4.聖なる都に祈りを - 1/2


 歌が、聞こえた。

 とても美しい声で――それなのに、とても哀しく、背筋が寒くなるような――深くまで聞き入ると、もう戻れなくなるような、そんな歌声が。

 ――また……この夢……

 もう抵抗する気も起こらず、どこかあきらめにも似た心地で身をゆだねる。
 受け入れてしまえばとても心地のいいもので、ゆらゆらと、波間を漂うような――まるで、闇のゆりかごに寝そべっているような、そんな感覚だった。
 いっそのこと、このまま眠り続けたほうが楽かもしれない。

『――…………』

 ――……?

 ふと、歌声に混じって、何か聞こえたような気がした。
 なんとか聞き取ろうと耳をすませるが、まるでそれを拒むように、歌声がさらに大きくなる。

『……、…………』

 ――誰だ?

 問いつめたいのはやまやまだが、どうすることも出来ない。

「――ニさん、レニさん」

 ――え?

 揺さぶられていることに気づき、目を開ける。
「レニさん。もう朝であります。テケリ達、先にゴハン食べちゃったでありますよ」
「…………」
 テケリに揺さぶられつつ、ぼんやりと、しばらく薄汚れた天井を眺める。

 ――今の……夢は……

 いつもと同じ夢。
 しかし、どこか違う。
 体を起こすが、頭がまだ、はっきりしない。

 ――誰かが……割り込もうとした?

 誰が? なんの目的で?
 わからない。わからないが――
「レニさん。寝グセがすごいことになってるであります。早く起きて直さないと、チコクであります」
 とりあえず今は、テケリの脳天に拳を振り下ろすことを優先した。

「ほら見ろ。どっかの誰かさんがちんたらしてっから、遅れちまったじゃねーか」
 キュカの愚痴を聞き流しながら、早足で儀礼の広場へと向かう。
 熱心な女神信者はほとんど参列すると聞いたが、こうして広場へ向かう途中、ほとんど人とすれ違わない。皆、すでに広場へ行ってしまったのだろう。
 ひとつしかない階段を上り、入り口へと辿り着くが、すでに集まった参列者で広場は一杯になっている。おまけに四方を壁に囲まれているせいで風の通りが悪く、蒸し暑い。
 仕方なく最後尾から背伸びして前を見るが、見えるのは人の頭くらいでなにも見えない。なにか話をしているのが聞こえたが、なにを言っているかまでは聞き取れなかった。
 テケリも無駄な背伸びをしながら、頬をふくらませ、
「うー。なんにも見えないであります~」
「……見えるか?」
 なんとなく癪にさわるものの、この際仕方がない。一番背の高いキュカに目をやるが、彼も背伸びしながら、
「ん~……遠すぎてよく見えねぇが……あれ、ルサじゃねぇのか? この前会った」
「ルサだと?」
 ルサといえば、口はほとんど利いていないが、忠義的な印象を受けた青い髪の女だ。
 キュカは、しばらく前方を凝視し、
「間違いない。ルサだ。あんな偉そうに前に出てるってことは、結構、位が高いんじゃねーのか?」
「……お前、この距離からわかるのか?」
 声がよく聞こえないということは、かなり距離があるはずだ。顔などかなり小さくしか見えないと思うが――キュカは真顔で、キッパリと、
「相手が美女なら、何メートル離れていようとわかる」
「…………。そうか」
 適当にコメントする。
 しかしまあ、キュカの言う通り位の高い者だとしたら、それにお茶くみや道案内をさせるアナイスは一体何を考えているのか……
「――なんだか、ヘンなにおいがするであります」
 急に、テケリがそんなことを言い出す。
 ラビも何か嗅ぎつけたのか、鼻をひくつかせ――突然、広場の外に飛び出し、階段を下りて行く。
「あっ! 待つであります!」
「おい! どこ行くんだお前ら!?」
 ラビを追って、テケリも広場の外へと走り出し、キュカも慌てて後を追うが――自分はそれを見送り、もう一度祭壇の方角に目をやる。
 次の瞬間、広場に激しい轟音が響いた。

「――――!?」
 驚いて、音がした方角に目をやるが――それよりも先に、パニックを起こした参列者が一斉に出口に殺到し、誰かに突き飛ばされる。
 強く体を打ち付け、すぐに起きあがれないでいると、右肩を誰かに思い切り踏みつけられる。

 ――踏み殺される!?

