「いっつ~……」
「リ~プ、リプリプ?」
大丈夫か? と、スリープが頬をぺちぺち叩く。
「あ……ありがと。助かったよ」
体を起こし、礼を言う。スリープがいなければ『痛い』程度では済まなかったかもしれない。
横転した車からはい出て、辺りを見渡す。
どこかの山の中腹らしい。ごつごつした岩壁に、少ない木々。遠くに街の明かりが見えた。
「ひょっとして、お月見山?」
スリープに照らしてもらい、落ちた場所を確認する。斜面から落ちたようだが、思ったほど高くない。傾斜も緩いので、簡単に登れそうだ。
――ザアアァァァァァァァッ!
「!?」
その声にすくみ上がる。カイリキーの声も聞こえるので、争いが起こっているようだ。
「な、なに!?」
上からだ。
斜面を登ろうとして、
「リプ……」
スリープが、服の裾をつかんだ。
『行くな』と言っているようだが、状況が知りたい。
「スリープ、明かり消して。様子を確認したらすぐ逃げるよ。それでいいだろ?」
スリープは悩んだようだが、素直に明かりを消した。
そしてスリープと共に斜面を登り、恐る恐る顔を出す。
わずかな木や草が燃え、辺りを照らしている。炎に照らされ、見えたのは、
「……リザードン?」
カイリキーと戦っていたのはリザードンだった。
一瞬、父のリザードンかと思ったが、違う。
「まさか……リザードなの?」
――無事だったんだ……
そのことに安堵するが、それとほとんど同時に、
「――ナオト!」
女の子の声に、すくみ上がる。
思わず振り返ると、誘拐犯の男がなぜか小脇にマユカを抱えていて――マユカの目が、しっかりこちらを向いていた。
――バカ呼ぶな!
『ん?』
内心叫ぶがもう遅い。マユカの声に犯人二人はこちらに振り返り、あっさり見つかってしまった。
「あら、無事だったの?」
「――ピチュチュー!」
「ピチュー!?」
マユカだけでなく、なぜかピチューまでいた。ゴム手袋をはめた女にシッポを捕まれ、逆さ吊りになっている。
もはや隠れるだけ無駄だ。ナオトは斜面を登り切り、ヤケクソ気味に、
「一体どうなってんだよ!? なんでキミとピチューまでいるの!? しかも捕まってるし!」
「なによあんたのせいでこんなことになったんじゃない! どんだけ飛び回ったと思ってんのよ!」
男に抱えられたまま、マユカもヤケクソ気味に、
「リザードが進化したのよ! 進化して、あんたを捜してここまで来たの!」
「じゃあ、やっぱりあれは――」
リザードだ。
カイリキー相手に、ムチャクチャな戦い方をしている。バトルというよりも、怒り狂って暴れているだけのようだ。
「まったく、進化してまで追ってくるとは……とんだ誤算だ」
「でも進化したばかりのリザードンで、私のカイリキーに勝てるわけないじゃない。――カイリキー、『きあいパンチ』!」
「リキーッ!」
女の指示に、カイリキーが拳に力を込めるが、
「リザアアァァァァァァァァァァァッ!」
その時、リザードンの周囲で大気が震えた。
「なに!?」
「――待て! それはだめだ!」
ナオトの声は届かなかった。カイリキーがひるんだ瞬間、リザードンの爪が勢いよく振り降ろされる。
「リキーーーーーッ!」
「カイリキー!?」
カイリキーは大きく吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。
「カイリキー、戻るのよ!」
思わぬ形勢逆転に、女は慌ててカイリキーをボールに戻す。
「――スリープ!」
「リプ?」
突然呼ばれ、スリープがすくみ上がる。
男はリザードンを指さし、
「『さいみんじゅつ』!」
「リ……リ~プ!」
スリープはリザードンに怯えた顔をしていたが、命令は絶対らしい。リザードンの前にけなげに飛び出す。
「スリープ、逃げろ!」
ナオトの制止も無視して、スリープは『さいみんじゅつ』をかけるが――次の瞬間には、リザードンの尾に吹き飛ばされ、岩壁に叩きつけられた。
「スリープ!」
助けに行きたいところだったが、すぐ側でリザードンがところ構わず炎を吐いている。近寄るのは危険だ。
男は驚いた顔で、
「どうなってんだあいつ!?」
「怒りで我を忘れてるんだわ。こうなったらもう『さいみんじゅつ』も効かない」
女は歯噛みし――ため息をつくと、
「仕方ない。今回はジムのポケモンだけいただいて、この場は逃げましょ」
「クソ……役立たずめ! お前も邪魔だ!」
「ぎゃっ!?」
