1.流れる砂が見る夢は - 2/3


「なっ……なかなかやるじゃねぇか……」
「こっ……こっちも、数々の死線くぐり抜けてるんでな……」
 膝をついた男ののど元に剣を突きつけ、息も荒くロジェは言った。
 あたりには昏倒したゴロツキ達が転がり、傍観していたテケリ以外の仲間達も、満身創痍だ。
「いや~、みなさん、あの戦いのすぐ後でこんなに大暴れして……ホント元気でありますな」
「う……うるせぇ……」
 もう、テケリを殴る気力もないのか、キュカは肩で荒い息をしながらうめく。
 なにしろアニスと戦ってすぐだ。よくぞこれだけ体が動いたものだ。
「それで、約束は守るんだろうな?」
「ああ……」
 男は突きつけられた剣を手で押しどけると、その場であぐらをかき、
「ヤツなら奴隷市場だ。ちょっとひ弱そうだったが、服つきで高値で売れたよ」
「奴隷!?」
 これには、さすがに全員驚いた。
「おいおい、あの主教が奴隷だと? なんだってまた……」
「別人じゃないのか?」
 自分達と互角に戦ったのだ。ジェレミアの言うとおり、実は別人だと思っても不思議はない。
「でも、俺と同じ顔をしていたんだろう?」
 問いつめると、彼も「間違いない」と首を縦に振る。
「……みんな、ゴメン。やっぱり俺……」
 ロジェの言葉を、キュカは途中で制し、
「まあ、この際だ。つきあってやるよ」
「え?」
「どのみち、今、我々がやることは他になさそうですしね」
 ユリエルもうなずき、ジェレミアも服についたホコリを払い落とすと、
「フン。主教はともかく、奴隷だのなんだの、そういうのは気に食わん。市場ごと潰すぞ」
「テケリも行くであります! テケリは、みなさんと運命共同体であります!」
 テケリも手を挙げ、ラビがぴょんぴょん跳ねる。
「……ありがとう。みんな」
「だったら急ぎな。もうじき日が沈む。今夜あたり、どこかに連れて行かれるはずだ」
 ロジェの後ろで、男は立ち上がり、
「市場まで案内してやる。ただし、そこから先は知らん。自分達で勝手にしな」
「ああ。助かるよ」
 どうやら、気に入った相手には義理を尽くすタイプらしい。
 男の案内で、一行は日の沈み行く町を走り出した。

 ◆ ◆ ◆

 歌が、聞こえた。

 とても美しい声で――それなのに、とても哀しく、背筋が寒くなるような――深くまで聞き入ると、もう戻れなくなるような、そんな歌声が。
 真っ暗で、なにも見えない闇の中、立っているのか、そもそも地に足がついているのかもわからないまま、その歌声だけが聞こえてくる。

 ――やめろ!

 耳をふさぐが、歌声はそれでも聞こえてくる。
 逃げ出そうとするが、なぜか足はぴくりとも動かない。
 足下に目をやると、深い闇の底から伸びた黒いイバラが足をからめとり、鋭いトゲが食い込んでいた。

「――――!」
 声にならない悲鳴を上げながら、がばっ! と飛び起きる。

 ――ゴンッ!

「………っ!」
 次の瞬間、額にすさまじい衝撃を受け、しばらく頭を抱えて悶絶(もんぜつ)する。
「ったた……! 起きるんなら起きるって言ってよ~!」
 まだチカチカする頭を、声がしたほうに向けると、自分と同じように頭を抱えた少女が、涙目で座り込んでいた。
 どうやら、彼女がこちらの顔をのぞき込んでいる時に飛び起きてしまったようだ。
「なっ……なんだおまえは……」
 痛みが少しマシになったあたりで、ようやく声を出す。
 側にいたのは、くすんだブロンドの髪を短く切った、十二、三歳くらいのガリガリにやせた少女だった。長いこと着続けているのか、すっかりくたびれた服を着ている。
 少女はこちらの問いに口をとがらせ、甲高い声で、
「『なんだ』じゃないよ! うなされてるから心配してやったのに、いきなり飛び起きるんだから!」
「うなされていた?」
「そう!」
 大きく首を縦に振る。

