15.秘めやかな燦めき - 1/5

 窓から外を見下ろすと、少し前まで海しか見えなかった光景に緑が混じっていた。
「あれがディオールか……」
 海と空に挟まれるように、森が見えた。これまで見てきたどの森の緑よりも、一層深い緑のような気がする。
 なんとなく、懐かしい気分だ。
「何か来る」
 ジェレミアの声に振り返ると、レーダが何かを拾ったらしい。ユリエルがジェレミアの肩越しにレーダをのぞき込んでいる。
「あれは……」
 ほどなくして、肉眼でも見えるようになった。空と海の青に紛れて見づらかったが、確かに、前方から何か来る。

 ――船?

 ぼんやりとそう思った瞬間、
「来るぞい!」
 ノームの警告とほぼ同時に、一筋の光線が、船のすぐ横を通り過ぎていく。
「きゃあっ!」
 直撃こそしなかったが、余波で船が揺れ、エリスがその場に転倒した。
 彼女は起きあがると、
「なによいきなり!?」
 エリスは無視して、ユリエルは窓の外を凝視し、
「あれは……まさか、ルジオマリス!?」
「ルジオマリス?」
 現れたのは、水晶のような青い船だった。
 いや、本当に水晶で出来ているらしく、光の屈折で時折色が変わって見える。コクピットのあたりは珊瑚のような紅色をしていて、それがなければ、完全に空や海に溶け込んで、視認するのにもう少し時間がかかったかもしれない。
 ……そういえば、ロリマーであんな水晶を見たような気がする。
「なんやあれ!? ウチの洞窟の水晶やないか!」
 ウンディーネの言葉に、かつて、ロリマーの洞窟でマミーシーカーが運んでいた石のことを思い出す。
 いや、それよりもっと前にもどこかで――
「あの船は、アルテナのお船じゃなかったでありますか?」
 小声で聞くテケリに、ユリエルも小声で、
「私達が知っているのは『古代アルテナの魔導要塞』だということだけです。いつ造られたのか、誰が造ったのかまでは知りません」
「……歴史など、後でいくらでも塗り替えられるからな」
 ようやくあの船が、ペダンのウェンデル侵攻で、バジリオスを退けた船だということを思い出す。こんなところで再会するとは、なんとも皮肉な話だ。
 ふと横を見ると、ロジェが顔面蒼白になっていた。
「ロジェ?」
「…………」
 聞こえなかったのか、呼んでも無反応だ。
『――また会ったな』
 その時、無線から聞き覚えのある男の声が聞こえた。
「マハルか?」
「それじゃあ、ロリマーで暴動起こしたのって……」
『ああ、俺だ』
 エリスの声が聞こえたのか、あっさり肯定する。どのみち、彼以外の心当たりを自分達は知らないが。
 ジェレミアは低い声で、
「いきなり攻撃とは、どういうつもりだ?」
『ただの挨拶代わりだ。ちゃんとはずしてやっただろう』
「ふざけるな!」
 無線に向かって怒鳴るが、マハルは落ち着いた声で、
『まあ、待て。やり方はともあれ、俺達は同じ敵と戦う者同士だ。どうだ? 手を組まないか?』
「お断りです」
『即答か』
 ユリエルの回答に、マハルは食いつくこともなく、むしろ安心したように、
『そうでなきゃ困る。セコセコとしか動けねぇ甘っちょろい連中と組むなんざ……こちとらゴメンだ!』
「回避を!」
 ユリエルの指示と同時に、ルジオマリスから次々と砲撃が放たれる。
 ジェレミアが舵を横に切るものの、間に合わない。
「伏せろ!」
「キュィッ!?」
 全員がその場に伏せるか何かにしがみついた瞬間、被弾による衝撃で船が激しく揺れ、ラビが端まで転がる。
 ほどなく、揺れが収まり――
「あわわ! 修理したばっかりであります!」
「あの程度の砲撃、恐るるに足りん」
