おかあさんといっしょ - 2/4

「勤め先がポケモングッズを扱う会社でね。イッシュ地方には転勤で来たのよ」
「へ~。キャリアウーマンなんて、カッコイイですね~!」
「…………」
 歩きながら目を輝かせるアイリスに、シンジは小さく舌打ちした。

 なぜ、いる。

 その顔からそう読み取れたが、ヨウコが誘ったのだから仕方がない。
「私は家族みんなで行くつもりだったんだけど、シンちゃんが『絶対嫌だ』って駄々こねるもんだから、仕方なく私一人で……ホント、冷たい子を持って不幸だわ~」
「不幸なのはどっちだろうな……」
 嘆くヨウコに、シンジはぼそりとつぶやく。
 サトシは、さっきから不機嫌なシンジに、
「なんだよ、ひさしぶりにママに会ってうれしくないのか?」
「…………」
 深い恨みのこもった目でにらまれ、サトシはそれ以上何も言わず黙り込んだ。
 昼食のため、しばらくレストランを探して歩くが、
「ダメね~。どこも混んでるわ」
「――あ、それじゃあデントに作ってもらうのは? 料理上手なんですよ」
 アイリスの提案に、ヨウコは驚いた顔で、
「あら、いいの?」
「ええ。キッチンをお貸しいただければ、何か作りますよ」
「……やめといたほうがいい」
 シンジがぼそりと警告するが、聞こえなかったらしい。ヨウコはあっさりと、
「それじゃー、お願いしようかしら? この近くのマンションに住んでるの。案内するわ」
「…………」
 シンジが、再び舌打ちする。
 なぜそこまで嫌がるのだろう。
 サトシは首をひねったが、その理由は、ほんの数分後に明らかとなった。

「…………」
「…………」
「…………」
 案内されたヨウコのお部屋。
 そこは、立派な『汚部屋』だった。
 完全に言葉を失う三人に、ヨウコは照れながら、
「ごめんね~。ちょっと散らかってるけど、気にしないで~」
「ちょ、ちょっと……かな?」
 サトシの言う通り、『ちょっと』と言うには散らかりすぎだった。
 一人暮らしにはちょうどいい広さの部屋だったようだが、物があふれ、閉塞感に満たされている。
 床は、ゴミや脱ぎっぱなしの服、未開封の紙袋などに占領され、足の踏み場に困るくらいだ。スーツを着こなした外見からは想像もつかない、リアルな現実だった。
「キッチンは……あー……」
 デントがのぞき込んだキッチンに目をやると、そこも見事な散らかりようだった。テーブルには食品の空容器が積み重ねられ、汚れた食器や鍋が流し台を占領し、異臭をただよわせている。
 ヨウコは苦笑いを浮かべ、
「お料理は……やっぱ、ダメ?」
「え、えーと、まず片づけてからでないと……でも、それだと夕方になっちゃうかな……」
「――やっぱりな」
 振り返ると、予想していたらしい。シンジは口元に引きつった笑みを浮かべ、
「昔っからそうだ。物は捨てられない、家事もしない、そして買い物依存症……俺が物心ついた頃には、家事はすでに兄貴の仕事となっていた」
「く、苦労してるのね……」
「単身赴任の話が出た時は喜んだくらいだ」
「あ、ひどーい! そんなにママが嫌いなの!?」
「好かれる要素がどこにある! ――これはなんだ!? 賞味期限が過ぎている! こっちはカビがはえている!」
 シンジは冷蔵庫を開けると、中から腐った食品を次々と放り出す。
 続けて、放置されていた服を数着引っ張ってくると、床に叩きつけ、
「この服もこの服もそうだ! タグがついたままで一回も着た形跡がない! そもそも、どういう機会があったら着るんだこんな服!」
 ヨウコが持っていた紙袋を奪い取って開封すると、出てきたのはレースがたっぷりついたピンクのドレスだった。年齢に合わないのはもちろん、用途が知れない。
「物は捨てられない、着もしない服を何着も買ってくる……いつも言っているだろう!  『いらないもの』はさっさと捨てる! 『必要なもの』しか買うなと!」
「え? おまえの厳選のルーツってそれ?」
 てっきりお兄さんだと思ってたよ……サトシのつぶやきは無視し、シンジは袋にゴミを詰めながら、
「そもそも、こんな部屋に人を招き入れるなんてどんな神経してるんだ。恥さらしもいいところだ!」
「そうねー、お料理は無理よねー。じゃあシンちゃん、悪いけどパン買ってきて」
「は?」
 唐突な注文に、シンジの動きが止まる。ちょっと待て。話の論点がおかしい。
 そう思ったが、反論するより早く、
「近くにパン屋さんがあるの。そこのチョコデニッシュ、おいしいのよ~!」
「じゃあ俺、メロンパンとコロッケパン!」
「わたし、チョココロネとクルミパンがいい!」
「それじゃあ僕はタマゴサンドとカレーパンにしようかな。飲み物はミックスオレで」
 ヨウコに続き、サトシ達三人も、すかさず注文を繰り出す。
 ヨウコはシンジにサイフを押しつけると、明るい笑顔で、
「じゃ、お願いね~」
「…………」

