「あの……『貨物室』って言ってなかった?」
セルゲイに『仕事場』として案内されたのは、なぜか機関室だった。
船の仕組みはよく知らないが、さすがタスマニカの軍艦。計器類やよくわからない巨大な機械が音を立てて動き、蒸気を上げている。空調の効き目が機械の熱に負け、立っているだけで汗ばんでくる。
何人かが計器類を監視し、機材のチェックをしていたが――どう見てもタスマニカ兵ではない。現地の一般人だ。
ひとまず手帳に記録を取りながら、
「こんなの、素人がやっていいの?」
「いいわけないだろ。『異常があったら知らせろ』ってだけ言って、どういう状態が『異常』なのかすら教えねぇ。機材の修理も俺らにさせてよ」
「ちょっと! それでもし、砂漠のど真ん中で船が故障ってことになったらどうすんのよ!?」
「俺らのせいにするんだろーよ。まったく、自分達の命にも関わるって、わかんねーのかね?」
青ざめるプリムに、セルゲイは投げやりに答える。
「なにしろ上司があれだからな。兵士は兵士で、基礎訓練を終えた新兵ばかりで、頼りねーし。俺らがしっかりするしかない」
「新兵?」
たしかに、見かける兵士は若いのが多い気はしていた。
「提督のヤツ、たぶんモリエールのためにそうしたんだろうな。階級もなんもない新兵なら、まだガキのモリエールが上司でも、昇進のために媚びへつらうだろうって」
「最っ低……」
「あー……」
プリムが嫌悪を露わに吐き捨て、こちらも手帳にペンを走らせる。たしかにベテラン兵があんな子供に命令されるなど、プライドが許さないだろう。
もしかするとこのサンドシップというヤツは、モリエールのために用意されたものなのかもしれない。だから全権を譲ったのだ。
「あ、あの、船の仕事って、どんなことするの?」
「なんでもさ」
セルゲイは指折り数えながら、
「荷物の移動や積み卸しに、掃除に船のメンテ、見張りだろ。それからここの計器類のチェックに船の中に入り込んだモンスターも駆除して、それから……」
「え? 見張りとかモンスター退治とか、兵士の仕事じゃないの?」
「言っただろ。腐ってるって」
「任せちゃいけないことまで押しつけて、自分達は遊んでるってこと!?」
「そのくせ、俺達よりはるかに給料いいんだぜ。笑っちまうよ」
肩をすくめて笑い出す。
「モンスター退治って、武器はどうするのよ?」
兵士以外の人間は、武器を没収されているはず。セルゲイはへらへら笑いながら、
「その辺にある棒きれや石ぶつけて追っ払ったり、空箱やタルをかぶせて閉じ込めたり、と。なんとかなるもんだな」
「あー……」
ある意味、タフというかなんというか。
月の神殿に送ってもらうどころではない。とっとと逃げよう。そして、ジェマにチクろう。
音がうるさいのと暑いのとで、いったん廊下に出ると、灰色のもっふりしたものが前方を横切る。
「あら、猫ちゃん」
体の上半分が灰色の、毛の長い猫だった。
目つきの悪い猫はちらりとこちらを見たが、あっという間にどこかへ走り去る。
「ねー、あの猫は?」
「ああ、カールだよ。モリエールが本国から連れてきやがったんだ」
「モリエールが?」
ネズミ捕りに、倉庫や船に猫を置くという話を聞いたことはあるが、それにしては――
「ずいぶんお高そうな猫だけど」
「おおかた、膝に乗せてふんぞり返りたかったんじゃねーの? 来た時はまだ子猫だったんだけどな。モリエールのヤツ、なつかないし見てるだけで暑苦しいって逆ギレして、自分の部屋から放り出してほったらかしだ。かわいそうに」
「無責任な……」
猫にとっては迷惑な話だ。そりゃあなつきもしないだろう。
「でもまあ、モリエールなんかより仕事出来るのは確かだぜ。ネズミ被害の話は聞かないし、こないだなんてデススコーピオン仕留めて、食堂のおばちゃんとこに持ってきたらしいからな」
