20.幸せのとき - 2/2

「立派な廃墟だな」
「夢の跡地……だ」
 ぽつりと漏らしたレニの言葉に、シェイドが返す。
 眼前にはかつて街だったであろう建物が並んでいたが、ほとんどが崩れ、街路樹も枯れ果てている。生命の気配はまるでない。
「ささやかな幸せ、ささやかな喜び……そういったものを守り、次へとつなげていく。それだけで十分だったはずなのに、一体どこで狂ってしまったのか……」
 乾いた風が吹き、砂が舞い上がる。昼すぎであるにも関わらず、空はどんより曇り、立っているだけで気分が滅入ってくる。
「と、ところで……」
 背後から、シェイドがおずおずとした声で、
「いつまで……こうしていれば……」
「いつまでも」
 杖を肩にかついだまま、振り返りもせず返す。杖の先には紐と洗濯バサミで逆さまに吊されたシェイドがぶら下がっていた。
「ギャハハハハ! ダッセー!」
「『精霊界のジェントルマン』やて! 笑わせるわこのぞーきんコーモリー!」
「ぐぬぬ……」
 サラマンダーとウンディーネに全力で笑われ、ぶら下がったまま歯ぎしりする。いや、歯以前に口自体ないはずなのだが。
「あ、あの、そんなに笑ってはかわいそうです……」
「こうするともっと面白いぞ」
 ドリアードは無視して、シェイドをくくりつけたままの杖をぶんぶん振り回す。
「まま、待て! お前だって途中から遊んで――」
「いいぞいいぞー! もっとやれー!」
 シェイドの苦情は無視して、はやし立てるサラマンダーの声に応えて回す速度を上げる。
「……まったく、何遊んでるんですか」
「来たか」
 ユリエルの姿を確認し、杖を止める。その拍子に止めていた洗濯ばさみがはずれてシェイドは地面に激突した。
「もうひとつ、お前には話しておくことがあってな」
「奇遇ですね。私も、あなたに確認しておきたいことがあるんです」
 その言葉に、杖の紐をほどく手が一瞬止まる。
「森の人……五、六年ほど前、突然集落が消え、滅びたと聞きました。そしてあなたのお父上が亡くなったのも同じ時期です。関係があると思うのは、考えすぎでしょうか?」
「察しがいいな。話が早くて助かる」
 ほどいた紐を適当に捨てると、杖を肩に担ぐ。
「私が主教になって初めての仕事は父上の葬儀。そしてその次の仕事……二つ目の仕事は、森の人の集落を徹底的に焼き払うことだった」
「森の人が、なにかしたんですか?」
 首を横に振る。もしそうなら、わざわざ幻夢の主教が出てくるわけがない。質問した本人も、一応の確認だろう。
 適当なガレキに腰を下ろすと、
「魔術の失敗によるマナの異変……その影響で、ジャングル奥深くの動植物が突然変異し、毒性の強い感染症が発生した。奇病は魔物に感染し、おとなしかった魔物達が次々と暴れ出した」
「森の人達は、暴れる魔物達を鎮めようと?」
「森の人は、魔物を操る技術を持つがゆえに、魔物へ近づくことに抵抗がない。それがあだとなった」
「逆に襲われ、ついに人へと感染したというわけですか」
 無言でうなずく。
「……あっという間だった。治療法を見つけるのが先か、ペダンが滅びるのが先か……」
「それでさっきの『集落を焼いた』ですか」
「ペダン最高評議会が出した結論だ。森の奥だけで済んでいる病を、都にまで出してはいけない。アナイスは軍を派遣させようと言ってくれたが、当時、王子だったアナイスにそんな権限はない。第一、人を送り込んでは感染のリスクを増やすだけだ。それに、幻夢の主教の術が原因であるなら、私が……」
 無意識のうちに、杖を握る手に力がこもる。
「……私が、やるべきだ」
 立ち上がると、服についたホコリをはたく。
「私はミラージュパレスからの遠隔魔術で集落を燃やし、鏡の結界で焼け跡を隠した」
「ディオールで船を隠したあれですか?」
「そうだ。だから傍目には、村が消えたように見えたのだろう。……そして森の人は、滅びた」
 ……遅かれ早かれ、滅びる宿命だった。皆が皆、そう言ってくれたが、慰めにもならなかった。彼らが幻夢の主教の術による被害者である事実に変わりはない。
「だからテケリのことを知った時は驚いた。強運か、女神の加護か……なにかの導きかもな」
「このこと、テケリには?」
「話すにはまだ幼い。だからこのことは、お前に託す」
 言って、自分の右肩を押さえる。
 ここしばらく、不気味なほどおとなしい。しかし、確かにいる。
「いつまで、私が私のままいられるかわからない。もしもの時は……わかっているな? 隊長なんだろう」
「…………」
 わざわざ彼だけ呼び出したのは、この中で一番適任だからだ。この一行は感情的な者ばかりで、いざという時、判断を誤りかねない。
 ユリエルはため息をつくと、
「まったく、嫌な頼み事をしてきますね。……出来るなら、その必要がなくなることを願いますよ」
 彼は承知することはしなかったが、拒むこともしなかった。
 はっきりした回答はなかったものの、これ以上は不要だろう。
「ひとまずこっちの話は終わりだ。いい加減、出てこい」
 崩れた建物に向かって声をかける。
 しばらくして――その建物の陰から、ばつが悪そうな顔でジェレミアが姿を現した。
 
