「きっかけは、さっきも言ったが、ヴァンドールが各地のマナストーンを狙って戦いをし向けたことじゃ」
まるでおとぎ話を読み聞かせるように、バドラは淡々と語り始めた。
「ヴァンドールの力は強大なものじゃった。闇の魔法の力と、殺戮人形……それまで存在していた王国は滅びるか、ヤツらの隷属になるしかなかった。我らの住まうこの森も狙われ、獣人は手当たり次第に殺されてしまったわい」
「…………」
想像してしまったのか、エリスの顔がこわばる。
「月のマナストーンも危なかったんじゃが、その時、人間の女魔術師が現れてな。ヤツらをあっという間に葬ってしまった」
「まさか、その女にこの鏡を?」
レニの問いに、バドラはひとつうなずき、
「うむ。見事な戦いぶりじゃった。そして彼女はマナストーンに封印を施し、去っていった。その後でヴァンドールが滅亡したと聞いたが……傷跡はまだ癒えぬ。特にヴァンドールと同盟を結んだジャドは最終的に裏切られ、異形の魔物が野に放たれ、豊かな森が枯れて砂になりつつあると聞く。その女魔術師の助けがなければ、この地もそうなったかもしれん」
「…………」
「じゃが、再びマナストーンが狙われるということは、何かよくないことが起ころうとしている、ということじゃろう。皆、ぴりぴりしておるわい」
「それで突然襲いかかってきたというわけか……」
ようやく納得したが、バドラは、ギロリとこちらをにらみつけ、
「……ワシとて、若いモンの命が絶たれて憤りを感じぬわけではない。かと言って、お前さん達を殺した所で、失われた命が帰ってくるわけでもない。……ワシに感謝せぇよ。ワシがおらんかったら、お前さんらはとっくに八つ裂きにされておる」
「…………」
それは本当だろう。
この村に来てからというもの、憎悪や悲しみ……深い負の思念をひしひしと感じる。
ウンディーネもそれを感じるらしく、バドラに目をやり、
「ばーちゃんは、他の連中とはちょっと違うみたいやな。それほど、人間に憎しみがないみたいや」
その言葉に、バドラはしばらく瞑目していたが――やがて、ぽつりと、
「……さっき話した初恋の相手というのは、人間じゃった」
「人間?」
エリスが驚いて聞き返すと、彼女は少しうつむき、
「ワシが、プリシラくらいの年の頃じゃったかのぅ。森でひどいケガをしておったのを、こっそりかくまって看病しておったんじゃが、ある日、見つかってしもうてな。人間嫌いの父に殺されてしまった」
「…………」
「いいやつじゃった。夜の森しか知らないわしに、太陽の話をしてくれた。なのに、人間というだけの理由で殺されて……これでは、獣人というだけの理由で、我らを迫害する連中と同じじゃ」
そこにあったのは、怒りも憎しみもない、ただの悲しみのような気がした。
「……ところでバドラ。この月読みの鏡――」
言いかけて、慌ただしい足音に気づく。
振り返ると、ちょうど扉が開き、血相を変えたプリシラが飛び込んできた。
「おばあ様、大変です! おかしな人形を連れた連中が、月読みの塔へ向かっています!」
「なに?」
バドラが顔を上げ、こちらも反射的に立ち上がり、膝上のラビが転がり落ちる。
「人形……教団の連中か!?」
「…………!」
エリスも顔を青ざめさせ、その場に立ち上がった。
◇ ◇ ◇
「レニさーん。エリスさんも、どこでありますか~?」
テケリがありったけの声で名前を呼ぶが、それで出てきてくれれば苦労はしない。むしろ――
「テケリ。あまり大声を上げると、獣人に見つかってしまいます。控えてください」
「う~……りょーかいであります」
ユリエルに注意され、テケリは不服そうではあったが、一応うなずく。
それぞれ、ランプを片手に屋敷の周辺を捜索するものの、木々で月明かりは遮られ、視界はかなり悪い。いなくなった二人も心配だが、これでは自分達も危険だ。