 慌てて起きあがるテケリに対し、こちらはゆっくりと起きあがり、服のホコリを払い落とす。
 全員、半信半疑という顔だったが、あの程度で破られるような生半可な結界など最初から作らない。船内からではわからないが、外装はほとんどダメージを受けていないはずだ。
 それを証明するように、マハルは感心した様子で、
『ほう、やるな。だが……次はどうかな?』
 その言葉に、背筋に寒気が走る。
「イカン! とんでもないのが来るぞい!」
「回避を!」
 危険を察知したのか、ノームとユリエルが声を上げ、ジェレミアも慌てて舵を切る。
 何か、とてつもないエネルギーを感じる。
「ジン! 風で船を押せ!」
「はいダスー!」
 元よりそのつもりだったのか、ジンが慌てて船外に飛び出し、他の精霊達も結界に力を注ぐ。
「来るぞ!」
 誰が叫んだのかはわからない。
 その場に伏せた瞬間、窓から強烈な光が差し込む。船が激しく揺れ、気がつくと壁に叩きつけられていた。
「っ……」
 一瞬、意識が飛んだような気がする。
 なんとか起きあがり、窓から外を見下ろすと、さっき見た光景が変わっていた。
 岩礁が、巨大なクレーターと化している。
 そのクレーターに海水が流れ込み、海へと戻っていく。今まさに、地形が変化する瞬間を見た。
「にゃ、にゃんですか今のは!?」
「これが……次元魔導砲……」
 後ろでニキータが悲鳴に近い声を上げていたが、自分はさっきまでクレーターだった場所から目を離せずにいた。
 大量のガイアの石を使って放たれる魔導砲――
 話には聞いていたが、その威力を目の当たりにすると、背筋に寒いものが走る。あれが直撃すれば、いかに魔法強化したこの船でも――
『驚いている暇はないぞ』
 その声に顔を上げると、ルジオマリスはすでに第二波の準備をしていた。
「おいおい、絶体絶命じゃないのか!?」
 一発目は手加減してくれたようだが、今度は当てるつもりだ。発射口が、まっすぐこちらに向けられる。
「マハルさん、ちょっと待ってよ! ――お願い、わたしに話をさせて!」
 その声に振り返ると、無線の前に立っていたユリエルをエリスが押しどけていた。
 彼女は無線越しに、
「マハルさん、さっき『同じ敵と戦う者同士』って言ったじゃない! たとえ手は組めなくても、戦う必要まではないでしょ!?」
『…………』
「ねぇ、なんでよ!? なんかあったの!?」
『何も言うことはない!』
 マハルは問答無用とばかりに言い放つと、無線を切る。
 結局状況は変わらぬまま、エネルギーはルジオマリスの発射口に集まり続けている。
「回避を!」
「どこへ!?」
 ユリエルの無茶な指示に、ジェレミアも焦った顔で怒鳴り返す。
 なにしろここは空だ。身を隠す場所などない。第一、船体の向きを変える余裕も――いや、
「――あの船に突っ込め!」
「なに!?」
「直進してください!」
 こちらと同じ事を考えたのか、ユリエルが同じ指示を出す。
 考える暇はないと判断したのか、ジェレミアはヤケクソ気味に、ルジオマリスに向かって船を全速力で直進させる。
 魔導砲発射寸前のルジオマリスにギリギリまで接近したところで、
「降下!」
 意味がわかったのか、ジェレミアは舵を思い切り倒して船を下降させると、ルジオマリスの底をくぐり抜ける。
 激しい揺れに悲鳴が上がるが、ユリエルは操舵席にしがみつき、
「面舵一杯! そのまま樹海へ!」
「チッ……!」
 ジェレミアは舌打ちすると、舵を切り、斜め横を滑るようにして樹海へと船体を傾ける。
 そしてほとんど同時に、背後で次元魔導砲の第二波が放たれた。