男はスリープのモンスターボールを地面に叩きつけ、ついでにマユカも放り捨てると、斜面を駆け下りる。
「あ……待て!」
「これもお返しするわ!」
「ピッチューーーーー!」
そう言って、女もピチューをこちらに向かって投げつける。
「ピチュー!」
慌てて受け止め、顔を上げると、二人の姿は闇夜に紛れてもう見えなくなっていた。
「ジムのポケモンが……!」
そのほとんどが、母が育てた水ポケモン達だ。
追いかけようにも、取り返す手だてはない。傷を負い、動けなくなったスリープもいる。それに何より、
「ちょ、ちょっと! リザードン、どうしちゃったのよ!?」
「……『げきりん』だよ」
犯人追跡はあきらめ振り返ると、自ら岩壁に体当たりし、暴れるリザードンがいた。
「あいつの『げきりん』はおかしいんだ。理性がぶっ飛んで、僕の言うことも聞かなくなる。まったくコントロール出来ないから、絶対に使うなって言ったのに……」
「それはそうとして、どうすんの!?」
「――そうだ!」
慌ててポケットを探ると、幸い、リザードンのボールが入れっぱなしになっていた。
「リザードン、戻れ!」
突き出したボールから赤い光線が伸びるが、リザードンは身をよじってそれを避ける。
「もう充分暴れただろう!? 戻るんだ!」
「リザ……リザァァァァァァァァァァァッ!」
再度、ボールから光線を放つが、リザードンは尾を激しく地面に叩きつけ、火の粉と砂煙を巻き上げる。
「リザード――あつっ!」
飛んできた石が手に当たり、その拍子に、モンスターボールが地に落ちた。
モンスターボールは、そのままリザードンの側まで転がり――
――グシャッ!
「あ……」
振り回していた尾が、ボールを砕いた。
故意なのか偶然なのかはわからない。
どちらにせよ、この瞬間から、このリザードンは誰のポケモンでもなくなった。
「――リザアアァァァァァァァァァァッ!」
すると突然、リザードンは飛び立ち、みるみる姿が遠ざかる。
「…………」
呆然とその場に立ちつくす。さっきまでリザードンがいた場所には、モンスターボールの残骸が落ちていた。
フラフラと残骸の前まで来ると、膝をつき、拾い上げる。ボールは真っ二つに割れ、再起不能だ。
――もしトレーナーが選べたら、どんな人を選ぶ?
さっき、スリープに言った言葉を思い出す。
「……そっか。そりゃそうだよね」
「ピ……ピチュチュ……?」
ピチューがこちらの顔をのぞきこんできたが、もうどうでもいい。
そういうことなのだ。
「――まったく、派手にやってるな」
その時、背後から呆れたような声が聞こえた。
「……パパ?」
ゆっくり振り返ると、ピカチュウを肩に乗せた父が、リザードン――これは父のリザードンだ――と共に立っていた。
「ピチュ!」
「ピチュー!」
ピカチュウが父の肩から飛び降り、飛びついて来たピチューを抱きしめる。
ピチューとピカチュウの再会を横目に、父はこちらに目をやり――そして、マユカに視線を止めると、
「マユカ、無事だったか?」
「へ? は、はい!」
真っ先に、マユカの無事を確認する。
マユカは首を傾げ、
「えーと、なんでここが?」
「――カラ~!」
その声に顔を上げると、一体のドンカラスが上空を旋回していた。
「パパのドンカラス!」
ドンカラスはマユカのすぐ近くに降り立ち、その背から、懐中電灯を手にしたポッチャマが飛び降りる。
「ポッチャマ、あなたも来てくれたの?」
「ポ~チャ! ポッチャマ!」
ポッチャマはうなずき、手にした懐中電灯をマユカに渡す。
「シンジ達が教えてくれた。マユカのおかげだ」
「あ、そっか」
マユカは首から提げた携帯電話を手に取る。GPSで追跡し、さらに夜目の利くドンカラスと、懐中電灯を持たせたポッチャマを使って誘導してくれたようだ。
父は近くで倒れていたスリープを抱き起こし、
「このスリープは?」
「犯人のポケモンみたいです。あいつら、捨ててっちゃった」
そう言って、マユカは犯人が捨てたスリープのボールを父に渡す。
「そっか……じゃあマユカ、お前に頼んでいいか?」
「へ?」
父はスリープをボールに戻し、それをマユカに差し出すと、
「シンジ達が近くまで来ている。このスリープを連れて、早く行ってやれ。二人とも心配してるぞ」
「は、はい~!」
ボールを受け取り、マユカはポッチャマとドンカラスと一緒に、父が指さした方角に慌てて走り去る。
それを見送り、姿が見えなくなると、
――ぱんっ!
