22.アナイス王に捧ぐ - 1/2

 遠くから、雷鳴が聞こえる。
 建物の中にいても強い風音が聞こえ、木々がぶつかり合う音がうるさい。
「父上?」
 声が聞こえた――気がした。
 もたれていた扉から背を離し、耳を当てる。
 雷鳴が近くなる。近くに落ちたのか、まるで建物が揺れるような轟音が響く。
「父上? ……父上!」
 扉を叩くが、このうるささだ。聞こえるはずがない。
 聞き間違いかもしれない。
 しかし、治まらない胸騒ぎに、扉を押す。
「え?」
 あっさり開いた。
 奇妙だった。この扉は、父の術で厳重に封じられたはずだ。
「父上?」
 耳元で、風がうなる。
 中庭は真っ暗で、何も見えない。
 手をかざし、小さな炎を作ると、その光を頼りに庭の中央へ向かう。
「…………?」
 ぴちゃりと、水たまりを踏む感触があった。
 風と雷の音はするが、雨はまだ降っていないはずだ。
 空が光り、辺りが照らされる。
「父上?」
 雷鳴が轟く。
 ぽつ、ぽつ、と、空から大粒のしずくが降り始めた。
 
 ◆ ◆ ◆
 
「まったく、またヴァンドールかと思ったら、今度はこんな樹海かよ」
 窓越しに眼下の黒い森を見下ろし、キュカが愚痴をこぼす。どこもかしこも巨大な植物が生い茂り、地面が見えない。この調子だと、ナイトソウルズを停泊させるスペースは見つからないかもしれない。
「アナイスもそうだが、ロジェのヤツはどうするつもりなんだ? 少しは頭が冷えてるとは思うが……」
「まさか、ロジェにここまで悩まされるとは思いませんでしたね」
「……すまない。お前達には苦労をかける」
 こちらの言葉に、なぜか全員ぎょっとした顔で振り返る。
「な、なんだ?」
「いや、お前……やめろよ。完全に天変地異の前触れじゃねぇか」
「……どういう意味だ……」
 本気で鳥肌が立ったのか、キュカが後ずさる。
「そもそもあいつ、何に怒ってるのよ」
 口を挟んだのはエリスだった。
「そりゃ、わたしは話で聞いただけだからこう思うのかもしれないけど。全部自分で決めてやったことの結果じゃない。友達や恋人にだって事情はあったはずなのに、それを考えないで、自分に味方してくれるって都合よく思い込んだだけでしょ? 今あいつがやってるの、八つ当たりじゃない!」
「……まあ、話すら聞いてくれなかったのはキツかっただろうけどなぁ……」
「そーよ! そいつら勝手に死んでったんじゃない! 自分の思い通りに行かなかったらキレて仲間に八つ当たり!? ガキじゃない!」
「……エリス。その辺にしろ」
「にゃんだかロジェさんのことになると、性格どギツくにゃりますね……」
 やはりイルージャのことを根に持っているのか、だんだんヒートアップしていくエリスをジェレミアが制止する。
 そしてエリスの肩をたたき、
「そういうのは本人に言え」
「ついでに二、三発殴っていい?」
「ああ。好きにしろ」
「……お前にそんな権限あったのか?」
 なぜか殴る方向で話が進んでいる。医者に診せたほうがいいかもしれない。
「でもまあたしかに、どいつもこいつも、思い込んだら曲げずに一直線だもんなぁ。ペダン人の気質かね?」
「……みんながみんな、そういうわけではないと思いますが」
 柔軟性があるつもりなのか、もしくはそういう知り合いがいるのか、ユリエルは不満げな顔だった。
 がたん、と、船が揺れた。
「地震であります!」
「空で地震があるか!」
 つっこみながら、ジェレミアは操舵席に座り、自動操縦を手動に切り替える。
「ねえ。なんだかさっきから、変な感じしない? なんとなくだけど」
「たしかに、なにか出てきそうであります」
「そんなんじゃなくて……」
 エリスの言葉にテケリも同意するが、彼女は困惑した顔で首を横に振る。
「今の揺れ、マナの影響だ」
「どういう意味だ?」
「さっきから、どんどんマナが濃くなっていく。ミラージュパレスの比じゃない」
 エリスの不安の原因もそれだろう。それで少し、気が立っていたのかもしれない。
「ということはつまり、この辺りには超希少な植物がわんさかと!?」
「ああ。着いたらお前は草むしりでもしてろ。――シェイド」
 目の色が変わるニキータを適当にあしらい、シェイドを呼び出す。
「シェイド。各地から奪ったマナストーン……ここだな?」
 姿を現したシェイドに、率直に問い詰める。
