10.頑張りやさん - 3/3


「ここ、どこ……?」

 薄暗く、肌寒い。

 気がつくと、荒れ果てた庭園に立っていた。奥に目を向けると、石造りの古い城がそびえ立っている。

「なんやここ。気味悪いなぁ」

 ついてきたのか、ウンディーネが姿を現す。

 たしかに、気味の悪い場所だった。

 堀の水は赤く濁り、動物の死骸が浮いている。単に、苔で赤く見えるのか、もっと別の理由なのか――あまり深くは追求したくなかった。

 木々もどことなく赤みを帯びた緑色をしており、それが不気味さに拍車をかけている。

 そして耳を澄ませると、木々のざわめきに混じって、歌が聞こえた。

 

 ――なに? この歌……

 

 とてもきれいな歌声なのに、どこかもの悲しい、聞いていると気分が沈みそうな歌声――

「えー、それでは、夢の世界での注意点をご説明しますぅ」

「うわっ!?」

 声に振り返ると、巨大な生き物の顔面がすぐそこにあった。

「なにこれ!? こんな大きかった!?」

 後ずさってようやくバクだとわかったが、なぜか牛くらいの大きさになっている。さっき見た時はベル一人が乗れる大きさだったはずだが……

 バクの背に乗ったベルは、嫌そうに暴れるラビを抱えたまま、

「ですからぁ、ここは夢の世界ですぅ。なんでもアリなんですよぉ」

「夢の世界……」

 改めて見渡すが、夢の世界にしてはリアルな光景だった。一体、どんな夢を見ているのだろうか。

「それでは改めまして、夢の世界での注意点をご説明しますぅ」

 気を取り直し、ベルは中断していた説明を始める。

「まずひとつ。干渉しすぎないこと。はっきり言って不法侵入ですからぁ。ヘタにちょっかいは出さないでくださいねぇ」

「……まあたしかに、自分の夢ン中のぞき見されたら、普通は嫌がるわな」

 サラマンダーも姿を現し、きょろきょろと辺りを見渡す。

「で、二つ目は、『ここは夢の世界である』ということを忘れないこと」

 意味がわからず目をぱちくりさせると、ベルはおどろおどろしい声で、

「夢はあくまで夢。見ているのはその人の過去だったり、望みだったり……それがごっちゃになっているんですぅ。うっかり深みにはまると大変ですよぉ~。二度と出られなくなるかも……」

「ちょ、ちょっと! 連れてきてから危険性の説明しないでよ!」

 さすがに焦って抗議すると、ベルはケラケラ笑いながら、

「ま、私からはぐれなければだいじょーぶですぅ! なんたってプロですからぁ」

「ホントに大丈夫でしょうね……」

 なんとなく不安ではあったが、ベルは帽子を直し、

「なにはともあれ、私達の目的はあくまでもタナトスの力を抑えること。のぞきじゃないですぅ」

「それはわかったけどよ……さっきからなんだ? この歌は」

 言いながら、サラマンダーが空を見上げる。

 別に空から聞こえるわけではないが、どこからともなく聞こえるこの歌は、途切れることなく続いている。

「キレイな歌だよな」

「でも……なんだか寂しい歌ね」

 ルナも耳を澄ませ、その歌に聴き入るが――ウンディーネは肩をすくめ、

「たしかにキレイな歌やけど、陰気くそうてしゃーないわ。ウチは好かん」

「そーよ。こんな歌より、わたしの歌のほうがよっぽどうまいわよ」

 こちらの言葉に、サラマンダーは意外そうに目を丸め、

「なんだ? お前、歌なんか歌えるのか?」

「失礼ね! セイレーンよりうまいって評判だったのよ!? ……もう、ずいぶん歌ってないけど」

 そういえば、最後に歌ったのはいつだっただろうか?