思いっきり、平手打ちを喰らった。
「お前は一体何をやってるんだ!?」
さっきまでの顔が一辺、激高した様子で、
「ぼけっとしているヒマがあったら、今すぐリザードンを止めろ! お前のポケモンなんだぞ!?」
「…………」
父は頭に血が上っているようだが、逆に自分は、気持ちが冷めていくのを感じた。
「……昔っからそうだよね。家族よりポケモン優先でさ。そんなにポケモンが大事なの?」
「ナオト?」
「全部ポケモンのせいじゃないか。バトルして、競争して、ケンカの原因だっていつもそう。パパがウチに帰ってこないのも、僕がこんな目に遭ったのも、全部……全部、ポケモンのせいじゃないか!」
思い返せばいつもそうだった。
父が優先するのは自分ではなくポケモンだった。家に帰ってこないのも、いるのかいないのかもわからない伝説のポケモンを捜して、あちこち飛び回っているせいだ。
そしてさっきも、父が真っ先に無事を確認したのはよその子で――そして、ポケモンだった。
こっちはポケモンのせいで、誘拐までされたというのに。
「もううんざりなんだよ! ポケモンに振り回されるのは!」
壊れたモンスターボールを父の足下に叩きつける。
「それがリザードンの答えだよ! 結局あいつも、僕から離れたかったんだ! パパと同じだよ!」
「同じ?」
意味がわからない。そんな顔をする父に、ますますいらだちを感じる。
そして勢い任せに、
「誰だってそうだろ! どうせなら、もっといいトレーナーのポケモンになりたいだろうさ! パパだって、どうせならもっと素直でかわいげのある子が良かったでしょ!? 僕なんかいつも困らせてばっかでさ!」
気がつけば、腹の中に溜め込んでいたものを一気に吐き出していた。
長い――長い沈黙の末、
「……で」
父は、驚くほど静かな声で、
「言いたいことは、それだけか?」
「…………」
再び沈黙。
さっきまであんなに熱かった体が、急速に冷えていくのを感じる。
「……これ以上、なにも言うことなんてないよ」
「そっか」
父は素っ気なく返し、壊れたモンスターボールを拾い上げると、
「それで? お前、どうしたい?」
「え?」
「何から何まで、全部ポケモンのせい。それで? その上で、お前はどうしたい? 何がしたいんだ?」
「…………」
こちらが黙り込んでいると、父は待機していたリザードンの元に向かう。
「なにするつもりだよ?」
「なにもしない」
父はピカチュウを連れてリザードンにまたがると、
「ひとつ言っておくぞ。モンスターボールは、ポケモンを繋げておく鎖なんかじゃない。ボールが壊れたくらいで切れるほど、人とポケモンの絆はもろくないんだ」
それだけ言うと父はリザードンを上昇させ、どこへともなく飛び去る。シッポの炎が尾を引いて見えたが、岩陰に回ったのか、見えなくなった。
とうとう、父にまで見捨てられた。
「ピ……ピチュチュ……?」
見下ろすと、ピチューが不安げな顔でこちらを見上げていた。
「どっか行けよ」
「ピ……」
それだけ言うと、もはやピチューには目もくれず、下山を始めた。
「まったく、なんでこうなるのよー!」
ようやく山のふもとにたどり着き、女は愚痴をこぼした。
男もため息をつきながら、
「だから言っただろ。これまで通り、ジムのポケモンだけいただこうって。お前が余計な欲を出すから――」
「私が悪いって言うの!? あんただって乗ってきたじゃない!」
「『絶対うまく行く』って言ったのはお前だろ! だから俺のゴーリキーを交換して――」
その時、車のヘッドライトが見えた。
夜道をとんでもないスピードで、なのにまったく迷いもブレもない見事なハンドルさばきで、二人の前に急停車する。
そして運転席から、一人の女がゆっくりと降り立った。
「あんた達? ポケモンどころかウチの子まで連れ去ったっていうおバカさんは」
女の手にはひとつのモンスターボールが握られており――そして、中から巨大なギャラドスが姿を現した。
* * *
