「どわああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
容赦なく襲いかかってきた黒の魔獣に、クラウスは悲鳴を上げて逃げ回る。
「クラウス! どこに行くんです!?」
妙に遠くからフィーネの声が聞こえたが、その姿を確認する余裕もない。
静かな森でいつものように野宿していたのだが、見張りをしていたクオンに蹴り起こされた瞬間、上空から魔獣が降ってきた。
さすがに眠気も一瞬で吹っ飛び、森の中を逃げ回った末に、ようやく木陰に隠れる。
隠れたとはいえ油断出来ない。クラウスの白い髪に白い目と、このメラニン色素を忘れて生まれてきたような風貌は、暗闇の中でも目立つ。しかも、着ている服まで白い。
呼吸を整え、木陰から少し顔を出して様子をうかがうと、こちらを捜しているのか、犬の形をした黒の魔獣がうろうろしていた。
『黒の国』から送り込まれた先兵とも言うべき存在で、霊体と言ったほうが近い。
そのほとんどは『紋章師』と呼ばれる者達が指で描いた模様――『紋章』を核とし、姿を形作る。
この『白の国』にいる魔獣は、皆、黒の国から送り込まれたもので、白の国の者を見境なく襲うように指示されている。今回もそれなのだろうが――
「なんでどこにも行かないんだ……?」
ぽつりとつぶやく。
紋章で創られた魔獣に自我はない。つまり、『考える』ということをしない。
視界から白の国の者がいなくなれば、次の獲物を求めてどこかへ行ってしまう。
それなのに、今回に限って、まるでこちらを捜しているかのように、周辺をうろうろしている。
――仕方ない。
ため息をつくと、白い指輪をした右手を上げ、空中に指を滑らせる。
指先は何もない虚空に白い光の線を描き、クラウスは手慣れた様子で、あっという間に鳥の絵を描き出す。
「行け!」
絵が完成し力を注ぐと、次の瞬間、その絵を核に、白い巨大な鳥が生まれ、黒の魔獣に飛びかかる。
不意をつかれた魔獣は、避けようとしたものの間に合わず、白い鳥のくちばしに胸の紋章を貫かれ、消滅する。
「……ふぅ」
安堵の息をもらし、たった今創り出した鳥を消し――
――がさっ!
「!?」
――もう一匹!?
突然、頭上から降ってきた魔獣に、全身が凍り付く。避けられない!
「………!」
尻もちをつき、とっさに両腕で頭をガードするが――痛みも何も来ない。
恐る恐る顔を上げると、魔獣が黒い霧となって霧散(むさん)していた。
そして、その向こうには、
「あぶない所だったね」
フードをかぶった少女が、口元に笑みをたたえて立っていた。
「助かったよ。俺、戦うのとかは苦手でさー」
助けてもらったことを理解すると、さっきまでの緊張感は消え失せ、立ち上がる。
「あんなもんザコさ。ま、アタシの手にかかりゃ朝メシ前だね」
言いながら、少女はフードを下ろす。
短く切った赤い髪と、つり気味の赤い瞳の、小柄な少女だった。年はこちらと同じくらいだろう。
彼女も旅人なのか、皮のマントの下は動きやすそうな格好をしていたが、この国では珍しく、白い服ではなく、赤い服と茶色のズボン姿だった。
「アタシはウェルタってんだ。アンタは?」
「俺はクラウス。よろしくな」
そう言って右手を差し出すと、ウェルタは目をぱちくりさせたが――すぐに、笑顔でクラウスの手を握り返す。
「ところでアンタ、一人かい?」
「一人?」
その言葉に――クラウスは辺りを見渡し、あることに気づく。
「あー! みんな、どこ行ったんだよ!?」
「……世話焼けるヤツだねアンタ……」
慌てふためくクラウスに、ウェルタは呆れきった顔で、ため息をついた。
◇ ◇ ◇
「いやー、どこ行ったんでしょうねー」
暗い森の中、わずかな明かりを片手に、コーダはのほほんと言った。
年齢は三十路までは行かないが、灰色の髪に青い目、背も高く、鎧こそ身につけてはいないが、腰には剣を下げていた。
これだけなら、長身も手伝って強そうな剣士か何かに見えるかもしれないが、その落ち着ききった雰囲気と、少したれ気味の目のせいか、人畜無害な印象を受ける。実際、日頃からのほほんとしているので間違ってはいないのだが、戦士に必要な『勇ましさ』というものは欠落していると言わざるを得ない。
なんともマイペースなコーダに、フィーネは口をとがらせ、
「他人事みたいに言わないで下さい。クラウスに何かあったら一大事ですよ」
「慌てふためいても仕方ないでしょう。ま、クラウスなら大丈夫ですよ。ひょろっこい見た目のわりに体だけは頑丈ですから」