「……テケリも、ニキータと一緒に留守番していたほうがよかったんじゃないのか?」
茂みの中やら木の後ろを捜し回るテケリに言うが、テケリは眉をつり上げ、
「ダメであります! レニさんがいなくなっちゃったのは、テケリがしっかり見張ってなかったからであります!」
「そうは言っても……」
「ま、いいじゃねーか。こいつも一応、偵察部隊の一員なんだ」
キュカの言葉に、テケリはぱっ、と、表情を輝かせる。
「それにしても……エリスもそうだが、一体なんの理由があって屋敷を抜け出したんだ?」
「さあ? そもそも、二人が一緒に抜け出したのか、別々に抜け出したのかどうかもわかりませんしね」
ジェレミアとユリエルの話を聞きながら空を見上げると、複数の鳥のようなものが視界を横切った。
「…………?」
目をこらしてよく見ると、向こうもこちらに気づいたのか、渇いた羽音を立て、上空をぐるぐる回る。
「……バットム、か?」
ユリエルも顔を上げ、
「リィ伯爵のバットムでしょうか?」
「うきょ! きっと、レニさん達を見つけてくれたであります!」
テケリの言葉を肯定するかのように、バットム達はある方角へと向かって飛ぶ。
「追うぞ!」
言うまでもなく、全員、バットムの後を追って走り出し――しばらくして、木々の合間から巨大な塔が見えた。
◆ ◆ ◆
バドラ達と共に月読みの塔へ行くと、すでに他の獣人達が集まり、あちこちでかがり火が焚かれてずいぶん明るかった。
獣人達はこちらの姿に気づき――その殺気立った目に、ラビが足の後ろに隠れる。
さすがのエリスも怯えた様子で、
「な、なんか……どさくさに紛れて逃げたほうが良かったんじゃあ……」
「フン。せっかくだ。付き合ってやるさ」
どのみち、月読みの塔に用があってこの地に来たのだ。ある意味、絶好のチャンスでもある。
「月読みの塔、か……」
近くで見ると、まるで空の月に届かんばかりに高い塔だった。一体どうやって建てたのか、想像がつかない。
「月読みの鏡と月読みの塔……どういう関係があるんだ?」
「――近年は行っておらんが、昔は塔の頂上で、一族の今後を占う儀式をしておった。月読みの鏡は、そのための道具じゃ」
つぶやきが聞こえたのか、バドラが歩きながら、振り返りもせずに答える。
「月のマナストーンはどこに?」
「塔の一階だ」
プリシラの言葉に、エリスは目を丸くし、
「そういうのって、普通はてっぺんに置いとくもんじゃないの?」
「まあ、そう思うのが普通じゃな」
バドラは足を止め、月を見上げると、
「月のマナストーンは地上の月。空の月と地上の月は互いに引かれあい、その中間である塔の頂上で儀式を行うことにより、より強い力を得ることが出来ると言われておる」
「……空と地上の中間……」
もう一度塔を見上げるが、その向こうに見える月は、相変わらず夜空を静かに照らしていた。地上で何が起こっているかなど、おかまいなしに――
「――来たぞ!」
誰かの声に、緊張が走る。
不気味なくらい辺りは静まり返り――遠くから、複数の金属音が聞こえた。
どんどん大きくなるその音に、バドラは眉間にシワを寄せ、
「……ずいぶんと騒がしい音じゃな。ワシは好かん」
ぽつりとつぶやく。
そして、明かりに照らされ、ロリマーで見たものと同じ人形達と共に、一人の女が現れた。
結った青い髪と白い法衣が炎に照らされ、赤みがかって見えたが――間違いない。
「……また会ったな」
忌々しげにつぶやくと、ルサもこちらに気づき、軽くにらみつけると、
「用があるのは月のマナストーンだ。邪魔をするなら、今度こそ消えてもらう」
言い放つと、手にした黒い杖を突きつける。
「ところで……その杖……」
見覚えがある。
いや、見覚えがある以前に、その杖はどこからどう見ても、この世界に来て早々奪われた――
ルサは怪訝な顔をし、
「この杖は、アナイス様からいただいたもの。それがどうかしたのか?」
