「ダメだー! 出来ない!」
叫びながら、エリスは草原に大の字になって倒れ込む。太陽がまぶしい。
「な・ん・で! 出来ないのよ!」
「……ごめんなさい」
「あ、別にシェーラが悪いんじゃ……」
うつむくシェーラの姿に、慌てて体を起こす。
教えてもらった魔法そのものは、そんなに難しいものではない。呪文も間違っていないはずだが、発動の手応えがまるでない。
シェーラは本を閉じ、
「焦っちゃダメよ。始めたばかりじゃない」
「そりゃそうだけど……いつまでここにいられるか、わかんないし……」
マナストーンと精霊が見つかれば、シェーラとはお別れだろう。
それまでには習得したいのに、感覚すらつかめない。ヒールライトが使えるのだから他の魔法もすぐ習得出来ると思ったが、甘かったようだ。
「……わたし、昔っから人をがっかりさせる天才なのよ」
気が付くと、そんな言葉を口にしていた。
「故郷じゃ一人だけ毛色が違うもんだから、みんなとは違うっていうか、特別扱いっていうか……」
「毛色が違う?」
「ど田舎でね。あのちっちゃい田舎村がこの世のすべてだから、みーんな果てしなく視野が狭いのよ。村の外に出た時、わたしみたいな風貌の人がゴロゴロいて、笑ったわよ」
笑いながら、自分の銀色の髪をいじる。
「で、その視野のせっまい人間にとって、人と違うわたしは中身も違ってなきゃいけないみたいでね。なんか色々期待してくるのよ。こんな小娘に! 大の大人が!」
今にして思うと、馬鹿馬鹿しいことばかりだった。
本来黄色のラビが、突然変異で一匹だけ青色に生まれたところで、ラビである事実に代わりはない。
それを『特別だ』と定義付けるのは、しょせん当のラビを見つけた人間だ。自分は『たまたま青色に生まれたラビ』みたいなものだったのだろう。
「で、いい加減、愛想尽かしてトンズラこいてやったわけ」
「そう……」
「…………」
再び仰向けに倒れ、ぽつりと、
「……さぞかしガッカリしたでしょうね。凡人で」
つぶやき、流れる白い雲を眺める。
「――ねぇ。あなた達とわたし達の違いって、何かしら?」
「は?」
突然聞かれ、目をぱちくりさせる。
「そりゃあ……寿命とか?」
「それだけ?」
正直、それだけしか思いつかなかった。他にも違いはあるのかもしれないが、比較出来るほどエルフのことを知っているわけでもない。
シェーラは、一緒に持ってきた別の本を開くと、
「この本は、事実を元に書かれたんだって」
体を起こし、横から本をのぞき込む。文字は読めないが、子供向けの絵本のようだ。
「へー、きれいな絵ね」
本を受け取りページをめくると、一ページごとに丁寧な絵が描かれていた。紙は変色し、絵も黒ずんでいたが、不思議な暖かさを感じる絵だった。
「掟を破って、人間と結ばれたエルフのお話よ。言い伝えでは、魔法で人間に変身したんだって」
「そんな魔法があるの?」
シェーラはうなずくと、
「本当にあるのかは知らないけど、人間になった後の寿命だけじゃなく、相手の人間の寿命までをも縮めてしまう禁断の魔法と伝えられているわ。掟を破ったエルフは村を追い出されて、恋人の人間も、人間達から迫害された」
「ふぅん……」
それらしきページを見ると、二人の男女と、それを遠巻きに見る人々の絵があった。
エルフにも人間にも見放され、完全な孤立状態。絵から、その状況が容易に想像出来た。
「どうして、エルフは人間に変身したのかしら?」
「へっ?」
「だって、ちがうから同じになろうとしたんでしょう? どうしてエルフのままじゃいけなかったの?」
「そりゃあ……片方が若いままで、片方がどんどん年取って……それが嫌だったんじゃない?」
シェーラは驚いた顔で、
「それだけ? 人間になるって……それだけしか変わらないの? 別の能力が身に付くとか、エルフにはないものを持っているとか……だから人間になったんじゃないの?」
「え? そんなの、わたしにわかるわけないじゃない」
驚くシェーラに驚きつつも、正直に答える。
シェーラは我に返ると、どこかがっかりした顔で、
「そう、よね……ごめんなさい」
あやまると、花かごを手に取り立ち上がる。いつの間にか、空が赤くなっていた。
「その本は、あなたにあげる」
「いいの?」
シェーラはうなずき、