「もし、すべてのマナストーンがこの地に集まっているのだとすれば、今、世界中のマナがここに集まり、異常な『偏り』が起こっていることになる。この森の植物、元々こんなに巨大ではなかったはずだ」
「…………」
「答えろ。私にはわかる。本来、世界中に流れるはずのマナは今、この地にあるマナストーンの影響で独占されているんじゃないのか? 長引けば、世界が崩壊する」
 かつて、自分がやろうとしたことだった。
 あの時は、各地に置いた黒い鏡にマナを吸わせ、そのエネルギーをペダンに送り込んだ。
 しかし今回は、マナストーンそのものを奪い取るという乱暴な方法だった。物理的に一か所に集まることで、何も影響が出ないとは思えない。
「シェイド。今さら隠し事はなしです。知ってることは、すべて話してください」
 ユリエルにも促され、シェイドは頭上を旋回しながら、
「……その通りだ。今、世界中のマナストーンがこの地に集まっている。魔法使いなら、自分の魔力が強まっていることがわかるはずだ」
「なぜ、この地にした?」
「ここが元々、闇のマナストーンの安置所だったからだ」
 キュカも腕組みして、
「で、それで一体、何するつもりなんだ?」
「そこまでは知らん」
 素っ気ないというか無責任というか、結局、肝心なことは行ってみないとわからないようだ。シェイドは話を変えるように、
「とにかく聖剣だ。聖剣は今、暗黒剣となり、闇の力を蓄えている。早いところ取り戻さねばならん」
「どちらにせよロジェを連れ戻すしかないですね」
「……そのことで、先に言っておきたいことがあるんだが」
 全員の視線が集まる。
 それを確認してから、
「とにかくロジェと話がしたい。おまえ達、誰も口も手も挟まないと約束してくれ」
 こちらの頼みに、エリスは血相を変えて、
「何言ってんのよ! いきなりズバー! ってくるかもしれないのよ!? ズバーッ! って!」
「大丈夫だ。心配するな」
「なんで言い切れるのよ!?」
「兄弟なんだぞ。……私達がどんな話をしていようと、絶対に邪魔はするな。いいな?」
 釘を刺すと、ジェレミアはひとつうなずき、
「……わかった。約束してやるよ」
「まあ、説得出来るなら、それに超したことはねーけどよ……」
「…………」
 ただ一人、ユリエルがもの言いたげな目をしていることに気づく。
「なんだ?」
「なんとなく、よからぬことを考えているような気がしまして」
「なんだそれは?」
「いえ、考えすぎでしょう。私も、あなたにお任せします」
「…………」
 今度はこちらが、もの言いたげな顔をしていたことだろう。相変わらず、食えない男だった。
「それはそうと、どこに船を泊めればいい?」
 ジェレミアの言葉に眼下を見下ろすと、どこもかしこも背の高い木々が生い茂り、とても停泊出来そうにない。
「おいおい。まさかここまで来て、森の外から歩いて入れってか? こんな樹海を?」
「……待て」
 ため息混じりのキュカの言葉を背に、ある一点に目が留まる。
 異様なまでに、強いマナを感じる。
「ねえ、あそこ。おかしくない?」
 エリスも気づいたのか、こちらが見ていた方角を指さす。
 その周辺だけ、木々が不気味な暗い色に変色し、空も分厚い雲が覆っている。
「あれは……」
「――マナストーンや! あれ、ウチのトコのちゃうか!?」
「オレの所のもあるぞ!」
 ウンディーネとサラマンダーが口々に叫ぶ。
 マナもあまりに濃すぎると、植物が育たなくなるらしい。一カ所だけ、ぽっかりと円を描くように地面が剥き出しの広い空き地があった。
 そしてその空き地に、各地から奪われた七つのマナストーンが円を描いて地面に突き立てられ、その中央に、ひときわ不気味な気配を持つ石が突き立てられている。
「闇のマナストーン!?」
「――きゃあ!?」
 突然、船が大きく傾く。
「おい、気をつけろ!」
「違う!」
 キュカの怒鳴り声に、ジェレミアが焦った様子で首を横に振る。
 この濃すぎるマナの中だ。とうとう船を言うことを聞かなくなったらしい。
 どうやら、悠長に着陸を待っている場合ではなさそうだ。
「――先行する!」
「おい!?」
「単独プレーは慎んでください!」
 ユリエルの制止は無視して、揺れる船内から甲板へ繋がる扉を開けると、思い切り床を蹴り、宙を舞った。
 