 鼻歌くらいならあったと思うが、ここ数年、歌うことはなかったと思う。

「フフッ……じゃあ、自慢の歌声は後で聞かせてもらうとして、そろそろ行きましょう」

 ルナに促され、城へと向かう。

 古そうではあるが、ずいぶん立派なたたずまいだ。しかし、この庭園の雰囲気のせいか、城そのものがおどろおどろしい気がする。

「ここに住んでたとか? ……まさかねぇ」

 城に住む者といえば、王様や貴族、あとは使用人だろうが――

 近くにいたウンディーネに目をやると、真顔で、

「こんなとこに葬儀屋が住むってのもヘンよね」

「……まだ葬儀屋と思っとるんかアンタ……」

「えー? でも、専属の葬儀屋とかって可能性はない?」

「専属の葬儀屋雇わなアカンくらい死人が出たら困るやろ!」

 ウンディーネのツッコミが冴える。

「――キュゥッ!」

「あっ。ラビちゃん、どこ行くですかぁ?」

 突然、ラビがベルの腕をすり抜け、城へ向かって跳ねて行く。

「乗ってくださぁい」

 ベルに促され、慌ててバクの背に乗ると、思ったよりも早いスピードで走り出す。

 いや、走っているというより、

「なんか浮いてない!?」

「ですから、ここでは常識が通用しないんですぅ。何度も言わせないでくださぁい」

「そ、そうかもしれないけど……」

 ベルは振り返りもせず答えるが、こちらは初めてなのだ。戸惑うなと言われても、無理な話だった。

 ラビの後を追って庭を抜け、城の中に入ると、突然テラスに出た。

 しかし今度は、雰囲気が違った。

 さっきまでの不気味さは消え、明るい光が差し込んでいる。同じ城の中のようだが、その雰囲気はまるで違う。

「ごっちゃになってるって、こういうこと?」

「記憶がつぎはぎになってるってトコですかねぇ。とにかく、何が起こるかわからないのが夢の世界ですぅ」

 下を見ると、足(?)を止めたラビがきょろきょろと辺りを見回し、再びどこかへ向かって跳んで行く。

「もうっ。どこ行くのよ?」

「まあ、いいじゃねぇか。追いかけてみよーぜ」

 サラマンダーが先頭を切って、ラビを追いかける。

「――ねぇ、あれ!」

 ルナの声に顔を上げると、幼い少年が二人、並んで外を見ているのが見えた。

「あれって……レニとロジェ?」

 顔だけでなく、服装まで同じなので、どっちがどっちなのか見分けがつかないが、二人であることに間違いはない。

 ラビは、二人に向かって跳んで行き――突然、二人の姿が消える。

 いや、二人が消えたというより、こちらが別の場所に移動してしまったらしく、今度は礼拝堂らしき場所に立っていた。

「キュ?」

 目標を見失い、右往左往するラビに追いつくと、バクが鼻を伸ばしてその体を拾い上げる。

 ベルは、バクの鼻に拘束されたラビをにらみつけ、

「もー、ダメですよぅ。はぐれたらどうするですかぁ?」

「キュゥ……」

 ラビは不満そうだったが、あきらめたのか、ベルの腕の中でおとなしくなる。

 ベルはこちらに振り返り、

「とにかく、さっきも言いましたけど、私達の目的はタナトスですぅ。興味があるのはわかりますけど、素人さんがうかつに踏み込んだことをすると後々面倒ですから、気をつけてくださいねぇ」

「わたしじゃなくて、そっちに言ってよ」

 ラビを指さすが、当のラビはプイッ、とそっぽを向く。

「か……かわいくないわねー……」

「とにかく急ぐですぅ! ちんたらしてると、タナトスが夢を荒らしちゃいますよぉ!」

 その言葉を実証するかのごとく、突然、自分達がいた空間がぐにゃりと歪み、次の瞬間には真っ暗な空間になる。

「なにこれ!?」

 ウンディーネも辺りを見回し、

「タナトスが、ウチらを拒んどるんか?」

「かもしれないですねぇ。それにこの歌……バクちゃんの方向感覚を狂わせてるみたいですぅ」

 歌は相変わらず続いており、その歌を嫌がってか、バクは眉間にシワを寄せ、頭を左右に振る。

「こうなったら仕方ないですねぇ。タナトスよりも先に、レニちゃん本人を見つけるですぅ」

「本人って……どういうこと?」

 それなら、さっき見つけたのを捕まえればよかったのではないか?

