15.秘めやかな燦めき - 2/5

「テケリ達は平気だったのに、なんで二人とラビきちはダメだったでありますかねぇ?」
「さて、どうしてですかね」
 意識を失ったエリスを背負ったまま、ユリエルは適当に返す。
 同じく意識を失ったレニを背負い、最後尾を歩くキュカは、ロジェに向かってかなり不服そうに、
「おい……お前、自分の兄貴なんだからさ……」
「あ、家だ」
 キュカの苦情は無視して、ロジェは木々の向こうに見えた家へと足を速める。
 木で出来た、なんとも粗末な家だった。いや、家というより小屋と言ったほうが適切かもしれない。
 木の板でふたをしただけの窓があったが、すべて閉じられている。入り口のドアを叩いても、反応はない。
「留守かな?」
 ドアを開けようとしたが、開かない。ドアの隙間から中をのぞき込むと、内側から棒状の板で引っかけて押さえているだけの、簡単な鍵がついていた。
「ちょっとどいて下さい」
 ユリエルに押され、前を開ける。彼が背負っていたエリスはジェレミアに押しつけたようだ。
 彼もドアの隙間から中をのぞき込み――爪楊枝ほどの細い枝を隙間に突っ込むと、鍵をはずす。
 そしてドアを開け、
「お邪魔します」
 無人の家に向かって一言断りを述べると、ずかずか上がり込んだ。
「…………」
「……不法侵入じゃねぇか……」
 言いつつ、自分達も家の中に上がり込む。真っ暗だったが、ユリエルが跳ね上げ式の窓を開け、外光を入れる。
 外観同様、中も質素なものだった。中心には大黒柱が一本あり、入り口から右手には、作業台も兼ねているのか大きめの机とイスが一脚。あとは棚と、生活用品の類が一カ所にまとめられている。
 左手側に目を向けると、ベッドとタンスがひとつあるだけだった。
「ふむ……必要なものしかありませんね。無趣味な人なんでしょうか」
「隊長、ここ人ンち」
 勝手にタンスを開け、ベッドの下までのぞき込むユリエルに、とりあえず一言言っておく。
 ……とは言え、確かに家主の人物像を想像するには、飾り気も何もない家だった。置物どころか本の一冊もない。
 ふと、視線を感じて振り返ると、シェーラとニキータがぽかんとした顔で立っていた。
 シェーラは無言のまま、知人宅が家捜しされる光景を眺め――なぜか納得した顔で、
「……人間は見ず知らずの人の家に上がり込んで小銭を勝手に持って行くって聞いたことあるけど……ホントだったのね」
「いや、別に全人類がこんなことやってるわけじゃあ!」
「そうやってみんな助け合っているのね」
「助け合うとか、そういうのじゃにゃいと思いますにゃ……」
 フォローのつもりか、ニキータが何かをあきらめた顔でつぶやく。
 シェーラはポケットから小袋を取り出すと、机の上に置く。家主への差し入れだろうか?
 キュカは眠っているレニを適当な場所に下ろし、天井に目をやると、
「それにしてもボロいとこに住んでるな。シミだらけじゃねーか」
 釣られて見上げると、雨漏りの跡だろう。黒いシミが数カ所に出来ていた。床も歩くたびにきしみ、なんとも頼りない。
「この家は十年前の調査の時に、簡易に建てた小屋なんだって」
 エリスをベッドに寝かせ、ジェレミアも室内を見渡し――呆れるやら感心するやらといった感じで、
「こんなボロ小屋、十年もよく保ったな」
「――悪かったなボロ小屋で」
 聞き慣れぬ声に振り返ると、頭から血を流した黒髪の男が入り口に立っていた。手には、血で濡れた斧。
『ヒィッ!?』
「あ、家主の方ですか? 決して家捜しなんてしてませんのでご安心をー」
 何人か悲鳴を上げて後ずさる中、ユリエルだけはにこやかな笑みを浮かべたまま、タンスの中身をそそくさと戻す。
 シェーラは、男が血まみれであることを気にする様子もなく、
「リロイ、お帰りなさい」
「シェーラ……何だこいつらは?」
 よく見ると、本人がケガをしているわけではないようだ。窓から外を見ると、ここまで引きずって来たのか、頭をかち割られた巨大な熊が転がっていた。
「まあまあ、ここは気を押さえて我々の話を聞いていただけませんでしょうか?」
「人んちを勝手に家捜ししてる馬鹿共の話が聞けるか! こんなんでも一応鍵かかってただろ!」
 ユリエルが差し出したタオル(この家の)を奪い取りながら、リロイと呼ばれた男はドアを指さし、激高した。
「困りました。正論です」
「当然っちゃあ当然だけどな……」
 怒らせた元凶に、キュカも何かをあきらめた顔でつぶやく。
 リロイは顔についた血をぬぐいながら、
「お前が連れてきたのか? やっかいごとはごめんだ」
「この人達、あなたと同じ人間よ」
「俺がなんでこんなボロ小屋に住んでるか、わかるか?」
 唐突にそんなことを言い――冷たい目でこちらをにらみつけると、
「俺はな、人間が嫌いなんだ」
「お前だって人間じゃないか」
「そうだ。俺は人間だ」
 食ってかかるジェレミアに、即答する。
「人間の世界に住んでいると、否応なしにでも人と関わることになる。それと比べれば、どんなに不便でもこのボロ小屋のほうが俺にとっては居心地がいい。人間の世界は無駄が多すぎるんだ」
「無駄……」
 言われてようやく、家主の趣向を理解する。
 とにかく無駄がないのだ。必要なものしか置かず、ただ、生きることのみを目的としている。

