歌が、聞こえた。
とても美しい声で――それなのに、とても哀しく、背筋が寒くなるような――深くまで聞き入ると、もう戻れなくなるような、そんな歌声が。
その心地よい歌声に聴き入るうちに、このまま、ずっとこの闇の中で漂っていたい気分になる。
なにもかも全部――自分のことさえ、もうどうでもいい。
虫ケラがどうあがいた所で、何も変わりはしない。何も変わらない……
ほとんど無意識に、歌が聞こえる方角へと足を踏み出そうとした瞬間だった。
『――そちらに行っては、いけない』
――誰だ?
突然聞こえてきた女の声に、辺りを見回すが、姿は見えない。
代わりに、どこかの風景だろうか? 真っ白な森、そして露出した岩肌に縦に切り込みを入れたような穴――洞窟だろう――そして、光る水のようなものがぼんやりと見える。
『……一刻も早く……水晶……マナストーンが……』
声は何かを言っているが、歌声に遮られ、よく聞き取れない。
――なんだ? マナストーンがどうした?
「――レニさん、レニさん」
『――精霊……ディーネを……』
声はとうとう聞こえなくなり、代わりに、
「――レニさん! 雪であります! キレイであります!」
激しく肩を揺さぶれ、起きあがりざまに、
「――うるさい!」
「グフォゥッ!?」
ドゴォッ! と、勘で振るった左の拳がテケリの顔面にクリティカルヒットし、テケリはなんとも漢らしい悲鳴を上げながら、壁まで吹っ飛ぶ。
「兄さん、いつの間にそんな攻撃力を……!」
「あ~……そういや、ウェンデルで無駄に攻撃力上げてたような……」
ロジェとキュカの声に振り返りもせず、拳を突き出したまま、ゼエゼエと肩で荒い息をする。
船での移動中に仮眠することにしたのだが、元々が偵察船。寝るための部屋もなく、仕方がないのでブリッジの隅にマットを敷いて寝ていたのだが……
――今の……夢は……
「キュウ?」
勝手に寝床に入り込んできたのか、傍らのラビが、不思議そうに見上げてくる。
その背をなでながら、今見た夢を思い出す。
誰かが、夢に割り込んできた。
もしかすると、先日のあの夢――あの時と同じ者だろうか?
どちらにせよ、こんなことは初めてだ。
窓の外に目をやると、初めて見る真っ白な世界が見えた。
「ほう。これがクリスタルフォレストか」
皮肉混じりにエリスを見やると、彼女は慌てて、
「そんなのわたし知らないわよ! こんな風になってるなんて誰も思わないでしょ!」
窓の外を指さし、怒鳴り返す。
ロリマーの樹氷の森・クリスタルフォレスト――結晶化した木々が陽光に反射して光り輝く光景は、この世のものとは思えないほど幻想的で、毎年、それを目当てに観光客が大勢訪れる。
……と、聞いていたのだが、今日は天気が悪いせいで薄暗い。木々も枯れているのか、雪の重みでほとんどが折れている。
「……ずいぶん荒れ果てていますね。やはり、マナ不足の影響でしょうか」
ユリエルも窓から外を見渡し、誰にともなくつぶやく。
この近くに街があるらしいが、雪こそ降ってはいないものの、薄暗いせいで遠くがよく見えない。
船の隅で、防寒着を着込んだ上に毛布にくるまったニキータが、おずおずと、
「あ、あの~。この船には暖房とか……そういうのは……」
「ありません」
ユリエルは笑顔で、キッパリ返す。
船内はかなり冷え込んでおり、全員、防寒着(テケリはラビコート)を着込んでいるのだが、それでも寒い。
「元々が偵察船だしなぁ……」
「たしかに、生活拠点にするにはちょっと不便だよな……」
キュカの言葉に、ロジェも苦笑いで返す。
寝室もなければ生活に必要な施設もない。あるのはMOB召喚施設だが、今の状況でMOBを召喚した所で、なんの意味もなかった。
ふと、テケリの足下のラビに視線をやると、
「……いや、食料には困らないか」
「うきょっ!? レニさん、なんか今、怖いこと考えたでありますか!?」
テケリが慌ててラビを抱きかかえる。
操舵席のジェレミアも、地図を確認しながら、
「もう少しで街につく。それまでの辛抱だ」
「うにゃ~……」
「ほんっと、寒いのダメなんだな……」
頭から毛布をかぶって震えるニキータを、キュカが呆れて見下ろす。
「ねぇ。あんた魔法使いなんでしょ? 魔法で暖かくできないの?」
「え?」
突然、エリスにそんなことを聞かれ、言葉に詰まる。