 こちらの疑問を察したのか、ベルは、

「だから、ここは夢の世界。過去の記憶だったり、自分の希望だったり、そういったいろんなものがちぐはぐになっていて、私達はそれをのぞき見しているに過ぎないんですぅ。私達が捜さなきゃならないのは、『今』のレニちゃんですぅ」

「はぁ?」

「さっき見たのは、レニの記憶の一部……『過去』に過ぎない。私達が干渉出来るのは『今』だけよ」

 ルナが補足する。

「それに『干渉する』と言っても、私達の目的はタナトスですぅ。レニちゃん本人を見つけても、なるべく干渉せずに近くに張り込んで、タナトスが出てくるのを待つんですよぅ。――というわけで、行きますよぉ!」

 言うなり、バクが走り出し、再び別の空間に飛び出す。

 城の中のようだが、部屋の配置がメチャクチャで、厨房に出たかと思うと今度は書斎、物置やら居間やら、障害物も無視して走り回る。

「ちょ、ちょっと!?」

「とにかく、片っ端から回って捜すですぅ!」

 こちらの苦情は無視して、ベルはさらにバクを走らせる。

「――なんか、ヘンだよな」

「なにが?」

 サラマンダーの声に振り返ると、彼は周囲を見回し、

「これって、あの城の中だろ? それ以外の風景ってのがないぞ」

 言われてみるとそうだった。

 過去の記憶を元に出来た夢なら、これまで行った場所の風景が混じっていてもいいはずだ。

 なのに、すべて城の中――時間のズレはあれども、たまに使用人らしき姿が見られる程度だ。こんなに広いというのに……

「なんか……寂しいとこね……」

「ふぅむ……人に関する夢がないですぅ。お知り合いが少ないんですかねぇ?」

 さすがのベルも、不思議そうに首を傾げる。

 さらに進むと、妙な場所に出た。

「ここ……同じ城の中なの?」

 同じ石造りの建物には違いないが、雰囲気が違う。わずかな明かりが周囲を照らしているが、まるで闇を吸い込んだように黒い石壁と、重く冷たい空気に、背筋に寒気が走る。

 それに――

「……なにこれ?」

 斬り殺されたデーモンを前に、バクが足を止める。一体や二体ではない。

「なあ、これ!」

 ウンディーネの声がする方角へ向かうと、何か光るものが床に落ちていた。

「鏡?」

 なぜかは知らないが、枠ごと破壊された鏡の欠片が床に散らばっている。

 ベルは気配を察知したのか、

「――――! この奥ですぅ! バクちゃん!」

 言われるまでもなく、バクは奥へと走り出す。

「なんだここ? 戦場か?」

 サラマンダーの言うとおり、魔物の死体が累々と転がり、血のにおいが漂うこの光景は、まるで戦場のようだった。

「――ここまでのようだな」

 聞き覚えのある声が聞こえた。

 バクも走るスピードをゆるめ、声がするほうに向かう。

「――いたっ!」

 壁をすり抜け、ようやく目的の人物を発見する。

 

 ――なに? この状況……

 

 一人は、間違いなくレニだった。

 しかし、見たことのない暗緑色のローブを着ており、無表情に突っ立っている。

 そしてその向かいには、白銀の剣を持ち、その切っ先を真っ直ぐレニに向けた人物が立っていた。

「……ロジェ?」

 一瞬、ロジェだとわからなかった。

 その目は憎悪と殺意に満ちあふれ、自分の兄に剣を突きつけているというのに、ためらいも何もない。

「――これは、あくまで夢ですぅ」

 ベルの言葉に我に返る。

「夢の中で死んでも、現実に死ぬことは――あっ!」

 気がつくと、ベルの制止を振り切り、ロジェに向かって駆けだしていた。夢だろうがなんだろうが関係ない。

「ちょっと! 何やってんのよ!?」

 ロジェが振り返り――次の瞬間、その姿が黒い影へと変わる。

「――――!」

 

 ――タナトス!?

 

 血のように赤い目が、自分を捕らえる。

 ロジェに化けていたのだと理解した頃には、タナトスは鋭い爪を振り上げていた。

「――エリス!」

 誰かの声が聞こえ、そして、バクがタナトスに突進する光景を最後に、ぐにゃりと視界が歪んだ。

 

 

「……へっ?」

 ぺたんっ、と、その場にへたり込む。

「ちょっと……」

 廊下に出たらしいが、周囲を見渡しても、誰もいない。

「ねぇ? 誰かいないの?」

 立ち上がり、声を上げるが、返事はない。

 そういえば、ベルが、深みにはまると出られないとか言っていたが……

 とはいえ、じっとしていても仕方がない。適当な方角へ歩き出す。

「…………?」

 気がつくと、広い部屋にいた。

 窓の外を見ると、日没が近いらしく、薄暗い。

 誰かの部屋のようだが、明かりのひとつもついていない。奥に目をやると、窓際に寝台があり、人影が見えた。

「――初めてだな。お前が私に頼み事だなんて」

「そう……でしたか?」

「ああ」

 ベッド脇に立っていたのは、自分と年の近い少年のようだった。誰かに似ている。

 

 ――レニ?

