サトシはサイコソーダを一口飲み、がっかりした顔で、
「なんだかしょっぱいや」
「なぜ隣に来る」
「おまえの隣じゃなくて、ミジュマルの隣に来たんだよ」
突き放すシンジに、サトシは口をとがらせる。
ヨウコは次の試合に向かい、アイリスはデントの面倒くさいバトル解説に付き合わされていた。ピカチュウはポカブと一緒にクッキーを食べている。
お互い特にしゃべることもなく、微妙な沈黙が続いたが――
「……おまえ、なぜ俺にポケモンを貸した?」
サトシはソーダを飲む手を止め、
「ん? だってミジュマルがやる気だったし」
「そういうことじゃない」
ようやく意味がわかったのか、サトシは「ああ」とうなずくと、
「そりゃあ昔のおまえなら絶対貸さなかったけど、今のシンジならまあいいやと思って」
「…………」
「おっ、始まるぞ」
そして、フィールドにヨウコとコジョフーが現れ――対戦相手のギアルを、一撃で戦闘不能にした。
アイリスの次の対戦相手は、杖をついた老人だった。
ほがらかじいさんの登場に、シンジは期待ゼロの顔で、
「ただのじいさんだな」
「いや……それはちがうよ」
シンジのつぶやきに、デントはダンゴロ団子(ただの串団子)を食べる手を止めた。
「あの堂々としたたたずまい……ベテラントレーナーとしての貫禄にあふれている。これはきびしい戦いになるよ」
「あらデンちゃん。見ただけでわかるの?」
「ふっ。ポケモンソムリエの目を甘く見てもらっては困りますね」
「…………」
団子片手に無駄にポーズを取るデントは無視して、シンジは老人に目をやる。
老人はモンスターボールを手に取ると、大きく振りかぶり――
「――はぐぅっ!?」
「へっ?」
突然悲鳴を上げ、その場に崩れ落ちた。
アイリスは驚いた顔で、
「ど、どうしたんですかー!?」
「ギ……ギックリ腰が……!」
その言葉に――見物人達が一斉にずっこけた。
ほどなくして、
「えー、途中棄権により、この試合、アイリス選手とキバゴの勝利!」
老人は担架で運ばれ、審判の声が辺りに響く。
その光景に、シンジはぽつりと、
「たいしたもんだな。ソムリエの目ってのは」
「ははっ……どういたしまして……」
シンジの皮肉に、デントは涙を流しながら肩を落とした。
「……『匿名希望の掃除のおばちゃん』ってなんだ?」
デントの対戦相手に、サトシはモンメンあめ片手に首を傾げた。
チラーミィを連れた、小太りの中年女性。服装といい、どこからどう見ても掃除のおばちゃんだ。
「仕事の途中で来たんじゃないのか?」
「食うか?」
「いらん」
サトシは食べかけのモンメンあめ(ただのわたあめ)を差し出したが、シンジは見向きもしなかった。
そして試合開始の合図と共に、おばちゃんが、動いた。
「行くよ! チラーミィ、『スピードスター』!」
「チラァ~ッ!」
「イシズマイ、『からにこもる』!」
「マイッ!」
デントの指示に、イシズマイは石の中に身を隠し、『スピードスター』をやり過ごす。
しかしおばちゃんは、それを狙っていたかのような笑みを浮かべ、
「『ハイパーボイス』!」
「チ~ラ……チ~ラァ~ッ!」
チラーミィは大きく息を吸い込み――大音量を周囲にまき散らす。
サトシは耳を押さえ、
「ぬあぁ~! すっげー声!」
「周りの迷惑も考えろ……!」
見物人達は一斉に耳を押さえ、顔を歪める。この威力、かなり鍛えられている。
「マ……マイ~……」
「イシズマイ!?」
この大音量に、イシズマイが石の中から顔を出す。中で音が反響し、かなりのダメージだったらしい。
「今だよ! 『うたう』!」
「チラァ~!」
今度は心地よい歌声が奏でられ、フィールドのイシズマイはもちろん、デントも、周囲の観客までもが睡魔に意識が遠のく。
「とどめの『めざましビンタ』!」
「チラァーーーーミィッ!」
「マイーーーーッ!?」
相手に反撃のチャンスを与えるどころか、意識が飛びかけていたところにこの仕打ち。