エリスはこちらの動揺になど気づかず、
「この辺りの人は、魔法で部屋を温かくするって聞いたことがあるわ。それ、できないの?」
「…………」
何も言い返せず黙っていると、横からキュカが、
「あー、無理無理。コイツ魔法使いとはいえ、能力はマジシャン以下だから」
「…………」
「――兄さん! 落ち着こう! ここでキュカを撲殺しても、死体処理に困るだけだ!」
無言で道具箱からフライパンを取り出しただけだというのに、ロジェは物騒なことを言いながら羽交い締めにしてくる。
それを振りほどこうとしながら、
「放せロジェ! あのモミアゲは……あのモミアゲだけは許せん! もし私が世界の王になったら、真っ先にヒゲとモミアゲ撲滅法令を作る!」
「言ってる意味がわけわかんないよ兄さん!」
「ヒゲとモミアゲ撲滅法令って……」
「うきょきょ! 世界中がさっぱりしそうでありますな!」
キュカはテケリに拳を振り下ろし、こちらも、ロジェにフライパンを取り上げられる。
「まあ、寒さなど着込めばいいわけですし。我慢してください」
「仕方ないわねー」
ユリエルの言葉に納得したのか、エリスはあきらめて窓の外に目をやる。
「――おい。あれはなんだ?」
後ろの騒ぎを無視していたジェレミアの言葉に、全員、窓の外に目をやる。
ジェレミアが指さした方角を見ると、薄暗い中、いくつかの人影のようなものが見えた。
「あれは……人形か?」
目をこらしてよく見ると、それは全部同じ形をした、茶色い人形だった。だ円型の頭の中央に青い目のようなものがひとつあり、獣のような手足をしている。全体的に、ずんぐりと丸みを帯びた印象だ。
寒さで震えていたニキータも、毛布を羽織ったまま窓際まで来ると、
「……あれは『マミーシーカー』じゃにゃいですかね?」
「なんだそりゃ?」
キュカが聞き返すと、ニキータは人形に視線を向けたまま、
「十年前の戦争の時に、ヴァンドール帝国が兵隊代わりに使ってた、魔法で動く機械人形ですにゃ。終戦後、大司教エレモスと、天才発明家のボン・ボヤジ博士が、生活に役立てられにゃいか研究してると聞きましたにゃ」
「魔法で動く機械人形、か……」
マシンゴーレムやコルカセルといった、魔工兵器のようなものだろうか?
その人形達は何かを運んでいるらしく、台車のようなものを引いている。あいにく荷台には布がかけられ、何を運んでいるかまではわからないが。
「あの人形、あそこから出てきたであります」
テケリが指さした先に目をやると、近くの絶壁に、切り込みを入れたような縦穴が見えた。
「洞窟……か?」
見覚えがあるような気がした。
そうだ。確か夢の中で……
「おい! 勝手にどこ行くつもりだ!?」
外へ出ようと身を翻すと、キュカに腕をつかまれる。
その手を振り払うと、迷うことなく、
「決まっている。あの洞窟だ」
「はあ!?」
驚くキュカとは対照的に、テケリは目を輝かせ、
「ややっ! 洞窟探検でありますか!? テケリも行くであります!」
好奇心がくすぐられたのか、テケリが真っ先に手を挙げる。
「おい、お前達。遊びに来たわけじゃないんだぞ」
ジェレミアが呆れた様子で口を開くが、そこにエリスが、
「あら、いいじゃない。街に行った所で、得られる情報がそんなにあるとは思えないけど?」
「……お前がロリマーに行こうと言ったんだろう」
その言葉に、エリスは曖昧な笑みではぐらかす。
「まったく、困った人達ですね。では、多数決にしましょう」
ユリエルがぱんぱんと手を叩いて注目を集め、
「それでは、洞窟探検に行きたい人は手を挙げてください」
その言葉に、ニキータをのぞく全員が、迷うことなく手を挙げた。
◇ ◇ ◇
「うきょきょ! みなさん、好奇心旺盛でありますな!」
「まあ、どんな状況でも、遊び心は必要ですよ」
上機嫌なテケリに、ユリエルはまんざらでもなさそうに返す。
――まさか、隊長が一番行きたかったんじゃ……
真っ先に手を挙げたことといい、疑わしい所ではあるが、問いつめてはいけないような気がする。
人形がいなくなったのを見計らい、全員明かりを持って洞窟に入る。
周囲はごつごつした黒い岩肌で、二人並んで通れるくらいの道幅しかない。それでも、邪魔な岩が端に寄せられていたり、中に入り込んだ雪を掻き出してあったりと、歩くには不自由しない。どうやら、出入りしやすいよう手を加えているようだ。