 * * *
 
「まったく、感心出来ませんね。仲間はずれが嫌なら、堂々と出てくればいいでしょう」
「…………」
 ユリエルの言葉に無言でそっぽを向く。尾行に気づきながら、無視するほうだって悪趣味だろうに。
 すっかりタイミングを見失い、黙り込んでいると、
「用がないなら帰るぞ」
「――あたしも、お前に聞きたいことがある」
 帰ろうとするレニを、反射的に引き止める。やはり、今聞かなければ次はないかもしれない。
 怪訝な顔で振り返ったレニをにらみつけ、
「お前は……叔父上の死に、何か関係するようなことはしたか?」
「…………」
 自然と、ナイフに手が伸びる。今さらその気はないはずなのに、返答次第では斬りかかってしまうかもしれない。
 しかし彼は、こちらから目をそらさぬまま、
「私は、何もしていない」
「…………」
 しばらくにらみ合い――息をつくと、
「……なら、いい」
 すっかり肩から力が抜け、それだけつぶやく。
 そうだ。彼には出来ない。
「もうひとつ、聞きたいことがある」
「なんだ?」
「ロジェを宮殿からすぐ出さなかったのは、兄弟一緒に宮殿から出すためだと言っていたな。理由は、それだけなのか?」
「どういう意味だ?」
「叔父上……エルマン大臣から守るためでもあったんじゃないのか?」
 こちらの言葉に彼は眉をひそめる。やはり知らないらしい。
 そのことに呆れながらため息をつくと、
「アナイスが王位に就くまで、実質、エルマン大臣の権力は国王と同等だったはず。誰も逆らえない……だが幻夢の主教は、唯一、大臣が思い通りに動かせない存在。それを思い通りに出来れば、それこそ自分の抵抗勢力を楽に潰すことが出来ると考えてもおかしくない。いや、場合によっては、ミラージュパレスを含めたペダンそのものだって自分の思いのままだ」
「そのための人質と? ……ロジェを?」
 ようやくこちらの言いたいことがわかったのか、目を丸くする。
 彼は少し考えるようなしぐさをすると、
「……私には政治のことはわからん。それに、ヤツと実際に会って話をしたのは、跡目を継いで数年経ってからだ」
「そうなのか?」
 意外な回答に、今度はこちらが目を丸くする。
「初めて会ったのは小さい頃……まあ、会ったのは父上で、私達は離れたところから見ただけだ。一瞬目が合っただけなのに、その日一日、恐怖で震えが止まらなかった」
「どういうことだ?」
 問い詰めると、彼は少しためらった末、
「お前に言うのはなんだが……人の形をした化け物。どういうわけか、私にはそんな風に見えた」
「化け物……」
 自分は、単純に冷たそうだと思った。
 叔父が夜遅く帰ってくるたびに出迎えに出ては、目の前を素通りされた。
 忙しいのだと、構っている余裕がないのだといつも自分に言い聞かせては、どうすれば自分の存在に気づいてくれるのか、そんなことばかり考えていた気がする。
「たぶんトラウマになっていたんだろうな。会うのが嫌で、本人が来ても書面か人づてでやりとりしていたが……一年、いや、二年ほど前か? エルマンからの強い要望でやむなく面会したんだが、あの時は拍子抜けした」
「拍子抜け?」
「ただのじいさんだった」
「……は?」
 彼は昔のことを思い出しているのか、首をひねりながら、
「なんというか、憑きものが取れたような……抜け殻みたいだった。何があったかは知らんが、私は何も手にすることは出来なかったと、たしかそんなことを言っていた」
 
