9.熱砂の果てに - 3/3


 教会の中もひどいありさまだった。
 燃えたりこそしていないものの、揺れで物が倒れ、窓も割れ、破片が散らばっている。
 関係者はすでに避難した後なのか、誰かと鉢合わせることもなく、マハルを先頭に教会の奥まですんなりと進むことが出来た。
「なんか……ヤな感じ……」
 なんとも言えない不気味さに、エリスがぽつりとつぶやく。
 奥へ進めば進むほど窓の数が減り、やがて、明かり取りの窓すらなくなった。
 マハルが持参したランプの光と精霊達が自ら発する光を頼りに、さらに奥へと進むが、なんとも重苦しい空気に、全員、自然と無口になる。
「……邪悪な気配がする。とても強い、負の思念……」
 ルナも警戒の色をあらわにし、ロジェ達もいつでも戦闘態勢に入れるよう、緊張した顔で辺りを見回す。
「この辺りのはずなんだが……」
「道に迷ったでありますか?」
 マハルが足を止め、首を傾げる。
 一本道を真っ直ぐ進むと、その先は袋小路になっており、何もなかった。
「…………?」
 ふと横を見ると、暗くてすぐには気づかなかったが扉がひとつあることに気づく。
 押してみると扉は簡単に開き、中をのぞき込むが、真っ暗で何も見えない。
「なんやここ? 嫌な感じするな」
 ウンディーネがこちらの頭上を飛び越えて中に入り、辺りを照らす。
「……物置みたいだな」
 後ろから中をのぞき込んだキュカがつぶやくが、なぜか、妙な違和感を感じた。
 室内の箱や道具はきれいに片づけられており、キュカの言うとおり、一見、整理整頓が行き届いた物置のように見えるが――
「どこなんだ……?」
「キュ?」
 足下のラビが不思議そうにこちらを見上げるが、かまわず奥へと向かう。
 何か、聞こえるような気がする。
 誰かが呼んでいるような――
 ほとんど無意識に、前に何も置かれていなかった壁に手を触れる。
 その瞬間、背筋にすさまじい寒気が走り、慌てて手を離す。
「――ここや! この奥から、めっちゃ嫌な気配がするで!」
 同じく気配を探っていたウンディーネが声を上げ、自分がたった今触れた壁の前で止まる。
「魔法で封じているみたいね。まかせて」
 ルナが扉の前に来ると、ひときわ強い光を放ち――壁の一部が後ろに少し沈むと、ゆっくりスライドしていく。
 エリスがぽつりと、
「なんか……聞こえない?」
「そそそ、そーゆーこと言ってテケリを驚かそうったって、通用しないでありますよ!?」
 テケリが顔面蒼白になって反論しているが、エリスの言うとおり、何か聞こえる。
 耳で音を聞いているのではなく、まるで、直接頭に流れ込んでくるような……
 気がつくと、扉が完全に開ききるのを待たずして、現れた地下への階段を駆け下りていた。
「兄さん!?」
「おい! 勝手にどこ行くんだ!?」
 後ろからロジェとキュカの声が聞こえたが、振り返りもせずに真っ暗な階段を駆け下り――ほどなくして、不気味な部屋に辿り着いた。
「ここは……」
 肩で息を切らしつつ、部屋の奥へと進む。
 地上と比べるとひどく寒いのだが、単に地下だからというだけの理由ではないような気がする。
 寒さにマントの前を閉じ、辺りを見渡すと、部屋の奥で何かがぼんやりと光っているのが見えた。
「コラー! 勝手に突っ走るんやない!」
 慌てて追ってきたウンディーネが部屋を照らし、整然と並べられた棚が見えようになる。
「なんだここ? ここも物置か?」
 追いついたロジェも辺りを見渡し、首を傾げる。
 たしかにロジェの言うとおり、物置に見えるが、棚の上にはほとんど何もなく、持ち出された後のように思えた。
「…………?」
 最初気になった光の元に近づくと、棚の上に置かれた不気味な黒い玉に辿り着く。この玉が、自ら光を放っているようだ。
 ちょうど、ナイトソウルズの動力源である魔導球くらいの大きさだったが、その黒い魔導球の表面には、不気味な白い模様が浮かび上がり、放たれる青白い光からは背筋が寒くなるような冷たさを感じた。

 ――呼ん、でる……?

