「聖剣?」
  背筋に寒気が走る。
 「今、『聖剣』と言ったか?」
 「へ?」
  ゲシュタールの手が、プリムの肩をつかむ。
 「ねぇちゃん!」
 「――やめろ!」
  気がつくと、人の輪から飛び出していた。
  その時にはすでに、ゲシュタールはいつでも首をへし折れるよう、プリムを後ろから片腕だけで引き寄せる。当のプリムは何が起こっているのかわからず、剣を抱きかかえたまま硬直していた。
  ゲシュタールは、もう片方の手でメダリオンを軽く掲げると、
 「この蛇の紋章は、いにしえの大戦の時代、人々を導いた賢者マチルダが聖剣の勇者に贈ったものだと言われている。……お前のものか?」
 「そ、そうです! オレがそいつから頼まれて預かったものです!」
――クソガキ。
 ここぞとばかりにモリエールが事実をねじ曲げて証言するが、ゲシュタールがひとにらみした瞬間、メレリアの後ろに隠れた。
 「タナトスの報告によると、まだガキだったとのことだが……本当にガキのようだな」
  返答次第で、プリムの首をへし折られる状況に、全身に冷や汗が吹き出し、心臓が、バクバクと激しく鼓動する。
  気を緩めると震えそうな緊張感の中、ゲシュタールの視線を真っ直ぐ受け止めると、
 「……そのガキに、聖剣抜いたんだから世界救えとか。ほんと、最近の大人はわけわかんないし、情けないと思います」
 「フン、ずいぶん苦労しているようだな。同情するよ」
  こちらが吐いた全力の強がりを鼻で笑うと、メダリオンを放り投げてよこす。
  そして、少し考えるそぶりを見せると、
 「……そうだ。いいことを思いついた。お前達、命は惜しくないか?」
  ゲシュタールは周囲を見渡し――モリエールで視線を留めると、モリエールはコクコク首を縦に振る。
 「ならば、お前達でそこの小僧を殺せ。そうすれば、この娘を含め、全員の命を助けてやろう」
 「へ?」
  その瞬間、四方八方から視線が集まるのを感じた。
 「やり方は自由だ。殴り殺すも良し、なんなら剣を貸してやってもいいぞ。ああ、船外に捨てるのはナシだ。死体の回収が面倒だからな」
  視線が痛い。
  これまでだって注目を集めることはあったが、ここまで嫌な注目は初めてだ。
  みんな、周囲の動きを気にしてか、隣の者と視線を交わしている。今、誰か一人でも殴りかかってきたら、恐らく――
 「――ふざけんな! ねぇちゃん人質にしてヒキョーだぞオマエ!」
  ポポイが声を張りあげる。
 「オマエみたいなヒキョーもの、オイラが相手してやる! かかってこいってんだ!」
 「――シャーーーーーーーーー!」
  ポポイの声に感化された――というわけではないだろうが、突然、灰色の毛玉がゲシュタール目掛けて降ってきた。
  さすがにこれは予想していなかったのか、ゲシュタールが驚き、ひるんだ。
 「――プリム!」
  考えるより先に、体が動いた。
  気がつくと、ゲシュタールに体当たりを喰らわせ、プリムを抱えて床を転がっていた。
 「きゃぁっ!?」
  一瞬遅れて、プリムが悲鳴を上げる。ひとまず無事のようだ。
 「シャー!」
 「……カール?」
  顔を上げると、全身の毛を逆立てたカールが、ゲシュタールの前に立ちはだかっていた。
  ゲシュタールは片膝をついたまま、ぽかんとした顔で、
 「これは……驚いた」
  頬から、血が流れる。
  その血を指でぬぐい、傷を確認すると、
 「猫風情が、この私に傷をつけただと?」
  縄張り荒らしとでも思ったか、カールはゲシュタールを完全に敵認定したらしい。いつでも飛びかかれる姿勢で、激しく威嚇している。
 「ククク……そうか。猫が……猫ですら、戦いを挑むというのに……」
  ゲシュタールの肩が震え、顔がみるみる怒りの色に染まっていく。
 「――猫に劣るか貴様ら! ますますもって許せん!」
 「ええ!? オレ達まだなにもやってない!」
  こいつ、誰かがやってくれるの期待してたな。
  慌てふためくモリエールに、怒りを通り越して殺意が湧く。
  どのみち、このおっかない人のことだ。どんな選択肢を選んだところで、皆殺しルートまっしぐらだろう。
  ゲシュタールは、威嚇するカールをにらみつけると、
 「猫風情が私の顔に傷をつけおって! 目障りだ!」
――ガタン。
 突然、船が揺れた。
  低いエンジン音が響き渡り、ゆっくりと動き出す。
 「何事だ! 誰が船を動かしていいと言った!?」
  ゲシュタールがどこへともなく怒鳴るが、船同士を繋げていた渡し板が落ち、帝国の船がみるみる遠ざかっていく。
  そして今度は、船の後方から悲鳴が聞こえた。
 「今度はなんだ!?」
 「――毒ヘビでやんすー! 噛まれると死んじゃうでやんすよー! うわーーーーーーーーーー! めっちゃいるでやんすーーーーーーーー! 逃げろ逃げろでやんすーーーーーーーーーーー!」
  ゲシュタールの質問に答えたわけではないだろうが、デイビットの声が聞こえてきた。かなりオーバーな表現で騒ぎまくっている。
  脱走に利用出来ないかと小銭を配って集めた蛇入りのタルを、どうやら全部ひっくり返したようだ。
  別に毒蛇ばかり集めたわけではないのだが、混乱を起こすには十分だったらしい。敵味方関係なしに悲鳴を上げ、どさくさに紛れて帝国兵から武器を奪い、反撃に出る者も現れた。
