もう、なにがなんだか。
ナオトはぽかんとした顔で、壁に開いた穴を眺める。
「――で」
はっ、と、我に返った。
振り返ると、シンジが殺気立った様子で、
「マユカはどこだ?」
「え? そんなこと言われても……」
「とぼけるな! あいつがカントーに来ているのは間違いないんだ! まさかお前がマユカをたぶらかして連れてきたんじゃないだろうな!?」
「なんで僕がそんなことしなきゃいけないんです!?」
とんでもない言いがかりに、全力で首を横に振る。
「第一、ここ数年、ほとんど口利いたこともないんですよ? そんな子連れてきて僕になんの得が――」
「『そんな』とはなんだ『そんな』とは!? まるでマユカがかわいくないみたいな言い方だな!」
「えーと……」
どう言えば納得するんだこの親父。
つっこみどころが多すぎて、どこからつっこめばいいのかわからない。
「と、とにかく、僕は知りません! 本人に聞いてくださいよ!」
「そうだ! 肝心の本人はどこにいる!?」
これ以上ナオトを問いつめても無駄と判断したらしい。シンジはあらためて辺りを見回し、人が隠れられそうな場所を捜し始める。
ナオトは胸をなで下ろすと、裏口から外に出た。
結局、誘拐のでっち上げは失敗に終わったが、まあ、これはこれで良かったのかもしれない。
「バカなこと考えちゃったよなぁ……」
ため息と共につぶやく。そうだ。こんなことしたって、なんにもならない。
顔を上げると、あの二人組が使っていた車が視界に入った。
「…………?」
その車の中から、ドンドンと音が聞こえる。
「……誰かいるの?」
恐る恐る声を掛けると、一瞬音が止み――そして、トランクの中から、
『た~す~け~て~!』
「まさか……マユカ!?」
「――マユカ!?」
ナオトの声が聞こえたのか、家の中を捜索していたシンジが飛び出してくる。
幸い、鍵は掛かっていなかった。トランクを開けると、中にはナエトルを抱えたマユカが体を丸めて入っていた。
「マユカ!」
「パパぁ~!」
顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら、マユカは自分の父親に抱きつく。
「何やってるんだお前は!? なんでこんなところに……」
「だってだって、ナオトが連れて行かれて……警察に電話かけたら時報につながるし、乗ったはいいけどドア閉まっちゃうし、内側からじゃ開かないし……」
泣きながら、一気にまくし立てる。
ナオトは呆れた顔で、
「つまりキミ、ずっとここに閉じこめられてたわけ? バッカだなぁ。誰にも気づかれなかったらどうするつもりだったんだよ」
「バカとはなんだ!? 第一、マユカがいたから助かったんじゃないか!」
「えーと、スイマセン……」
シンジの苦情に、小声で謝罪する。
マユカは涙をぬぐいながら、
「うん……だからそろそろ、ナエトルにドア吹っ飛ばしてもらおうと」
「親子そろって、どんだけ物壊せば気が済むんだよ」
自転車二台。さらに親父が玄関やら壁を破壊。そこに車が一台加わるところだった。
落ち着いたのか、マユカはナオトに目をやり、
「ところで、ナオトは平気だったの? ひどいことされなかった?」
「へ? あ、ああ、うん」
一瞬、質問の意味がわからなかったが、誘拐されたことになっていたのを思い出す。
そんなナオトにシンジは疑惑のまなざしを向けると、
「やけに落ち着いているが……本当に誘拐だったのか?」
「や、やだなぁ。疑うんですか? 被害者なんですよ僕」
――するどい。
内心冷や汗をかきながら、なんとかごまかそうとする。
しかしシンジは、元々険しい目つきをさらに険しくし、
「本当に……?」
「本当です……」
「なら警察だ」
「へ?」
予想しなかった発言に、一瞬、思考が停止する。
シンジは呆れた顔で、
「本当に誘拐だったのなら、被害届を出すのは当然だろう。子供を連れ去るような犯罪者を野放しにしておくわけにはいかない」
「ま、待ってくださいよ!」
『警察』という単語に、ナオトは血相を変えた。