 頭が、ぼんやりする。
 導かれるように、その黒い魔導球に手を伸ばし――
「――キィッ!」
 突然、ラビに横から体当たりを喰らわされ、その場に膝をつく。
「アカン! 不用意に近づくんやない!」
 ウンディーネが血相を変えて飛んできて、こちらと黒い魔導球の間に割ってはいる。
「…………」
「キュゥ……」
 無言で体を起こし、すり寄ってきたラビを抱き上げると、あらためて黒い魔導球に目をやる。
「な、なに……? これ……」
 エリスが不気味な黒い魔導球に眉をひそめ、ロジェ達は説明を求めるよう、遅れてやって来たマハルに目を向ける。
 よく見ると、この黒い魔導球は他の棚にも置かれているようで、青白い光が棚を挟んだ向こう側からも見えた。
 マハルはため息をつくと、
「……奴隷の話は聞いたことがあるだろう? その大手買い取り先が教団さ。もっとも、表には出さんが」
「奴隷……」
 座り込んだまま、服越しに、胸元の指輪に触れる。
「最初の頃は労働力として集めていたらしいが、マミーシーカーが量産出来るようになって用済みになったんだろう。連中はマミーシーカーをさらに改良して、戦闘能力の高いゴーレム兵を作っているらしいが……問題は、その動力源だ」
「……滅びの、こだま……」
 気がつくと、口からその言葉が出てきた。
 そうだ。さっきから感じるこの思念……ここにいるだけで、胸を締め付けられるような、苦しい気分になる。これは――
「……古い文献で読んだことがある。悲しみ、苦しみ……負の思念そのものである滅びのこだま……それを動力源に、動く人形……」
「ちょっと待ってくれ。奴隷達はどうなったんだ? 用済みって、まさか……」
「生け贄だ」
 ロジェの疑問に、マハルはキッパリと答える。
「それも、ただ殺されるんじゃない。奴隷同士で憎ませて、殺し合わせた」
 吐き捨てるように言う。
「……身寄りもない、誰にも捜されない。おまけに恨み辛みが蓄積されて……滅びのこだまを作り出すには、うってつけということか……」
 マハルの言葉に、ラビを抱きかかえたまま、棚の上の黒い魔導球に目をやると、相変わらず不気味で、どこか悲しげな光を放っていた。
 ユリエルも魔導球に目をやり、
「つまり、殺された者達の負の思念を封じ込めたものが、この黒い魔導球だと……」
「魔法を動力源にするより、もっと凶暴な人形の出来上がりってわけか。――クソッ、あいつら、人をなんだと思ってやがる!」
 キュカが何も置かれていない棚を殴りつけ、その音に驚いたラビが身をすくませる。

 ――…………。

「…………?」
 何か聞こえたような気がした。
「何か、気配がする」
 ルナも感じたのか、自分と同じ方角に目をやる。
「な、何かって、何よ?」
「オイラ、オバケとかそういうのは苦手ですにゃ!」
 エリスとニキータが完全に逃げ腰になって、出口のほうへと後ずさるが、
「……違う。これは……」
 ラビを下ろし、杖を手に立ち上がる。
 呼んでいる。
 黒い魔導球からではない。もっと別の――心に、直接ささやきかけるようなもの。
 奥へ向かおうと足を踏み出した瞬間、
「ダメであります!」
「――――!」
 突然、さっきの魔導球がひび割れ、その亀裂から黒い手が飛び出す。
 テケリがこちらの体に飛びついて避けようとするが――間に合わない!
「あぅっ!?」
 黒い手がこちらの右肩をわしづかみにし、持っていた杖が渇いた音を立てて床に落ちた。
「レニさん!?」
 肩に食い込む爪を引きはがそうとテケリが手を伸ばすが、とっさに、残った左手でテケリを思い切り突き飛ばす。
 なんとか自力で逃れようと身をよじるが、まるでナイフのように鋭い爪は、動けば動くほど深く食い込み、直接骨を削られる嫌な感触に気が遠くなる。このまま、腕をもぎ取られそうだ。
「――兄さん!」
 ロジェが剣を抜き、こちらの右肩をつかむ手に斬りかかるが――剣は、まるで霧でも斬ったかのようにその手をすり抜けた。
「なっ……」
「まかせぇ!」
 すぐに、ウンディーネが青い光となってロジェの剣に冷気をまとわせ、ロジェも再び剣を構える。

