「お待ちしておりました。お連れ様も、どうぞこちらへ」
  橋の前で紋章を見せたとたん、兵士は槍を下ろした。まずは疑いのまなざしを向けてくると思っていたが、意外なものだ。
 「おー。テーコクのヘイシってのは、ずいぶんしつけが行きとどいてんだなー」
 「ポポイ、黙って」
  さすがのプリムも緊張気味だというのに、ポポイだけは平常運転だった。大物なのか、ただ何も考えてないだけか。きっと後者。
  前を歩く兵士に、
 「あの、レジスタンスのメンバーは来ていますか?」
 「はい。先にお通ししています」
 「そうですか……」
  ちらりと後ろを振り返ると、橋の付近に市民がちらほら集まっていて、好奇の視線を向けているのが見えた。これで一応は、『レジスタンスは皇帝の誘いを受けた』という事実は作れたのだろう。
  橋を渡りきると、城門、中庭を通り、何事もないまま城内へと案内される。
 「こちらです。この先に――」
 「いて……いててっ!」
  上へ行く階段の近くまで来たところで、突然、ポポイが腹を押さえてうずくまる。
  プリムが慌てて腰をかがめると、
 「あらチビちゃん? どうしたの?」
 「いてて……なんかきゅうにハラが~」
 「まあ大変! あの~、お手洗い、お借りしていいですかぁ?」
 「え? しかし――」
 「――ちょっとあんた! これから皇帝陛下にお会いするのよ! 苦しいの我慢した顔で会えって言うの!? 最悪、皇帝陛下の前でこの子が粗相したらあんたのせいよ! 名前と階級言いなさい! 皇帝に言いつけてやる!」
 「え? いや、あの」
 「あの、行かせてもらえませんか? どのみち、遅れて行くとは伝えてましたし」
  白々しさはあったが、勢いに押されたらしい。兵士は困惑した顔ではあったが、
 「わ、わかりました。それでは――」
 「――それでは、私がご案内いたします」
 「え?」
  突然現れた小柄なメイドに、一瞬ぎょっとする。
 「あれ? ねーちゃ……」
  とっさに、ポポイの口をふさぐ。
 「た、助かります。それじゃあ急ごう」
 「ありがとうございます~」
 「え? あ、はあ……」
  兵士をうやむやに撒くと、メイドの後を慌てて追いかける。
  角を曲がり、周囲に人の姿が見えないことを確認すると、小声で、
 「どういうこと? なんでキミが……」
 「あの人達だけでは不安でしたので。服は以前、クリーニング屋から拝借したものが」
  そう言って、ゼノアはスカートの裾をつまんでみせる。ずいぶん用意周到だ。
  しかし、潜り込ませるにしても、
 「でも、どうしてキミなの? 他にも大人の人、いたよね?」
 「サイズが合う人がいませんでしたから。どのみち、他にやりたがる人もいませんし」
 「そう……」
  最初から自分用に盗んだ服だったのだろうか? もしくは、以前から城に何回も潜入していた?
  レジスタンスのメンバーは何人か見たが、どうにもこの子は――どこか、空気が違う。
 「なー。クリスのねーちゃんたちは?」
 「城に入ってすぐ、地下牢に連行されました。ご案内します」
 「やっぱり……」
――私達は先に行くから、キミ達は後から来て。
 こちらも城に行くと伝えた時、クリスは申し訳なさそうな顔でそう頼んで来た。暗に『助けに来てくれ』と言っていたのだろう。
  ゼノアの案内で地下へ向かいながら、
 「でも、捕まっただけで、生きてはいるんでしょ? よかったじゃない」
 「だといいけどね」
  今頃、拷問されている可能性だってあるのに。
  しかし、プリムはそんなこと思いつきもしないのだろう。わざわざ脅かすこともないので、口にはしないでおく。
 「とにかく、急がないと――」
 「――あらあなた達。こんな所でなにをしているの?」
  女の声に呼び止められたのは、地下へ向かう階段を降りきった時だった。
  左右に通路が分かれていたが、その左手側の通路から音もなく現れたのは、足にスリットの入った黒い服に、緑のマントを羽織った女だった。クセのある赤毛の隙間から見える切れ長の目と目が合ったとたん、背筋に寒気が走る。
  一瞬、緊張感が走ったが、ゼノアは頭を下げると、
 「これはファウナッハ様。お客様をご案内していたところでございます」
 「あらそう。ご苦労様」
  意外なほどあっさり受け入れる。客人の案内にしては、不自然な場所のような気がするが。
  ファウナッハと呼ばれた女は、こちらに目を向けると、
 「あなたが聖剣の勇者?」
 「え? あ、そう……呼ばれてます」
  なんだこの女。
  顔はにこにこ笑っているのに、奇妙なプレッシャーに、全身、嫌な汗が噴き出してくる。
  タナトスほどではないが、人間とは思えない奇妙な雰囲気。なんなんだ?
