俺の名はファイ。学生だ。
世界は魔王の支配下に置かれ、戦いの時代が始まった――
そして終わった。
真の戦いはここから始まる。
武器屋が、次々と廃業したのだ。
平和な世に武器など不要。去っていく顧客。店じまいセールのチラシが貼られる武器屋。
頼みの綱の勇者は、テレビや雑誌の取材に忙しく、廃業に怯える庶民になど見向きもしなかった……
じいちゃんの代から武器屋を営んでいたうちの店も危機を迎えたけど、親父の機転で雑貨屋へと転身。危険な時代を生き抜いた。
その後生まれた俺は今、三代目として、学校で経済学を勉強中だ。やっぱ夢は大きく全国出店だよな!
そんなわけで勉学に勤しんでいたある日のこと。
事の発端は、一本の剣だった。
「なんだよ、この剣」
学校から帰ってくると、店のカウンターに巨大な剣が置かれていた。
幅のある青黒い刀身、短く太い銀の柄……
使いにくそうな剣だな。かと言って、飾るのも微妙だな。と思っていたら、
「あー、それねー。パパが仕入れ先から送ってきたのよ」
姉・ポーリィが、缶ジュース片手に顔を出す。
姉ちゃんは俺と同じ金髪碧眼で、セミロングの髪に軽くパーマをかけている。
親父は仕入れで留守がちなので、七歳年上の姉ちゃんがいつも店番をしているのだ。店名の入った赤いエプロン姿が、すっかり板に付いている。
姉ちゃんは手にした缶のフタを開けながら、
「勇者の剣のレプリカだって。最終装備の三個前あたりの」
「三個前かよ。あと、こんなとこに置いてちゃ危ないだろ」
「だって重いんだもん。あんたが帰ってきたら飾ってもらおうと思ってさー、準備しといたわよ」
姉ちゃんが指さした先を見ると、壁に、固定用のフックが取り付けられていた。
うちの店は、現在、家具やインテリア雑貨を取り扱っている。
しかし、剣や槍もインテリアとして需要があるので、昔のツテを使ってたまに入荷するのだ。この剣もそうだろう。
とは言え、
「勇者ブームは大昔に過ぎただろ。誰が買うんだよ」
「でもそれ、レプリカでも二十七万するそうよ」
「にっ……!?」
剣をつかもうとして、やめた。うちのどこにそんな金があったんだ!?
姉ちゃんはジュースの缶を左右に揺らしながら、
「だから丁重にねー。いつ勇者マニアがお買い上げになるかわかんないから」
「わ、わかった……」
俺は丁寧に剣を持ち上げると、壁にしっかり固定し、値札をつけた。
この剣が、あんなものを呼び寄せるとは知らずに。
* * *
今日は素晴らしい日だった。
席替えで、以前から気になっていたナッちゃんと隣の席になったのだ!
上機嫌で学校から帰宅すると、事件はすでに起こっていた。
店にいたのは姉ちゃん。そしてもう一人、白マントを羽織り、赤毛をツインテールにした女の子がいた。
年は俺と近そうだ。マントの下の服装にも見覚えがある。たしか、なんとかって魔法学校の制服だ。
その女の子と姉ちゃんが、口論している。
「――まったく話のわからない人ですね! 早くその剣を返して下さい!」
「ですから、おっしゃる意味がわかりません! この剣はれっきとした商品です!」
「いいですか? 世界の危機なんですよ。一刻も早く勇者様がこの聖剣を手にしなければ、世界が終わるんです!」
「だからこれはレプリカだっつーの!」
はぁ?
状況がわからなかったので、開きっぱなしのドアの影から様子をうかがう。
二人がもめているのはあの剣――そう、勇者の剣のレプリカの前だ。
しばらく会話を聞いてみるが、女の子は一方的に主張するだけだ。というか、会話になっていない?
そろそろ止めようと、店の中に一歩踏み込んだ次の瞬間、
――ガチャーン!