 ――ぱきんっ!

 魔導球が完全に砕け、中から、不気味な黒い怪物が姿を現す。
 肩から背にかけて奇妙な白い模様が浮かび上がり、血のように赤い目が、こちらを捉える。

 ――滅びの、母神?

 一瞬、痛みも忘れて、その姿に凍り付く。
 以前、カオスオーシャンに呑み込まれた時に見た、バジリオスに大魔女アニスのちからが宿って生まれた滅びの化身――
 同じではないものの、似ている。
 もしやこれは――
「あぶない!」
 ルナがこちらをかばうように前に現れ、もう片方の手を伸ばしてきた怪物に向かって強い光を放つ。
「はぁっ!」
 怪物がひるんだスキを見逃さず、ロジェはこちらの肩をつかむ腕を、精霊の力を宿した剣で斬り落とすが、斬られてもなお、鋭い爪は肩に食い込んだまま離れない。
「大丈夫か!?」
 駆けつけたキュカが、食い込んだ爪を引きはがそうとするが、突然、その腕が霧か何かのように消滅し、血が一気に溢れ出す。
「――レニ!」
「ダメですにゃ!」
 エリスが駆け寄ろうとするが、ニキータが制止する。うかつに近寄ると、彼女まで怪物の餌食だ。
「なんなんだコイツは!?」
 前に出て双剣を構えるジェレミアに、ウンディーネはアイスセイバーをかけながら、
「気ぃつけや! 滅びのこだまから生まれた、邪精霊タナトスや!」
「大魔女アニスのしもべ……」
 腕がちぎれそうな痛みをこらえ、なんとか口を開く。
「おい、しゃべるな!」
 キュカが、傷口にこちらのマントを巻きつけながら制止するものの、黙っていると意識が飛んでいきそうだ。
 意識が朦朧とする中、なんとか自分が知りうる知識を探り、
「負の感情を求め、生きとし生けるものを襲い……新たな負の感情は滅びのこだまを作り出し、こだまはタナトスを生み出す……すべてのいのちは、タナトスのエサ……」
「人々の心を喰らい、滅びの母神を生み出したアニスの黒い鏡と同じ、ということですか?」
 ユリエルの言葉に、無言でうなずく。
 もしかすると、あの時――ロジェ達に助けられず、奴隷として囚われたままだったら、自分も滅びのこだまの一部となっていたかもしれない。
 タナトスが残った手を振り回し、周囲に置かれた棚が派手な音を立てて倒れる。
「うっ……」
「じっとしろ!」
 キュカが再び制止するが、無視してなんとか立ち上がる。
「……呼んでいる……」
「……ええ。行きましょう」
 ルナが自らの光をこちらの傷に当て、少しだけ痛みが和らぐ。
 キュカは唖然とした顔で、
「呼んでいるって……そのケガで行くのか?」
「…………」
 自分でも、わけがわからない。
 しかし、それでも行かなくてはいけないような、そんな気がする。

 ――ぱきんっ。

 何かが割れる音に振り返ると、別の場所に置かれていた魔導球が割れたらしく、二匹目のタナトスが棚を破壊しながら真っ直ぐこちらに向かってくる。
「――――!」
「走れ!」
 キュカが前に出て新手のタナトスを迎え撃ち、自分はルナと共に奥へと駆け出す。
「兄さん!?」
 ロジェの横をすり抜け――ロジェ達と交戦中だったタナトスが、こちらを捕らえようと手を伸ばすが、ジェレミアの双剣がその腕を斬り裂き、ユリエルの矢がタナトスの額に刺さる。
 そこから先は振り返らず、ルナの先導で真っ直ぐ奥へと走ると、声が聞こえた。

 ――こっちだ!