吹き飛ばされたイシズマイは地面に叩きつけられ、二転、三転と転がる。
「――はっ! イシズマイ!?」
デントが我に返った頃には、遅かった。
イシズマイは目を回し、掃除のおばちゃんの勝利を告げる声が辺りに響いた……
「なんだかしょっぱいテイストだ……」
「お帰りデント!」
サイコソーダ片手に肩を落とすデントを、サトシは笑顔で出迎た。
「あらあらデンちゃん、おじいちゃんはベテランって見抜いたのに、掃除のおばちゃんの強さは見抜けなかったのね~」
「あんたが弱かったんじゃない。相手が強すぎただけだ」
「うううっ……!」
追い打ちをかけるヨウコとシンジに、デントは頭を抱える。
アイリスは表情をこわばらせ、
「デントが負けたってことは、次、わたしが戦うのって……」
「あのおばちゃんだな」
「おまえの運も尽きたか」
シンジには勝敗が見えたらしい。鼻で笑うと、一足先にアイリスへのお悔やみを申し上げる。
その時だった。
「あれ?」
デントが、さっきのおばちゃんとチラーミィを見つける。なにやら慌てた様子だ。
「あの、どこに?」
デントに呼び止められ、おばちゃんはその場で駆け足をしながら、
「次の仕事場に行く時間なのよ! 遅刻しちゃう!」
「え? あの、試合は――」
「棄権よ棄権~!」
「チラァ~ッ!」
それだけ言うと、おばちゃんはチラーミィと共に猛ダッシュでその場から去る。
ほどなくして――おばちゃんの棄権により、アイリスの不戦勝と、決勝戦進出を告げるアナウンスが放送された……
そして、ヨウコのコジョフーがチョロネコをフルボッコにし、決勝戦進出が決定した。
決勝のフィールドに立つアイリスに、シンジは釈然としない顔で、
「運だけで決勝まで来たか……」
「さすがに、運だけでヨウコさんを倒すのは……」
「アイリスもヨウコさんもがんばれ~!」
シンジとデントとは逆に、サトシは笑顔で声援を送る。
試合開始の合図と共に、
「先手必勝! キバゴ、『りゅうのいかり』!」
アイリスの指示に、キバゴがエネルギーチャージを始める。
しかし、放つより早く、
「『はどうだん』!」
「コジョー!」
コジョフーの手から『はどうだん』が放たれ、キバゴの足下に命中した。
「キバァ~!」
「キバゴ、しっかり!」
キバゴは仰向けにひっくり返り、『りゅうのいかり』は不発に終わる。
デントは目を丸くし、
「あれ? あの『はどうだん』、撃つまでの時間が短くない?」
「威力を弱めた代わりに、短時間で撃てるよう訓練してある」
「へー。器用なもんだな」
「他にもあるぞ」
シンジの言葉を実証するように、今度は、
「コジョちゃん、今度はダブルで行ってみましょうか!」
「コジョコジョ~!」
コジョフーが両手を掲げると、今度は通常より小さな『はどうだん』がふたつ生み出される。
「スゲー! 『はどうだん』がふたつ!」
「コンテストバトルを参考に特訓したそうだ。あのコジョフー、普段はおおざっぱだが、こういうところは器用だな……」
『はどうだん』は次々とキバゴの周囲に炸裂し、砂煙を巻き上げる。あくまでキバゴ自身に命中はさせない。
「キ……キバ~!」
「キバゴ、踏ん張るのよ! あきらめないで!」
とは言え、これでは『りゅうのいかり』はもちろん、接近して『ひっかく』攻撃も出来ない。ジワジワ追いつめられるだけだ。
ヨウコは余裕の笑みで、
「アイちゃ~ん。そろそろ降参したら? これ以上やると、弱いものいじめになっちゃうわ」
「『弱いもの』じゃない! 勝負は最後までわからないんだから!」
「キバ!」
ヨウコの挑発に、アイリスとキバゴは拳を握りしめ、
「わたし達は……絶対に! あきらめない!」
「キバーーーッ!」
その時だった。
コジョフーの体が、光った。
「まさか!?」
「ついにこの時が来たのね!?」
シンジが青ざめ、ヨウコは目を見開く。
光が収まると、そこには全身白い体毛で覆われたポケモン――コジョンドがいた。
