19.幻影のフラグメント - 3/3

「これが、ミラージュパレス?」
「すっごーい! これまで見てきた建物の中で、一番キレイじゃない!」
 はしゃぐエリスとは対照的に、ぽかんとした顔で、ジェレミアがつぶやく。
 手入れが行き届いた庭園には穏やかな光が差し込み、花が咲き乱れ、小鳥が飛び交っていた。
 淀んでいたはずの水路は涼しい音を立てて清水が流れ、青々と茂った水草の中を、小魚が泳いでいる。
 同じ幻とはいえ、さっきまでいた場所とは雲泥の差だ。これが同じ宮殿だと言われても、すぐには信じられない。
「――おや。今日はにぎやかですな」
「ホントだ。お客さんなんてめずらしいですね」
 突然の声に、全員硬直する。
 声がした方角に振り返ると、エプロンをした老人と青年が庭木の手入れをしていた。
「庭師のトニオとピートだ。この庭園は、トニオと弟子のピートが交代で世話をしている」
 全員が面食らう中、レニは事もなげに答える。
「――皆様、ようこそいらっしゃいました」
 今度は宮殿の扉が開き、髪を結いあげた中年の女性が笑顔で出迎える。
「メイドのマリー。身の回りの世話をしてくれている」
「マリーでございます。ご用命は、このマリーになんなりとお申し付けください」
「あ、はぁ……」
「ど、どうも、お構いなく……」
 深々と頭を下げられ、なんとなく、こちらまで頭を下げる。
 宮殿の中を歩いている最中も、メイドのナナ、兄弟で兵士をしているトーマとトーナ、薬師のクレーバー……数こそ少なかったが、料理人から雑用係まで、一人一人、自己紹介をして回る。
 歩きながら、キュカは関心した様子で、
「全員、覚えてるのか?」
「当たり前だ。そもそも数も少ないが……皆、この宮殿のためによく働いてくれている」
「……この、牢屋のためにか」
「牢屋?」
 ジェレミアの言葉に、全員、思わず足を止める。
 ジェレミアはレニをにらみつけ、
「どんなにきれいに取り繕っても、ずっと閉じこめられて……外にも存在を知られていない。まるで牢屋だ」
 その言葉に、レニは一瞬ぽかんとし――そして、笑い出した。
「な、何がおかしい!」
 馬鹿にするような笑い方に顔を赤くして怒鳴るが、レニはひとしきり笑った後、
「この宮殿は、ペダンの宝だ」
 その言葉に、今度はジェレミアがぽかんとする。
「宝物とは、大事に隠しておくものさ」
 それだけ言うと、階段上っていく。
 彼は階段を上りながら、
「ここは特にマナエネルギーが溜まりやすい。いわゆるパワースポットというヤツだ」
「パワースポット、ですか」
「放っておけば溜まりに溜まって危険なマナエネルギーを、ペダン全土に循環させる役目を担っている」
「――うきょ! いい眺めであります!」
 最上階に到着したらしい。ドアを開けると城の外周を巡る廊下になっていて、中央に外に突き出たテラスがあった。人の気配に驚いた小鳥が一斉に飛び立つ。
「世界各地にはマナストーンがある。マナストーンは大地からあふれるマナを循環させ、土地を豊かにし、その側で国が発展する」
 テラスから少し乗り出すと、庭園はもちろん、周辺のジャングルも一望出来た。
「しかし、ペダンにはマナストーンがない。住めんことはないが、国として発展するのは難しい環境だ。そこで建てられたのがこのミラージュパレスだ」
「ではこの宮殿は、マナストーンの代わりということですか?」
 ユリエルの言葉にうなずくと、
「ミラージュパレスが湧き出るマナを汲み上げ、幻夢の主教がペダン全土にマナを流す。そうしなければマナの暴走によって魔物は凶暴化し、際限なく肥大するジャングルに、ペダンはとっくに呑み込まれていただろう」