 ――夢……か……

 大きく息を吐く。
 しかし同時に、自分の今の状況を如実(にょじつ)に暗示するような……そんな、不吉な夢だった。
「どんな夢見たのさ?」
「……忘れた」
 適当に答えると、少女はそれ以上なにも言わなかった。
「それはそうと……ここはどこだ?」
 今ごろになって、自分の置かれた状況に気づく。
 数本のロウソクでわずかに照らされた部屋を見回すと、四方は冷たい石の壁で囲まれており、その一面は、観音開きの大きな扉で閉ざされていた。どちらかというと、人より荷物を置くための空間としか思えない。
「なぜこんなところに……」
 服はそのままだが、どうやら杖は奪われたらしく、どこにもない。他に奪われたものはないかと体を触るが、考えてみれば、着の身着のままこの世界に流れ着いたのだ。他に盗られるようなものなど――
 ふと、胸のあたりに、固い板状のものがあることに気づく。
 探ってみると、胸の隠しポケットの中に、手のひらサイズの丸いものが入っていた。
「これは……」
「なにそれ? きれい」
 取り出すと、それは金色の縁取りに、赤いヒモがついた古ぼけた鏡だった。

 ――これは『幻想の鏡』。まぼろしを打ち砕き、真実を映し出すと言われている――

 先代の主教――父がくれたものだった。
「なぜ……こんなものが……」
 こんなものがあったこと自体、すっかり忘れていた。
 いや、そもそも、こんなところにしまっただろうか? だが、現に入っているということは、やはり入れっぱなしにして、そのまま忘れていたとしか考えられない。
 それにしても、なぜ今になって……
 ぼんやりと、鏡に映る自分の顔を眺めるが、そこに映っているのは、どこからどう見ても見飽きた自分の顔だった。
「え?」
 一瞬、鏡面が揺らぎ――映っていたのは、やはり自分の顔だと思ったが、どこか違和感を感じた。
「――ねえ。あたしにも見せてよ」
 その声に顔を上げると、少女が鏡に好奇の視線を向けている。
「あ、ああ……」
 もう一度鏡面に視線を落とすが、やはり映っているのは自分の顔だった。
 首を傾げつつ鏡を渡すと、少女は嬉しそうに鏡を眺め、ぼさぼさの髪を直している。
「ところで、ここはどこだ?」
 さっき言った言葉を、再び口にする。
 どうやら物取りの被害に遭ったようだが、杖だけが目当てだったら、なぜこんなところに……
 少女は、きょとんとした顔で、
「……知らないの? あたしら、奴隷だよ?」
「……ドレイ?」
 一瞬、言葉の意味がわからなかった。
 少女は鏡をこちらに返しながら、
「あたし、奴隷商人に捕まっちゃってさ。あんたも似たようなもんでしょ?」
「私は……」
 ぼんやりしていた意識が、少しずつはっきりしていく。
 そうだ。町の中をさまよって……ならず者に捕まったのだ。その後、腹を殴られて――

 …………。

「――奴隷だと!? 冗談じゃない!」
 ようやく事態を飲み込むと、扉に駆け寄り開けようとするが――びくともしない。
 少女はあきれた様子で、
「あんた、なにも知らないの? あたし達、売られたんだよ。ここから、どこかに連れて行かれるの。奴隷として」
「奴隷……私が……」
 扉を前に、呆然とつぶやく。
 その事実は、まるで頭を思い切り殴られたような――そんな衝撃だった。
 少し前まで『幻夢の主教』としてミラージュパレスに君臨していた自分が、今ではこんな薄汚い部屋に入れられ、奴隷である。ショックを受けるなと言うほうが無理だった。
 少女は、ショックを受けているこちらを気にしてか、
「大丈夫? ……あんた、ずいぶんいい服着てるみたいだけど、金持ちの家の人なんじゃないの?」
「え? いや……」
 ショックから立ち直れず、しどろもどろに答える。
「あ、わかった。家出でしょ? どーせ下々の生活でも見たくなって、飛び出して来たんじゃないの?」
「……………」
 少女の皮肉混じりの言葉に、反論する気も沸かず、無言でその場に座り込む。
「……ねえ。ホントに大丈夫?」
 さすがに心配になってきたのか、横から顔をのぞき込んでくるが、言葉が思いつかない。
「……あたし、アマリー。あんた、名前は?」
「名前?」
 そういえば、名前を聞かれたのは初めてのような気がする。
「……レニ。私は、レニだ」
 なんとなく妙な気分だったが、嫌ではなかった。
「そう。――あ、おなか空いてない? ホントはギリギリまでとっときたかったんだけど……」
 言いながら、隅に置かれていた毛布の下から、なにかを取り出す。
「ここに連れてこられた時にもらったの。はい、ぱっくんチョコ。半分こね」
 言うと、取り出したぱっくんチョコを包みごと半分に割り、片方をこちらに差し出す。