 
 適当な場所に降り立つと、中央に配置されたマナストーンへ駆け寄る。
「闇のマナストーン……」
 自分の先祖が求め続けていた石が、目の前にある。今さら意味がないことはわかってはいたが、興奮していることが自分でもわかる。
 石に触れようとして、
「え?」
 駆ける音に振り返り、視界の端に人影が見えた。
 状況を理解するより早く、体に強い衝撃が走った。
 
 ◇ ◇ ◇
 
「……へ?」
 たしかな手応えに、一瞬、頭の中が真っ白になる。
 黒い刃は、問答無用で兄の心臓を貫き、そのまま根元近くまで突き刺さり、手にした杖が、渇いた音を立てて落ちた。
 驚くほど、あっけないものだった。
「兄、さん?」
 唐突に、我に返る。
 前後の記憶が今一つハッキリしない。
 しかし、ただ一つ考えていたことは、今、目の前にいる人物を殺すことだけだった。
「は……はは……ははは……」
 口から、笑いがもれる。
 そうだ。殺したくて仕方なかったはずの相手だ。嬉しいはずだ。喜ばしいはずだ。
 しかし、熱かったはずの体は一瞬で冷え、なぜか全身に嫌な汗が噴き出す。
「ははははは……」
 声が、震えている。
 いや、声だけではない。足が、腕が、わずかだが、震えている。
 
 
「――無茶だ。そんな方法、前代未聞だ」
「人類初か。なおさら試す価値がある」
 シェイドだった。目の前で、困惑した様子で浮いている。
「わかっているのか? さらに状況が悪くなるかもしれないし、普通に死んでしまうかもしれない」
「生きるかもしれないし、この状況の突破口になるかもしれない。どのみち、このままでも死ぬんだ。なら、試せるものは試すべきだろう」
 何を言ってもへりくつで返ってくる。シェイドはあきらめたのか、
「……怖くは、ないのか?」
「怖いさ」
 即答だった。
 一切の否定もなく、大きく息を吐くと、
「……いつも、何かを始める時は怖かった。うまくいくのかいかないのか、正しいのか正しくないのか……どんなに頭を働かせたところで、結局は、やってみない限り答えなんて出なかった。そしてひとたび始まれば、もう引き返すことは出来ない」
「……仮にうまく同化出来たとして、今の自我を保てる保証もないんだぞ」
「大丈夫だ」
 根拠のない自信に満ちた声で、
「私は一人ではない。私が私でなくなったとしても、あいつらがどうとでもしてくれるだろう。……お前は、お前が一番いいと思ったことをすればいい」
 
 
「……私に、何か出来ることはありますか?」
 暗い中、声が、聞こえた。下を向いているらしく、見覚えのある石畳と足が見えた。
「では、祈りを」
「祈り?」
「すべてがうまく行くよう、マナの女神に祈りなさい」
「祈り、ですか」
「祈りを通じて、自分の心と向き合いなさい。お前には、私にはない力と可能性を持っている。それを信じるんだ」
「そうでしょうか……」
「お前は一人ではない。生まれる前から、ずっとそうだった。頼れるものには遠慮なく頼りなさい。きっと力になってくれる」
 顔を上げると、そこにいたのは、ひどく懐かしい顔の人だった。
 
 
「え?」
 
 ――とう、さん?
 
