19.幻影のフラグメント - 2/3


「精霊って、どういうことだ?」
「これまでも、何度か感じたことがあるんや」
 宮殿の中を進みながら問うと、ウンディーネは先導しながら、
「気配を消しとるようやったけど、いつも一緒におったんちゃうかな」
「一緒?」
 誰と? そう聞き返すより先に、ある部屋にたどり着く。
 ジェレミアには見覚えがあった。さっき見せられた光景――叔父と、主教が話していた謁見の間だ。
 そして玉座には、暗緑色のローブを着た、一人の男が座っていた。
「キュゥッ!」
「ラビきち、ダメであります!」
 テケリもさすがに今度は飛び出したりせず、暴れるラビを抱きかかえて制止する。
「これ以上、隠れても無駄よ。姿を見せなさい」
「そやそや! さっさとレニを解放せえ!」
 ルナとウンディーネの言葉に、玉座の後ろから黒い影が姿を現す。
 影は、コウモリのような黒い翼を広げ、
「……ようこそ、我が宮殿へ」
 ばさりと羽音を立て、舞い上がる。
「シェイド……闇の精霊が、なぜ?」
「おぬしも精霊のはしくれ。なぜこんなことをする?」
 ユリエルとノームの問いかけを、シェイドは鼻で笑うと、
「この者の心は闇で満ちている……見ろ! この醜き姿を!」
 シェイドが翼を広げると、座っていたレニが立ち上がり――首から顔にかけて、じわじわと黒い模様が広がっていく。
「やめて!」
「何すんねん!?」
 エリスの悲鳴じみた叫びに、シェイドは構うことなく、
「タナトスに冒され、意識を乗っ取られるのも時間の問題だ。こんなヤツに何が出来る! お前達の見込み違いだということを教えてやる!」
 その言葉を合図に、黒い闇の矢が辺りに降り注いだ。
 
 
「これ、絶体絶命のピンチじゃないのか!?」
 宮殿の中を逃げながら、キュカが叫ぶ。
 そもそもこの空間はシェイドが――幻夢の主教が作り出したものだ。そしてこちらは、相手を攻撃出来ない。
「――そうだ。逃げ場などない」
 突き当りを曲がり――幻夢の主教が立ちはだかる。
 引き返そうと振り返ると、そちらも同じ人物が立ちはだかっていた。
「しっかりしなさいよ! なに操られてんのよ!?」
「そうであります! 一緒にロジェに会いに行くであります! ロジェはきっと帰ってくるであります!」
「テケリ! よせ!」
 ジェレミアの声など聞こえていないのか、テケリは主教に駆け寄り、
「テケリもいっしょに行くであります! 一人じゃないであります!」
『小僧、うるさいぞ!』
 シェイドの声が重なる。
 次の瞬間には、幻夢の主教が放ったイビルゲートがテケリの足下に刺さったが、テケリは泣きそうになりながらも一歩も引かず、
「当てられるもんなら当ててみろー! であります! レニさんはそんなことしないであります!」
「そうよ! キュカならともかく、レニがテケリを攻撃出来るわけがないわ!」
「俺ならともかくって……」
「ちっ……! 来い! MOBどもッ!」
 エリスの言葉にキュカが地味に傷ついていたが、取り合うことなく、今度はMOBを召喚する。
「むっ!?」
 次の瞬間、なぜかユリエルの四方八方にのみ数体のダークプリーストが出現した。
 しかしユリエルは慌てず騒がず、素早くキュカに駆け寄ると、ダークプリーストの群れに突き飛ばす。
「――へ?」
 キュカの気の抜けた声が一瞬聞こえ――ダークプリースト達が一斉に投げたスリングが、容赦なくキュカに襲い掛かった。
 そして、
「あー、なんかスッキリしたぎゃー」
「帰ってメシにするぎゃー」
「ところでここはどこぎゃー?」
 ピクピク突っ伏したキュカに背を向け、ダークプリースト達はいずこかへと去って行った。
 ユリエルは、かいてもいない額の汗をぬぐいながら、
「いやぁ、危ないところでした」
「…………」
 キュカはゆっくりと起き上がり、
「……今、確かな殺意を感じたんだが」
「愛情の裏返しですね」
「だったら自分で受け止めろ!」
「イシュでのこと……まだ根に持ってるんですにゃきっと……」
 容赦のない仕打ちに、ニキータがぽつりとつぶやく。
 その後、ラビやニキータめがけて放ったイビルゲートもダークフォースも、すべて直前でカーブしてはキュカめがけて飛んでいく。
 シェイドはうろたえた様子で、
「なっ……! どういうことだ!?」
「それはこっちのセリフだ! 俺ばっか狙いやがって!」
「こちらに害がなくて助かります」
「避雷針か俺は!?」
 上司の理不尽な感想に、キュカは悲鳴に似た声を上げる。
 シェイドは戸惑いを隠せない様子で、
「そんな馬鹿な! これだけの闇を抱えて……タナトスに冒されて、なぜ呑まれない!? なぜ完全に操れない!?」
「――教えてやろうか? このぞうきんコウモリ」
