「ルサ! 無事だったか!」
ルサの無事を、シェイドは素直に喜ぶが――その後ろにはもう一人、アナイスがいた。
アナイスは神獣に視線を向けると、
「あーあ。あんな顔だけじゃあね。力もずいぶん失ったようだし、期待外れもいいところ……もういいや」
「もういい?」
ジェレミアはこちらを押しのけ、臨戦態勢で前に出ると、
「お前達、どういうつもりだ? 何をしに来た!」
「そりゃこっちのセリフ。いくら顔だけとはいえ、これから神獣にケンカでも売るつもりだったんじゃないだろうね? あんな化け物に真正面からケンカ売るのは、そこの化け物だけで十分」
「化け物化け物うるさいぞ」
兄が口をとがらせる。
不思議と、二人から敵意は感じなかった。
アナイスも、口では嫌味を吐いてはいるが、以前ほどの嫌らしさはない。不気味さも感じない。
いたって――普通、だった。
「出来もしないことをやろうだなんて、生意気じゃないか。そういうのは、出来るヤツに任せりゃいいのさ」
「出来るヤツ?」
視線が、自然とルサに向かう。
ルサは幻想の鏡を手に、初めて見せる優しい笑みを浮かべると、
「何しに来た、か……そうだな。けじめをつけに来た」
ルサはこちらを横切ると、神獣に向かって幻想の鏡を突き出す。
「……闇より生まれし滅びの化身よ、眠れ。今しばし、我らに安息の時を与えたまえ」
鏡が――いや、正確には、鏡に映し出されたマナストーンが輝き、闇の神獣を吸い込んで行く。
「うっ……」
神獣の抵抗か、放出される闇の波動が吹き荒れる。
ルサも、かなりの勢いで魔力を吸い取られているらしく、今にも後ろに倒れそうだったが、なんとか踏ん張り、鏡を向け続ける。
「ルサさん、がんばるであります!」
「まったく……けじめをつけるのも命がけだな!」
テケリが声援を送り、キュカがヤケクソ気味に叫んだ。
◆ ◆ ◆
「くっ……!」
手にした鏡を突き出すが、一瞬でも気を緩めれば、あっさり押し返されそうだ。
神獣の抵抗は収まらず、黒い闇の波動が縦横無尽に走り回り、まるでこの場所だけ、すさまじい重力がかかっているかのようだった。
「……私じゃ……ダメなの? ルカ……」
ルカが、何を想って自らの命を絶ったのかは、もはや知るよしもない。
だが、自分が追いつめてしまったのは事実だった。
自分の想いが強すぎて、散々振り回し、死に追いやってしまった。
あの兄弟のように、お互い思いやれていれば、こんな事態は避けられたかもしれないのに。
「……好きなだけ、恨んでくれてもいい。でも、せめて……せめて、今だけは……」
渾身の力を振り絞り、鏡に魔力を送り込む。
ふいに、背中に、誰かの手が触れた。
「アナイス、様?」
「…………」
アナイスはこちらの背中に手を置いたまま、無表情に闇の神獣に目を向けていた。
「――――!?」
次の瞬間、全身を強い魔力が通り過ぎるのを感じた。
鏡が、さらに強く輝き――一気に、闇の神獣を吸い込む。
自分の体が浮く感覚に、頭の中が真っ白になる。
視界がぐるりと回転し、なぜか一瞬、空が見えた。
「――鏡から手を離せ!」
遠くから、誰かの声が聞こえたが――鏡を強く握るその手は、離れなかった。
恐怖も何も、感じる暇もない。
「――ルサ!」
背中から誰かが抱きつき、その拍子に――鏡から、手が離れた。
「ぅあっ!?」
叩きつけられる衝撃に、短い悲鳴を上げるが、不思議と、痛みは感じなかった。
何が起こったのかわからず、体を起こし、荒い息をする。
そしてふと、下を見ると、
「ア……アナイス様?」
「…………」
彼は無言のまま横たわっていたが、ようやく、鏡に吸われかけた自分を引き戻してくれたのだと気づく。
アナイスは苦しそうに、
「とりあえず……どいてくれる?」
言われて初めて、アナイスを下敷きにしていたことに気づき、慌てて立ち上がろうとするが足に力が入らず、地面に膝をつく。
「まったく……」