 一瞬、確かに見えた。
 リロイの時と同じだ。一瞬――ほんのわずかだったが、今、自分は彼が経験したものを『体験』していた。
 そして突然、剣を握ったままの右手首が、何かにわしづかみにされた。
「へ?」
「――気は済んだか?」
 みしみしと、捕まれた腕がきしみながらひねりあげられ、そのまま持ち上げれれる。
 なんだこれは?
 体が引っ張られ、かかとが地面から離れる。
 手首をつかんでいる人物は、心臓を剣で串刺しにされたまま、こちらの体を引っ張り上げると、
「『復讐ごっこ』は終いだ。……調子に乗るなよ、ロジェ」
 血のような赤い目が、真っ直ぐこちらをにらみつけ――そして耳元で、風がうなった。
 
 
 背中に衝撃が走り、一瞬、意識が飛ぶ。
「な……なん……」
 目を開けると、薄暗い空が見えた。地面に、仰向けに倒れたのだとようやく気付く。それくらい、状況がわからなかった。
「不意打ちとは、ずいぶんと……卑怯になったじゃないか」
 その声に、背筋が凍りつく。
「それとも、臆病になったのか?」
 心臓を貫いたはずだ。
 普通に考えても、即死のはずだ。
「ロジェ、聖剣だ」
 恐る恐る顔を上げると、問答無用で胸に剣が刺さったままの『怪物』が、青黒い手で剣の柄を握り、ずるりと引き抜く。胸はおろか、服の穴すら一瞬でふさがる。
「こんななまくらでは私は殺せん。聖剣だ。私を殺したければ、聖剣を持ってこい」
 そう言い放つと、手にした剣を、地面に投げ捨てた。
 
