悪魔の子 中編 - 1/2

4.罪過

 知識を得てからは、毎日畑に出るようになった。
 土作りからやり直し、譲ってもらった苗を植え、教えてもらった通りのタイミングで水や肥料を与えると、以前とは見違えるようにすくすく育った。
 そして、気づいたことがある。意外と『殺す』仕事なのだということだ。
 まずは虫だった。土を掘り返し、出て来た幼虫や、葉についた虫を殺した。
 次は野生の動物だった。
「イノシシが罠にかかったんだ」
 ある日、夕食に誘われて家を訪ねると、猪肉の鍋が用意されていた。彼の畑の野菜を狙って、野生の獣がよく荒らしに来るらしい。
 もちろん、獣に食わせるために育てているわけではない。追っ払ったところでまた来るだけなので、そういう場合は捕らえて殺して食うのだという。
 都合が悪いから殺す。
 かつて、自分がやっていたことと重なる。
 壁の中の平和を守るために殺す。
 畑の平和を守るために殺す。
 何が違う?
 同じではないのか?
 もちろん自分は、殺したからといって食っていたわけではないが……
 翌日。おすそ分けしてもらった肉を、教えてもらったやり方で燻製にしながら、ずっとそんなことを考える。
 答えは出なかった。
 そちらの答えは出なかったが、なぜ出所後、野菜作りを始めたのか。そちらはぼんやりとわかってきた気がした。
 『殺す』ことに嫌気が差していたからだ。
 なんだ。平和のためだ正義のためだと言っておいて『殺すことは悪いこと』と自覚していたのではないか。それが今さら『いい人』になろうとしていたとは。
 ところが、その先でも『殺す』行為が必要だった。
 無知とは罪なものだ。何も知らないから、こんな暮らしを選んでしまった。
 もちろん、人と獣の違いはあれど、これでは以前と同じではないのか?
 しかし、なにかが違う気もした。

 彼と出会ってからは、割と楽しかった。
 もちろん生活は代わり映えがなかったが、自分の過去を知らない者と、他愛ない話をして笑うことが、こんなに心地よいものだったとは。
 結局、寂しかったのだと気づいた。
 気がつくと一年以上過ぎ、畑仕事も軌道に乗ってきた。さすがに自分の畑の作物は、まだまだ売れるほどの収穫はなかったが、手が空いている時は彼の畑の収穫を手伝い、一緒に街へ売りに行くこともあった。
「ところであんた、家族は?」
 その日も、彼の畑のトマトの収穫を手伝いながら、何気なくそんな質問が口から出た。
 質問してから『しまった』と気づいた。そんなことを聞いてしまったら、自分も答えなくてはならないではないか。
「ああ、女房がいたよー」
 すぐに返答が返ってきた。
 彼はにこにこしたまま、
「俺は仕事もろくに出来ねぇわ、実の親との仲も悪くて家追い出されるわで、百姓やってる家の女に『婿入り』っつって転がり込んだんだよ。でもなー。元々、女房の両親からも結婚を反対されてたもんだから、当然そっちとも折り合いが悪くてね」
「そうか……」
 女房が『いた』。
 引っかかるワードではあったが、それには触れず相槌を打つ。
「まあ、生きてりゃ色々あるよな」
「ああ。最終的に、女房からも愛想尽かされて一家総出で『出てけ』の嵐。もうじきガキも生まれるって時だったってのに」
 一体、何をやらかしたのか少し気になったが、追求はしなかった。それより話題を変えたかったが、彼は妙に饒舌に、
「わかってる。全部オレがダメ人間だったからだって。わかってはいるんだ。でも、むしゃくしゃしてたんだ。ちょっとした嫌がらせのつもりだったんだよ。あいつらをどうこうしたいとか、そこまでは考えちゃいなかったんだ。でもあの時のオレは、この世のすべてが敵で、俺がこんなに不幸なんだから、幸せなヤツらをちょっとくらい困らせてやってもいいと思ってたんだ……」
「おい……?」
 急に早口になり、横目で見ると、さっきまで穏やかだったはずの顔が、みるみる歪んでいく。
「匿名で『あの一家が壁の外に逃げようとしてる』って、憲兵にたれ込んだんだよ。そんなことあるわけねぇじゃん。年取った両親と身重の娘だぞ? せいぜい、様子見て話聞きに行くくらいで済む話だろ」
 『憲兵』という言葉に、ぞくりと背筋が凍り付いた。
「ところが次の日には、家は全焼。一家全滅だ。腹ん中のガキもろともだ。そんなことってあるか? 憲兵は『タバコの不始末だ』なんて言ってたけど、あの家でタバコ吸ってたのはオレだけだぞ……」
 全身、嫌な汗が噴き出してくる。しかし、こちらの様子には一切気づかず、彼は手にしたトマトに向かって、
「……そうだよ。誰かがいるんだよ。あんなひどいことをやった『誰か』が! オレじゃねぇ! あの日だって、遅くまで酒場で飲んだくれて、気が付いたら道端で寝てたんだ! でも周囲はそんなの信じるわけがねぇ! そりゃそうだ! 日頃の行いが悪すぎた! でもやってねぇ! だけどそんな目を向けられると、だんだん、覚えてないだけでホントはオレがやったんじゃないかって気がしてくるんだ……」
 どうりで、彼がこんな辺鄙な場所で隠れるように生きていたのかがわかった。そして、なぜ自分に親切だったのかも。
 自分と同じような理由だった。人の目が恐ろしく、誰もいないところへ逃げ出したかったのだ。
 だけどもう一方では、孤独で、誰かと話したい気持ちもあった。
 彼は涙を流しながら、こちらに振り返り、
「なあ? あんたはどう思う? オレがやったと思うか? 本当に、オレはどうしようもないクズでダメな男だったけど、そこまでのことをする度胸はねぇはずなんだ……」
 彼がそんなことをやったはずがない。それは自分が一番よく知っている。
 少なくとも自分が扱った件ではない。しかし裏付け調査が面倒で、いきなり粛清してしまう者もいなかったわけではない。
 どのみち『そちらの記録』は残さないのだから。
 しかしそんなことを言えるわけもなく、震えをこらえながら、
「あ、ああ……信じるよ。あんたは、そんなひどいこと絶対やってない」
「そう……だよな。うん、そうだよなぁ……」
 むろん事の発端は、ただの憂さ晴らしのために『憲兵に通報する』なんてことをしたせいだ。
 しかし、責める気にはならなかった。責める資格が、自分にはなかった。

