少年と目が合った瞬間、手から、缶が滑り落ちた。

 11時45分。
 公園の柱時計の針は、その時間を指していた。
「ねぇ。そろそろお昼にしない?」
「さんせ~い! 俺も腹へったよ~」
「ピッカ~!」
 アイリスの提案に、サトシとその肩に乗っていたピカチュウも手を挙げた。
「そうだね。どこかお店は――」
「あれ?」
 突然、サトシが足を止めた。
 サトシの視線の先には自販機。その前に、一人の少年がこちらに背を向ける形で立っていた。
 サトシはその後ろ姿をまじまじとながめ、
「おまえ、ひょっとして……」
 こちらに気づいたのか、少年が振り返る。
 その顔を確認すると、
「やっぱりシンジじゃん! おまえ、なんでこんなところに――」
 サトシの言葉は、途中で止まった。
 少年――シンジの顔から、一瞬にして血の気が引いた。持っていた缶が手から離れ、中身をぶちまけながら地面を転がる。

 この世の終わりを見た。

 顔そのものは無表情だったが、なんとなく、そんな雰囲気だった。
 ……別に連絡を取り合っているわけでもなく、サトシがイッシュ地方にいることに驚くのも無理ないが、いくらなんでもそのリアクションはないだろう。ヨスガシティのタッグバトルの時でさえ、そこまで嫌な顔はしなかったはずだ……
 そう思い、サトシが再び口を開こうとした瞬間、
「――ドンカラス! 『ふきとばし』!」
「ドンカラ~ァ!」
 シンジのモンスターボールから飛び出したドンカラスが、すさまじい勢いで風を起こす。
 この不意打ちに、三人の体が――浮いた。
「え!? ちょ……」
「なんで?」
 アイリスの疑問に答えられるわけもなく。三人の体は、容赦なく空を飛んだ。
 こんな時はどうすればいい。そうだ。こんな時はあのセリフだ。
 道中、サトシから聞いたあのセリフを――
『やな感じぃ~!』
 その叫びと共に、サトシ達一行は、はるか彼方の空へと消えた。

「……いや、さすがサトシの友達だね」
「え?」
 デントは、枝から逆さまにぶら下がったまま、人差し指を立て、
「普通、会いたくない人に会った時は自分が逃げるものなのに、相手を吹き飛ばすなんて。すごい発想の転換だよ」
「あんなヤツ友達じゃな~い!」
「ゆ、揺らさないで~! 落ちる~!」
「キバァ~!」
 枝に引っかかったまま手足をじたばたさせるサトシに、さらに上の枝に引っかかったアイリスとキバゴが悲鳴を上げる。全員、街はずれの森まで飛ばされ、同じ木に引っかかっていた。
「――まったくシンジのヤツ、どういうつもりだ!?」
「ピッカー!」
 なんとか木から下り、怒りに燃えるサトシとピカチュウに対し、アイリスとデントは冷静だった。疑惑のまなざしで、
「ねえサトシ。さっきの子に何したの?」
「はあ?」
「うん。顔を合わせた瞬間『ふきとばし』なんて、相当な恨みがあるようだね」
「デントまでそんなこと言うのかよ!? 俺、あいつに恨まれることなんてしてないよ!」
「どうだか。『恨み』っていうのは、知らないうちに買ってるものだからね~」
「だーかーらー! あいつとはシンオウで会って――」
 とりあえずその場に腰を下ろし、サトシは二人に、シンジについて簡単に説明をした。

 ・シンオウ出身のトレーナーで、リーグ戦で戦ったこと
 ・能力主義で、ポケモンを捕まえても、弱ければすぐ逃がしてしまうこと
 ・性格が間逆の兄がいること
 ・友達ではないこと
 ・断じて友達ではないこと

 特に最後のふたつについては強調して語った。(大事なことなので二度言いました)
「とにかく! 仮に恨みがあったとしても、いきなり吹き飛ばすことないだろ! シンジのヤツ~! とっちめてやる!」
「あっ、ちょっと!」
 アイリスの制止の声も聞かず、サトシは街へ向かって猛ダッシュした。

 12時15分。
 約束の時間は過ぎた。しかし、現れる気配はない。
「くそっ、早くしろ……」
 サトシ達を吹き飛ばし、三十分経った。
 あのしつこい性格からして、再登場は時間の問題だ。それより早く『アレ』と合流し、この場から去らなくてはならない。
 いっそ、こちらから迎えに行くべきか。しかし、行き違いになったら面倒だ。
「ドンカラ~ァ」
 振り返ると、出しっぱなしにしていたドンカラスが、空になったサイコソーダの缶をくわえていた。
 結局、一口も飲めなかったな……現れるなら現れるで、せめて開封前に現れて欲しかった。
 捨てようと、ドンカラスから缶を受け取った次の瞬間。
「――シンジ! さっきのはどういうつもりだ!?」

