1.流れる砂が見る夢は - 3/3


「うわ、ホントにいやがった」
 遅れて駆けつけたキュカが、視界に入った幻夢の主教の姿に驚く。
 その隣には少女の姿。おそらく、彼女も捕らわれたのだろう。
「あちらはあらかた片づきました。後はここだけです」
 ユリエルも駆けつけ、弓を構える。
 思ったより人がいて驚いたが、乱闘しているうちに火の手が上がり、あっという間にパニック状態だ。
 大半は逃げ出し、他は消火でやっきになっている。襲いかかってきた者も気絶させたり、矢で壁に縫いつけた。
 はっきり言って強盗よりもやっかいなことをしでかしたような気がするが、まあ、向こうだって人身売買だのなんだのやっているのだ。文句を言われる筋合いはない。
「おまえら、よくもやってくれたな!」
 さすがに憤慨(ふんがい)した様子で、五人の男は全員剣を抜き放つ。
 こちらは、逃げられないよう裏口の前に陣取ると、
「おまえらこそ、奴隷だのなんだの……そんなことが許されると思ってるのか!?」
「うるさい! こいつらがどうなってもいいのか!?」
 その言葉を合図に、男達は一斉に剣先を二人に向ける。
「あわわ……お兄さんのピンチであります」
「……あいつ、なんで魔法を使わないんだ?」
 テケリはともかく、ジェレミアの疑問は全員の疑問だった。
 見たところ、どこかケガをしているわけでもなく、正気をなくしているわけでもない。その気になれば、敵を一人で一掃するだけの力はあるはずだ。
 なのに、なぜ?
 考えていても仕方がない。ロジェは一歩前に出て、
「ここのリーダーはどこだ? 一対一で勝負しよう」
「断る!」
 あっさり即答される。
 今度はユリエルが、なんとなくついてきたラビのシッポをつかんで持ち上げ、
「では、ここは穏便に、その二人とこのラビを交換、ということで」
「……ラビと同等の価値、か……」
 主教の投げやりなつぶやきが、妙によく聞こえた。
「ふざけるな! 市場メチャクチャにしといて、ラビ一匹か!?」
「では、もう一匹調達してきましょう」
「そういう問題じゃねぇだろ!」
 ユリエルの提案に、顔を真っ赤にして怒鳴り返す。
 ユリエルは肩をすくめ、
「やれやれ。交渉決裂のようですね」
「……今の、交渉だったのか?」
 頬に汗を流し、ロジェがつっこむ。
「でも、実際どうすんだよ? このままじゃラチがあかねぇ」
 キュカが小声で聞いてくる。
 人質は二人いるのだ。そして五人の敵に剣を突きつけられている。
 主教自身が魔法で蹴散らすなりしてくれれば早いのだが、なぜかそれをしようとしない。
 どちらも身動きが取れず、にらみ合いが続く中、火の手はすぐそこまで迫っていた――

 ◆ ◆ ◆

「……………」

 ――なぜ、ロジェがここにいる?