 きびす返すと、廊下の先へと進む。
「――すごいわね。たしかにこれはまぼろしだけど、確かにあった光景よ」
 ジェレミアの頭上にルナが姿を現し、感嘆の声を上げる。幻術は得意分野なだけに、何か言わずにいられなかったらしい。
「どういうことだ?」
 ルナは辺りの景色を見渡し、
「とても大切なものだった。そうでなきゃ、ここまで完璧に再現なんて出来ないわ。間違いなく、この場所は彼の宝物だったのね」
 それだけ言うと、再び姿をくらませる。
「宝……ペダンの……」
 顔を上げると、真っ青な空がとても近くに見えた。
 
 
「これって、全部歴代の主教や家族の墓か?」
「そうだ。短命なのが多くてな。墓ばかり増えて困る」
「こ、これが、全部ですか……」
 整然と並ぶ石の数に、ニキータが背を丸める。
「あんたの両親もここに?」
「ああ」
 エリスの質問にうなずくと、適当なところで足を止め、
「ここはマナが濃すぎる。使用人でさえ魔力を持つ者だけに限定され、定期的に交代するようになっているが、それでも体を壊す者は多い。母上も私達を産んだ後、体調を崩して亡くなり、ロジェもよく具合を悪くしては横になっていた」
「ロジェが、ねぇ……」
 宮殿の外に出てからのロジェしか知らないだけに、ピンと来ないらしい。ぼやきながら首をひねる。
「もしや、主教になれなかった兄弟が外に出されるというしきたりは、そのためですか?」
「そうだ。ここで生まれ育った主教ですら、四十まで生きる者は少ないくらいだからな。……本当なら、ロジェはもっと幼いうちに外に出るはずだったのだが……」
「…………」
 
 ――いい加減しきたりに従い、この宮殿から養子に出されては?
 
 ジェレミアの脳裏に、まぼろしの中で見た叔父の言葉がよみがえる。もしかすると――
「ミラージュパレスの役割はわかりました。しかし、なぜあんなことになってしまったんです? あなたは、何をしようとしたんです?」
「…………」
 全員が一番知りたかったことを、ユリエルはストレートに問いかける。
 レニはしばし瞑目していたが、
「……ペダンの未来は、百年以上前から危惧されていた」
「どういうことです?」
「ミラージュパレスと幻夢の主教が、マナストーンの代わりをしていることはさっき話したな。しかし、我々は所詮人間だ。どんなに強い魔力を持っていたとしても、人の器には限界がある……人間がマナストーンの代わりなど、出来るわけがない」
「これまでやってたんじゃないのか?」
 キュカの疑問に 彼は首を横に振り、
「それはマナが安定していればこそだ。……おそらく、聖域のマナの樹に異変が起こっていたのだろう。百年ほど前から始まったマナの減少に危機感を抱いた私の先祖は、ペダンを救うため、一つの結論にたどり着いた」
「一つの、結論?」
「闇のマナストーンの復活」
 それはひどく単純で、一番確実な答えだった。
「はるか昔、失われた唯一の石だ。世界の維持にマナストーンは七つでも十分だ。しかし、完全ではない。ひとつでも欠けがあれば、異変はそこから浸食していく。この場合、真っ先に影響を受けるのがペダンだ」
「つまりペダンには、元々闇のマナストーンがあったということか?」
 驚くジェレミアに、しかし彼は再び首を横に振り、
「詳しくはわからない。しかしマナストーンの研究者によると、竜の住処であるドラゴンズホール、かつて滅びた光の城、そしてペダンの幻惑のジャングル……おそらく、この三カ所のどこかにあったのではないかという話だ」
「なるほど……しかし、闇のマナストーンはなぜ失われたんです?」
「現世と入れ替わってしまったのだ」
「?」