「まったく無茶するな……今に始まったことじゃねぇけど」
「これまでの無茶と比べればかわいいものですよ」
 愚痴をこぼしながら荷物をチェックするキュカに、ユリエルはいつもの調子で返す。
 船は途中でコントロールを失い、森の中にまともに突っ込んでしまった。
 木々がクッションになったおかげで船に異常はなさそうだが、森の動物にとっては迷惑この上ない。船を降りて空を見上げると、鳥達がギャアギャア騒いでいた。
「これで……よし」
 最後の石を配置し、その場から数歩離れると、術を発動させる。
「消えたであります!」
 不時着した船が目の前から消え、密林へと光景が変わった。
「光の屈折を利用した幻術だ。簡易の結界だが……まあ、目くらましには十分だろう」
 隠すものが大きすぎること、魔法陣を描くには不適切な場所であることもあり、陣の代わりにノームに作ってもらった石を船の周りに配置した。空からでは、まず見つからない。
 しかし、ジェレミアは半信半疑といった顔で、
「大丈夫なのか? 別に船そのものが消えたわけじゃあるまいし、なによりお前の魔法じゃあな」
「なによ。そんなに船が心配なら、一人でここに残ればいいじゃない」
 その言葉に、ジェレミアはエリスをにらみつけるが、エリスは素知らぬ顔でそっぽを向く。ポルポタの一件以来、二人の仲が改善される気配はない。
 女二人にため息をつきながら、
「……そこまでの深追いはしてこないだろう。ヤツとて、目的が教団なら、私達と遊んでいないでマナストーンを探すはずだ」

 ――教団?

 口にしてから、妙なことに気づく。
 表向きには、教団のトップはいなくなったはずだ。
 そうなると、マハルの目的はある意味達成されたのではないか?
 むろん、本物の主教を追っている可能性もあるが、そこまで追いつめる理由があるのだろうか? 組織の代表としては、今後のために活動を移行するほうが正しいと思うのだが……
「――マニャストーンとにゃると、やっぱりエルフですかね」
「知ってるんですか?」
 ユリエルの言葉にニキータはうなずき、
「オイラがチビの頃、薬の材料を探しに両親と一緒に来たことがありますにゃ。小さなエルフの村があったはずですにゃ」
「場所はわかりますか?」
 地図を広げるユリエル達を横目に、あたりを見渡す。雑草と木ばかりの光景に、ふと、
「エルフと言えば、ランプ花の森に住んでいるはずだが」
 『花畑の国』と呼ばれるディオールには、夜になると光る花があるらしい。
 ランプのような袋状の形から、そのまま『ランプ花』と呼ばれているそうだが、見たところ、花らしい花すら見あたらない。
 ニキータは地図を見ながら、
「ああ、それはもっと森の深い場所ですにゃ。ここから人の足で向かうのは、たぶん難しいですにゃよ」
「そうか……一度見てみたかったんだが」
「花より今はマナストーンだ。で、どうなんだ?」
「急かさにゃいでくださいよ……こっちですにゃ」
 ジェレミアに急かされ、ニキータは地図を手に歩き始めた。

「ギャーッ!」
 テケリが足を滑らせ、森に悲鳴が響く。
 ユリエルはテケリを助けもせず横切りながら、
「足下に気をつけてください」
「すべってから言わないでであります!」
 ぶつけた頭をさすりながら、テケリは涙目で訴える。
 進むのは道なき道だった。
 木々が茂り、足下も木の根や雑草が邪魔をしている。温かく、湿気の多い土地柄、苔もよく生えているので、いつ滑ってもおかしくない。
 足を止め、額の汗をぬぐいながら、
「こんなので、本当に道がわかるのか?」
「もうちょっとですにゃ。オイラ、方向感覚には自信がありますにゃ」
 たしかに獣人であるニキータのほうが、方向感覚は良さそうではあるが、自分には同じ光景にしか見えない。
「なんだ? もうへばってるのか?」
「私はお前達みたいなのとは違うんだ」
 森の中を平然と歩くキュカをにらみつける。蒸し暑いのはみんな同じはずなのに、自分だけが一番疲れているような気がする。
 少し前を進むロジェに目をやると、あちらも疲れた様子はない。
 疲れてはいないようだが――
「……ロジェ、どうかしたのか?」
「どうかって……何が?」
「い、いや……」
 それ以上何も聞けずにいると、ロジェは再び歩き出す。
 ……なんとなくだが、ここ最近、口数が減っているような気がする。特にさっきからは何か考え事でもしているらしく、ずっと無言だ。
「……俺達にとっちゃ味方の船だったとはいえ、ロジェにとっては恋人の船を墜とした船だからな」
「え?」
 振り返ると、キュカも気にしていたらしく、
「しばらく放っといてやれ」
 それだけ言うと、こちらを置いて先へと進む。
 少しして、船とはさっきのルジオマリスのことだと気づく。

