「……兄さん、大丈夫か?」
「……………」
心配そうな顔で、ロジェはさっきからレニのほうを何度も振り返るが、当の本人は無言だった。
魔法使いを捜しに、大きな街へ向かうことになったのだが、当然、歩いて行くしかない。
おまけにここら一帯すっかり荒れ果て、似たような光景ばかりだ。時折モンスターも出没したりと、お世辞にも『楽しい旅路』とは言えない。
「ここに来てからというもの、戦ったり歩いてばかりですからね。旅慣れない人には辛いでしょう」
「テケリもクタクタであります~! 休憩を要求するであります!」
テケリがダダをこね、隣のラビも『そうだそうだ』と言わんばかりにぴょんぴょん跳ねる。
ユリエルは足を止め、
「……そうですね。では、少しだけ――」
「私はまだ歩ける」
休憩を、と言う前に、レニが口を挟む。
「こんな所で時間を潰すより、さっさと先へ進んだほうがいい」
「兄さん、あんまり無理は――」
「無理などしていない」
無理をしているのは丸わかりなのだが、本人は認めるつもりがないらしい。キュカはあきれた様子で、
「まったく、この主教は……疲れてるのはみんな同じだ。どっかの誰かのおかげで、やってきて早々ゴロツキ連中と戦うハメになるわ、船は動かせねーわ……なのに、礼のひとつもないときた」
「頼んだ覚えはない」
「……コイツ……」
バチバチと、二人の間に火花が飛び散る。
「おいおい、なんで二人とも、そんなに仲悪いんだよ?」
『フンッ!』
ロジェが間に入るが、二人は互いに背を向ける。
「……十分元気そうだな」
「そうですねぇ」
二人は放っておいて、ジェレミアとユリエルは、いそいそと枯れ枝や枯れ葉を集める。
ロジェはレニをなだめるように、
「まあ、とりあえず……みんな疲れてるんだからさ。ここはひとつ、合わせてくれよ」
「……わかった」
「うきょきょ! ロジェの言うことには素直でありま――ひたたたた!」
レニに右の頬をぐいっーっ、と引っ張られ、テケリの悲鳴が辺りに響く。
「ほう。よく伸びる顔だな。次は両側から引っ張ってみるか」
「ヒー! ひひゃいふぇありまふ! おにいひゃま!」
「さて、お茶でも沸かしますか」
後ろの騒動は無視し、完全休憩モードで、ユリエルは集めた枯れ枝に火をつけた。
「ここが、ウェンデル……?」
レニが辺りを見回しながら、戸惑った様子でぽつりとつぶやく。
「さすがに、俺達が知ってるウェンデルとは違うみてぇだが……なんだろうな。この格差は」
黄色のレンガで出来た建物が整然と並び、目抜き通りには着飾った人々が行き交い、街全体、なんとも活気づいている。
しかし、不気味な違和感を感じずにはいられなかった。
「ここに来るまでに通った村は、貧困であえいでいるというのに……なぜここだけ、こんなに活気づいている? ウェンデルと言えば、私達の時代では『聖都』ではなかったのか?」
レニの言う通り、ここに来るまでの数日間、立ち寄った村ではその日食べるものにも困り、中には、自分達の荷物を奪おうと襲ってくる者までいた。
にも関わらず、ここら一帯を収めるウェンデルがこれだ。もし、自分達が最初にたどり着いた街がここだったら、この世界は平和でなんの問題もないと思ったかもしれない。
「とりあえず、二手に分かれて街を見て回りましょう。魔法使いも捜さねばなりませんし」
ユリエルの言葉に、ジェレミアはテケリとレニを順に見やり、
「せいぜいはぐれないようにな。特にテケリとおまえ」
「……なぜ私なんだ?」
「テケリがしっかり見張るであります!」
ジェレミアにクギを刺され、釈然としなかったのか、一緒にクギを刺されたテケリをなんとなく殴る。
「ギャー! なんで殴るでありますか!? ヒドイであります!」
「……俺が見ておくから」
「頼みますよ」
ユリエルに念を押され、ロジェはため息をついた。
◆ ◆ ◆
「久しぶりの都会であります。ンフフ~♪」
「ずいぶんと楽しそうだな」
「いつも楽しそうに見えるが……」
鼻歌まじりに前を歩くテケリの後を、ラビがぴょんぴょんついて行く。
一瞬、その姿に妙な既視感を感じた。
そうだ。子供の頃、よく自分達の前を――
「――ずっと気になってたんだけど……アナイスはどうなったんだろう?」
どうやら、二人そろって同じことを考えたらしい。ロジェが、急にそんなことを言い出す。
「……わからない。私と同じように、闇に呑まれて――そのまま消えたか、運が良ければ、どこか別の世界に流れ着いたかもな」