 ――はい、兄さん。半分あげるよ――

 ……急に、子供の頃を思い出した。
 そうだ。小さい頃は、よく、弟となんでも半分に分け合っていた。
 食べ物だけでなく、喜びも、悲しみも――
「どうしたの? 甘いもの、嫌い?」
 受け取ろうとしないこちらに、不思議そうに目をぱちくりさせる。
「いや……一人で食え」
 そのガリガリにやせた体からして、長い間、まともに食べていないに違いない。
 しかし、アマリーは笑顔で、
「いいの! あたし、長いこと一人だったからさ。久しぶりに誰かと話せて、うれしいの」
「…………」
 奴隷として捕らわれたにも関わらず、誰かと話が出来ただけで、嬉しい?
 正直、もっと悲観的になって、嘆いても良さそうなものだったが、それでも目の前の少女は笑っている。
「だから、はい。一緒に食べよ」
「…………」
 再度差し出され――無言で、それを受け取った。

 ◇ ◇ ◇

「ここだな」
 町はずれの一角に、石造りの巨大な建物があった。
 複数の商店が建ち並ぶマーケット施設らしく、昔はにぎわっていたらしいが――今では、開店休業状態らしく、日没になるとマーケットごと閉店するらしい。まあ、町の寂れぶりからして不思議はなかったが。
 男の話によると、奴隷を買い取る組織――ようするに『お得意さん』がいるらしく、商人達が手を組み、地下の倉庫を牢屋代わりに人身売買に手を染めているらしい。
「狙うとしたら移動の時でしょうね。とにかく出入り口に張り込んで、出てくるのを待つしか――」
 ユリエルの言葉が途中で途切れる。
「どうしたんだ?」
 ロジェがユリエルの視線の先に目をやると――ジェレミアが情け容赦なく、入り口の扉をバンバン蹴っていた。
「何やってんだよ!?」
 慌てて駆け寄り、止めるが、ジェレミアは平然と、
「いつ出てくるかわからない連中を待つより、こうしたほうが早い」
 短気なジェレミアらしいといえばらしいが、どうなるかわからないのだ。
 しかし、慌てるロジェを尻目に、
「ああ、それ、いいかもな。手っ取り早くて」
「キュカ……おまえまで……」
 あきれて言葉をなくすロジェに、ユリエルも同様にあきれていたが、すぐに、
「まあ、こうなっては仕方ありません。乗り込みましょう」
「うきょきょ! みなさん、血の気が多いであります! テケリも行くであります!」
 残ったロジェに視線が集まるが、ほどなくして、
「あー、もうこうなりゃヤケだ! 行くぞ!」
 その言葉を合図に、一行は押し入り強盗よろしく、扉をぶち破り、一気に突入した。

 ◆ ◆ ◆

「……上が騒がしいな」
 天井の向こうから聞こえてくる足音に、眉をひそめる。
 ここにいると、昼なのか夜なのかわからない。アマリーの話によると、たくさん足音が聞こえると昼、静かになったら夜だと言っていたが、それにしては足音がおかしい。
 この音は――走り回っている音だ。そして、物が壊れる音。
 ふと、眠っていたはずのアマリーが腕にしがみついていることに気づき、目をやると、彼女はかすかに震え、必死でなにかをこらえているようだった。
「……怖いのか?」
 アマリーは小さくうなずき、
「……そりゃ、怖いよ。これから自分がどうなるのか、わかんないしさ」
 それは自分も同じだった。
 命は拾ったものの、すべてを失い、これからどうなるのか、どこへ行くのか――何をしたいのかさえわからない。
 いっそのこと、あのまま消えてしまえば良かったのかもしれない。
 だが、自分は今、ここにいる。意味もわからぬまま、ただ、ここにいる……
「――くそっ。なんとかここから出られないのか?」
 扉をにらみつけ、うめくが、どうにもならない。

 ――魔法さえ使えれば、こんなもの簡単に壊せるのに!

