窓を叩きつける雪は止まることを知らず、このまま降り続ければ、あと数時間で船は雪の中に完全に埋もれてしまうのは目に見えて明らかだった。
「いや~。どうしたもんですかねぇ」
薄暗い船内、重苦しい空気――にもかかわらず、ユリエルはのほほんと、
「こうも吹雪いていては、助けを求めに外へ出ることは無理。吹雪が収まるのを待つしかないわけですが……吹雪が収まるのか先か、船が雪に埋もれて、このまま凍死するのが先か……まさに、生と死の瀬戸際ですねぇ」
『笑顔で言ってる場合か!?』
キュカとジェレミアの声が見事に重なる。
テケリは膝を抱え、今にも泣きそうな顔で、
「テケリ達……このまま、雪だるまになっちゃうでありますか?」
「キュゥ……」
レニの膝上のラビも、不安そうに身を縮ませるが、その不安をなだめるようにラビの背をなでながら、
「……安心しろ。船ごと雪の下に埋もれたとしても、食料があればしばらくは無事だろう」
レニの隣にいたロジェも、雰囲気をなごませるために、あえて明るい口調で、
「そうだって。そのうち食料が付きて、酸素もなくなるだろうけど、凍死するのが先だ。少なくとも餓死と窒息死はないから安心しろって」
「やがて船ごと深い雪の下へと、誰にも知られぬままひっそり埋もれていき、もし発見されるとしたら、長い長い年月が過ぎてからだ」
「だよな。見つかるとしたら、死体はこの天然の冷凍庫の中でミイラ化した後だよな」
「そして学者達に体の隅から隅まで散々辱められ、最終的にはどこかの博物館で展示用のクリアケースを棺桶に、供養も埋葬もされずさらし者だ」
「死ぬ時は誰にも知られずひっそりと、死んだ後で不特定多数の好奇の目にさらされる羞恥プレイなんて惨め以外何ものでもないけど、歴史に貢献したと思えば無駄じゃないぞ」
「うわあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん! ミイラはイヤでありますさらし者はイヤでありますううぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!」
「テメェら、余計な不安あおってんじゃねぇ!」
双子の無駄にシンクロした言葉に、テケリはヒステリックに泣き出し、キュカはこめかみに青スジを浮かべて怒鳴る。
「……みにゃさん、こんにゃに寒いのにお元気で……」
隅でガタガタ震えながら、ニキータがつぶやく。
「火を焚くにも、室内ですしねぇ」
「……こんな所で火なんか焚いたら、一酸化炭素中毒で死ぬだろ」
ユリエルの言葉に、ジェレミアがリアルなツッコミで返す。
「――もう! さっきから黙って聞いてりゃ、つまんない話ばっかしてるんじゃないわよ!」
なんとも危機感に欠けた一行に、これまで黙っていたエリスがとうとう立ち上がった。
「ここでうだうだしてても、なんの解決にもなんないじゃない! ここは一致団結して、ない知恵絞る所でしょ!?」
「エリス……」
「『ない知恵』は余計だ」
エリスは、ロジェとレニは無視して、力強く、
「そもそもなんなのよ! なんでこんなことになったの!? 誰よ! こんな雪の日に雪原に行こうなんて言ったのは!」
その言葉に――船内は、一瞬静まりかえり、
『お前だ!』
エリスを除く全員の声が、綺麗に重なった。
* * *
「さて、お前らに集まってもらったのはほかでもない」
まだ、開店間もない喫茶店。隅の席に陣取り、キュカは、レニ、テケリ、ニキータの順に、集まった顔ぶれをぐるりと見回すと、ばんっ! と、テーブルの真ん中に一枚の紙を叩きつける。
ジャンカのラヴなレター(※請求書)だった。
「……お金……どうするでありますか?」
テケリのつぶやきに、キュカも眉間にシワを寄せ、
「そりゃ……稼ぐしかねーだろ。問題は、どうやって稼ぐか、だ」
「明日にはこの街を出ると言ってましたにゃ。それでどうやって稼ぎますにゃ?」
「だから、こうやって頭抱えてんだろーが!」
ヤケクソ気味に怒鳴る。
怒鳴ってから、
「……とにかく今日一日で、確実に、かつ、まとまった金額を稼ぐ。でないと、いつまで経ってもダークプリーストの怨念に苦しむことになるぞ」
キッパリ言い放つが、ニキータは耳を垂らし、
「でもぉ……そんにゃオイシイ話、あったらあったで怖いですにゃ」
「でも、やらんことには……」
「――フン、くだらん」
その言葉に振り返ると、キュカの向かいでお茶を飲んでいたレニがティーカップを置き、
「要するに、金が手に入ればいいのだろう? 簡単ではないか」