「そう……だな」
ロジェの表情が曇る。
自業自得と言えばそうかもしれないが、一応は幼なじみなのだ。気になってはいたものの、他の者達の手前、自分からは言い出しにくかったのだろう。
「……ヤツのことだ。そう簡単にはくたばらんだろう」
別に励ますつもりで言ったわけではないのだが、その言葉にロジェの表情が明るくなる。
「そうだよな。流れ着いた先で、少しは心を入れ替えてくれればいいんだけど」
「……それはどうかな……」
――そう簡単に変わるか? あの王様が。
それがわからないロジェではないだろうが、本気でそう思っているらしい。
「それにしても、不思議だよな」
「何がだ?」
聞き返すと、ロジェは笑いながら、
「まさか、兄さんとこうして一緒に旅が出来るなんてさ」
「…………」
レニも少し考え、
「……ああ。本当なら、もう一生会うことはないはずだった」
――もしくは、あの戦いでどちらかが死んだか――
それは口に出さないでおいた。
「兄さん、こういう所初めてだろ? 俺も宮殿を出た頃は、初めてだらけで、慣れるまで大変だったよ」
「たしかに、こんなにうるさい場所は初めてだ」
見回すと、所狭しと人の波ができ、ざわざわと、話し声や足音、様々な音が入り乱れ、自分達の声も注意していないと聞き逃しそうだ。
それを思うと、いかにあの宮殿が静かだったかがよくわかる。
「――二人とも遅いであります! 早く行くであります!」
先に行っていたテケリが、いつの間にか二人がついてきていないことに気づいて戻ってくる。
「ああ、悪い」
「……ところでテケリ達、これからどこへ行くでありますか?」
今さらな問いに、ロジェは肩を落とし、
「とにかく、まずは魔法使いを捜さないと」
「……ロジェ。私は、『マナの教団』について調べたいのだが」
「え?」
初めて聞いたのか、驚いた顔で振り返る。
「マナの女神信者とか、そういう団体か?」
レニは周囲を気にしつつ、小声で、
「詳しくは知らないが……女神を信仰する団体が身分制度を作るなど、我々の時代であるのか?」
「なんでありますかそれ? 女神さまは、そんなことしないであります!」
「テケリ!」
ロジェが慌ててテケリの口をふさぎ、人気のない裏路地へ移動する。こんなに人がいる場所では、落ち着いて話も出来ない。
ロジェはテケリを解放しながら、
「教団ってことは、俺達の時代で言うウェンデルの神殿みたいなものか?」
「さあな。マナの女神を信仰する団体であることは確かだろうが……どうにも、うさんくさい」
「なんででありますか? 女神さまを信仰するのは、テケリ達の時代でもあたりまえであります」
確かにそうだった。
ウェンデルを始めとして、各国で女神信仰は当たり前のように存在する。
しかし――
「いつかのあの落書き、覚えているか?」
「あ、ああ。『くたばれ』とかなんとか……」
「あの死んだ娘……あの娘の話では、二年ほど前に教団によって身分制が作られ、逆らった者は処刑されたらしい。丸ごと潰された村もあるそうだ」
「なんだって?」
驚き、目を丸くする。
「えーと……どういうことでありますか?」
なんとか話について行こうとするテケリに、ロジェはわかりやすく、
「ようするに、マナの女神の名前を利用して、悪さしてるんじゃないかってことだよ」
単純明快な説明に、テケリは今度は顔を怒りで赤くして、
「ホントでありますか!? ヒドイであります! けしからんであります!」
「まだ、そうと決まったわけではないがな」
一応、付け加えておく。
「でも兄さん、どうして? 俺達に協力する気にでもなったのか?」
「フン。ただ気になっただけだ。おまえ達の馬鹿げた思想にまで付き合うつもりはない」
「…………」
「素直じゃないであります。――ギャーッ! イタタ! イタイであります!」
拳で脳天をぐりぐりやられ、テケリが悲鳴を上げる。
「とりあえず、少し調べてみよう。魔法使いも捜さなきゃいけないけど……」
「ああ……これだけ大きな街だ。なにもないことはないだろう」
「――あっ!」
話がまとまったところで、突然、テケリが大声を上げる。
「ラビきちがいないであります!」
言われて辺りを見回すと、確かに、テケリと一緒にいたはずのラビがいない。
「たいへんであります! 迷子であります!」
あわてふためくテケリを、レニは冷たく見下ろし、
「……ラビなど放っておけばいいだろう」
「ダメであります! ラビきちも仲間であります!」