 胸中で、突き飛ばした者と踏みつけた者に呪いの言葉を投げつけながら、なんとか立ち上がると壁際へと避難する。
 逃げ出す者達は、こちらのことなど見向きもせずに前を横切り、我先にと広場から飛び出していく。
「……自分が最優先、か」
 しばらく、壁にもたれて事態を収まるのを待つが――頭の奥底がざわざわする。
 そういえば倒れた時に頭も打ったが、今ごろになって痛みだしてきた。
「…………?」
 目を開けると、少し気を失っていたのか、壁にもたれたまま座り込んでいた。
 顔を上げると、小さな手が視界に入る。

 ――テケリ?

 手は力なく地に横たわり――肘から上がなかった。
「――――!」
 一瞬にして意識が覚醒し、慌てて体を起こす。
「なんだこれは……」
 あたりを見回し、呆然とつぶやく。
 参列者のほとんどがいなくなったことで、ようやく広場の全景が見えるようになった。
 こちらから見て左側面が爆発したらしく、壁が無惨に砕け、その周辺にいた者は全員吹っ飛んだようだ。
 体の一部を失ってうめく者、飛んできた破片やガレキで傷を負った者、もう、二度と動けない者達が取り残され、僧兵達が救助に走り回っている。
 おそらく、アナイスやジャンカが言っていた反教団の連中の仕業だろう。死人が出たとは聞いていたが、今回のこれは、一人や二人ではない。何十人と死んでいるのがここからでもわかった。
「――おい、大丈夫か!?」
「っ!?」
 突然、後ろから右肩をつかまれ、痛みに体を曲げる。
 右肩を押さえて振り返ると、広場の外に出て、難を逃れたキュカとテケリがいた。
 テケリは心配そうな顔で、
「ケガしてるですか? 大丈夫でありますか?」
「……かすり傷、だ」
 テケリの両手がちゃんとついていることに安堵するが、それよりも、祭壇のほうへと目を向ける。
 正方形の広場の奥には一メートルほどの高さの祭壇があり、その上にはキュカが言った通りの人物――ルサが、微動だにせず、広場を見下ろしていた。目の前の惨劇など眼中にないのかもしれない。
「……なんだあれは?」
 祭壇の奥を隠す白い幕に、眉をひそめる。
 何かお披露目でもするつもりだったようだが、何か、嫌な胸騒ぎがする。
「――そうだ! 光の古代遺跡!」
 突然、キュカが声を上げる。
「この街の造りといい、そっくりだ!」
「うきょ! テケリもずっとそう思ってたであります!」
「なんだと?」
 光の古代遺跡といえば、自分達の時代では光のマナストーンが眠る遺跡だ。
 キュカはひっかかりが取れたせいか、興奮した様子で、
「考えてみりゃあ俺達の時代じゃ遺跡でも、この時代だとまだ人が住んでいたって不思議はねぇ。たぶん、ここが滅んだあと、新しく別の場所に出来たのが俺達の時代のウェンデルじゃねーのか?」
「それでは……アナイスが言っていた『ちから』というのは……」
 まるでその答えを証明するかのように、砕けた壁から強い風が入り込み――白い幕が吹き飛び、隠れていたものがあらわになる。
「――やはり、マナストーン!」
 不思議な青白い輝きを放つ、身の丈よりも巨大な石が、吊っているわけでもないのに宙に浮いていた。
 実物は初めて見たが、話に聞いていた通りのものだ。
 今度は奥から、飾りも何もない真っ白な服を着た女が、ゆっくりとした足取りで現れる。
 頭に白いヴェールをかぶっているので顔はよくわからないが、まだ少女だろう。
 キュカは眉をひそめ、
「……なんだ? あの子は」
「決まっている。生け贄だ!」
 立ち上がると、右肩を押さえて祭壇へと駆け出す。
 ……はるかいにしえの時代、マナストーンを自在にコントロールする秘術があったという。
 伝承では、そのちからをめぐって戦いが起こり、以来、マナストーンは術者の命を奪う呪いをかけて、封印された。
 しかし、媒介(ばいかい)――すなわち生け贄をもちいれば、術者は己の命を失わずとも、エネルギーを開放することは可能なはずだ。
 祭壇の前まで来ると、ひとまずルサは無視して、
「――アナイス! いるなら出てこい! マナストーンで何をするつもりだ!?」
 祭壇の奥に向かって、声を張り上げる。
「……やれやれ。呼んだかい?」
 ほどなくして、祭壇の奥から軽薄な声と共に、先日見せた仮面と頭をすっぽり隠す聖帽を身につけたアナイスが姿を現す。確かにこの格好なら、素顔で表を出歩いても、誰も気づかないだろう。
 彼は、祭壇の上からこちらを見下ろし、
「いやぁ、大変なことになってるねぇ。ヘタすると、キミも吹っ飛んでたかな?」
「ふざけるな! マナストーンで何をするつもりだ!?」
 さっきと同じ質問を繰り返す。
 アナイスは肩をすくめ、
「おやおや、話を聞いてなかったのかい? 世界から急速にマナが失われているからね。だからこそ、マナストーンのちからを解放し、世界を救うのさ」
「お前が? ずいぶん笑える冗談だな」
 そんなわけがないのは明白だが、答えてくれる相手ではない。
 アナイスはそんなことはどうでもいいのか、仮面越しにこちらを見やると、
「ねえレニ。競争しない?」
「……競争?」
 アナイスは口元に笑みをたたえ、
「僕達がすべてのマナストーンを解放するのが先か、君達がそれを止めるのが先か……競争と行こうじゃないか」
「…………」
「――ふざけたことぬかしてんじゃねぇ! 大事な信者がひどい目に遭ってんだぞ!? それをほったらかして競争だのなんだの言ってる場合か!?」
 これまで黙って聞いていたキュカが、さすがに腹に据(す)えかねて怒鳴るが、アナイスは肩をすくめて、
「儀式を中止にしたら、それこそ異端者の思うつぼだろう? ま、多少の犠牲は仕方ないってことかな」
「多少……」
 胸元に手をやり、服越しに、小さな指輪の感触を確かめる。
 そう。多少だ。
 人などいくらでもいる。何か大きな事を起こすためなら、ここに集まった者の命など『多少』だろう。
 自分さえも含めて。
 とたんに、背筋が寒くなるのを感じた。
 方法や目的は違えども、この現場は、まさにこれまでペダンがやってきたことだ。
「――どうしたんだい? 何も今さら、うろたえることじゃないだろう?」
「…………」
 アナイスは、こちらのことをなにもかも見透かしたように、
「これまで散々殺しといて――いざ、自分が『多少の犠牲』になるかもしれない立場になったとたん、怖くなったのかな?」
「……違う」
 風に乗って、火薬のにおいと共に、血のにおいが漂ってくる。
 頭の中のわけのわからないざわめきに、左手で頭を押さえながら、
「違う……違う! 私は、こんなことを望んだことはない!」
 ペダン軍が、各地でどのような行いをしてきたかは知っている。
 しかし、それらのことはすべてアナイスとバジリオスが指示したことだ。自分は、そこまでしろと言ったことはない。
 アナイスは小首を傾げ、
「ふぅん。あくまで自分は無関係? ぜーんぶ、僕とバジリオスのせい、か。ま、いいけどね。キミが直接指示を出してないのは事実だし」
「…………」
 頭の中のざわめきは一層ひどくなり、とうとう、その場に膝をつく。
「――おい! 大丈夫か!?」
「違う……違う……」
 後ろから揺さぶられるが、もう、誰の声なのかわからないくらい、どんどんざわめきが大きくなって行く。
 そのざわめきに混じって――歌が、聞こえた。

