1.流れる砂が見る夢は - 1/3


 自分は、何を望んでいたのだろう。

 少し前まで、すべてが叶うような気がした。
 しかし、今ではもう、まぼろし。
 砕けたかけらは、儚く消えゆくさだめ。
 ペダンのまぼろしと共に――

「…………?」
 どれくらい歩いただろうか。
 気がつくと、暗闇の中ではなく、気味の悪い枯れた森の中を歩いていることに気づいた。

 ――どこだ? ここは?

 見上げると、空はどんよりと黒い雲に覆われ、周辺の木々も、かろうじてしなびた葉がついているくらいで、まるで生気を感じない。

 ――まさか、異界?

 次元の渦に呑まれたのだ。そうだとしてもおかしくはなかった。
 途端に、うつろだった意識が覚醒し、杖を持つ手に力がこもる。
 これからどうすればいいのか。まるで考えていなかった。
 いっそ、あのまま消えてしまえばよかったのに……
 しかし、たどり着いたからには仕方がない。
 あたりを見回すと、どうやら小高い丘の上に出たらしく、少し離れた場所に、小さな町が見えた。

 ◇ ◇ ◇

『わああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』
 すさまじい揺れに、全員、とにかく手近なものにしがみつき、悲鳴を上げながら衝撃に耐える。

 ――ずしーーーーーん……

 周囲に轟音が響く。
 ……しばらくして、壁に叩きつけられたロジェが体を起こし、周囲を見渡すと、さっきまで床だった場所が、斜度四〇くらいの急な坂となっていた。
 ……どうやら、船が斜めに傾いているらしい。
「おい……大丈夫か?」
「あう~……目が回るであります……」
 ロジェは、近くにいたテケリを揺さぶるが、まだ目が回っているらしい。
「まさか、いきなり制御不能になるとは思いませんでしたね……」
 ぶつけた肩をさすりながら、ユリエルも体を起こす。
 ロジェは船内を見回し、
「みんな、大丈夫か?」
「っつ~……腰打った……」
「……一応、生きてるよ」
 キュカとジェレミアも起きあがる。全員、無事なようだ。
 キュカは腰をさすりつつ、
「ったく、一応、どっかにたどり着いたみてぇだが……どこだ? ここは」
 なんとか船外に出ると、空は不気味に曇り、周囲の木々は生気がまるでなく、ほとんどが枯れている。生き物の気配もしない。
 船のほうは、ちょうど木が密集している場所に墜落したらしく、それがクッションになったようだ。
「……どこかの森か山のようですが……町のど真ん中に落ちなかっただけ、まだマシでしょう」
 ユリエルがいつもの調子で言うが、ジェレミアは仏頂面(ぶっちょうづら)のまま、
「しかし、どうするんだ? 近くに町がないんじゃ、ここでのたれ死にだ」
「どっかの誰かのおかげで、知らない土地でのたれ死に、か」
「――なんで俺のせいなんだよ!? おまえらだって止めなかっただろ!」
 視線が集まっていることに気づき、慌てて反論する。まあ、真っ先に異世界行きを決意したのは確かにロジェだか、賛同したのは彼ら自身だ。
「まあ、とりあえず船の状態を確かめましょう。船さえ動けばどうにかなります」
 ユリエルのこの言葉に、一同は、斜めに傾いた船の状態をくまなくチェックするが――

