歌が、聞こえた。
まるで導かれるように、ふらふらと歌が聞こえる方角へ向かうと、炎の揺らめきが見えた。
「………?」
我に返ると、周囲を見渡す。
「ここは……」
どこかの街のようだ。黄色い石畳に、石造りの家が建ち並び、遠くに城らしきものが見えた。
――どこなんだ?
記憶を辿るが、まったくわからない。なのに、見たことがあるような……
いや、どこだろうと関係ない。今問題なのは、家々が容赦なく燃え、周辺には焦げた臭いと共に煙が漂い、あちこちで悲鳴が聞こえ――そして、もはや動かなくなった人々が倒れているということだった。
すさまじい熱で肌がちりちりと焼け付く感覚に、汗が噴き出す。
空を見上げると、一隻の巨大な黒い船が飛んでいた。
あの船は――
「ヴェル・ディマーナ……!?」
ペダンが誇る、超弩級戦艦。
その戦艦の放つ砲撃が、城を、街を、容赦なく焼き払っていた。
ふと視線を下ろすと、ガレキの隙間から人の腕が見えた。
見覚えがあった。
腕ではなく、その格好だ。
この格好は、たしか、ペダン軍の――
「――――!」
再び船を見上げると、駆け出す。
自分がどこへ向かっているのかも、何のために走っているのかもわからない。だが、じっとしていられなかった。
勘を頼りに城の方角へと走るが、突然、近くの建物が炎に巻かれて崩れ落ち、道がふさがれる。あと少しで下敷きになる所だった。
「…………」
その場にへたり込み、肩で荒い息を繰り返す。
見上げると、船は容赦なく砲撃を繰り返し、そのたびに街の形が変わっていく。
「どうして……」
ここは、ペダンだ。
行ったこともない、自分が守るべきだった国。
なのに不思議と、ここがペダンなのだと確信できたのは、いつも鏡越しに見ていたからだ。
自国が誇る戦艦が、自国を滅ぼす様も。
見ていたはずなのに、知っているはずなのに――
「どうして……こんな……」
轟音が響き、また建物が崩れ、炎が広がる。
必死に記憶の中を探るが、思い出せない。
どうして――
どうして、壊している?
「――どうしてって……自分でやったんじゃないか」
その声に振り返ると、ロジェが無表情に立っていた。
彼は、まるで世間話でもするかのように、
「こうなることを望んでいたんだろう? 望み通り、ペダンは滅びた。もっと喜べばいいじゃないか。今さら、何うろたえてるんだ?」
「ロジェ……?」
火の手が迫り、周囲が赤く照らされる。
なのに――心の奥底が凍り付くような感覚に、もう、熱いのか寒いのかもわからなかった。
* * *
窓を開けると、心地よい風が部屋の中に入り込む。
「……いい眺めだな」
キュカは少し身を乗り出し、辺りを見渡す。
この宿は小高い丘の上にあり、二階の窓からでも町並みが一望できた。目についた適当な宿に飛び込んだのであまり期待していなかったが……運が良かったのかもしれない。
眼下を見下ろすと、青い屋根で統一された小さな石造りの家々が立ち並び、その向こうに港が見えた。
ニキータの話では、漁はもちろん、貿易も盛んで、商業で栄えた町らしい。
――ここが大昔のローラント、か。
そう思うと、不思議な気分だった。
この町並みを見ていると、なんとなくバストゥーク山の麓にある、漁港パロを思い出す。土地柄といい、雰囲気がよく似ていた。
キュカにとっては、時代は違えどもの自分の故郷なのだが――
「キュカ、窓を閉めてください。寒いみたいです」
「あ、ああ」
ユリエルに言われ、慌てて窓を閉める。今は、感慨にふけっていられる状況ではない。
ベッドの上でぐったりと寝こんでいるレニを見ると、熱はまるで下がっていないはずなのに、寒気を感じるのか、かすかに震えていた。
* * *
「まったく、なんでこんなに悪くなるまで黙ってるんだ!?」
さすがのジェレミアも、焦った顔で怒鳴るが、当のレニは完全に意識がないのか、苦しそうに荒い呼吸を繰り返すだけだった。
本当ならすぐにでも出発したい所ではあったが、コートニーとカートの亡骸をそのまま野ざらしにするわけにもいかず、まだ燃えていた村の近くに埋葬した。
そして船に戻ると、テケリとニキータの二人がかりでレニを着替えさせたらしく、側にはすっかり血で濡れた服が丸めて置かれていた。