「化け猫じゃん……」
ひとまず『猫のほうが有能』と手帳に記録する。
「――あら?」
プリムが、急に辺りを見回す。
「どうしたの?」
「チビちゃんは?」
いつからいなかったのだろうか。
辺りを見渡すと、ポポイの姿が影も形も消えていた。
* * *
「おい! その猫はオレの猫だぞ! なに自分の猫みたいに――」
「おだまり! 『自分の猫だ』って主張するのは、飼い主の義務を果たしてからにしな!」
文句を言ってきたモリエールに、お玉を突きつけて黙らせる。
相手は一瞬ひるんだものの、すぐに、
「お、お前! なんだその口の利き方は! オレを誰だと思ってる!?」
「知るかボケェ! お前こそアタシを誰だと思ってるんだい! お前らが食ってるもん、ぜーーーーーーんぶアタシらが作ってやってるんだよ! あんたがどこのどいつか知らないが、厨房じゃアタシがルールだ! 逆らうならメシ抜きにするよ! それとも、何入ってるかわかんないメシ食うかい!?」
「うぐっ……」
こんな船の上では食事くらいしか楽しみがないらしい。以前の調理担当に逃げられた時に相当身に染みたようで、下唇を噛む。
「第一、この船がちゃんと動いてメシにありつけるのは、カールちゃんがネズミ退治してくれてるからだろーが! こんな砂漠の船の中、たった一匹で……なんてけなげな子なんだい!」
「けなげ……?」
当のカールはおやつを食べ終え、毛繕いをしながら、ふてぶてしく鼻を鳴らしていた。
「か……勝手にしろ!」
「言われなくても勝手にしますよ~」
背を向け、そそくさと退散するモリエールに舌を出す。
その姿が消えると、
「――さすがオカシラ! かっちょい~! でやんす!」
「あいつ、涙目になっていたので、あーる!」
「ハン。ガキが、このスコーピオン様に偉そうな口利くからだよ」
胸を張り、紫の色眼鏡を軽く押し上げる。
船内の食堂で、三人ともサソリマーク入りの真っ白な割烹着と三角巾を身につけ、なぜかおそろいの色眼鏡装着という、調理担当と呼ぶには異様な格好をしていた。
そして、急に我に返ると、
「……ところでオカシラ。一体、いつまでこの船で働くでやんすか? 悪評聞いた感じ、バイト代をちゃんと払ってくれるかどうかも怪しいでやんす」
「南国化計画も、そろそろ次の段階に進めたいところ、で、あーる」
「フン、アタシだって、無駄にメシ作ってただけじゃないよ」
ポケットから畳んだ紙を取り出すと、食堂の隅っこに円陣を組んでしゃがみ込み、
「ごらん。ここが厨房、ここが船員の寝室、そしてこの辺がさっきのチビガキや提督とやらの部屋だ。そしてここに収納部屋がある」
広げた図面を指でなぞりながら説明する。
「この収納部屋をごらん。通常だとチビガキの部屋からしか行けないが……調べたところ、この部屋の天井裏を通れば、両名の部屋はもちろん、収納部屋にも潜入可能!」
「提督達の収納部屋ということは……」
「金目のものがゴロゴロ、で、あーる!」
「ホホホホホ! 『食堂の美人お姉さん』のふりして兵士達と散々おしゃべりしまくった甲斐ががあったよ!」
「あとは船が街に近づいたところで!」
「ごっそりいただいておさらば、で、あーる!」
「そして南国化計画へ! ふはははははは! さすがはアタシ! 怖い! この天才的な頭脳が怖い!」
「クー! さっすがオカシラ! ワルでやんす!」
「カッチョイー! ので、あーる!」
「ははははは! もっと言えお前ら!」
――ガタン。
『ひぃ!?』
物音に、一斉にすくみ上がる。
振り返るが、何もない――いや、
「誰だい!?」
「あん?」
カウンター越し厨房をのぞき込むと、コンロの上の寸胴鍋の蓋が開いている。
慌てて厨房の中に飛び込むと、どこかで見たような赤毛の小さな子供が、夕食の豆のトマトスープを口いっぱいかきこんでいた。