「ダメだ。びくともしない」
 操縦桿を握るジェレミアの言葉に、ユリエルは肩を落とす。
「やはり、燃料切れのようですね」
 この船は魔法で動くわけだが、メイン動力である魔導球が、今は輝きを失い、ただの水晶玉になっている。
 せめて船の傾きだけでも直したいところだが、これではどうにもならない。
「MOBはどうです?」
「……ラビ一匹召喚するのがやっとみたいだ」
 その言葉通り、ロジェの足下にはラビが一匹。
 テケリはそのラビをなでながら、
「ここにもラビがいるでありますね」
「異世界とはいえ、同じマナの女神が作った世界。似通ったところがあっても不思議はありませんよ」
 やむなく斜めに傾いた船から下りると、こちらに気づいたキュカが船の外壁から降り、
「外壁はこすった程度だ。飛行には問題なさそうだな」
「そうですか。……となると、やはり燃料ですね」
 なんとも不気味な山の中で、あらためて、五人全員腰を下ろして顔を見合わせ、
「現状をまとめると、ナイトソウルズは飛行はおろか、MOB召喚も不可。現在地もわからない。どんな世界なのかもわからない」
 ユリエルは淡々と現状を並べ、最後に、
「まあ、ようするに絶望的な状況なわけですね」
「そんなあっさりと!」
 いつものクールな笑顔であっさり言われ、思わずロジェがツッコミを入れる。
「しかし、たしかにそうだ。まったくなにも知らない土地に、いきなりやってきたわけだからな」
 ジェレミアまでもが同意し、ロジェは、なんとなく肩身の狭い心地になった。
 そんな中、突然キュカが、
「それなんだがな。町、あるみたいだぜ」
『なに?』
 一同の視線がキュカに集まると、彼は立ち上がり、一点を指さすと、
「さっき屋根に登ったら、ちょっと離れたところに町が見えた。たぶん、人がいるんじゃねーか?」
 その言葉に、全員言葉をなくし――
「そういうことはさっさと言え!」
 次の瞬間、ジェレミアの拳がキュカの顔面に炸裂した。

 ◆ ◆ ◆

 ――これが……マナの世界?

 戸惑いを感じずにはいられなかった。
 たどり着いた町をしばらく見て回ったものの、薄汚れた町に活気はなく、たまに見かけるのは物乞いをする浮浪者だったり、物陰からこちらをにらみつけてくる子供だったりと、どうにも居心地の悪さを感じずにはいられない。
 外の世界とは、もっと人が大勢いて、にぎやかなものだと思っていたが――想像していたのとは、まるで正反対だ。
 しばらく歩いて広場に出たが、中央にある噴水に水はなく、代わりにゴミが捨てられている。
 正直、近寄りたくなかったが、それよりも疲労感のほうが強かった。
 噴水に腰を下ろし、あたりを見渡す。
 乾いた風が吹き、近くの店のつり看板がキィキィと耳障りな音を立てて揺れていた。

 ――あの文字は……

 その看板の文字に、なぜか見覚えがあった。
 しかし、答えに行き着くより先に、視界が影に覆われる。
「――おい、おまえ」
 顔を上げると、大柄な男が目の前に立っていた。その横には小柄な男。お世辞にも、きれいとは言えない格好をしている。
 ぼんやりと二人を見比べながら、
「……何か用か?」
 とりあえず聞いてみる。
 男達はこちらを見下ろし、あきれた様子で、
「『用か』じゃねぇだろ。わかんねぇのか? 金目のもんを出しな」
「ない」
 正直に答える。
 しかし、男達は納得しなかったらしく、こちらの杖を指さし、
「その杖があるだろ」
「それに、ずいぶんいい服着てるじゃないか」
「服?」
 言われて、自分の服を見下ろす。
 どちらかと言うと地味な色合いの法衣だが、『いい服』というのは?
 状況を飲み込めないこちらにイラついたのか、彼らはすごみながら、
「とにかく一緒に来てもらおうか。ここは、あんたみたいなよそ者には厳しい町でね」
「―――! さわるな!」
 男が伸ばしてきた手を払いのけ、距離をとる。
 こういったならず者は、痛い目に遭わせてやればいい。
 杖を構えると、呪文を唱え――すぐに、おかしいことに気づく。

 ――どういうことだ!?

 いつものようにやっているはずだ。詠唱を間違えるなどありえない。
 なのに、いつもの手応えが、まるで感じない。
 つまり、魔法が使えなくなっている。
「なんだ? やる気か?」
 我に返ると、男達はいつでも殴りかかれる体制をとっている。
 この時になって、初めて焦りを感じた。
 逃げるしかない。
 屈辱的ではあるが、この際仕方がない。
 男達をにらみつけたまま、じりじりと後ろへと下がり――駆け出すが、男達もせっかくの獲物を逃がす気はないのか、あっという間にこちらの肩をつかむ。
「離せ! 無礼者!」
「せっかの服を汚したくないんでね」
 そう言うと、男はこちらのみぞおちに拳を叩き込んだ。