「ありがとうございましたー」
「…………」
 パンと飲み物が入った袋を両手に持ち、シンジは店を出た。
 自販機の件もそうだが、
「なぜ……イッシュに来てまで、俺がこんなパシリを……?」
 さっきから同じ疑問が頭の中を駆けめぐっていたが、答えは出そうになかった。

「ね~。私としてはヒメグマのままでいて欲しかったのに、いつの間にリングマに進化しちゃったのかしら~。謎だわ~」
「何を……見ているんだ?」
 部屋に戻ると、リビングは座って食事が出来る程度に片づけられていた。
 それはいいのだが、その片隅で、ヨウコを中心に全員で何かを見ている。
 どさりと、手にした袋を落とす。嫌な予感がする。
 こちらに気づいたのか、アイリスは目に涙を浮かべて振り返り、
「ア、アンタにも……ヒメグマの時代があったのね!」
「シ、シンジが……赤ちゃんの頃の写真も衝撃なのに、よりにもよってヒッ……ヒメグマの着ぐるみを……! あはっ、あはは……っ!」
「ピッ……ピカァ……」
 サトシとピカチュウに至っては、おかしすぎて声すら出ないらしい。腹を抱え、床に突っ伏して肩を震わせている。
「ブーバーン! 『かえんほうしゃ』!」
「キャー! 家の中で!」
 ブーバーンの『かえんほうしゃ』が、ヨウコが手にしたアルバムを灰も残さず焼き尽くす。
 幸い、火災報知器は作動せずに済んだが、見られた後で消し去っても意味がなかった。
「家族の思い出になにするの!?」
「『家族』じゃなくてあんたの思い出だろう! 散々人のことをおもちゃにしやがって!」
「なによ! かわいいものをよりかわいく魅せることのなにが悪いのよ!」
「頼んだ覚えはない! すべてあんたの趣味だろう!」
「ま、まあまあ、シンちゃ……シンジ君、落ち着いて」
 シンジのにらみつける攻撃に、デントはおとなしく引き下がった。
「あらー? チョコデニッシュは?」
「……売り切れだ」
 興味はすでに食べ物に移ったらしい。パン屋の袋をあさるヨウコに、シンジはイラつきながらも、ちゃんと一言返す。
 アイリスも袋から目当てのパンを取り出し、
「へー。なんだかんだ言って、頼んだものをちゃんと買ってきてるじゃない」
「ねぎらいの言葉もなしか」
「おまえだって自分のポケモンねぎらわないじゃん。えーと、俺のメロンパンとコロッケパンはー、と」
「…………」
 地味に突き刺さるサトシの言葉に、奥歯を噛みしめる。天然なだけにタチが悪い。
「あら? シンちゃん、自分の分は?」
「いらん。食欲がない」
「あらそう? おいしいのにー」
 そう言うと、ヨウコはチョコデニッシュの代わりに買ってきたチョコカスタードパンにかぶりつく。我が子への気遣いなど微塵もない。
 サトシもコロッケパンをほおばりながら、
「なあシンジ。せっかく会ったんだし、後でバトルしようぜ」
「断る」
「なんでだよ!?」
「今の精神状況では、とてもバトルする気になれん」
「えー!? ママ、シンちゃんのバトル見たいのに~! 一回くらい生で見せてよ~!」
 駄々をこねるヨウコに、アイリスは驚いた顔で、
「え? 見たことないんですか?」
「そうなのよ~! 『気が散る』とか言って、ママの前だと絶対バトルしてくんないのよ~!」
 その言葉に、アイリスはお得意のジト目で、
「へー……ママの前で負けるのが恐いんだ? 子供ね~」
「じゃあ、そういうことにしておけ」
 あっさりそう言うと、ぷいっ、とそっぽを向く。
 デントは感心した様子で、
「へー。アイリスの挑発に乗らないなんて……」
「お、大人じゃない……」
 しかし、それで引き下がるサトシではなかった。シンジの前に回り込むと、
「俺さ、今、イッシュリーグ出場目指してるんだ。だからポケモンを鍛えたいんだよ!」
「そうそう! シンちゃん、今日サトちゃん達にひどいことしたって言うじゃない! おわびにバトルくらいしなさいよ!」

