「休み!?」
意気揚々とやってきた建物の前で、サトシは立ちつくした。
デントは町へ買い出しに、アイリスは山へきのみ狩りに。
そしてサトシはポケモンバトルクラブに。
ひさしぶりの単独行動だったのだが、バトルクラブの入り口には『本日休館』の札がぶら下がっていた。
「なんだよ~。今日はみっちり特訓だー! と思ったのに~」
「ピカ~」
出鼻をくじかれ、ピカチュウ共々、がっくりと肩を落とす。
落ち込んでも仕方ない。気を取り直すと、
「……仕方ない。ポケモンセンターに行くか」
「ピカチュ」
大抵のポケモンセンターには、バトルフィールドを兼ねた庭がある。特訓はそこでも出来るだろう。
サトシはピカチュウを肩に乗せ、バトルクラブを後にし――
「あっ」
「…………」
角を曲がったところにある自販機前で、紫の髪の少年と出会った。
少年はサトシと目が合った瞬間、自販機から取り出したばかりのペットボトル(おいしいみず)をぼこんっ、と、落とした。
そして――回れ右をすると、すたすたと歩き出す。
「おーい、落としたぞー」
「……………」
ボトルを拾い、呼ぶが、彼はかなりの早足で、振り返りもしない。
「落としものー!」
「……………」
後を追い、再度呼ぶ。早足からだんだん駆け足になり、気がつくと、町中を全速力で走っていた。
サトシは水を片手に走りながら、
「――おいこらシンジ! なんで逃げるんだよ!」
「おまえこそなぜ追ってくる!?」
「シンジが逃げるからだーーーーーーー!」
少年――シンジはたまらず怒鳴り返したが、サトシはピカチュウ(6㎏)を肩に乗せたまま、シンジの後を追って走る。
シンジはポケモンセンターに駆け込むと、
「――お帰りなさい。ポケモンはみんな元気になりましたよ」
「ありがとうございます」
タイミングよく出てきたジョーイから、ボールをひったくるように受け取ると、そのままの足で裏口へ向かう。
「シンジー! シンちゃーん! せっかく会ったんだしバトルしよーぜー!」
「その呼び方はやめろ!」
怒鳴りながら、シンジは裏口のドアを開ける。
ドアの向こうは日当たりのいい庭になっていて、一体の大きな草ポケモン――シンジのドダイトスが、日光浴をしていた。
シンジはドダイトスをボールに戻そうとし――
「……おまえ、何やってるんだ?」
「うん?」
ドダイトスのすぐ傍ら。
カメラを手にした金髪の少年に気づき、足を止めた。
シンジに気づき、少年は顔を上げると、
「ああ、ひょっとしてこのポケモン――」
「――ああーーーーーーー!」
少年の言葉を、遅れてやってきたサトシの大声がさえぎった。
サトシは少年を指さし、
「シューティー! おまえもこの町に来てたのか!」
「サトシ?」
サトシの存在より、サトシの大声に驚いたらしい。シューティーは一瞬すくみ上がったが、すぐに気を取り直すと、
「……って、それはこっちのセリフだよ。まったくどこにでも現れるね、キミは」
「どこにいようと俺の勝手だろ。って、それはそうとシンジ! おまえ、なんで今逃げたんだよ!?」
シューティーは後回しにして、今度はシンジに指を突きつける。
シンジは逃げることをあきらめたのか、膝に手をついて息を切らしながら、
「……トラブルに巻き込まれると思ったら、逃げるのが世の常だろう」
「なんだよそれ!? 俺はおまえにとってのトラブルメーカーだって言うのか!?」
「少なくとも、ロクな目に遭った覚えはない」
「ひっでーな! 水返さないぞ!」
「わかった。やるからどこかへ行ってくれ」
「ホント? 走ったから喉乾いてたんだー。サンキュー」
「…………」
シンジの言葉にサトシはコロッ、と態度を変え、遠慮なくおいしいみずをゴクゴク飲む。『どこかへ行け』とも言われたはずだが、それこそ『どこにいようと俺の勝手』なのだろう。
「ええと……話、済んだ?」
置いてけぼりにされていたシューティーが、申し訳なさそうに割ってはいる。
「――そうだ。おまえ、俺のポケモンに何をしていた?」
ようやく思い出し、シンジはシューティーをにらみつける。
サトシはボトル片手に、
「どうせ写真撮ってたんだろ? イッシュにドダイトスなんて、めずらしいもんな」
「まあ、そうだけど……キミの知り合い?」
「うん。シンジって言うんだ。シンオウのトレーナー。シンジ、こいつ、カノコタウンのシューティー」
「へー、シンオウの……どうりでドダイトスがいると思った」
「自己紹介はどうでもいい。おまえ、勝手に写真なんて撮っていたのか?」
不快を隠そうともしないシンジに、シューティーはさすがに面食らったが、
「べ、別にいいじゃないか。旅の記録さ」
「見せ物じゃないんだ。断りもなしに、勝手に写真を撮られちゃ困る」