 

 ようやく、ベッド脇に立っている人物が誰なのか、理解する。

 もう一人、ベッドの上で体を起こしている男は、影に隠れて顔がよく見えない。声からして中年の男性のようだが、具合が悪いのか、その声からは疲労感がにじみ出ていた。

 何の話をしているのかわからなかったが、それより顔が気になった。二人に近づこうとして、

「――――!?」

 突然、目の前に木が現れた。

 何が起こったのか理解出来ず、目をぱちくりさせるが――なんのことはない。別の場所に出ただけのようだ。

 慌てて木から離れ、辺りを見渡す。

「ここって……」

 庭だろうか? 夕方らしく、木々や堀の水が朱色に染まり、太陽と反対の方角に向かって、あらゆるものが黒々とした長い影を作っていた。

「…………?」

 ふと足下を見ると、自分だけ影がないことに気づく。そういえば、今はもちろん、ここに来てから影などあっただろうか?

 考えて――すぐに、どうでもいいことだと結論づける。しかし、妙な不安は消えない。

 影がない。ただ、それだけのことなのに……

「――ねぇ、――」

 かすかな声に、顔を上げる。

 声が聞こえた方角に近づくと、二つの人影が見えた。一人は幼い子供で、ここからだと顔が見えない。夕日に照らされ、髪が朱く見えた。

 その向かいに立っていたのはレニのようだが、なぜかひどく困った顔をしている。

「――、もう帰ろう――」

 木々のざわめきと水音に邪魔されて、声がよく聞き取れない。

 もう少し近づこうとして、再び別の場所に出る。

 今度は真っ暗で、外がうるさかった。

 どうやら土砂降りの雨が降っているらしく、一瞬、窓から光が差し込む。雷が落ちたようだ。

 窓の外に目をやると、豪雨が窓を叩き、遠くで雷鳴が轟(とどろ)いていた。嵐が来ているらしい。

「…………」

 なんとなく、故郷を飛び出した時のことを思い出すが、すぐに頭を振る。今はそれどころではない。

 辺りを見渡すと、すぐ近くの大きな扉がわずかに開いており、中から明かりが漏れていた。のぞき込むと、ずいぶん広い空間のようだ。

 気配を殺し、中に入ると、かすかに話し声が聞こえた。

「…………?」

 光源が、周囲に立てられた燭台の明かりしかないので薄暗いものの、奥には祭壇があり、床に描かれた魔法陣らしきものが見えた。儀式か何かを行う部屋だろうか?

 その部屋の中心に、人影が二つ見える。

 子供のようだ。おそらく、十歳にも満たないだろう。

 二人とも同じ緑の髪に、おそろいのローブを着ている。

「あれって……」

 レニとロジェだ。

 どっちがどっちなのかは見分けがつかないが、一人は魔法陣の中央で、ひどくうなだれているようだった。

 そしてもう一人は、それを励ますように、

「――だいじょうぶだよ! ボクが兄さんを守ってあげるから!」

 もう少し近づこうと足を一歩踏み出した瞬間、再び視界が変わる。

「もうっ! 今度は何よ!」

 半ばヤケクソ気味に怒鳴るが、今度は、さっきと違った。

 今度は正真正銘、真っ暗闇だった。

 とても肌寒く、光源もない。単に、明かりを消した部屋の中というわけではなさそうだ。

「…………?」

 耳を澄ますと、すぐ足下で、かすかに子供のすすり泣きが聞こえた。

 

 ――誰?