 究極の、無駄を省いた生活。

 この家は、その結果なのだ。
「わかったらさっさと出て行け。そして俺に関わるな。お前達の事情なんて俺の知ったことじゃない」
「……わかりました。ただ、ひとつだけ忠告を」
「忠告?」
 ユリエルの言葉に、眉を動かす。
「マナストーンを狙っている者達がいます。すでに各地のマナストーンが奪われ、恐らく、次はこの地に眠る石を狙ってくるでしょう」
「……俺には関係のない話だ」
「あなたの事情に構ってくれる相手ではないと思いますよ」
「…………」
「それでは、失礼します」
 そう言うとユリエルはさっさと外へ向かい、後を追って全員、ぞろぞろと家を出る。
 外に放置されていた熊の死骸を横切りながら、
「……どーすんだ? 確かにマナストーンのことを知ってるみたいだったけどさ。手がかり、他にないんだろ」
 キュカの言うとおり、リロイはマナストーンのことを『知らない』とは言わなかった。
 問題はどこまで知っているかだが、現段階では確認のしようがない。
 リロイの家が見えなくなってようやく足を止めると、
「そうですね……あの、シェーラさん。あなたの村にお邪魔するというのは無理ですか?」
「え?」
 急に聞かれ、シェーラは戸惑った顔で、
「……それは……無理だと思う」
「先ほどリロイさんにも言いましたが、マナストーンが狙われているんです。なんとか村の長に頼んではもらえませんか?」
「でも……」
「今日はもう遅いですし、我々はこの辺りで野営していますから。返事は明日でも構いませんよ」
 食い下がるユリエルに、シェーラは悩んでいたが、
「……わかった。それじゃあ、明日」
 そう言うと彼女はこちらに背を向け、小走りに去っていく。
 その姿が見えなくなると、
「さて、我々も野営の準備でもしますかね」
「――あっ!」
 突然、テケリが大声を上げ、全員の視線がそちらに向く。
 テケリは両手を振るわせ、
「ラビきち、忘れてきたであります!」
『――あっ』
 その言葉に――ラビと、あと二人、足りないことに気づく。
 一瞬の沈黙ののち、
「さて、どこかいい寝床はないですかね」
「無視!?」
「殺されやしませんよ。たぶん」
「いや、そうは言っても年頃の娘が――」
「あの貧弱な胸では誰も関心持ちませんよ」
「ラビきちもお肉柔らかそうでまんまる肥えてるであります!」
「熊一匹いれば肉はもう十分でしょう」
 さすがに慌てるジェレミアとテケリから目をそらしつつ、野営の準備を始める。
「……わざとだよな。絶対……」
「もうあきらめるしかねーだろ。色々と……」
 慌てるジェレミア達を横目に、ロジェはキュカと愚痴をこぼしながら、さっさと薪拾いを始めた。

