「なんつーか……やっぱ兄弟だな。お前ら」
どれくらい経っただろう。
日はとっぷり沈み、食事の準備をしなくてはいけない時間ではあったが――エリスを除く全員、特に何をするでもなく、ぼんやりと中心のたき火を見つめていた。傷が痛むのか、ユリエルが時々腕を押さえる。
そんな中、ようやく口を開いたキュカはこちらに目をやると、
「ロジェのヤツ、始めて会った頃のお前と同じツラしてたじゃねーか」
その言葉に、思わず自分の顔に触れ、
「あ、あんな顔……してたか?」
「ああ」
「キュカ、今さら何言ってるんです。第一ロジェは、」
ユリエルはこちらを指さし、
「彼とまったく同じ血を引いてるんですよ?」
『…………』
一瞬、辺りは静まりかえり――
「それもそうだ」
「オイ……」
なぜか全員納得する。
「あ、あのぅ……オイラには、何が何だかさっぱりですにゃ」
おずおずと、ニキータが口を開く。
タイミングを見計らっていたのだろう。彼は意を決したように、
「ロジェさん、一体どうしちゃったんですにゃ? にゃんかあったっていうのは、にゃんとなくわかるんですけど……どう考えても、普通じゃないですにゃ」
「……わたしも聞きたい」
「エリス?」
少し離れた木陰で寝ていたエリスが顔を出す。散々泣いたせいで目が赤く腫れ、ほどいた髪もボサボサだ。かなり憔悴しているのが見て取れた。
キュカも驚いた顔で、
「大丈夫……なわけないか。いいのか? 起きてきて」
「別にケガしたわけじゃないし……寝てたって、仕方ないし」
言いながら、空いていたユリエルとジェレミアの間に腰を下ろす。
彼女は座るなり、
「前から気になってたけど、あんた達、アナイスと知り合いなの?」
「まあ、知り合いと言えば知り合いですが……」
「私の親戚だ」
「なに?」
こちらの言葉に、なぜか全員、目を丸くする。
その反応に驚きながら、
「そんなに不思議か? 私の家とは建国時からの付き合いだぞ」
そもそもミラージュパレスの存在は、王族を含む限られた貴族しか知らないのだ。これまでの歴史の中で、王族と婚姻関係がないほうが不自然だろう。
キュカは深いため息をつくと、
「そうか……じゃあ、あのキレた時のヤバさは遺伝だった、と……」
「なかなかガンコな遺伝子でありますな」
「そんなものが遺伝するか!」
失礼な物言いに、思わず怒鳴り返す。
「エリス。お前もアナイスと知り合いみたいだな。どういうことだ?」
「…………」
ジェレミアの問いに、エリスは無言でうつむく。
「ぷきっ」
「あら、あんた……拾っててくれたの?」
いつの間にか、エリスの横にラビがいた。
ラビは、くわえていたものをその場に置くと、そそくさとこちらの元に戻ってくる。
アナイスが捨てたペンダントだった。
「エリス、聖域の鍵がどうとか言っていましたね。それのことですか?」
「……そうよ。一族の巫女が代々受け継いで来たの」
「ちょっと見せてくれ」
手を差し出すと、エリスはペンダントを隣のユリエルに渡し、ユリエルから受け取る。
青い石をのぞき込むと、中に、何か模様が浮かんでいるのが見えた。
「これは、マナの樹か?」
「そうよ。村に、同じ模様が彫られた石碑があるわ」
「あの村……イルージャ島がお前の故郷か?」
ペンダントを返すと、彼女はうなずき、石の中をのぞきながら、
「イルージャ島は周囲を深い霧で覆われていて、それこそ空でも飛べなきゃ出入り出来ないような場所なの。だから中からも外からも、人が出入りしたって話は聞いたことがないわ」
「それで地図にも載っていなかったのか……」
ジェレミアが納得した顔でうなずく。
「でもここ数十年、霧がどんどん薄くなっていたみたいで……二年ほど前かな。大きな嵐が来たの」
過去のことを思い出しているのか、エリスはゆっくりと、
「嵐は夕方には通り過ぎて、その日はそのまま休んだんだけど、夜中に、ものすごく嫌な気配を感じて海岸まで行ったの」
「一人で?」
「うん。なんでか知らないけど、兄さんを呼ぼうとか、そういう考え自体、出てこなかった。それで海岸に行ったら……海がすごくキレイだった。海面が月明かりで光ってて……ずっと向こうの大陸の影まで見えた。これまで、島を守る霧が完全に消えたことなんてなかったのに」
「まさか、マナ不足のせいで……?」
聖域で見た、枯れつつある木を思い出す。とてもではないが、新たなマナを生み出す力があるようには見えなかった。
つまり今のこの世界は、残ったマナを食いつぶしながら存在しているのだ。
食い尽くせばどうなってしまうのか。少なくとも、精霊や妖精は存在出来なくなる。
「それで? 守護精霊にでも連れ出してもらったのか?」
「あんた達、守護精霊を知ってるの? あれはイルージャ島にしかいないって聞いたけど……」
言いながら、持ってきたバッグから、棒がついた小さな太鼓を引っ張り出す。太鼓の左右に紐がついていて、その紐の先に玉がついていた。棒を回して音を鳴らす、おもちゃの太鼓だ。