「もう、いらないから。絵が気に入ったのなら、あなたにあげる」
もったいないと思ったが、シェーラはもうこの本に興味がないらしい。こちらに背を向けると、
「それじゃあ、わたしは寄るところがあるから。彼も目を覚ましているかもしれないし、あなたも戻ったほうがいいわ」
「う、うん……」
「それじゃあ、また明日」
そう言うと、シェーラは立ち去る。
「いいのかな……」
つぶやきながら、ページをめくる。
物語の最後は、人間もエルフも、死んで幕を閉じていた。
◇ ◇ ◇
「困りましたね」
「どーすんだよまったく……」
結局、トレントからマナストーンの場所を聞き出すチャンスを逃してしまった。
あの後も周辺を捜索したが、何の収穫も得られないまま日が暮れた。
ジェレミアはジェレミアで、ずっと無言のまま、ずかずかと先頭を行く。
本人もまずいことを言ったのはわかっているのだろう。しかし、ジェレミアの性格上、自分から反省や謝罪をするとは思えない。かと言って責めたのでは、意地を張って逆ギレするのがオチだ。
「――ああ、みにゃさん。マニャストーンは見つかりましたかにゃ?」
リロイの家が近くなった頃、カゴを背負ったニキータが草むらから出てきた。
…………。
「お前は今まで何してたんだ……?」
「いやあの、この辺りには珍しい薬草が多くて……摘むのに夢中になっていたら道に迷って……」
ジェレミアに頬を左右から引っ張られ、涙を流しながら回答する。
ロジェはため息混じりに森の奥に目をやり――
「…………?」
――シェーラ?
木々の隙間から、人影が見えた。
他の者はニキータに気を取られ、シェーラに気づいていない。
そっと輪から離れると、人影が見えた方角へと向かう。
「海か……」
海岸沿いの道に出た。昨日は気づかなかったが、リロイの家の裏は切り立った崖になっていた。夕暮れの暗い海が、静かに音を立てて揺らめいている。
その崖に、カゴを手にしたシェーラがいた。
近くまで行くと、シェーラの足下に、石が二つ並んで置かれていることに気づく。
「これって……墓か?」
別に名が刻まれているわけでもなかったが、なんとなく、そんな気がした。
シェーラもこちらに気づいていたのか、特に驚いた様子もなく、
「リロイの弟と、恋人のお墓だって。形見も残っていないから、下にはなにもないみたい」
「弟と……恋人?」
シェーラはカゴの花を墓に手向けながら、
「彼、弟を斬ったんだって」
その言葉に、一瞬、思考が停止する。
「国を裏切ったって。命令に逆らって、少しの仲間達と一緒に、故郷と戦う道を選んだの」
シェーラはこちらに背を向けたまま、淡々と語り始める。
「リロイは自分で望んで、反逆者達を追って……戦って、自分の手で弟を殺したの」
「…………」
「戦争が終わって国に戻ったらしいけど、その時にはもう、なにもなかったらしいの。恋人は戦火の中で死んで、故郷の偉い人達は先に逃げて、とっくに滅亡してたんだって」
……なぜだろう。
他人事のはずなのに、どこかで聞いた話のような気がする。
「後に起こったのは残党狩り。ヴァンドールの人は、兵隊だろうと民間人だろうと各地で追われて、殺されたり、迫害されて……リロイは仕方のないことだって言ってた。悲しみは、時間が経てば憎しみになるから。その憎しみをヴァンドールにぶつけているんだって。そうしないと、自分を保てない。生きていけないんだって」
「…………」
奇妙な既視感に頭を押さえ――ふと、
「キミは、どう思う? 憎しみでいっぱいになって……それ以外考えられなくなって……なんでもいいからぶつけようとする人を」
「わからない。でも……」
彼女は首を横に振り、どこか遠い目で、
「自分が狂ってしまうくらい強く想えるこころ……わたしにも、そんなこころがあればいいのに」
「?」
「――ロジェー! シェーラさーん! 何してるでありますかー? テケリを差し置いてナイショ話はけしからんであります~!」
テケリの声に、我に返る。自分がいないことに気づき、捜しに来たようだ。
「……もう、帰らなきゃ。探し物、見つかるといいわね」
「あ、ああ……ありがとう」
それだけ言うとシェーラはその場から立ち去る。
強い風が吹き――墓を見下ろすと、さっき供えられた花が、あっけなく吹き飛ばされた。
◆ ◆ ◆
「…………?」
――どこだ?
