「……まったく、もっと子供らしい顔して写ればいいのに」
大きめのコルクボードに貼られた一枚の写真を手に取り、思わず苦笑いを浮かべる。
ボードには複数の写真が貼られていた。白衣姿の幼なじみと一緒に、もらったばかりのポケモンを抱えた子供達が写っている。
皆、この研究所でポケモンをもらい、旅立った子供達だ。最初はただの記録のつもりで写真を撮っていたらしいが、いつの間にか、見送る前の恒例になってしまったらしい。
写真に写る子供達は、ポケモンをもらって素直に喜んでいる子、不安なのかぎこちない顔をしている子と、様々だ。
そして手にした写真に写っていたのは、フシギダネを抱え上げたやんちゃそうな男の子と、ゼニガメを抱いたおとなしそうな女の子、そして、そっぽを向いたヒトカゲを抱いたナオトが写っている。
写真を撮るまでに一悶着あったのか、焦げた姿で、引きつった笑みを無理矢理浮かべている。お世辞にも、これからの旅を楽しみにしているようには見えない。
「――お待たせ」
ようやく待ち人がやってきた。
くたびれた白衣を着た幼なじみに、サトシはため息をつくと、
「遅いぞシゲル。来るって言っただろ?」
「ごめんごめん……ちょっと急用で。コーヒー淹れるから座ってよ」
シゲルは適当にごまかすと、コーヒーの準備を始める。
「そういえば、カスミは?」
サトシはソファに座り、
「母さんに料理教わりに行った。この間、メシのことでナオトに『おばあちゃんの子に生まれたかった』って言われたのがよっぽどこたえたみたいだな」
「おばあちゃんの子なら、キミの弟になっちゃうじゃないか」
笑いながら、コーヒーメーカーのスイッチを入れる。
シゲルはサーバーにコーヒーが落ちていくのを眺めながら、
「ナオト、帰ってきてからも相変わらず?」
「まったく口利いてくれないんだよなぁ。一応トレーナーズスクールに通わせてるけど、しょっちゅうサボってるみたいだし。……家にもいたくない、学校にも行きたくない。家出同然に旅に出て……でも、旅先でも嫌なことがあったみたいでさ。あいつ、居場所がないんだよ」
「ふぅん……」
相づちをうつと、戸棚からマグカップを取り出し、コーヒーを注ぐ。
「ナオトの気持ち、僕にはわかる気がするな」
「シゲルが?」
「人が恐いんだよ」
言うと、コーヒーの入ったカップをサトシに渡す。
「負けようものなら、言われるのは『チャンピオンの子のくせに』。勝ったら勝ったで『さすがチャンピオンの子』。誰も自分を見てくれない。なのに注目されてるような気ばかりする。そりゃあ疲れるし、面白くもないよ」
言って、コーヒーを一口飲む。
「ま、そうやって自分を追い込んでるのは自分自身なんだけど……気づくまで、結構時間がかかるんだよね」
「シゲルもそうだった?」
「今だから言えるけどね」
幼なじみはあっさりと肯定した。
彼は向かいの席に座ると、
「誰かにああなれこうなれなんて言われたことないのに、自分で勝手に気負っちゃってさ。自分は他とは違うんだって必死に言い聞かせて……でも結局、普通の子と何も変わらなくて。今のナオトもそんな感じかな?」
「…………」
その言葉を聞きながら――なんとなく、自分よりも彼のほうが、我が子のことをわかっているような気がした。
「……俺、いないほうがいいのかな」
気がつくと、そんなことを口にしていた。
湯気の立つコーヒーに視線を落とすと、
「あいつにとって、いい父親になりたいとは思うんだけど……俺自身、父親ってものを知らないからなぁ」
「で、逃げちゃうわけだ」
「やっぱそう思う?」
「思うね。カントー最強のトレーナーにも、弱点はあったってわけだ」
「そっかぁ……やっぱ逃げてるのかな、俺」
痛いところを突かれ、苦笑する。
「――あ。ところで、相談ってなんだ?」
思い出したのか、シゲルは突然話題を変える。
「直接来たってことは、結構深刻なんじゃないのかい?」
「ああ……実は――」
その時、奥の研究室から激しい物音が聞こえた。
物が落ち、何かが叩きつけられるような――争うような音だ。
「なんだ?」
この研究所にはポケモンがたくさんいるので、ポケモン同士ケンカすることなどしょっちゅうだ。
とはいえ、それは研究所の外での話。建物の中にいるポケモンは大体決まっている。
慣れているのか、シゲルは呆れた顔で、
「またあの二匹か? いつも外でやれって言ってるのに……」
カップを置くと、二人そろって研究室に向かう。
ドアを開けた瞬間、
「――ヂャーーーーーーーーッ!」