「あの二人組、なんだかまぬけそうでしたし、きっとこれに懲りてもう誘拐なんてしませんよ! それにこのことがパパ達にバレたら――」
「バレたらなんだ?」
「その……迷惑かけるかなー、と……」
うつむき、ぼそぼそと答える。
シンジは、しばしナオトを見下ろし――
「悪いが、それは出来ない」
「どうしてもダメですか?」
「俺も子を持つ親だ」
ぽん、と、マユカの頭に手を置く。
そう言われてしまっては、もう何も言い返せない。
ナオトが黙ると、シンジはマユカの頭に置いた手に力を込め、
「で、マユカ。なぜお前がカントーにいる?」
「!?」
ようやく思い出したのか、マユカの顔から血の気が引く。
シンジはマユカの顔を強引に自分に向かせると、
「シンオウを旅するんだったよな……?」
「そ、それはその……マユカにはマユカの事情というものがありまして……」
「なら、その『事情』とやらを言ってみろ」
「えーと……」
マユカは視線をうろうろさせ、口をもごもごさせる。
シンジはため息をつくと、
「……もういい。言えないようなことなら言わなくていい」
「ごめんなさい……」
「とにかくシンオウに帰るぞ」
「ええ!? なんで!?」
「当たり前だ! そもそも、旅に出ること自体俺は反対だったんだ! もう一生家にいろ!」
「やだやだ! トモダチみーんなトレーナー修行に行っちゃって、つまんないんだもーん!」
シンジはマユカの首根っこをつかみ連行しようとするが、マユカも必死に抵抗する。
「あ、あのー。ひょっとして、マユカを連れ戻すためだけに、わざわざシンオウからここまで来たんですか?」
「悪いか?」
「悪くないと思います」
にらまれ、目をそらす。
「そ、そうだ! せっかくカントーに来たんだからさ、カントーのチャンピオンに会ってから帰ろーよ! 今日のことも話さなきゃなんないし!」
「だから今日はいないって言ったでしょ。会うにしたって、ハナダシティからマサラタウンまで、車で三時間はかかるんだよ?」
「電話で充分だな」
会うまでもない。そう言い放つ父親に、マユカは物言いたげな顔をしたが、結局それ以上は何も言わなかった。
「とにかく警察だ。それからお前の親にも連絡する。いいな」
「はい……」
もしあの二人組が捕まって、本当のことがバレたらどうしよう……
しかし、こうなったからには仕方ない。バレたらバレた時だ。
あきらめてシンジの後について行くと、玄関が破壊された家の前に青い車が停めてあった。これに乗ってきたようだ。
「あの……」
車に乗り込もうとしたところで、足を止める。前から気になっていたことがあった。
「チャンピオン、引退しちゃったんですよね」
「ああ、もう二年くらい経つな」
その衝撃的なニュースは、カントーにも伝わっていた。
当然と言えば当然だ。カントーのチャンピオン――つまりナオトの父に敗北した後、すぐに発表されたのだ。本人は、勝っても負けても引退するつもりだったと言ってはいたが……
「どうして――」
その時、一台のタクシーが猛スピードで走ってくるのが見えた。
タクシーはこちらの目の前で停車し――後部座席のドアが、開いた。
「――あ・な・た」
その瞬間、マユカとシンジの顔から一気に血の気が引いた。
ゆったりとした仕草でタクシーから降りたのは、一人の女性だった。
女性は笑顔で、しかし、周囲にどす黒いオーラを放ちながら、一歩、前に踏み出すと、
「どうしてカントーに、い・る・の・か・な?」
「ヒ……ヒカリ……これはその……」
「奥さん、荷物とポッチャマ、ここに置いときますんで……」
運転手はバッグとポッチャマを適当な場所に降ろすと、タクシーは全速力で走り去った。
それはさておき、シンジは引きつった声で、
「な、なぜここが……」
「あなたのケータイのGPS追ってきたのよ!」
激しい脱力感に、ナオトは膝をついた。
ヒカリは怒りで顔を歪ませ、
「どういうこと!? フタバ祭りをドタキャンなんて!」
「ドタキャン!?」
「フタバ祭り?」
驚くマユカに聞くと、彼女は小声で、