「……アナイスめ……」
こめかみが引きつるが、なんとかこらえる。
まあ、アナイスのことだから、自分では使わないだろうと思ってはいたが、よりにもよって……おそらく、いや、間違いなくこちらへの嫌がらせだろう。
「――おい、キサマ! この塔が、我ら獣人の聖地であると知っての狼藉(ろうぜき)か!?」
プリシラが前に出て、ありったけの声で怒鳴る。
「見回りの戦士達がおったはずじゃ。ここまで来たということは……まさか……」
バドラの言葉を、ルサは鼻で笑い飛ばし、
「フン。今ごろ、あの世で後悔しているだろう」
「キサマ!」
飛び出そうとするプリシラを、バドラが制止する。
他の獣人達も犬歯をむき出しにし、ラビならにらみ殺せそうな形相だったが、ルサは歯牙にも掛けず、
「勘違いするな。私とて、話がわかる相手なら話をする。好きこのんで無駄な殺生などしない。だが――相手がケダモノなら、話は別だ」
「…………!」
「お前達、落ち着け!」
バドラがプリシラ達を一喝し、前に出る。
「……たしかにここの連中は、人間への憎しみのあまり、相手が人間であれば見境なしに襲うヤツもおる。それについては詫びよう」
ルサは、バドラに視線を落とし、
「フム。お前は話のわかるヤツのようだ。ならば、こちらの目的もわかるな?」
バドラは、しばし瞑目していたが――やがて、重々しい口調で、
「月のマナストーン……持って行きたいのであれば、持って行くがいい」
「おばあ様!?」
プリシラが目を見開き、他の獣人達も驚いた顔で、
「長老! それはなりません! 人間にそんなことを許せば――」
「わかっておる! ワシとて、平気でこんなことを言っておるわけではない! じゃが……これ以上、同胞の血を見るのはたくさんじゃ!」
バドラの声に、全員、静まりかえる。
「同胞だけではない。ワシはこれまで、種族など関係なく、幾多の者が死に行く様を見てきた。いつまでこんなことを続けるつもりじゃ!」
誰も、言い返す者はいなかった。
プリシラも悔しさに顔を歪め、今にも唇を噛み切りそうだ。
端でそれを眺めながら、
「……ヤツらの言いなりになった所で、一時的にやり過ごしただけだ。しばらくすれば、もっと悪い状況になるかもしれんぞ?」
「……わかっておる。たとえ目先の問題が解決出来た所で、根本からの解決にはならぬ」
こちらの言葉に、バドラも杖を持つ手に力を込め、
「じゃが……目先の問題すら解決出来ぬのでは、先へは進めぬ。今は……こうするしかない」
最後は、絞り出すような声だった。
「話はついたか?」
「…………」
バドラが前に出て口を開こうとした時、ルサ達の後方から、突然数匹のバットムが飛んできて、そのまま、頭上を飛び越えていく。
そして少し遅れて、今度は足音が聞こえた。
「――兄さん! エリス!」
「ロジェ!?」
バットムを追ってきたのか、ロジェ達が駆けつける。自分達が屋敷にいないことに気づき、捜しに来たのだろうが――状況が状況なだけに、喜べない。
ルサもロジェ達に目をやり、
「フン、にぎやかになったようだが……邪魔はしないでもらおうか」
一斉に、マミーシーカーの銃口が五人に向けられ、ロジェ達はその場で足を止める。
「ちょうど話がついた所だ。お前達も、余計な手出しをして、無駄に血を流したくはないだろう?」
「ここは、我ら獣人の住まう土地。よそ者はひっこんでおれ!」
「くっ……」
ロジェは剣の柄を握るも、バドラにそう言われては身動きが取れず、黙り込む。
ルサは勝ち誇った笑みを浮かべると、あらためてバドラに目をやり、
「では、マナストーンの元まで案内してもらおうか」
「…………」
無言のまま、バドラは塔へと振り返るが、プリシラをはじめとする獣人達は、入り口の前から動こかない。
「お前達、道を開けるんじゃ!」
バドラが一喝するが、まだ迷っているらしく――やがて、プリシラは意を決したように、