 とても美しい、心地よい歌声。

 周りの声も何も聞こえなくなり、その歌声だけが、頭の中に響き渡る。
 とたんに、さっきまでの自分でもわからなかった感情が静まりかえり、ちからが沸いてくるのを感じた。

 * * *

「…………」
 男の目の色が、変わった。
 さっきまで、まるで魔力を感じなかったというのに、今は黒い闇のちからに包まれている。連れも異常に気づき、慌てて離れる。
 これまで黙っていたルサは、アナイスより前に出ると、
「アナイス様。お下がりください」
「はいはい」
 アナイスはのんきな返事をしながら、一歩後退する。
 後退してから、
「あいつは生意気にも僕の誘いを断った異端者だ。裁きを下してやりな」
 そう言うと、もう用事は済んだのか、背を向け、立ち去る。
「――待て! アナイス!」
 怒鳴り声と同時に、祭壇の下からイビルゲートが飛んでくる。
 もとより狙いが定まっていなかったらしく、頭上を飛び越えて、壁をえぐるが――これまで、ケガ人に気を取られていた僧兵の気を惹くには十分だった。
「――ルサ様をお守りしろ!」
 こちらの騒ぎに僧兵達が駆けつけ、男に槍を突きつけるが、
「邪魔だ!」
 左手を一振りすると同時に放たれたイビルゲートをまともに喰らい、全員吹き飛ばされる。
「私と同じ、闇の使い手か。だが……己の闇に呑まれるようでは、まだまだだ」
 ただ、やみくもに力を使っているだけで、完全に正気をなくしている。
 男の周囲に、今度は複数の黒い矢が出現する。

