7.それは真実かまぼろしか - 3/4


 歌が、聞こえた。

 ぼんやりと顔を上げると、暗闇の中で炎が激しく燃えさかり、逃げまどう人影が見えた。
 人影は炎に巻かれて次々と倒れていき、建物も崩れ落ちていく。
 どこかで見た気がする。
 走り回る小さな人影を目で追っていると、ようやく、それが子供だということに気づく。
 そして、兵士らしき格好をした男がその後を追い、手にした剣を容赦なく振り下ろした。

 ――ああ、そうだ。これは――

 鏡越しに見た、ミントスだ。
 どんな村なのかは知らない。ただ、獣人が住んでいるとしか知らない小さな村。
 自分はあの黒い鏡の前で、獣人達が殺される光景を、どこか冷めた目で見ていた。
 もう、どうでもいい。
 自分の知らない誰かがどれだけ傷つこうが、死のうが――どうでもいい。

『――本当に、どうでもよかったのですか?』

 突然、『あの声』が割って入ってくる。

 ――また、お前か……

 こちらの心の中をのぞき見するとは、ずいぶんいい度胸だが――今は、そんなことさえどうでもいい。
 得体の知れない声よりも、歌に耳を傾ける。
 それだけでもう、周囲の音など何も聞こえない。目に映るのは、兵士に斬られ、または炎にのたうち回り、一人、また一人と倒れていく獣人達だった。
 その地獄絵図を前にしても、心に去来(きょらい)するものは何もなく、まるで凍り付いてしまったかのようだ。鏡の向こうは、あんなに熱そうだというのに――
 声は、しばらく何かを言っていたようだが――あきらめたのか、最後に、

『……では、どうして泣いているのです……』

 その言葉だけが、なぜかハッキリと聞こえた。

 肩を叩かれて目を覚ますと、室内は真っ暗だった。
 ぼんやりと横たわっていると、目元が濡れていることに気づき、慌ててぬぐう。
 ふと、すぐ隣に誰かいることに気づき、手探りで枕元のロウソクに火を灯すと、なぜかテケリが同じベッドでぐっすり眠っていた。さっき肩を叩いたのもテケリらしい。

 ――どうしてこっちで寝てるんだ……?

 結局、運ばれてきた夕食はラビに食べさせ、自分は眠っていたのだが……その後、勝手に潜り込んできたらしい。
 そういえば家族がいないと言っていたが、そういったものがまだ恋しいのかもしれない。
「……家族、か」
 ……小さい頃は、こんなことがよくあった気がする。
 何か悪い夢を見た時、わけもなく不安な時、どうしても一人で眠れず、よく弟のベッドに勝手に潜り込んだり、逆に、目が覚めると、いつの間にか弟がこちらのベッドの中に潜り込んで眠っていたり――
「…………」
 ため息をつくと、テケリを起こさないようベッドから下りる。
 もう、過去は過去でしかない。今さらどうにもならない。
 準備を整え、窓を開けると、冷たい風が部屋の中に吹き込む。カーテンが揺れ、ロウソクの火が消えるが、テケリはまるで気づかない。
 窓から身を乗り出し、下に目をやると、月明かりで植え込みの木がうっすらと見えた。
 今いるのは二階だが――この高さくらいなら、いけるかもしれない。
 自分でも危なっかしい足取りで、なんとか窓枠に登ると、意識を集中させ――ふわりと、体が宙に浮く感覚に目を開ける。

 ――よし。

 確かな手応えに満足すると、慎重に術をコントロールし、ゆっくり下りていく。
 あと少しという所で、
「何やっとんねん?」
「―――!?」

 ――ズザシャッ!