 相当うろたえていたのか、伸びてきた手に気づくのが遅れた。
 あっさり体をわしづかみにされたシェイドは、手の主にされるがまま、
「人の体を好き勝手に……キサマごときに、私を完全に操れるものか! 身の程を知れ! 身の程を!」
「うぐっ!?」
 問答無用で、ぞうきんのごとく絞られる。
「うきょ!? レニさん、元に戻ったでありますね!」
「フン。あの程度……とっくにだ」
 適当に絞ったところでスッキリしたのか、シェイドを床に放り捨てる。
 さっきまで顔に現れていたタナトスの模様も引っ込み、元に戻っていた。
「てぇと……さっきのダークプリーストやら魔法の雨は……」
 レニは悪意などかけらもない、爽やかな笑顔で、
「フッ……お前ならうまく避けると信じていたぞ」
「オイ……」
「まあ、その件に関しては置いておくとして」
「俺は置いときたくない」
 キュカの苦情はやはり無視して、ユリエルは床に突っ伏したシェイドを見下ろし、
「なぜ精霊であるあなたが、彼に取り憑いたりしたんです?」
「そーよ! いくらなんでも悪趣味じゃない!? 事情があるなら白状なさい!」
 エリスも、杖でシェイドをぐりぐりえぐる。
「わ……我が主の、頼みだ……」
「主?」
 シェイドは起き上がると、杖から逃げるように、
「ルカが、私をお前達に託すためにし向けたこと……もし、私に操られた程度で殺し合いになるなら、所詮はその程度……」
「つまり、テストでありますか?」
「では合格ということで」
「……なんか俺だけ痛い目に遭ったみたいで納得いかねー……」
 キュカの恨みのこもった目に、レニもシェイドも目をそらす。
「お前の主というのはあの双子の姉妹のことか? お前とどういう関係なんだ? そもそも、何者なんだ?」
「いっぺんに聞かずとも答えてやる」
 問い詰めるジェレミアから逃げるように、シェイドは離れた場所に落ち着くと、
「人と竜の戦いの末、闇のマナストーンがこの地にやってきたことは知っているな? 私は、時の皇帝に仕えていた」
「皇帝に? 精霊であるあなたが?」
 意外な回答に、全員目を丸くする。
「皇帝は、マナの異変にいち早く気づいた人物だ。マナを守る精霊である私がお仕えするのは自然なこと」
「? 十年前の戦は、ヴァンドールの皇帝が各地のマナストーンの力を狙って起こしたものではないのか?」
「間違ってはいない。が、それが真実すべてではない」
 シェイドは淡々と、
「数年前まで、マナストーンのエネルギーは当たり前のように利用されていた。しかし、そのことが世界中のマナの減少スピードを速めていると、誰よりも早く気づいたのが皇帝だ。皇帝はマナストーンの封印を訴えたが、各地の代表達は聞き入れなかった」
「……だろうな。豊かさを覚えた民に、今の生活を捨てろなんて言えるわけがない」
 ジェレミアの言葉にシェイドもうなずく。
「かといって、他にマナの減少を止める方法も見つからない。他国もマナを浪費するばかりで何かしら動こうとすることもなく……業を煮やした皇帝は、各地のマナストーンを奪うために戦を仕向けた。マナストーンを封印し、マナの減少を食い止めるために」
「だからお前は皇帝側についたのか……」
 マナストーンの乱用を止めたい皇帝と、マナを守ることを使命としているシェイド。手段はともかく、目的が一致したのだろう。
「そうだとすると、聞いてた話と違うな」
「歴史なんて後からいくらでも変えられますからね。一方を悪党に仕立て上げ、自分達の都合の良いように伝えたんでしょう」
 キュカの言葉に、ユリエルも肩をすくめる。
「でも、封印するつもりのマニャストーンの力で戦争したんじゃ、本末転倒ですにゃ」
 ニキータのもっともな言い分に、シェイドはゆっくり浮かび上がり、
「戦というものは、権力者達の様々な思惑が絡むもの。人の心もまた、戦の中で醜く変わってゆく。特に力を持つ者……いや、力を得た者は、その力で何が出来るのか試したくなるものだ。無慈悲な女神の世界よりも、自分が神に……」
 高く、高く飛んだところで、全員を見下ろし、
「もっと欲しい、もっと上り詰めたい、人よりも、神よりも高見へ!」
 朗々と、シェイドの声が響き渡る。
「……次第に、皇帝はマナストーンの力に取り憑かれ、その目的は歪み始めた」
 シェイドはゆっくり降りてくると、どこか力なくつぶやく。
「さらに悪いことに、各地のマナストーンがヴァンドールに集まるにつれ、世界のマナバランスが崩壊し、その影響でヴァンドールの上空に次元の割れ目が生じた」
「タナトスはその時に?」
「そうだ。戦の末に皇帝は倒れ、王妃は、私と数人の騎士に幼い二人の皇女を託し、国外へと逃がした」
「それが、ルサ・ルカか……」
 ここまでくればさすがにわかる。シェイドもうなずき、