 「やい、オバサン! クリスのねーちゃ――」
  とっさに、ポポイの口をプリムと二人がかりで押さえる。
 「あら、なに?」
 「あ! えーと、その! 実はこの子がおなか壊しちゃいまして! お手洗いまで案内してもらってるんですよ~!」
 「そ、そうなんです! こいつ、見境なく食べるんで!」
  必死に取り繕いながら、ポポイの耳元で『しゃべるな』とささやく。ヘタに演技させるより、黙っててくれたほうがずっとマシだ。
  ファウナッハはにっこりほほえむと、
 「あらそれは大変。では、私がご案内しましょう。お付き添いの方もご一緒に」
 『え』
  予期せぬ発言に、全員、硬直する。
  ゼノアは我に返ると、
 「い、いえ、そのくらい私が――」
 「『そのくらい』? お客様が体調不良を訴えているのに、『そのくらい』はないでしょう。それとも、私の命令が聞けないのかしら?」
 「……申し訳、ございません」
  そう言われては引き下がるしかない。ゼノアは慌てて頭を下げる。
 「あ、あの――」
 「ああ、勇者殿はここでお待ちを」
 「え?」
  戸惑っていると、逆に相手のほうが不思議そうな顔で、
 「あら。『危険な敵地』に乗り込んできたわけでもあるまいし、何をそんなに警戒なさるのです?」
 「いや、その……」
  なんとか言葉を探すが、それより先に、
 「お待たせして申し訳ありません。さあ急ぎましょう。あなたも、粗相はしたくないものね?」
 「…………」
 「ありがとう、ございます……」
  ポポイが無言でうなずき、プリムも一瞬、不安げな顔でこちらに振り返ったが――抵抗するわけにもいかず、通路の奥へと姿を消した。
 『…………』
  しまった。プリム達と引き離された。これでは人質にしてくださいと言っているようなものではないか。
 「ど、どうすんだよこれ……」
 「……すみません。兵士と鉢合わせるくらいは想定していましたが……」
  思わず頭を抱えると、ゼノアが謝罪してきた。
 「そもそもさっきの人、何者?」
 「さっきの女は、四天王の紅一点、ファウナッハです。魔法に卓越していて、かつては魔法兵団を指揮していました」
 「いました?」
 「今はモンスター兵団です。皇帝は、人間の兵士をどんどんモンスターに置き換えていますから」
 「人間より怪物か……」
  使いようによっては、人間より都合がいいのかもしれない。情もなしに敵を襲ってくれるし、なにより餌代はかかっても給料はいらないのだ。
 「どうします? 追いかけて背後から討ち取りますか?」
 「そんなことしに来たんじゃあ――」
  言いかけて、おかしなことに気づく。
  そもそも、なぜ引き離す必要があった? 捕らえるのが目的なら、一緒でもよかったはずだ。
  引き離した理由は? それとも、こちらを一人にすることに意味があるのか?
  ふと、さっき通ってきた階段の上から、足音が聞こえた。
 「――謁見の間は上だぞ」
 「え?」
  聞き覚えのある声に振り返り、硬直する。
 「陛下を待たせて、真っ先に仲間の解放か? まあ、そこまでのんきな頭はしていなかったようだ」
 「え……あなたは……だって……」
  階段を下りて来た人物の姿に、頭の中が軽く混乱する。もう会うことはないと思っていた。
 「久しぶりだな、小僧。タナトスに殺されずに済んで何よりだ」
  憎悪に満ちた顔で、ゲシュタールは、真っ直ぐこちらをにらみつけていた。
「どうして……」
  死んだと思っていた。
  船から砂漠に落ちただけでも助からないだろうに、あんな怪物まで住む場所で。
  しかし、向こうは質問に答えるつもりはないらしい。腕組みをしたまま、
 「言ったはずだ。『この落とし前はつける』と。……よくも俺に恥をかかせてくれたな。キサマはただでは殺さん。思う存分、絶望させてやる。そして己の罪にさいなまれながら、死ね」
――ごぅん!
 突然の爆音と共に、建物全体が揺れる。
  それも一つではない。二回、三回と揺れ、どこかが崩れる音と、悲鳴が聞こえた。
 「え? なに?」
 「和解を拒んだ『テロリスト』が、皇帝陛下を亡き者にしようと城を爆破した。明日には国中にそう伝わる予定だ」
 「え?」
  また爆発音が聞こえた。それに混じって、女の悲鳴も聞こえた。
――プリム?
 誰の悲鳴かなんてわからない。
  しかし、全身から血の気が引き、心臓が早鐘のように鼓動する。
  なんとか落ち着こうと胸を押さえながら、
 「……元から罠だったとしても。普通、主の城を本当に爆破なんてする? ここにはただ働いてるだけの人だって大勢いるんでしょう?」
 「それがどうした。そもそもこれは、お前が招いたことだ」
 「え?」
 「あの時俺を殺さなかった、お前の責任だ。……この俺が、任務に失敗したあげく、ガキに情けをかけられた? 不愉快だ。実に不愉快だ!」
  ゲシュタールは顔を怒りで真っ赤にし、思い切り床を踏みつけると、
 「こんな屈辱あってたまるか! 敵を殺めることも出来ない臆病者が、剣など持つな! それとも、人助けでもしたつもりになって、自分は善人だと優越感に浸りたいか? 俺はなぁ、お前みたいな半端者が一番嫌いなんだよ!」
 「はぁ!?」
  呆気にとられて言葉が出ない。わかったのは、面倒くさいヤツだということだ。
  ゲシュタールは腕組みをすると、天上を見上げ、
 「そろそろファウナッハが、お前の『オトモダチ』の処刑にかかる頃だな」
 「――――!」
  その言葉に、さっき、プリム達が連れていかれた方角へ、脇目も振らず掛けだす。
 「逃げろ逃げろ。そうして逃げれば逃げるほど、お前の身の回りに災いがもたらされる」
  後ろからゲシュタールの声が聞こえたが――振り返らぬまま、走った。