 ――恋人の、船を……

 ふと右手に触れると、金属の感触がする。
 この間、ロジェからもらった指輪だ。アクセサリーの類はあまり身につけないので、まだ少し違和感を感じる。
「キュー?」
 ラビが不思議そうな顔でこちらを見上げていることに気づき、抱きかかえてやる。雑草の中を通ってきたせいで、体が緑色になっていた。
「……大丈夫だ」
 しばらく、ロジェとは関わらないほうがいいのかもしれない。
 なるべくロジェと距離を取りながら進むと、次第に視界が開けてきた。
「なにここ?」
 そして、全員目を丸くした。
 目的の村に到着したのは間違いないようだが、想像していたものとかけ離れた光景だった。
 恐らく火事でもあったのだろう。建物はすべて炭化して朽ち果て、その残骸が雑草の中に埋もれている。
 当然エルフの姿などなく、静かなものだった。
「村?」
「えーと、そにょハズだったんですけどぉ……」
 ジェレミアに頭をわしづかみにされ、ニキータが言葉を濁らせる。
 ユリエルも崩れた建物をのぞき込みながら、
「何年も放置されているようですね」
「住んでた人達はどこ行ったでありますか?」
 テケリの何気ない言葉に、全員黙り込む。
 唯一言えることは、ここにはもう、誰もいないということだ。
「キュ?」
 何か聞こえたのか、抱きかかえたラビが耳を立て、腕から飛び降りる。
 ラビが反応した方角に目を向けると、一瞬だが人影が見えた。
「今、誰か……」
「キュウッ!」
 こっちだと言わんばかりに、ラビは村の奥へと跳んでいく。
 後を追うと、村の奥まった場所に、上半分がない焦げた大木があった。
「この木……おっきいわね」
 エリスが目を丸くして、大木に駆け寄る。
 木の直径はこの場にいる全員で囲んでも囲みきれないほどの幅があり、残った下半分ですら見上げなければいけないほどの高さがあった。
 近くには木の上半分が倒れていたが、すっかり炭化し、苔と雑草にまみれて朽ちている。
 もし、この木が折れることなく残っていれば、どれくらいの大きさだったのか……想像がつかない。
「キュゥッ! キュキュィッ!」
 ラビの声がする方角へ向かうと、ちょうど大木を挟んだ向こう側に、一人の女がいた。
 長い金髪に青い目をした、華奢(きゃしゃ)な女だった。露出の少ない白い服を着ており、数輪の花が入った籐のカゴを持っている

 ――エルフ?