 * * *
 
「いった~……」
「全員、無事ですか?」
 不時着し、斜めに傾いナイトソウルズからなんとか木の上へと移動すると、全員の安否を確認する。
「にゃんですかここ……」
 上空からではわからなかったが、降り立ったのは、木の幹の上だった。
 木は、上に向かってではなく、ぐねぐねとデタラメな方角に成長し、隣の木と絡まり合って、もはや地面すら見えない。
 幸か不幸か、そうして巨大化した木がクッションになったらしい。船そのものはさほどダメージを受けずに済んだようだ。
「また変なとこに落ちたな。あいつ、どこ行ったんだよ?」
 さっきまでマナストーンの見える辺りにいたはずだが、船がコントロールを失ったあと、おかしな方角に飛んでしまったらしい。場所を確認しようにも、こうも木々が生い茂っていては周辺の状況もわからない。
「シェイドはレニを追ったみたいね……」
「あいつがいないんじゃあ、動けないじゃないか」
 ルナのつぶやきに、ジェレミアがため息を漏らす。
「――なあ。ちょっと待ってーな」
 何かに気づいたのか、ウンディーネが姿を現す。
「どうしたでありますか?」
「アレ。ウチら、落ちたんやのーて、呼ばれたんとちゃうか?」
 木々に隠れて見えづらかったが、青白い何かが見える。
「あれは……ルジオマリスですか?」
 目をこらし、よく見ると、見覚えのある青白い水晶の一部が見える。
「行くぞ!」
「あ! ちょっと!」
 止める間も、止める理由もなく、ジェレミアが、まるで蛇のようにうねる木々の上を駆け出す。
「やっぱりそーや! ウチら、引っ張られたんや!」
「なにそれ?」
 質問に答えるより先に、ウンディーネはルジオマリスの船内へと飛び込む。
「これ、入り口どうにゃってるんですにゃ?」
「こっちやこっち。何も考えんと、入ってみーや」
 おっかなびっくりのニキータに、いったん中に入ったウンディーネが、船の壁から顔を出す。
「え? これが入り口?」
「ルジオマリスは魔法の船です。入り口も魔法仕掛けになっていて、このまま通り抜けられるんですよ」
 過去に乗ったことがあるユリエルが、どう見ても壁の部分をすり抜け、中へと入る。
「お前もさっさと来い」
「あ、うん……」
 ジェレミアに腕を引っ張られ、エリスも後に続く。
「……なんだこりゃ?」
 船内を探索し、キュカが、何かを見つけた。
「これって……ミエイン!?」
「お知り合いですか?」
 想像しなかったものに遭遇し、エリスは驚いた。
 しばらく見なかったが、赤いドレスに金色の冠を身につけた女が、船の動力源――本来、船を動かす魔導球の設置場所に、氷漬けの状態で佇んでいた。
「ミエイン? もしかして、盲目の大魔法使いの、ミエインですかにゃ?」
「有名な人でありますか?」
「知らにゃいほうがヘンですにゃ! ミエインといえば、魔力を高めるために視力を封じてまで人々を救った英雄ですにゃ!」
 ニキータは興奮した様子で、
「十年前の戦の時も、弟子のエレモスと一緒に各地を飛び回って、怪物やヴァンドールの軍隊と勇猛果敢に戦ったそうですにゃ」
「で、それがなんでこんなとこで氷漬けなんだよ?」
「いや、それはさすがに……」
 キュカの質問に、耳を垂らす。
「これ、氷じゃない。なんだろ……水晶? ウィスプのと同じかなぁ」
「なんだっていいだろ。それより早く出してやれ。こんな所にいるってことは、封じられたあげく、船の動力に利用されてたってことだろう?」
 確かにそうだ。ここに、このままにしておく理由はない。