 ――ダークフォースか。

 なるほど。確かに、術者としては優秀だろう。しかし――
「その程度では――相手にもならん!」
 闇の矢が、一斉にこちらめがけて飛んでくるが、手をかざし、すべての矢を途中でぴたりと止める。
「闇のちからとは、こう使う!」
 くるりと矢が一斉に方向転換し、そのまま術者へとお返しする。
「――――!」
 男は慌ててかわそうと後ろへ下がるが――遅い。
 数発はずれたようだが、そのうちの一本がまともに胸に突き刺さり、悲鳴を上げる間もなく、あっさりと地に倒れる。
「どうした? もう終わりか?」
 祭壇の上から悠然と見下ろし――突然、周囲が影に覆われる。
 見上げると、見たことのない一隻の船が上空を旋回していた。

 * * *

「――ナイトソウルズ!?」
 倒れたレニを起こしてやりながら見上げると、ナイトソウルズがこの広場に着陸しようとしていた。思っていたより早い到着だ。
「うきょ! ロジェ達が来てくれたであります!」
「まあ、そうなんだが……」
 広場から煙が昇っているのを見て、やってきたのだろうが――

 ――この状況下だと……まるで、俺達がこれやったみたいに誤解されねーかな……

 ナイトソウルズの出現に、僧兵達だけでなく、広場に取り残された参列者達からも悲鳴があがる。
「うっ……」
 そんな中、意識が戻ったのか、レニが小さく身じろぎし――目を開ける。
「…………?」
「レニさん、大丈夫でありますか?」
 テケリが顔をのぞき込むが、当の本人は、さっきまでの覇気はどこへやら。ぼんやりと、焦点の定まらない目をしている。
「……立てるか?」
「あ……ああ……」
 まだ意識がはっきりしていないのか、おぼつかない足取りではあったが、なんとか立ち上がる。
 ダークフォースを喰らったはずだが、それほどダメージを受けたようには見えない。
「とにかく、ずらかるぞ!」
「ラジャ! であります!」
 テケリもラビを拾い上げ、降り立ったナイトソウルズに向かおうとするが、背後から、
「――異端者には、死、あるのみ!」
 ルサの声と共に、イビルゲートが飛んでくる。
「ちっ!」
 横に飛んでかわすが、次はダークフォースの黒い矢が飛んできた。
「まったく……美人は好きだが、おっかねー女はゴメンだ!」
 ぼんやり突っ立っているレニの左腕をつかむと、船に向かって走るが、ルサはふわりと宙に浮かぶと、容赦なくこちらを追いかけてくる。
「追ってきたであります!」
「見りゃわかる!」

 ――なんか、前にもなかったか!?

 障害物など完全に無視し、闇の魔法を情け容赦なく放つ――
 どこかであった。
 たしか、この世界に来る前に。
 しかし、今はそれどころではない。このままでは捕まるのも時間の問題だ。
「ん?」
 コロコロ……と、クルミサイズの黒い玉が、どこからともなく足もとに複数転がってきて――それを通り過ぎた頃、突然、玉が白い煙を吹き出す。
「うきょ!? なんでありますかコレ!?」
 背後で起こったことに、テケリは思わず足を止める。
「煙玉か?」
 幸いこちらは風上らしく、煙は自分達の所までこなかったが、逆に、ルサのいる風下は真っ白い煙に覆われ、何も見えなくなっている。
「――こっちですにゃ!」
「その声……!」
 声がしたほうに振り返ると、ガレキの後ろから、ニキータが顔を出す。
「うきょっ! ニキータさん!」
 ニキータはオロオロしつつも、
「よくわかんにゃいですが……早く逃げにゃいと!」
「わかってる! ――お前も来い!」
「へっ?」
「いっしょに行くであります!」
 テケリがニキータの手を引き、有無を言わさずナイトソウルズまで一気に走る。
 ナイトソウルズは、ニキータを含め、全員乗り込んだのを確認すると、大急ぎでその場から飛び去った。