 ――お前は何も手に入れることは出来ない――
 
 一瞬、鏡に見せられた叔父と先代主教が話していた光景を思い出す。
「対面したのはその時だけですか?」
「ああ。……どうしても壊して欲しいものがあると、持ってきたのがあの黒い鏡だ」
「アナイス様が王位に就いた頃ですね」
 ユリエルの言葉にうなずくと、
「その日を最後に、ヤツとのかかわりは完全に途絶えた。アナイスが王位に就いてから仕事をどんどん奪われ、それまでエルマン側に付いていた有力者達はアナイス王に鞍替えし、かつての栄光はあっという間に消えてしまったそうだ。それでも大臣の地位にいられたのは、それまで自分に代わって王国を守ってくれたというアナイスの温情だな」
「…………」
 ……何も知らなかった。
 叔父は、仕事の話など何もしなかった。
 だから勝手に、国を守るための立派な仕事をしているのだと思っていた。
「――そうそう。少しだけ、おまえの話をしていたぞ」
「あたしの?」
 唐突に話を振られ、思わずすくみ上る。
「なにもかも失ったが、家に帰れば、姪だけはきちんと出迎えてくれると……そんなことを言っていた」
「…………」
「意外だったな。噂では仕事一筋で他のことは無関心と聞いていたから、家族などいないと思っていたのに」
 その話に、しばらく、ぽかんと彼を見ていたが――
「……そうだな。意外、だな」
 自分のことなど、まるで感心がないのだと思っていた。
 軍隊に入ったのも、今思うと、手柄を立て、叔父の気を引くためだったのかもしれない。
「もういい。……ありがとう」
 慌てて背を向けると、来た道を戻る。
 もう十分だった。
 ほんの少しとはいえ、本来、知ることすら出来なかった叔父のことを知ることが出来たのだ。
 気づかれぬよう目元をぬぐうと、足早に船へと戻った。
 
 ◆ ◆ ◆
 
 ジェレミアが去り、風向きが変わる。
 生臭い臭いに気づいたのか、ユリエルが顔をしかめ、臭いの元を探して辺りをうろつく。
 そして少し離れた斜面の下の、黒い塊に目が留まった。
「あれは……」
「サイクロプス。世界の終わりに現れる、伝説の怪物だ。……死んでいるがな」
 斜面を下り、朽ちた肉の塊に近づく。
 刃物でめった斬りにされたと思われる死体は腐敗が始まり、虫が湧いている。辺りには悪臭が漂い、ジンが風向きをコントロールしてくれなければ、あんな場所で立ち話などとても出来なかっただろう。
 シェイドも姿を現し、
「この地は特に闇の力が強い。住んでいる魔物達は自然とそのエネルギーを取り込み、強くなる。このサイクロプスもタナトス化し、相当の力を秘めていたはずだが……」
「まったく、書物の中だけと思っていた伝説の怪物、伝説の聖剣、聖域に女神……どれもこれも現実離れしすぎだ」
「……我々がそれに関わっているなんて、信じられませんね」
「そんなこと言っている場合か?」
 珍しく出たユリエルの本音。それを横目でにらみつけ、
「お前らと来たら、どいつもこいつも動機が個人的すぎる。それが悪いとは言わんが、忘れるな。私達が戦っているのは、こんな怪物を倒す連中だ。肝心な時に、私的な理由で判断を誤るようなことはするなよ?」
「……これを誰がやったのか、わかるんですか?」
 それには答えず、船へ向かう。
 強烈に残された、恨み辛みの思念。必要以上に斬られた死体からも、それがにじみ出ている。
 
 ――恨むなら、私だけにしておけばいいものを。
 
 気を抜けば、震えそうになる。
 しかし、逃げるわけにはいかない。
「私からも言っておきますが……差し違えてでも止めようなんて思わないように」
 後ろから念押しの声が聞こえたが、約束は出来そうにないので返事はしなかった。