ドダイトスの進化論

 

 立ち寄ったポケモンセンターの裏庭で、モウカザルは一人、何をするでもなくぼんやりとしていた。
 空は晴れ渡り、ぽかぽか陽気が気持ちいい。設置されていたベンチに腰を下ろし、目を閉じると、うとうとしてきた。
 その心地よいまどろみに身をゆだねていると、
「――よう」
 聞き覚えのある低い声に、一瞬で現実に引き戻される。
 反射的に振り返ると、背中の木を揺らしながら、のっしのっしと巨大なポケモンが現れた。
「ドダイトス!?」
 モウカザルはベンチの上で思わず身構えた。ドダイトスは他にもたくさんいるのだが、そのドダイトスはモウカザルのかつてのトレーナー――シンジのドダイトスだった。
 ドダイトスは、ベンチの近くで足を止めると、
「おまえもこのセンターに来ていたのか。トレーナーとはうまくやってるか?」
「う、うん……」
 ベンチから降り、うなずく。
 特に敵意は感じなかったが、なんとなく気まずい。
「今さらではあるが、なんだ」
 こちらが言葉を選んでいると、先にドダイトスが口を開いた。
「進化おめでとう」
「へっ?」
 その言葉に拍子抜けした。わざわざその言葉を伝えるために来たらしい。
 ドダイトスにしてみれば、こちらのことなど無視してもよかったはずなのに。
「どうした?」
「え? いや……」
 そういえばこのドダイトスは、シンジの手持ちの中では割と世話焼きだった。モウカザルがまだヒコザルで、シンジのポケモンだった頃、きのみをくれたことがある。
 そのことを思い出したとたん、少しでも警戒した自分がひどいヤツに思えてきた。
 ドダイトスはモウカザルの心中を見透かしたのか、
「『まさか祝ってもらえるなんて』って顔だな?」
「いや、その……」
「隠すな。俺も予想していた」
 特に気を悪くした様子もなく、その場に体を下ろす。
 モウカザルも隣に腰を下ろし、空を見あげる。青い空を、雲がゆったりと流れていく。
「進化か……俺にもかわいいナエトルの時代があったな」
 ドダイトスが、ふとそんなことをつぶやく。
「進化といえば、昔から不思議に思ってることがあってな」
 ドダイトスはモウカザルに目をやり、
「笑わないと誓うか?」
「え?」
「同じ話をエレブーのヤツにしたことがあるんだが、あの野郎『くだらねー』と笑いやがった。まあ『ハードプラント』をお見舞いしてやったらスッキリしたから、もういいんだけどな」
 話聞くのも命がけだなぁ……そんなことを思いながら、
「笑わないよ。ぶっとばされたくないし」
 どちらかというと後半が本音だったが、ドダイトスは満足したらしい。ひとつうなずくと、どこか遠いまなざしで、
「今でこそこんなでかい図体をしているが、俺にもかわいいナエトルの時代があった。そして色々あって、ハヤシガメに進化した」
「はあ……」
 そこまでの経緯ははしょるんだ。
 そう思ったが、ぶっとばされたくなかったので黙っておいた。
「その頃だ。ある日俺はふと、疑問に思った」
 ドダイトスは一端言葉を切ると、空を見あげ、
「あいつら……『なんで人間は進化しないんだ?』って」

 風が吹き、ムックル達の羽ばたきが響く。
 ざわざわと、ドダイトスの背中の木が風に揺れ、音を奏でた。
 彼は、ぽつりと、
「笑わないんだな」
「いや、だって『笑うな』って言われたし……そもそも、笑い所がわからないし」
 正直に答える。
「でも、ポケモンだって進化しないのもいるよ? 人間もそうじゃないの?」
「だよなぁ。俺も最初はそうなのかと思ったんだが、なんか違うんだよな」
 ドダイトスは首をひねり、
「たとえば大人と子供。子供はいずれ大人になるが、それを『進化した』とは言わんだろ」
「まあ、そうだね」
 どっちかというと成長? そう付け加える。
「それに俺達は一定のレベルに達した時、突然姿が変わる。おまえのとこにナエトルがいただろ。俺も初めて進化した時、あいつと同じようにびっくりしたさ。急に体が重くなって、思ったように動けないときた」
「ああ、あの時の……ひょっとして、それで?」
「うむ。他人事に思えなくてな」
 それでついお節介を焼いた。同族だからこそ、気持ちがわかったのだろう。
「それで思ったんだ。人間ってのはずるいなー、と」
「というと?」
「だってあいつら、いきなり姿変わったりしないだろ」
 言われて、たしかにその通りだと気づく。
 服装や髪型を変えたりはするが、元々の顔や体型が変わるわけではない。
「身長伸びたり体重が増えたりはするが、ちょっとずつだ。それも本人が気づかないペースで。ずるいだろ。俺なんかいきなりでかくなっちまって、慣れるまで大変だったんだ。いっそナエトルに戻れたらとまで思ったってのに」
「ああ、なるほど……」
 ようやく、ドダイトスが言いたいことを理解する。
 突然ではなく少しずつ体が大きくなったのなら、変化に戸惑うことも、その姿を拒むこともなかっただろう。
 そういう意味では、人間の変化はポケモンの進化とはまったく違う。
「でもまあ、最近思うんだよ。やっぱ人間も進化するんだなって」
「はぁ?」
 さっきと言ってることが違う。
 ドダイトスは首をひねりながら、
「なんて言えばいいのかなぁ……そう。『姿形の変化が進化のすべてじゃない』ってことだ」
 その言葉に、目をぱちくりさせる。
 自分達にとって、進化と言えば姿や能力の変化だ。
 それ以外の進化があるのだろうか?
「最近、シンジを見ていると昔の俺を思い出すんだ。ナエトルからハヤシガメになった頃の」
「なんで?」
「他の連中にはわからんかもしれんが、あいつ、戸惑ってるんだよ」
「戸惑ってる……?」
 自分が知っているシンジは迷いもなく、妙な自信に満ちていた。
 それだけに、その言葉がピンとこない。
「俺が進化した時とは違う意味かもしれんが、変化を認めたくないって感じか? だって『進化』ってのは、これまでの自分とサヨナラすることだろ」
「サヨナラ……」
 なんとなく、自分の手を見下ろす。
 ヒコザルの時より大きくなった自分の手。
 ドダイトスには悪いが、自分は進化して不便を感じない。むしろ、さらに素早く、力も強くなり、良いことが増えた。
 しかし――

