「あ、あのポケモンは……」
山のようなずっしりした体、頭には青カビをはやしている。あまりの刺激臭に、ピカチュウは鼻を押さえ、サトシの後ろに隠れた。
サトシは鼻を押さえつつ、ポケモン図鑑を開いた。サトシとほぼ同時に、シンジも図鑑を開いた。
『ダストダス。ゴミすてばポケモン。ヤブクロンの進化系。ゴミを吸い込み、体の一部にしてしまう。口から出す悪臭の毒ガスでとどめを刺す』
「…………」
パタン、と、シンジは無言のまま図鑑を閉じた。
「え、えーと……デント。ポケモンソムリエとして、ヨウコさんとの相性はどうかしら?」
「そ、そうだね……外見からは想像もつかない意外性が驚きのハーモニーを――」
「素直に『お似合いだ』と言っていいんだぞ?」
気を使う二人に、シンジは吐き捨てるように答える。
「す、すごいの出してきたな……」
「ピッ、ピッカー……」
悪臭に、ピカチュウも涙目だ。鼻だけでなく、目にも来る。
「ピカチュウ……なんとか、がんばってくれ」
「ビガ~……」
ピカチュウはすでに倒れそうだったが、けなげにもバトルフィールドに立つ。
「そ、それでは三戦目……ピカチュウ対ダストダス、始め~……」
悪臭に気力を削がれながら、デントの手が適当に振り上げられた。
「サトちゃん、お先にどうぞ」
「だったら遠慮なく……ピカチュウ、ボルテッカー!」
「ピ……ピーカ~……」
「ピカチュウ?」
「――チュウッ!」
サトシの指示より遅れたものの、ピカチュウは電撃をまといながら、ダストダスに向かって走り出す。
「ダスちゃん、かわして」
「ダ~ッス」
ダストダスは首をひねり、ピカチュウの攻撃をかわす。ピカチュウは着地と同時に反転し、再びダストダスに突っ込むが、再度かわされる。
「どうしたピカチュウ!?」
「ピ~カ……」
ピカチュウの動きが、鈍い。
アイリスもそのことに気づき、
「ピカチュウ、なんだかヘンじゃない?」
「ダストダスの臭いが強くて近づけないんだよ……ポケモンの鼻は人間よりずっといいから、ピカチュウは相当辛いと思うよ」
「…………」
デントの解説に、シンジは黙ったまま、二人のバトルを見つめる。
接近戦は不利。サトシはそう判断すると、
「だったら遠距離戦だ! ピカチュウ、『10まんボルト』!」
「ピーカッ、ヂューーーーーーーッ!」
「ダスちゃん、『ドわすれ』!」
「ダース!」
ダストダスはその場から動かぬまま、あえて電撃を受け止める。その表情はひとつも変わらない。
「『ドわすれ』!?」
「『ドわすれ』は特防をぐんと上げる技だよ。相手の接近を許さず、遠距離攻撃にも対処する……さっきのコジョフーといい、ちゃんと対策が取られているね」
ハンカチで鼻を押さえつつ、デントは感心した様子で答える。
「接近戦も電気もダメなら……」
サトシは周囲を見渡し――さっき、ヨウコのヒメグマが割った地面に目がとまる。
「――ピカチュウ、シッポを使って思い切りジャンプ!」
「ピッカ~……チュゥーーーーーーーーッ!」
サトシの指示に、ピカチュウはシッポをバネに、思い切りジャンプする。
「なにする気?」
アイリスの疑問に答えるかのように、サトシは上空のピカチュウに向かって、
「割れ目に向かってボルテッカー!」
「ピッカーーーーーーーーーー!」
電撃をまとい、ピカチュウは落下スピードを借りて割れ目に突っ込む。その衝撃で、割れてもろくなっていた地面がさらに砕け、静電気をまといながら岩が宙に浮く。
それらの岩が落ちるより早く、
「『アイアンテール』で岩を打てー!」