つぶやき、アナイスも体を起こす。
振り返ると、さっきまで闇の神獣がいた場所には何もなく、少し前まで、世界が悲鳴を上げていたとは思えないくらい、辺りは静かだった。
「…………」
その場にへたり込んだまま、ぽかんと、自分の両手を見下ろす。
さっきまで確かにあった鏡が、消えている。辺りを見渡すが、それらしいものも見当たらない。
ということは――
とりあえず、持ち主のほうに振り返ると、
「……すまない。鏡……神獣と共に、封じられてしまったようだ」
こちらの言葉に、二人は一瞬、きょとんとしたが、
「ああ……いいんだ。あれは……もう、俺達には必要ないものだから」
「……そう、か……」
再び両手を見下ろす。
よほど強く握っていたのか、指先はまだしびれていた。
◆ ◆ ◆
「アナイス」
声をかけると、アナイスは座り込んだまま、ぼんやりした顔で振り返る。
その顔に、呆れと共にため息をつくと、
「全部、ぶっ壊すんじゃなかったのか?」
「……………」
こちらの問いに、全員の視線がアナイスに集まる。
アナイスは、こちらの面々を見渡し――最後に、闇の神獣がいた場所へ視線を向けると、
「……出来もしないことをやろうだなんて、生意気なもんだよね」
「うん?」
ついさっき、当の本人が言ったことだった。
アナイスは立ちながらこちらに振り返り、肩をすくめると、
「負けたよ」
事実上の、敗北宣言だったが――
その顔は悔しさも何もない、憑きものが取れたような、さっぱりしたものだった。
「お前に聞きたいことがある」
「なに?」
真っ先に詰め寄るジェレミアに、アナイスは少し驚いて首を傾げる。
「お前は叔父上の死に、大臣の死に、何か関わるようなことをしたか?」
「…………」
「答えろ」
アナイスは表情ひとつ変えないまま、しばらく無言でジェレミアを見返し――はっきりと、
「何もしていない」
「…………」
その回答に、ジェレミアはアナイスをにらみつけ――大きく息を吐くと、
「イテッ!」
無言のまま、アナイスの脳天に拳を振り下ろした。
「キサマ! アナイス様に何をする!」
「フン」
ルサが顔を真っ赤にして怒鳴るが、ジェレミアはさっさと背を向けた。
気が済んだ――というわけでもないだろうが、これが彼女なりの決着なのだろう。
ため息をつくと、殴られた頭をさするアナイスに、
「お前は、これからどうするつもりだ?」
頭をさする手が止まる。
「もはや、お前を縛るものは何もない。ただのアナイスが、これから何をする?」
「…………」
アナイスは無言のまま――自分が立っている大地をぐるりと見回し、
「見なよ。まるで、大陸に見捨てられたみたいだ」
少し前まで陸続きだったのだが、闇の神獣に大地を切り裂かれ、いつの間にやら孤島となっていた。
かつてのヴァンドール帝国の面影など、どこにもない。渦巻く闇の力も、きれいさっぱりなくなっている。
もう、何もない。
「……何も変わらないさ」
「何がだ?」
「僕は何も変わらない。僕の望みは、昔からただひとつ」
首を傾げるこちらに背を向け、アナイスは島の中央に向かって両手を広げると、
「ここに、僕の新しい王国を作る」
高らかに、開国宣言する。
「王国の名は、ペダン」
手を下ろし、こちらに振り返ると、
「どうだい? いい名だろう?」
「……ああ」
皮肉混じりに聞いてくるアナイスに、こちらも、なんとも言えない気分でひとつうなずく。
アナイスは、こちらの後ろの方角を指さすと、
「もう、行きなよ。キミを閉じこめておくには、この世界は狭すぎるみたいだ」
振り返ると、遠くに、白い何かが見えた。
一瞬、雲かと思ったが、違う。
空に、小さな亀裂が走っている。
「まさか……時空が歪んでいる?」
「急がなきゃ、閉じちゃうよ」
「おい! ひょっとして元の時代に帰れるってことか!?」
「何を言ってるモミアゲ」
なぜか顔を輝かせるキュカに、すかさず、