 ――よくやったぞ、ヒコザル!

 ヒコザルだった頃、サトシにだっこしてもらったことを思い出す。
 だっこしてもらうには、この体は少し大きいだろう。当然体重も増えたので、以前のように気軽に肩に登ることも出来ない。
 些細なことではあるが、進化というものは、新しいものを手に入れると同時に失うものもあるということだ。
 そう思うと、急に寂しくなった。
「まあ、そんなしみったれた顔するな。俺達は進化出来ても、退化は出来ない」
「はぁ……」
 顔に出たのか、ドダイトスがなぐさめの言葉を掛ける。
「俺が思うにな。人間には二種類の進化があるんじゃないかって思うんだよ」
「二種類?」
「簡単に言うと、良い進化と、悪い進化だ」
 姿形じゃねーぞと付け加えてから、
「きっと人間ってのは、常に進化してるんだ。で、シンジは、俺から見ると悪いほうに進化していた。本人気づいてないだろーけどな」
「悪いほうに?」
「あいつも色々あったからな」
 そういえば、出会う以前のシンジのことは何も知らない。
 嫌なことも、辛いこともあったのかもしれない。
「どうやら人間の進化には、何かしらきっかけがないとダメみたいだ。そのきっかけが悪いものだと悪いほうに、良いものだったら良いほうに進化するんだろ。で、今は良いほうに流れてるみたいだ。前ほど無茶なトレーニングはしなくなったしな。そういう意味じゃ、おまえとおまえのトレーナーには感謝している」
「そんな、ボク、何もしてないよ」
 突然のお礼に、モウカザルは照れるよりも戸惑いをおぼえる。
 彼のポケモンでいた頃は、自分のことしか考えていなかった。
 とにかく、考える余裕がなかった。期待を寄せられているのはわかっていたが、今思うと、トレーナーの期待に応えるためではなく、受け入れられようと、居場所を得ようと、自分のために必死だったような気がする。
 ひょっとすると、『彼』もそうだったのかもしれない。
 そう思うと、不思議と笑えてきた。
 笑いながら、
「それにしても、いつもそんなこと考えてるの? なんだか哲学的だなぁ」
 ドダイトスはむっとした顔で、
「俺達はその日暮らしの野生と違って、考える時間が山ほどあるんだ。頭使わねーと退化するぞ」
「さっき『退化出来ない』って……」
「ゴチャゴチャぬかすな。ぶっとばされてーか」
 ぶっとばされるのは嫌だったので、モウカザルはおとなしくなった。
 その代わりに、
「……あのさぁ」
 シンジは自分に厳しかったが、それはドダイトス達も同じだ。
 その上で、気になっていたことがある。
「もし、ポケモンがトレーナーを選べるとして……ドダイトスはどうする? シンジを選ぶ?」
「ああ」
 即答だった。
「もし、選択肢に優しくてかわいい女の子がいたら?」
「それは……ちょっと悩むな」
「ははは」
 少し前なら理解出来なかった答えだが、今は素直に納得出来た。
 自分も、姿だけではない進化をしているのかもしれない。
「おまえはどうだ?」
 今度は逆に聞かれる。
「もしトレーナーを選べるなら、今のトレーナーがいいか?」
「うん」
 こちらも迷わずうなずくと、ドダイトスは少し考え、
「そうだな、もし今の……いや、もうちょっと先のシンジだったらどうだ?」
「え?」
 その問いに、今度は即答出来なかった。
 たしかに、無茶なことばかり要求された。
 辛い日々だった。
 しかし、離れた今だからこそ、わかったこともある。
 強くなりたいという気持ち。それはサトシとまったく同じで――純粋なものだった。
 そして彼は今、少しずつだが、良い方向に進化しつつある。
 一瞬、彼と共に有る未来を想像し――
「それは……ちょっと悩むかも」
「そうか」
 ドダイトスは納得したようにうなずくと、短い別れの言葉を告げ、去っていった。