 ――グシャッ。

 缶が、つぶれた。
 正確には握りつぶしたわけだが、そんなことはどうでもいい。サトシと二人の連れ――そういえば顔ぶれが変わっている――を確認すると、シンジは砂をひとつかみし、蒔く。ちょうどサトシ達が風下だ。
 それを確認すると、
「ドンカラス! 『かぜおこし』!」
「うわっ!?」
 再登場したサトシ達の足下目掛けて、ドンカラスの『かぜおこし』を放つ。
 三人が風によろめいたスキを逃さず、
「そのまま『ふきとばし』!」
「ドンカラ~ァ!」
 容赦のない二発目に、三人の体が、本日二度目の浮遊を果たした。
 アイリスは空を飛びながら、
「……ねぇサトシ。とりあえずあやまっといたら?」
「なんで俺があやまらなきゃなんないんだよ!?」
「う~ん、風向きを考慮した上『かぜおこし』で体制を崩し、そこに『ふきとばし』……見事なコンボだね」
「感心してる場合か~!」
 こんな状況でテイスティングするデントに、サトシは怒鳴る。
 そして、三人そろって、
『やな感じぃ~!』
 まったく同じタイミングで、同じ言葉が発せられた。

 12時45分。
 あまりの遅さに、焦燥感が募る。
 さっきより多く飛ばしたものの、どうやらサトシの復活スピードは自分の想像を上回るようだ。むしろ頭に血が上って、さっきより早く復活するかもしれない。
 そう思った矢先、
「――シ~ン~ジ~!」
 砂煙を巻き上げ、恐れていたものが現れた。
「ドンカラス、『ふきとば――」
「『ボルテッカー』!」
「ピッカー!」
 こちらより一瞬早く、ピカチュウが電撃と共に突っ込んできた。よける暇もなく、ドンカラスは自販機に叩きつけられ、目を回す。
「チッ!」
「そうそう同じ手が通じるかよ!」
 背後では自販機が破壊され、ガッコンガッコンジュースが排出されていたが、それどころではない。サトシが再々登場を果たした。恐ろしいことに、無傷だ。
「どんなステータス値をしてるんだお前は……」
「そんなことはどーでもいい! シンジ、俺と勝負だ!」
「断る!」
「即答!?」
「――ちょっと待って! 一体、サトシに何されたの!?」
「そうだよ。話してくれれば、僕達からもきつく言っておくから」
「だから知らないっての!」
 追いついた二人の連れの言葉に、サトシはムキになって反論する。
 二人に向かって、シンジはきっぱりと、
「恨みはない。嫌いなだけだ」
「なんだそれ!? リーグ戦の熱さはどうした!?」
「喉元過ぎた」
「忘れたってか!?」
「とにかく、お前には消えてもらう!」
 完全に悪役のセリフを吐きながら、シンジは新たなモンスターボールを手に取る。
 そして、二体目を繰り出そうとした瞬間、
「――あ、いたいた! ごめんシンちゃん。待った~?」