入り口すぐ横の窓が、割れた。
そして窓正面の棚に何かが激突。棚が、大きく傾く。
「へっ?」
突然のことに、悲鳴も出なかった。
倒れた棚が向かいの棚を、その棚がまた向かいの棚を倒していく。まるでドミノ倒しだ。
そして倒れ行く棚の先には――姉ちゃん。
「ねっ……姉ちゃん! 姉ちゃーん!」
我に返ると、慌てて姉ちゃんを捜す。
棚も商品も壊滅状態。ホコリが舞い、視界が悪い。
そんな中、
「……ファイ?」
「姉ちゃん!」
逃げて無事だったらしい。カウンターの影から、姉ちゃんが顔を出す。
「ファイ!」
姉ちゃんは俺の元へ駆け寄ると、
「帰ってたんならさっさと助けろ役立たず!」
「グフォッ!?」
いきなり横っ面をグーで殴られ、俺は壁まで吹っ飛んだ。
「一体何が……ってあーーーーーーーっ!」
今度はなんだと顔を上げる。
ホコリはずいぶん収まり、視界もよくなっていた。
そして、あるはずのものが、消えていた。
「剣が! あの子もいない!」
……その時の姉ちゃんの形相を、俺は今でも忘れられない。
とにかくあの女の子が、勇者の剣と共に消えていたのだ。
「あんのガキ! とっ捕まえて警察に突き出してやる!」
「あ、あの……」
姉ちゃんが店から飛び出そうとした瞬間、どこからか、か細い声が聞こえた。
姉ちゃんも足を止め、怪訝な顔でメチャクチャになった店内を見渡す。姉ちゃん以外、誰もいなかったと思うが……
二人で声の出所を探していると、再び、
「ス、スイマセン……ここです、ここ……タスケテ……」
割れた窓の近くだ。床には割れたガラスや棚から落ちた商品が散乱している。
その中に、頭に黄色い冠羽をはやした白いオウムが落ちていた。タヌキの置物の下敷きになっている。
「あれ?」
こんな鳥の模型あったかな? それにしてはずいぶんリアルな――
「スイマセン……タスケテください……」
鳥の黒いくちばしが、動いた。
「しゃべった!?」
「なにこれ本物!?」
そうして俺は、窓から突っ込んできたのがこの鳥だと悟ったのだった。
「スイマセンスイマセン本当に申し訳ありません!」
救出後、鳥の口から発せられたのは謝罪の言葉だった。
店を閉め、割れた窓も適当な板で塞ぎ、場所も事務所の来客用スペースに変えた。
テーブルを挟んだ向かいのソファには、さっきの鳥がちょこんと乗っている。
姉ちゃんは隣の俺に、小声で、
「ねー、鳥ってこんなにしゃべるの?」
「うーん、訓練次第で絵本も朗読するっていうし……」
「私は人間です!」
聞こえたのか、鳥は冠羽を広げて主張した。
「申し遅れました。私はジオ・バートルンと申します。こう見えても、バートルン魔法学校の創設者で、校長です……」
「オウムが?」
「キバタンです!」
俺の言葉に、オウム……もとい、キバタンは大声で反論する。って、立派なオウム目オウム科じゃねーか!
「と、とにかく元は人間です。馬鹿娘に魔法でこんな姿に……うぅっ……」
「娘? ひょっとしてさっきの……」
「はい。恥ずかしながら、私の一人娘のジアに間違いありません」
次の瞬間、
「てめぇが親かああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ! 娘にどういうしつけしてやがった! しかも校長!?」
「スイマセンスイマセン本当に申し訳ありませんだから首じめないでぐるぢぃじヌ……」
ぶち切れた姉ちゃんがテーブルに片足を乗せ、キバタンを絞め上げ始めた。
俺は慌てて、姉ちゃんとキバタンを引きはがすと、
「とっ、とにかく話を聞こう! 絞め上げるのはその後でも遅くないって!」
姉ちゃんをなだめ、話を促す。
キバタンはソファの隅っこでしばらくガタガタ震えていたが、少し落ち着くと、
「その……なんと言うか、娘には妄想癖と言うか……メルヘン? 入ってるなー、というところがありまして……」
話しにくい内容なのか、もしくは震えているせいか、なんとも歯切れが悪い。
「どこから話せばいいのか……あ、そうそう。私、若い頃、勇者の仲間の魔法使いだったんです」
「勇者の?」
勇者といえば、魔王退治の後時の人となり、雑誌にテレビと引っ張りダコだった人だ。
しかし俺が生まれた頃には『そういえばあの人、最近見ないわねー』『死んだんじゃない?』と、近所のおばちゃんが井戸端会議でたま~に話をする程度になったという。
今回のことと勇者に、何か関係が?