コーダは、相変わらず柔和な笑みを浮かべたまま、さりげなくひどいことを言う。
二人とも白い服を着ていたが、差し色として、コーダの白い服には紫の模様が入り、フィーネの僧侶のローブや帽子にも黄色の模様が入り、手には白い杖を持っていた。長い若草色の髪も黄色のリボンで結っている。
コーダは、さっきからせわしなく動き回るフィーネの背に向かって、
「まあ、そうカリカリしなくとも。そんなんだから眉間にシワが出来て陰で老け顔だと言われるんです」
「私はまだ十八です!」
コーダの言葉に、フィーネは眉間にシワを寄せて怒鳴り返す。
「そもそも、なんで私がこんなトコであんなお子ちゃまの面倒見て……! あのアホの子があのアホの子がァッ!」
フィーネはますます眉間にシワを寄せ、怒鳴りながら近くの木の幹にドスドスと拳をたたき込み、たたき起こされた鳥や小動物達が慌てて逃げ出す。(安眠妨害)
「……あの女、ホントに僧侶か?」
「クオン、そっちはどうでした?」
振り返りもしないコーダに、クオンは面倒くさそうに、
「収穫があったように見えるか?」
「収穫はなくとも珍しいものは見れましたねぇ」
「…………」
――いつものことだろう――
口に出すのが面倒だったのか、クオンは何も言わなかった。
この中では一番武装していると言えるが、それでも旅をする身の上であるため、青い服の上に白い軽鎧と剣を身につけている。年は二十代前半といったところだが、伸ばした――というより、伸ばしっぱなしの金髪を結い、端正な顔立ちをしていたが、やる気のなさそうな目がその魅力を半減させていた。
クオンは、フィーネが落ち着くのを待ってから、
「キレるのは勝手だが、俺達は一応クラウスの護衛だ。たとえアホの子であろうとも、護衛対象にもしものことがあったら、女王になんと言われるか……」
「くっ……!」
もっともな意見に、フィーネは苦虫を噛みつぶしたように顔を歪め――そして、がっくりと地面に膝をつくと、
「……確かにそうです。女王様直々の極秘任務に、最初は名誉だとさえ思いました。それなのに……」
次第に、その肩がわなわなと震えだし、
「それなのに……なんで和平大使のリーダーがあんな村人Aなんです!?」
理不尽な現実に、フィーネは天に向かって思い切り叫んだ。
それは、以前からフィーネが口にしていたことだった。
ここに、白の国と黒の国という、二つの国がある。
両国の間には、何が原因で戦が起こったのかも忘れ去られるくらい、戦の歴史しかない。
両国は魔法で創り出した魔獣を送り合うことはもちろん、民間人にも『ポーン』の称号を与え、兵として送り込むことすらある。
そんな戦いを終わらせるべく、白の女王が、黒の国へ和平の使者を送ることにしたのだ。
極秘任務なので、人数は限られる。女王に仕える者の中から、『ナイト』の称号を持つコーダとクオン、そして『ビショップ』の称号を持つフィーネと――そして、辺境のアレイ村に住むクラウスの四人が選ばれた。
……最初の三人はともかく、クラウスに至っては、確かに白い髪に白い目と変わった風貌をしてはいるが、ただの村人である。しかも、まだ十五歳の子供だ。
おまけに、よくよく話を聞けば、『和平大使』はクラウスという少年であり、他の者はあくまでもその護衛だという。
コーダとクオンは『女王の命令』で片づけてしまったが、昔から生真面目で、それなりにプライドを持っているフィーネにとっては、たとえ女王の命令とはいえ、納得がいかない。そもそも、なぜ女王がそんな少年を指名したのか、どこでそんな少年のことを知ったのか、まったくわからない。おまけに ――
「わからない……なんであんなアホの子が『ルーク』の称号なの……?」
「フィーネ、考えすぎると美容に悪いですよ」
「とうとう煙が……」
木の根本に突っ伏し、頭から煙を吹き出すフィーネに、男二人は冷静につぶやく。
クオンは隣のコーダに目をやると、
「……妙な話であることは確かだ。なぜあんな辺境の子供が、『ルーク』の称号を持っているんだ?」
言って、自身の右手につけた白い指輪を見下ろす。
両国には階級制度というものがある。
民なら、誰もが身分証明として指輪を持っているのだが、一般人なら一番低い身分の『ポーン』を証明する指輪のはずだ。
それなのに――訪れたアレイ村でクラウスと会った時、彼が身につけていたのは『ルーク』を証明する指輪だった。
よくわかる階級制度
クイーン>ルーク>ナイト=ビショップ>ポーン
「納得出来ないのはわかりますが」
クオンが言いたいことがわかったのか、コーダは困った顔をする。