「シゲル、後をお願い! ――ナオト!」
もはやどっちがギャラドスなのやら。
たった今成敗した二人組にはもはや目もくれず、カスミはギャラドスに乗って我が子を捜しに向かった。
助手席から下りたシゲルは、呆然とそれ見送ると、
「あいつ……よくギャラドスと結婚したよな……」
あらためて、幼なじみの度量に感心するやら呆れるやら、複雑な気分になる。
まあ、それはそれとして、
「あーあ、確認もしないで吹っ飛ばして……」
振り返ると、たった今『はかいこうせん』で吹っ飛ばされた男女二人組が目を回していた。
二人組が落としたバッグに手をかけ、
「これで人違いだったらどうすんだよっ、と」
開くと、モンスターボールがぎっしり詰まっていた。幸い、犯人だったようだ。
「お月見山か……」
マサラタウンからお月見山まで、車で急いでも二時間以上はかかる。
が、途中でカスミにハンドルを奪われた結果、一時間半で到着してしまった。一体どんなショートカットをしたのかさっぱりわからない。
「さて、と。――ブラッキー!」
気を取り直し、モンスターボールからブラッキーを出す。
そしてブラッキーの首に、持ってきた風呂敷包みを縛り付けると、
「ナオトのところまで、ひとっ走り頼むよ」
「ブラッ!」
ブラッキーはうなずくと、山道を駆け出した。
* * *
「――ママ! パパ!」
明かりを見つけ、山道を駆け下りると、見覚えのある車が見えた。
「マユカ!」
「ナエエ~!」
マユカに気づいたのか、ヒカリが懐中電灯を手に駆け寄る。ナエトルも一緒だ。
「よかった~。ケガはない?」
シンジもドンカラスをボールに戻し、
「まったく、お前は心配させてばかりだな」
「仕方ないじゃん! 飛ぶとは思わなかったんだから!」
今にして思うと、かなり無茶をしたと思う。
両親も相当心配したらしく、母の目には涙すら浮かんでいた。
ヒカリは、マユカが手にしたモンスターボールに気づき、
「そのボールは?」
「犯人のポケモンみたい。リザードンにやられて、捨てられたの」
スリープをボールから出すと、ヒカリは血相を変え、
「ひどいケガじゃない! えーと、傷薬は……」
「ねえママ、このスリープをお願い!」
「え?」
バッグをあさる母に、スリープのボールを押しつけると、
「ナオトのリザードンが暴れてるの! ナエトル、行くよ!」
「――待て!」
ナエトルをボールに戻し、引き返そうとすると、突然父に肩をつかまれる。
「どこへ行くつもりだ?」
「どこって……助けなきゃ!」
「助ける? どうやって? 第一、あれは他人のポケモンだ。お前が手出しすべきことじゃない」
リザードンの暴走はここからでも見えた。
ところ構わず炎を吐き、岩壁に体当たりしている。ただ混乱しただけで、あそこまで暴れるのは異常だった。
それだけ今のリザードンは危険だということだが、マユカは父とリザードンを交互に見やり、
「で、でも……ほっとけないよ!」
「お前に何が出来る」
その冷たく低い声に、びくりとすくみ上がる。
「バトルの経験はない、持っているのはナエトルだけ。それでどうやってあのリザードンを止めるんだ?」
「じゃ、じゃあ、パパがなんとかしてよ!」
マユカの訴えに、しかしシンジは首を横に振り、
「お断りだ。さっきも言ったが、あれは他人のポケモンだ。本来、トレーナー自身がなんとかすべきことで、他人が手出しするべきことじゃない」
「あんなに苦しそうなんだよ!? 黙って見てろって言うの!?」
「――いい加減にしろ!」
突然怒鳴られ、マユカはびくりとすくみ上がる。
とうとう我慢の限界を超えたらしい。シンジは声を荒げ、
「これから先、こういったトラブルに出くわすたびに、お前はそうやって首を突っ込むのか!? だったら旅になんて出るな! ずっと家にいろ!」
「……他人じゃないもん。友達なんだよ? 友達のピンチを見捨てろって言うの!?」
「何が友達だ。あいつはお前を友達だなんて思っちゃいない。なのにどうしてお前が危険な目に遭う必要がある!?」