「フタバタウンで毎年やってるバトル大会だよ。で、今年は優勝者とパパがバトルすることになってたの」
「つまり、それをすっぽかしてキミを追ってきたってこと!?」
衝撃的な事実に、目が丸くなる。
「それはその、万が一、誘拐かなにかだったらと思うと……」
「電話一本かけりゃ済むことでしょ!」
「電源を切られた……」
「だからって、あなたが行く必要がどこにあるのよ!? なのに何? 私にも黙って勝手なことして! お祭りはドタキャンする、仕事は無断欠勤する、電話にも出ない! いい大人が何考えてんのよ!?」
ナオトは恐る恐る、
「あのー。そのお祭りはどうなったんです?」
「通りすがりのジュンに代役頼んでごまかしたわ」
「ジュン?」
「パパとママのおともだちの、なんかうるさいおじさん」
「ああ……パパの知り合いにいたっけ」
マユカの手短な説明に、ぼんやりと思い出す。その人はたしか……
ヒカリは目元をハンカチで押さえ、涙をこらえながら、
「ジュンの気持ち、わかる? 引退したとはいえ、チャンピオン経験者とのバトルが出来る……町を上げて大々的に宣伝して、みんなの期待を散々あおっておきながら、出てきたのがジュン……お客さんにガッカリされるわ次々帰られるわ……その時のジュンの気持ちがわかる!?」
「……罰金を払う覚悟は出来ている」
「罰金どころじゃないわよ! さすがに落ち込んで燃え尽きたボクサーみたいになってたのよ!? 損害賠償請求されても文句言えないわよ!」
奥さんが旦那を責め立てる声を聞き流しながら、ナオトは自分の記憶を探っていた。ジュン。ジュン……
「ねえマユカ」
「ん?」
「そのジュンって人、タワータイクーンじゃなかったっけ? シンオウのバトルフロンティアの」
「そだよ」
「シンオウのタワータイクーンって、四天王クラスの実力者じゃなかったっけ?」
「うん」
「……そりゃ、自信喪失するよなぁ……」
最初からタワータイクーンが出るとわかっていたならまた違っただろうが、代役扱いで、しかも客にそんなリアクションを取られては……
「あとそこの家! なんで玄関が壊れてるの!? あなたがやったんじゃないでしょうね!?」
「違う。あれは俺じゃない」
――あんたです。
思わずつっこみそうになったが、正座させられ、怒鳴られまくる姿に哀愁を覚え、黙っておいた。
「まったく、昔は自分にも人にも厳しいしっかりした人だったのに、娘が絡むとなんでそう……ぬるいの!? 次同じことしたら、おこづかいカットどころかナシよ! いいわね!?」
――おこづかい制……
かつて、シンオウ最強のトレーナーとして君臨した男が、家では奥さんに行動を監視され、サイフまでがっちりつかまれている。そんな悲しすぎる現実に、ナオトは目頭が熱くなった。
ヒカリは今度はマユカの首根っこをつかむと、
「そもそもマユカ! あなたが勝手なことするからこんなことになったのよ!? シンオウに帰ったら覚悟しときなさい!」
「うわーん! ママ、ごめんなさーい!」
なんとなく、マユカの母がリングマに見えた。父の古いアルバムに写る姿を見た時はかわいい女の子だと思ったが、かわいいヒメグマもいずれリングマに進化するということだろう……
げんこつを喰らい、泣きわめくマユカから視線をはずし、足下を見ると、
「……騒がしいね。キミんち、いつもこんな感じ?」
「ポチャ」
慣れているのか、ポッチャマが呆れた顔でうなずく。
娘を心配するあまり、大事なバトルをすっぽかしてまで駆けつけるとは。
「僕んちとは、まったくちがうね……」
父ならどうしただろう。
考えたところで、答えはひとつだ。
きっと、来ない。
「あら、もうこんな時間」
ヒカリは腕時計を見て、空を見上げる。空は薄暗くなっていた。
彼女は車の助手席に乗り込み、シートベルトをしながらため息をつくと、
「仕方ない。今日は一泊して、明日帰りましょ。ひとまずジュン達には電話であやまって、帰ったら直接頭下げに行くわよ。私も一緒に行くから」
「……すまない」