 剣を突きつけられているにも関わらず、頭の中はそれでいっぱいだった。
 彼らも次元の渦に呑まれた――そう考えるしかない。
 しかし、なぜ?
 帰ればいい。たとえ故郷を失ったところで、彼らなら、他の国でも十分生きていけるはずだ。
 なのに、なぜ?
「あんた……双子だったんだ」
 小声で、アマリーがそんなことを聞いてくる。
 我に返って視線を落とすと、少女は、眼前の剣に震えながらも、必死で平静を装いながら、
「よかったね。助けに来てくれる人がいて」
「助けに……?」
 そんなわけがない。
 恨まれこそすれ、わざわざ助けに来るような理由はない。
 なのに、なぜいる。
 わからなかった。
 ただ、今、自分が出来ることといえば――
「――走れ」
「えっ?」
 アマリーの疑問に答えるより先に、彼女に剣を突きつけていた男に、思い切り体当たりを食らわせる。
「走れ!」
 片膝をつきつつも、もう一度、今度は大きく叫び――アマリーは走り出し、それを合図に、ロジェ達が一気に突っ込んでくる。
 これで、彼女はどうにかなるだろう。
 安心したのもつかの間、
「――てめぇ!」
 その怒声に振り返ると、逆上した男の一人が、自分めがけて剣を大きく振りかぶる。
 その剣が振り下ろされれば、すべてが終わる。
 このまま、つゆと消えてしまえばいい。
 目を閉じ、その刃を受け入れる覚悟を決めた瞬間、
「――あぶない!」
 その声と同時に、肩に衝撃を食らい、床に倒れる。
 誰かに突き飛ばされたのだと気づき、体を起こして見渡すと、逃がしたはずの少女が、自分を斬り裂くはずだった剣を背中に受けていた。
「――なっ……!?」
 事態が飲み込めず、言葉を失う。
 アマリーを斬った男は、すぐに突っ込んできたロジェに剣の柄でこめかみを殴られ、さらに蹴りを食らって吹っ飛ぶが――そんなことはどうでもいい。
「おい……?」
 服が血で汚れるのもかまわず、恐る恐る、うつぶせに倒れた少女を揺さぶると、彼女はなんとか顔をこちらに向け、
「だ……大丈夫?」
 どう考えても自分が大丈夫じゃないというのに、少女は、口元に笑みすら浮かべている。
「……なぜ、逃げなかった?」
「だって……あぶなそうな人がいたら、助けるもんでしょ?」
「ふざけるな! そのために自分を犠牲にしてもかまわないというのか!?」
「――兄さん、先に手当を!」
 ロジェの言葉に、裂けた服をめくって傷を確認するが――この薄暗さの中でも、出血量といい、もう、手の施しようのない傷であるということはすぐにわかった。ロジェの手も止まり、無言で首を横に振る。
「――ロジェ、手伝ってください。彼らを外に運びます」
「……ああ」
 呼ばれて、ロジェは、さっき自分達が倒した男達を外へと運びに行く。
 目の前では、ひとつの命が消えようとしていた。
 もう、どうにもならない。なにも出来ない。
「あ……あたし、死んじゃうの?」
「…………」
 無言の肯定と受け取ったのか、アマリーは左手の小指にはめていた指輪をはずし、
「こ、これ……あげる」
 震える手で、指輪を握った手を差し出す。
「あたしの、たからもの……レニに、あげる……」
「…………」
 なぜ? とは聞かないでおいた。
 どのみち、答えるだけの余力は残っていない。
「……わかった。もらっておく」
 指輪を受け取ると、彼女は安心したのか、
「うれしい……! ありがとう!」
 満面の笑みを浮かべると、そのまま目を閉じ、動かなくなる。
「……おい?」
 再び揺さぶるが、アマリーはぴくりとも動かない。
「――そろそろマズいぞ! 煙がすごいことになってきた!」
 その声に顔を上げると、火の手はさっきより強くなり、黒い煙がすぐそこまで迫ってきている。
「兄さん! 早く!」
 男達を運び終えたロジェに急かされるが、なぜか動けなかった。
「まったく……早くしろ!」
 ロジェの仲間の一人も駆けつけ、ようやく立ち上がる。
「急げ!」
 急かされ、アマリーを抱きかかえると、出口に向かって走り出す。
 建物の中は異常に暑いというのに、その体はひどく冷たく、軽かった。

 ◇ ◇ ◇

「あわわ……なんだか、スゴイことになってるであります……」
 町を出てすぐの丘の上から眼下を見下ろすと、さっきまで自分達のいた建物からは もくもくと黒い煙が立ち上り、崩れたがれきの隙間から、炎が見えた。
「一応言っておくが、勝手にロウソクを倒して火をつけたのは向こうだ」
「ですがこの場合、我々のせいにされるんでしょうね」
 口をとがらせるジェレミアに、ユリエルは冷静に返す。
 たしかに、やりすぎたかもしれない。
「どうする? こんな状況じゃ、当分あの町には近づけねぇぞ」
「そうですね……」
 つぶやき――ちらりと、後ろに目をやる。
 そこには、もう冷たくなった少女を抱きかかえたまま座り込んだ主教の姿があった。
 ロジェも、さっきからかける言葉を探してはいるのだが、適切な言葉が思いつかない。
「……あ、あのさ、兄さん……」
 ようやく、なにかを言おうとしたが――それを遮(さえぎ)るように、
「これが……女神の世界……」
 腹の底から絞り出すように、暗い声だった。
「兄さん?」
「見ろ」
 言われてあたりを見回すと、周辺の木々はほとんど枯れ果てている。
 自分達が最初に降り立った山もそうだったが、ここはもっとひどいようだ。
「草木も枯れ果て、人が人を売り、それを平気で生業(なりわい)とし……これが女神の世界だというのか?」
 重苦しい沈黙があたりを包む。
 しばらくして、
「……我々は、まだ、この地に来たばかりです」
 ユリエルは一同を見回し――最後に、主教に視線をやると、
「一カ所を見ただけでそうと決めるのは、まだ、早いですよ」
「…………」
 誰も、なにも言わなかった。
 代わりに、
「――墓……」
 ぽつりと、ロジェが口を開き、まるで眠っているような顔の少女に目をやると、
「明るくなったら、墓、作ってやらないと……」
「……ああ」
 それだけ言うと、明るくなるまで、誰も口を開くことはなかった。