妙に自信たっぷりな態度に、キュカは眉をひそめ、
「なんか案があるのかよ?」
「少しは頭を使え。ナイトソウルズの機能を持ってすれば、たやすいことだ」
「……ナイトソウルズの機能というのは?」
「MOB召喚であります」
ニキータの問いにテケリが答えると、レニは満足げにうなずき、
「そうだ。とにかく、見た目が凶悪なMOBを呼びまくり、そいつらに村でも町でも襲わせる。そしてそこに、ただの通りすがりの我々が現れMOBを一掃! そうすれば村人から謝礼金くらい出るはずだ。その方法を繰り返せば、五万四百八十ルクなどあっという間!」
ゴンッ! と、キュカがテーブルに突っ伏すが、テケリは目を輝かせ、
「レニさん! それであります!」
「フッ。自分達の持てる力を最大限に活用する……戦術の基本だ」
「コラコラコラコラコラーーーーーーー!」
ノリノリな二人に、キュカはさすがに身を乗り出し、
「それじゃただの悪党だろーが!」
「大丈夫だ。バレなければ」
「そういう問題か!?」
勢いに任せて胸ぐらをつかむが、当の本人は真顔だった。
テケリはぽつりと、
「もしかすると、女の人にモテモテになるかもしれないであります」
「ああ、ジャンカさんも、ピンチの時に颯爽と助けに来るヒーローがあこがれだと言ってましたにゃ」
「――――!」
それらの魅惑的な言葉に――一瞬、キュカの動きが止まる。
その時、キュカの脳裏には、魔物(※自分達が召喚した)に襲われ、ピンチを迎えた美女を自分が颯爽と救出し、そのままいい雰囲気になるという――大変わかりやすい図式が描かれていた。
「い、いや、しかし、そんな非道なこと、俺には……!」
「この方法で行けば、ハーレムも夢じゃないでありますな」
「『はーれむ』とはなんだ?」
「くっ……!」
テケリの言葉に、一度は断念した夢の『うはうはハーレム計画』が脳裏をよぎる。
キュカは、しばらく頭を抱えて黙り込み――やがて、
「――よし。それで行こう」
「行かないでください」
次の瞬間、ドスッ! と、壁に一本の矢が突き刺さる。
「…………!」
ビイィィィン……と、壁に刺さった衝撃で揺れる矢に目をやり――そして、飛んできた方角に振り返ると、いつの間にやってきたのか、店内で堂々と弓を構えたユリエルが微笑みを浮かべ、
「私のナイトソウルズを、悪事に利用しないように」
『……ハイ』
その言葉に何か引っかかるものを感じたが、誰一人、その笑顔に逆らえるわけがなかった。
ただ一人を除いて。
「……あのー、店内でそういうことをされると、他のお客さんが怯えますんで……」
「…………」
店員の痛恨の一言が、ユリエルにクリティカルヒットした。
「どーすんだよ……」
「あうぅ……寒いですにゃー……」
降りしきる雪を眺めながら、誰にともなくつぶやく。
空は灰色の雲で覆われ、まだまだ雪は降りそうだ。ちなみに追い出される原因を作ったユリエルは、『まだ買い物がありますので』と言って、そそくさとどこかへ行ってしまった。
寒さで震えるニキータを尻目に、テケリは元気に雪玉を転がし、その後をラビがぴょこぴょこついていく。
とりあえずテケリは放っておいて、三人であーでもないこーでもないと話し合うが――
「これはどうだ? 盗賊のアジトを襲撃して、ため込んだお宝を根こそぎいただく」
「……お前、自分が非戦闘員ってわかって言ってるか?」
「ではランクを下げて、以前ジェレミアがやっていたように、町のならず者を倒して金を奪う」
「敵を倒して稼ぐことから離れろ!」
どちらに転んでも、戦うハメになるのはキュカ一人である。
キュカはニキータをにらみつけ、
「お前もなんか考えたらどうだ?」
言われて、ニキータは困った顔で、ちょうど壁に貼られていた皿洗いバイトのチラシを指さし、
「え、ええと……地道にバイトをするとか……」
「『お駄賃』稼いでどーする! そんな気長なことやってられるか!」
怒鳴るが、ニキータは耳を垂らしながらも、
「……でも、仕事選り好みしすぎて、結局一ルクも稼げないんじゃ本末転倒ですにゃ」
「うぐっ……!」
痛い所を突かれ、言葉をなくす。
稼いだ金を丸ごと返金に回せるならともかく、日々の生活もある。そのことを考えると、多少リスクはあっても高収入の仕事を探さねばならないが……そんなうまい話、転がっているわけもない。
すなわち、ニキータが正しい。
レニはため息をつくと、あまりの極貧ぶりを嘆いてか、心なし涙目になって、
「……仕方ない。やはりここは、体を売るしかないか」
――ズシャァッ!