サトシの胸に、ピカチュウが飛びついてきた。
「ピカチュウ? 何やってんだお前?」
「ピーカー! ピカピカ、チュー!」
ピカチュウは震えながら部屋の奥を指さし、サトシの後ろに隠れる。
暴れたからなのか元からなのか、床には本や書類が散らばり、机の向こう側で何かが動いた。
「なんだ?」
「ラ~イ……」
奥の暗がりから、のっそりと現れたのはライチュウだった。シッポの先が丸いので、メスのようだ。
「あれ? なんでライチュウが……」
「――あーーーーーーーーーっ!」
突然、シゲルが大声を上げ、床に落ちていた小箱を拾い上げる。
「ない! 雷の石! 研究用に取り寄せたやつ!」
そして、ライチュウに向かって、
「お前、さては勝手に使ったな!?」
「へ?」
サトシはライチュウをまじまじと眺め、
「ひょっとして……チュチュ?」
「ラーイ」
うなずくライチュウに、シゲルは困惑した顔で、
「ダメじゃないか! 勝手に石を使っちゃあ!」
「ピッカ! ピカピカチュー!」
そうだそうだと、サトシの肩の上でピカチュウがうなずくが、
「ライ?」
「ピッ……!」
にらまれ、すくみ上がる。
突然、自分より大きくなってしまった奥さんに、ピカチュウが混乱するのも無理ないが――まあ、進化してしまったものは仕方ない。
「ピカチュウ」
サトシは肩に乗ったピカチュウを、そっ……と床に下ろすと、まるで悟りを開いた修行僧のごとき穏やかなまなざしで、
「夫婦ゲンカはガーディも食わないんだ」
「…………!?」
その言葉に――ピカチュウが、石化した。
そして、
「ラーーーーーーーーイッ!」
「チャ~~~~~~~~!」
部屋の外へとちょこまか逃げるピカチュウを、ライチュウがズドドドと追いかけて行く。
それをあたたかく見送ると、
「それにしても、なんで進化を……」
「まさか、夫婦ゲンカの当てつけ……?」
シゲルが呆然とつぶやく。
「たしかに今回は激しいな。何が原因なんだ?」
「あー……」
「シゲル?」
心当たりがあるのか、シゲルが目をそらす。
『ピッチューーーー!』
その時、三体のピチューが部屋の中に駆け込んできた。とばっちりを恐れて逃げてきたようだ。
サトシはピチューの数を数え、
「あれ? ナオトのピチューはどうしたんだ?」
その疑問に、シゲルがギクッとすくみ上がった。
「シゲル?」
目が泳いでいる。
そして彼は目をそらしたまま、気まずそうな顔で、
「それがその……行方不明なんだ」
「え?」
「三日前にいなくなって……あいつの脱走癖は今に始まったことじゃないし、すぐ見つかるだろうとタカをくくってたんだけど……」
「ええ!?」
今さらな告白に、サトシは目を丸くして、
「なんで黙ってたんだよ!? それでチュチュが荒れてたのか!」
「ごめん。実は、ピチューが野生のポポッコの群れと遊んでいるのを見たって情報が入ってね。それで捜しに出かけていたんだけど……よくよく話を聞いたら、見たって言うのがいなくなった日でさ。今頃空の旅してるかも」
「まったく……しっかりしてくれよ、オーキド博士~」
「キミに言われたくないね。キミのそのポケモンに対する情熱を、もうちょっとナオトに向けてやれば良かったんだ!」
「う。……って、問題をすり替えるな!」
その時、サトシの携帯電話が鳴った。
ポケットから取り出し、画面に表示された名前を確認する。
「ヒカリからだ」
「ヒカリ?」
通話ボタンを押すと、
「もしもし?」
『サトシ、今どこにいるの?』
「どこって……マサラタウンだけど」
様子がおかしい。
電話越しに伝わってくる緊迫感に眉をひそめ、
「どうしたんだ? 急に」
『ええと……私にもよくわかんないんだけど、リザードが大ケガしてて、ポケモンもいなくなってるの!』
「は? リザードがどうしたって? どこからかけて――」
『とにかく、ナオト君がいないの!』
「ナオト?」
『――ちょっと代われ』
別の声が割ってはいる。声の主はすぐわかった。
「シンジ? お前もどうしたんだ?」
『今、ハナダジムだ。こっちの事情は後にするが……単刀直入に言う。お前の息子、誘拐されたみたいだぞ』
「へ?」
一瞬、意味がわからなかったが、聞き返す間もなく、
『脅迫状を見つけた。要約すると、ナオトと引き替えにお前のポケモンを全部よこせって内容だ。あと、ナオトだけじゃない。ジムのポケモンも全部消えている。残っていたのはナオトのリザードと、ジムの入り口をうろついていたピチューだけだ』
――イタズラじゃないのか?