「てっきり非常食かと思っていたが……」
「うきょっ!? そりゃあないぜー! であります! ヒドイであります!」
両腕をばたばたさせるテケリに、ロジェは苦笑しながら、
「わかったわかった。俺達も捜してやるから」
「私は捜さない」
『……………』
「……わかった。私も捜してやる」
二人に無言の目で訴えられ、レニはため息まじりにうなずいた。
* * *
「そうですか……ありがとうございます」
ユリエルは屋台の老人に礼を言うと、二人の元に戻る。
「そっちはどうだった?」
「やはり、魔法使いは光の神殿にしかいないようですね」
キュカの問いに、肩をすくめて返す。この調子だと、誰に聞いても同じ返答だろう。
ジェレミアは、神殿があるという街の中心部に目をやり、
「どうする? 行ってみるか?」
しかし、キュカは腕組みをしたまま、
「だが、厳しい戒律だのなんだので、中の人間は外の人間と自由に会えないって話だろ? なんのツテもない俺達が突然行ったところで、頼みなんて聞いてくれるのか?」
「そうですね……」
自分達の知っているウェンデルは、身分も国も関係なく、誰にでも開かれた場所だ。だが、この『ウェンデル』は、厳しい戒律で閉じられた印象が強い。おまけに、時々、武装した僧兵までうろついている。
もしかすると、にぎやかさの裏で、なにか物騒な事件でも起こっているのかもしれない。
「――ここで、じっとしていても仕方ない」
ジェレミアの言葉に顔を上げると、彼女は再び神殿の方角に目をやり、
「ひとまず神殿まで行ってみよう。この調子だと、ロジェ達も同じだろうしな」
「仕方ないですね。……あの三人、大丈夫でしょうか」
考えてみると、一番問題行動を起こしそうな二人を、ロジェ一人に任せてしまったのだ。心配になるのも当然だった。
キュカも、一瞬心配そうな顔をしたが、
「まあ……テケリはともかく、ガキじゃあるまいし、大丈夫だろ」
言いつつも、「……たぶん」と、小さく付け加える。
「フン。迷子になることはあっても、さすがに、また奴隷商人に捕まるなんてことはないだろう」
ジェレミアの言葉に、ユリエルとキュカは顔を見合わせ、
「……それもそうですね」
「……だな」
納得した様子でうなずく。
「そうと決まれば、さっさと行くぞ。ここはゴミゴミしてて好かん」
「ハイハイ……」
こちらの返事より早く、ジェレミアはずんずん歩き出した。
◆ ◆ ◆
「ラビきちー! どこでありますかー!?」
ラビを呼びながら、テケリは手当たり次第に、ゴミ箱や建物の影、植木鉢の下などを調べ回る。
「……そんな所にラビが入るか」
「でも、こんな所ではぐれたら、簡単には見つからないぞ」
ロジェが困った顔で辺りを見渡す。
通りは人がごった返し、建物や屋台が建ち並んでいる。うっかり呑まれたら、あっという間に流されそうだ。
レニは雑踏を眺めながら、ぽつりと、
「……とっくに踏み潰されて、ミンチになってるかもな」
「うきょっ!?」
「あ! いやいや、さすがに蹴られはしても、ミンチはない――」
「たいへんであります~!」
ロジェがフォローしようとするが、聞いてなかったらしく、テケリは半ばパニックを起こしながら両腕をばたばたさせる。
ロジェは小声で、
「……兄さん。ミンチとか、あんまりグロいことは……」
「そうか? 不思議はないと思ったのだが……」
真顔で返す。
「ラビきち~! ミンチはイヤであります~!」
あっちはあっちで真に受けている。
「あ! おい、おまえまで迷子になるな! 兄さんも早く!」
勝手にどこかへ走り出すテケリを、ロジェが慌てて追いかける。
「まったく……」
ため息をつき、自分もその後を追おうとし――
「…………?」
ふと、足を止める。
ほんの一瞬だ。一瞬だったが――今いる通りの、路地を抜けたさらに向こうの通りに、見覚えのある人影が見えた。
「――あれは……」
その人影はすでに視界を横切り、消えていた。
誰かはわからない。
しかし――引っかかる。
振り返ると、テケリを追いかけるロジェの背中が小さく見えた。今なら、ギリギリで追いつけるだろうが――
「…………!」
レニは身を翻(ひるがえ)すと、路地へ駆け込み、人影が見えた通りへと走り出した。
◇ ◇ ◇
「――まあ……予想はしてましたが……」
神殿の前――正確には神殿近くの小さな公園で、ユリエルは困った顔で腕組みをした。
「……兄さん、運動神経悪いから……」
