8話 風の孤児 - 1/2

「……で、大人様は、一体いつになったらお帰りくださるのでしょうか?」
「あんたも大概しつこいわね!」
 ようやく思い出したのは、マタンゴ王国へと続く岩山に近付いた頃だった。
「第一、私はあんたについて来たわけじゃないの。チビちゃんが心配だからついて来てあげた・・・の。子供に何かあったら、大人の責任ですから」
「その理屈で行くと、僕に何かあった時はプリムが責任取ってくれるわけ?」
「取ってあげるわよー。あんた大人ぶってるけど、自分で思ってるよりガキっぽいわよ。肝心な時にドジ踏んで、危なっかしいのよね」
「そーですか……」
 『責任』ってなんだ。『ごめーん☆』で済ますことが『責任を取る』ことだとでも思ってるのか?
 なんだか馬鹿馬鹿しくなってきた。
 どのみちこんなところまで来たら、一人で帰らせるのも危険だ。もはや白旗を揚げるしかなかった。
「ねえちゃんは、ディラックのにーちゃん達助けたらどうすんだ?」
「え? そりゃあ、一度パンドーラに帰って、それから……」
 ポポイの問いに、プリムは恥ずかしそうに頬を赤く染め、
「結婚?」
「反対されてんでしょ?」
「関係ないわよ! もう、あんなパパ知らない! どこか遠い所で、二人で暮らすの!」
「ディラックさんに、『私のために家族も仕事も全部捨てろ』って言うんだ? ヤな女」
「そっ……!?」
「プリムのパパがその気になれば、ディラックさんを誘拐犯として指名手配も出来るよね? あーあ、プリムのせいで前科持ちかー」
「――言わない! そんなこと言わない! なに本気にしてんのかしらねーこの子はー! ホホホホホ!」
 顔を真っ赤にして、裏返った声で笑い飛ばす。そもそもディラックが、プリムと結婚まで考えているかどうかだってわからないのに、都合のいいことだ。
「なーんかよくわかんねーけど……親とケンカしてんなら、なかなおりしたほうがいいと思うぞ」
 なんとなく、親子関係が悪いことだけは伝わったらしい。ポポイが口を挟む。
「ドワーフのじっちゃんに聞いたぞ。『ケッコン』って、『いっしょになかよくくらしましょう』ってことだろ? なのにケンカしてんの、ヘンだぞ」
「そうそう。自分の魅力、わざわざ捨てることないよ」
「え?」
 プリムは驚いた顔をし――何かを期待するように小首を傾げ、
「私の魅力って、なに?」
「パパの財力」
「…………」

「っつ~……」
「なー、もうちょっと仲良くしたらどうだ?」
 川の水で、引っぱたかれた頬を冷やすついでに顔を洗う。しばらく痛みは引きそうにない。
 手のひらで水をすくいながら、
「こっちに我慢しろって?」
「そーいうわけじゃないけどよ。オーエンしてやるとかさ」
「人の恋路に、なんで首突っ込まなきゃならないんだよ」
 そもそも、一緒にいる理由がわからない。
 確かにパンドーラでディラックの救出を手伝ったが、それだって成り行きだ。まさかこんなに長引くとは思っていなかった。
「でもさ、いっしょにいくくらいいーじゃん。アンちゃんだって助けてもらえるだろ?」
「……嫌いなんだよ。人を巻き込むの」
 濡れた顔を上げ、用意しておいた布で顔を拭く。
 この先、何が起こるかわからない。
 これまでだってそうだ。たまたま運良く助かっただけに過ぎない。
 自分と一緒にいて、次はどんな災いが降り注ぐのか。想像もつかない。
『――だからそうやって、人から遠ざかるのか?』
「別にそんなわけじゃ――」
 バンダナを巻きながら顔を上げると、水面に透けた人が立っていた。