 長い耳が、髪からはみ出している。年齢は二十歳かそれくらいに見えるが、その長い耳が、見た目と実年齢が同じとは限らないことを物語っていた。
 女は、足下で鳴くラビに戸惑った顔をしていたが、すかさずキュカがラビを踏みつけて黙らせると、
「あー、俺達は決して怪しいもんじゃあ――」
「驚かせて申し訳ありません。ちょっとお聞きしたいことがあり、うかがいました」
 下心が見えるキュカを押しどけ、ユリエルが愛想笑いを浮かべて声をかけるが、女は黙り込んだままだ。
「――ぷきーっ!」
「イデデデデ! お前が見ず知らずの美女を困らせるからだろーが!」
 ラビに噛みつかれるキュカは無視して、今度はテケリが女の前に出ると、
「テケリはテケリであります! おねーさん、お名前は?」
「……シェーラ」
 人なつっこい笑顔に釣られたのか、女はようやく口を開いた。
「私はユリエルと申します。実は探し物をしていまして。……あの、もしかして、ここにいるエルフはあなただけですか?」
 その問いに、シェーラと名乗ったエルフは首を横に振り、後ろに目をやる。
「あれは……墓か?」
 よく見ると、木々の向こうにいくつもの墓標が見える。その墓標に、花が手向けてあった。
 シェーラは淡々と、
「人間に殺された、仲間のお墓……」
「人間に? では、この村は……」
「人間に焼かれた」
 一瞬、気まずい空気が流れ、ラビですらおとなしくなる。
「……そ、そうか。ゴメン」
「? どうしてあやまるの?」
 気まずい顔をするロジェに、シェーラは不思議そうに首を傾げる。
「今は誰も住んでいない。別の場所に新しく村を作り直して……もう、ここには誰も来ない」
「お墓参りにもこないでありますか?」
 シェーラは無言でうなずき、こちらを横切ると、
「ここにはもう、何もないから……ご神木も、焼けてしまった」
 そう言って、焦げた大木に触れる。
「神木?」
「この森で、一番古い木だって言われてる。わたし達は、ずっとこの木の側で生きてきた」
「長老の木か……」
 つぶやき、木の幹に手を触れる。

 ――…………。

「え?」

 ――生きてる?

「つかぬことをうかがいますが、あなたは、木のマナストーンについて、何かご存じありませんか?」
 振り返ると、ユリエルの質問に、シェーラが困った顔で黙り込んでいた。
 ユリエルも愛想笑いを浮かべ、申し訳なさそうに、
「すいません。知りませんよね」
「…………」
 シェーラは、しばらく黙り込んでいたが――ぽつりと、
「わたしは知らないけど……探してた人なら知ってる」
「なに?」
「その方は、エルフですか?」
 ユリエルの問いに、シェーラは首を横に振り、
「十年前、この森にヴァンドールの兵隊達が来たの」
「じゃあ、この村……そいつらにやられたのか?」
 ロジェの言葉に、シェーラはひとつうなずき、
「彼は、その時の兵隊の一人……この近くに住んでるの。彼なら知ってるかも」
「本当ですか? ……でも、よろしいんですか? 私達にそんなことを教えて」
「人間が憎くはないのか?」
「憎い?」
 聞いておいてなんだが、彼女にとって、人間は仲間の仇のはずだ。
 彼女はきょとんとしていたが、すぐに、
「……そんなこころ、ないわ」
 それだけ言うと、シェーラは無防備に背を向け、歩き始めた。