「異世界のアニスと戦うんだろう? 付き合ってやる」
「は?」
杖で肩を叩きながら、
「ヤツには借りがあるからな。どちらが強いか勝負する。今よりさらに力を高めて、私の足下にひざまずかせてやる」
「はいはーい! テケリも行くであります!」
「マジか……」
テケリは二つ返事で手を挙げているというのに、キュカはうなだれ、ロジェ達は間の抜けた顔でぽかんとする。自分達で始めたことのくせに、なんだこいつらは。
「それでは、アナイスさまもルサさんも、お元気で! なのであります!」
「え? あ、ああ……ありがとう」
テケリに手を振られ、ルサが困惑した顔で軽く手を振る。
自分も後にしようとして――ふと思い出し、引き返すと、
「なに? 忘れ物?」
「アナイス。お前にとって、ペダンはどんな国だった?」
「…………」
こちらの質問に、アナイスは少し考えると、
「……ペダンは、僕のすべてさ。僕そのもの」
「そうか」
見上げると、真っ青な空を、鳥の黒い影が通り過ぎていくのが見えた。
ぼんやりとそれを見送ると、
「他の連中も言っていたが……ペダンは、結構好きだったらしいぞ」
「そう」
アナイスはそれだけ言うと、どこへともなく歩き出し、ルサが慌てて後を追う。
お互い、別れの言葉も何もなく、振り返ることもなかった。
幸いというかなんというか、多少は外傷があったものの、ナイトソウルズは問題なく飛びそうだった。
改めて考えてみると、元々はただの偵察船に過ぎないはずの船が世界中を飛び回り、あげく時代まで超えてしまうとは、この船も大概奇妙な運命を辿っている。
「ルジオマリスはどうするんだ?」
「なんとか飛べる状態まで修理して、いずれはロリマーのどこかに封印しようかと。あんな危険な砲台、今後一切使わないに越したことありませんから」
「まあ……そうだな」
残念ながらその願いが叶わないことを知っている身としては、やや複雑な気分になる。
ミエインは疲れた顔のまま、ゆるゆると手を振り、
「……なんだか慌ただしいお別れではありますが。おかげさまで私も自由の身になりましたし。ありがとうございました」
「ああ……そっちも達者で……」
ひょっとしてこの女、水晶から出たいだけでこちらを利用していたんじゃないか……一瞬そう思ってしまったが、まあ、それだけでルジオマリスの操縦役を買って出たりもしないだろう。たぶん。
「それよりも、急がないと道が閉じてしまいますよ」
「ああ……」
見上げると、時空の亀裂が、心なし小さくなっている気がする。
船に乗り込むと、すぐに発進する。
ゆっくりと船を上昇させながら――ジェレミアが、ぽつりと、
「エリス……どうして止めなかった?」
「またその話か」
ユリエルも不思議そうな顔で、
「むしろ、どうして彼女は聖域に行く気になったんです? 嫌がっていたんでしょう?」
「…………」
◆ ◆ ◆
もしかすると、読みは外れているかもしれない。
しかし、行くアテがあるとすればここしかない。無心になって、ひたすら階段を上り続けてどれくらい経っただろうか。
ようやく塔の最上階にたどり着き、扉を開けようとして――先に、中から扉が開いた。
「イザベラ?」
「やれやれ。振られてしまった」
「は?」
「後はキミに任せる」
そう言うと、さっさと階段を下りていく。
イザベラと入れ替わりに、扉をくぐる。
何もなかった。
月読みの塔の屋上は、以前来た時と同様、だだっ広い、何もない空間が広がるばかりだった。
見上げると雲が薄くなり、一瞬、月が見えた。
「――魔界に来ないか、だって」
扉の影になって気づかなかった。振り返ると、たった今通ってきた扉の横に、エリスが膝を抱えて座っていた。
「次の王様探してるんだって。笑っちゃうわよね。マナがなくなれば、魔界もただじゃ済まないのに」
「…………」
――三人目……