この国では、指輪が示す身分は絶対だ。たとえ納得出来ずとも、クラウスが『ルーク』の指輪を持っている以上、自分達はクラウスより下の身分ということになる。もっともクラウス本人は、身分など考えたこともないらしいが……
「何はともあれ、クラウスを捜しましょう。夜が明けてしまいますよ」
コーダに促され、フィーネはヨロヨロと立ち上がり、クラウスを捜して森の中を歩き出す。
「それにしても、さっきの魔獣は妙だったな」
「妙?」
振り返るフィーネに、クオンは周囲を見渡し、
「まるで、俺達とクラウスを引き離すようだった」
「そうですね。統率も取れていたようですし」
襲いかかってきた魔獣は全部で四匹。そのうち一匹がクラウスを追いかけ、他の三匹はこちらを足止めするように立ちはだかった。
黒の国から無差別に送り込まれた魔獣は、力任せに襲いかかるだけで、コーダの言うとおり統率も何もない。
コーダは足を止め、
「それに――待ち伏せなんてこともしませんよ」
見上げた瞬間、木の上から、魔獣達が一斉に飛び降りた。
◇ ◇ ◇
「――おっ」
木々の向こうで降り注ぐ光線に、クラウスは足を止めた。
「なんだあれ?」
「きっとフィーネの魔法だ」
目を丸くするウェルタに短く答えると、クラウスは光が見えた方角へと駆け出す。
「お~い! みんな大丈夫か~?」
「それはこっちのセリフです!」
ようやく見つけた三人に手を振り、駆け寄ると、フィーネは眉間にシワを寄せて怒鳴り返す。
「また森林破壊を……自然を大切にと教わらなかったんですか?」
「教わりませんでしたそんなこと」
コーダの言葉に、フィーネは平たい胸を張って返す。
広範囲に、ハデな魔法を放ったらしい。辺りの草木は焼け、焦げた臭いが周囲に漂う。
「それより、大丈夫だったんですか? 魔獣に追われてたはずですけど」
「ああ、それなら、こっちのウェルタに助けて――」
そう言って振り返ると、てっきり、一緒にいると思っていたはずの少女がいなかった。
「あれ?」
「誰かと一緒だったんですか?」
「ああ。その子に助けてもらったんだけど……はぐれたのかな?」
クラウスはのんきに首を傾げるが――コーダがふと、
「クラウス……指輪はどうしたんです?」
「指輪?」
言われて右手を見ると、いつも右の人差し指につけていたはずの指輪が、なかった。
「あれ?」
目をぱちくりさせる。
普段から、あの指輪をはずすことはない。かといって、勝手に落ちるようなものでもない。
消えた指輪。いなくなったウェルタ。そう言えば彼女と握手した時、自分は指輪をした右手を差し出して――
…………。
「――あーーーーーーーーーーーっっ!!」
「……盗られたか」
「なんで……こんなアホの子が私より身分が上なの……?」
慌てふためくクラウスは尻目に、残りの三人は冷静に、ため息をついた。
「まずは、警戒心というものを養わなくてはなりませんね」
「初対面の相手に、大事な指輪をした手で握手するバカがどこにいる。しかも、すぐに気づかないとはな」
「ううう……」
翌朝。
コーダとクオンの言葉に、クラウスは返す言葉もなく、肩を落とす。
何しろ、戦とは無縁の田舎村育ち。住民は皆顔見知りで、家に鍵をかけるという習慣もない。
そんなわけで――旅を始めたばかりの頃は、宿に泊まっても部屋には鍵をかけない、相場の倍近くの金をふっかけられても疑問を持たない、明らかに作り話なのに信じると、そのたびに、フィーネがブチ切れてツッコミを入れる始末。そしてとうとう、指輪が盗まれた。
この国では指輪が身分証明となるわけだが、逆を言うと、この指輪さえあれば、本来『ポーン』の身分であっても、『ルーク』になることが出来る。
紛失届や窃盗の被害届を出そうにも、自分の身分を示すための指輪そのものがないのでは話にならない。
元々『ポーン』の身分だったら、紛失しても罰金を払って作り直せばいいのだが、『ルーク』となると、有名人でもない限り、本当に盗まれたのか、本当にその階級だったのか、証明するだけでも時間がかかる。
そうなるとウェルタを見つけ出し、奪い返すしかない。夜が明けるのを待って動き出したものの――
「どうするんです? 捜すにしたって、こんな森の中ですし。隠れる場所なんていっぱいあるじゃないですか」
フィーネの言うとおり、ここは森のど真ん中だ。
整備された道は一本しかなく、指輪を盗んだウェルタがこの道を通るにしても、東と西、どちらへ行くのかわからない。道は通らず、森の中を移動している可能性だってある。
「……それにしても、あの指輪を盗んでどうするつもりなんだ?」