 ――ポタッ、ポタッ……

 水滴が落ちるような音に振り返ると、彼が手にしたトマトが半分握りつぶされ、赤い汁がしたたり落ちていた。
 さらに顔を上げると、彼と目が合った。さっきは安堵の顔をしていたはずだが、今はうつろな目で、こちらを見ている。
 彼はそのうつろな目でこちらを見つめたまま、こう言った。
「なんでわかる?」
 そこから先は、よく覚えていなかった。
 気がつくと、収穫した野菜を放り出して、走って逃げ帰っていた。

 その一件以来、彼とは顔を合わせづらくなってしまった。
 なるべく家の中に引きこもり、外に出る時は周囲を警戒してから出るようになった。
 もしかすると、自分が元中央憲兵だったことに気づかれたかもしれないと思ったからだ。
 むろん、一度だってそんな話をしたことはない。あの時の会話を振り返っても、そんな推測が出来るような返事はしていないはずだ。
 ただの妄想だ。
 しかし、

 ――なんでわかる?

 その言葉が脳裏に焼き付いて離れない。もしかすると、彼も今頃、自分と同じように色々妄想して、その結論にたどり着いているのではないか、と。
 仮に、彼がこちらの正体に気づいたとしたら。彼はどうする?
 復讐するか?
 オレの不幸はお前のせいだと、刃を向けてくるか?
 たとえ実行犯ではなかったとしても、同じ所属の誰かがやったのだ。彼にしてみれば同じだろう。
 自分はどうすればいい?
 尻尾を巻いて、逃げ出すか?
 観念し、おとなしく殺されるか?
 自分は悪くないと言い訳し、相手の非を責め立てるか?
 むしろ、やられる前にやり返すか?
 そこまで考えて、はたと気づく。我が王も、同じだったのだろうか?
 直接、自分がやったわけではない。しかし、自分の先祖が犯した罪を知っていて、その復讐に燃える被害者が目の前に現れたら?

 尻尾を巻いて、逃げ出すか?
 観念し、おとなしく殺されるか?
 自分は悪くないと言い訳し、相手の非を責め立てるか?
 むしろ、やられる前にやり返すか?

 初代壁の王は、安全な収容所を作り、自らその中へ逃げ込んだ。
 我が王は、おとなしく殺される選択をした。
 エレン・イェーガーは、やられる前にやり返しに行った。
 自分は? 自分はどうする?
 自然と脳裏に浮かんだのは、しらばっくれた末に『俺は悪くない』と言い訳を並べ立て、そもそもはお前がつまらない嫌がらせしたせいだと責め立てる、見苦しい自分の姿だった。
 あの頃と、なにも変わらない。
 口では『王のため、平和のため』とご立派な理由を並べ、その罪を他人に転嫁しているだけだった、あの頃と。
「王……よ……」
 頭を抱え、救いを求めるように、かつて心酔した王を呼ぶ。
 目を閉じると、王の顔が――自分にとって『王』とは、ウーリ・レイスだった――王の、あの穏やかな顔が浮かんでくる。
 いつも遠くから見ているだけだったが、たまに言葉を交わす機会があった。
 王は、こんな自分の話にも耳を傾けてくれるお方だった。
 そして聞き終えると、王は決まってこう言った。

 ――いつもすまない。

「…………?」
 思い出した王の言葉に、目を開く。
 すまない?
 王はなぜ、そんなことを言ったのだろう?