かつて、イザベラは言っていた。次の魔界の王を探していると。そして、三人ほど見つけたと。
自分と、アナイス。三人目は教えてくれなかった。
それもそうだ。こんな小娘だなどと言われたら、鼻で笑っていただろう。
かつての自分ならば。
「わたしがここで見たのは、マナの樹」
以前、この塔で見たものを思い出す。
――役目を果たさぬ限り、あの空の果てには行けない――
自分は、自分に会った。
「なんでだろうね。相手は馬鹿でかいだけの木なのよ? なんかしゃべるわけでもないし。なのに見た瞬間、『あ。これ、わたしのお母さんだ』って……理解した」
想像していた以上に、彼女は冷静なようだった。淡々とした口ぶりで、
「その瞬間は、嬉しかった。やっと会えたんだって。でも……目が覚めて、現実に戻ったとたん、怖くなった」
「…………」
現実に戻って、確信したのだろう。
自分の役目を。
「ねえ。逃げちゃわない? わたしと一緒に」
「なに?」
「もう、ぜーんぶほっぽり出してさ。逃げちゃいましょうよ。どいつもこいつも、頭おかしいのばっかでうんざりしちゃった。あなただって責任感じて戦うつもりでいるのかもしれないけど、ほっときゃいいのよ。無責任? 知らないわよそんなの」
「逃げたところで宿命は変わらんぞ」
「変えるのよ。あなたの命を半分、わたしにくれれば」
「命を、半分?」
突拍子もない要求に、目を丸くする。
「エルフに伝わる禁断の魔法よ。その昔、人間と恋仲になったエルフが、禁断の魔法でエルフとしての命を終わらせて、恋人の人間の命を半分もらって、人間に生まれ変わったの」
「はあ? 長いほうの命を捨てて、わざわざ短いほうの命を分割とは、ずいぶん頭の悪い魔法だな。せめて逆にしろ」
正直な感想を伝えるが、エリスは特に気にした様子もなく、
「わたしのフェアリーとしての命を終わらせる。それからあなたの命を半分いただけば、わたしはただの人間の小娘ってわけよね? どう? あなたの命、わたしにくれる?」
「ずいぶん軽い命だな」
まるでチョコの分け合いみたいだ。呆れてため息が出る。
ため息を吐ききってから、
「本当に変わると思うのか? その程度で」
「え?」
「『縛り付けているのは自分だ』と……お前が言ったんだ。新しい世界だろうが新しい神が生まれようが、自分で自分を縛り続ける限り、同じことの繰り返しだと。お前のフェアリーとしての命が終わったところで、お前がお前を縛り続ける限り、何も変わらんぞ」
「なによ、はぐらかして。冷たいわね」
「叶えたい夢が出来た」
空を見上げる。さっき一瞬見えた月は再び厚い雲に覆われ姿を隠していたが、変わらずそこにいるのだろう。
「そのためには、私は幻夢の主教でなければならない。私は、幻夢の主教で良かったんだ。守る国を失おうが、タナトス憑きだろうが、それは変わらない。私は最初から、自由だった」
「わたしもそうだって言うの?」
「エリスはエリスなんだろう?」
「…………」
「お前が今の命を終わらせようが、私がお前に命を半分くれてやろうが、何も変わらん。私は私の、お前はお前のやりたいように生きるだけ。お前、何がしたい?」
「わたしは……」
「本当はもう、わかっているんだろう? 自分が進むべき道を」
本気で逃げるつもりなら、イザベラと魔界へ行けばよかったのだ。
イザベラを振った段階で腹は決まっていたくせに、何を言っているんだこの小娘は。
「あなたの夢ってなに?」
「新しい世界の誕生。新しい国の始まりがどんなものか、見てみたい」
「その後は?」
「そうだな……」
少し考え、でたらめな方角を指さすと、
「『空の果て』を見に行く」
エリスが吹き出す。
彼女は笑いながら、
「それって、何も考えてないってことじゃない」
「そんなものだろう。そこまで先のことなど考えてられるか」
「そっかぁ……逃げないのね」
「お前だってそうだろう。取るつもりもないくせに、よこせなんて言うな」