「だってパパの子だもん!」
マユカは目に涙を浮かべ、
「ママが言ってたもん! パパは冷たい人だって誤解されることもあったけど、ピンチの人を見捨てることだけはしなかったって……言ってたもん!」
「…………」
「マユカだって、もうポケモントレーナーなんだよ!? パパみたいにチャンピオンになって……ポケモンマスターになるんだもん!」
マユカの目から涙があふれ出し、声を上げて泣き出す。
しばらく、マユカのしゃくり上げる声だけが響き――シンジは深いため息をつくと、
「――エレキブル!」
ボールから、エレキブルを出す。
「マユカをサポートしてやれ。どこまで手助けするかはお前の判断に任せる」
「パパ?」
「お前のことなどもう知らん! 勝手にしろ!」
ヤケクソ気味に怒鳴り――指を突きつけると、
「ただし、首を突っ込む以上は最後までやり遂げろ! 中途半端は許さん!」
「……うん」
「あと、頂点に立ちたいなら簡単に泣くな! いいな!?」
「うん!」
大きくうなずくと、マユカはエレキブルを連れて走り出した。
マユカとエレキブルの姿が見えなくなった頃。
「あなたの負けね」
ヒカリの言葉に、シンジは深いため息をつき、
「まったく……おせっかいなところはお前にそっくりだ」
「あら。私はあなたに似たんだと思うけど?」
「?」
スリープの応急手当てを終えたヒカリは、笑いながら、
「口では突っぱねといて、結局、助けちゃうのよねー」
「……フン」
腕組みをして、そっぽを向く。
その後ろ姿は少し寂しそうではあったが、どこか嬉しそうにも見えた。
* * *
「――ナオト!」
突然光に照らされ、目を細める。
顔を上げると、エレキブルに抱きかかえられたマユカがいた。エレキブルを使って山道を一気に駆け上ってきたらしい。
「なにやってんの!? リザードンを助けないと!」
「……助ける?」
エレキブルから降り、さも当然といった様子で言ってくるが――どこか冷めた心地で、
「止める方法なんてないよ。モンスターボールが壊れた今、あいつはもう、僕のポケモンじゃない」
「だったらこれ!」
突然、マユカはなにかを差し出す。
モンスターボールだった。
「なんだよ、これ?」
「マユカのモンスターボール。あげる」
「……これを、どうしろって?」
マユカは他に方法はないと言わんばかりに、
「ゲットするの! もう一度、あのリザードンをゲットするの!」
「ふざけないでよ!」
反射的に怒鳴り返していた。
ナオトはそのまま勢い任せに、
「言っただろ! 僕のポケモンはあいつだけだったんだ! 戦うポケモンがいないんじゃあ――」
「ピチューがいるじゃない!」
「リザードン相手に、ピチューでどうしろってんだよ!?」
マユカはピチューを指さし、とんでもないことを言う。
「それにさっきも言ったけど、あいつはもう僕のポケモンじゃない。あいつがどうなろうと、僕の知ったことじゃないよ!」
「なんでそんなこと言えるの!? リザードはあんたを助けるために、リザードンに進化してまでここまで来たんだよ!?」
行こうとするナオトを、マユカは腕をつかんで引き留め、
「ナオトのことがきらいなら、そこまでしないよ! ピチューだって、あんたを心配してここまで来たんじゃない!」
マユカの説得にも、ナオトは無言だった。振り返りもしない。
しばらくその状態が続いたが――
「……もういい」
マユカはため息をつくと、ナオトから手を離す。
そして、ボールからナエトルを出すと、
「マユカが――わたしがゲットする」
「正気? そのナエトルで? それとも、お父さんのエレキブル使う気?」
「なんとでも言いなさいよ! わたしはポケモンマスターになる女なんだから!」
キッパリ宣言すると、エレキブルに目をやり、
「エレキブルはここで待ってて! わたしとナエトルで行くから!」
「ブル!?」
一方的に言い放ち、ナエトルと共に山道を上り始める。
「行ってあげなよ。そう言われてるんじゃないの?」