 なかなか派手な音を立てて、植え込みの上に背中から落下する。
「……っくぅ……」
 うめきながら目を開けると、ウンディーネが呆れた顔で、
「……まったく、声かけられたくらいで、そんな驚かんでええやん。案外ビビリなんか?」
「う、うるさい!」
 起きあがり、体についた枝や葉を払い落とす。幸い、ケガはしていないようだ。
「――キィッ!」
 聞き覚えのある声に顔を上げると、ラビが窓から勢いよく飛び降りる所だった。ちょうど自分の真上。
 とっさに体をひねってかわすと、ラビはすぐ横の茂みの中に墜落する。
「……何やってるんだお前は……」
「キュゥゥ……」
 恨めしそうにこちらを見上げるラビを拾い上げると、そのまま立ち上がる。
「――あんた、何やってんのよ?」
 振り返ると、ランプを手に、エリスが驚いた顔で立っていた。
 エリスは二階の窓が開いていることに気づき、
「まさか、あそこから飛び降りたとか? バッカじゃないの?」
「余計なお世話だ!」
「アンタは何やっとるねん。こんな時間に」
 ウンディーネに問われ、エリスは一瞬、困った顔をしたが、
「……船に忘れ物を取りに行ったのよ。玄関閉まってたから、そこの窓から」
 言って、一階の窓を指さす。
「…………」
「別に、二階の窓から出る必要はなかったなぁ」
「うるさい!」
 もう何度目になるか、とにかく怒鳴る。
「で、あんた、なにやってんの? みんな寝てるわよ」
 問われて、少し悩んだ末に、
「……忘れ物を取りに行くだけだ」
 そう。月読みの鏡だ。
 イザベラにあんなことを言ってしまった手前、実は無くしました、などとは言えない。
 なんとかして、見つけて戻ってこなくてはならない。
「…………?」
 ふいに、首が引っ張られる感触に視線を下ろすと、首から下げた指輪を、ラビがくわえて引っ張っていた。
「おい、離せ!」
 指輪を取り上げると、ラビを地面に下ろす。
 いつも服の下に隠していたのだが、落ちた時のはずみで飛び出したようだ。
「なにそれ?」
「…………」
 エリスとウンディーネに見られてしまい、観念すると、
「……しばらく前……私をかばって死んだ、馬鹿な小娘の遺品だよ」
 ため息混じりに言うと、服の下に戻す。
「ふぅん……そんなことあったの」
 エリスは深くは追求せず、代わりに、
「じゃあ、簡単には死ねないわね」
 顔を上げると、エリスの代わりにウンディーネが、
「命と引き替えに助けてもらったんや。その子のぶんまで生きんと、無駄死にになってまうで」
「…………」

 ――無駄死に、か。

「……助けた相手に、命を引き替えに出来る価値があれば、もっと良かったんだろうがな」
 言うと、門に向かって歩き出す。
「ちょっと。どこ行くのよ」
「忘れ物を取りに、だ」
 足を止めることなく答えるが――なぜか、ウンディーネとラビだけでなく、エリスまで後をついてくる。
「忘れ物って?」
「このアホ、昼間休憩で下りたあの場所に、大事なもん忘れてきたんや」
 ウンディーネの言葉に、エリスは血相を変え、
「ちょっと! あそこまで取りに行くってこと!? 本気!?」
「…………。余計なことを教えるな」
「ええやん。それくらい」
 にらみつけるが、ウンディーネは悪びれた様子もなくそっぽを向く。
「まずいわよそれ! リィさん達だって言ってたでしょ! 獣人がうろついてるのよ? 殺されちゃうわよ!」
「その時はその時だ」
 あっさり返すと、エリスは呆れて言葉を無くす。
「お前は戻って休んでいるといい」
 門のかんぬきをはずしながら言うが、
「――わたしも行くわ」
「なに?」
 エリスの言葉に振り返ると、彼女は眉をつり上げ、
「あんた一人じゃ心配だわ。魔法はヘボだし」
「……最後のは余計だ」
 こめかみが引きつるが、エリスは引き下がるつもりはないらしい。
「行くんなら、さっさと行きましょ。ちんたらしてると夜が明けちゃうわよ」
 言いながら、門をくぐる。
「……おい。ここに『夜明け』はないぞ」
「まあええやん。アンタ一人で心配なんは確かやし」
 ウンディーネもエリスの後を追い――ため息をつくと、自分も二人の後を追った。

 ◇ ◇ ◇

 深夜――といっても、いつも夜だか――どうにも眠れず、ロジェは一人、消灯された屋敷の中をランプ片手に歩き回っていた。
 特に目的があるわけではない。気の向くままに廊下を歩き、気がつくと、あの礼拝堂の前に立っていた。
 なんとなく中をのぞき込むと、ここの明かりも消されていたが、窓から差し込む月明かりが、わずかながらも室内を照らしている。
 奥の女神像の前まで行き、ランプの明かりを掲げるが、上まで光は届かず、シルエットくらいしか見えない。
 それでも、杖の先端に取り付けられた水晶が、差し込む月明かりに照らされ、儚げな光を放っていた。