道が決まらず黙り込んでいると、クオンが口を開く。
「確かに階級は上がるが、それだけだ。別に、もてはやされるわけでもなければ、宿代や食費がタダになるわけでもない」
「単純に思いつきで盗んだだけかもしれないじゃないですか。たとえ自分で使わずとも、『ルーク』の指輪を欲しがる人なんて、捜せばいくらでもいます」
「金にするってことか?」
目をぱちくりさせるクラウスに、フィーネはため息をつき、
「それ以外、何があるって言うんです。世の中には、中身がなくとも立場や身分を振りかざしたがる連中なんていくらでもいます」
「それだけならいいんですがね……」
「どういうことです?」
つぶやきが聞こえたのか、目をぱちくりさせるフィーネをコーダは適当に受け流し、
「まあ、その盗っ人の目的はともかく、ここでじっとしていても仕方ありません。クラウス、何か紋章を描いて、捜させてはどうです?」
「そっか。それがいいな」
コーダの言葉に、クラウスは右手を挙げ――
「……あれ?」
「どうしたんです?」
首を傾げるフィーネに、クラウスは振り返り、
「……どう描けばいいんだっけ?」
『……………』
心底困った顔をするクラウスに、三人は、呆然とするしかなかった。
◆ ◆ ◆
「あー……よく寝た」
木の上で一夜を明かしたウェルタは、あくびをしながら背伸びをする。
「しっかし、楽な仕事だったな」
ポケットを探り、ひとつの指輪を取り出す。
『ポーン』の指輪と比べると、細かい模様が彫られたりと、高級感が漂う白い指輪だ。
見る者が見れば一目でわかる。この細工は『ルーク』を示すものだ。
とはいえ、
「わっかんねーな。なんであんなガキがこんな指輪……」
おまけに、いきなり指輪をはめている手を差し出すのだから、警戒心がないにもほどがある。一瞬、呆れて盗むことを忘れそうになったほどだ。
それでも、仲間が見つかるまで同行してやったのは、我ながら親切というかおせっかいというか……
「…………」
ふと思いつき、ウェルタは自分の右の人差し指に指輪をはめるが――サイズが合わない。
「んー、やっぱダメか」
きれいな手というわけでもないが、ウェルタのやせ細った指には、やはりサイズが大きいらしい。あきらめてはずそうとするが、
「お?」
突然、指輪がウェルタの指に合わせて縮まり、ぴたりとはまった。
「おおー! スッゲーなぁ。やっぱ『ポーン』とは格が違うのかねぇ」
感心しながら、指輪をはめた右手を眺める。
「――仕事はうまくいったか?」
突然、頭上から聞こえた声に、驚いて枝から落ちかける。
「い、いきなり声かけるな気味悪い! つーか、いつからそこにいた!?」
顔を上げると、ウェルタよりさらに上の枝に、一人の仮面姿の人物がいた。
全身をすっぽり覆い隠す灰色のマントに、フードを目深にかぶり、白と黒が半々に分かれた仮面を身につけている。
白の国の者は、黒を身につけない。逆に、黒の国の者も、白を身につけない。
灰色のマントといい、仮面といい、どっちつかずのその姿はなんとも不気味だった。声からして、一応男のようだが……
「アンタの言うとおり、あのガキの指輪を盗ってきたけど……これをどうするんだ?」
「…………」
「アンタ、黒の国のモンだろ? 黒の魔獣を創り出せるのは、黒の国のモンだ」
「…………」
「なんか言えよ!」
怒鳴るが、仮面のせいで表情もわからない。
なんともわかりにくい相手だったが、しぐさで『下りろ』と合図され、仕方なく木から下り、続けて下りてきた男と改めて顔を合わせる。
「まあ、この際どうでもいいや。約束通り指輪を盗ってきたんだ。報酬は支払ってもらうよ」
左手を差し出すが、仮面の男は首を横に振り、
「まだ、仕事は終わっていない」
「なに?」
ウェルタは眉をひそめ――鼻で笑うと、
「ハンッ、最初っから金を払う気なんてなかったんだろ? アタシだって最初から期待はしてないさ。でもね、肝心の指輪はこっちにあるんだ。買い取り先なんていくらでもあるんだよ」
そう言って、指輪をはめた右手を見せるが、男は動じることなく、
「それでいい。これから、たっぷり働いてもらう」
「………?」
男はうなずき――なんとなくではあるが、笑ったような気がした。
ふと、指が熱い気がして視線を下ろすと、指輪が、白い輝きを放っていた。
「なん……!?」
何が起こっているのか理解するヒマもなく、指が、勝手に動き始める。
「ちょっ……! なんなんだよ、これはー!?」
突然の異変にウェルタは叫び――そして、薄れる意識の中、仮面の男の笑い声だけが聞こえた。