「ダメよおばあ様! 人間の言うことに従うなんて、獣人の誇りを捨てたの!?」
「そうだ! 長老がそれでよくても、俺達はそんなの認めない!」
プリシラの言葉をきっかけに、他の獣人達が駆け出す。
「お前達! いかん!」
バドラが制止しようとするが、もはや手遅れだった。彼らは獣化すると、一斉にルサ達へと襲いかかる。
マミーシーカーはルサをかばうように前に出ると、獣人達に銃口を向け、容赦なくエネルギー弾を放つ。
「やめるんじゃ! これ以上、血を流してはならぬ!」
バドラの声が響くが、ある者はマミーシーカーに届く前に体を打ち抜かれ、ある者は懐まで到達しても、固い装甲に爪が折れ、あえなく反撃されて倒れる。
「…………」
どこかで見た光景だった。
とてもよく似た光景。なのに――全然違う。
倒れたかがり火が近くの草木に燃え移り、あっという間に周囲を炎と熱で包む。
ルサは術で上空へと浮かび上がると、悠然と地上を見下ろし、
「フン、所詮はケダモノか。人の話はちゃんと聞くものだぞ」
「キサマ! 下りてこい!」
上空のルサに、プリシラが届かないとわかりつつも飛びかかろうとするが、エリスはプリシラを羽交い締めにし、
「ちょ、ちょっと! 状況悪くしてどうすんのよ!?」
「うるさい! 獣人の誇りを捨てるなら、死んだほうがマシだ!」
プリシラはエリスを振りほどこうと暴れるが、エリスも必死でそれを押さえ込む。
「よすんじゃプリシラ! 命さえあれば、何度でもやり直せる! これ以上、若い命を散らしてはならん!」
バドラも必死に説得するが、頭に血が上った相手に、何を言っても無駄だった。
その光景を前に――何も、出来なかった。
マミーシーカーが相手では、こちらは手も足も出ない。かと言って、プリシラ達を止めることも出来ない。
……もっとも、彼らは自分達が望んでそうなっているのだから、自分が気に病む必要はない。ここにいることも、ほとんど偶然だ。いようがいまいが同じこと――
それなのに――何か出来ることはないか、必死に考えている自分に気づく。
考えた所で、今の自分には何もないのに――
『――ちからが、欲しいのね?』
「………?」
突然、頭の中に小さな声が響いてくる。
辺りを見回しても姿は見えないが、確かに聞こえた。どうやらテレパシーで語りかけているようだ。
――誰だ?
意識を集中させ、『声』に耳を傾ける。
『私は、月の精霊ルナ……あなたに、力をお貸します』
『今度は失敗すんなや! 絶対うまく行く! 根拠はあらへんけど保証したるで!』
ルナの声と共に、ウンディーネの声も聞こえてくる。姿が見えないと思っていたら、一足先にルナの元に行っていたらしい。
しかし、今の自分では――
こちらの不安を察したのか、ルナは落ち着いた口調で、
『大丈夫……何も考えなくていいの。力を抜いて、心を無にして……』
「…………」
一瞬、悩んだものの――言われるがまま、目を閉じ、大きく息を吐く。
周囲の音も一切遮断し、まるで、暗闇の中に一人で佇んでいるような気分だった。
『そして、大気のマナに、自分の波長を乗せて……同化する。それだけでいい』
音のない世界に、ルナの声だけが響く。
……昔、誰かが同じようなことを言っていた気がする。
たしか、まだ、魔法がうまく使えなかった頃――
ふいに、忘れ去っていた呪文が、自然と口から流れ出した。
◇ ◇ ◇
「――クソッ!」
「ロジェ! いけません!」
ユリエルの制止を振り切り、ロジェは剣を抜き放つと駆け出す。
剣が通用しないのはわかっているが、どうしても、殺されていく獣人達を前に、何もしないまま見ていることは出来なかった。
マミーシーカーの銃口がこちらを向き、エネルギー弾が放たれるが、すんでの所でそれをかわし、懐に飛び込むと――剣が折れる覚悟で、横凪に振るう。
――ぞんっ!