「過ぎたことは仕方ないし、もういいわよ」
怒るだけ怒ったらスッキリしたらしい。さっきまでの怒り狂ったリングマの形相は消え去り、普通の奥さんの顔になっていた。引きずらないタイプなのだろう。
全員乗り込むと、車はゆっくり発進する。
ヒカリはナオトに目をやると、
「それにしてもナオト君、大きくなったわね。一年前にトレーナーデビューして旅に出たって聞いたけど、今はどうしてるの?」
「……今はハナダシティに住んでます。旅は、してません」
「そうなの? じゃあ、ジムのお手伝いしてるの?」
「ポケモンの世話や管理程度なら」
聞かれたことにのみ答える。
マユカがずいぶんおとなしいと思ったら、父子そろって目が死んでいた。しゃべる気力も残っていないようだ。
「最初のパートナーはヒトカゲだったわよね? それからどんなポケモンゲットした?」
「ヒトカゲは、今はリザードです。他のポケモンは……全部、オーキド博士に任せました」
「任せた?」
「今、手元にいるのはリザードだけです。旅の途中でゲットしたポケモンは、博士の好きにしていいと伝えてあります」
「え? ……いいの?」
「はい。博士ならいいようにしてくれます」
しばらくの間、ヒカリが聞き、ナオトが答えるというやり取りが続き――
「あの」
質問攻めに耐えかねて、ナオトから口を開いた。
「二人とも、もう現役は引退したんですよね?」
「ええ。私は主婦やってるけど、この人はトレーナーズスクールの先生やってるわ」
「ずいぶん話題になったみたいですけど……でも、どうして引退しちゃったんです? 別にチャンピオンやりながらでも良かったんじゃあ……」
「単純に、ひとつのことに専念するためだ。あれをしながらこれもやるなんてことをしていると、中途半端になる」
「はあ……」
すでにどこかで聞いたことのある答えが返ってきた。
たしかにもっともらしい理由ではあるが、納得出来るかと聞かれると、答えはノーだ。
むしろ、四天王の誰かに負ける前に――自分が一番強いうちに退いたと言われたほうが納得する。むろん、これを言ったのはテレビのコメンテーターなのだが……
ふと窓の外を見ると、ハナダジムの看板が見えた。
「――あ、そうだ」
あやうく忘れるところだった。
「警察の前に、ちょっとジムに寄りたいんですけど」
「ジム?」
「確認したいことがあるんです。十分程度で戻りますから、待っててもらえますか?」
特に断る理由もなく、車はハナダジムの近くで停車した。
「……やっぱり。作動しないわけだ」
警報装置の制御盤の扉を開け、ナオトは納得した。すべて電源が切られている。
電源スイッチを入れると、問題なく作動した。壊れていたわけではなく、単純に電源が入っていなかっただけのようだ。
警報装置以外の機材も確認するが、どこにも異常はない。警報装置だけがいじられている。
「一体誰が……」
そもそも、制御室と制御盤の扉にはそれぞれ鍵が掛けられている。外部の者はもちろん、ポケモンのイタズラということもない。
「――リザッ」
首をひねっていると、モンスターボールからリザードが勝手に出てきた。
「なに? 勝手に出てくるなんてめずらしいね」
リザードは無言のまま――なにか物言いたげな顔で、ナオトをにらみつける。
「なんだよ……まさか誘拐のこと、怒ってるの?」
言葉がわかるわけではない。しかし、ナオトの行動をよく思っていないことは確かだ。
「……わかってるよ。バカなことしたってのは。でも未遂で終わったんだし、もういいだろ」
「…………」
「……ヘンなやつ」
無言のリザードから目をそらすと、卓上のモニタに目が留まる。
電源を入れたことで防犯カメラが起動したようだ。モンスターボールの保管庫の映像が映っていたが――妙な違和感があった。
「え?」
ない。
ボールストッカーにあるはずのモンスターボールが、ない。
あの二人組に奪われそうになったが、出る前にすべて元の場所に戻したはずだ。
「リザード、来い!」
建物の中すべての照明スイッチを入れると、慌てて制御室から飛び出す。