「兄さんが見つけたのを、二人でこっそり面倒見てたの。わたしが赤ちゃんの時も、兄さんがこれでよくあやしてくれたんだって」
回すと、トントントン、と、軽い音が辺りに響く。
「面倒見てたって……守護精霊を拾ったのか!?」
「うん。最初はテケリくらいの大きさしかなかったわ。『フラミー』って名前は、兄さんがつけたの」
ローラント出身のキュカにとっては大事な守り神だというのに、エリスは犬猫を拾ったような感じであっさりうなずく。
「驚いたわ。人を乗せるどころか自分だって飛べなかったのに、たった二年であんなに大きくなって」
「そうか、それでカシムは島から出られたんだな……」
ちょうどカシムが現れた頃に目撃した、大きな鳥のような生き物――
どうやら、見間違いではなかったようだ。
「キュッ……」
突然、ラビが耳を立てる。
かすかに聞こえてきた羽音に空を見上げると、月明かりの中、大きな鳥のようなシルエットが見えた。
エリスも気づいたのか、太鼓を鳴らす手を止め、
「聞こえたのかしら? 守護精霊って、世界中どこからでも音を聞き分けるっていうし」
「……それで? 守護精霊でないのなら、誰があなたを島から連れ出したんです?」
「アナイスと、死を喰らう男」
ユリエルに話を促され、彼女はたき火に視線を戻すと、
「ホントに、突然だった。気がついたら後ろにいて……外の人を見たのはそれが初めて。おまけに、もう一人は人じゃない。でも……怖いより、好奇心のほうが勝ったってところかしら。話をしているうちに、ここにはない世界が見れるんじゃないかって思えてきて、自分からついてっちゃった」
「よくそんなヤツらについてったな」
ジェレミアは呆れた顔をしたが、エリスは小さく笑ってうつむくと、
「わたし、村の中でいつも浮いてた。同じ村の人間のはずなのに、みんなと毛色は違うし、友達らしい友達もいなくて、なじめなかった。だから小さい頃はいつも兄さんと一緒にいたんだけど……でも、兄さんが守人になってからは、それもなくなっちゃった。兄さんにとって、わたしはもう妹じゃなくて『巫女』なんだって……この村にとって大事なのは『巫女』であって『エリス』じゃないんだって」
日頃のうるささからは想像がつかなかったのか、ジェレミアは小さく眉をひそめる。
「そしたら急に、村のしきたりとか巫女とか、馬鹿馬鹿しくなっちゃって。一生この島にいるくらいなら、どんなに怪しいヤツらでもついて行かなきゃ後悔するって、その時はそう思ったの」
「…………」
「バカみたいでしょ? 後先考えないでさ。ホント、バカみたい……」
最後は、消えそうな声でつぶやく。
……後悔すると思って島を出たはずなのに、今、彼女の中にあるのは、島を出た後悔なのだろう。
「それで……お前、島を出てから大丈夫だったのか? おかしなことはされなかっただろうな?」
「アナイスはね、わたしを島から連れ出してくれた後、色々と教えてくれたの」
同じ女性として心配そうなジェレミアに対し、エリスは割とあっさり答える。
「この世界のこととか……あと、わたしの魔法も、アナイスが教えてくれたの」
「なに? あいつが?」
そういえば、エリスの魔法をカシムが不思議がっていたことを思い出す。
故郷で教わったわけではない。そして、自分達と出会った時には使えていた。
そうなると、アナイスの元にいた頃しかないが、彼が人に教育を施すとは意外だった。
「うれしかった。島じゃ、そんなこと教えてくれる人いなかったし……わたしに求められていたのは、巫女としての仕事や立ち振る舞いだけ。ちゃんと勉強を教えてくれた人は初めてだった」
彼女はユリエルの隣にしゃがむと、傷を負った腕に手をかざす。
手のひらに白い光が灯り――ほどなくして、傷が治ったのか、ユリエルが動かなかった腕を軽く動かす。
「治療が遅くなってごめんなさい」
「いえ……私こそ申し訳ありません。木に縛り付けてでも、彼は置いて行くべきでした」
「ううん……わたしのほうこそごめんなさい。そもそもの原因はわたしだし……それに兄さんのことだから、どうせ縛られても追ってきたわ」
顔には出さないが、彼の同行を許したことに責任を感じているらしい。謝罪するユリエルに、エリスも首を横に振る。
「わたし、魔法ヘタでさ。やっとの思いで使えるようになったの」
あまり兄の話題を続けたくなかったのか、彼女は元の場所に座り直すと、さっきの話を続ける。
「毎日毎日、手に傷をつけて……でも、うまく行かなくて。そのたびに、アナイスが治してくれた」
そう言いながら、ぼんやりと自分の手のひらに視線を落とす。
「役に立ちたいのに、助けてもらってばかり。他に頼れる人もいなくて、いつもひとりぼっち。……結局、島の外に出ても、何も変わらなかった」
ぱちん、と、たき火がはぜる。
しばらくの沈黙の後、エリスはぽつりと、