「……え?」
想像しなかった手応えに顔を上げると、胴体がまっぷたつに斬り裂かれたマミーシーカーが、ゆっくりと地面に倒れた。
このマミーシーカーだけではない。他のマミーシーカーも、獣人達の攻撃を受けて次々と倒れていく。よく見ると、人形の体が黄金色の光に包まれていた。
「どうなって……」
「――よっしゃ! うまく行ったで!」
勝ち誇った様子で、ウンディーネが姿を現す。
少し遅れて、金色の光を放ちながら、月の精霊ルナが姿を現し、周囲を見渡すと、
「人形達は今、弱体化しています。やるなら今よ」
そう言うと、獣人達に次々とムーンセイバーを掛けていく。
「――ちっ、ボディチェンジか! こしゃくなマネを……!」
ルサは舌打ちすると、近くの木の上へと移動し、塔の入り口をにらみつける。
自分もつられて塔に目をやると、入り口の前で膝をついたレニが、肩で荒い息をしていた。
何が起こったのかようやく理解すると、やられっぱなしだった獣人達が、一斉にマミーシーカーに襲いかかる。
「形勢逆転、か……ここは退け!」
レニの隣にいた年老いた獣人の声が響くが、ルサは態度を崩すことなく、
「フン。所詮は一時しのぎ……マナストーンは、日をあらためてもらい受ける!」
そして最後のマミーシーカーが倒れると同時に、一瞬にしてその姿がかき消えた。
◆ ◆ ◆
「…………」
「ひどいわね」
無言で佇むバドラに、ルナはつぶやく。
一言で言い表すなら、まさしくそれだった。
ルサは退けたものの、そこにあったのは勝利の喜びなどではなく、仲間の死に嘆く獣人達の姿だった。
火も先ほど消し止められ、辺りには焦げた臭いに混じって血の臭いが漂い、さすがのエリスも、プリシラの隣で顔面蒼白になって震えていた。
「獣人の誇り……これが、そうなのか?」
「…………」
レニのつぶやきに、プリシラは膝をついたまましばらくうつむいていたが――やがて、腹の底から絞り出すように、
「……なぜ、もっと早く魔法を使わなかった?」
「え?」
意味がわからず見下ろすと、プリシラは膝をついたまま顔を上げ、今にも泣きそうな顔でこちらをにらみつけると、
「そんな力があるなら、どうしてもっと早くなんとかしなかった!? そうすれば、こんなに大勢死ぬことなんてなかった!」
「…………」
何も言い返せないでいると、プリシラはさらに、
「相手が同じ人間だったからか!? 私達が獣人だから、ケダモノだから――」
――ぱんっ!