  一人が反撃に出ると、それに感化されたか、次々と武器を奪い、帝国兵に斬りかかる。
  もう蛇どころの騒ぎではない。甲板が戦場と化すのに、たいした時間はかからなかった。
 「――こっちだ」
  どこからか聞こえた声に、とっさにプリムを抱えて、蛇でパニックを起こしている方角に駆け出す。
  そしてこちらが向かうのと逆の方角に向かって、足下を、筒状の火がついたものが転がっていく。
 「伏せて!」
  とっさに、筒をゲシュタール目掛けて思い切り蹴り飛ばす。
  そして床に伏せると、激しい揺れと爆音が響き渡った。
「いつつ……」
  今の爆音にやられたか、耳が痛み、自分の声がこもって聞こえる。
  体を起こし振り返ると、割と飛ばされたらしい。さっきまでいた場所からずいぶん離れた場所に倒れていた。ポポイも、カールを抱えたまま目を回している。
 「プリム、大丈夫?」
 「あ……ああ……」
  プリムも、剣をしっかり抱きかかえたまま体を起こし――ほどなく、九死に一生を得たと気づいたようだ。肩が小さく震えているのが手から伝わってくる。手……
 「――――!」
  今頃になってプリムの肩に手を回していることに気づき、慌てて離れる。
 「よーお。ナイスコントロールだったな」
 「ラムティーガ?」
 「武器庫から拝借してきた」
  そう言って、さっき蹴飛ばしたのと同じ筒状のもの――導火線のついた爆弾を見せる。
 「じゃあ、船動かしてるのって……」
 「セルゲイのヤツ、たいしたもんだな。こんなでけー船、ほんとに動かすなんてよ」
  帝国兵が乗り込んできてから見かけないと思っていたら。セルゲイという海賊は、口だけの男ではなかったようだ。
 「ゲシュタールは……」
  立ち上がると、状況を確認する。
  今の爆発でゲシュタールが立っていた周辺の床や柵は吹き飛び、本人の姿も――
 「ありゃ? しぶといな」
 「――大変!」
  砂漠に落ちたと思いきや、船から突き出た鉄骨に片手でしがみついていた。
  しかし、それも崩れそうだ。本人も無傷では済まなかったようで、額から血が流れていた。
 「――お、おお! よし! これでもう四天王は倒したも同然! オレ達の勝ちだぁ!」
  どこに隠れていたのか、今頃になって出てきたモリエールが震えた声を上げる。
  モリエールは無視して周囲を見渡し――隅に積まれたロープを抱えて戻ると、その先端を輪にして放り投げる、
 「――つかまって!」
 「はぁっ!? 相手敵だぞ!?」
 「でも!」
  たしかにそうかもしれないが、目の前で船から落ちそうな人がいて、見捨てることは出来ない。
 「くっ……ククク……ハハハ……アハハハハ! 敵に、敵に情けをかけるだと!?」
  笑い声に驚いて振り返ると、ゲシュタールが船縁につかまったまま、狂ったように笑っていた。
 「私が! この私が! 敵に、それもこんなガキに情けをかけられた! ……屈辱だぁっ! こんな屈辱、あってたまるかぁ!」
  何やらプライドに傷をつけたらしい。憎悪に満ちた目でにらみつけると、
 「いいか小僧! この落とし前は必ずつけてやる! この私に恥をかかせたこと、後悔させてやる! 死より苦しい絶望を思い知れ!」
 「――――!?」
  怒鳴り散らすと、思い切り船体を蹴って、砂漠へと身を投げる。
  次の瞬間、砂の中から巨大な何かが飛び出してきた。
  とてつもなく巨大な、蛇のような怪物が、大量の砂をまき散らしながら砂の海から飛び出し――あっという間に、砂の中へと消えた。
 「キーマだ!」
 「キーマ?」
  ラムティーガは興奮した様子で、
 「砂漠に棲む植物のバケモノだよ! 昔は『砂蛇』なんて呼ばれていた」
 「砂の、蛇……」
  あまりに一瞬の出来事で、何が起こったのかわからなかった。ゲシュタールは? 呑み込まれたのか?
 『――ここまでじゃ!』
  どこからともなく、メレリアの声が響き渡る。
  メレリアは追いかけてくる帝国の船にも聞こえるよう、拡声器越しに、
 『帝国兵に告ぐ! お前達の大将は討ち取られた! これ以上の戦いは無意味じゃ!』
  その声に、斬り結んでいた兵達は、一人、また一人と剣を下ろしていく。追っていた帝国船もスピードを落としたのか、みるみる遠ざかっていった。もしかすると、ゲシュタールが落ちるのを見たのかもしれない。
  形勢逆転。生き残った帝国兵達は武器を取り上げられ、捕虜として船内に連行されていく。
 「…………」
  柵にもたれかかり、ずるずるとへたり込むと、何度も荒い呼吸を繰り返す。心臓が、激しく鼓動する。
 「偉そうな態度しといて、小物っぽい捨て台詞だったよなぁ。……気にすんな」
  ラムティーガはそう言うが、気休めにもならない。
  夢中で気づかなかったが、振り返ると、後方部分の甲板が血の海だった。敵も味方も、どれだけ死んだかわからない。中には船から落とされた者もいるだろう。
  たった数分。この数分の間で。一体、何人が?
 「――オイラ達の勝ちでやんす!」
  デイビットの声に、あちこちから歓声が沸き起こる。
  助かった喜びか、勝利の喜びか。
  あいにく、その輪の中には入れそうもなかった。