レニは体を起こすと、魔法で小さな明かりを灯した。辺りを見回すと、どこかの建物の中のようだ。
そう言えば、眠り花で眠ってしまったのだ。見たところ、さほど広くない――むしろ狭い室内には、わずかばかりの家具がある程度だった。
「――ようやくお目覚めか」
突然聞こえた男の声に驚くと、暗がりの中、誰かが立ち上がる。どうやら床であぐらをかいて眠っていたらしい。
「……誰だ?」
「そんなことはどうでもいい。目が覚めたのなら、さっさと出て行ってくれ。お仲間ならすぐ近くだ」
「お、おい……」
腕を捕まれ、強引にベッドから引きずり出される。
そしてそのまま、乱暴に外へ追い出されると、勢いよくドアが閉められた。
「…………」
突然のことに、ぽかんとへたり込んでいると、再びドアが開き、靴と一緒にラビが放り出された。
「ぷぎゅっ……」
顔面から地面に激突したラビは、涙目で顔を上げる。
「……なんだアイツは……」
呆気に取られて、怒りすら湧かない。
靴をはき立ち上がると、足下がふらつく。どれだけ眠っていたのだろうか?
しばらくその場に突っ立っていると、風に混じって草の匂いがした。
なんとなく懐かしい気分だった。ポルポタのさわやかな草原の香りとは違う、水分を含んだ、濃い緑の匂いだ。
「キュッ?」
ラビが何か聞きつけたのか、耳を立て、家の裏に向かってぴょんぴょん跳んでいく。
ひとまずラビの後をついていくと、風に混じって何か聞こえた。
* * *
「まったく……」
最後の一人を追い出し、リロイはようやく安堵の息をついた。
ついてから、どの道、マナストーンが見つかるまでこの森に居座るだろうことに気づく。
いっそのこと、マナストーンのありかを教えてしまったほうが早いかもしれない。しかし――
コンコンとドアを叩く音に気づき、思考を中断する。
ベッドに目をやると、下に何か転がっている。杖だ。
「…………」
ドアは、まだ叩かれている。
ひとまずドアに向かい、
「何の用だ?」
返事はない。
不審に思いつつ、ゆっくりドアを押し開ける。誰もいない。
「…………?」
妙だった。
忘れ物を取りに来たと思ったが、それにしては一言も発せず、姿も見せない。
ドアを閉めようとして――突然、外からドアが引っ張られた。
よろめいた瞬間、何者かに室内へ突き飛ばされ、床を転がる。
「何者だ!?」
後ろから押さえつけられた上、暗くて顔が見えないが、大柄な男のようだ。
男は静かな声で、
「十年前、木のマナストーンを捜索していたヴァンドール兵だな?」
「だったらなんだ!?」
一瞬、あの連中の仲間かと思ったが、雰囲気が違う。恐らく、彼らが忠告していた者だろう。
「何者かは知らんが、人にものを聞く態度じゃないな!」
吐き捨てると、途端に、締め付ける力がゆるむ。
「…………?」
押さえる腕を振り払い、間合いを取った頃には、男はその場に膝をついていた。
そして、持っていた剣を鞘ごと床に置くと、
「木のマナストーンの場所を教え欲しい」
そう言うと、男は深々と頭を下げた。
◆ ◆ ◆
――歌?