ベンチに座り込み、ロジェはがっくりうなだれる。
「ラビきち~! お兄さんもどこでありますか~?」
さっきからテケリが呼び続けているが、呼んで出てくれば、誰も苦労はしない。
「まったく、ヒモでつないどけよ」
「いい迷惑だな」
キュカとジェレミアの言葉に、ロジェはさらに肩身が狭くなる。
「きっと今ごろ、一人で困ってるであります! 早急に身柄をカクホするであります!」
「だよな……兄さん、世間知らずだし、こんな大きな街、初めてだし……」
「常識欠けてるし性格悪いし魔法使えないしな」
キュカは本人がいないのをいいことに、余計なことを付け加える。
「とにかく捜しましょう。日が暮れると、市民は外出してはいけない決まりだそうです」
「そうなのか?」
聞き返すロジェに、ジェレミアはうなずき、
「戒律とやらでな。夜になると、僧兵や許可のある者以外の外出は許されないらしい。捕まるとやっかいだ」
西の空を見ると、いつの間にかずいぶん日が傾いている。
「そろそろ人も少なくなるでしょうから、見つけやすくなるとは思いますが……宿も探さなくては」
「宿はあたしとテケリで探しておく。おまえらは手分けして、あの主教を捜してこい」
「ラビきちも忘れずにひとつ! であります!」
ジェレミアの言葉に、テケリが挙手(きょしゅ)して付け加えた。
◆ ◆ ◆
いったん足を止め、辺りを見回す。
心なし、人通りは減ったような気がするが、その中に見覚えのある顔はなかった。
「――くそっ。見失ったか」
肩を上下させ、膝に両手をつく。
目的の人物を見失い、ロジェ達とも完全にはぐれた。おまけに、似たような建物が並んでいるせいで、どこをどう走ったのかもわからない。
――何をやっているんだ。私は……
冷静になるにつれ、自分の行動が馬鹿馬鹿しくなってきた。
そもそも、ここは古代のファ・ディールだ。知り合いなどいるはずがない。
いるわけがない。
仮にいたとしても、会ってどうする?
何もかも失い、生き恥をさらしている自分が、今さら『彼』と会ったところで――
「…………」
少し落ち着いたところで、今度はゆっくり歩き出す。
周囲を見渡すと、大勢の人が行き交っている。この中から目当ての人間を見つけ出すのは、ひどく困難な気がした。
「こんなに大勢人がいるのに……」
――一人、か。
通りを歩く人間は、それぞれ思い思いの方角へと進み、誰一人として、自分になど見向きもしない。
奇妙な感覚だった。
こんなににぎやかなのに、取り残されているような――そんな気分だ。
ふいに、視線を下に向けると、丸くて黄色いものが目についた。
「――キィッ!」
向こうも気がついたのか、まっすぐこちらに向かって跳んでくる。
「……まったく、こんな所にいたのか」
足下にすり寄ってきたラビをなで、そのまま抱きかかえる。よほど心細かったのか、ラビは安心しきった様子で胸に鼻を押しつけてきた。
さて、どうしたものか。
ラビは見つかったものの、今度はロジェ達を捜さなくてはならない。
とにかく引き返そうと振り返ると、いつの間にか、背後に銀色の甲冑と槍で武装した兵士が立っていた。
あらためて見回すと、三人の長身の兵士に囲まれている。全員、フルフェイスの兜をかぶり、顔すら見えない。
「何か用か?」
正面にいた兵士をにらみつけるが、彼らはそれには答えず、脇の細い路地に目を向ける。
つられて自分も目をやると、こちらに向かって、誰かがやってくるのが見えた。
「――いやぁ、驚いたよ」
暗くて顔がよく見えないが、白い法衣に、青いマントを身につけた、若い男のようだ。身の丈ほどの長さの、棒状の包みを肩に担いでいる。
「もう会うことはないと思っていたけど……まさか、また会えるとはね。腐れ縁ってヤツかな?」
「おまえ……は……」
声や雰囲気に覚えがあった。しかし――何かが違う。ラビも警戒してか、身をこわばらせる。
「にしても、意外だなぁ。キミともあろう者が、そんな貧乏くさい格好して、ラビとツーショットだなんてさ。ま、可愛くていいんじゃない?」
何か言い返してやりたいところだったが、それよりも驚きのほうが大きく、言葉が出てこない。
彼は適当な所で足を止めると、
「さて……と。こんな所で立ち話もなんだからさ。一緒に来てくれる? 別に取って食うわけじゃないから」
間違いなかった。
「アナイス……? どうして……」
ぽかん、と、口を開けるこちらに対して、アナイスはにっこりほほえんだ。