「よっしゃー! やったるでー!」
 さっそくウンディーネが水晶に力をぶつけるが、びくともしない。
「これならどうだ!?」
 続けて、サラマンダーが炎を吹きかけるが、暑くなるだけで何も起こらない。
「――ちょっと待たんか。こりゃあ、光の魔法じゃ」
「光?」
 ノームが姿を現し、水晶に触れると、
「強い光の力を感じる。同じ光の魔法を外側と内側からぶつければ、壊れるはずじゃ。なに、ミエインなら、封じられていても自分でなんとかするじゃろう。問題は外側からの力じゃ」
「光……」
 ノームの助言に、エリスは、肩から提げたバッグの中から、ウィスプが封じられた玉を取り出す。
「……ウィスプ、聞こえる? あなたの力が必要なのよ。お願いだから出てきて!」
 ウィスプが封じられた玉に呼びかける。
「……って、こんなんじゃ出てこないかぁ」
「困りましたね。……封印自体は、もう解けてるんですよね?」
「それは間違いないわ。あとは、本人の意思」
 念のため確認すると、ルナはうなずく。
「でも急がないと、あいつ、今一人よ? いくらシェイドが一緒だからって、今頃――」
 突然、船が揺れた。
「たしか……こうか!?」
 ジェレミアが船のパネルを操作し、壁一面が透けて外の光景が丸見えになる。
 空が割れ、赤い炎をまとった隕石が、少し離れた森の向こうに降り注いでいた。
「ギャーーーーーー!? お星さまが! お星さまが降ってるでありますーーーーー!」
「なんだありゃ!? 魔法か!?」
 なにかが起こっている。それは間違いなさそうだ。そしてそれが、自分達だけでは解決困難な事態であることも。
「――ウィスプ! お願い! 出てきて!」
「お願いでありますー! 出てきてほしいであります!」
 エリスだけでなく、テケリも呼びかけるが、まるで無反応だ。
 そのことに、エリスはとうとうしびれを切らし、
「――あーもういいわよ! こんなのもういらない! 役立たずー! バーカバーカ! 墓場で通行人びびらせるバイトでもしてろバーカ! ひとだまー!」
「子供か!」
「ああ! ウィスプさんがぶっころがされたであります!」
 エリスは玉にひとしきり悪口をぶつけると、ゴロゴロゴロー、と、ボーリングの玉のごとく床に投げ飛ばす。
 そして、
「あ」
「割れた」
 壁にぶつかって、パーン! と、こっ端みじんに砕け散った。
「って、そんな簡単に割れるのかあれ!?」
「い、いや、そんなはずは……」
 思わず問い詰めるキュカにノームも困惑するが、次の瞬間、辺りに白い光が広がる。
「――ちょっとアンタ! さっきからなんなんスかー!」
「あ」
「出てきた」
 白い炎の身体を膨らませ、ウィスプが姿を現した。
「さっきから黙って聞いてりゃ、『ひとだま』って! よりにもよって『ひとだま』って! あんまりっス! 訂正と謝罪を要求するっス!」
「え? そこ?」
「何に傷つくのか、わからないもんですねぇ……」
 どうやらウィスプの心の傷をえぐったらしい。顔を真っ赤にし、怒りに震えている。
「ま、いーや。ウィスプ、さっそくだけどこの人なんとか出来ない?」
「無視!?」
「いいからさっさとしろ! また封印して今度は海に沈めるぞ!」
 ジェレミアに脅され、ウィスプはしぶしぶ、
「ミエイン……この人、精霊使い荒くて苦手っス……」
「気持ちはわかるがつべこべ言うでないわい。ミエインをこのままにしておけるか」
「うううう……オイラ被害者なのに……! 被害者なのに……!」
 あんまりな扱いにはらはら涙を流しながら、ウィスプは水晶に触れた。
 