 * * *

 侵入者を追い出した後。
 薄暗かったので気づかなかったが――なぜか、ベッドに女が一人、床に男が一人、イスに一匹のラビが眠っていた。
「……なんだ? こいつら……」
 リロイはとりあえず、足下で眠っていた男を軽く蹴ってみるが、起きる気配はまったくなかった。

 ◇ ◇ ◇

「ごめんなさい。みんな、人間とは関わりたくないみたい。村にも近づかないでくれって」
「そうですか……」
 朝の身支度も調った頃、現れたシェーラの言葉に、ユリエルは肩を落とす。
「これからどうするでありますか?」
「どうしたものですかね……」
 テケリの問いに、全員困った顔でため息をつく。
 エルフはシェーラ以外は話も出来なければ、村にすら近づけない。
 キュカもため息混じりに、
「リロイから何か話が聞ければいいんだけどな」
「こうなっては仕方ありません。シェーラさん」
「?」
 突然話を振られ、驚いて自分自身を指さすシェーラに、ユリエルは真顔で、
「ここはひとつ、我々の人質になって話を聞き出すとっかかりになって下さい」
「それが人にものを聞く態度か!」
 振り返ると、物陰からしっかり話を聞いていたリロイが顔を出す。
「ああ、ちょうど良かった。ここにいるシェーラさんの毛先十センチが惜しければ――」
「パーマでもかけろって言うのか? それはともかくあの二人をどうにかしろ! 一夜明けても目を覚まさん」
「これは生まれつきです。特に手は加えていません」
「話を聞け!」
 肝心の質問を無視するユリエルに、心底イライラした顔で怒鳴る。
「おい、隊長……」
 リロイ同様、イライラした顔のジェレミアにすごまれ、ユリエルは咳払いをひとつすると、
「二人とも眠り花にやられてしまったんです。目を覚ますまで、置いてくれるとありがたいんですが」
「…………」
 黙り込むリロイに、ロジェはふと、
「あれ? あんた、なんだかんだで夕べはそのまま家に置いてくれたのか? やろうと思えば外に放り出せただろ」
「……朝になって、死体が家の前に転がっていたら困るからだ。熊の血で、魔物が寄ってきてもおかしくなかったからな」
「一晩置いてくれたのなら、あと数時間延長しても問題ないですね」
「…………」
 すかさず言い放ったユリエルに、負けを悟ったらしい。彼は苦虫を噛みつぶしたような顔で、
「……わかった。ただし、目を覚ますまでだ。それ以外に関しては一切関わらんし巻き込むな。――あと、シェーラ!」
 大声で呼ばれ、シェーラは驚いて身をすくめる。
 リロイはシェーラをにらみつけ、
「こいつらは冗談でもお前を人質に取ろうとした。お前がどうしようと勝手だが、今後一切関わらないほうがいい」
「え?」
「そのほうが身のためだ」
 それだけ言うと、この場を立ち去ろうとし――何か思い出したのか、ロジェをにらみつけると、
「ついでに言っておく。俺は双子が嫌いだ」
「へっ?」
 それだけ言うと、今度こそ立ち去る。
「そう……言われても……」
 突然の悪口に呆気に取られ、反論の言葉もなく、ただただその場に突っ立つ。
 気まずい沈黙の末、全員の視線が、自然とシェーラに向かう。
「…………」