 今ほど魔法の力を欲したことはない。
 しかし、どうにもならない。アマリーが眠っている間、何度も試みたが、火の玉ひとつ作れない。
「……出られたって……どうにもならないよ」
 ぽつりと、アマリーがつぶやく。
「出られたって同じだよ。……あたしの村、教団に潰されちゃったし」
「教団?」
 宗教関係だろうか?
 アマリーはうつろな瞳で、
「二年ほど前かな? 身分制なんてのが出来てさ。ウチの村、一番低い身分にされちゃって。父さん達が文句言いに、ウェンデルに行ったの」
「ウェンデル……」
 ウェンデルといえば、マナの女神の神殿がある聖なる都だ。
 と言っても、それは自分が住んでいた世界での話。アマリーの言う『ウェンデル』とは別だろう。
「あたしもついて行ったんだけど……宿で待ってたら、父さん達が異端者とかで捕まったって聞いて……」
「…………」
 身分制だの、異端者として村人を捕らえるだの、その『教団』とはかなり強い力を持っていると思って良さそうだ。
「……『教団』とか言ったな。一体、何を崇めているんだ?」
 こちらの問いに、アマリーはきょとんとした顔で、
「……なに言ってるの? マナの女神さましかいないでしょ?」
「……なに?」
 マナの女神を信仰する団体が、身分制?
 こちらの疑問はよそに、
「あたし、父さんに会わせろって神殿まで行ったんだけど、逆に捕まって、働かされるハメになっちゃってさ。しばらくして、捕まった人達が全員処刑されたって聞いて……」
「…………」
 突然身分制など作れば、反発が来るのは当たり前だ。
 それを処刑したということは、見せしめだろうか? そこまでする理由があるのか?
 考えて――ふと、我に返る。
 ……そうだ。どうでもいいことだ。
 この少女の身の上話など、自分にとってはどうでもいい。アマリーにしても、こんな話をすることで気を紛らわせているにすぎない。
 こちらの腹の内など知るよしもないアマリーは、膝を抱えて、
「最近になって教団から逃げ出して、村に帰ったんだけど、なんにもなかった。ウワサで、教団に逆らった村がいくつか潰されたって聞いてたから、たぶん、ウチの村もそれだと思う」
「…………」
「もう、帰るところなんてない。働くにしたって、こんな子供……ましてや女じゃ、物乞いか、それこそ奴隷と同じように生きて、そのまま適当にのたれ死ぬんだ」
 さっきとは違う、絶望に満ちた声だった。
 今になって、さっきのは偽り――ただ、強がっていただけだと気づく。
 彼女は彼女で、必死で恐怖と戦っていたのだ。
 そしてまた、彼女の言うことは紛れもない事実だった。
 ここから出られたところで、その先どうする?
 結局は同じだ。帰る場所などない。行くアテもない。魔力も失った。
 それこそどこかでのたれ死に、だ。
 ……途端に、背筋が寒くなるのを感じた。
 こんなところで、みじめにのたれ死に。
 マナの世界を相手に、戦いを挑んだ自分が、だ。
 しかし現実は、目の前の扉はおろか、泣いている少女一人、どうにも出来ない。
 言いようのない怒りと、なにも出来ない自分の歯がゆさに、ただただ、奥歯を噛むしかなかった。
「帰りたい……帰りたいよぉ……」
 隣を見ると、アマリーが膝に顔をうずめ、嗚咽(おえつ)を漏らしている。
「…………」

 ――まったく……

 小さくため息をつくと、アマリーの肩に手を回し、軽く抱き寄せる。
 上は上で、さっきより騒ぎが大きくなっているような気がする。それに、心なし、暑くなってきたような……
 ふと、扉の外に人の気配を感じ振り返ると、ガチャガチャと鍵を開ける音が聞こえる。
「――出ろ。急げ!」
 扉が開くなり、慌てた様子の男が入ってきた。
 怯えるアマリーをなだめながら、男をにらみつけ、
「……ずいぶん慌ただしいな。何があった?」
「うるさい! おまえらには関係のないことだ!」
 ひどく慌てている。上での騒ぎと関係があるのか?
 問いつめようにも、相手はそれどころではないのか、拘束する間も惜しみ、こちらの腕をつかんで乱暴に引っ張る。
 従うしかない。
 もはや、抵抗して、逃げたところでどうにもならない。
 なんとか泣きやんだアマリーの手を引き、素直に男の後について行く。
 途中、同じような扉があったが、状況からして、捕らわれていたのは自分達だけのようだ。
 狭い階段を上ると、悲鳴や怒号が飛び交っていた。
「……なに? 火事?」
 どういう構造の建物なのかは知らないが、ここから離れた場所が炎で赤く照らされ、黒い煙が立ちこめていた。あまりの暑さに汗が噴き出し、煙のせいで息苦しい。
「こっちだ! 急げ!」
 上で待ちかまえていた他の男達に囲まれ、出口まで急かされる。
 あと少しで出口というところで、
「――待て!」

 ――がっしゃん!

 すさまじい勢いで飛んできた木のイスが前を横切り、壁に激突して無惨に砕け散る。
 驚いてイスが飛んできた方向に目をやると、そこに立っていたのは見覚えのある――いや、自分とまったく同じ顔をした人物が、抜き身の剣を片手に立っていた。
「なっ……」
 信じられない光景に、目を見開く。
 いるはずがない。
 いるわけがない。
 しかし、どう見てもそこにいたのは――
「――兄さん! やっぱりここにいたんだな!」
 驚くこちらを尻目に、向こうは表情を輝かせる。
「ロジェ……なぜ……ここに……」
 呆然と、それだけをやっとつぶやく。
「双子……?」
 隣では、アマリーが不思議そうな顔で、レニとロジェの顔を見比べていた。