ウンディーネが出した氷で体を冷やしてはいるものの、ただ冷やして寝かせておけば治るような症状とは思えない。
その容態に、ロジェは呆然と、
「兄さん……いつからこんな……」
「……ジャドに入る前からや。何度も休むよう言ったんやけど、聞きもせん」
知っていながら黙っていたことに後ろめたさを感じているのか、ウンディーネもルナも黙り込む。
ついてきたサラマンダーも、レニを見下ろし、
「まったく、事情はよくわかんねーけど、なんでぶっ倒れるまで黙ってんだ? 我慢にも限度があるだろ」
「……言えなかったんですにゃ」
ニキータに目をやると、彼はレニの額の汗をぬぐいながら、
「普段が強気にゃ手前、助けて欲しい時に助けてって言えないんですにゃ。ホントは気づいて欲しいんでしょうけど……弱みを見せたくなくて、隠しちゃうんですにゃ」
「…………」
――小鳥みてーだな……
ニキータの言葉に、キュカはふと、子供の頃、幼なじみのアルマが飼っていた小鳥のことを思い出す。
その小鳥はアルマによくなついていたのだが、ある日突然、死んでしまった。
どうして死んでしまったのかわからず泣き出すアルマに、族長が、その小鳥は病気だったのだろうと教えてくれた。
小鳥のようにか弱い生き物は、敵から身を守るために、病気を隠すのだと――だから、こちらが気づいてあげなくてはいけないと教えられた。
とはいえ、それは小鳥の話である。キュカは頭をかきながら、
「あー、まったくわかんねーな。なんでそこまで我慢しちまうんだ? 小鳥じゃあるまいし」
「それよりお医者さんであります! 早くお医者さんに診せないと!」
テケリが今にも泣きそうな顔で訴える。
むろんそんなことわかっているが、問題は、
「――ダメだ。何もない」
ジェレミアの言葉に、キュカも床に広げられた地図をのぞき込む。たしかにこの周辺はジャドの町以外、何もない。
教会の一件でジャドの町はケガ人であふれ、今ごろ医者は手一杯だろう。そんな所に連れて行った所で、散々待たされるのが目に見えている。
むろん、地図には載っていないだけで、小さな村くらいあるだろうが、小さな村では医者そのものがいないことが多い。いるかいないかわからない医者を捜して、村をひとつずつ回っていたのでは――
「――だったら、ノルンですにゃ!」
全員で地図とにらめっこをしていると、ニキータが地図の一点を指さす。ジャドから北の方角にある山だ。その近くには海がある。
「ノルンって、バストゥーク山のふもとにある町?」
「バストゥーク山?」
エリスの口から出たその名に、思わず反応する。
バストゥーク山と言えば、キュカの故郷・ローラントにある世界一高い山だ。ということは、その『ノルン』という町は、自分達の時代でいうローラントだろう。
「オイラ、ノルンには商品の仕入れで何度か行ったことがあるんですにゃ。その時に、腕のいい医者の話を聞いたことがありますにゃ!」
「腕のいい医者、ですか?」
怪訝な顔をするユリエルに、ニキータは早口に、
「にゃんでも、そのお医者さんを頼って遠くから来る人もいるらしいですにゃ。……正直な話、この辺りは貧しくて、ちゃんとした医学を学んだ医者は少にゃいですにゃ。レニさんのあの様子……この辺りの医者じゃ、手に負えにゃい可能性がありますにゃ」
「適当な医者に診せた所で、たらい回しにされるか、最悪、いい加減な治療をされるのがオチ……確かに、一理ありますね」
ユリエルの言葉に、ジェレミアもうなずき、
「急がば回れ、か。確かに、ノルンはここからも近い。その医者に当たってみるのが一番早いかもしれないな」
言いながら、ジャドからノルンまでの道のりを指でなぞる。
「とにかく急ごう。このまま、放っておくわけにはいかない」
ロジェに言われるまでもなく、ジェレミアは操舵席に移動し、ほどなく船が上昇を始める。
「キュゥ……」
そんな中、レニの毛布の中から顔を出したラビが、警戒した様子でロジェをにらみつけていた。
* * *
「お医者さんはまだでありますか?」
もう何度目になるか、テケリがさっきから同じ質問を繰り返す。
「まだかまだかっつっても、今は待つしかねーだろ。医者にだって都合があるんだ」
「う~……」
テケリもわかってはいるのだろうが、落ち着かないらしい。