 

 考えて――考えるまでもないことに気づく。

「ちょっと――」

 しゃがんで手を伸ばすが、確かに気配は感じるのに、手はあっさりとすり抜けた。

「……あ、そっか」

 

 ――干渉、出来ないんだ。

 

 考えてみればそうだ。ここは『過去の記憶』の一部で、自分はいるはずがない人間なのだ。影がないのも当然だ。

 暗闇の中で、自分の手を見下ろす。当然、真っ暗なので何も見えないが、確かにそこにある。

 それと同じで、真っ暗で何も見えないはずなのに、自分の目の前で、膝を抱えて、声を押し殺して泣いている姿が見えた。

「――兄さん?」

 壁越しに聞こえたその声に、すすり泣きがぴたりと止まる。見つかることをひどく恐れているらしく、息さえも押し殺しているのがわかった。

 聞こえたのは、まだ声変わりもしていない、幼い声だ。さっき聞いたのと同じ声だった。

 捜しに来てくれたことに安心するが―― 一向に、見つけてくれる気配がない。必死に捜しているのはわかるのだが……

 軽いいらだちを覚えた頃、あきらめたのか、足音が遠ざかって行く。そして、すすり泣きが再開される。

 エリスは目を見開き、

「ちょっと――なんでよ?」

 立ち上がると、遠ざかる足音に向かって、

「あんた、なんで見つけられないのよ? ここにいるでしょ!? ねぇ――」

 突然、後ろから誰かに腕をつかまれるが、お構いなしに、

「兄さんを守ってあげるんじゃなかったの!? なんで一人でほったらかしにしとくのよ!」

 それ以上の言葉を拒むように、体は容赦なく引っ張られ――あっという間に、別の場所へと引きずり出された。

 

 

「……ここって、お墓?」

 形の違いはあれども古い石碑が整然と並び、元々冷たい空気が、ここだけさらに冷たく感じる。

 突然別の空間に引きずり込まれたが、もはや驚く気にもなれない。

「ねぇ……」

「…………」

 レニは無言のまま、つかんでいた手を放す。タナトスが現れた時に見た、あの陰気なローブを着ていた。

 彼はこちらには見向きもせず、足下の白い石碑を見下ろす。

 自分もレニの隣に立ち、同じ石碑に視線を落とすが、

 

 ――なんて書いてあるの?

 

 見たことのない文字に、眉をひそめる。

 隣のレニにちらりと目をやると、その顔は無表情だったものの――なんとなく、ひどく傷ついているような気がした。そもそも自分の過去を勝手にのぞき見されて、喜ぶ者などいない。