「頭上に注意してください。つららが落ちてくるかもしれませんから」
ユリエルの言葉に天井を見上げると、何本ものつららが垂れ下がっており――次の瞬間、落下したつららが、真下にいたラビに ぐさっ! と突き刺さる。
「うきょ!? ラビきちー! しっかりするであります!」
「……なるほど。これは危険だな」
その光景を見ながら、レニが感心したようにつぶやく。
ラビは白目をむいて泡を吹き、テケリが抱きかかえる。一応生きているらしい。
「あの人形……ここで何をやっていたんだ?」
見たところ、ただの岩の洞窟にしか見えない。何か資源になるようなものがあるとは思えないが……
とにかく奥へと進むと道が左右に分かれていたので、適当に二手に別れて進む。
道は一本道。似たような光景が広がるばかりだ。
しばらく歩き――
「あれ?」
分かれ道にたどり着くと、そこで、別れたはずのメンバーとあっさり再会した。
エリスは驚いた顔で、
「なにこれ? ぐるっと一週しただけ?」
「おいおい。それだと、あの人形はどう説明するんだ? 脇道も何もなかったぞ」
キュカの言う通り、本当にこれだけの洞窟だったら、あの人形がここで何をしていたのか説明がつかない。
「レニさん、どうしたでありますか?」
テケリの言葉に振り返ると、レニが壁の前にじっと立っている。
「この……壁……」
ぴたりと、壁に手を触れ――
「――兄さん!?」
その体が、壁の向こうへと沈んだ。
◆ ◆ ◆
「―――!?」
岩壁をすり抜けた途端、足を踏み外してその場に尻もちをつく。
ぶつけた腰をさすりながら起きあがると、壁の向こうはすぐ斜面になっていたらしい。見下ろすと、通路は地下へと向かって伸びているようだ。
「兄さん、大丈夫か?」
振り返ると、壁から体半分を出したロジェが心配そうにこちらを見下ろしている。
「……問題ない」
ロジェが手を差し出すものの、その手は取らずに立ち上がり、服のホコリをはたき落とす。
「すごいであります! カベを通り抜けちゃったであります!」
その声に振り返ると、ロジェに続いてテケリも壁を通り抜け、後を追ってくる。
ユリエルとキュカも壁を通り抜け、
「なるほど。侵入者を拒む惑わしの術が施されていたわけですか」
「へ~……ちったぁ役に立つじゃねーか」
「フン」
一応評価されているようだが――内心、歯がみする。
幻術は自分の専門だというのに、最初通った時には気づかなかった。
――魔力を失っただけで……このざまか。
キュカの言う通り、これではマジシャン以下だ。
後ろは無視して奥へと進むと、開けた場所に出たらしく、空気の流れが変わる。
「…………?」
足下に目をやると、床が、壁が、ぼんやりと青白い光を放っていることに気づく。
「これは……」
近づいてみると、地面からごつごつした水晶のようなものが生え、青白い光を発していた。
一瞬、氷かと思ったが――ためしに、目についた中で一番大きな水晶をへし折り、手に取る。ひんやりと冷たいものの、溶けない。
「――うきょ! キレイであります!」
「なにこれ? マナの結晶?」
テケリとエリスの声に振り返り――よく見ると、床だけでなく天井にも、同じような水晶が生えているようだ。
再び手の中の水晶に視線を戻すと、水晶は、最初は自ら不思議な光を発していたが、ほどなくしてその光が消える。
「どうやらこの洞窟内は、マナの力が特に強いようですね」
「ということは……あの人形が出入りしてた理由は……」
ユリエルとジェレミアの話を最後まで聞かず、手に取った水晶をコートのポケットにしまうと、さらに奥へと進む。
「兄さん! 一人で行っちゃダメだ!」
ロジェの制止する声が聞こえるが、足は止まらない。
奥へ進めば進むほど水晶は増え、明かりも不要なくらいだ。
ふと、奥のほうから機械音のようなものが聞こえた。
そちらに目を向けると――水晶の光とは異なる、複数の青い光が視界に入る。
「え?」
青い光は、一瞬にして赤い光に変化し、黒い影がのそりと動く。
「――レニさん! 待ってー! であります!」
後ろからテケリが駆け寄ってくるが、追いつくより早く、
「来るな!」
叫ぶと、とっさにテケリを突き飛ばし、そのまま自分も倒れ込む。
――ゴッ!
