「なんにもなかったわね」
「そーだね……どこ行っちゃったんだろ」
ぼやきながら、火の神殿の外に出る。
――火の種子を神殿に返してくれ。
サルタンで再会したジェマからの依頼で、種子を返しに火の神殿まで来たはいいものの。いるはずの火の精霊は見当たらなかった。
「もしかして、盗まれた種子を追ってどっか行っちゃったのかしら?」
「うーん、でも、種子を守るのが精霊の仕事でしょ? 盗まれていなくなったというより……いなくなってから盗まれたとか?」
「いなくなるって、なんでだよ?」
「いや、そこまでは知らないけど……」
砂よけのマントを羽織り、地図を頼りに砂漠を歩く。ジェマの言っていた通り、どこを歩いても似たような光景だ。
ここに来るまでは、拍子抜けするほどスムーズだったというのに、急に暗雲が立ちこめてきた。
* * *
「サンドシップ?」
「砂漠を走る戦艦だ。カッカラ王国の武力では、帝国に太刀打ち出来ないからな」
マタンゴ王国を出発し、ジャドから船便でサルタンへ。
船がなかったりトラブルが起こったりしないか心配していたが、サルタンには驚くほどスムーズに到着した。そして、どういうわけか、サルタンの港でジェマが待っていた。
ひとまず近くのレストランで昼食を取りながら、
「サンドシップは、火の神殿と月の神殿の守り、そして帝国への牽制として配備されているのだが……」
「なにか問題が?」
ジェマは小さな布包みを取り出すと、テーブルの真ん中に広げる。
「それって……」
「火のマナの種子だ。ルカ様が、火の神殿の種子が持ち出されたことに気づいて、私に知らせてくれてな。取り返してきたところだ」
「ルカ様が? へー、ほんとに世界中見えるんだ……」
「と言っても、そこまで行く足がなければ意味がないがな。悪いが、これを神殿まで返してきて欲しい」
「まあ、構わないけど……」
子供のお使いだなと思いつつ、恐る恐る種子をつつく。
「どうした?」
「いや……」
曖昧にごまかす。なんとなく素手で触るのが怖いので、布越しに触れてみたが、なんともない。体が種子に慣れたのだろうか?
「それじゃあ私達がここに来るってことも、ルカ様が?」
「ああ。キミ達が一緒だというのもな」
すごいといえばすごいが、逆に怖い気もする。マンダーラではなく帝国に行くことも、すでに気づかれているのではないか?
「ところで、どうして種子が持ち出されたの? 全然守られてないってことになるけど」
「そうだ。持ち出したのがただの老人で、理由も、単に珍しい木を育てたかっただけだったからよかったものの……これがもし、帝国のしわざだったら?」
「ねーちゃん、これおかわりー!」
話についてこれないポポイが、店員に追加の注文をする。
「種子の傍には精霊がいるはずなのに、老人は、精霊は見なかったそうだ。精霊の身に、何かあったのかもしれない」
「サンドシップ、ちゃんと仕事してるの? こういう時のための備えでしょ?」
「だから気になっている。……予定では、数日中に補給のために都に立ち寄るはずだ。会えたら乗せてもらうといい」
「え? サンドシップに?」
「火の神殿は都の近くだが、月の神殿はサンドシップに乗せてもらうしかないぞ」
そう言うと、この辺り一帯の地図を出す。
「ここが火の神殿。月の神殿はこの辺りだな。途中に人里もないし、流砂もあって危険だ」
火の神殿を指さし、続けて砂漠の北を指さす。現在地からずいぶん離れている。
「じゃあ、今日は都まで行って、明日にでも火の神殿に種子を返して……あとは都でサンドシップが来るのを待てばいいんだ?」
「そうだ。聖剣の勇者のことなら船の大将にも伝わっているはずだから、この前渡した紋章を見せればいい」
「これを? なるほど……」
剣の鞘に吊したメダリオンを手に取る。たしかに向こうからすれば得体の知れない子供。身分証明出来るものがあるというのは、実に便利だ。
「それと、乗せてもらうついでに、船の様子を見てきてくれ」
「え?」
乗せてもらうだけじゃないのか?