どこかで聞いた気がする。
自然と、歌声が聞こえる方角に早足で向かう。
草をかき分け――その向こうに、海が見えた。
その海に向かって、誰かが歌っている。
わずかな月明かりに照らされた長い髪が、まるで銀色の糸のように風になびき、歌声が辺りに響く。
その光景に膝をつくと、
「お前……だったのか……」
「……なに? その心底ガッカリした顔は……」
己に正直なこちらの態度に、エリスは歌を中断して振り返った。
そうだ。この歌はノルンで聞いたのだ。
ここでも同じ歌が聞こえたということは、自分の知らない誰かが歌っているわけがない。消去法で考えると、彼女しかいなかった。
「で、何をやっているんだ? こんな時間に」
「それはこっちのセリフよ。寝たきりになったと思ったら、いきなり深夜徘徊して」
「私はボケ老人か!?」
「前々から年寄り臭いと思ってたのよねー」
「肯定するな!」
怒鳴り返し――めまいにへたり込む。
「あんた、一日半眠ってたのよ? 寝過ぎよ」
「そんなの私のせいじゃないだろう……」
この時になって、初めて一日半も眠っていたことを知る。体もふらつくわけだ。
「みんなのとこ行く? なにか食べたほうが良くない?」
「いや……大丈夫だ」
正直、食欲よりも疲労感のほうが強い。眠りすぎて、逆にエネルギー不足に陥ったようだ。
そのまま地面に座り込み、ぼんやり海に視線を向ける。
――海、か……
月明かりに照らされ、揺れる海面がキラキラと光っていた。
……こうしていると、すべて夢なのではないかと思うことがある。
海に囲まれた島国の生まれでありながら、あの森の中の宮殿が、自分にとって世界のすべてだった。
「……お前の故郷とは、どんな所だ?」
気が付くと、そんなことを聞いていた。
「帰らなくて良かったのか?」
「…………」
結局、彼女は帰ることを拒んだが、本当に良かったのだろうか?
もう帰る場所すらない自分と違って、エリスは帰る場所も、待っている家族もいる。
エリスはこちらの隣に腰を下ろすと、笑いながら、
「心配しなくても、そのうちちゃんと帰るわ。みんなに迷惑かけちゃったし。兄さんも、いつでも帰ってこいって言ってたし」
「だったら――」
「でも、今すぐ帰る気はないの」
言わんとすることがわかったのか、こちらの言葉を遮る。
「あそこに、わたしの居場所はないから……帰ったって、顔見せたらすぐ出て行くつもりよ」
「家族はいいのか?」
「前にも言ったでしょ。捨て子だって」
そういえば、そんなことを言っていたような気がする。
「得体の知れない子供だって、みんな気味悪がってた。昔はなんとか輪の中に入ろうとしたけど……一人で歌っているほうが楽だって気づいてからは、いつも一人」
「…………」
「意外だった?」
こちらの考えていることを見透かしたのか、エリスは笑みを浮かべる。
その通り、意外だった。
きっと昔から、年の近い娘とたむろしては他愛のない話で盛り上がっているのだろうと、勝手に思っていた。
「わたしも驚いてるのよ。この前みたいに、女同士で本気でケンカしたことなんてなかったし。料理して、楽しいなんて思ったことなかったし。村を出なければ、こんな気持ちになるなんて一生なかったと思う」
その時になって、エリスの顔がずいぶん近いことに気づく。
彼女は軽くこちらに寄りかかると、
「だから……もう少し。もう少しだけ、ここにいたいの」
どうすればいいのかわからず、片手をエリスの背後でさまよわせ――我に返ると、慌てて手を引っ込め、体を離す。
「どうかした?」
「い、いや……」
不思議そうに顔を上げるエリスから目をそらし、口ごもる。
「……わたし、なんかした?」
「…………」
こんなことを言っていいのだろうか?