一瞬遅れて、何かが砕ける音に振り返ると、壁の一部が壊れ、その一面の水晶が無惨に崩れている。
「――マミーシーカー!?」
ロジェの声に振り返ると、前方に三体のマミーシーカが臨戦態勢で立ちはだかっていた。
マミーシーカーの目は赤く変わり、手も、筒状の形に変化している。どうやら、そこからエネルギー弾を放ったらしい。
「どうやら侵入者を排除するよう、指示されているようですね」
ユリエルが矢を放つが、固い装甲ににあっさりはじかれる。
ならばと、ロジェ、キュカ、ジェレミアが斬りかかるが、固い装甲に傷ひとつつけられず、逆にその手から発射されるエネルギー弾に、慌てて後退を余儀なくされた。
「クソッ! ぜんぜん効かねーぞ!」
キュカが毒づき、ユリエルが今度は肩の間接をめがけて矢を放つが、見た目の割に俊敏な動きでそれをかわし、再びエネルギー弾を放ってくる。
マシンゴーレムと同じようなものだと思っていたが、人に近い形といい、動きといい、性能は段違いだ。
「――魔法!」
「えっ?」
エリスの声に振り返ると、彼女はマミーシーカーを指さし、
「あんた魔法使いなんでしょ!? のんきに見てないで、ドカンと一発やっちゃいなさいよ!」
「…………」
その言葉に、何も返せず黙り込む。
エリスは首を傾げ、
「……なに? できないの?」
「――エリス! いいから隠れるんだ!」
ロジェが話に割って入り、エリスはそれ以上は何も言わず岩陰に隠れるが――こちらはこちらで、内心、歯がみする。
必要な時に、必要なものが使えない。自分の身さえ守れない。
これほど歯がゆいことはない。
「レニさん……」
振り返ると、テケリが心配そうな顔でこちらを見ていた。
「な、なんだ?」
突然、テケリは何か決意したような顔をすると、
「――だいじょーぶであります! テケリにまかせれば、鬼にカナブンであります!」
言うだけ言うと、ラビをこちらに押しつけ、背負っていた角笛を構えて走り出す。
「おい!?」
止める間もなく、テケリは一定の距離を保ちつつ、マミーシーカーに向かって思い切り角笛を鳴らす。
「――なにこの音!?」
すさまじい音波に、隠れていたエリスが悲鳴を上げ、他の者も耳をふさいで頭を抱える。
洞窟の中だけあって、音が反響しあい――その音波に、マミーシーカーが動きを止めた。
エリスは目を丸くして、
「うそっ! 効いてる!?」
「今のうちに逃げるぞ!」
その声に我に返ると、すでに他の者はマミーシーカーの横をすり抜け、奥の通路へ走っている。
自分も後を追うが――
「テケリ! 早くしろ!」
まだ、角笛を吹き続けるテケリの肩をつかむと、テケリはようやく吹くのをやめ、息を切らしながら慌てて駆け出す。
「兄さん! テケリ! 早く!」
待っていたロジェの前を横切り、奥へと走る。
「もう追ってきたであります!」
振り返ると、すでに音波の効果から立ち直ったらしく、三体のマミーシーカーがこちらの追撃にかかっている。
「――上だ!」
突然ジェレミアの声が響き、見上げると、ちょうどこちらの真上に、新手のマミーシーカーが虫のように天井に張り付いていた。
そしてその銃口は、まっすぐこちらに向けられている。
「あぶない!」
すぐ近くにいたエリスがこちらの手を引き、寸前の所で、放たれたエネルギー弾を避けるが、爆風に足がもつれてその場に膝をつく。
「兄さん!」
「離れてください!」
こちらに駆け寄ろうとするロジェを制し、ユリエルが天井のマミーシーカーに矢を向ける。
再び、マミーシーカーのエネルギー弾が放たれようとした瞬間、ユリエルの矢が銃口に突き刺さり、その場で暴発する。
「うきょっ!?」
「こっちよ!」
天井ごと人形が砕け、危うく下敷きになる寸前に、エリスの声がした方角にテケリと共に慌てて走る。
辺りは砂埃で視界が悪くなり、そのどさくさに紛れてひたすら走り――
「なっ……!?」
ようやく足を止めた頃、ある事実に気づいて愕然とする。
「うきょっ!? みなさん、どこ行ったでありますか!?」
「ええー!? なんでみんないないのよ!?」
ふと気がつくと。
レニ、テケリ、エリスという――最弱パーティーが出来上がっていた……