「お見通しかぁ」
エリスは腰を上げると、
「さてと。それじゃーわたしも、やりたいことやるとしますか」
「なに?」
彼女は尻のホコリを払いながら、
「今、神獣だけでなく、世界中……というか、世界そのものがタナトスに取り憑かれつつある。だから一度、聖剣で丸ごと分解するの。その時に、不純物であるタナトスは取り憑く対象を失って消えるはずよ。それから再構築。神獣もタナトスから解放されて、本来の姿に戻るわ」
「私のタナトスはどうなる? 消えられては困るぞ」
「どうかしらね。なにしろあなたは、特殊な方法で融合したから。むしろタナトスのほうが逃げたがってるんじゃない?」
「癪に障る言い方だな」
「どっちにしても、聖剣が女神の元に戻らないと、分解も再構築も出来ないわよ」
「道具がないと何も出来ない。神というのもたいしたことがないな」
「そーよー。だからあんた達という『道具』が必要なのよー」
「フン」
いつの間にやら皮肉が通じなくなった。こうなると、この小娘のほうがずっと大人に感じる。
――聖剣……
「聖剣なら、ロジェに拾ってくるよう言ってはいるが……」
実を言うと、聖剣など必要ない。別行動の口実に思いついただけだ。
「そう。じゃあ、聖剣は後でもらいに行くから、ちゃんと回収しといてね」
「もらいに?」
どうやって? と思ったが、エリスはおもむろに髪飾りをはずすと、こちらの手に押しつけてくる。
「これはわたしの代わりに持ってって」
「代わり?」
頭上から、羽音が聞こえる。
「じゃあ、わたし、もう行くね」
見上げると、フラミーが頭上をゆったりと舞っていた。
迎えに来たのだ。
「わたしも、見てみたい」
エリスは背を向けると、空を見上げ、
「あなたの行く先。これからの未来!」
強い風が吹く。
思わず目を閉じ――目を開けると、さっきまでいた人は影も形も見当たらず、空を見上げると、白い影があっという間に遠ざかっていくのが見えた。
◇ ◇ ◇
「お前、最後に会ったんだろう。エリスはなんて言っていたんだ?」
ジェレミアに問い詰められ、兄はしばらく、胸元に手を当てて、ぼんやりと考え込んでいたが――口元に人差し指を立てると、
「……秘密だ」
「は?」
「――おーい!」
声が聞こえた。
振り返ると窓の外に精霊が姿を現し、手を振っていた。
慌てて甲板に出ると、
「お前ら、もう戻ってきたのか? 早いな……」
「いや、気ぃついたら、元のマナストーンの安置場所におってな」
「後はそいつのマナの波動探すだけだから、別に苦労はしねーよ」
サラマンダーが兄を指さす。目的地さえはっきりしていれば、精霊にとっては世界中どこだろうと一瞬らしい。
「私達はもう行くが、後のことは任せたぞ」
「次会う時は敵やろーけど、手加減なしやで! 覚悟しとき!」
「今の私に言われてもな……」
ウンディーネに指さされ、兄は困惑した顔で首を傾げる。
精霊達は口々に別れの挨拶を告げると姿を消していき――最後に、シェイドが姿を消そうとした時、
「待て――待ってくれシェイド!」
気がつくと、消えようとするシェイドの影に向かって大きく叫んでいた。
遅かったかと思ったが、一瞬の間を置いて、再びシェイドが姿を現す。
「シェイド、頼みがあるんだ」
「なんだ?」
「…………」
大きく息を吐くと、
「もし……もし、遠い未来で、エレナっていうエリスに似た人に出会うことがあったら、女神の元に案内してやってくれないか? 彼女の弟と、一緒に」
「…………」
「私からも頼む。一人でも多くの迷える魂を、死を喰らう男から守ってくれ。……これは、お前にしか出来ない」
兄の言葉に押され、シェイドはしばらく考え込み、
「……いいだろう。元より、私は守るべき石を失った身」
静かに翼を広げると、ゆったりと浮び上がる。
「私は船となり、その船で、迷える魂を女神の元に導く案内役になるとしよう」
その言葉と共に、黒い影は風に乗って消えた。