 シェーラは、困惑した顔で全員を見渡し――突然、背を向けると走り去る。
「……あーあ」
「手がかりに逃げられたじゃないか」
 ジェレミアの言葉に、ユリエルは深くため息をつき、
「それもこれも、ロジェが双子だったからです」
「あんたが『人質』なんて言うからだろ!」
「さて。これからどうしたものですかね」
 ジワジワ湧いてきた怒りをぶつけるが、ユリエルは見事に無視する。
「手がかりはなし。エルフ達の協力も得られない。闇雲に探そうにも、こんなジャングルです。遭難しては話になりませんからね」
「あにょう。オイラはレニさんとエリスさんの看病に行ってきますにゃ」
 返事を待たずして、ニキータが嫌に早い小走りで、リロイの家の方角へと去っていく。
「……逃げた……」
 看病もなにも、ただ眠っているだけなのだから放っておいてもいいのだが……
「ニキータとあの二人のことはさておいて。問題はこれからのことです」
 ユリエルの言葉に、どんよりと重い空気が流れる。
 そう。結局のところ、何一つ進展していない。
「――おうおう、行き詰まってるみたいじゃねーか」
 その声に顔を上げると、サラマンダーが姿を現した。
「うきょ! みなさん、どこ行ってたでありますか!?」
「ごめんなさいね。力を使いすぎて、休んでいたの」
「ウチら、実体化するのにちょいとエネルギーがいるんや。まあ、見えへんだけで、おらんかったわけちゃうけどな」
 サラマンダーに続き、ルナとウンディーネも現れる。
「ちょうど良かった。精霊に会えば、エルフも話を聞いてくれるかもしれません」
「あまり賛成は出来んのぅ」
 ユリエルの言葉に、ノームが口を挟む。
「エルフはただでさえ数が少ない上、十年前の戦でひどい目に遭っておる。巻き込んでは気の毒じゃ」
「そうは言っても、アナイス達が手を出すかも知れないじゃないか。これじゃ、病気を放置するのと同じだ」
「では、どうするかね?」
 逆に問われ、ジェレミアは一瞬ひるんだものの、
「十年前のことなんて知ったことじゃない。こっちからエルフ達のところに乗り込んで、交渉すればいいだろう」
「そんなことしたら、シェーラの立場が悪くなるだろ!」
 そこまで考えていなかったらしい。キュカの言葉に、ジェレミアは一瞬驚いた顔をしたが、
「それは……しかし、このままだと危険なのは確かだ」
「じゃあ、エルフ達に逃げることを勧める? 逃げるあては? それとも、戦えって言うの?」
 ルナが出してくる問題に、ジェレミアは完全に言葉を失う。
「……最後まで責任が持てないなら、最初から手を出すべきではない、ということですか?」
「それを決めるのはワシらではない。自分で考えることじゃ」
「ま、逃げるのも勇気やでー」
 ノームとウンディーネはそれだけ言い残すと姿を消す。
 しばらくして――キュカがぽつりと、
「……結局、自分達でどうにかしろってことか」
「なにかヒントはないでありますかね?」
 テケリの何気ないつぶやきに、あるわけないと返すより早く、
「あら、そんなことないわ。どこに何があるか、わからないわよ」
 ルナの意味深な言葉に、全員顔を見合わせ――精霊達の先導で、昨日も通った道を進んだ。