「……そんなだったから、見捨てられたのかな」
「?」
「自分一人じゃ何も出来ない、ただの小娘だってわかって、がっかりしたのかな? 物覚えも悪けりゃ、魔法の素質もないし。だんだん面倒くさくなって、だから、見捨てたのかな」
「それは……本人にしかわかりませんね」
「…………」
うつむくエリスに、ジェレミアはイラついた顔で、
「あんなヤツのことなんか忘れろ。あいつは人のことをオモチャとしか思っていない。お前に親切だったのも、どうせ聖域の鍵を手に入れるためだ」
「そう……かな……」
エリスはペンダントを手に取ると、
「わたしにとっちゃ、島の外で唯一頼れる人だったし」
「――お前な! 故郷をめちゃくちゃにされて、家族や仲間を殺されたんだぞ!? 憎むとか怒るとかしないのか!?」
耐え切れなくなったのか、ジェレミアは勢いよく立ち上がり、上から怒鳴りつける。
エリスは、ぼんやりとジェレミアを見上げていたが――
「……わかんない」
「は?」
「わかんないのよね……」
エリスは首を傾げると、
「なんだろ……なんか、まだ夢見てるみたいっていうか……実感わかないっていうか……もっと、こう……あんな目に遭ったら、普通は泣きわめいたり、怒り狂ったりするもんだと思ってたんだけど……」
それは、皆が思っていたことだっただろう。
なのに彼女は、これまでの経緯を話している間も、今も、驚くほど淡々としていた。
彼女自身にも自覚があるらしく、どこか困惑した顔で、
「冷たい……のかな?」
「信じられないことがいっぺんに起こって、気持ちが追いつかないんですよ。きっと」
「…………」
ユリエルの言葉に納得したのかどうかはわからないが、エリスは立ったままのジェレミアを見上げると、
「ありがと、ジェレミア」
「は?」
「代わりに怒ってくれて」
「…………」
礼を言われ、ジェレミアはしばらくぽかんとしていたが、
「なっ……バカか!? なんであたしが礼を言われなきゃいけないんだ!」
顔を真っ赤にして怒鳴ると、元の場所に乱暴に座り、そっぽを向く。
――不器用なヤツ……
これまで怒りっぽいヤツだと思っていたが、単純に、好意や感謝をどう受け止めればいいのか、どう示せばいいのかわからないだけなのだろう。
少なくとも彼女が、自分にされたことだけで怒っていたことはなかったように思う。
キュカがふと、
「あれ? ちょっと待て。あのマハルっておっさん……お前、元々あのおっさんのとこにいたんじゃなかったのか?」
「逆よ。アナイスに言われて、二人のパイプ役をしてたの」
「つまり、教団とレジスタンスはグルだった、ということですか」
「グルだと!?」
飲み込みが早いユリエルの言葉に、ジェレミアが怒りをあらわにする。
「正確に言うと、アナイスとグルなのはマハルさんだけ。他の人達は何も知らないでしょうね」
キュカはため息と共に肩をすくめると、
「全部自作自演ってことか。そりゃ、教団に恨みがあるなら、真っ先にレジスタンスに入ろうって考えるよな」
敵を一カ所に集め、頃合いを見計らってまとめて潰す予定だったのだろう。それがロリマーの暴動だったのだ。
「でもお前、儀式で逃げる時、真っ先にマハルの所に向かったな。どういうつもりだったんだ?」
「……ほとぼりが冷めるまで、かくまってもらえないかと思って」
キュカの問いに、エリスはうつむき、
「マハルさん、娘を人質に取られて無理矢理やらされてるの。だから事情を話せばかくまってくれるかもと思ったんだけど、彼にとって、わたしはアナイスと同じだったみたい」
「お前、もしそれでかくまってもらえたとして、どうするつもりだったんだ? まさか、またアナイスの所に戻るつもりだったんじゃないだろうな」
「…………」
ジェレミアの問いに、エリスは肯定こそしなかったが、否定もしなかった。
マハルを頼ったところで、アナイスにすぐ見つかることくらいわかっていたはずだ。
しかし、彼女には選択肢がなかったのだろう。だから得体の知れない自分達に無理矢理ついてきたのだ。
「それで……娘の安否はわからないのか?」
こちらの質問に、彼女は首を横に振り、
「わたしも、その子がどんな子なのか知らないの。でも、マハルさんは命と引き替えにしてでも助けたいって、そう言ってた」
「そうか……」
娘をどうにかしない限り、彼はアナイスへの協力をやめないだろう。もっとも、娘が無事かどうかさえ、こちらには知るすべもないが。
「ねえ。あんた達ってさ、どこから来たの?」
一通り話し終えたのか、エリスは思い出したように顔を上げる。
「……聞かない約束じゃなかったか?」
「うん。でも、もういいじゃない。わたしだって話したんだもん。話しなさいよ。どんな話でも、信じるからさ」
その言葉に、思わず隣のユリエルと顔を見合わせる。
説明しようにも、どこからどう話せばいいのか――
「テケリ達、未来から来たであります」
――ぶっ!