 …………

『ギャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!』
「――なに!? どうしたの!?」
 悲鳴に驚いたのか、木陰で休んでいたプリムが槍を抱えて飛び出してくる。
「ルカ様!?」
「お、お、おどろかせんなよ! 出てくるなら出てくるって言え!」
 思わずポポイと抱き合っていたことに気づき、下ろしながら、
「ところで今、人の心読みませんでした?」
『お前達、マンダーラへ行け』
「こんな人ばっか……」
 完全にスルーされ、頭を抱える。
「マンダーラ? どこ?」
「たしか……寺院で有名なとこですよね?」
 ルカはうなずくと、
『そう。マンテン山の中腹にある街じゃ。そのさらに上へ行くと、賢者ジャッハが住まうほこらがある』
「おー、『ケンジャ』か! ……『ケンジャ』って、なんだ?」
「なんかとりあえず色々知ってて偉そうな人。で、その人がどうしたんです?」
 雑な説明でポポイを流し、話を続ける。
『修行じゃ。賢者ジャッハに、鍛えてもらえ』
「はい?」
 単刀直入すぎて、逆にわけがわからない。
 『賢者』というからには、武人というより知識人だろう。鍛えてもらえとは?
「しゅぎょーって、そんなに強いのか? 『ケンジャ』ってのは」
『何も戦い方を教われというのではない。技術など、後からいくらでも追いつく』
「はあ……」
 追いつく前に死んだらどうすんだと思ったが、黙っておく。
『本当に必要なのは、真の勇気……小手先の技術だけでは、これから先の旅は厳しいものとなるじゃろう』
「すみません小手先で」
「すねるなよアンちゃん」
「そうよ。色々ピンチはあったけど、姑息とずる賢さと徹底したネガティブ思考で切り抜けてきたじゃない」
「…………」
 悪意しか感じないフォロー……むしろ完全なる悪意に、反論する気力すら湧かない。
『特にそこの二人。お前達は仲が悪すぎる。その調子では、これから先が思いやられるぞ』
「え? 仲良くも何も、この人、恋人のことしか頭にないですけど」
「『しか』って何よ『しか』って!?」
「第一、無関係だし」
『果たして本当にそうか?』
「え?」
 振り返ると、ルカは淡々と、
『マナの要塞が復活すれば、世界の危機じゃ。妖精だけでも、ましてや人間だけでもない。この世界のありとあらゆる命が危機にさらされるのじゃ。それでもまだ、無関係と言えるか?』
「そう言われましても……」
 今までプリムの事情に巻き込まれている気分だったのに、それではまるで、こちらの事情にプリムを巻き込めということではないか。
 冗談じゃない。
「うーん、なんだかよくわかんないけど……どっちにしろ、帝国と戦うんでしょ? あいつら、街をあんな風にした上、ディラックとパメラをさらったのよ! 絶対許せない! 私、協力するわよ!」
「はあ?」
 何言ってんだこの女。国家相手に、個人がどうこう出来るわけないだろう。
 しかしルカ達は、こんな剣が頼みの綱だと大真面目な顔で言う。
 たかが剣一本。こんな剣一本。マナの要塞の封印が守れたとしても、帝国との戦争が始まれば結局同じではないか。
 本当に、なんの意味があるんだ。
 あきらめにも似た心地で、ため息をつくと、
「……わかりました。マンダーラに行くのはいいですけど」
『なんじゃ』
「旅費は、」
『――何か見えた。武運を祈るぞ』
 一瞬でルカを形作っていた水が崩れ、川の流れと共に消える。
 さらさらと流れる川を呆然と眺めながら、
「さっ……最近の年寄りって……」
「……世の中、理不尽なことだらけね……」
「まーまー。これも『しゅぎょー』ってヤツなんだろ? ドンマイドンマイ!」
 何も考えてないポポイは無視して、目についた石を拾うと、ルカがいた辺り目がけて思い切り投げつけた。

「ねー、まだなの? むしろ今、どこにいるのよ?」
「……プリム、一人だと速攻で遭難しそうだよね」
 道に関しては完全に人任せ。
 まあ、地図の読み方など知ってるわけがないのだから仕方ないが、これほど一緒にいて心細い同行人も珍しい。
 とりあえず地図を見せながら、
「この辺りが、さっきルカ様が出てきた川。そこから川沿いに歩いて、この岩山がさっき見えたから、今いるのはこの辺りかな」
「ふーん……」
 懇切丁寧に説明したつもりだが、どうやら学ぶ気はなさそうだ。
「……興味ないなら、無理に聞かなくていいよ」
「そーじゃなくて。私が知りたいのは『いつつくのか』ってことなんだけど」
「だったら最初からそう聞いてよ!」
 聞かれたから答えたのに、そもそもの質問の仕方がおかしいだけだった。
 ひとまず深呼吸をして怒りを鎮めながら、
「……目的地までだいぶ近付いたのは確かだから。トラブルがなければ、今日の夕方か、もしくは明日になるか……」
「今日!? 今日には着くのね!?」
「『トラブルがなければ』だよ」
 また都合のいいところしか聞いてない。
 昨日だって、クロウラー巨大芋虫の群れにキャーキャー騒いで逃げて迷子になったのに。大人ぶっといて、結局自分がトラブルを起こしているではないか。

 ――ばさっ。

 羽音がした。
 顔を上げると、木々の隙間から、巨大な白い影が横切って行くのが見えた。
「あれって……こないだ見た」
 四枚の翼を生やしていた。
 しかし、なにがが違う。
「なんか白かったわよ」
「まさか白竜!?」
 大森林で見たものとそっくりな、しかし色だけが違う白い巨体が、頭上を旋回している。
「すっげー! じっちゃんの言ったとおりだ!」
「うん……でも、なんか……」
 様子がおかしい。
 飛び方が、ふらふらしている。
 頭上から、白い大きな羽毛が落ちてきた。
「え?」
 赤い色がついている。
 触れると、濡れていた。元からの色ではない。
「追うぞ!」
「え?」
 二人の返事を待たず、飛び去った方角へと駆け出した。