 居心地の悪さと罪悪感に、どうしたものかと途方に暮れていると、

「――も~。ダメですよぅ。勝手なことしちゃあ」

 口をとがらせたベルが、ラビを抱えて姿を現す。精霊達もいたが、なぜかバクの姿が見あたらない。

 こちらの疑問を察したのか、ベルはふよふよ浮いたまま、

「今、タナトスはバクちゃんがおとなしくさせてますぅ。しばらくは大丈夫ですよぉ」

「あのバク、めちゃくちゃ強えぇぞ。あれならほっといても大丈夫だ」

「そ、そう……」

 ベルとサラマンダーの言葉に曖昧な笑みで返すが、この気まずい空気に、次の言葉が出てこない。

「キュゥッ!」

「おっと?」

 ただ一匹、ラビだけがベルの手の中でじたばた暴れだし、レニが抱き上げた途端、安心しきった様子でおとなしくなる。

 ラビを抱いたまま――レニはぽつりと、

「どいつもこいつも……夢の中まで余計なことを……」

「あんた……夢だってわかるの?」

「あたりまえだ。……夢と幻の世界は、私の専門だ」

 特に怒る様子もなく、抱いていたラビから手を放す。

「ねぇ――」

「夢の世界でも……死に損ねた……」

 それだけつぶやくと、もはやこちらなど眼中にないのか、ふらふらとどこかへ姿をくらました。

「キュッ?」

 文字通りレニの姿が消えてしまい、置いて行かれたラビが右往左往する。

「……大丈夫なんかな?」

「私達の目的はタナトスを抑えること。これ以上の干渉はダメですぅ」

 ウンディーネのつぶやきに、ベルが口をとがらせる。

「……ヘタに干渉しすぎると、かえって傷つける……もう、戻りましょう」

 ルナの言葉と同時に、バクが姿を現す。どうやら目的は果たしたようだ。

 しかし、あの歌声は未だに響いていた。

「――そうだ。お前、歌がうまいとか言ってたな?」

 突然、サラマンダーがそんなことを言い出す。

「ちょうどいいじゃねーか。聞き比べてやるから、歌ってみろよ」

「こんな時に?」

 目を丸くするが、今度は、

「わ~! 歌って歌って~! 眠っている時に聞く歌は、悪い夢を消し飛ばすんですぅ~」

 ベルがバクの背に飛び乗り、やんやと手を叩く。

 そんな期待するような視線を向けられると、こちらとしても悪い気はしない。

「じゃあ……ちょっとだけね」

 罰当たりにも、適当な墓石に腰を下ろすと、目を閉じる。

 正直、昔と同じように歌えるか不安があったのだが、意外なことに歌はすんなり出てきた。

 歌の意味も、誰から教わったのかもわからないが、昔から知っている歌だ。

「そうそう。念のために、もう一度言っておきますねぇ」

 頭の中に、ベルの声が響く。

「一度人に取り憑いたタナトスは、決して消えませぇん。追っ払うことも、やっつけることも不可能ですぅ。今回はミエインちゃんの頼みで特別に助けてあげましたが……次はないですからね~?」

 

 ――次?

 

「それじゃあ、私達はこれで。楽しい夢、見てくださいねぇ~。食べに来ちゃいますからぁ~」

 

 ――ちょっと……

 

 目を開くが、辺りは暗闇で、精霊の姿も見あたらない。

 代わりに、肩を激しく揺さぶられる感覚がした。

 

 

「…………?」

 目を開くと、見覚えのある場所だった。

「……やっと起きたか。人が苦労している間に居眠りとは、いいご身分だな?」

「へっ?」

 顔を上げ――ようやく、床に座り込み、ベッドに突っ伏す形で眠っていたことに気づく。

 振り返ると、ジェレミアが呆れきった顔でこちらを見下ろしていた。他の面々もそろっているようだ。

 こちらを見るその目はまるで――というより、まるっきり『看病そっちのけで居眠りこいてたダメ人間』を見る目だった。

「って、ちょ、ちょっと!」

 慌てて立ち上がり(ついでにこっそりヨダレをぬぐい)、何か反論しようとするが、自分自身、ひょっとすると本当に夢を見ていただけなのではないかという感覚に、言葉をなくす。

「ま、まあまあ。夕べからほとんど休んでにゃかったですし、仕方ないですにゃ」

「……でも、テケリ達が走り回ってる間に寝ちゃうなんて、ヒドイであります……」

 ニキータのフォローも、完全に機嫌を損ねたテケリには通用しなかった。

「――まあ、いいじゃねーか」

「少しは具合も良くなったんやし……薬も、もうすぐ出来るんやろ?」

 精霊達が姿を現し、テケリをなだめる。

 レニに目をやると、熱は相変わらずのようだが、呼吸が少し、穏やかになっている。さっき飲ませた薬が効いたのかもしれない。

「――エリス、見て」

 ルナが耳元でささやき、その視線の先に目をやると、首の辺りにまで広がっていたはずの模様が、消えている。

 ルナはこちらにしか聞こえないように、

「タナトスの浸食が収まったみたい。これなら、後は薬でなんとかなるわ」

「う、うん……」

 一応うなずくが、それでもまだ、さっきのことは全部夢だったような気がする。

 

 ――結局……わたし、何やったんだろ。

 

 夢ではなかったとしても、タナトスをどうにかしたのはベルであり、そして、ベルを送り込んだミエインだ。自分は、何もしていない。

 結局のところ、ミエインに助けられてしまった。

「キュ?」

 布団の中からラビが顔を出し、こちらを見上げる。

 自分には懐かない、なんともクソ生意気なラビではあるが――

「……あんたのほうが、役に立ってるのかもね……」

 つぶやき、頭をなでてやる。

 そして次の瞬間、

「――ギャー! やっぱかわいくない! このラビかわいくない!」

「おい、うるさいぞ!」

 手を思いっきり噛まれ、どばどば流血しながら悲鳴を上げる。ジェレミアが怒鳴るが、痛いものは痛いのだから仕方がない。

「……まったく、一人で騒がしいヤツだね、キミは……」

 完成した薬を運んできたテセニーゼは、完全に呆れ果てた顔だった。