その言葉に――後ろの壁の一部が突然めくれ、ロジェが雪の上に突っ伏した。
レニは目を点にしてそれを見下ろし、
「……お前、何やってるんだ?」
いつから壁に擬態していたのかは知らないが、ロジェは顔を上げ、
「い、いや……兄さん、今、なんて……?」
顔を青くし、震える声で聞いてくるロジェに、レニは困惑した顔で、
「……『地道な労働で稼ぐ』という意味で言ったんだが……おかしかったか?」
「あー……大丈夫だ。こいつ、あんま深い意味わかってないだろーから」
「そ、そうだよな。ならいいんだ」
「壁に戻るな壁に」
再び壁に擬態しようとするロジェの首根っこをつかみ、引き戻す。
「いつからそんな忍者みたいな芸当身につけたんだ?」
「いや、だってさぁ……」
やはり兄が心配らしい。この前『手を出すな』と言ってしまったものの――
「まあ、いーや。どうせ話聞いてたんだろ? なんかいい案ないか?」
聞かれて、ロジェは首をひねり、
「そうだな……何か珍しいものを取ってきて、それを売るとか」
「売る、か……」
少なくとも、強盗まがい(というか強盗そのもの)やお駄賃稼ぎよりはまともな意見だ。
その時だった。
「――あら。野郎共が集まって、なにやってるの?」
エリスが、問題の話を持って現れたのは。
エレナでは想像のつかない言葉をさらりと言い放つエリスに、ロジェの頬が一瞬引きつるのをキュカは見逃さなかったが――あえて気づかなかったフリをし、
「なあ。なんか、いい金儲けの話はねーか?」
「ああ、朝もそういう話してたわね? 面白いの、見つけて来てあげたわよ」
言いながら、コートのポケットから細かく折りたたんだビラを取り出す。
「貸してみろ」
レニは、エリスの出したビラを横取りすると、ざっと目を通し――
「……雪原の巨人のキバを取って来た者に一万ルクだそうだ」
「いちまん……!?」
その金額に目を見開く。
「そ、そんにゃの危険ですにゃ!」
ニキータが真っ先に反対するが、キュカはそれをにらみつけ、
「何言ってやがる! こーいうのじゃないと、稼げねぇだろ!」
あっさり食いつくキュカに、一人、レニは冷静に、ビラの隅の剣を模した印を指さし、
「この印は?」
「マナの教団のマークだけど?」
その言葉に、キュカの動きがぴたりと止まる。
「……ちょっと待て。てぇことは、教団に協力することになるってわけか?」
「でも、お金いるんでしょ? それとも、あるかないかわからない仕事を探して時間潰す?」
「くっ……!」
頭を抱えるキュカに、ロジェは空を見上げ、
「でも、この天気で雪原なんかに行ったら、遭難するんじゃないか?」
「船で行けばいいじゃない。へーきへーき」
朝からちらほら降っていた雪は徐々に強くなり、払い落とさずにいたら、頭に雪が軽く積もるくらいになってきた。
「で、どうする? 明日出発だから、今日行くしかないんでしょ?」
「…………」
教団に協力するなどまっぴらゴメンではあるが、しかし、この金額は見逃せない。
悩みに悩んだ末――
結局、目先の金を取った。
↓その結果
「なによ! 乗ったのはそっちじゃない! そもそも、お金必要としてたのはあんた達でしょ! 人が親切で紹介してやったのに、悪いの全部わたしなわけ!?」
「あー、わかったよ! 俺も悪かった! 運がなかったんだ! それだけだ!」
「俺『も』!? 『も』ってなに!? 結局わたしが悪いって暗に言ってるじゃない!」
「だったら全部俺のせいか!? こうなりゃ連帯責任だ! 全員ダークプリーストに呪われろ! 呪われてしまえ!」
そんな、キュカとエリスの低レベルな口論をBGMに、それ以外の者は顔を見合わせ、
「さて、どうしたものでしょうかねぇ」
「そもそも、動かなくなった原因がわからないしなぁ……」
「あ、あにょぅ。ラビを貸してはいただけにゃいでしょうか……?」
「断る」
船内はますます冷え込み、全員防寒着やら毛布を着込み、レニに至ってはラビをカイロ代わりに懐に入れている。