 ◇ ◇ ◇

「これが……異世界の町!」
「こりゃあまた……」
 町までたどり着いた一行は、周囲を見渡し――
「呪われてるであります」
「そのようで」
 テケリの一言に、全員賛同した。
 空が分厚い雲に覆われているせいか、昼なのに薄暗く、石造りの町はホコリっぽくて薄汚れていた。
 人の気配はまるでなく、乾いた風に吹かれて、ゴミがカサコソと目の前を転がっていく……
 アニスと戦い、そのままこの世界に来たのだ。軽く休憩をしてから町まで下りてきたのだが……
 キュカは肩を落とし、
「なんつーか……しょっぱなから、『前途多難』って感じだな……」
「異世界なんだ。前途多難なのは当然だろう。それに、どうするんだ? 金とか」
『あ………』
 そう。人里に来たところで、金がなければ食料調達はおろか、今宵の宿さえない。
 いや、それ以前に、自分達の世界の金がこちらの世界で通用するかも怪しい。
「食料なら『コレ』があるけどな」
「キィッ!?」
 キュカに耳をつかまれ、唯一召喚できたラビが、必死の形相で命乞いをする。
「そんなの、数日と持たないだろ……」
「冗談だって」
 ラビを解放してやると、ラビは一番安全そうなテケリの足下に逃げ込む。
 テケリはラビを抱きかかえながら、
「いや~、いきなりビンボー生活の始まりでありますな」
「……なにか売って、お金に換えるしかないですね。……ジェレミア、何してるんです?」
 背を向け、ゴソゴソと荷物をあさっているジェレミアに、全員の視線が集まる。
「まったくおまえらは……あたしが付いてきて正解だったな。こんなこともあろうかと、船からいらない物を持ってきておいた」
 言いながら、次々と『いらない物』を並べていく。
「――っておいっ! その腕輪気に入ってるんだぞ!?」
「あっ! それ、俺のじゃねぇか! 『いらない物』ってどういうことだ!?」
 ロジェとキュカが口々に文句を言うが、ジェレミアはしれっ、と、
「そうか? ほったらかしにされていたから、てっきり『いらないもの』だと思ったんだが」
「いやあ、荷物が片づいてちょうど良かったですよ」
「隊長!?」
 止めるどころか感謝するユリエルに、ロジェが非難の声を上げるが、聞き入れてくれる二人ではない。
「うきょきょ! お二人には感謝でありますな!」
「うるせぇ! おまえだって散らかしてるだろ!」
 キュカの拳がテケリの脳天に炸裂する。
 ジェレミアは、一度出した荷物をしまいながら、
「ああ、テケリの荷物はガラクタばかりだからな。持ってこなかった」
「あ! 『ガラクタ』とはヒドイであります! テケリにとっては宝物でありますよ!?」
 テケリが抗議の声を上げるが、たしかにテケリの荷物と言えば、背中に背負っている角笛以外、金になりそうなものはないな……と、全員納得する。
「さて、そうと決まれば、どこか質屋でも探さなくては……」
 ユリエルの言葉に、全員、商店の看板などを見渡すが、
「なあ……読めるか?」
「ん~……ちんぷんかんぷんであります」
 このあたりは空き店舗ばかりらしく、中をのぞいても、元が何屋だったのかもわからない。
 字が読めずに首を傾げる一行の中、ただ一人、ロジェだけが、
「あれ……? この字……」
「どうしました?」
 つり看板の文字を見ながら、ロジェは首を傾げ、
「いや……どこかで……」
 あいにく看板はさび付き、文字がところどころはげている。
 周囲を見渡し、営業している店を発見する。
 どうやら酒場らしく、窓から中をのぞくと、数人の客がいるようだ。
 ロジェは店の前に出ている立て看板にしばらく目をやり、
「……やっぱりそうだ。この字、古代ファ・ディール語だ」
「なんだって?」
「古代ファ・ディール語が読めるんですか?」
 意外そうなユリエルの問いに、ロジェは看板のメニューを見ながら、
「兄さんほどじゃないけどな。……ミラージュパレスは、古代語で書かれた本とかも保管してるし」
「なるほど。……しかし、古代ファ・ディール語ということは……」
「――おい! ジャマだ!」
 ユリエルの言葉は、店内から出てきた男の声で中断された。
「ああ、すいません」
 入り口の前だということに気づき、全員、その場から離れる。
 中から出てきたのは、ゴロツキ風の男二人で、後から出てきた小男は、一本の古びた黒い杖を持っていた。