一瞬そう思ったが、
『不安をあおるわけじゃないが……犯人は残忍なヤツかもしれないぞ。リザードが重傷の上、プールに落とされたようだからな』
その言葉に、イタズラの可能性はあっさり消えた。イタズラでリザードを痛めつける理由が思いつかない。ということはつまり――
「サトシ? なんて言ってるんだ?」
怪訝な顔で聞いてくるシゲルに、サトシは呆然とした顔で、
「ナオトが誘拐されたって……」
「誘拐!?」
シゲルの声が聞こえたのか、暴れていたピカチュウとライチュウが何事かと戻ってくる。
『――リザード! 落ち着いて!』
『パパ、リザードが!』
突然、電話の向こうからヒカリやリザードの声が聞こえた。
リザードはひどく興奮しているらしく、暴れる音がこちらにまで聞こえてくる。
「お、おい! 大丈夫か!?」
聞くが、返事はない。
その代わりに、爆発する音と、悲鳴が聞こえた。
『――マユカ!?』
『――ピチュー!』
「え? おい、どうした!? マユカも来てるのか?」
ピチューらしき声も聞こえた。
そして物音に紛れて、リザードの声が聞こえる。
いや、これは――
――リザードン?
リザードよりも重みのある鳴き声。そして、羽音。
「おいシンジ!? 誰でもいいから返事しろ!」
通話が切れる。
何がどうなっているのかわからないが、何かとんでもないことが起こっている。それだけは確かなようだ。
「ピカチュウ、来い!」
「ピ?」
携帯電話をポケットに戻すと、外へ向かう。
玄関を飛び出すと、箱を手にしたカスミがやってきた。
「あ、サトシ。お義母さんと一緒にカップケーキ焼いたんだけど――」
カスミの横を通り過ぎ、ボールからリザードンを出すと、
「先にハナダシティに帰る! 事情はシゲルから聞いてくれ!」
「へっ?」
それだけ言うと、サトシはピカチュウと共にリザードンにまたがり、あっという間に飛び立つ。
カスミは慌てて、
「ちょっと! どうしたのよ!?」
「――カスミ!」
遅れてシゲルも研究所から飛び出し、
「車出すから、僕達もハナダシティに向かうよ。なんだかまずいことが起こってるみたいだ」
「まずいことって……」
ただならぬ状況に、カスミの顔色が変わる。
「ナオトに何かあったの!?」
その可能性に、カスミが手にした箱が地面に落ちた。
「うわー……」
飛んでる。
リザードンの首にしがみついたまま、マユカは地上を見下ろしていた。
リザードは突然進化すると、天井を破壊した。
そして飛び立つのを止めようとしたら、こうなった。
「ちょ、ちょっと! どこ行くの!?」
我に返った瞬間、その高さにめまいがした。ジェットコースターの比ではない。一瞬でも気を緩めれば吹っ飛ばされ、地上へ向かって真っ逆さまだ。
「――ピチュッ!」
「あんたも来たの?」
いつの間に入り込んだのか、服の中からピチューが顔を出す。ナエトルを置き去りにしてしまっただけに、この存在は心強い。
吹き飛ばされないよう、手に力を込めると、
「リザードン、どこ行くの!? ねえ!」
風を切る音に負けないよう、大声を張り上げる。
街はどんどん遠ざかり、明かりも見えなくなってきた。
「ひょっとして……ナオトのとこ? 場所、わかるの!?」
リザードンが声を上げる。
前方に目を向けると、黒い山の陰が見えた。
* * *
うつぶせに寝そべったまま、ナオトは目を開けた。
真っ暗でなにも見えない。ざらざらしたマット越しに、金属の感触がする。
体を動かそうとしたが、手足が縛られ、まともに動けない。
何がどうなっているのだろう。前後のことがよく思い出せない。目が覚める直前まで、なにか夢を見ていたような気がするが、内容はさっぱり覚えていなかった。
ただ、最後に水の音が――なにかが水の中に落ちるような音が聞こえた気がする。
「――スリ~……」
低い声に驚くと、すぐ目の前で小さな光が灯る。
「スリープ?」
顔を上げると、スリープが長い鼻をひくひくさせていた。
スリープの『フラッシュ』で辺りは照らされ、ようやくここが車の中だと気づく。ワゴン車の荷物室のようだ。