「精霊!?」
 部屋の一番奥――壁に埋め込まれた台座に、他の黒い魔導球とは明らかに違う、赤い光を放つ大きな魔導球があった。
『まずいぞ! タナトスが魔導球からあふれ出しそうだ!』
 声は、その赤い魔導球の中からはっきりと聞こえた。
 魔導球の元に辿り着くと、息を切らしながら、
「……どういうことだ?」
「どうやらあなた達が来たことで、封じられていたタナトスが刺激を受けたみたいね。さあ、早く!」
「…………」
 ルナに促され、魔導球に血のついた左手を伸ばすが――脳裏に、ウンディーネを解放した時のことがよぎる。
 もし、あの時と同じことが起きたら――
『――大丈夫だ! 盛大にパーっと燃えちまってもかまわねぇ! どうせここにある魔導球は、全部燃やしちまわねーとなんねーしな!』
 不安を読み取ったのか、精霊がなんとも威勢のいいことを言う。

 ――ぱきんっ!

 振り返ると、床に落ちていた黒い魔導球がひび割れ、その割れ目から黒い手が飛び出す。
「早く!」
 もう、ためらっている余裕などない。
 ルナに促され、ほとんど無心で、魔導球に触れる。

 ――ドクンッ!

「――――!」
 あの時――ウンディーネを解放した時と同じような感覚に、一瞬、意識が遠のく。
 このままでは行き場のない力が暴走し、ウンディーネの時と同じことになるだろう。もしそうなれば、場所が場所なだけに、今度こそロジェ達を巻き込むかもしれない。
 ただ、違うのは――

 ――大気のマナに自分の波長を乗せて――同化する――

 ほんの一瞬だった。
 背後では黒い魔導球が完全に砕け、束縛から抜け出たタナトスが、こちらに覆い被さるように飛び出すが――振り向きざまに、赤い魔導球からあふれ出たエネルギーをそのままぶつける。

 ――オオオォォォォォォォォォ!

 タナトスは一瞬にして炎に包まれ、断末魔の悲鳴を上げながら、炎と共に消滅した。
「…………」
 肩の痛みも忘れてその場にへたり込み、荒い息を繰り返す。
「……フーッ。あぶねー所だったな」
 そしてタナトスが消滅した跡に、火の精霊サラマンダーが、安堵の息を漏らしながら現れた。

「サラマンダー! 大丈夫か?」
 あちらは片づいたらしく、剣を手に駆け寄ってきたロジェに、サラマンダーは口をとがらせ、
「オレの心配してる場合じゃねぇぜ! あいつら、ここに置いてあったほとんどの魔導球をどっかに運んで行きやがった!」
「あいつら?」
 ジェレミアが眉をひそめるが、それどころではないのか、サラマンダーは早口に、
「さっき、ゴーレムがどうとか言ってたな? そのゴーレムってのは、こことは別の村で作っているらしい。昔の鍛冶職人が大勢いるとかでな。そこに運んで、ゴーレムを動かすつもりだ!」
「鍛冶職人……まさか、メノス村?」
 呆然とするユリエルに、マハルも、
「さっさと行ってやりな。ここにあった黒い魔導球は全部壊したみたいだしな。……俺の用事は終わりだ。お前達はお前達で好きにしな」
「…………。わかりました。では、急いでメノス村に戻りましょう」
 魔導球も破壊し、サラマンダーも解放した今、長居は無用だ。
 それに、サラマンダーの言っている村がメノス村のことなら、急がなくてはならない。
「っ……」
 立ち上がろうとするが、足に力が入らず、再びその場にへたり込む。
 今ごろになって、忘れていた痛みがぶり返し、意識が朦朧としてきた。かなり出血したせいか、ひどい寒気がする。
「――肩、大丈夫?」
 ふいに肩の痛みが和らぎ、顔を上げると、いつの間にやってきたのかエリスが傷口に手をかざし、ヒールライトを唱えていた。
「あ、ああ……大丈夫だ」
「レニさん、ムチャばっかりであります」
 さっき落とした杖を手に、テケリも心配顔でやって来て、追ってきたラビがこちらの膝の上に乗ってきた。
「…………」
 その向こうに目をやると――ロジェはすでにこちらに背を向け、一足先に出口へと向かっていた。