乾いた音が響き、その音に驚いたのか、他の獣人達も身をすくませる。
バドラは、手を振り上げたまま、
「この……バカモンが!」
「…………」
プリシラもバドラも、それ以上は何も言わず、静かになった塔の前に、冷たい夜風が吹いた。
「……ルナ。お前さんが出てきたということは、これはもう、獣人や人間で騒いどる場合ではない、ということじゃな?」
「…………」
バドラの言葉に、ルナはしばし瞑目していたが――うっすらと目を開けると、
「……十年前のあの予言が、現実のものになろうとしている。出来れば、はずれて欲しかったのだけど……」
「予言、ですか?」
ユリエルの問いに、ルナが口を開くより先に、
「……『双子の片割れが死す時、大いなる災いが目覚め、世界を混沌の闇へと誘うだろう』」
その言葉に、全員の視線が発言者――レニに集まる。
レニはバドラに目をやり、
「まさかその予言というやつ、お前がしたものか?」
「…………」
バドラは無言だったが、否定もしない。代わりに、重々しい口調で、
「……危機は去ったが、ヤツらはまた来るじゃろう。ワシらは、しばらくこの塔に近づかんほうが良さそうじゃ。――プリシラ。異論はないな?」
「……はい」
か細い声だったが、確かにうなずく。
バドラは、今度はこちらに目をやると、
「お前さん達、あの連中と戦うつもりなら、一刻も早く精霊を集めるんじゃ。お前さん方はもう、大きな渦の中に巻き込まれておる」
「……ま、ある意味、自分で首突っ込んだようなもんだけどな」
肩をすくめるキュカに、ユリエルも苦笑いを浮かべる。
「――うきょっ?」
ふと、テケリが何かに気づいたのか、辺りを見回し、
「ロジェがいないであります」
言われて辺りを見回すと、確かにロジェがいなくなっていた。
「どこに――」
「……捜してくる」
こちらが何か言うより先に、ジェレミアが塔の外壁に沿って歩き出す。
「…………」
「……あちらは任せておきましょう」
「なに? なんかあったの?」
エリスの問いには誰も答えず、ウンディーネも首を傾げるが、深くは追求せず、
「なあ。アンタも、ウチらと一緒に来るやろ?」
「…………」
ウンディーネに問われ、ルナは少し悩んだようだが、
「悪いけど……少し考えさせて。敵がまた来るとわかっていて、私がここを離れるわけにはいかない」
「ウンディーネの二の舞になるかもしれないぞ?」
「…………」
レニの言葉にも、ルナは無言のまま、姿をくらませた。
◇ ◇ ◇
見上げると、自分達の時代とまったく同じ形の塔がそびえ立っていた。
違いは、塔がそこまで古くないことと、流れていた川がないことくらいだろうか。
塔の外壁に沿って歩き、ある場所で足を止める。
雑草が生えているだけで、何もない。
何もないが――
――この……場所に……
時代は違えど、この場所だということはすぐにわかった。
しゃがみ込み、土に触れると、ひんやりと冷たい。この冷たさは――
「ユハニ……」
――姉さんを……エレナ……ねぇさんを……た……の……
あの時の手の冷たさと共に、彼の最後の言葉が脳裏をよぎる。
……最後を看取り、埋葬が出来ただけ、ユハニはまだマシだったかもしれない。
エレナに至っては、戦艦ごと冷たく、暗い海の底へと沈み――その亡骸を弔ってやることはおろか、花を手向けてやることさえも出来なかった。
「――おい」
「――――!」
驚いて振り返ると、いつの間にかジェレミアが仁王立ちしていた。
彼女は腕組みをしたまま、
「いいのか? ヤツに何も言わなくて」
「…………」
ジェレミアが言わんとしていることはすぐにわかった。
ジェレミアはいらだった様子で、
「いくら実の兄とはいえ、恨み言のひとつやふたつあるだろう? どうして何も言わない? なぜ黙っていられる? この塔は、お前にとって親友の墓場なんだぞ!?」
「…………」
立ち上がると、しばらく、ぼんやりと地面を眺め――
「……言った所で、わからないさ。兄さんには」
それだけ言うと、ジェレミアの横を通り過ぎ、元来た道へと引き返す。
……そう。きっとわからない。
自分の信じていたものに裏切られる気持ちも――愛する者と戦い、手に掛けてしまった者の気持ちも――きっと、わからない。
空を見上げると、ちょうど塔の真上に月が見え、暗い空を静かに照らしていた。