たしかに、勝手に写真を撮ったのはまずかったかもしれない。しかし言い方が気に入らなかったらしい。シューティーはムッとした顔で、
「なんだよさっきから……自分のポケモンから目を離さない! トレーナーの基本だろ! 目を離していたキミにだって問題があるんじゃないのかい?」
――出た。シューティーの『基本』……
サトシはシンジがどう出るか、固唾を呑んで見守るが――シンジは表情ひとつ変えず、
「おまえ、草ポケモンは持っているか?」
予想しなかった質問に、サトシもシューティーもきょとんとする。
「は?」
「草ポケモンは持っているか?」
二度、同じことを聞かれ、シューティーは戸惑いながらも、
「……持ってるよ。僕の最初のポケモンは、草タイプのツタージャだったからね」
「ならば、草タイプの基本は知っているな?」
「草タイプの……基本?」
ますます困惑するシューティーに、シンジは空を――太陽を指さし、
「草タイプの基本、日光浴。これをしないといい草ポケモンは育たない。ここは日当たりがいい。なによりポケモンセンターの敷地内……安全な場所だと判断し、俺はドダイトスをこの場に残した。ルール違反はおまえだけだ」
「なっ……!?」
びしっ! と指さされ、シューティーは言葉を失った。
別に納得したわけではない。しかし、シンジを破るいい言葉が思いつかない……
シューティーはなんとか怒りを呑み込むと、精一杯の愛想笑いを浮かべ、
「わ、わかったよ。勝手に写真を撮ったことはあやまる。それじゃあ改めて……写真、撮っていいかい?」
「ダメだ」
「…………」
即答に、シューティーの笑顔が引きつる。
見かねたサトシが二人の間に入り、
「あ、あのさぁ。別にいいんじゃないのか? 旅の記録撮ってるだけだし」
「そう言って無断で写真を撮っては、ネットに流しているんじゃないのか? 場合によっては犯罪だ」
「失礼だな! 個人で楽しんでるだけだよ! 必要最低限のマナーは守る。基本だろ!」
「『トレーナーの撮影許可を取る』という基本中の基本が守られていなかったようだが?」
「だっ、だから! あやまっただろ!」
シンジの『基本返し』に、顔を赤くして怒鳴る。
「……シューティー、あんまりムキにならないほうがいいぞ。あいつ、誰にでもあんなだから」
「余計なお世話だよ! まったく、キミに会うとロクなことがないと思ってたけど……友達までロクなことがないんだね」
『友達じゃない!』
「へっ?」
サトシとシンジ、まったく同時に反論され、シューティーの目が点になった。
「とにかく撮影は許可しない。俺が来るまでに撮った写真も消せ」
「わ、わかったよ……」
「――ドダ~」
ここに来て、黙っていたドダイトスが顔を上げた。
「どうした?」
「ドダ、ドダ~イ」
何かを訴えている。サトシはドダイトスの顔をのぞき込み、
「なあシンジ。これまで撮った写真は勘弁してやったらどうだ?」
「?」
「別にいじわるされたわけでもなさそうだし。ここはドダイトスの顔に免じてさ」
「ダ~イ」
「…………」
どうやら、ドダイトスもそう言っているらしい。サトシの言葉にうなずく。
サトシはともかく、ドダイトスの訴えに、シンジは舌打ちすると、
「……チッ。まあ、いいだろ」
「おお! サンキュー、シンジ! ドダイトス!」
「……なんでキミがお礼言ってるの?」
喜ぶサトシに、シューティーは首を傾げる。
シューティーはカメラをポケットに戻すと、シンジに目をやり、
「まあ、写真のことはこの辺にして……キミ、僕とバトルしない?」
「俺とか?」
シューティーは不敵な笑みを浮かべ、
「シンオウのトレーナーがどんなバトルをするのか、見てみたいね」
「断る」
またしても即答。
写真に続きバトルまで拒否され、堪忍袋の緒が切れたらしい。シューティーは噛みつかんばかりの勢いで、
「なんでだよ!? トレーナー同士、目があったらバトルの合図! 基本だろ!」
「そんな基本は知らん。第一、それが人に物を頼む態度か? 頼み事をする時はへりくだる。基本だろう?」
「うっ……!?」
自分の口癖をマネされ、顔を引きつらせる。
その後ろで、
「『頼み事をする時はへりくだる』って……よく言えるよな」
「ピーカ」
「ドダ」
「おまえらちょっと黙ってろ」
サトシの愚痴に、ピカチュウだけでなくドダイトスまでうなずく。
シンジは気を取り直し、
「おまえ、どうして俺とバトルしたいんだ?」
「単に、シンオウのトレーナーと戦ったことがないからだよ。ドダイトスを持っているってことは、他にも育てているポケモンがいるはずだ」
「そこのカントーのトレーナーは?」
「話にならないね。せめて、僕と同等の実力者じゃないと」