せめて、船体が浮上だけでも出来ればいいのだが、雪の上に胴体着陸してしまい、自らの重みで半分ほど雪の中に沈んでいる。
このままでは、船が動くか、雪が止まない限り、本当に船ごと雪の中に埋もれてしまう。
「――おまたせ~!」
ちょうどそこに、船外の様子を見に行っていたウンディーネが戻った。
「どうでしたか?」
「プロペラゆーんかな? そこんトコに、なんか引っかかっとるみたいや」
「なに?」
ウンディーネの言葉に、ジェレミアは眉をひそめ、
「こんな吹雪の中を、鳥が飛んでいるわけもないし……低空飛行していたにしても、何が引っかかるっていうんだ?」
「どちらにせよ誰かが外に出て、様子を見てくるしかありませんね。――キュカ」
「へ?」
ユリエルに呼ばれて、エリスとの口論が一段落ついたキュカが、目をぱちくりさせながら振り返る。
ユリエルは笑顔で、
「ウンディーネと一緒に、見てきてください」
「…………」
ユリエルの言葉に、キュカはその場に凍り付き――すがるような目でロジェに視線をやるが、ロジェは笑顔で、
「この前はキュカに兄さんを任せたからなぁ……今回、兄さんのことは俺に任せて、安心して逝ってくれ」
「今回そいつのお守りは関係ねぇだろ! 第一なんだそのツラは!?」
輝くようなロジェの笑顔に、思わずツッコミを入れる。
「ウチは誰でもかまへんでー。でも、この吹雪の中、女子供は厳しいかな?」
「そうよね。あっという間に凍え死ぬわよ」
「オ、オイラも厳しいですにゃ~。このままだと凍死しますにゃ~!」
エリス、そして一番着込んでいるニキータが即座に拒否する。
レニは笑みを浮かべ、
「なんなら、私が行ってやろうか? この雪と風、どれほどのものか興味がある」
「ダメだ兄さん! 風に飛ばされる!」
その言葉に、即座にロジェが止めに入る。
キュカは半眼になって、
「……お前、確実に止められるとわかって言ってないか?」
「当たり前だ」
「…………」
キュカが言葉を無くしていると、ユリエルはあらためて、
「ではキュカ、お願いします。私は船を守らなければいけませんので」
「この状況下で、船内でじっとしてることが船を守ることに繋がるのか?」
「私は船を守らなければいけませんので」
「…………」
運命はキュカに残酷だった。
「……行ってきたぞ」
それからしばらくして、ウンディーネと共に、キュカはなぜか生傷だらけになって戻ってきた。
その手には、何か白い毛むくじゃらの生き物を抱えている。
テケリとエリスは目を輝かせ、
「なんでありますかそれ!?」
「うわ~! 生きてるの? 見せて見せて~!」
「ねぎらいの言葉ひとつなしか!?」
どことなく凍っているキュカは無視して、全員の関心は白い毛むくじゃらに移っていた……
ずんぐりした丸みを帯びた体、口の左右に一本ずつ小さなキバを生やし、固くて長い体毛に覆われた猿のような生き物だったが――レニはそれを見るなり、
「これは……ドゥ・ミールか?」
「ドゥ・カテの親戚みたいなものでありますか?」
テケリの言葉にうなずく。
ドゥ・カテは、全身が金色の体毛に覆われた、力自慢の重装MOBだ。この船でも召喚できる。
ドゥ・ミールもドゥ・カテと同じくらいの巨体のはずだが、これはテケリと同じくらいの大きさしかない。
ユリエルは首を傾げ、
「まだ子供のようですが……これが引っかかっていたんですか?」
「突風に飛ばされたのかなぁ……にしても、よく生きてたな」
ロジェが関心しながら、意外とおとなしい巨人の子供の頭をなでる。
「――あ! ケガしてるじゃない! 治してあげるから、じっとしててね」
腕のケガに気づき、エリスがヒールライトを唱えるが――キュカはぽつりと、
「……なあ。俺、そいつに引っかかれてケガしたんだけど」
「ツバでもつけておけ」
「…………」
ジェレミアに冷たく言い放たれ、キュカは言葉を無くす。いや、反論する気力もないのかもしれない。