しかし、エリスの不安げな声は、何かしら返事を求めている。
悩んだ末に――ぽつりと、
「……お前と一緒にいると、忘れてしまいそうで怖いんだ」
「何を?」
「…………」
答えられず黙り込んでいると、彼女はしびれを切らし、
「――もう! わけわかんない! ロジェは思い出すから嫌だの、あんたは忘れそうで怖いだの、兄弟そろって一体なんなのよ!」
「え?」
こちらが顔を上げた頃には、エリスはすでに立ち上がり、背を向けていた。
自分も慌てて立ち上がると、
「……すまない。お前が悪いわけじゃない」
「当たり前でしょ! わたしのせいだなんて言ったら、ぶん殴るわよ!」
エリスは怒鳴りながら振り返る。
そして、肩を落とすと、
「だってわたし、あんたのこと何も知らないし……」
「…………」
「…………」
お互い、しばらく黙り込む。
エリスはため息をつくと、
「……何も、教えてくれないのね」
「……すまない」
「そうよね。わたしも、何も教えてないし……」
彼女はそれきり黙り込むと、無言のまま歩き出す。
「……そういえばさ」
何か思い出したのか、エリスはふいに立ち止まり、
「シェーラが言ってたの。昔、エルフと人間が恋をして、お互いの命を縮めてまで結ばれた話があるんだって」
「なんだ? 急に」
「あんたはどう思う? そこまでして一緒になって……心なんて変わっちゃうかもしれないのに。もしかすると一年後……明日には嫌いになっているかもしれない相手のために自分の命を捧げるなんて、馬鹿だと思う?」
「…………」
唐突な質問に戸惑うが――いい加減に答えてはいけないような気がした。
悩んだ結果、
「私には……わからない」
「そう……ごめんなさい。ヘンなこと聞いて」
こちらの返答に、彼女はどこかがっかりしたように、肩を落とした。
◇ ◇ ◇
「――――っ!」
声にならない声を上げ、ロジェは飛び起きた。
全身から嫌な汗が噴き出し、激しい動悸に息が切れる。
何か夢を見ていた気がする。
しかし、内容については思い出せない。ロクな夢ではなかったのは確かだが……
「お茶でも入れましょうか?」
「……いい」
ユリエルはすでにカップにお茶を注いでいたが、首を横に振って断る。
周囲を見渡すと、起きている者は自分とユリエル以外いないようだ。寝床を抜け出すと、たき火の側に腰を下ろす。
「……隊長、どう思う?」
ぼんやりと炎を眺めながら、
「シェーラの話を聞いていると、どうしてもペダンのことを思い出すんだ」
「…………」
これまでもそうだったが、ディオールに来てからは特にだ。十年前の戦の話を聞くたびに、ペダンと重ねてしまう。
自分達はアニスを倒した後、すぐにこの世界に来てしまったが、そうでなければ今頃どうなっていただろう?