 船の窓から外に目をやると、黒い煙が立ち上っているのが見えた。
「クソッ、手遅れか……」
「あいつら……!」
 ジェレミアは舌打ちすると、急いで村の近くに船を着陸させる。
 地上に降りると、村の中へと急ぐが――
「うっ……」
 エリスが思わずうめき、顔をそらす。
 村の外へ逃げ出そうとしたのだろうが、あと一息の所で斬られたらしい。村の中に入るなり、背中をバッサリ斬られた村人の亡骸が転がっていた。村人だけでなく、家畜も殺され、家も燃えて黒い煙があたりに充満している。
「…………」
 斬られた村人を見下ろすと、まだ少年のようだ。驚きに満ちた顔のまま、すでに絶命していた。
 いつもと同じように朝を迎え、いつもと同じ一日を過ごすはずだったというのに、ほんの数時間後にこんなことになるなど、誰が想像しただろうか。
「……レニさん、大丈夫ですかにゃ?」
「…………」
 そう言うニキータこそシッポを丸め、震えを必死にこらえているようだが、気丈にも船での留守番を拒んでついてきた。もしかすると、こちらの体調を案じているのかもしれない。
 肩の傷こそエリスのヒールライトでふさがったものの、自らの血で服が濡れているせいか、さっきより寒気がひどくなり、気を緩めると視界がかすむ。正直、立っているのも辛いが――
「……私のことを気にしている場合か?」
「そ、そうは言いましても……」
 それ以上は相手にせず、ロジェ達の後を追う。
 倒れている者の中に、生きている者がいないか捜し回るが、
「クソッ、皆殺しかよ……」
 キュカが、うつぶせに倒れた老人の肩を揺さぶるが、こちらもすでに事切れていた。
 目に付いた村人を片っ端から見て回るが、そのすべてが斬殺され、中には二回斬られた者もいる。
 その村人の中に、知っている顔がないか捜すが、建物の中なのか、それとももっと奥なのか、見あたらない。
 その代わりに、
「なんだあれは?」
 ジェレミアの視線の先に目をやると、人が身につけるには明らかに形がおかしい、不気味な青い鎧が見えた。
 後ろ姿ではあったが、頭にはとがった兜、体は大きな肩当てのついた全身鎧で、その間接などから見える腕や足は異様に細く、棒のようだった。
 その鎧は、まるで訓練された兵隊のようにきびきびした動作で村の中を闊歩しており、こちらに気づいたのか、振り返る。
 兜の、本来、顔が見えるはずの場所には暗い闇が見えるだけで、中に誰かが入っているようには見えない。もっとも、人が身につけるために作られたわけでもなさそうだ。
 中に入っているのは――
「あれがゴーレム……タナトスを収めるための器か……」
 実体を持たないタナトスを使うには、こういった動き回れる器があるほうが便利なのだろう。マミーシーカーと比べても、かなり人に近い形をしている。
 鎧にはタナトスと同じ不気味な模様が浮かび上がり、手にした鋭い斧には真新しい血がこびりついていた。
「な、なんで暴れてるでありますか?」
「暴走しているのか……もしくは――」
 後ろでラビを抱えて震えるテケリに、ユリエルは振り返ることなく、弓を構え、
「口封じ、と言った所でしょうか」
 言うと、ゴーレム目掛けて矢を放つ。
 矢はゴーレムの肩に命中するものの、傷ひとつつけられず地に落ちる。
「おい……なんかヤバくないか?」
 キュカの言葉に辺りを見渡すと、ゴーレムが一体、また一体と姿を現し、じわじわとこちらを包囲していく。
「…………」