近いと言っても、それは地図上での話だ。結局一晩かかってしまい、ノルンの町に入った頃には夜が明けていた。
ニキータが言っていた医者はこの町では有名らしく、適当な通行人に聞いたらすぐに診療所を教えてくれた。
大勢で行っても仕方がないので、ジェレミアが一人で呼びに行き、自分達は宿で待つことにしたのだが――確かに、少し遅いかもしれない。
「……こんなことなら、俺も一緒に行きゃよかったな」
ジェレミアが一人でいいと言ったので任せてしまったが、待つだけというのもけっこう辛い。そういえば、夕べはほとんど徹夜だったので、さすがに疲れてきた。
ふとテケリに目をやると、こちらも疲れているらしい。さっきから妙にうろうろしていると思ったら、単に眠いのをこらえているだけのようだ。
ロジェもテケリの様子に気づいたのか、
「……ちょっと休んだほうがよくないか? 兄さんは俺が看ておくから」
言いながら、レニの額の汗をぬぐってやろうと手を伸ばし――突然、布団の中からラビが飛び出す。
「――キィッ! キィィッ!」
「な、なんだ?」
全身の毛を逆立て、激しく威嚇するラビに、ロジェは思わず手を引っ込める。こんなに怒り狂うラビなど初めて見た。
「ラビきち、どうしたでありますか?」
驚いて眠気が飛んだのか、テケリがラビを抱き上げるものの、ラビはテケリの腕の中で激しく暴れ回り、今にもロジェに噛みつきそうだ。
「なんだ? お前、なんかしたのか?」
「い、いや、別に何も……」
心当たりがないのか、ロジェも戸惑った様子で首を傾げる。
「……あー、ダメダメ。そのラビ、人の好き嫌い激しいから」
部屋に戻ってきたエリスが、もはやあきらめた顔で、手の甲の真新しい傷跡を見せる。そういえば夕べ、看病中にこのラビに噛まれて騒いでいた。
ふと、エリスが手にした花瓶に目がいく。
花瓶には、少ししおれた小さな白い花が生けられていた。
「おい、その花……」
「これ? コートニーとカートが摘んできた花よ。……あのままじゃかわいそうだし、持って来ちゃった」
言うと、窓際に花瓶を置く。
花と言うより雑草と言ってもよさそうだったが、ジャドでは数少ない花なのだろう。もしかすると、誰かに渡すためにわざわざ村の外まで探しに行っていたのかもしれない。
「――医者を連れてきたぞ!」
そこにジェレミアがようやく戻り、少し遅れて『医者』が入ってくる。
「……患者はどこ?」
『…………!?』
部屋にいた全員が、思わず一歩後ずさる。
現れた医者は、なぜか顔の下半分からつま先まで包帯まみれで、薬品のにおいをぷんぷん漂わせていた。包帯の隙間から、長い金髪と金色の瞳がかろうじて見えるだけで、年齢はわからない。一応女性のようではあるが。
「キイイィィィィィィィィィ!?」
怯えたラビが慌ててレニのベッドの中に逃げ込み、薬品臭に、エリスとニキータは無言で窓を全開にする。
ジェレミアは淡々と、
「この人が噂のテセニーゼ先生だ」
「私が来たからにはもう安心……クククッ……」
口まで包帯を巻いているせいか、くぐもった不気味な含み笑いをもらす。
レニに目をやると、意識がないはずなのに、一瞬、頬が引きつったような――そんな気がした。
キュカはジェレミアの隣に立つと、小声で、
「なあ……本当にこの人なのか?」
「……間違いない。町の人に確認したら、容貌が一致した」
「……まあ、他に同じ容貌の人もいないわな」
妙に納得する。
テセニーゼのその姿に、さすがのユリエルも不安そうに、
「……あの。ケガでもしてらっしゃるんですか?」
自分の治療は出来ないのだろうか……
テセニーゼは、妙に目立つ目をギョロリとユリエルに向け、
「ケガならまだマシ……そして余計なことは、知らないほうがもっとマシ……」
「そ、そうですね……」
後ずさりながら、「ではお願いします」と、暗に『さっさと用事済ませて帰ってくれ』と言わんばかりに促す。
レニの側にいたロジェは、診察を拒否するべきか任せるべきか、一瞬迷ったようだが――結局、
「た……頼みます……」
引きつった声で、任せる。
テセニーゼは、持っていた鞄を机の上に置きながら、ぽつりと、
「大勢いると、気が散る……」
「――では、我々はこの辺で。診察が終わったら呼んでください」