「お前達、アニスの鏡の向こう側に行っただろう」
 その回答に、全員、一瞬考え込み――
「……おいおい。まさか、あの世界に闇のマナストーンがあったってのか?」
 かつてアニスの黒い鏡に飲まれ、行き着いた世界に思い当たる。
「世界は一つではない。私達が住む世界を表とするなら、闇のマナストーンは何らかの原因で裏面に行ってしまったのだ」
 突然辺りが何もない不気味な空間へと変化し――巨大な石が、出現する。
「どうしてそうなってしまったのかはわからない。しかし、そんなことより問題なのは、そこからマナストーンをどうやって現世へ呼び戻すか。それが出来なければペダンは……いや、世界は滅びる。幻夢の主教は代を重ねながらその方法を模索し、五年前、ついに私の父が実行した」
「五年前……」
 たしか、彼らの父親が亡くなったのも――
「恐らく、幻夢の主教の集大成とも言える最大の魔法だっただろう。父上は残りの命すべてを賭けて魔術を行使し――失敗した」
 石が消え、気がつくと元の墓所へと戻っていた。
 レニはため息をつくと、
「……なんとなく、そうなる気はしていた。父上も表には出さなかったが、本当はそう思っていたんだろう」
「そう思ってたんなら、なんでそのタイミングでやったんだ?」
「ご自分の死期を、悟られたからだ」
 その答えに、キュカも黙り込む。
「術を行使するのは、月が隠れ、闇の力がもっとも増す新月の夜でなければいけなかった。その夜に実行せねば、きっと次の新月まで体が保たない……そう、判断された」
「……そんなに、悪かったの?」
 エリスの問いに、無言でうなずく。
「父上の葬儀が終わってすぐ、私はロジェを宮殿から追い出した。術の失敗により、辺り一帯のマナエネルギーが激しく乱れ、人体への影響はもちろん、モンスター達も暴れ……とにかく、危険だった」
「ロジェはそのことを知っているんですか?」
「――知るわけないだろう! ……知れば、絶対に宮殿から離れなくなる。あいつはそういうヤツだ」
 ユリエルの何気ない問いに、ほとんど反射的に怒鳴る。
 気持ちを落ち着けるためか、彼は深呼吸をすると、
「……ロジェを宮殿から出した後、私は父の意思を受け継ぎ、闇のマナストーンを現世に呼び戻す方法を探した。しかし、歴代の主教が編み出した術が失敗した以上、同じ方法は使えない。かといって、私一人で父上達を越える新たな術を編み出せるわけがない」
「しかし、それをあっさり可能にしたのが魔女の黒い鏡、というわけですか」
 察しのいいユリエルに、うなずく。
「じゃあ、闇のマナストーンをすぐ戻せばよかったじゃねーか。あれじゃあ逆――」
 キュカは言いかけて、気づく。
「……まさかおまえ、表と裏を入れ替えようとしたのか?」
 レニはどこかうなだれた様子で、
「……鏡の力は強大すぎた。鏡の魔力にすっかり取り憑かれた私は、不完全な女神の世界よりも完全な魔女の世界へ……闇のマナストーンを現世に呼び戻すのではなく、現世そのものを鏡の向こう側へ送り込むことに、目的が入れ替わってしまった。それが、ψ計画だ」
「……皇帝と、同じだな」
 さっき、シェイドから聞いた話を思い出す。
 皇帝もまた、マナストーンの力に取り憑かれ、本来の目的が歪んだ結果だった。
「バジリオスは違ったようだが、少なくともそれが私の目的だ。……親が親なら、子も子。結局、私も失敗に終わってしまった」
 どこか自嘲じみた笑みを浮かべる。今さら責める者は誰もいなかった。
「ところで、鏡はいったいどこで見つかったんです?」
「……次から次へと……よく思いつくな」
「せっかくの機会ですから。この際、すべて白状してもらいます」