あっさり答えたテケリに、思わず吹き出す。
「――って、お前な! ンなことあっさり言ってんじゃねぇ!」
「え!? テケリ、なんかいけないこと言ったでありますか!?」
混乱するテケリの頭を、キュカが拳で左右からはさんでぐりぐりえぐる。
「み、未来、ですかにゃ?」
「まあ、信じろというほうが無理な話ですが……」
もうごまかすだけ無駄と悟ったのか、ユリエルは困った顔で、
「一体、どう話したものか……」
「あったことそのまま話してよ。信じる信じないとか関係なくさ」
「そうは言うけどな……」
キュカも腕組みをして首をひねる。
悩むのは仕方ない。信じると言われても、どう説明すればいいのか……
「だってわたしのほうが、もっと信じられない話があるのよ。わたしってさ、フェアリーの生まれ変わりなんだって。で、次のマナの樹なんだってさ」
一瞬、間が空いた。
言ってる意味がわからず、全員の視線が自然とエリスに集まる。
「……は?」
「言ったでしょ。もっと信じられない話があるって。こっちに比べれば、未来から来ましたって話のほうがまだ信じられるわよ」
「『ふぇありー』って、なんでありますか?」
「マナの女神の使い……そして、マナの樹の種と言われる妖精だ」
首を傾げるテケリに、簡単に説明する。
エリスもうなずき、
「わたし、聖域に繋がる川のほとりで拾われたの。周りは海でしょ。かと言って村の子じゃない。考えられるのは、聖域しかなかった」
「……そういえば、カシムとは血縁がないんだったな」
こちらの言葉にうなずく。
彼女は髪をいじりながら、
「それにこの髪……古い本にフェアリーの絵が描かれていたんだけど、その絵に描かれた姿に似てたもんだから、そんな噂が出てきちゃって。聖域のマナの樹が、種子であるわたしをこっちの世界に送ったんだって」
そして深いため息をつき――肩をすくめると、
「迷惑な話よ。おかけでわたしには『巫女』の役割が与えられて、最終的には聖域に行ってマナの樹になれっていうのよ? 馬鹿馬鹿しいにも程があるわ」
ジェレミアも深くうなずき、
「マナの女神の正体がお前だったら、あたしはトーテムポールに祈る」
「いっそ新宗教でも興しますか? プッツィ・コンゴー教とか」
「ちょっとあんたら……」
かなり真剣な顔で提案するジェレミアとユリエルに、エリスのこめかみがひきつる。
キュカは眉をひそめ、
「ぷっちー……何って?」
「近所の犬と飼い主のおっさんです」
「その犬とおっさんになんの縁があったんだあんた」
「夕日に向かって一人で乙女なポエム朗読してて、ちょっと気持ち悪いんですよね」
「衛兵を呼べ!」
キュカの適切なツッコミが冴える。
新しい宗教が生まれるのを阻止するように、エリスは気を取り直すと、
「まー、それはそれとして。わたしだって信じられない話したんだから、心おきなく話してよ。あなた達のこと」
「……わかりました」
「とはいえ、どこからどう話したもんかね」
キュカは眉間にしわを寄せて腕組みをし、空を見上げる。
つられて見上げると、満ちた月が黒い空を照らし――その下をゆったりと旋回する、守護精霊のシルエットが見えた。