サトシはポケモン図鑑を開きながら、
「スゲー! 進化した!」
「コジョフーは育てるのに時間がかかるポケモンだ。それを進化するまで育てるなんて……!」
「……ますます俺の手に負えなくなったということか……」
目を輝かせるサトシとデントに対し、シンジは今後の苦労に我が身を案じた。
コジョフーの進化に、ヨウコは手を叩き、
「すごーい! コジョちゃん、きれいよ~! 進化したということはつまり!」
「――ルール規定により、ヨウコ選手、失格!」
「……やっぱり」
がっくり肩を落とす。
審判はアイリスに向かって手を挙げると、
「よって、優勝はアイリス選手とキバゴ!」
「へっ?」
その判定に、アイリスの目が点になった。
第一試合は対戦相手がルール違反で失格。
第二試合は対戦相手がギックリ腰で棄権。
第三試合も対戦相手が棄権。
そして決勝戦も対戦相手がルール規定により失格……
表彰台に立つアイリスに、シンジとデントは呆然と、
「……運だけで優勝しやがった……」
「この不可解なテイスト……なんだか納得出来ない……」
会場からまばらな拍手が贈られる中――ただ一人、
「だから言っただろー。『勝負は最後までわからない』って!」
サトシだけは、得意げに胸を張っていた。
「いやー、親子そろって失格なんてねー」
「コジョ~」
ヨウコとコジョンドは肩を落とし、なんとなくしょっぱいサイコソーダとクッキーを口にする。
その一方で、
「優勝よ優勝! わたし達、この中で一番強いのよ~! シンジよりもサトシよりもデントよりもヨウコさんよりも強いのよ~!」
「キバ~! キバキバ!」
アイリスはキバゴと両手をつなぎ、くるくる回っていた。
完全に浮かれているアイリスに、シンジは呆れた顔で、
「……おまえ、こんな勝ち方で優勝してうれしいのか?」
「優勝は優勝なのよ~! シンちゃんってば負け惜しみ? 負け惜しみなの? 負け惜しみなのね~!」
「やめろうっとうしい!」
シンジの肩に手を回し、頬をつついくるアイリスを、乱暴に振り払う。
サトシは口をとがらせ、
「『どんな勝ちでも勝ちは勝ち』なんだろ?」
「そうそう、運だって実力よ~。この前そう言ったの、シンちゃんじゃない」
「……覚えてないな」
「都合の悪いことは忘れるんだなおまえ……」
「シンちゃんってば子供よね~」
「その呼び方はやめろ」
サトシは無視して、こちらを完全になめきっているアイリスをにらみつける。
とにかく疲れた。
色々と疲れた。
「これでもう気が済んだだろ。さっさと次の町に行くぞ」
「え~!? もうちょっといいじゃない! あ、それとも、次の町まで一緒に行く? 送ってくわよ」
「これ以上こいつらと関わってどうする! 第一あんたの荷物が多すぎて、乗る場所なんてないだろう!」
「乗る場所?」
目をぱちくりさせるサトシに、ヨウコは笑顔で、
「私達、車移動なのよ」
『ずるっ!』
「ずるくないわ~。大人の特権よ☆ で、どうする? 荷物片づければ三人くらい乗れるわよ」
ヨウコの誘いに、サトシは少し考え、
「う~ん、別に急ぐわけでもないし、歩きながらのほうが、色んなポケモンに出会えるしなぁ」
「お気持ちだけ受け取っておきます。僕達は僕達のペースで行きますから」
「そう? 残念ねー」
デントに丁重に断られ、ヨウコはあっさり引き下がった。
シンジは胸をなで下ろし、
「もう行くぞ」
「しょうがないかぁ。それじゃあまたね」
「コジョ~!」
ヨウコは名残惜しい顔をしたが、コジョンドをボールに戻し、駐車場へと向かう。
「シンジ、またな~」
「フン」
サトシは手を振るが、シンジはそっぽを向き――
「ミジュ~……」
ふと足下を見下ろすと、ミジュマルがいた。ずいぶん名残惜しそうな目をしている。
おおげさなミジュマルに、シンジはため息をつくと、
「……じゃあな」
「ミ~ジュ!」
ミジュマルはにっこり笑うと、大きく手を振った。