ユリエルも同じことを考えていたのか、驚いた顔もせず、
「……各国の代表者達は、生き残ったペダン兵達を弾圧したりはしないでしょうが、あくまで表だけ。あの戦いで人生を狂わされた人々の怒りと悲しみは、一生消えたりはしません」
あくまでも、淡々と答える。
「もっとも、人生が狂ったのはペダンの民も同じです。……ペダンが滅亡した以上、生き残ったペダンの民も、これから辛い道を歩まねばならないでしょうね」
「兄さんのことはどう思う?」
気が付くと、そんなことを聞いていた。
誰かに聞くつもりなどなかったのに、ほとんど反射的に出てしまった。
「アニスのせいにしたって、それだけで済ませるには犠牲が多すぎた。バジリオス将軍はああなってしまったけど、兄さんは……生きている」
言ってから、バジリオスの名は出さないほうが良かったかと思ったが、一度口から出た言葉が口に帰ってくることはない。
ユリエルはしばし考え、
「……私はただ、彼に知ってもらいたいと思っています」
「知る?」
「この世界のことです」
ぱちんっ、と、火がはぜる音が響く。
「正直、彼が何者なのか、私にもよくわかりません。ですがこの世界に来て早々再会したからには、何か意味があるのでしょう」
「…………」
……ある意味、ユリエルの立場と自分の立場は似ている。
しかし、決定的に違うものがある。
「少し……歩いてくる」
頭を冷やしたほうがいいだろう。
それだけ言うと、剣とランプだけ持って、その場から離れた。
* * *
「…………」
ロジェの姿が森の奥に消え――ユリエルは、ぽつりと、
「私は……まだマシなんでしょうね」
「俺に至っちゃ、なんだってこんなトコにいるのかサッパリだ」
火から離れた木にもたれたまま、キュカもぼやく。
「俺って根っからのお人好しなのかね? 昔っから損ばっかだよ。チクショウ」
「おや、この世の損を受け持つために生まれてきたんじゃないんですか?」
「誰が受け持つかそんなもん」
「どんな人だったんですか?」
「…………」
直球で聞くと、キュカはしばらく考え込み――
「……救いようのない頑固者だよ。おかげで姉弟そろって早死にしちまいやがって。馬鹿か」
「馬鹿、ですか……」
ロジェの親友と恋人がどんな人物だったのか、詳しくは知らない。むしろ、自分にとっては名も知らぬ敵兵の一人に過ぎない。
とはいえ、そうして戦った相手を、簡単に忘れることなど出来ない。
「なあ、隊長」
「なんです?」
「トレントも言ってたな。人ってのは、何か目的があって動く生きモンだ。俺達がこんなところにいる理由って、なんだ?」
「…………」
「その問題に真っ向からぶつかる時が、すぐそこまで来てるかもしれねーぞ」
それだけ言うと、今度こそ眠るのか、キュカは頭まで毛布をかぶる。
それを確認してから、手元のカップに視線を落とす。
「私も、偉そうなことを言ってられませんね……」
誰にともなくつぶやく。
自分は、まだマシだったのかもしれない。
ある意味、あの戦いでこれまでずっと抱えていた問題にケリがついた。
しかし、その後のことについては?
本当に、こんな所にいていいのだろうか? もっと他にやるべきことがあったのではないか?
――軸もなければどっちにもつけねぇ半端者は、ただの迷惑だ――
ワッツに言われた通りだ。
皆、戦う目的を、進むべき道を見失っている。こうしてここにいるのも、群れることでごまかしているに過ぎない。
同じ目的で戦ったからという、なんとも薄い繋がりで――固い結束など、無いに等しい。
「本当の強敵に出会った時、私達は簡単にひねり潰されてしまうでしょうね……」
手元のカップに意識を戻すと、冷めてしまったのか、もう湯気すら立っていなかった。
◇ ◇ ◇
「――よう。こんな時間に散歩か?」
「サラマンダー?」
振り返ると、サラマンダーに続いてルナとノームも姿を現す。
「ぷきーっ!」
少し遅れて、ウンディーネとジンが、暴れるラビを運んできた。
「あーもう、おとなしせぇ!」
「ぷきゅ!」
手を離され、ラビは顔面から地面に落下する。
とりあえず、ラビの攻撃範囲から離れ、
「ど、どうしたんだ? 兄さんは?」
「うむ。なんだかお邪魔のようだったんでのぉ」
「?」
「ぷー!」
ノームの言葉に、ラビはふてくされた顔でそっぽ向く。
ため息をつくと、再び森の中を歩き始める。