「ちょっと……なんだよこれ? どうなってんのさ」
背を反らし、辺りを見回す。見張りらしいスリープ以外誰もいない。窓もないので外の様子もわからない。
「ねえ。ここってどこ?」
「…………」
「って、ポケモンに聞いても仕方ないか」
ごろりと寝転がる。手が後ろで縛られているので横向きだ。
そして次第に、自分の置かれた状況を理解する。狂言誘拐の後で、まさか本当に誘拐されてしまうとは。
「なんでこうなっちゃうんだよ……」
最初は、両親をちょっと脅かすだけのつもりだったのに。
それもこれも――
「……まったく、親のせいで損ばっかだよ」
自然と、そんな言葉が口から出る。
「みんなパパやママのことを知ったとたん、僕と仲良くしようとしてさ。下心丸見えなんだよ」
いつからだろう。周囲の自分を見る目が気になり出したのは。
自慢の両親だったはずなのに。
……一度は旅に出ることを決めたのは、それから逃げ出したかったからなのかもしれない。
ふと、スリープがこちらの目の前に立っていることに気づく。
その目はまるで――
「……なんだよ。ポケモンが人に同情?」
目が覚めた時、スリープが鼻をひくひくさせていたことを思い出す。
スリープはその鼻で見ている夢をかぎわけ、食べるのだという。楽しい夢が好物だと言われているが――
「僕のまっずい夢でも食べたわけ? 気持ち悪い」
寝返りをうち、スリープに背を向けると、
「第一、同情されるべきはキミのほうだろ。こんなセコい悪事に利用されてさ。見た目もかわいくないし。はっきり言って、キミみたいなのに同情なんてされたくないんだよ」
スリープが、動いた。
横目で見ると、スリープはこちらに背を向け――背中合わせに、腰を下ろした。
「……あっち行ってよ」
「…………」
「……ヘンなヤツ」
人間の言葉がわからないのだろうか。突き放す言葉をかけても、スリープは微動だにしなかった。
しばらく、互いに背を向けたまま黙り込み――
「……キミさ、もしトレーナーが選べたら、どんな人を選ぶ?」
横になったまま、気が付くとそんなことを聞いていた。
我ながらバカげた質問だ。答えなどわかりきっている。
「どうせなら、やさしくて、かわいがってくれる人を選ぶんだろうね。自分のことを真剣に考えてくれて……自分のことを一番わかってくれる人」
スリープは、やはりなんのリアクションも返さなかった。ただただ、一点のみを見つめている。
「……そうだよね。どうせなら……そんな人がいいよね」
リザードはどうなったのだろう。よく覚えていない。
その代わりに、
――ポケモンを置き去りに、自分だけ逃げるつもりか。
誘拐犯に言われたことを思い出す。そう。自分はあの時、リザードを足止めに、自分だけ逃げようとした。ジムのポケモンもだ。
「リプ……」
「どうしたの?」
突然スリープが立ち上がり、外を気にし始める。
耳を澄ませると、風がうなる音が聞こえた。
『――おい、なんだあれ?』
外から声がする。どうやらあの二人は、車のすぐ近くにいるようだ。
――アアァァァァァァァァァッ!
今度はポケモンの声が聞こえた。カイリキーではない。
「なに? なんの声?」
「リ~プ」
スリープが振り返ると、突然、手足の拘束が緩んだ。
見ると縄が光に包まれ、勝手にほどけてゆく。
「……逃がしてくれるの?」
「リプ、リ~プ」
スリープはさっさと行けと、超能力で荷物室の鍵を開ける。
逃げたいのは山々だが、足がしびれて動けない。それに、
「僕がいなくなったら、後でキミがあぶないんじゃないの?」
「…………」
スリープは無言だった。普段、このスリープがどんな目に遭っているのかは知らないが――
「……来る? 一緒に」
「リプ?」
予想外だったのだろう。スリープは初めて驚いた顔を見せた。
自分がいいトレーナーだとは思わない。しかし、犯罪者の元にいるよりはマシなはずだ。
戸惑うスリープに手を伸ばし――
「――リ~プ!」
「!?」
スリープは突然こちらに抱きつくと、『バリアー』を張る。
そして車体になにかがぶつかったのか、車は横転し、そのままどこかへ転がり落ちて行った。