「彼とは眠りの花畑で出会ったの」
 歩きながら、シェーラは昔話を始める。
「ヴァンドールの兵達が木のマナストーンを探しにやって来て……わたし、こっそり見に行ったの」
 相変わらず獣道なのだが、彼女は慣れているのか、なんとも軽い足取りで進んでいく。
「彼らは眠りの花畑に迷い込んで、全員眠ったと思って近くに行ってみたら、彼だけが無事だったの。昔、弟のイタズラで、眠り花で眠らされたことがあったんだって」
 眠り花といえば、その名の通り強力な睡眠作用を持っている花だ。ただ、効果があるのは最初だけで、一度眠りさえすれば耐性ができ、再び眠ってしまうことはないらしい。
「ちょ……ちょっと待ってくださいでありますー!」
 テケリの声に、シェーラは自分のペースとこちらのペースの違いに気づいたらしい。足を止め、全員が追いつくのを待ちながら、
「彼は仲間達が目を覚ますまで、話し相手をしてくれないかって頼んできたの。故郷に自分の後を追って兵隊になった弟がいるとか、戦争が終わったら恋人にプロポーズするんだとか、そんな話をした。わたしから、マナストーンのありかを聞き出そうとはしなかった」
 最後尾のテケリが追いつくと、シェーラはさっきよりもペースを落として歩き出す。
「彼は、わたし達に関与しないって言ってたけど、何日かして兵達が村を襲いに来たの。きっと、マナストーンが見つからなかったんだと思う。襲撃に来た兵士の中に、彼もいた」
「なに? そいつもエルフを殺したのか?」
「血まみれだった」
「…………」
 ジェレミアはシェーラの話に怒りが沸いたようだが、あまりに淡々とした返事に押し黙る。
「わたしは建物の下敷きになって、このまま死ぬんだと思った。でも彼は、わたしを見つけて逃がしてくれたの。殺しに来たのに助けるなんて、人間はおかしなことをするのね」
 自分の身に降り注いだことなのに、まるで他人事のように話すシェーラに、少し気味の悪さを感じつつも、
「……憎くはなかったのか?」
「わからない」
 シェーラは足を止め、首を横に振る。
 当時のことを思い出しているのか、彼女は目を伏せ、
「わからないの。悲しいはずなのに、涙も出なかった。彼らが去った後、たくさんお墓を作って、新しい場所に新しい家を作って、また、元の生活に戻るだけ。何も変わりはしない……」
「…………」
「彼と再会したのは五年ほど前……いつの間に来たのか知らないけど、隠れるようにこの森に住んでた」
「住んでたって……なんでそんなヤツを住ませてるんだ? お前達の森だろう!」
「どうして住んじゃいけないの?」
 喰ってかかるジェレミアに、シェーラは不思議そうに首を傾げる。
 そのリアクションに、ジェレミアは完全に勢いを削がれたらしい。今度は自分が困った顔で、
「い、いや、そいつは仲間の仇だろう?」
「カタキ? カタキって?」
 言葉の意味がわからなかったのか、質問に質問で返す。
 ……やられたらやり返す。どうやら、そういった概念そのものがないらしい。エルフみんながそうなのか、シェーラだけなのかは不明だが。
「それに、森は森よ。誰のものでもないわ」
 それだけ言うと、シェーラは再び歩き出す。
 羽音に顔を上げると、木の枝に一羽の鳥――フクロウコマドリが留まっていた。
 頭にハーブを生やし、鮮やかな尾羽を持つ鳥だ。常に肩をすくませたような姿をしているせいか、こちらを見下ろしているようにも見える。
 ……たとえばこのフクロウコマドリの巣がヘビに襲われ、雛が食べられたとしても、フクロウコマドリはヘビを恨み、仕返しをするなんてことはしないだろう。また新しい巣を作り、卵を産み、雛を育てるだけだ。
 それと同じように考えているのかもしれない。
 話題も尽きたのか、しばらく無言で森の中を歩いていると、
「キュッ?」
 突然ラビが立ち止まり、しきりに鼻を動かす。
「どうした?」
「うきょっ? なんだかいいにおいがするであります!」
 テケリも気づいたのか、ラビと一緒になって、匂いがする方角へと走り出す。
「テケリ! 勝手に行くな!」
 ジェレミアがすぐに後を追い、自然と、全員テケリが向かった方角へと走り出す。
「ダメ! その先は――」
 シェーラが制止の声を上げるが、遅かった。
 テケリの後を追いかけると、ほどなく視界が開け、色とりどりの花が視界いっぱいに広がる。まさかこの花――
 しかしテケリは花畑にすでに駆け込み、追いついたジェレミアに殴られていた。
「眠り花が……」
 シェーラの言葉は聞こえていないのか、自分とエリスを除く全員が、すでに花畑に足を踏み入れていた。誰一人、状態異常を起こしている者はいない。ただ、ラビだけが花畑の中でぐっすり眠っていた。
 シェーラはぽかんと、
「……どうして平気なの?」
「――まさか!?」
 そう。そのまさかだった。
 魔法の特訓のため、野宿のたびにエリスのスリープフラワーで眠らせていたのだが、継続は力なり。
 なんと! 本人達も知らぬ間に、すっかりスリープフラワーの耐性が身についていたのだ!
「…………」
「……ねぇ。ひょっとしてわたしの魔法、ずいぶん前から無駄だったってこと?」
 隣でエリスがつぶやくが、返す言葉などなかった。
 しばらくの沈黙の末――風向きが、変わった。
『あっ。』
 思い切り飛んできた花粉に抵抗する暇もなく、次の瞬間には意識が飛んでいた。