どこか行きたい場所があるわけではない。背後に精霊達と、なんとなくついてくるラビの気配を感じながら歩を進めると、突然、視界が開けた。
「……あれ?」
「エルフの廃村やな」
ウンディーネの言うとおり、近づいてよく見ると、シェーラと出会ったあの廃村だった。知らない道を避けるうちに、自然とたどり着いてしまったようだ。
サラマンダーはぼそりと、
「夜だとなおさら気味悪りぃな」
「だったら帰っていいぞ」
「……一人でいいの?」
「ああ」
精霊達に手を振ると、一人、村の奥へと進む。
「キュ……キュゥ?」
取り残されたラビがオロオロしていたが――迷った末に、こちらを追ってくる。
「……ずいぶん都合がいいな」
「キュ~」
怖いらしい。日頃噛みついて来るくせに、こういう時だけかわいこぶる。
「お前は長生きするよ」
「キュッ」
世渡りのうまいラビに苦笑しつつ、奥へと進み――例の神木の前で足を止める。
あれからも皆で数回訪れたが、結局、姿を見せたのは最初の一回だけだ。
「……あった」
暗い中、ランプの明かりを頼りに神木の根元から伸びた細い幹を見つける。
初めて見た日からほんの少ししか経っていないのに、その細い幹からは、あの時にはなかった新しい芽が顔を出そうとしていた。
「……すごいな。本体は真っ二つに折れてるのに」
「キュゥッ!」
後ろでラビがぴょんぴょん跳びはね――頭上で木の葉がざわめく。見上げると、さっきまで見えた空が、無数の枝葉で隠されていた。
「……何か、用かな?」
「トレント……」
風が吹き、枝葉がさざ波のような音を立てて、揺れた。
「……俺がしてきたことは、本当は間違いだったんじゃないかって思うことがあるんだ」
再び姿を現したトレントに打ち明けたのは、なんとも個人的なことだった。
「正しいことをしてきたつもりなのに、結局、全部なくしてしまった」
あの時は、正しいと思っていた。
なのに時間が経つにつれ、わき起こってくるのは疑問ばかりだ。
「トレントはマナの樹に近い存在だろう? どう思う? マナの女神は、善悪をどうやって判断するんだ?」
「…………」
トレントは目を閉じ、しばらく考えていたようだが――ゆっくり目を開くと、
「人々は、マナの女神のことを勘違いしているようだ。自分達の都合の良いように解釈し、物事を湾曲(わんきょく)して伝える」
「?」
トレントの口から出てきたのは、期待した回答ではなかった。
意味がわからず黙り込んでいると、トレントはキッパリと、
「マナの女神は愛の化身。すべてを許し、すべてを受け入れる。そこに、正義も悪も存在しない。ただ、愛。それだけだ」
「だったら、どうして……」
――どうして、俺の元に聖剣を送り込んだんだ?
聖剣は、悪を断ち切る正義の剣と言われている。
あの時は夢中で、そんなこと考えもしなかったが――今さらながら、疑問に思う。
なぜ、聖剣が自分の元に来たのだろう?
トレントはこちらの心中を見透かしたのか、
「君は、『悪』と戦っていたのかね?」
「そんなんじゃあ……」
「では、『正義』のために戦っていたのかな?」
「……わからない」
自分が正義の味方だなんて思わない。
生きるか死ぬかの状況下で、ただ、必死だった。それだけだ。
「人の数だけ『想い』がある。信じる『何か』がある。そこには正義も悪も、正しいも間違いもない。たとえ運命に翻弄されようと、そこには『自分の意志』が必ず存在する。他の誰でもない、自分で決めたことだ」
「…………」
「マナの女神は愛の化身。そこに、正義も悪も存在しない。すべてを受け入れ、すべてを愛する」
「だったら、どうして聖剣なんてあるんだ!?」
気が付くと、大声で叫んでいた。
「剣なんて戦うための道具じゃないか! すべてを受け入れるなら、戦わずに滅びも受け入れてしまえばいい! それとも、自分の滅びだけは例外だって言うのか!?」
「…………」
「……ゴメン……」
自分でもわけがわからない。しかし、止まらなかった。
もしかすると、自分の奥底にあった本音が、ふとした拍子に出てきたのかもしれない。
トレントは、しばらくこちらを見下ろしていたが――
「……何度でも言おう。マナの女神は愛の化身。そこに、正義も悪も存在しない。すべてを受け入れ、すべてを愛する」
「…………」
もう、これ以上は無駄だ。
結局、胸のつかえは取れぬまま、その場を後にした。