 ――不思議な色だな……

 しばらく、水晶をぼんやりと眺める。
 初めて見た時は炎に照らされオレンジ色に見えたのだが、今は青白く見えた。角度によっては紫にも、緑にも見える。
 陽光の下で見ればもっと奇麗なのだろうが、この年中夜の森では無理だろう。
「――興味があるのかね?」
 その声と同時に、壁のランプや天井のシャンデリアに次々と火が灯り、室内を照らす。
 振り返ると、開いた扉の前にリィが立っていた。彼が明かりを灯したらしい。
 もう一度水晶に目をやると、室内が明るくなったことで、今度は白く光っていた。
 この杖もリィのコレクションのひとつなのだろうが、こんな所に、石像と共に飾られているということは――
「……やっぱり、この杖もあんたにとっては価値のあるものなのか?」
「もちろんだ」
 こちらの問いに、リィは迷わずうなずく。
 自分には、この杖が何か特別な力を秘めているようには思えない。どう見ても、ただのボロ杖だ。
 なのに、惹かれる。
「物に宿る想い……染みこんだ思念……アーティファクト、か」
「――ほう。『アーティファクト』を知っているのかね?」
 思わず口から出た言葉に、リィは意外そうに目を丸くする。
 その時になってようやく、一般的に使われていない言葉だということに気づき、慌てて、
「あ、いや……昔、父さんから古い道具のこととか、色々教わったから」
 そう。元より、古い道具が多い宮殿だ。扱いを間違えれば事故もありうるので、兄と共に色々教わったのだが、その時に、この言葉が出てきた。

 誰かの想い――思念のこもった道具のことを『アーティファクト』と呼ぶのだと。

 もっとも、魔力のこもった道具のことだろうと自分は解釈していたのだが。
「えっと……ようするに、あんたが言っていたのは、アーティファクトのことだろう?」
 リィも女神像の前に立ち、目を細めると、
「『物』には『想い』が宿る……知らなければただのガラクタでしかないだろうが、秘められた『想い』を知れば、それはもう、立派なアーティファクトだ」
 そして、こちらに目をやると、
「私にとっては、知らないことこそ罪だ」
「罪? 知らないことが?」
 意味がわからず聞き返すと、彼は女神像を見上げ、
「この世界は、マナの女神のアーティファクトだ。幾多(いくた)の想い……思念であふれている。そして私達一人一人も、ある意味、アーティファクトのようなものなのかもしれない」
 自分も石像を見上げると、女神は相変わらず、微笑みを浮かべてこちらを見下ろしていた。
 リィはため息をつくと、
「だが、皆そのことを忘れてしまった。むしろ、知ることが恐ろしいのかもしれない。知れば自分が傷つくだけ……知らなければ、自分を正当化出来る。正義を掲げることが出来る。その足下に、自分が壊した無数のアーティファクトがあることも知らずに。……実に愚かしいことだよ」
「…………」
 なぜか一瞬、兄のことがよぎった。
 あの閉ざされた宮殿の中で、外の世界など何も知らずに生きてきた兄のことが――
「――おい、ロジェ」
 その声に振り返ると、半開きになった扉の向こうから、ジェレミアが顔を出していた。
 彼女は室内を見渡してから、
「エリスを見なかったか?」
「エリス?」
 リィに目をやるが、彼も首を横に振る。
 全員二人部屋を割り当てられ、ジェレミアとエリスは同室だったのだが……
「いつの間にか、部屋からいなくなっていた。すぐ戻ってくると思っていたんだが……戻ってこない」
「なんだって?」
「フム……さっきから気になっていたが、水の精霊の気配もしないな。それに……」
 リィは意識を集中させているらしく、目を閉じ――ほどなくして目を開けると、
「どうやら、いなくなったのはエリスだけではなさそうだ。もう一人、気配が消えている」
「まさか!?」
 嫌な予感に、礼拝堂を飛び出し、廊下を走る。
 そして、ある部屋の前で足を止めると、
「兄さん? テケリでもいい! 開けてくれ!」
 激しくドアを叩き、しばらくして、テケリが顔を出す。
「テケリ、兄さんは?」
「そ、それが……」
 困惑顔のテケリを押しどけ中に入ると、そこにいるはずの者の姿はなく、開きっぱなしの窓から吹き込む風で、カーテンがはためいていた。

 ◆ ◆ ◆

「この辺りやと思うんやけどなぁ……」
 ウンディーネに先導してもらい、昼間のあの場所まで戻ったはいいものの、こう暗くてはよくわからない。
 月明かりも木々が遮ってしまい、ランプの明かりを頼りに、しばらく茂みの中を探していると、