 ――ひどい目に遭ったのは俺だ。

 我が子より余所の子の肩を持つ母に、シンジのイラつきは限界を超えた。完全に突き放すつもりで、
「――そんなに言うなら、あんたが戦えばいいだろう!」
「あ、それもそうね」
 一瞬、室内が静まりかえる。
「なに?」
 予想外の発言に、さすがのシンジも驚くが、ヨウコは手を打ち、
「うん、それいいかも! じゃあサトちゃん、シンちゃんの代わりに、私がバトルするわ!」
 その提案に、サトシも目を丸くした。
「ヨウコさんが?」
「バトル……出来るんですか?」
 デントの質問に、ヨウコは自分の胸を叩き、
「なめちゃダメよー。こう見えても、昔はエリートトレーナーとしてリーグ戦にだって出たんだから!」
「……どうだか」
「あれ? シンジもヨウコさんのバトル、見たことないの?」
 アイリスの質問に、シンジは鼻で笑いながら、
「リーグ戦では一回戦で負けたそうだ」
「相手がその年のチャンピオンだったのよ! くじ運さえ良ければ、良い線行ってたのは間違いないのよ!」
「運も実力のうちだろう。そもそも、リーグ戦に出たこと自体怪しいもんだ」
「あ、まだ信じてくれないの~!? いいわよ! 嘘かホントか、見ればわかるから!」
 ヨウコはシンジを指さし、力強く宣言すると、さっきの公園への移動を命じた。

「そういえばシンジ。さすがのおまえも、イッシュのポケモンは初めてじゃないのか?」
 ヨウコより先に公園に来ると、破壊された自販機はすでに新しいものと交換されていた。
 貸そうか? と、サトシはポケモン図鑑を差し出すが、シンジは自分の図鑑を取り出すと、
「中身だけイッシュ用にバージョンアップしてある。問題ない」
 そう言って、図鑑をアイリスの肩のキバゴに向け、スキャンしてみせる。
「あ、そう。イッシュのポケモンはすごいぜー。初めてのことが多くて、苦労したよ」
「お前が勉強不足なだけだ。おおかた予備知識ゼロのまま、思いつきで旅に出たんだろう」
「うっ……」
 図星を突かれ、黙り込むサトシに、デントは笑いながら、
「へー。サトシの特性をよく知ってるねぇ」
「俺は体験して学ぶタイプなんだよ!」
「ピ~カ~」
 ムキになって怒鳴るサトシに、ピカチュウも呆れた顔で肩をすくめる。
「――お待たせ~!」
 そして、ようやくヨウコが現れ――全員、言葉を失った。