「……ありがとう。シェイド」
――これで……進める。
「行こう」
いつも見ていた、あの空の果てへ。
* * *
「ぐまっ、ぐまままま、ぐま?」
「ぐまっ。ぐまぐま、ぐま」
「ぐまっ!」
座ったままのルサの指示に、アナグマは元気よく返事をすると、担いでいた材木を、ルサが指さした方角へと運んでいく。
アナイスはその光景を、ぽかんと眺めながら、
「……今、アナグマと会話してなかった?」
「え? ああ、はい。小さい頃、普通に習いましたが……そんなに珍しいんですか?」
「まあ……普通、アナグマと会話する機会なんてないからね……」
建設中の城に目をやると、ルサが召還したMOBに紛れて、一体どこから湧いてきたのかアナグマがせっせと石を積んで働いていた。いくら人手がないからと言って、なかなか妙な光景だ。
『自分の王国を作る』と言ったのは、何ヶ月前だっただろうか。
人といえば、最近、元から住んでいたという少数民族と出会ったくらい。移住者を募ろうにも、まずは開拓から始めなくてはならないと、名ばかり王国もいいところだった。
自分達の暮らしすらギリギリで苦労をかけているというのに、当のルサは不平不満を言うどころか長かった髪を切り、城を作り出す気合いの入れようだ。
何が彼女をそうさせるのか、むしろ困惑しているくらいだった。
アナイスは、ルサの膝の上に目をやり、
「ところで、何描いてるの?」
板を下敷きに、何やら絵を描いているようだった。彼女は絵をこちらに見せながら、
「同じようなものを作って、そのうち返そうと思いまして」
「よく覚えてたね、そんなの」
描かれていたのは、闇の神獣に吸い込まれたのと同じ、鏡の絵だった。
「知り合いに鍛冶屋がいるので、この図面を元に製作を依頼しようかと」
「まったく、ヤツらは異世界だよ? 完成したところで、どうやって返すんだい?」
「……直接、私の手から渡せなくても、いつか彼らの手元に届くような……そんな気がするんです」
「…………」
そう言って、図面に視線を落とすルサをぼんやりと眺め――その顔が、一瞬、誰かの顔とだぶる。
気を取り直し、建築途中の城へと振り返ると、
「それにしても、何も一人でやることはないんじゃないの? おまけにこんな不便な場所に」
「いえ、ここでなければなりません」
きちんと根拠があるのか、ルサはきっぱりと、
「ここはマナの吹き溜まり……かつて、闇のマナストーンがあった場所です。今はまだ影響はありませんが、今からマナストーンに代わるもの用意しなくては、ペダンはいずれ、マナのバランスを崩し、とても人が住めない場所になってしまいます」
「うん?」
「私とこの城が、マナストーンの代わりになります。そして、ペダンごとアナイス様をお守りします。それが……ルカにしてやれる、せめてもの償いです」
「……そう」
どこかで聞いたような気がする。というか、知っている。
そのことに、しばらくぽかんとし――じわじわと、笑いがこみ上げてくる。
「そう……か。そういうことか……フ……フフッ……アハハハハ!」
堪えきれず、大声で笑う。
アナイスはひとしきり笑った後、今度は困った笑みを浮かべ、
「……皮肉だよ。とんだ皮肉だ」
「?」
突然笑ったり困ったりと、着いて来られずルサはきょとんとしていたが、アナイスは無視して、
「ちょっと早いけど、キミに役職をあげよう」
「役職、ですか?」
「幻夢の主教」
ルサに指をさすと、
「ペダンを守り、正しい方角へ導いて欲しい。……キミにしか出来ない」
これほどの適任はいないだろう。
「キミの闇の呪術は、ひとつ残らずきっちり後世に伝えてくれよ? でないと――困るからさ」
「?」
ルサは、しばらくきょとんとしていたが、
「はい!」
迷いもなく、明るい笑顔で大きくうなずく。
その笑顔は、幼い頃から自分を見守り続けていた誰かに似ていた。
- 完 -