シューティーの言葉に、何か引っかかるものがあったらしい。シンジはサトシに目をやり、
「『話にならない』?」
「あー……こないだは負けなかったけど、勝ったこともない」
サトシは気まずい顔で、頭をかく。
その回答に、シンジは怒りとも呆れともつかない――むしろ悲しそうな顔で、
「おまえ……イッシュには退化しに来たのか……?」
「なんだよー! いーじゃん別に! 途中で負けても、最後に勝てばすべて良し!」
「キミのその根拠のない自信、どこから来るの?」
「…………」
シューティーは呆れていたが、シンジは無言で目をそらした。それで本当に最後に勝たれてしまったことを、この新参者にわざわざ教える必要はない……
「なんだっていーだろ。それより、シンジがバトルしないって言うんなら、代わりに俺がバトルするぜ」
「キミとのバトルはもういいよ。僕は、色んなトレーナーとバトルしたいんだ」
いい加減、サトシがうっとうしくなってきたらしい。シューティーはしっしっ、と、サトシを手で追っ払う。
「ずいぶんこだわるんだな」
「シューティーは、チャンピオンとのバトルが目標だからな」
「約束したからね」
「約束?」
眉をひそめるシンジに、シューティーは少し自慢げに、
「まあね。小さい頃、町のお祭りにやってきたチャンピオンと約束したんだ。いつかバトルしようって」
その話にシンジは驚き――そして、哀れむようにシューティーの肩に手を置くと、
「……それは、社交辞令だ」
「なんだと!?」
シューティーは即座に反論したが、シンジはそんな彼を諭すように、
「チャンピオンに会った他の連中にも聞いてみろ。みんな同じ約束をしている……」
「ち、ちがう! ちがう、ちがう! そんなこと……そんなことあるもんか!」
「おまえも本当はわかっているはずだ。そもそも、毎日色んな人に会っているチャンピオンが、おまえのことを覚えているわけがない」
「そんなはずはない! 第一、どうしてキミにそんなことがわかるんだよ!? チャンピオンに会ったこともないくせに!」
「会ったことならあるぞ」
「なっ……!」
サトシもうなずき、
「確かにチャンピオン(※シンオウの)とバトルしてたな」
「チャンピオンと、バトルしただと……!?」
「ああ。野試合だが、チャンピオン(※シンオウの)とバトルした」
青ざめるシューティーに、シンジはうなずく。ウソは言っていない。
……その時、シューティーの中でふたつの勢力が激突した。
『チャンピオンはウソつかない! 基本だろ!』と言い張る幼心。
『しょせん社交辞令! 基本だろ!』と鼻で笑う大人の心。
この二大勢力の激闘に、シューティーの目の前は真っ暗になった。
「――おーい、シューティー?」
サトシはシューティーの眼前で手をひらひら振ってみるが、彼はうつむいたまま、ぶつぶつと、
「そんなはずない……アデクさんが僕との約束を覚えていないなんてこと……あるはずがない……」
「ま、まあまあ! 別にチャンピオンが覚えてなくたって、シューティーが覚えてりゃそれでいいじゃん!」
――ぴしっ。
サトシのフォローに、シューティーが音を立てて石化した。
シューティーは穏やかな笑顔で――しかし死んだ目でサトシを見ると、
「キミも……思うのかい? チャンピオンは僕のことなんか覚えてないって……どうせ社交辞令だって……」
「え!? そんなのわかんない……」
言ってから、ウソでも慰めでも『そんなことない』と言って欲しかったのだと気づいたが、もう遅い。
シューティーはへらへら笑いながら、一歩、二歩と後ずさり――そして、
「――社交辞令だろうがなんだろうが、約束は守る! 基本だろーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
「シューーーーティーーーーーーーーッ!?」
突然身をひるがえし、どこへともなく走り去る。サトシの呼びかけにも振り返らない……
シューティーの姿が見えなくなり――サトシはぽつりと、
「あいつ……意外と純情ハートだったんだな……」
「ピカ……」
俺、悪いことしたかな……そんなことを思いながら、ピカチュウ共々、シューティーが走り去った方角を眺める。
一方で、シンジは腕組みをしたまま、
「いずれわかることだ。早いほうがいい」
言いつつも、ちょっと大人げなかったな、と、軽く反省した。
まあ、今に始まったことではないが――
「ドダ~……」
「ピカピカ」
無駄に敵を作ってしまった主に、ドダイトスは深いため息をつき、ピカチュウはそれを慰めるように肩を叩いた。
その後、シューティーの『いつか泣かせたいやつランキング』の上位に、シンジの名が刻まれたとかなんとか……