「チューーーーーーーーーッ!」
サトシと同じことを考えたのか、ピカチュウはダストダス目掛けて、浮いた岩をシッポで打つ。
「うまい!」
「遠距離から物理攻撃!?」
この合わせ技に、デントは臭いを忘れ、アイリスも目を丸くする。
しかし、ヨウコは慌てることなく、
「『ダストシュート』!」
「ダァ~ッスッ!」
ダストダスが両手を突き出し、その指先から、大量のゴミが発射された。その勢いに、ピカチュウが飛ばした岩はあっけなくはじき返される。
「チャ~ッ!」
「ピカチュウ!?」
岩と共にピカチュウの体も吹き飛ばされ、地面を転がった。
「ピカチュウが!」
「『ダストシュート』は元々威力が高い技だ。パワーじゃピカチュウに不利だよ」
デントの言葉に、アイリスは肩を落とし、
「それじゃあ、もう手がないじゃない。サトシ、ここまでかな……」
「――ああ。ここまでだろうな」
そのつぶやきに、これまで黙っていたシンジが同意した。
同意してから、
「これが『並みのトレーナー』ならな」
『え?』
きょとんとするアイリスとデントに、シンジはフィールドをにらみつけたまま、
「ここからが本番だ」
強い風が吹き、砂煙が舞った。
「くっ……」
砂煙と共に、ダストダスの悪臭がただよってくる。さっきの『ダストシュート』で、さらに臭いがひどくなったようだ。
「ピカチュウ、まだいけるか!?」
「……ピッカー!」
この悪臭の中にもかかわらず、ピカチュウは立ち上がった。ダメージよりも闘志が勝ったらしい。
とはいえ、
――この臭いをなんとかしないと……
臭いに、ピカチュウの勢いが削がれていることは明らかだ。
どこか抜け道はないかとヨウコに目をやると、なんとも涼しい顔をしている。まるで、この臭いを気にしていないような――いや。
「そういえば……」
砂煙を見て、ふと思い出す。
シンジは自分達を吹き飛ばす時、砂を蒔いた。そして、砂が飛んだ方角に自分達を飛ばした。あれは――
「――風だ! ピカチュウ、ダストダスの風上! ヨウコさん側に回れ!」
「ピッカ!」
指示に従い、ピカチュウは風上――ちょうど、ヨウコが立っている方角へと回り込む。
「あら」
「接近して『アイアンテール』!」
ヨウコが驚いた隙に、ピカチュウは風上からダストダスに接近し、渾身の『アイアンテール』を振り下ろす。
「ダァ~スッ!」
まともに直撃を喰らい、ダストダスがよろめいた。
ヨウコも感心した様子で、
「あらあら、風向きに気づいちゃったか……やるじゃない」
「風上を取れば、においだって弱くなる! これなら接近戦もへっちゃらだ!」
「そうかしら?」
「えっ?」
ヨウコは顔に笑みを浮かべ、
「ダスちゃん、風上に『ヘドロばくだん』!」
「なに!?」
ヨウコの指示に、ダストダスの指先から大量のヘドロが発射され、さらなる異臭が広がる。あまりの臭いに、アイリスの肩のキバゴが目を回して地に落ちた。
アイリスも立ったまま目を回し、
「す、すごい臭い……」
「こ、これじゃあどこに逃げても同じだね。風上のさらに上を取るなんて……」
「ひどい戦いだ……」
あまりの悪臭に、さすがのシンジも足下がふらついた。鼻だけでなく喉も痛み、目がチカチカする。
外野ですらこれなのだから、風下にいるサトシとピカチュウはこのまま戦闘不能になってもおかしくない。しかし、二人は涙目になりながらも必死に立っていた。見上げた根性だ。
ヨウコはそれを称えるかのように、
「シンちゃんとのバトル……すごかった。最後の最後まで『自分が勝つ』って信じてる」
「………?」