「こっちで合ってるの?」
「たしかこの辺だったと思うけど……」
 言いつつも、急に不安になる。
 白竜を追ってたどり着いたのは、巨大な渓谷だった。
 谷間を川が流れ、その川に沿って進む。見上げると、岩の切れ目から空が見えた。
「ねえ、大丈夫なの? 先にマタンゴ王国に行ったほうが良くない?」
「そうなんだけど……」
 さっき、羽毛に触れた指を見る。赤く汚れていた。
「――なんか聞こえた」
「え?」
 ポポイの言葉に耳を澄ませると、水の流れる音に混じって、遠くから、鳴き声のような――悲鳴のような声が聞こえた。
 嫌な予感がする。
「あ、ちょっと待ってよ!」
 二人がついてくるのを気配で確認しながら進むと、鬱蒼とした森林が現れた。渓谷を抜けたようだ。

 ――シュー……

「え?」
 空気が抜けるような、奇妙な音がする。
 確認するより先に、体が動いた。後ろに飛び退くと、すぐ目の前を、緑の何かが通り過ぎる。
「へ?」
「――ギャーーーーーーーーーーーーー!」
「なんだ!? ヘビか!?」
 追いついた二人の悲鳴に、ようやく目の前に現れたものの正体に気づく。
 蛇だった。それも、人など平気で丸呑み出来るくらい、巨大な。
 こちらに気づいた蛇が、舌を出しながら振り返る。
「まさかこれ……グレートボア!?」
 腹は暗いオレンジ色、背中は緑の鱗に覆われた、蛇のモンスターだ。蛇のくせに眉毛が生えているように見えるが、鱗が発達して伸びたものだと、図鑑で読んだことがある。
 その図鑑には、育つとかなり大きくなるとも書いてあったが……ここまで大きくなるなんて聞いたことがない。
 グレートボアが鎌首をもたげ、頸部を広げる。その広げた幅からして、グレートオックスと同じくらいの太さがある。もしかすると、人どころかグレートオックスだって丸呑み出来るのでは?
 文字通り『怪物』だった。
「気をつけて! 毒持ってるから!」
「毒があってもなくても、あんなのに噛まれたらひとたまりもないわよ!」
 ポポイの首根っこをつかみ、全力ダッシュで来た道を引き返す。
「追ってくんぞ!」
 振り返ると、獲物と認識したのか体をうねらせ追ってくる。
 よく見ると、口の周りが赤く汚れていた。
「――――!」
 脳裏に、さっき見た白竜がよぎる。
「ポポイ! 動き止められる!?」
「へ?」
 地面に下ろすと、一瞬、きょとんとしていたが、
「――おう! まかせろ!」
 杖を掲げると、すぐ横を流れる川の水が天に向かって噴き出し、大量の氷の塊となって蛇の頭めがけて降り注ぐ。冷気で白い煙が辺りに充満し、視界が悪くなった。
 煙が晴れると、蛇は氷の山に頭が埋もれ、ぐったりしていた。
 動きが止まった蛇に、プリムは目を輝かせ、
「すごーい!」
「どーだ! さっすがオイラ! いやー、やっぱ天才は――」
「こっち! 急いで!」
 すぐさまポポイを抱えると、蛇の横をすり抜けて渓谷の向こうの森へ走る。喜んでいる場合ではない。
「オイコラ! せっかくやっつけてやったってのに、なにそんな急いでんだ!」
 ポポイの苦情は無視して、恐らく蛇が通ってきたであろう道を進む。植物や木が折れ、わかりやすい。
「あ? なんだこのニオイ」
 鼻が利くのか、ポポイが不快そうに顔を歪める。
 血の臭いだ。
「ね、ねえ……なんかいない?」
 木々の向こうから、かすかな息づかいが聞こえる。
 恐る恐るのぞき込むと、巨大な白いものが見えた。
「……白竜?」
「まさか、さっきの!?」
 近くで見ると、かなりの大きさだった。
 全身が白い体毛で覆われ、四枚の白い翼は、先に向かって緑、青のグラデーションになっている。
 しかし今、目の前にいる白竜は、足や首元が血で赤く染まり、翼の一枚は明らかにおかしな方角にねじ曲がっていた。青い目はうつろで、荒い呼吸を繰り返している。
 もしかすると、毒にやられているのかもしれない。明らかに、衰弱している。
「しっかり――」
「プリム!」
 嫌な予感に、駆け寄ろうとしたプリムの腕をつかみ、引き寄せる。
 次の瞬間。白竜が口を開き、火を吐いた。
「ギャーーーーーーーーーーーーーーー!」
 驚いたポポイが悲鳴を上げる。
 火が放たれた方角に振り返ると、もう復活したのか、さっきの大蛇が炎の中に頭から突っ込んでいるのが見えた。
「――――!」
 怖がる余裕も暇もない。剣を抜くと、炎と併走して駆け出す。
 炎が途切れる。蛇の顔が、目の前に現れた。
 蛇が口を開けるより先に、鼻柱を思い切り踏みつけると、一気に頭の上に飛び乗り――首の後ろ目がけて、思い切り剣を突き刺した。