 ――あの杖は……

「――おい。その杖、一体どうしたんだ?」
「あん?」
 ロジェに呼び止められ、二人は足を止めて振り返り――
「なんだおまえ! なぜここにいる!?」
 ロジェの顔を見るなり、驚いた様子で後ずさる。
「俺の顔に見覚えがあるのか?」
 一同の脳裏に、一瞬、あの顔がよぎる。
「まさか、こいつと同じ顔で、陰気な格好したヤツと会ったって言うんじゃないだろうな?」
 キュカがロジェの顔を指さし、男達に問いつめるが、二人は慌てて、
「さ、さあな。なんのことだかさっぱりだ」
「この杖だって拾ったもんだ。俺達がどうしようと勝手だろう?」
「……どうやら、心当たりがあるようですね」
 男達の慌てぶりから、簡単に推察できた。
「兄さんが、ここに……」
「ロジェ、どうするんだ? ……おまえ、本当は自分の兄貴が心配で追ってきたんだろ?」
「…………」
 反論しないロジェに、キュカはそれ以上なにも言わなかった。
「おい、もう用はないだろ? じゃあな」
「――待て。その杖の主はどうした?」
 去ろうとする男達の前に、ジェレミアが立ちはだかる。
「だから、この杖は拾った――」
「じゃあ、なぜ俺の顔を知っている? 俺と同じ顔の人に会ったんだろ?」
 続けて問いつめるロジェに、男達は観念したのか、
「ちっ……まさか兄弟が出てくるとはな」
 うめきながら、大柄なほうの男が、腰の剣を抜く。
「なんだ? やるのか?」
 ジェレミアも腰のナイフに手を伸ばす。完全にケンカ腰だ。
 ロジェも剣の柄を握り、
「先に答えろ。その人はどうしたんだ? 今、どこにいる?」
「俺に勝ったら……教えてやるよ!」
 その言葉を合図に、男は近くにいたジェレミアめがけて剣を振り下ろす。
 ジェレミアはすばやくかわすと、その場で一回転しながら男に斬りかかるが、男はそれを剣で受け止め、思い切りはじく。
「――あっ! 待つであります!」
 テケリの声に振り返ると、いつの間にか、杖を持ったほうの男が、通りの向こうに走り去っていくのが見えた。
「どうやら、仲間に見捨てられたみたいだな」
「ハッ! おまえらなんぞ俺一人で十分だ。かかってきな!」
 男はそう言うと、今度はロジェに狙いをさだめ、剣を振り下ろす。
 ロジェはそれを剣で受け止めながら、
「……勝ったら、教えてくれるんだな?」
「ああ。こう見えても、俺は約束は守るタチでね」
 ――ギンッ!
 互いに剣をはじき、距離をとり――再び、間合いを詰めて剣を打ち合う。これでは、誰も援護に入れない。
「はんっ! なかなかやるじゃねぇか! 久しぶりに楽しめそうだ!」
「あんたもなかなか強いぜ!」
 言いながら、ロジェは振り下ろされた剣を受け止め、そのまま刃を滑らせてはじくと、相手の懐に突きを放つが、男はそれを後ろに下がってかわした。

「……完全に、二人の世界であります」
「こりゃあ、俺達の出番はなさそうだな」
 キュカとテケリが傍観を決め込んでいると、ジェレミアがなにかに気づいたのか、
「……いや、そうでもなさそうだ」
「ん?」
 言われて周囲を見渡すと、物陰や屋根の上に、数人の人の気配がする。
 ユリエルは弓を構え、
「どうやら逃げたわけではなさそうですね」
「ハッ。上等だ」
「ひと暴れと行くか」
 キュカも小手から刃を出し、ジェレミアは両手のナイフを構える。
「あわわ……みなさん、やる気満々であります……」
 そんな中、テケリだけが、酒場の看板の影にラビと一緒にこっそり隠れた。

 かくして異世界に来て早々、ゴロツキ相手の乱闘が始まった……