すかさず、ユリエルが部屋を後にし、ジェレミアとエリス、テケリ、ニキータ、あんなにレニの側から離れなかったラビまでもが、そそくさと部屋を出て行く。(※テセニーゼの薬品臭にギブアップした)
キュカも部屋を出ようとして――がしっ! と、ロジェに腕を捕まれる。
「…………」
「…………」
ロジェの、必死でなにかを訴える目に、キュカはため息をつくと、
「わかった……俺も残るから……」
その言葉に、ロジェの表情がぱぁっ、と、明るくなる。確かに、一人で相手するには不安要素が多い。
テセニーゼはテセニーゼで、すでに診察を始めており、勝手にレニの服を脱がせて聴診器で心音を確認し――
「ふむ……心拍数が異様に早い……まあ、私が初めて診察する患者はみんなそうだが……」
ブツブツつぶやきながら、診察を進める。
その光景を眺めながら、
「すげーな……意識のない相手を怯えさせてるぞ」
「シッ。聞こえる」
二人が見守る中、テセニーゼはマイペースに診察を続け――
ほどなくして、部屋の外で待っていたユリエル達を呼んだ。
「……病名がわかった」
カルテになにか書き込みながら、彼女はキッパリと、
「ただの風邪だ」
『どこがだ!?』
全員、まったく同じタイミングで怒鳴る。
テセニーゼは無表情に、いや、表情があってもわからないが、とにかく淡々と、
「……冗談だ。まったく、やっかいなことになったな」
「やっかい?」
「ジャドから来たと言っていたな?」
こちらがうなずくと、彼女はレニの服をめくって、右肩を見せる。
「うっ……」
誰かが小さくうめく。
傷はエリスのヒールライトでふさがったはずなのだが、右肩の一部が青く変色し、不気味な黒い模様が浮かび上がっていた。
「にゃ、にゃんですかこれ? 昨日着替えさせた時は、こんにゃの……」
ニキータが戸惑った様子でテセニーゼに目をやると、彼女はレニの服を直しながら、
「高熱も問題だが、この肩の模様……あの辺りは十年前の戦の際、異形の魔物が放たれた」
「異形の魔物って、あのタナトスっていう黒い影みたいな?」
ロジェの言葉に、テセニーゼはため息をつき、
「やはりそうか。もう、この症状の患者を診ることはないと思っていたのだが……」
「タナトスの爪にやられたのですが、もしやそのせいですか?」
「単に傷つけられただけなら、ここまでひどくはならない」
テセニーゼはユリエルをにらみつけ――今度は、ロジェに目をやると、
「タナトスの爪には毒がある。その毒にやられたのは確かだろうが、ここまで悪化したのは、他にも原因があると思うが?」
「…………」
テセニーゼの言葉に、ロジェは無言のまま、床をにらみつける。
「……レニさん、顔色隠すためにフードかぶってたんですにゃ。食べる量も極端に減ってましたし……」
この中では一番に気づいたニキータが、ぽつりとつぶやく。
元々具合が悪かった所に、タナトスの毒ではひとたまりもない。むしろ、そんな体で走り回っていたことに驚愕する。
「それはともかく、治るのか?」
しびれを切らしたジェレミアの問いかけに、テセニーゼはぽつりと、
「……一応、薬の材料はそろっている」
「ホントか!? 良かった……」
安堵の表情を浮かべるロジェに、テセニーゼは鞄の中から、次々と怪しい小瓶や袋を取り出し――
「――む?」
ぴたりと、その動きが止まる。
「どうしたでありますか?」
「…………。ない……」
『え?』
嫌な予感に、全員凍り付く。
「そうか……昨日の患者に使ったのが最後だった……」
「な、なんか、材料が足りないのか?」
ロジェが不安げに聞くと、テセニーゼはくるりと振り返り、
「……回虫ププ。それが必要なのだが……あいにく、在庫がない」
「かいちゅーって……虫でありますか?」
「え~? 虫が薬になるの?」
きょとんとするテケリと、嫌そうな顔をするエリスに、ユリエルが、
「それなら聞いたことがあります。たしか、バジリスクやプチドラゴンの腹の中に寄生している虫がいるとか……」
ユリエルの言葉に、テセニーゼはうなずき、
「万病に効く薬には、必ずと言っていいほど使われる。私の治療には欠かせないものだ」
「じゃあ、それを持ってくればいいんだな? いつもどこで調達しているんだ?」
ロジェの言葉に、テセニーゼは眉間にシワを寄せ、