「もしかして……『雪原の巨人』というのは、ドゥ・ミールのことですかにゃ?」
「巨人といえば、やはりドゥ族のことでしょうね」
ニキータのつぶやきに、ユリエルがさも当然と言わんばかりに返す。
一応、この巨人の子供にも小さなキバが生えているが、ビラをよく確認してみた所、大きなキバでなければ金は出ないらしい。
そして、巨人のキバは左右二本で一組とみなされ、どちらか一本だけとなると、半額になる。
「子供がいるということは、近くに親がいるはずだ。案外、早く片づくかもな」
「うきょ!? 協力してくれるでありますか!?」
「なんだって?」
ジェレミアの言葉に、キュカも驚いて振り返ると、ユリエルもひとつうなずき、
「いくら依頼主が教団とはいえ、気持ちはわからないでもありません。七千ルクはオイシイですしねぇ」
「ああ。七千ルクはオイシイ――」
言いかけて、キュカは目をぱちくりさせ、
「七千ルク?」
ユリエルとジェレミアは真顔で、
「船代二千ルク」
「人件費千ルク」
「……高い……」
ユリエルとジェレミアの高額請求に肩を落とす。文句を言って、聞いてくれる相手ではない。
「あ、わたしに情報料、ちゃんと払ってよ? 五百ルクにまけといてあげる~」
「…………」
エリスの請求に、さらに肩を落とす。
「……一人あたり、千六百二十五ルクということですかにゃ?」
「ちゃんと返金できるのか?」
レニには、その金額がどれだけの価値なのかはよくわからなかったが、とにかく一人あたり一万二千六百二十ルク稼がなくてはならないのだ。しかもユリエル達の手を借りるたびに金を請求されていたのでは、一万ルクという報酬が、実はたいしたことがないと感じても無理からぬことだった。
レニの不安を察したのか、ロジェは明るい笑みを浮かべ、
「大丈夫だって。取り分が千六百二十五ルクって、日払いの仕事じゃそうないぜ? なんたって、キュカの給料なんかさー、」
「だからなんでお前が俺の給料を知っている!?」
ロジェの言葉を、キュカが遮る。
レニは、キュカを心底哀れむような目で見ると、
「そうか……庶民とはそんなはした金で、命を賭けて戦わねばならないのだな……」
「そのはした金で戦うハメになったのは誰のせいだと思ってる!? 返せよ! 俺の血税返せよ!!」
流れの傭兵でも、ペダンにいる間は一応税金を納めていたらしい。(というか、給料から自動的に引かれていた)
……その時、レニの脳裏には、自分が金額など気にしたこともない調度品や衣類などを平気で壊したり汚したり捨てたり、厳選された高級食材で作られた料理を半分くらい残し、その余り物を庭の鳥(※カラス)や池の魚(※ピラニア)のエサにしてみたりするその影で、一般庶民(※キュカ)は、すきま風の吹く狭い部屋で生活し、欠けた食器に盛られた質素な食事、服は古着を調達し、破けても自分で地味に繕い、毎日サイフの中身を気にしながら、それこそ爪に火を灯すように生きている光景を生まれて初めて想像し――
「っ……! すっ、すまない……!」
「…………。なんか、余計にムカツクんだが」
涙目になって顔をそらすレニに、キュカは無表情に、しかし、確かな殺気を放ちながらつぶやく。
「いやぁ、キュカのおかげで、少しは金銭感覚が養えたようで」
ユリエルのフォローになっていないフォローが虚しい。
エリスは驚いた顔で、
「なに? あんた、いいトコの出なの?」
「魚に骨があることを最近になって初めて知ったが」
「…………」
「――仕方がなかったんだ! 仕方がなかったんだよ!」
無言で小手から刃を出すキュカを、ロジェが羽交い締めにして止める。
「とんだ箱入りだな……ここまで来ると、天然記念物に指定してもいいくらいだ」
さすがのジェレミアも、怒りを通り越して呆れ果てている。
テケリは、おとなしく座っている巨人の子供をなでながら、口をとがらせ、
「……お金の話はもういいであります。この子はどうするでありますか?」