 ユリエルの笑顔にあきらめたのか、軽く肩をすくめると、
「鏡に関してはわからない。父上の術の影響で、どこかの次元から迷い込んだか……エルマンからも、ジャングルの調査中に見つかったとしか聞いていない」
「――叔父上? 叔父上が持ち込んだのか?」
 意外だったのか、ジェレミアが目を丸くする。
「妙だった。それがどういうものかまだわからんというのに、エルマンは私に鏡の破壊を依頼してきた。そうだな……怯えているように見えた」
「叔父上が……魔女の、鏡を……」
 その答えを、ジェレミアは呆然と繰り返す。
「しかし、なぜ破壊しなかったんです?」
「破壊しなかったのではなく、破壊出来なかったんだ。どんな魔術を叩き込んでもびくともしなかった。それどころか私の術を、喰った」
「喰った?」
「そうだ。そして日が経つにつれ、巨大化していった」
「じゃあ、元々はもっと小さかったでありますか?」
 テケリの問いに、当時を思い出しながら、
「私の元に運ばれた時は、たしか……大きめの姿見くらいだった」
「まあ、たしかに……あんなデカい鏡がジャングルで見つかったら、普通は騒ぎになるよな」
「ああ。あの鏡は、本来、宮殿が吸い上げるべきマナを喰って巨大化したんだ」
「そんなに大きかったの? その鏡」
「ナイトソウルズを飲み込むくらいのでかさだったからな」
 キュカの言葉に、エリスは目を丸くする。
「エルマンは破壊して欲しいと言ったが、私は興味を持った。……後のことは、さっき話した通りだ」
 身を翻すと、墓所の奥へと進み、白い石碑の前で足を止める。
 他の石碑と比べると新しく、小さなものだった。そしてその石に彫られた名は――
「これって……ロジェの墓、か?」
「違う。……私の墓だ」
 石碑の前にしゃがむと、手のひらで名前をなぞり――彫られていた名が変わる。
「私が幻夢の主教として跡を継いだ時、レニは死んだ」
「どういうこと?」
「幻夢の主教に名などない」
 立ち上がると、振り返り、
「……幻夢の主教に『個』など許されない。ペダンのために生き、ペダンのために死ぬ……だからこの世界に来て、名前を聞かれた時は驚いた。捨てたはずの自分の名を、すぐに思い出すことが出来た」
 キュカは呆れた顔で肩をすくめると、
「くっだんねーなー。名前なんて、捨てようたって捨てられるもんじゃねーだろ」
「レニさんはレニさんであります。お墓なんか作ったって、何もかわんないであります」
 その言葉に、彼はきょとんとした顔でテケリを見ていたが、
「……そうか。そうだな」
 エリスから杖を返してもらうと、石碑を見下ろし、
「こんなもの……こうするべきだったんだな」
 杖を、石碑に突き立てる。
 石碑は一瞬で砕け散り――それと同時に、辺りの光景が、本来の廃墟の城へと戻る。
「あ、もう朝ですにゃ」
 ニキータが指さした先に目をやると、うっすらと太陽の光が見えた。想像以上に時間が経っていたらしい。
「――あ、ちょっと待ってて」
 何か思い出したのか、エリスが肩から提げていたバッグを探りながら、少し高い位置にあるテラスに繋がるガレキを上っていく。
「これからどうする?」
「ひとまず船に戻って一休みですね。次は――」
「――ウェンデルだ」
 シェイドが姿を現す。
 ジェレミアは眉をひそめ、
「なんだか焦げ臭いな」
「せっかんは終わったか?」
「……ほっとけ」
 シェイドは気を取り直すと、太陽が昇る方角に目を向け、
「ウェンデルへ向かえ。そこに、最後の精霊がいる……」
 テラスに到着したエリスは、バッグから出した絹のハンカチを広げる。
 ハンカチは一瞬で風に乗り、包まれたリロイの遺髪と共に、そのままどこかへと飛び去っていった。