「――人って、死んじゃうとどうなるでありますか?」
 ふいに、テケリが誰にともなく聞いてくる。
 夜が明けると、落ちていた木の枝や板をスコップ代わりに穴を掘り、少女――アマリーを埋葬した。
 明るくなってからあらためて見てみると、この森だけでなく、町周辺の植物はほとんどが枯れ果て、出来上がった小さな墓に、花すら供えられない。
 テケリの問いかけに、ジェレミアは腕組みしたまま、
「……フン。死体など、ただ土くれに返るだけだ」
 そう返すと、テケリは半眼になって、
「ジェレミアさんは夢がないであります」
「人の死のどこに夢がある!」
「――ギャー! イタイ! ジェレミア姉様、イタイであります!」
 こめかみを、拳で左右からぐりぐりやられ、早朝の丘に悲鳴が響く。
「――人は死んだら、体は大地に返って、魂は風になるそうだ」
 その言葉に、視線がキュカに集まる。
「風になった魂は、世界中を駆けめぐって――最後は、マナの女神の元にたどり着き、そこで真っ白な新しい命になって、また世界に産み落とされる……俺の故郷、ローラントじゃ、そう言われている」
「風……で、ありますか?」
 あいにく今吹き付ける風は、昨日の火事の影響か、コゲ臭い。
「――くだらん。死は、ただの死だ。土に返ってそれで終わり……どんな生き方をしようとも、死ねばそれでおしまいだ」
 その声に振り返ると、木の陰に座っていた主教が立ち上がり、キュカをにらみつけ、
「なんの意味もない」
 真っ向から否定する。
 焦げ臭い風が吹き、髪や服が揺れる。
 険悪な空気が流れる中、これまで黙っていたロジェが、
「……兄さん、俺達と一緒に行こう。一人じゃ無理だ」
「なに?」
 真顔で言ってくるロジェに、彼は驚いた顔をしたが、すぐに、
「冗談じゃない。一度戦った連中と行動を共にするなど……馬鹿げている」
「――俺も嫌だね」
 キュカもうんざりした顔で、
「一応、つきあいで助けてやったが――だからって、一緒に行くとまでは言ってねぇ。第一、わかってるのか? こいつは言うなれば戦犯だ。実際に自分が手を下したわけじゃないとはいえ、間接的に、世界中をメチャクチャにして、大勢殺した。ユハニやエレナも、こいつが殺したようなもんだ」
「…………」
 黙り込むロジェに、キュカはさらに、
「本当なら、ウェンデルに突き出して裁きを受けなきゃならねぇ。……たとえ大魔女の鏡のせいだとしても、それで死んだ連中や、残された家族が納得するか?」
 それは、紛れもない事実だった。
 死んだ者達のことを思うと、たとえ肉親とはいえ、許されるわけがない。
 しかし――
「――それでも……俺にとっては、兄さんなんだ。ただ一人の」
 その言葉に――キュカは深いため息をひとつつき、少し考えてから、
「……ま、俺に人を裁く権利なんてねぇし……かと言って、そいつを一人でほったらかしにしといたら、また何しでかすかわからねぇ。監視がいるな」
「監視?」
 きょとんとするロジェに、ジェレミアも、
「あたしも、そんなヤツと一緒に行くのはゴメンだが……目のつくところに置いておいたほうが、後々、面倒が少なくて済む」
「それに、ちょうど魔法使いを探していたところですしね。こちらに置いておいたほうが、なにかと好都合でしょう」
「なに?」
 主教はどちらかというと、ユリエルの言葉に引っかかったらしい。
 しかし、彼がそれを聞き返すより先に、
「はいはーい! テケリも、しっかり見張るであります!」
 テケリが、無邪気な笑顔で手を挙げる。
「……みんな、ありがとう」
 とまあ、話がまとまりかけたところで、
「待て。私は、おまえ達と一緒に行くとは――」
 言いかけて、突然、背後から ぐわしっ! と、肩をつかむ手があった。
「――一緒に、く・る・な?」
 肩をつかんだ主――いつの間にか、主教の背後に回ったジェレミアが、耳元でドスの効いた声でささやく。
「……わかった」
 顔面蒼白になりながら、彼は少し、素直になった。