「あ、仲間と言っても、勇者さんが道に迷っていたところを、出口まで同行案内しただけなんですがね。ハハハ」
……関係はなさそうだ。
「……で? それがどうしたの……?」
「あ! いや、ここからなんですよ! 問題なのは!」
姉ちゃんが手の関節を鳴らし始めたので、キバタンは慌てて、
「妻は早くに亡くなり、そりゃもう私はジアをかわいがりました。それでさっきの話なんですが……昔、娘に『パパは勇者の仲間の魔法使いだった』とつまらぬ見栄を……」
『…………』
とりあえず仕草で続きを促すと、キバタンはボソボソと、
「今にして思うと、それが始まりだったと思います……『なりきり』って言うんですかね? 勇者一行の魔法使いになりきっちゃって……最初はごっこ遊びと思っていたんですが、年々妄想は激しくなり、見知らぬ人まで巻き込むようになっちゃって……」
だんだん、空気が重くなってきた。
「えーと……それで?」
「集めた勇者グッズの数も異常で……どこからそんなお金がと思っていたら、私の名前とクレジットカードを勝手に使っていたんです。入手ルートもヤホオクなどあの手この手で。カードもパソコンも取り上げたんですが、その後もグッズは増え続け……」
「まさか万引き!?」
「その……もしかすると、そうかも……」
キバタンの声が、どんどん小さくなる。
「と、ところで、人を鳥にするなんて、すごい魔法使いなんじゃないのか? ジアって子」
姉ちゃんが爆発しそうだったので、話をすり替える。
キバタンはうなずき、
「はい。親の欲目を差し引いても、娘の魔法は相当なものです。学校で危険な魔法は教えていないのですが、娘はそれが不満だったようで……学校をさぼっては私の書斎の本を読みあさり、攻撃的な魔法を習得し……今朝、私の古い手帳を読んでいるのを見つけたんです。金庫にしまっていたのですが、強引に開けたみたいで。厳しく叱りつけたら逆ギレして、手帳に記されていた魔法で私をこんな姿に……うっ……うぅっ……」
そして、とうとう泣き出した。
どうしてその行動力、能力を、別の場所で開花出来なかったのだろう。そんな切実な親の想いがひしひしと伝わってくる……
伝わってくるが、
「――で?」
姉ちゃんが、口を開いた。
「で? だから何?」
姉ちゃんはゆっくり立ち上がると、
「とりあえずおたくの娘さんが非常識な馬鹿娘で、親は親で管理意識に欠けた馬鹿親だということはわかりました。で? なんでうちがこんな目に遭わなきゃいけないの?」
「そっ、それは……申し訳ありません! 壊したものは全額弁償いたします!」
「当たり前よ! あと、あいつが盗んでいった剣、絶対返してもらうわよ! もしくは買い上げ!」
「もも、もちろんです! 盗んだものは必ずお返しします! た、ただ――」
「ただ、何よ?」
姉ちゃんの言葉に、キバタンはごにょごにょと、
「その……私、こんな姿ですし……元の姿に戻らないことには……」
「自分でなんとか出来ないの?」
「この姿では魔法が使えないんです……」
「じゃあ、あんたの学校の先生は?」
俺の提案にも、キバタンは首を横に振り、
「この魔法、少し特殊でして。ジアが持ち逃げした手帳がなければ、彼らにも難しいかと。ずいぶん昔のものなので、なんと書いたか私もよく覚えてないですし……」
「だったら早くしなさいよ」
「はい?」
姉ちゃんは高圧的に、
「あんたの娘。とっとと捕まえて、その危険な手帳取り返しなさいよ。あと、警察にも通報して――」
「――警察! 警察はどうかご勘弁を!」
『警察』という言葉に、キバタンは激しく反応した。
キバタンは両翼をついて、
「ど、どうかお願いです! 娘にはまだこれからの人生が! お金ならいくらでも払いますから!」
「その馬鹿娘のせいで、私の人生が終わるところだったのよ!? 窃盗に器物破損、父親を鳥に! 私利私欲の塊じゃない!」
「あれ? 器物破損はそいつじゃねーの?」
…………。
俺の素朴な疑問に、室内は静まりかえった。
姉ちゃんの中ではあの女の子が店を壊したことになっているようだが、俺の記憶が確かなら、棚が倒れたのはこのキバタンのせいだ。
やたら長い沈黙の末、
「とにかく一度私の家へ! どうせジアには他に行くアテなどありません。剣を飾りに、必ずグッズ部屋へ戻るはずです!」
「入り口開いてたよな? なんで窓から突っ込んだりしたんだ?」
「あんた行ってきてよ。私、警察に通報して、被害総額の計算もしなきゃなんないから」
「なあ、なんでなんだ?」
キバタンは逃げるようにソファから降り――着地に失敗・転倒したので、仕方なく俺が肩に乗せ、家へ向かうことにした。