 ――きゅ~……

 その妙な音に振り返ると、エリスが恐ろしい形相でこちらをにらみつけ、
「何も聞こえなかったわよね?」
「今のは腹の――」
「聞こえなかったわよね?」
「…………」
 とりあえずそれには答えず――ふと思い出し、ポケットの中を探り、
「ほれ。くれてやる」
「え?」
 昼間、テケリにもらったぱっくんチョコを差し出す。
 エリスはそれを受け取り――半眼になって、
「何これ、食べかけ? ていうか、あんたこんなの食べたりするの? 意外ねー」
「……テケリにもらったんだ。嫌なら返せ」
「まあ、せっかくだからもらってあげるわ」
「…………」
 礼も言わず、さらりと態度のでかいことを言い放つ。ある意味、たいした女なのかもしれない。
 こめかみを引きつらせつつも、再び茂みの中を探そうして、
「――はい。半分こね」
 振り返ると、エリスが、さらに半分に割ったぱっくんチョコを差し出す。
「あんた朝もそうだったけど、あんまり食べてないんでしょ? 食細いのかどうかは知らないけど、ちゃんと食べないとぶっ倒れるわよ?」
「…………」
 一瞬悩んだものの、無言で受け取る。
 たしかに、朝からロクに食べていない。夕食はラビに食べさせたものの、半分が精一杯だったらしく、後はそのまま残してしまった。傍目には、ちゃんと食べていないように見えたことだろう。
 ふと、足下のラビにチョコを差し出すと、
「……食うか?」
「キュッ」
 プイッ、と、そっぽを向く。どうやらまだ胃が苦しいらしい。
 仕方ないので自分で食べるが、すっかり柔らかくなっている。
 エリスも最後のひとかけ口に入れながら、
「それにしても、ホントにここなの? 見分けつかないでしょ」
「いや……ここのようだ」
 すぐ近くの地面に視線を落とし、明かりを近づけると、血の跡が見えた。
 よく見ると、血の跡の上に、小さな白い花が一輪、ぽつんと置かれている。
 花といっても、雑草のようなものだ。おそらく、仲間が手向(たむ)けたのだろう。

 ――花も咲かないのか……

 こんな一日中夜の森では、花すら咲かないらしい。風も冷たく、植物が育つには不適切な環境だ。
 血の跡を前に、ウンディーネはエリスに聞こえないよう、小声で、
「……亡骸は、仲間が運んでいったんやろ」
「……さっさと探すぞ」
 こちらも小声で返し――記憶を頼りに探すものの、見つからない。
「やっぱり、もう誰かに持ってかれたんちゃうか?」
「……かもな」
 肩を落とし、ため息をつく。
 自分のミスとはいえ、もらってすぐに紛失してしまうとは……
 こちらの様子を見かねてか、エリスは明るい声で、
「大丈夫よ! 道具ってさ、持ち主を呼ぶんだって」
「?」
「あんたにとって重要なものなら、そのうち戻ってくるわよ」
「……だといいが」
 なんともお気楽な言葉に、呆れて肩をすくめるが――不思議と、本当に戻ってくるような気がした。