テケリの言葉に、ようやくダメな大人達が今の状況を思い出す。
「ああ、そうでしたね。どうしたものでしょう」
「……吹雪が少し、収まってきたみたいやな」
ウンディーネの言葉に、外に目をやると、ちょうど雪が小降りになってきている。風も弱まっているようだ。
ニキータも表情をゆるめ、
「助かりましたにゃ~。少なくとも、このまま雪に埋もれることはにゃいですにゃ!」
ユリエルも船の操作盤をいじりながら、状況を確認し、
「どうやら、船も動けるようになったみたいですし……これで、本来の目的に戻れそうですね」
「本来の?」
きょとんとするエリスに、ユリエルはいつもの微笑みを浮かべた。
『ピギャアアアァァァァァァァァァァ!』
吹雪が弱まった雪原に、悲痛な叫びが響き渡る。
「これで後は待つだけです。ちゃっちゃと片づけて帰りますよ」
『……鬼……』
笑顔のユリエルを除く全員が、顔を青くしてつぶやく。
飛行可能になったナイトソウルズは、少し開けた場所に移動し――そして、甲板の先端の手すりから地上に向かって、ロープに縛られた何かをぶら下げていた。
先ほど救助した、ドゥ・ミールの子供が。
「こうやって堂々とさらしていれば、必ず親が来るはずです」
「……怒り狂った状態で出てくるんじゃないのか?」
「問題ない。戦うのはお前だ」
ジェレミアに容赦なく言い放たれ、キュカは言葉を無くす。
「――ねえ。それはちょっとかわいそうじゃない?」
さすがに見かねてか、エリスが間に入る。
「キュカはともかく、あの子から親を奪うようなこと、さすがにかわいそうよ」
「……俺はかわいそうじゃないのか?」
もはや、夢も希望も失った感じに憔悴(しょうすい)するキュカに、レニは後ろから優しく肩を叩き、
「安心しろ。万が一のことがあった場合――葬儀・告別式は、私がきっちり執り行ってやる」
「断る!」
全力で断るキュカに、レニは不気味なくらい穏やかな微笑みを浮かべ、
「遠慮するな。古来から伝わるペダンの流儀に則って、しっかり送ってやる。私はプロだ」
「あ。俺、喪主してやるよ」
「お前らに送られるくらいなら、その辺でのたれ死ぬほうがマシだ!」
まるで死に神のような兄弟の申し出を、全力で拒絶する。
「へ~。あんた葬儀屋だったんだ? 少子高齢化の時代だから、儲かりそうね」
端でエリスがヘンな誤解をしていたが、訂正するのが面倒だったのか、それとも、本当に葬儀屋のようなことばかりしていたのか、レニは特に反論しなかった。
「――にゃんか、聞こえますにゃ」
ニキータが、耳をぴん、と立てる。
その言葉に、全員口を閉じ、耳を澄ませる。
ずいぶん小降りになった雪が降る音に混じって――確かに、何かが聞こえた。
『――ピギャァッ! ゥギャアアァァァァァァァ!』
巨人の子供の声が響き――そして、どこからともなく、遠吠えのようなものが聞こえる。
――ゥオオオォォォォォォォォォォォ――
「――来ました! きっと親です!」
「どうするでありますか? まさか、殺しちゃうでありますか?」
不安げなテケリに、ユリエルは笑みを浮かべ、ぽんっ、と、頭に手を置くと、
「安心してください。キュカならきっと、命は取らずにキバだけ採取してくれるはずです」
「オイ!?」
さらりと無理難題を押しつけられ、誰か助けてくれる者はいないか辺りを見回すが――そんな者、いるはずがなかった。
「そ、そうだ! スリープフラワーで眠らせるってのはどうだ!?」
とっさに思いつき、エリスに目をやるが、彼女は申し訳なさそうに、
「ごめんね~。アレ、気が高ぶってる相手には効かないのよ」
「ええ。メチャクチャ怒り狂った状態の相手に、効果などないでしょうね」
「その『メチャクチ怒り狂った相手』に、俺一人で立ち向かえってのか!? そりゃ、確かにこの話に乗ったのは俺だが、いくらなんでもあんまりだろ!」
しばらく、必死に頼み込んだ結果――
巨人を倒せた者に、キュカの取り分から百ルク出すという条件で、協力してくれることになった。