 * * *

「起きないわねー」
 何度も呼んでは揺さぶるが、レニが目を覚ます気配はない。近くでラビも眠っていたが、まあ、これは放っておいていいだろう。
「どこなのよここは……」
 エリスは周囲を見渡したが、他に人はいない。あまりに物がないので空き家かと思ったが、掃除など手入れがされている。
 とりあえず、床で眠っているレニをベッドに移そうと試みるが、重くて無理だった。
「やっぱ無理か……」
 ため息をつき、毛布をかけ直そうとして――手を止める。
 悪いとは思ったが、襟元に手をかけ、少しだけめくる。
「う……」
 以前見た時より、皮膚のタナトスが濃くなっている。
 全身にどれだけ広がっているのかはわからないが、服で隠しきれなくなるのも時間の問題だろう。
「それ、なに?」
「うわ!?」
 突然聞こえた声に、思わず声を出してすくみ上がる。
 顔を上げると、窓から誰かがのぞき込んでいる。
「シェーラ?」
 シェーラは窓から顔を引っ込め、ほどなくして、玄関から中へと入ってくる。
「覚えてる? 昨日、眠り花で彼と一緒に眠っちゃったのよ」
「ひょっとして、心配して見に来たの?」
 彼女は持っていた花入りのカゴを机に置きながら、
「人によっては何日も眠ったり、そのまま目が覚めないこともあるっていうから……」
「……あれって、そんなに危険な花だっけ?」
 自分が聞いた話では、せいぜい半日くらいだったと思うが……
「キスでもすれば、驚いて目を覚ますんじゃないかしら?」
「だったら楽なんだけどね……」
 シェーラの言葉に呆れつつも、
「ねえ、みんなは? ここはどこなの?」
「ここは、昨日話したヴァンドールの人の家よ。他のみんなはマナストーンを探しているわ」
「そう……」
 とりあえず、自分がお荷物になってしまったことを理解する。
 その上で、これから何をすればいいか考えるが、皆が戻るまで待つしかないだろう。どのみち、意識のないレニを放っておくわけにもいかない。
「……ねぇ、タナトスって知ってる?」
「?」
「エルフって、たしか魔法が得意だったわよね? なんかこう……呪いを解いたり、病気を治したりするような魔法ってない?」
 聞かれて、シェーラは少し考え込み、
「……ごめんなさい。わからない」
「そう……」
 どう見ても、魔法でどうにか出来るとは思えない。聞くだけ無駄だったようだ。
 シェーラは首を傾げ、
「あなた、魔法が使えるの?」
「ちょっとだけね。人に教えてもらったんだけど……元々、素質ないのよね」
 こんなことになるなら、もっと様々な魔法を教わっておけば良かったと思うが、今さらだ。
「呪いや病気を治す魔法じゃないけど、わたしの本でよければ読んでみる?」
「本?」
 シェーラはうなずき、
「わたしは本を読んで、自分で覚えたの。だから、あなたにも出来ると思う」
「魔法、使えるの?」
「少しだけ」
 そう言うと、シェーラはこちらの隣にしゃがみ込み、眠っているレニの顔をのぞき込む。
 そして、ぽつりと、
「わたしは、双子ってかわいいと思う」
「は?」
 唐突な発言に、エリスは目を点にした。

「魔法がひとつでも使えるなら、基礎は出来ているはずよ。あとは応用するだけだから、そんなにむずかしくないと思う」
 家の前で三十分ほど待っていると、約束通り、シェーラは古びた本を数冊持ってきてくれた。往復の時間を考えると、そんなに遠くはないようだ。
 さっそく、シェーラが持ってきた本を開くが――
 エリスは書面を指さし、
「これ……エルフの文字?」
「? これ以外の文字があるの?」
「…………」
「…………」
 直接、教えてもらうことになった。

 ◇ ◇ ◇

「……ここに何かあるのか?」
 精霊達の先導でたどり着いたのは、昨日、シェーラと出会った廃墟の村だった。天気はいいはずなのに、ここだけ空気が重い気がする。
「なにか出たりしないでありますかね?」
「…………」
 テケリは廃墟の村に怯えた様子だったが、ロジェはまったく別のことを考えていた。
 もしここにエルフの亡霊がいるとしたら、一体、何に未練があって止まっているのだろう?