保管庫はジムのバトルフィールドでもあるプールから行ける。
急いでプールに駆け込むと、視界が暗くさえぎられた。
「え?」
明かりはつけたはずだ。なぜ暗いのか見上げると、目の前に、大きな人型がそびえ立っていた。
「――リザーーーーーーーッ!」
立ちつくすナオトの横をすり抜け、リザードが飛び出す。
リザードの体当りで人型は後ろに下がり、ようやくそれがポケモンだと認識する。
「カイリキー!? なんで……」
待ちかまえていたのはカイリキーだった。もしリザードがいなければ、今頃殴り飛ばされていたかもしれない。
「やーっと帰ってきたわね」
リザードとカイリキーがにらみ合う中、知らない女の声が聞こえた。
振り返ると、プールサイドに若い男女二人組がいた。おそろいの青い制服を着て、帽子を深くかぶっている。
「その格好……警備会社の……」
「この前はどーも」
男の言葉に確信する。
先週、点検のために警備会社のスタッフを入れた。その時の男女二人組だ。
そして二人の足下には、ボコボコとふくらんだ大きなバッグが置かれている。中身は容易に想像がついた。
「まさか、ジュンサーさんが言ってたポケモン泥棒!?」
「ご名答」
「事前に連絡入れると、割と引っかかってくれるのよねー」
そう。電話連絡があったので特に不審に思わなかったが――考えてみれば、ジムの電話番号は公開しているし、契約している警備会社も、入り口にシールが貼ってあるのですぐにわかる。後は制服さえなんとかすれば、なりすましは簡単だ。
そして堂々と上がり込み、警報装置の電源を切り、日をあらためてやってきたのだ。
「で、でも、なんで今日なのさ? 忍び込むチャンスなんていくらでもあっただろ。なんで僕が帰ってくるのを待ってたみたいに……」
「俺達の本当の狙いは、ジムのポケモンじゃない」
「さすがのチャンピオンマスターも、我が子を人質に取られちゃ手も足も出せないでしょうしね」
チャンピオンマスター。
その言葉に、この二人がこれからしようとしていることを悟る。
「じゃあ、最初っから僕が狙い?」
「そうよ。正確にはあんたじゃなくて、あんたのパパのポケモンだけどね」
「ポケモンもひとつの財産だからな。チャンピオンの財産を根こそぎいただくことになる」
「――そんなことしたら、パパがトレーナーじゃなくなっちゃうじゃないか!」
気が付くと、反射的に怒鳴り返していた。
ポケモンを失うということは、チャンピオンの称号を失うだけでなく、トレーナーですらなくなるということだ。
しかし、二人は不気味な笑みを浮かべ、
「いいじゃない。どーせあんたのパパ、もうポケモンが必要ないんだから」
「どういうことだよ?」
「お前だって望んでるんだろ? そうでなきゃ、自分の親父のポケモンをダシに、あの二人をそそのかさないもんなぁ」
その言葉に、全身が凍り付く。
「な、なんのことさ……」
「とぼけなくていいのよ。単に盗聴器も仕掛けておいただけのことだから」
「ま、あの先客は予想外だったけどな」
ここ数日の自分達の会話が筒抜けだったという事実に、背筋が寒くなる。気持ち悪い。
そしてこの二人は、あの二人組とは違う。
あの二人組は超えてはいけないラインを守っていたが、この二人は、目の前の利益のためなら手段は選ばない。
逃げなければ、まずい。
「リザード、『かえんほうしゃ』!」
「リザーーーーッ!」
リザードの口から炎が勢いよく吐き出され、そのスキに逃げようとするが、
「スリープ!」
男が投げたボールからスリープが飛び出し、出口に立ちふさがる。
「ポケモンを置き去りに、自分だけ逃げるつもりか? スリープ、『さいみんじゅつ』!」
「――リザッ!?」
リザードが振り返り、慌ててスリープに襲いかかろうとしたが、
「カイリキー、リザードをおとなしくさせなさい」
「リキー!」
そのスキを突いて、カイリキーがリザード目掛けて拳を振るう。
ナオトは、自分の背後から争う音が聞こえながらも、正面に立つスリープから目をそらせなかった。