「ブル……」
エレキブルは困った顔をしたが、なにか聞こえたのか、突然振り返る。
「――ブラッ!」
斜面を、黒いポケモンが駆け上ってきた。エレキブルはこの足音を聞いたようだ。
「ブラッキー? なんでこんなとこに……」
ブラッキーはこちらに駆け寄ると、首に縛り付けられた風呂敷包みを見せる。
「ひょっとしておまえ、オーキド博士のブラッキー? 博士、近くに来てるの?」
「ブラッ」
そうだと、ブラッキーはひとつうなずく。
風呂敷包みをほどくと、中には四つのモンスターボールが入っていた。
「これ……僕の?」
「ピチュ! ピチュピチュ!」
そのうちひとつはピチューのボールだ。ピチューがこっちに来ていると知って、これも持たせてくれたのだろう。
「博士……余計なことするよね。人にあげてもよかったのに」
どいつもこいつも。
一体、自分に何を望んでいるのだろう。
「帰ってよ」
ボールを包み直すと、ブラッキーに突き返す。
「余計なお世話なんだよ。今さらこんなもの、持ってこられても迷惑だ」
「ブラッ……」
ブラッキーは戸惑った顔をし――近くの岩の上に立つと、体の輪から光を放つ。
ほどなくして、光に気づいたのか、一体のギャラドスがすっ飛んできた。
「――ナオト!」
「ママ?」
母はギャラドスをボールに戻すことも忘れて駆け寄ると、こちらの体を抱きしめる。
「心配ばっかさせて! どっかの誰かと同じだわ……」
母の声は震えていた。
数時間前までは狂言誘拐を考えていたというのに、今頃になって罪悪感が沸いてきた。
本当に、バカなことを考えた。
「……ごめんなさい」
何についてあやまったのかはわからない。しかし、あやまらずにはいられなかった。
母は手をゆるめると、空を飛ぶリザードンを見上げ、
「あのリザードンは? あなたのリザードが進化したんでしょ?」
「もういいよ」
母から離れると、うつむいたまま、
「モンスターボール、あいつに壊されたんだ」
例えるなら、ポケモンに絶縁状を叩きつけられたようなものだ。
リザードンにしてみれば、せいせいしたところだろう。
「やっぱり、僕にトレーナーなんて無理だったんだよ。ママみたいにジムリーダーなんて出来ないし。パパみたいにチャンピオンになれるわけもないし。そりゃ、ポケモンだって愛想つかすよ」
――ぱんっ!
乾いた音が響く。
一瞬何が起こったのかわからなかったが、遅れてやってきた痛みに、頬を叩かれたのだと気づく。
同じ日に、父と母両方にひっぱたかれた事実に、ショックよりも驚きで言葉を失う。
「このバカ! あなたが旅からさっさと帰ってきた時、パパがどんな気持ちだったかわからないの!?」
母はこちらの肩をつかみ、震える声で、
「……パパはね、チャンピオンを引退するの」
「え?」
「まだ決まったわけじゃないけど……このことをオーキド博士に相談するために、マサラタウンに帰っていたの」
寝耳に水の言葉に、頭の中が真っ白になる。
「……なんで?」
「あなた、小さい頃よく言ってたわよね。『いつかチャンピオンリーグでパパとバトルする』って」
母は深いため息と共にうつむくと、
「あなたが来てくれるまで、チャンピオンの座を守るって……それを支えにがんばってきたのに、あなたはトレーナー辞めるなんて言い出すし。シンジが引退した今、もう自分がチャンピオンでいる必要はないって……だから……」
母が、泣いている。
これまで、他人が泣いている姿を見たことは何度もあった。しかし、何も感じなかった。
なのに――イヤだった。この涙はイヤだった。
――リザァァァァァァァァァァァッ!
その声に振り返ると、リザードンが上空から炎を吐き、一瞬、辺りを照らした。
「――マユカ!?」
崖の上にマユカの姿が見えた。リザードン相手に、本当にナエトルで挑んでいる。
「あのバカ……ブラッキー! やっぱボール返して!」
「ブラッ!」
「ピチュ!」
待ってましたと言わんばかりにブラッキーは包みを差し出し、ピチューはナオトの肩に飛び乗った。