「おかげで、現役時代を思い出したわ。――ダスちゃん、『おうふくビンタ』!」
「よけろ!」
指示を出すが間に合わず、ピカチュウはダストダスの『おうふくビンタ』をまともに二回受ける。
「さっきより早い!」
「ダストダスの特性、『くだけるよろい』だよ。物理技を受けると、防御力が下がる代わりに素早さが上がるんだ!」
デントの解説がさっきより熱を帯びている。とうとう嗅覚がまひしたらしい。
「ポケモンの特性と技、そしてフィールドを制圧する……この刺激的なテイスト、やっぱりただ者じゃないね。ヨウコさんは」
「刺激的すぎる気もするけど……」
「…………」
アイリスの皮肉は無視し、シンジはヨウコに目を向ける。
堂々とした立ち姿といい、とてもブランクがあるとは思えない。デントの言う通り、こっそりトレーニングを続けていたのは本当だろう。
そして、サトシが勝負に出た。
「いちかばちかだ。臭いけどがんばってくれ! ピカチュウ、『ボルテッカー』!」
「受け止めて『のしかかり』!」
ヨウコの指示に従い、ダストダスは『ボルテッカー』を腹に喰らいながら、ピカチュウを呑み込むようにのしかかる。
「ピカーッ!」
「ピカチュウ、『10まんボルト』!」
「ヂューーーーーーーーーーッ!」
ダストダスの重さと悪臭に耐え、ピカチュウは電撃を放つ。しかし、ダストダスはびくともしない。
「ダメだ! 『ドわすれ』で特防が上がっているから、電撃の効果はいまひとつだよ!」
デントの忠告が入るが、サトシはピカチュウから目をそらさぬまま、
「いくら特防を上げたって、まったく効かないわけじゃない! ――連続で『10まんボルト』!」
「ピカーッ! ヂューーーーーーーーッッ!」
指示に従い、ピカチュウは連続で電撃を放つ。
激しい電撃に、ついにダストダスの体が、動いた。
その隙を見逃さず、
「シッポをバネに、抜け出せ!」
「――ちょ、ちょっとタンマー!」
「え!?」
何かに気づいたらしい。ヨウコは頭を抱えてしゃがみ込み、シンジもデントの後ろに隠れた。
その時、ダストダスの体に異変が起こった。
体中から火花が飛び散り、煙を吹き出す。
そして、
「ダ……ダァ~ッス!」
――ドオォォォォォォォォォォォォンッ!
ダストダスを中心に爆発が起こり、大地が揺れる。
デントは焦げたまま、引きつった声で、
「ダ……ダストダスの『だいばくはつ』だね……」
「だ……『だいばくはつ』と言うより……」
「ガスに引火して爆発しただけだ。……こんなにガスが充満した場所で、あれだけ放電したんじゃな……」
シンジもクールに解説し――そして、ヨウコ、デントを盾にしたシンジの二人を残して、全員戦闘不能になった。
「ダスちゃん、お疲れ様」
ヨウコはダストダスをボールに戻すと、肩をすくめ、
「あーあ、相打ちかー」
「俺達が初めて戦った時も、相打ちだったよな」
「フン」
――もし、あの爆発がなければ……
結果はわからない。
しかし、ヨウコがサトシと互角に戦ったことは確かだ。そのことは認めざるを得ない。
「――あ、でも、シンちゃんはサトちゃんにリーグ戦で負けたのよね? そのサトちゃんと私が互角ってことは、つまりママのほうがシンちゃんより強いってこと? キャー! 私ってばすご~い!」
「どうしてそうなるんだ……」
もう怒る気も失せた。シンジはぼそりとつぶやき、上げようとした母の株をやはりリセットした。
「シンジはこれからどうするんだ? いっそ、おまえもイッシュリーグ目指したらどうだ?」
「いいや、おふくろの引っ越しが一段落するまではシンオウにいるつもりだ。……あんなのでも、一応母親だしな」