 ――聞こえる……

 ざわざわと、不気味なささやきが聞こえる。
 いくつもの声が重なり合い、なんと言っているのか聞き取ろうと意識を集中させると、そのまま引きずり込まれそうな――
「――レニ!」
 ルナの声に、我に返る。
 ルナはこちらの異変に気づいたのか、落ち着いた口調で、
「その声を聞いてはいけない。引きずり込まれるわよ」
「…………」
 我に返った途端、背筋に冷たい汗が噴き出し、荒い呼吸を繰り返す。
「ねぇ、生きてる人はいないの?」
 エリスが誰にともなく訪ねるが、答えられるわけがない。
「とにかく、村の外までいったん退きましょう。この状況では、我々が圧倒的に不利です」
 ユリエルが次の矢を構え、ロジェ達も剣を構えると、ウンディーネが全員の武器にアイスセイバーをかける。
 元来た道に振り返ると、すでに数体のゴーレムが回り込み、こちらを逃がすまいと立ちはだかっていた。
 ユリエルが、一番手前にいたゴーレムの足下目掛けて冷気をまとった矢を放ち、その足を地面ごと氷漬けにするが――動きを封じたのは一瞬で、ゴーレムは自らの足下に斧を振り下ろし、あっさりと氷を砕く。
「コイツ!」
 ジェレミアが同じく冷気をまとった双剣を構えて駆け出し、その腰を斬りつけ、凍らせるが、ゴーレムは氷などものともせずに、体勢を崩したジェレミア目掛けて斧を振り下ろす。
「――あぶねぇ!」
「くっ!?」
 とっさにキュカが横からジェレミアに飛びつき、二人一緒に地面に倒れ込む。
 二人ともすぐに起きあがり、武器を構えるが、さすがに再び突っ込むようなことはせず、後ろへと下がる。
「アカン! ウチの魔法は効果なしや!」
「――だったら、オレの出番だな!」
 頭を抱えるウンディーネに、ついてきたサラマンダーが姿を現し、近くにいたロジェの剣にフレイムセイバーをかける。
「後ろであります!」
 テケリの声に振り返ると、こちらのすぐ後ろに新手のゴーレムが迫り、斧を振り上げていた。
「兄さん、下がって!」
 ロジェが剣を手に突っ込み、斧を持つ手を狙って、下から上に向かって剣を振るう。

 ――ドスッ!

「―――!?」
 次の瞬間、自分の足下に降ってきたものに、思わずすくみ上がる。
 降ってきたのは、斧を握ったままのゴーレムの右腕だった。
 斧の先端が地面に深々と突き刺さり、ロジェに斬られた腕の断面が熱で真っ赤になっていた。剣で斬ったというより、熱で焼き切ったと言ったほうが良さそうだ。
「よし! 効いてるぞ!」
 サラマンダーの勝ち誇った声が聞こえたが、安心するのは早かった。
 ゴーレムは片腕を失ったことなど気にも留めず、ロジェの目を狙って残った左手で突きを放つ。何も持っていないとはいえ、その手には鋭い爪がつけられており、凶器としては十分だった。
 ロジェはゴーレムの爪を剣の腹で受け止めると、そのまま滑らせて受け流し、相手がバランスを崩したスキに、今度は右足の付け根に剣を振り下ろす。