「皇帝が倒れたことにより、各地のマナストーンは早急に封じられ、次元の割れ目も消えた。……皮肉だな。国の滅亡と引き替えに、皇帝の本来の目的が果たされるとは」
「…………」
「終戦後に待っていたのはの残党狩り。皇女達には高額の賞金がかけられ、毎日、死の恐怖に怯えながら逃走の旅を続けていた。私は、ずっとそれを見ていた……」
「共の騎士達は?」
 ジェレミアの問いに、シェイドは無言で首を横に振る。容易に想像はついた。
「結局、彼女達は逃げることに疲れ、この地に帰ってきた。闇に汚染され魔物が徘徊するこの地なら、人はこない。彼女達にとって、魔物などより人のほうがよほど恐ろしかったのだ。だが、ある日……五年ほど前だ。一人の男が現れ、二人の運命が変わった」
「……アナイス、だな?」
 シェイドはひとつうなずき、
「彼がどこから来たのか、何者なのかは知らない。だが、死を喰らう男に襲われた二人を助けてくれたことは事実。彼は死を喰らう男をその場でねじ伏せ、味方に引き入れてしまった」
「アナイスが? ……死を喰らう男を?」
 ジェレミアが意外そうな顔で驚く。
 『助けた』ということよりも、アナイスに死を喰らう男をねじ伏せるだけの力があったことに驚いたのだろう。
「そしてアナイスは、ルサとルカも味方に引き入れてしまった。このまま隠れ住んでいても仕方がないというのもあったのだろうが、特にルサは、アナイスに何か感じるものがあったようだ。……それから後は、お前達が知っている通りだ」
「ルカは? なぜルカは、おまえを私達に託すようなことを?」
「ルカは、アナイスを危険視している。それは私も同じだ」
「だったら姉貴を止めりゃいいだろ。なんでこんなどっちつかずで中途半端なことするんだ?」
「ルサのことはルカが一番よく知っている。自分には止められないこともな」
 呆れるキュカに、シェイドは少し怒った様子で、
「ルサは一度言い出したら聞かん。ルカも、ルサを裏切ることは出来ない。だからこそ、ルカはお前達に賭けることにした。アナイスに対向出来るのは、もはやお前達しかいない」
「……お前は、いいのか?」
「何がだ?」
「ルサとルカのことだ。あの二人を、お前はずっと見守ってきたのだろう? ……私達と共に来て、本当にいいのか?」
 シェイドはしばし黙り込んでいたが、ぽつりと、
「……皇帝は、歪んでいく自分に気づいていた。もし、自分が自分でなくなった時は、娘達を頼むと……そう、約束した」
「…………」
「だが、二人はもう子供ではない。自分の足で歩き、自分の意思で道を決めることが出来る」
 シェイドは舞い上がると、
「皇帝との約束は果たしたのだ。今度は、私が私の役目をまっとうする時――」
 次の瞬間、シェイドに炎の塊が激突した。
「――何カッコつけてやがる!」
「そやそや! ホンマはお役ご免でポイされたんやろー!」
「ちがっ……!」
 これまで黙って聞いていたサラマンダーとウンディーネに殴られ、慌てて逃げ回る。
 とりあえず精霊達は放っておいて、エリスは心配そうな顔で、
「ところであんた、タナトスは大丈夫なの?」
「タナトス?」
 ユリエルは有無を言わさずレニの右腕をつかむと、袖をめくり、
「ノルン……ジャドの時からですか?」
「…………」
 レニは無言で、ユリエルの手を払いのける。
「今さら、隠しごとはなしであります! 悩みがあるなら、きちんとテケリに言うであります!」
「おまえにか?」
「あ! なんでありますかその不満そーな顔は! テケリだってみなさんの仲間であります!」
「フン……そうか。そうだな」
 ようやく安心した笑みを浮かべると、すり寄ってきたラビを拾い上げる。
「あ、あにょう……そろそろ戻りませんか? オイラ、こういうとこ苦手ですにゃ」
 頃合いを見計らっていたのか、おずおずとニキータが口を開く。
 ジェレミアも辺りを見渡し、
「たしかに人が暮らすには不適切な環境だな。あたしはゴメンだ」
「……は?」
「そうよね。趣味悪すぎだわ」
 口々に出てくるコメントに、レニは頭を押さえ、
「お前ら……まさかとは思うが、私やロジェがこんな所で暮らしていたと思ってるんじゃないだろうな?」
「違うのか?」
「当たり前だ! こんな人外魔境で暮らせるか!」
「一応、自覚があったんですね……」
「フン。せっかくだ。招待してやる」
 次の瞬間、辺りが白い霧に包まれ、何も見えなくなる。
 ほどなく霧が晴れると、全員森の中にいた。
「ここ……ミラージュパレスの外、でありますか?」
 すぐ近くに巨大な門があり、その門の向こう側に、見覚えのあるシルエットの建物が見えた。
 その門が、重い音をたてながらゆっくりと開く。
「――ようこそ、ミラージュパレスへ」
 開いた門をくぐると、手入れの行き届いた庭園の向こうに、白亜の宮殿が見えた。