ジェマは難しい顔で、
「船の大将であるメレリア提督は、昔はいくつもの功績を挙げた名将として有名なのだが、どうにも最近、悪い噂を聞く。……各地に駐屯中のタスマニカ軍の状況を上に報告するのも私の仕事だ。様子を見たいところだが、私が行っても取り繕ってやり過ごされるだけだ」
「それってつまり、僕なら向こうも油断してボロを出すだろうってこと?」
「……お前、ちょっとひねくれてるな」
「ひねくれもしますよ! ろくな大人がいないから!」
半ばヤケクソに叫ぶ。
ポトス村では養父やその友人くらいしかまともな大人はいなかったが、村の外はもっとひどい。振り返れば、ジェマもルカも、あっちへ行けこっちへ行けと言うだけ。援助らしい援助をしてくれたのは魔女とキノコだけというありさまだ。
「お前も大概だと思うがな。この前、多額の請求書が」
「サボテンって青臭くなくて意外とおいしいね」
「ねーちゃん、おかわりー! 今度はガーリックソース!」
ポポイが空の皿を振って追加注文する。
食事の感想に、なぜかジェマは一瞬顔を引きつらせたが、
「……私はこれから帝国に行って、それからタスマニカに戻るつもりだ」
「帝国?」
「帝国内部にも、皇帝に不満を持つ者がいる。そういった連中がレジスタンス活動をしていてな。帝国内の情報を集めてもらっているんだ」
「じゃあ、僕達にも味方してもらえるってこと?」
ジェマは怪訝な顔をして、
「ルカ様から聞いたか? お前はここでの用事が済んだらマンダーラへ行き、ジャッハ様に会うんだろう?」
「あ? オイラ達もテーコク――」
とっさに、ソースまみれのポポイの口を、ナプキンで拭くふりをしてふさぐ。
「うん?」
「あ、うん。ちゃんと聞いてる。マンダーラ。ちゃんと行くよ」
ポポイの口を乱暴に拭きながら、なんとかごまかす。
そう。今のところ、自分が帝国へ向かう用事はない。ないのだが――
――『行く』って言っちゃったもんなぁ……
脳裏に、あの時のプリムの笑顔がよぎる。
早く帰って欲しい一心で決めた帝国行きだが、やはりジェマに言ったら怒るだろうか?
例えるなら、世界の危機とプリムのプライベートを天秤にかけたようなものだ。そして、プリムのプライベートを選んでしまった。
別に、後悔はしていない。ディラックとパメラを救出し、さっさと帰ってもらいたいのも事実だ。
「マンダーラって、どんな所なの? 大きな寺院があるって聞いたけど」
怪訝な顔をするジェマに、プリムが話題を変える。
「私も、最後に行ったのはずいぶん昔だ。あの国は、癒やしの寺院の初代司祭が、永久中立を宣言してから武力を放棄した国だ。国を守る僧兵も、基本的に拳法と魔法だけ。だから平和なイメージがあるな」
「それってほとんど丸腰ってこと? 敵が攻めてきたら?」
「そこがマンダーラのしたたかなところでな。あの国は、様々な国との貿易が盛んだ。もちろん帝国ともな。そうして外国と繋がりを持つことで、それぞれの国同士がにらみ合い、それが抑止力になっている」
「なるほど……」
自国の民を犠牲にせず、他国に守ってもらうというわけか。
「だが今の帝国に、そのやり方が通じるかどうか」
ジェマはお茶を一口飲むと、
「あの地には闇の神殿がある。今の帝国は、マナの種子の封印を解くためなら手段は選ばない。……パンドーラの二の舞にならなければいいが」
「カッカラ王国はタスマニカ軍が入ってるんでしょ? マンダーラには何もしないの?」
「武力は持たないし、持ち込ませない。一応、司祭には提案したらしいが、『武力で守れば武力で攻め込まれるだけ』と突っぱねられたそうだ」
「じゃあ、種子の封印は? あきらめるってこと?」
どんなに神殿の警備を強化したところで、タナトスみたいなヤツが相手なら、どんな屈強な僧兵でも勝てるとは思えない。
「マンダーラにはマンダーラの考えがあるということだ。タスマニカやパンドーラのように、表向いて敵対しているわけでもないし、帝国もそこまで無茶はしないと思うが……何はともあれ、まずは火の神殿だな」
気を取り直し、話を火の神殿に戻す。
「さっきも言ったが、この町の近くのオアシスに都がある。火の神殿はその近くだ。近いとはいえ、砂漠は目印が少ないから、道を外れるとあっという間に迷子になる。くれぐれも気をつけるんだぞ」
「うん」
「種子を神殿に戻し終えた頃にはサンドシップが来るだろう。『調査』なんて大げさに考えず、普段の様子を見てくるだけでいい。見たままを伝えてくれ」
「わかった。調べておくよ」
「と、ところで……」
「なに?」
ジェマは、ポポイに目をやり、
「コイツ、どれだけ食ったら気が済むんだ!?」
「ジェマ、ごちそうさま」
「ありがとうジェマ! 大人の貫禄よねー!」
「ねーちゃん、おかわりー!」
結局この後、ポポイはサボテンのステーキをさらに二枚追加しようとして――ジェマがキレるか、店が根を上げるかのどちらかになりそうだったので、ランチタイムは強制終了となった。