 ――道具が人を呼ぶ、か。

 昔、そんな話を聞いたことがあるような気がする。
 あれはたしか――
「――キィッ!」
「どうした?」
 突然、ラビが怯えた様子で足下まで跳んできて、思考を中断する。
「ちょ、ちょっと! まさか!?」
 慌てるエリスに、ウンディーネも警戒した様子で周囲を見回し、
「……気の毒やけど、その『まさか』みたいやで」
 振り返りもせずに答える。
 その言葉を実証するかのごとく、暗がりの中から数人の獣人が姿を現す。
「……間違いない。あの時のヤツらの仲間だ!」
 そのうちの一人が、敵意に満ちた目でこちらをにらみつける。おそらく、あの時逃げた獣人だろう。
 彼らは茂みから出てくると、有無を言わさずこちらの腕をつかむ。
「何すんのよ!?」
「離せ!」
 このまま腕が折られるのかと思ったが、あくまで捕らえるだけのつもりらしい。
「ちょっと! どうするつもりよ!?」
「お前達をエサに、お仲間を呼び寄せるのさ」
「……人質か」
 なるほど、彼らにしてみれば、自分達二人を殺すよりも、実際に斬ったロジェ達を殺さねば恨みは晴れないのだろう。
「人質なんて卑怯なことするもんとちゃう! 第一、こっちの話を聞きもせんと、勝手に襲いかかってきたんはそっちやろ!」
「うるさい! 精霊が味方についていようが、俺達には関係ない!」
 ウンディーネの言葉にも耳を貸さず、こちらを縛り上げようとした所で、
「――お前達、何をしている!」
 突然、女の声が響いた。
 声がした方角に目を向けると、赤毛の少女が姿を現す。
 彼女も獣人のようだが、年はエリスと同じくらいだろう。短く切った髪とつり気味の目のせいか、なんとも気の強そうな印象を受けた。
 少女の登場に、獣人達はすくみ上がり、
「プ、プリシラ……」
 さっきまでの勢いが一転、怯えにも似た声を出す。
 プリシラと呼ばれた少女は、自分よりも体格の大きな獣人達をにらみつけ、
「おばあ様に頼まれて来てみれば……丸腰の人間相手に、一体何をしている?」
「それは……」
 問いつめられ、モゴモゴと言葉を濁す。
「コイツら、二人を人質にするつもりや。仇討ちとかゆーてな」
「なに?」
 すかさず告げ口をするウンディーネに、プリシラは目を鋭くつり上げ、
「人質だと? 例え相手が人間であろうと、我ら誇り高き獣人がそんな卑怯なマネをするなど……そこまで落ちぶれたか!」
 たった一人の少女相手に、彼らはすくみ上がり、ほどなくこちらを開放する。
 ウンディーネは感心した様子で、
「いやまったく。話のわかるヤツがおるやんか」
 プリシラもウンディーネに目をやり、
「精霊……おばあ様の言った通りだ。お前達、私と来てもらうぞ」
 その言葉に、ウンディーネと顔を見合わせるが、彼女はさらに、
「安心しろ。取って食うわけではない。……今のところは、な」
 その言葉に、獣人達がこちらを囲む。
 一応、人質にはされずに済んだものの――どうやら、こちらに選択肢はないようだ。
「……仕方ない。行くか」
「そうやな」
「ええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」
 うなずくレニとウンディーネに対し、エリスは思い切り不満そうな声を上げた。