 ぴしっ。

 背後から聞こえたその声に、シンジは音を立てて凍り付いた。

 小走りで現れたのは、黒いスーツを着たキャリアウーマン風の女性だった。『お姉さん』と呼べるほど若くはないだろうが、『おばさん』と呼ぶのも気が引ける印象だ。
 女性は、手にした紙袋を見せながら、
「ごっめ~ん。かわいい服見つけちゃって。ついついお店に入ったら、店員さんと話はずんじゃって~。結局買っちゃった~」
 聞いてもいないことを一方的にしゃべる。
 シンジは、ボールを振り上げたポーズのまま、
「ま……間に合わなかった……」
 シンジの顔は真っ青を通り越してどす黒くなっている。手にしたモンスターボールが地に落ち、コロコロ転がった。
「ピカ?」
 ドンカラスと自販機を戦闘不能にしたピカチュウが、きょとんとした顔で女性を見上げる。
 女性も、ピカチュウとドンカラスに気づき、
「あら? ひょっとして、シンちゃんバトル中だった? 邪魔しちゃったかしら~?」
 サトシはぽかんとした顔で、
「シンちゃん?」
「あ、この子うちの子なのよ~。私はヨウコ。この子はシンちゃん」
 シンジは凍り付いたまま動かない。
 うちの子。それはつまり、
「えーと、つまり、彼のお母さんですか?」
「そーよ。似てないでしょ~? どーしてこんな目つきの悪い子になっちゃったのかしらね~」
 デントの質問に、女性――ヨウコは、シンジの頭をバンバン叩きながら笑う。
 サトシは頬を引きつらせながら、
「え? なに? おまえ、自分のお母さんに『シンちゃん』って呼ばれてんのか?」
「『シンちゃん』……似合わな……プッ」
「二人とも、本人の前で失礼だよ……」
 デントがフォローするが、言ってる本人も吹き出しそうだ。
 そして間もなく、サトシが大声で笑い出し、釣られて、アイリスとデントも笑い出す。
「――笑うな!」
「もー。いいじゃない、それくらい」
「良くない!」
 こおり状態が解けたシンジが母親に向かって怒鳴るが、まるで相手にされていない。
 サトシは一通り笑うと、さっきまでの怒りが一変。満面の笑顔で、
「まあまあ、そう怒るなよシンちゃん♪」
「まったく、そんなことで人を吹き飛ばすなんて、シンちゃんってば子供ね~♪」
「クールな外見からは想像もつかない意外性……すばらしいテイストを秘めてるね、シンちゃん♪」
「その呼び方はやめろ!」
 怒鳴るが、完全にスルーされる。もうこうなってしまっては、地平線の彼方まで吹き飛ばしても手遅れだ。
 シンジは絶望した顔で、
「だからこいつとは会いたくなかったんだ……」
「安心しろって。誰にも言わないでやるから。シンちゃん♪」
「やめろと言っているだろう!」
 なれなれしく肩に置かれたサトシの手を、シンジは乱暴に振り払う。
 二人のやり取りに、ヨウコはきょとんとした顔で、
「え? なに? あなた達、おトモダチ?」
『友達じゃない!』
 二人同時に反論したが、無視された。彼女はサトシの顔をジロジロながめ、
「あなた、どこかで見た顔よねぇ……ひょっとして、サトちゃん?」
「サトちゃん?」
「ピカちゃんといい……やっぱり、シンオウリーグでシンちゃんと戦った子でしょ!? レイちゃんから録画したDVD送ってもらったのよ~! こんなトコで会えるなんて感激~!」
 ヨウコはサトシの両手を取ると、上下にぶんぶん振る。このハイテンションに、さすがのサトシも引いた。
「サトちゃんにピカちゃん……」
「あの人、なんにでも『ちゃん』つけるんだね……」
 置いてけぼりにされたアイリスとデントが、苦笑いと共につぶやく。
 ヨウコは一方的に、
「シンちゃんったらひどいのよ~! 単身赴任で寂しく一人暮らししてるママに連絡ひとつよこさないし、リーグ戦のこともちっとも教えてくれないんだもん。教えてくれたら応援に行ったのに~!」
「は、はあ……」
「でも安心したわ~! シンちゃんったらあの性格だから、このまま一生友達出来ないんじゃないかって、ママ、心配してたのよ~」
「だから友達じゃない! そんなことより、なぜ俺を呼んだ!?」
「あら、レイちゃんから聞いてないの?」
 シンジに問いつめられ、ヨウコは驚いた顔をすると、
「仕事が一段落したから、シンオウに帰るのよ。だから引っ越しの手伝いをしてもらおうと思って」
「なに!?」
「ホントはレイちゃんにも来て欲しかったんだけど、仕事で忙しいって言うし。だからシンちゃんにだけ来てもらったのよ」
「なんだ? レイジさんに頼まれて来たのか?」
「『行けばわかる』の一点張りでな……兄貴のヤツ……」
「相変わらず、お兄さんには逆らえないんだなー、おまえ」
「余計なお世話だ! それよりさっさとどこかへ行け! 目ざわりだ!」
「あらー、お友達にそれはないんじゃない? ランチくらい一緒にしましょうよ」
 シッシッ、と、手を振るが、案の定、ヨウコが間に入る。
「だから友達じゃ……」
「――ちょっとあなた達! そこの自販機、誰が壊したの!?」
 シンジのセリフは途中でさえぎられた。
 振り返ると、そこにはジュンサーが立っていた。近くには大破した自販機。声をかけられるのは、当然と言えば当然だった。
 一瞬の間を置き、サトシは迷うことなく、
「こいつです」
「なっ……!」
 指をさされたシンジは、サトシに詰め寄り、
「あれはお前のピカチュウがやったんだろう!」
「元はと言えば、シンジが『ふきとばし』なんてするからだろ! ふつーにしてりゃ、こんなことにはならなかったんだ!」
 その場で醜い責任のなすりつけ合いが始まる。ポケモンバトルどころか、トレーナー同士のリアルファイトが始まりそうな雰囲気に、ヨウコは二人の間に割って入り、
「あーもう、なんだかよくわかんないけど……申し訳ありませんジュンサーさん。うちの子がご迷惑おかけして」
「!?」
「ホラ、悪いことしたら頭を下げる!」
 強引に頭を押され、やむなくシンジは頭を下げる。

 ――な……なぜ俺が頭を下げるんだ……?

 ジュンサーは腰に手を当て、シンジに向かって、
「まったく、こんなところでバトルするんじゃないわよ! あぶないでしょ!」
 ちがいますジュンサーさん。俺はまったく無関係……とまでは言わないものの、俺だけが悪いというわけじゃあ……
 混乱する頭の中を、そんな言い訳がぐるぐる駆けめぐる。
 しかし、ジュンサーと母はサトシの人なつっこい笑顔に完全にだまされたらしい。あちらの肩を持つのは目に見えて明らかだ。
 わき起こる殺意とこの世の理不尽に、シンジは奥歯を強く噛みしめながら、
「ス……スイマセン……」
 この場を丸く収めるため、やっとの思いでその言葉を絞り出した。
 ……兄が見ていたら、きっとこう言うのだろう。
『大人になったな』、と。