 ――せめて、亡霊でも……

 考えかけて、首を横に振る。考えるだけ無駄だ。
 ぞろぞろと村の奥――昨日見た、燃えた神木の元へ向かう。
「ほら、見て」
 ルナの視線の先を見ると、神木の根元から小さな芽が出ていた。
「生きてる?」
「燃えたのは地上部分だけ。根は、まだ生きている」
 風が吹き、木々のざわめきが聞こえる。
「え?」
 見上げると、頭上に生い茂った木の枝が見えた。
「!?」
 驚いて後ずさり――改めて見上げると、さっきまで折れて半分無くなっていた神木が、立派な一本の木になっていた。
「…………」
 言葉をなくして突っ立っていると、だんだん、長く伸びた枝が鼻のように見えてきた。
 というより、それはどう見ても――

 ――顔?

 そう思った瞬間、木が『目』を開けた。
「……やあ、ずいぶんとよく眠っていたようだ」
「しゃべったであります!」
 見上げすぎて、テケリがひっくり返る。
 目が、鼻が動き、口から年老いた老人のような声が出てくる。
 その光景は、おとぎ話で聞いたものとぴたりと一致した。
「トレント……まさか、本体?」
 ガイア同様、世界のどこかにトレントの本体があるという。
 おとぎ話程度にしか思っていなかったが、まさか出会う日が来るとは夢にも思わなかった。
 驚いているこちらを尻目に、姿を現したノームが軽く手を挙げ、
「久しぶりじゃのぅ、トレント。ドリアードはどうしておる?」
「ドリアードはまだ眠っている。じきに目を覚ますだろう」
 ごく自然に会話を交わす。
「どういうことだ?」
「やっこさん、十年前に力を使いすぎて、今は眠っておるのじゃ。戦で、ずいぶん森を荒らされたようじゃからのぅ」
「じゃあ、起こさないほうがいいのか? でも……」

 ――時間が……

「大丈夫ダスー。時が来れば、自然と目を覚ますダス」
「では、ドリアードに関しては後回しにするとして……木のマナストーンはどこに?」
 ユリエルの問いに、トレントはゆったりとした口調で、
「それを、私に聞いてどうするのかね?」
「悪い人たちがマナストーンをねらっているであります! テケリたちは、それを阻止するために来たであります!」
 テケリが簡潔に答える。
 トレントは、しばし瞑目していたが、
「ふむ。再びマナストーンが狙われるとは……しかし、なぜ君達なのかね?」
「?」
「人という生き物は、何か目的があって動くもの。獣が他の動物を殺し、その肉を食べなければ生きてはいけないように、何かをするにはそれ相応の『動機』というものがあるはずだ。君達は『悪党』とやらにマナストーンが奪われることを阻止すると言っている。それは、なぜかね?」
「それは……」
 全員、黙り込む。

 ――動機……

 確かにそうだ。
 自分達はかなり危険なことに首を突っ込んでいる。
 端から見れば奇異なことだろう。こんなに危険なことをしておきながら、動機がないなど――
「――そんなの決まっている」
 口を開いたのはジェレミアだった。
 彼女はトレントの前に出ると、
「その『悪党』とやらが、あたしの気に入らないヤツだからぶっ飛ばす。それだけだ!」
 ツバを飛ばしながら怒鳴るジェレミアに、近くにいたキュカがため息と共に肩をすくめる。
 トレントに目をやると、トレントは気を悪くした様子もなく、
「それだけかね?」
「そうだ! それだけだ!」
 ヤケクソ気味に叫ぶジェレミアに、トレントは穏やかな笑みを浮かべたままだ。
 しばらく、膠着(こうちゃく)状態が続いたが――
「では、そうしなさい」
 それだけ言うと、すぅっ、と、トレントの姿は消え、その後には元の折れた巨木が残るだけだった。