「……いつもは、商人を通じて入手していたのだが……元々が稀少な虫。最近はマナの教団にほとんど持って行かれてしまって、私のような個人医の元まで回ってこないのだ」
「ここでも教団、か……」
ジェレミアがため息混じりにつぶやく。
「てぇことは、教団に頼めってことか?」
「……背に腹は代えられませんね」
確かにユリエルの言う通りだが、テセニーゼは首を横に振り、
「教団のことだ。薬などよこさず、むしろ患者を自分達によこせと言ってくるはずだ」
「なに?」
ジェレミアが聞き返すと、テセニーゼは忌々しげに、
「まったく、宗教をやっている連中は宗教だけやっていればいいものを……この所、患者は皆教団に持って行かれ、商売あがったりだ。そういえば、光の主教が近々来るらしい」
「アナイス……主教がこの町に来るのか!?」
驚くロジェに、彼女はひとつうなずき、
「そう聞いた。……回虫ププがない以上、この患者は私の手には負えない。教団に診てもらうといいだろう」
言うと――机の上の荷物を鞄に戻し始める。
「ちょ、ちょっと待て! それはマズイ!」
帰ろうとするテセニーゼを、キュカが慌てて止める。
教団に助けを求めると言っても、実際にいるのは事情を知らないただの僧侶だ。おそらく、こころよく助けてくれるだろう。
しかし――もし、その間にアナイスが来たらどうなるか……
「……やっぱり、俺達でなんとかするしかない」
ロジェが、苦渋に満ちた顔で決断する。
「……そうか」
テセニーゼは、あえて深くは追求せず、机の上に今度は別の薬品を出すと、
「では、急ぎたまえ。衰弱が激しくなっている。今夜が峠だ」
「…………!」
ジャドで倒れた時から、ずいぶん時間が経っている。テセニーゼの言う通り、高熱がこれ以上長引けば、力尽きるのは時間の問題だ。
「バストゥーク山の北側に、バジリスクの群れがいる。片っ端から退治して、腹の中を調べるんだ。白くて長い虫だから、すぐにわかる」
「……わかった。必ず持ってくる」
「――テケリも行くであります!」
うなずくロジェの隣で、すかさずテケリが手を挙げるが、
「ダメだ。お前が来た所で、足手まといだ。おとなしく看病でもしてろ」
ジェレミアがにらみつけるが、テケリは口をとがらせ、
「イヤであります! ここでじっとしていられないであります!」
その頃になって、テケリの両親は流行病で亡くなっていることを思い出す。
家族が衰弱して死んでいくのを見ているだけに、放っておけないのだろう。
とはいえ、
「……テケリ。じっとしていられないというのはわかりますが、事は急を要します。あなたがいては、かえって時間がかかります」
「イヤであります! テケリも行くであります! 連れてけであります~!」
ユリエルのもっともな言葉にも、テケリはしつこく食い下がり、服にしがみつく。ここまでしつこいテケリは初めてかもしれない。
さすがのユリエルも困り果てた様子で首を傾げ、全員、なんとか置いていく方法を考えていると、
「――あ、あにょぅ。それなら、オイラと一緒に行きますかにゃ?」
おずおずと、ニキータが口を開く。
「もしかすると、どこかの商店にププの在庫があるかもしれませんにゃ。顔なじみの人もいますし、オイラはそのツテを当たってみようと思うんですにゃ」
「なるほど……テケリ。それならどうだ?」
ロジェに聞かれ、テケリは少し考えていたようだが、
「――ラジャ! であります! テケリはニキータさんとお店を回るであります!」
ようやくユリエルから離れ、まっすぐ手を挙げる。
テケリが納得してくれた所で、ユリエルは気を取り直し、室内の顔ぶれを見渡すと、
「では、我々はバストゥーク山へ。テケリとニキータは商店を当たってください。あと――エリスは、看病に残ってくれますか?」
「へっ?」
ユリエルの指名に、エリスはきょとんとした顔で自分を指さし、
「わたし?」
「……全員出払うわけにもいかないだろう。消去法で考えても、お前しかいない」
「まあ……いいけど」
ジェレミアの言葉に納得したのか、素直にうなずく。
「決まったのならさっさと行け。時間がなくなるぞ」
テセニーゼは振り返りもせずに言うと、瓶の中のなんとも怪しい色の液体を、注射器で吸い上げた。