 森の中をしばらく歩いていると、木々の隙間から、石造りの巨大な塔が見えた。
 真っ暗だというのに、月の光を反射して、ぼんやりと青白い光を放っているように見える。
「あれが月読みの塔か」
「我ら獣人の聖地だ」
 レニのつぶやきが聞こえたのか、前を歩くプリシラが素っ気なく答える。
 連れてこられたのは、塔の近くにある小さな村だった。
 木造の小さな住居が建ち並び、その窓や影から、物珍しげに、そして憎悪のこもったまなざしで、村人達がこちらを見ている。
 彼らにしても寝ている時間だと思っていたのだが、わざわざ起きてきたのか、それともこの時間が彼らの活動時間なのか、ずいぶんと視線を感じた。
 一応小さな畑もあったが、やはり作物が育ちにくいらしく、なんとも貧弱な葉がひょろひょろ生えている。食料受給率は悪そうだ。
「ねえ。あれなに?」
 エリスが指さした先に目をやると、村の広場に、何かやぐらのようなものが組み立てられている。
「あれは仲間を送る準備だ。……お前達に殺された、仲間達の」
「…………」
 それからは無言で、奥の一番大きな家の前まで来ると、プリシラは他の獣人達を帰し、中へと入る。
「おばあ様、連れてまいりました」
「――おお、プリシラ。ご苦労じゃったな」
 薄暗い家の中に入ると、杖をついた一人の老女が出迎えた。
 年がいくつなのかはわからないが、かなりの高齢だろう。腰が曲がっているせいか、ずいぶん小さく見える。どうやら魔法使いらしく、黒いローブを着て、フードをかぶっていた。
 プリシラはこちらに振り返り、
「村の長老、バドラ様だ。私のおばあ様でもある」
「バドラ……リィが言っていた……」
 バドラはこちらを見上げ、
「ほう、リィに会ったか。なら、話は早いの」
 バドラに家の奥へと案内され、後をついていくと、魔法陣が描かれたマットの敷かれた、円形の部屋に通される。
 壁にも何かまじないの施されたタペストリーが掛けられ、呪術を行うための部屋であるということは一目瞭然だった。
「そういえば、リィが『月読み師』とか言っていたが……そのための部屋か?」
「さよう。……プリシラ。悪いが、はずしてくれるかの?」
「…………」
 プリシラは一瞬迷ったようだが、結局、こちらをにらみつけると、部屋から出て行く。
 彼女が出て行ってから、
「……あの子は十年前の戦で、親兄弟を人間に殺されてな」
「…………」
「あの子だけではない。この村の者は、皆、戦で家族を失っておる。悪く思わんでくれ」
 レニはバドラに目をやると、
「それで、私達に何の用だ?」
「おお、そうじゃった」
 言うと、彼女は奥の棚から見覚えのある包みを取り出す。
「――それは!」
「まったく、ここに持ち込まれた時は驚いたわい」
 包みを開き、出てきたのは、探していた月読みの鏡だった。
 バドラは部屋の中央に座り、鏡を前に置くと、
「どうやら、今の持ち主はお前さんのようじゃな。探しに来ると思って、プリシラに連れてくるよう頼んだんじゃ」
「……なんでよ? 獣人にとって、人間は敵でしょ?」
 エリスの言葉に、バドラは笑いながら、
「獣人と人間は敵? 誰がそう決めた? ただ、種族が違うという理由で争いを起こす……これほど愚かしいことはない」
「…………」
 促され、向かいに座ると、ラビはここが定位置だと言わんばかりに膝の上に乗ってくる。
 バドラはこちらが座ってから、
「現に、ホレ。こうやって、ちゃんと顔を合わせて話をしておる。生まれついての敵であるなら、こんなことは出来んよ。それに……」
 今度は、なぜかレニの顔をじろじろ眺めてくる。
「な、なんだ?」
 気味の悪さに、さすがに困惑した顔で見返すと、バドラは年甲斐もなく頬を赤らめ、
「おぬしの顔……ワシの初恋の相手に似ておるわい。若い頃を思い出すのぅ……」
「そ、そうか……」
「キュゥゥ……」
 後ずさりながら、なんとかそれだけ答える。よく見ると、ラビまで震えていた。
「よかったなぁ。アンタ、高齢マダムに受ける顔しとるみたいやで」
「……どんな顔だ」
 ウンディーネに茶化され、鳥肌を鎮めながら小声で返す。
「それより、月読みの鏡のことを知っているのか?」
 早い所話題を変えるべく、話を戻す。
「むろんじゃ。この鏡は、元々ワシのもんじゃったからな」
「……誰かに渡したということか?」
 バドラはひとつうなずき、
「十年前、世話になった人間の女魔術師に、な」
「人間の?」
「さよう。彼女がお前さんに託したのなら、これはもう、お前さんのものじゃ」
 言って、月読みの鏡をこちらに差し出す。
「それはさておき……お前さん方、この地へは何をしに来た?」
 問われて、エリスと一瞬顔を見合わせ、
「……この地に、マナストーンを探しに来た者はいなかったか?」
「いたよ」
 バドラはあっさりうなずき、
「数人のグループで、なんでも、マナの教団と戦っている団体じゃと言っておったらしい」
「……らしい?」
 その引っかかる物言いに眉をひそめると、バドラは目を伏せ、
「その話がワシの耳に入った頃には、とっくに全員殺されておった。塔の近くをうろついとったのが運の尽きじゃな」
「…………」
 おそらく、マハル率いるレジスタンスの一員だろう。教団の手に落ちるより先に、マナストーンを集めようといった所か。
 もっとも、現地の住人に殺されてしまったのでは、元も子もないが。
「なんか……容赦ないわね。あんた、昼間も襲われたんでしょ?」
「…………」
 言われて、昼間のことを思い出す。
 月読みの塔の名を口に出しただけで、問答無用で襲いかかってきた。しかも、追い出すのではなく、殺す気で、だ。
 あれはどちらかというと――自分達のナワバリに入ってきたことに怒っているというよりも、もっと別の理由のほうが大きかったような……
「さっき……十年前の戦がどうとか言っていたが、まさか、その時もマナストーンが狙われたのか?」
「うむ。そもそもあの戦は、ヴァンドール帝国が各地のマナストーンを狙って起こしたものじゃからな」
「ヴァンドール? どこだそれは」
 そういえば、ニキータがマミーシーカーを作った国の名として言っていたような気がする。
「ここから南西の、闇の力で栄えた国じゃ。十年前の戦、お前さんの年ならだいたい知っておろう?」
「え? いや……」
 返答に困っていると、エリスも、
「夕食の時も、ユリエル達がリィさんにそのこと聞いてたけど……あ、あんた、いなかったっけ」
「…………」
 答えあぐねていると、バドラはひとつうなずき、
「まあ、ええじゃろ。十年前の話をしてやる」
 そう言うと、彼女は十年前の出来事を語り出した。