「そっか」
「お前達、次はどの方角に向かうんだ?」
「方角? えーと……あっちになるかな」
妙な聞き方をするシンジに、デントはマップとコンパスを確認し、『あっち』の方角を指さす。
「そうか。『あっち』だな」
そう言いながら、シンジは三人から間合いを取り――なぜか、ドンカラスを出した。
「――あら? 相打ちとなると、賭けはどうしようかしら?」
ふと思い出したのか、ヨウコが首をひねる。
そして、彼女は明るい顔で振り返り、
「ねえねえ、ここは引っ越しのお手伝いをしてもらいながら、お話するってことで――」
「ドンカラス、『かぜおこし』!」
「ドンカラ~ァッ!」
『ボルテッカー』の不意打ちを根に持っているのか、ドンカラスが本気を見せた。
もはや『かぜおこし』を通り越して竜巻を生みだし、そのすさまじい風に、サトシ達三人の体が、浮いた。
「えっ、ちょ――」
「そのまま『ふきとばし』! なるべく遠く! 地平線の彼方まで!」
「カラァ~~~ッ!」
だめ押しの『ふきとばし』に、三人はなすすべなく、空を――飛んだ。
「シンジのヤツ~! 一生『シンちゃん』って呼んでやる~!」
「ピッカ~チュ~!」
怒鳴るサトシとピカチュウに対し、アイリスとデントは疲れ果てた顔で、
「も……もう怒る気にもなんない……」
「本当に……すばらしいテイストを秘めた親子だったね……」
そして、三人は声をそろえて、
『やな感じぃ~っ!』
お約束の叫びと共に、イッシュの空に、一筋の星が流れた。
「……フン。イッシュリーグ、俺をがっかりさせない程度にがんばることだな」
三人が星となって消えたことを確認し、シンジはドンカラスをボールに戻した。
――次にお前と戦うのは、チャンピオンリーグだ。
サトシ達が去った方角(というか吹き飛ばした方角)をにらみつけ、シンジは心の中でつぶやく。
ヨウコもサトシ達が飛んでいった方角に向かって、
「あ~! もっとお話したかったのにぃ~! サトちゃん、またバトルしましょーねぇ~!」
「さっさと帰るぞ!」
「んも~、せっかちなんだから~!」
急かすシンジにヨウコは口をとがらせたが、すぐ気を取り直し、
「でも今日のバトルはおもしろかったわ! うん、やっぱりポケモンバトルって楽しいわね!」
満面の笑顔で言う。
そして、
「なんだか燃えてきたわ! こうなったら、ママ、イッシュリーグに挑戦する!」
「なに!?」
母のとんでもない発言。ある意味本日一番の衝撃に、シンジは慌てて、
「ちょ、ちょっと待て! 引っ越しは!? 仕事もあるだろう!」
「仕事は長期休暇取りゃいいわよ。引っ越しも、部屋だけ引き払って、荷物は全部レイちゃんのトコに送るから」
「そんな勝手なこと……第一、あんたに旅なんて出来るのか?」
「あらー。そのためにシンちゃんがいるんじゃない」
「は?」
ヨウコは目をキラキラさせ、涙を誘うような声で、
「これまでほったらしで、ごめんね。寂しかったでしょ? これからはママと二人旅よ~」
「なぜそうなる!? 行きたければ一人で行け! 俺はシンオウに帰る!」
「あ~ん、冷たいこと言わないで~! シンちゃんも一緒じゃないと、ママ寂しい~!」
「知るか!」
後ろから抱きついてきたヨウコを引きはがしながら、シンジは無理矢理帰ろうとするが、そこに、
「――ちょっとあなた達! どうしてまた自販機が壊れているの!? 公園もこんなメチャクチャにして!」
『あっ』
爆発を見て駆けつけたジュンサーが、シンジの行く手を阻んだ。