 ミニスカートだった。

 容赦なくミニスカートだった。

「……なんだその格好は?」
「片づけてたら、現役時代の服が見つかったのよ! ひさしぶりのバトルだもの! 気合い入れなきゃねー!」
 呆然とするシンジに、ヨウコは一回転してポーズを取ってみせる。
 アイリスとデントは笑いをこらえながら、
「お……おもしろいママねぇ」
「で、でも、あの年であのスタイルを維持するのはすごいと思うよ……」
「み……身内の恥だ……」
 そうつぶやくシンジの目は、完全に死んでいた。
 例えるなら、授業参観に親がTPOを無視したすごい格好でやってきた。そんな時の顔だ。
 シンジはなんとか自分を奮い立たせると、
「もう少し年を考えた格好は出来なかったのか!?」
「なによ! 私が着る服を私が選んで何の問題があるのよ!? シンちゃんだって『服くらい自分で選ぶ』とか言って、ママが買ってきた服全然着てくんなかったくせに!」
「くっ……!」
「完全に言い負かされてるわね~、シンちゃん♪」
「まあ、そう怒るなよシンちゃん♪」
「うん。実にユニークで素敵なママじゃないか。シンちゃん♪」
「その呼び方はやめろ!」
 完全になめきりモードの三人に、シンジは怒鳴るが、今さら効果などなかった。
 すっかり自分のペースを失っているシンジのことなどお構いなしに、話は次へと進む。
「ルールはどうするの?」
「そうねー……ねぇシンちゃん。サトちゃんと初バトルの時のルールは?」
「……一対一の三回戦勝負だ」
「じゃ、それで。デンちゃん、審判お願いしてもいいかしら?」
「いいですよ」
 シンジの回答に、ルールはあっさり決まった。なぜかヨウコが取り仕切っていたが、年長者なせいか誰も文句を言わない。
 さらに何か思いついたのか、ヨウコは突然、
「ただバトルしただけじゃつまんないわね。ねえサトちゃん、賭けしない?」
「賭け?」
「そ。私が勝ったらサトちゃん達には引っ越しのお手伝いをしてもらう。サトちゃんが勝ったら、シンちゃんの昔話聞かせてあげる」
「なっ!?」
 どちらに転んでも自分にとって都合のいい条件に、シンジは母に詰め寄り、サトシを指さして、
「バトルをするのはこいつなのに、それじゃあ俺が罰ゲームを受けるみたいじゃないか!」
「あら、私が勝ったら引っ越しのお手伝いしてくれるから、シンちゃんが楽になるわよ?」
「どのみち作業しながらしゃべるつもりだろう! 長々と引き留めないで、さっさと解放してやれ!」
「えー? だってやっと出来たシンちゃんのお友達でしょー? シンちゃんのこと知ってもらいたいと思って~」
「だから友達じゃない! 余計な個人情報も流すな!」
「あの……まだ賭けをするって言ってない……」
 申し訳なさそうな顔でサトシがつぶやくが、二人の耳には届かなかったらしい。ヨウコはムキになって、
「わかったわよ! サトちゃんが勝てば、そのまま行かせてあげればいいんでしょ!? そんなに昔話されたくないなら、シンちゃんはサトちゃんを応援すればいいのよ!」
「フン、上等だ! あんたがどこまで戦えるか、見物だな!」
「あの~、もしもし?」
 勝手に賭けが成立してしまっている。
「バトルするの、俺なんだけど……」
「――ねぇねぇ。いっそ負けちゃえば? あのお母さん口軽そうだし、シンちゃんの恥ずかしい昔話が聞けるかもしれないわよ~」
 サトシの耳元でアイリスがささやくが、返事するより早く、
「――おい」
 サトシが振り返ると、そこにはリングマがいた。
 いや、本当にリングマがいたわけではないが、シンジの背後に、キバを剥き出しにしたリングマの姿が、確かに見えた。
 シンジは無表情に、しかし、妙なプレッシャーを放ちながら、
「勝てよ?」
「……ハイ」
「ピカ……」
 まったくうれしくない激励に、サトシとピカチュウは、震えながらうなずいた。