 ◆ ◆ ◆
 
 大きく息を吐く。
 両手を見ると、これまで体に部分的に現れていた模様が全身に回ったようだ。
 鏡がないのでわからないが、恐らく今の自分は、頭のてっぺんからつま先まで、人型のタナトスと化しているのだろう。しかし、不思議なことに、以前のような不気味さは感じなかった。
 体が軽い。厚い雲に光が遮られ、暗いこの世界が、やけに心地いい。
「ふふ……ははは……あははははは!」
 自然と、笑いがこみ上げてきた。
「ははははは! たいしたことじゃなかった。たいしたことじゃなかった!」
 これまで、何を迷っていたのだろうか。
 ほんの一瞬だった。あの一瞬で、世界が変わった。
「――落ち着け! タナトスを制御しろ! 力に呑まれるな!」
「……うるさい!」
 追ってきたシェイドを一喝すると、両手を天にかざす。
 空が割れ、暗闇の中にきらめく星々が見えた。
「――降り注げ!」
 星が、強く輝く。
 空間を裂き、赤い炎の尾を引いて石が降り注ぎ、大地を揺るがす。何度も使ってきた魔法だというのに、威力が格段に上がっている。
「兄さん!?」
「この力! これがタナトスの力か! 人間の器では考えられない!」
 まるで疲れない。体の奥底から魔力があふれてくる。
「出てこいアナイス!」
 抑えきれず、辺りかまわず炎をまき散らす。
「この辺り一帯、丸ごと吹っ飛ばしてもいいんだぞ!」
 再び両手を天にかざす。
 空が割れるより早く、
「……やれやれ。呼んだかい?」
 闇のマナストーンを挟んだ向かい側の空間が歪み、双子の女と共に、アナイスが姿を現す。
 アナイスは頭をかきながら、相変わらず緊張感のない面持ちで、
「まったく、キミには驚かされたよ。たまに無茶苦茶するとこあったけど、まさか人間辞めちゃうなんてさ」
「人間をやめた、だと?」
 引っかかる物言いに、アナイスに向き直ると、
「なめるな、アナイス。私は人間をやめたのではない。人間を、『超えた』んだ」
「ものは言い様じゃないか」
 つまらなさそうに、小首を傾げる。
「死を喰らう男が、教えてくれた」
 誰よりも死に近く、誰よりも生に執着していた。そこに、自分は答えを見た。
「生きて生きて、生き延びる。そのためには、死をも喰らう。……私は、死なない。もはや誰にも、私は殺せない!」
「アナイス様!」
 闇の衝撃波を放つと同時に、ルサが飛び出し、結界を張るが、
「――きゃあぁぁぁぁぁぁ!」
 結界はまるで紙切れのように破れ、ルサを軽々吹き飛ばす。かつて、あれほど圧倒的な力の差を感じた相手が、まるで赤子の手をひねるようだ。
「姉さん!」
 ルカは飛ばされたルサを追うが、アナイスは眉ひとつ動かさなかった。
「なるほど。あんなヤツでも、キミにとっては役に立ったってことだ。……しかしまいったな」
 彼は吹き飛ばされたルサを横目に見ると、
「ただの人間じゃ勝ち目がない。あの女もここまでか」
「アナイス! 貴様に尽くしてきたルサに、その言いぐさか!?」
「あの女が勝手にしてきたことだろ」
 シェイドの非難を涼しい顔で受け流すと、
「僕にはわからないんだ。みんな、何をそんなにがんばるの? 自分が苦しい思いばかりして、その結果、何が手に入る? ……おまえ達は、何を手に入れた? 幻夢の主教」
「我ら一族は、己の勤めを果たして来ただけ。それ以上も、それ以下も、何も望まない」
「ふぅん」
 こちらの回答を、アナイスは肯定も否定もしなかった。ただ、やはりつまらなさそうに、
「結局、僕達はわかり合えない間柄みたいだ。なんでだろうね。キミのこと、昔から理解不能だった」
「『理解不能』だったのは、私だけか?」
「…………」
「アナイス、もう終わりにしろ」
 昔から、アナイスに感じていた違和感。
 今ならはっきりとわかる。彼には、『情』というものが欠落している。
「私は、誰にも殺せない。ロジェは私が殺させない。闇のマナストーンの封印が解けなくなった以上、お前の目論見は外れたも同然」
「私が――」
 ルサが、口を開いた。
 彼女は体を起こし、息を切らしながら、
「私の、命を、お使いください」
「姉さん! 何言ってるの!?」
「うるさい! 裏切り者!」
 どこにそんな力が残っていたのか、ルカを杖で殴り飛ばす。
 ルサは、杖を支えに立ち上がり、
「私が何も気づいていないと思っていたのか!? 信じていたのに! お前だけは……信じていた! 信じていた!」
 感情的に叫ぶと、杖を掲げ、
「私にはもう、帰る場所も家族もいない! アナイス様が……アナイス様が救ってくださる! アナイス様が、新しい世界の礎を築いてくださる! そのためなら、私の命ひとつ、どうということはない!」
「ルサ! よせ! ヤケになるな!」
「うるさい! お前らみんな消えろーーーーーーーーーーーーー!」
 ルサはシェイドを追い払うように杖を振り、辺り一面を炎がなめていく。
「ロジェ! ぼさっとするな!」
「へ?」
 まだへたり込んだままだったロジェの首根っこをつかみ、炎から逃げる。
 炎はそのまま壁となって横たわり、こちらとルカ、アナイスとルサを分断する。
「姉さん、やめて! あなたが死ぬことはない!」
「黙れ! お前はヤツらと同じだ! 私達に石をぶつけたあいつらと! どうせ、とっくに果てていた命だ! 今さら何を惜しむ!」
「やれやれ。兄弟ゲンカの次は姉妹ゲンカか」
 炎の向こうから、アナイスののんきな声が聞こえる。
「やるならさっさとやりなよ。時間の無駄だ」
「…………」
 なんのためらいもない言葉に、炎の向こうのルサの顔が硬くなる。
 彼女は杖を構え、
「お前は生きろ。さらばだ」
「――違う」
 ルカが数歩後ずさり――足元に、さっき放り捨てた暗黒剣が落ちていた。
「生きなきゃいけないのは姉さんよ! だから死ぬのはわたし! わたしでいい!」
「ルカ?」
 ルカの姿が、変貌を始める。
 顔に不気味な模様が浮かび上がり、皮膚も青く変色していく。恐らく、服の下も同じような状況だろう。
「やはり……」
「ルカ! いかん!」
 シェイドの声に焦りが出るが、もう手遅れだ。
 ひとたび浸食が始まると、もう止まらない。
「――ルカ!」
「近寄るな!」
 さすがに止めようとロジェが駆け寄るが、ルカは背負っていた剣を抜くと同時にロジェに向かって放り投げ、その隙に、暗黒剣を拾い上げる。
 ルカは暗黒剣の切っ先をロジェに向けたまま、鋭い目でこちらをにらみつけると、
「……わたしはお前とは違う! わたしは人間だ! 人間だ! 人間なんだ!」
 最後は自分に言い聞かせるように叫ぶと、黒い刃を、自らの胸に突き刺した。