 * * *

「…………」
 煙が収まった頃には船は飛び去り、異端者の姿も見あたらくなっていた。
 生け贄にする予定だった娘の姿も見あたらなくなっている。どうやら、どさくさに紛れてどこかへ行ったようだ。
 異端者には逃げられてしまったが――
「フッ……まあ、いい」
 広場には、累々と転がる死体。
 目を閉じると、目には見えない魂達が、突然の死を理解できずにさまよっているのが見えた。
「では、儀式を再開する」
 ルサは祭壇まで戻り、誰にともなく宣言すると、術を唱え始めた。

 ◆ ◆ ◆

「ひとまず、危機は脱したようですね」
 ウェンデルが見えなくなった頃、ユリエルがようやく口を開く。
「まったく……急いで正解だったな」
 言いながら、操舵席のジェレミアはキュカをにらみつけ、
「で、何をやらかした?」
「俺達は何もやってねーぞ!」
 キュカが慌てて反論する。
「そうであります! テケリ達だってあぶなかったであります! レニさんもケガしたです!」
 テケリも声を上げ――ブリッジの隅に座り込んだレニに視線をやる。
 右肩の痛みはさっきより増し、ロジェに促されて服をめくって確認すると、踏まれた肩が赤黒く変色し、腫れている。一応動くものの、力が入らない。
「折れてはいないと思うけど……」
 言いつつ、湿布を貼り、手際よく包帯を巻いて固定する。
「――それは?」
「!」
 首にアマリーの指輪をさげていたことを思い出し、慌てて手でつかんで隠す。
 ロジェは怪訝な顔をしたものの、それ以上は何も聞いてこなかった。
「――なあ。たしかお前、ダークフォース喰らったと思うんだが……そっちは大丈夫なのか?」
「あ、ああ……」
 服を直しながらうなずき――胸ポケットに何か入っていることに気づく。
 そういえば、幻想の鏡をここにしまっていたことを思い出す。ちょうど、ダークフォースを喰らったあたりだ。
 三角巾で腕を吊った後、鏡を取り出すが――傷ひとつついていない。

 ――どうなっているんだ……?

 首をひねるが、これをくれた父は、代々受け継いできたものであること以外、特になにも言っていなかったと思う。そして自分も、これまでさほど気にしたことはない。
 ふと、視線に気づき振り返ると、成り行きでついてきたニキータが心配した様子で、
「あの~。ケガは大丈夫ですかにゃ?」
「あ、ああ。大丈夫だ」
 正直、まだ痛むが、適当にうなずきながら鏡をしまう。
 ニキータは、どこか感心した様子で、
「あのルサって神官、教団ではかなり位の高い人ですにゃ。そんにゃ人に一人で立ち向かうとは……すごい勇気ですにゃ」
「いや、あれ、どっちかってーと、ムカついたから突っかかったってほうが正しいんじゃねーのか?」
 ニキータの言葉に、すかさずキュカが口を挟む。
 どちらの言い方にもなんとなく腹が立ったが、とりあえず黙って聞き流す。
 ユリエルはニキータを一瞥(いちべつ)してから、キュカに目をやり、
「知り合いですか?」
「まあ、ちょっと……にしてもお前、なんでまた? 助けに来たのか?」
 キュカに聞かれて、ニキータは耳の裏を掻きながら、
「本当は儀式に行くつもりはにゃかったんですが……皆さんが儀式を見に行くと聞いたもんですから、気になって」
「なるほど……で、来たらあの状況だった、と」
 こくりとうなずく。
「……そりゃもー怖かったですにゃ。逃げようと思ったですにゃが……レニさんがやられてるのを見て、踏みとどまりましたにゃ。ここで逃げたら、オイラ一生臆病者ですにゃ! それじゃダメですにゃ!」
 よっぽど怖かったのか、はらはら涙を流す。
「ま、まあ、助かったけどよ。何も泣くこたぁ……」
「ニキータさん、感謝するです!」
 リアクションに困るキュカに対して、テケリは素直に感謝している。
 しばらく、船はアテもなく、どこか着陸出来る場所を探して飛ぶが――

 ――カタン。

「―――! 誰です? そこにいるのは」
 かすかな物音に、ユリエルが船内の一角に向かって声を上げる。
 全員の視線がそちらに向き――しばらくして、
「あ……見つかっちゃったか」
 物陰から、白いヴェールで顔を隠した少女がひょっこりと現れた。