 ――ゴトンッ。

 鈍い金属音を立てて、右足は付け根から斬り落とされるが、それでもゴーレムは倒れず、まるで見えない足がもう一本ついているかのごとく、ロジェとの間合いを詰めて再び突きを放つ。
 ロジェは後ろに下がってそれをかわしながら、
「――ダメだ! 動きが止まらない!」
 絶望的に叫ぶと、呆然と突っ立っていたこちらの腕をつかみむなり、引きずるように走り出す。
 キュカ達も同じように、サラマンダーの力を借りてゴーレム達と交戦しているようだが、ゴーレム達は体の一部を壊されようとも、両足を失おうとも、なおも体を起こし、武器を構える。
 これが人間なら、とっくに勝負はついていたのだろうが――
「無駄だ……器を壊しても、タナトスは消えたりしない……憎しみ消えるまで、恨み晴らすまで、破壊の限りを尽くす……」
「なんのために?」
「理由などない。ただ、壊す。それだけだ」
 エリスのつぶやきに、キッパリと返す。
 なんとか包囲を抜け出し、村の出口に向かって逃げるものの、ゴーレム達は見逃すつもりはないらしく、後を追いかけてくる。
「兄さん、早く!」
「ロジェ、ちょっと待――」
 前を走るロジェに急かされるが、そもそも、ロジェ達のペースに合わせるなど無理な話だった。
 案の定、曲がろうとして足がもつれ、その場に倒れる。
「兄さん!?」
「伏せてください!」
 ユリエルの声が聞こえ、伏せろと言われたにもかかわらず顔を上げると、すぐ頭上を炎をまとった矢が飛んでいく。
「!?」
 次の瞬間、背後で何かが崩れ落ち、砂ぼこりと熱風に目を閉じる。
 咳き込みながら振り返ると、ユリエルの矢がトドメをさしたらしい。燃えていた家が崩れ、数体のゴーレムがその下敷きになっていた。ヘタをすれば自分も下敷きになっていたかもしれない。
「殺す気か……!?」
「苦情は受け付けておりません」
「いいから急げ!」
 キュカに腕を引っ張られ、なんとか立ち上がると、村の外へと急ぐ。
「レニさん、大丈夫ですかにゃ?」
「…………」
 肩で荒い息を繰り返すのがやっとで、心配するニキータに返事する余裕もない。自分でも、立っていられるのが不思議なくらいだ。
 振り返ると、崩れた家に道をふさがれ、一応ゴーレム達の足止めにはなったようだが、よく見るとさっき下敷きになったゴーレムがガレキを押しどけ、起きあがろうとしているのが見えた。どうやら精霊の炎でなければ効果はなさそうだ。
 ユリエルは矢をつがえ――無駄だと判断したのか、弓を下ろすと、
「……こうなっては、サラマンダーの炎で村ごと焼き払うしかありません」
「まだ生きてる人がいるかもしれないであります!」
 テケリが食いつくが、ユリエルは首を横に振り、
「この状況では絶望的です。仮に生き残りがいたとしても、今の我々には助ける術がない」
「…………」
 その言葉に、テケリも黙り込む。
 そう。この状況では自分達が危険だ。精霊がいなければ、さっき囲まれた時にやられていたかもしれない。
「いずれ血の臭いを嗅ぎつけて、魔物が集まってきます。かといって、あのゴーレム達を放置するわけにもいきません。ならばいっそ、村ごと焼き払って葬るしかありません」
 そして、こちらに目をやると、
「レニ。あなたにお願いします」
「私……が?」
 その判断に、自分よりもロジェが驚いたらしく、
「隊長! 本気か!?」
「ちょっとー! レニ一人に、そんな嫌な役させるわけ!?」
 エリスも反論の声を上げるが、ユリエルはそれらの声を無視して、
「サラマンダーの力を借りて、村ごと焼き払ってもらいます。……できますね?」
「…………」
 まるでこちらを試すような――そんな目で言ってくる。
 ……どのみち、選択の余地などなさそうだ。
「……いいだろう。やってやる」
「兄さん……」
「……オレはかまわねーぜ。亡骸を魔物に食い荒らされるよりは、焼いて葬ってやったほうがマシだろうしな」
 サラマンダーも錫杖を手にその場で一回転し、村へと目をやる。
「いいか? 余計なことは考えるな。一瞬でもためらったら、自分まで呑まれる」
「…………」
 無言で、サラマンダーと共に村の入り口まで戻ると、家の下敷きになっていたゴーレムはすでにガレキから這いだし、他のゴーレム達もガレキを乗り越え、真っ直ぐこちらへと向かっている。真っ向勝負で勝てる相手ではない。
 さっき、ロジェに斬られて手足を片方ずつ失ったゴーレムが目前まで迫り――突然、その鎧が内側から砕け、中に封じられていた黒い怪物が姿を現す。
 もう、やるしかない。
 杖を持つ手に力を込めると、全身に不思議な力があふれる。
 サラマンダーの力がこちらに流れ込んでいるのだと理解した頃には、周囲にすさまじい炎の渦が生まれていた。
「――行くぞ!」
「…………!」
 周囲を渦巻くエネルギーに押し潰されそうになるが、なんとか足を踏ん張ってこらえる。
 目を閉じ、マナの流れを読み取り――次に目を開けた瞬間、炎を突き破り、爪を振り上げるタナトスと目が合った。
 タナトスは、今、まさに爪を振り下ろそうとするが、

