6.順番
かつて、エルディア帝国は世界中から『自由』を奪ってきたという。だから世界に『自由』を奪われた。
そして世界は、この小さな島から『自由』を奪った。
この小さな島は、世界から『自由』を奪った。
だから今、『自由』を奪われている。
自分も散々奪ってきたのだから、奪われる時が来ただけだ。
すべて順番通りだ。
なにも変わらない。どうせ変わらないのなら、じたばたせずに『裁き』を受け入れればいいのだ。我が王のように。
そう覚悟を決めた矢先、彼が家まで訪ねてきた。
途端に、体が硬直し、震え上がった。
――おいおい、『覚悟』はどこ行った?
――わかっちゃいるが、怖いもんは怖いんだよ!
自分の中で、二つの声がせめぎ合う。
この前は若造相手にイキり散らしといて、情けないことこの上ない。
ああ、やはりこれこそが『自分』なのだ。今さら『かっこよく』はなれない。
「――おーい、サネスさん? いないのか?」
声が聞こえてきた。居留守を決め込むという甘い選択肢に流されそうになった瞬間、なぜか――本当になぜかはわからないが、いつか見た、並んで歩く巨人の大群が脳裏をよぎった。
この感じ、なんか前にもあったような――気がつくと、まるで背中を押されるように、ドアノブに手をかけ、開けていた。
開けた瞬間、刺される覚悟もしたが、
「――よう、サネスさん。鹿が罠にかかったんだ」
そう言って、彼がニコニコと差し出してきたのは鍋だった。
中身は鹿肉のシチューとのことで、一緒に食わないかと、そのまま食事をすることになった。
彼は、拍子抜けしているこちらに気づく様子もなく、
「その、この前は悪かったな。あんな話聞かせて……」
「あ、いや……聞いた俺が悪かったんだ」
内心、ビクビクしていた。一体いつ、こう聞かれるかと思っていたからだ。『あんたは昔、何やってた?』と。
しかしそんな不安はよそに、
「本当にごめんな。これまでずっとひとりで、友達もいねぇし……誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない」
温めなおしたシチューを器に入れ、テーブルに並べている間も、彼は何度も詫びの言葉を口にした。
次、彼に会ったら自分の正体を明かすつもりだったのが、完全にタイミングを失ってしまった。
もしや、このシチューに何か入っているのでは? とも思ったが、同じ鍋からよそったシチューを、彼は普通に食べている。
自分も一口食べてみるが、特におかしなことはなく、むしろうまい。煮込みすぎたのか、イモがすこし煮崩れているくらいだ。
もしかすると彼自身、シチューを煮込みながら、今日ここにくるかどうか悩んだのかもしれない。
「……あんた、料理うまいよな」
「勉強したんだよ。せっかく採れた野菜や肉を、マズい料理にしちゃ申し訳ないじゃん」
申し訳ない。
もったいないと思うことはあっても、そちらはあまり考えたことがなかった。
「昔は、料理なんてしたことなかったからさ。食えりゃいいやと思ってたんだ。でも、自分で食い物育て始めるとなぁ……せっかく収穫した野菜を、料理で失敗したらショックだろ? 特に肉はなぁ……」
何かを思い出したのか、彼はどこか遠い目で、
「昔、初めて畑を害獣に荒らされた時、腹が立って罠を張ったら、子鹿がかかったんだよ。でも、捕まえたはいいが、そこからどうすりゃいいかわからねぇ。……実はオレ、血を見るのが苦手でさ。だから昔は、そういう嫌なことは嫁にやらせて、自分は逃げてたんだ」
「その子鹿はどうしたんだよ?」
「結局、その時は怖くて逃がしちまった。けど次の日、山にキノコ採りに行ったら、獣に食われた子鹿の死体を見つけたんだ。同じ子鹿かはわからなかったが、思ったんだよ。悪いことしたなぁ、って。罠で足をケガしてたから、長くないことはわかってたんだ。でも俺に勇気がなかったせいで、苦しむ時間を無駄に伸ばしただけだった」
言いながら、スプーンで肉をすくい上げる。
「それからだよ。ちゃんと殺して、ちゃんと食うようになったのは。俺が逃げたら畑は荒らされ放題だし、捕まえた以上、責任は果たさなきゃならねぇ。どうせなら、おいしくな」
そう言うと、肉の乗ったスプーンを口に運ぶ。
……粛正のたびに思っていた。『自分がやらなくたって、どうせ他の誰かがやるのだ』と。
そうして自分の行いを投げやりに正当化し、その罪は王に肩代わりさせ、『代償』は民へ押し付けていた。
結局、誰かのためどころか、自分が褒められたいがために殺していただけだった。
しかし、今目の前にいる彼は、他に誰もやる人がいないから自分がやった。やらなければ『代償』は自分自身に。だから罪も責任も、自分で背負った。
そうして得られた肉を、惜しみなく分け与えてくれた。
嫌なことを他人に代行させていることにも気づかず、恩恵だけはいただく。ずいぶん、罪深いことをしてきたものだ。
しかし、自分は知ってしまった。何も知らなかったあの頃には戻れない。
ならばせめて、共に罪をいただくくらいは出来るだろう。
王よ。
あなたが本当に望んでいたのは、そういうことだったのでしょうか?
食事を終えると、彼は帰っていった。今度は俺が収穫を手伝うよ、と言って。
次、彼と会う日は、自分の命日になるだろうと思っていたのに。
しかし、自分は生きている。彼に正体を知られぬまま。
そのことに、ホッとしている。
――王よ。これで良かったのでしょうか?
尻尾を巻いて、逃げ出すか。
観念し、おとなしく殺されるか。
自分は悪くないと言い訳し、相手の非を責め立てるか。
むしろ、やられる前にやり返すか。
ずっと考えていた。
しかし、せっかく出来た友を殺すなど、今の自分には出来ない。
みっともなく言い訳し、逃げ回ってこれ以上の生き恥をさらすことも、いっそのこと、先に死んでしまおうというのも、あの悪魔に筋が通らない。
ならばせめて、おとなしく殺されようと観念した。我が王のように。
それが自分に出来るせめてもの『償い』なのだと。そういう『順番』なのだと言い聞かせた。
どうしてそこに『頭を下げ、謝罪する』という選択肢を思いつかなかったのだろう?
許すも許さないも、決めるのは彼ではないか。
なのにそれをする前から『殺されてあげよう』などと、こちらが勝手に決めてしまった。
結局、自分という男は、どうしようもなく傲慢で、自分勝手な男だった。友に『自分の命』に対する責任を丸投げし、本物の『どうしようもない男』にしてやろうとたくらむとは。
しかし彼は、自分から何も奪わなかった。それどころか、与えてくれた。もう一度『友人』としてやり直す機会を。
単に、こちらの正体にまったく気づいていないだけかもしれない。
しかし、少なくとも彼は、こちらの正体を追求しなかった。
ならばこちらも、本当のことを告白することも、彼の真意を確認することも、やめることにした。彼に聞かれるまでは。
この道を切り開いたのは、彼自身だ。壁の王とも、エレン・イェーガーとも違う道を。
王よ。
あなたが本当に進みたかったのは、この道だったのでしょうか?