「って、まさかこの前の……!?」
「あ? なー、これ、もうないのか? おかわりー」
「は?」
食べることに夢中で、話は聞いていなかったらしい。ふと鍋の中を見ると、縁までスープでいっぱいだったはずが、鍋底が見えていた。
「――くぉらこのクソガキ! これはどういうことだい!?」
「味見だよ味見。おおげさだなぁ」
「『味見』で全部食うバカがどこにいるってんだい!? って、ああ!」
瓶や缶が、床に散乱していることに気づく。
缶は自力で開けられなかったのかそのまま転がっていたが、瓶はどれもこれも空っぽだ。
へたり込み、瓶を拾うと、
「こっちは昨日作り置きしたジャム……これは明日使おうと思ってたピクルス……」
「ど、どうなってるでやんすか……」
「どう考えても、自分の体の大きさより食っているので、あーる……」
見事に肉を避け、果物や野菜を中心に食い散らかされた厨房の惨状に、呆然とする。
子供はこっちのことなどお構いなしに、床の隅に置かれた壺に手を伸ばし、
「なー。これなんだ?」
「――それは!」
我に返ると、猛スピードで床を這いずって、お札で封をされた壺を取り上げる。
「なんでもかんでも開けようとするんじゃないよ! 『開封厳禁』って書いてあんだろ!」
「ンなもん読めねーよ。つけものか?」
「これは……タレ! 秘伝のタレだ!」
「タレ?」
「そう! 空気に触れないよう時間をかけて寝かせることで、ミラクルな味になるんだよ!」
「そんなすげーのか?」
調味料ならあきらめると思ったが、言い方がまずかった。逆に目を輝かせ、
「なー、一口!」
「人の話を聞け! 二度と厨房に近づくな! あっち行け! お前なんかもうメシ抜きだ!」
「ええええええええええええ!?」
「――ポポイ!?」
騒ぎが聞こえたのか、やはりどこかで見た栗毛の少年が、血相を変えて厨房に飛び込んできた。
その瞬間――子供は目に涙を浮かべ、
「アンちゃ~ん! ひどいんだよこのおばちゃん! オイラ、ちょっと手伝おうと思ったのにメシ抜きって言うんだぜ!」
「おばっ……」
「あ! このガキんちょ!」
涙を流しながら訴えるが――厨房の惨状、そして何より汚れた口周りや服に、少年は半眼になって、
「へぇ……『味見』と称して食い散らかしたとか、そんなんじゃないんだ?」
「う……」
そして深くため息をつくと、
「なんて言うか……すみませんでした。二度とここには近づかないよう、きつく言っておきますから」
「お、おう」
「こ、今後は、しっかり見張るでやんす……」
素直に頭を下げられてしまうと、何も言い返せない。それよりも、気づかれるとまずい。目をそらしながら、速やかに立ち去ってくれることを祈る。
顔を上げ――少年は壺に視線を止めると、
「あの……その壺は?」
「へ? だ、だから! 秘伝のタレだってば!」
「は? はあ……」
不思議そうな顔をしていたが、すぐに、
「ポポイ! お前もおばさん達にちゃんと謝れ!」
「へーい。おばちゃん、ゴメーン☆」
「謝罪になってない! ほんとにすみませんでした! こいつはしばらくメシ抜きでいいですから! 失礼します!」
「ええ!? メシ抜きってなんだそりゃ――」
子供の首根っこをつかむと、逃げるように、というか、完全にダッシュで逃げる。
それを呆然と見送り――
「お……おば……おばっ……」
「ま、まあ、あのくらいの年頃の子から見れば……あ、いや、そういうわけでは」
「メ、メイク技術が見事で、変装がうまくいっているということなので、あーる……」
フォローになっていないフォローに立ち尽くし――
「アタシはまだ二十一だあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
やり場のない怒りの声が、狭い厨房にこだました。