 ――ゥアアァァァァァァァァァァッ!

 まるで人のような悲鳴を上げながら、炎に巻かれ、渦の外まで押し出される。
「いいぞ! やっちまえ!」
 姿は見えなかったが、サラマンダーの声を合図に、迫り来るゴーレム目掛けて炎を操る。
 炎は、まるでそれ自体が意思を持っているかのように、迫り来るゴーレム達を一気に呑み込み、そのまま外から内へと向かって村を包み込む。
「…………」
 チリチリと肌が焼け、風に乗って火の粉がこちらまで飛んでくるが――それと一緒に、ゴーレム達の断末魔の声が聞こえてきた。
 どこかで見た気がする。
 違うのに、同じ光景。
 自分が焼いているのはゴーレムのはずなのに、別のものを焼いているような気がする。
 かつて、自分が焼き払ったのものは――
「結局……変わらない。何も……」

 ――虫ケラが、どうあがいたところで……何も……

 壊して、殺すだけ。
 以前、誰かにそう言った。
 力を得た所で、何も変わらない。変わることなど、決してない……

 ――とさっ。

 背後のかすかな物音に振り返ると、ロジェ達のさらにその向こう――この村に戻った時、真っ先に捜した二つの顔があった。足下には、一束程度だったが小さな花の入ったカゴが落ちている。
「あんた達、無事だったの!?」
 エリスが驚き、目を見開くが――コートニーとカート、二人の視線は、血まみれのレニに真っ直ぐ向けられていた。
 その向こうには、今なお、燃え続ける村。
「ひとごろし……」
 どちらの言葉だったのかはわからない。
 目の前の光景に、二人は驚きを通り越しているのか、ただただ、無表情に、
「ひとごろし……人殺し!」
 レニに向かって、コートニーがそれだけ怒鳴ると、カートの手を引いて、こちらに背を向け走り出す。
「おい!? 誤解だ!」
 キュカが呼び止めるが、二人の耳には届かなかったらしい。
「アカン! あっちから魔物の気配がする!」
「――――!」
 ウンディーネの言葉に、真っ先にレニが駆け出す。
 ほどなく荒れた林の中に入り、二人はあっさりと見つかった。
 見つかったが――
「……手遅れ、でしたね」
 ユリエルのつぶやきが、妙に遠くに聞こえた。
 おそらく、苦しむ間もなかっただろう。
 コートニーとカートは、二匹のパンサーキメラにそれぞれ喉を食いつかれ、すでに物言わぬ骸と化していた。
 ただ、驚愕に見開かれた目だけが、こちらを見つめている。
「――こいつら!」
 ジェレミアが双剣を手に飛びかかり、ロジェとキュカも武器を手に、パンサーキメラに飛びかかるが――もう、どうでもいい。

 ――壊して、殺すだけ。何も変わらない……何も……

 これでは――タナトスと同じ――
「レニさん!?」
「キュッ!?」
 近くにいたニキータが、斜めに傾いたこちらの体を慌てて支え、ラビも寄ってくる。
 エリスも、こちらの体に触れるなり、
「ちょっと! すごい熱じゃない! こんな体で走り回ってたの!?」
「――兄さん!?」
 あちらはあちらで片づいたらしく、こちらに集まってくるのが気配でわかったが――それを確認する間もなく、意識は暗転した。