そらせないまま意識が遠のき――リザードの悲鳴と、水の中になにかが落ちる音を最後に、意識はぷっつりと途切れた。
* * *
すっかり日は落ち、街灯が街を照らしゆくさまを車内で眺めながら、シンジはぽつりと、
「……遅いな」
「いいじゃないちょっとくらい」
ヒカリはそう言うが、すでに十分は過ぎた。
ジムに視線を向けると、窓から明かりがもれている。まだ中にいるようだ。
ヒカリは後部座席のマユカに目をやり、
「ねえマユカ。あなた、どうしてカントーに来たの?」
「え?」
「ママにも言えない?」
「…………」
マユカがこちらを気にしていることに気づき、車を降りる。
ドアを閉めようとして――車のエンジン音が聞こえた。
振り返ると、ジムの裏手から白いワゴン車が出てきた。ワゴンはこちらを横切り、あっという間に走り去る。
ハナダジムは今日は休館のはずだ。そして留守番のナオトも今まで出かけていて、無人。車が出てくるのは不自然だった。
「……様子を見てくる」
「――あ! マユカも行く!」
マユカは逃げるように車を降り、こちらの後を追ってくる。
「ちょっとマユカ! ……もう」
ヒカリも車から降り、結局、三人そろってジムへ向かう。
正面玄関は閉まっていたので裏に回ると、
「あれ?」
一匹のピチューが、裏口のドアをカリカリ引っかいていた。
マユカは目を見開き、
「ああ! あんた、あの時のピチュー!?」
「ピ……ピチュ!?」
ピチューもマユカに気づき、慌てて身構える。
マユカはボールからナエトルを出すと、
「ここで会ったが百年目! 今度こそゲット!」
「――ちょっと待って。このピチュー、ここの子じゃない?」
「え?」
ヒカリはピチューの顔をのぞきこみ、
「あなた、サトシのピカチュウの子でしょ? 一匹ナオト君に任せたって聞いたけど、あなたがそう?」
「ピチュ! ピチュー!」
ヒカリの質問に、ピチューは慌ててうなずく。
「じゃあ野生じゃないの? なーんだ……ナオトも言ってくれりゃいいのに」
「残念だったな」
肩を落とすマユカを横切り、ドアノブを回すとあっさり開いた。すぐ戻ると言っていたので、鍵を掛けなかったのだろう。
「ピチュチュー!」
ドアが開いたとたん、ピチューは隙間から中に入り込み、廊下を走る。
その後を追うとプールに出た。廊下もそうだったが、明かりがつけっぱなしで、プールサイドでピチューが立ちつくしている。
「どうし――」
声をかけようとして、やめる。立ち止まった理由はすぐわかった。
マユカも血相を変え、
「ナオトのリザードだ! なにこのケガ!?」
慌てて駆け寄り、リザードを抱き起こす。
ピチューの前に倒れていたのはリザードだった。プールに落ち、自力ではい上がったのかずぶ濡れになっている。
それにしても、自力ではい上がれたのが不思議なくらいひどい傷を負っている。シッポの炎が今にも消えそうだ。
「ピチュチュー! ピッチュー!」
ピチューが、悲鳴にも似た声を上げる。
「ナオトは? リザードほったらかしにして、ナオトはどこ行ったの?」
「まさかさっきの車……」
嫌な予感が強まる。モンスターボールからエレキブルを出すと、
「建物の中に誰かいないか捜してこい!」
「ブル!」
「ポッチャマ、あなたもお願い!」
「ポチャッ!」
ヒカリの指示に、ポッチャマはエレキブルとは反対方面の捜索に向かう。
「ピチュー! ピチューチュー!」
ピチューは泣きそうな顔でリザードを揺さぶり、必死に呼びかける。早くポケモンセンターに連れて行くべきだが、その前に、
「お前、タオルや救急箱の場所は知ってるか? とにかく応急処置を――」
「パパ、これ!」
振り返ると、マユカが救急箱を抱えて走ってきた。
「どこで見つけたんだ?」
「そこのベンチに置いてあったんだけど……ねえ、なにこの紙?」
差し出された救急箱の持ち手部分に、折りたたまれた紙がはさんであった。
紙を広げ、ざっと目を通すと、
「……ヒカリ、サトシと連絡は取れるか?」
「え、ええ」
紙に書かれた内容は、定番中の定番の内容だった。