15.秘めやかな燦めき - 5/5

「なんでここが……」
「――キュゥッ!」
 突然、茂みの中からラビが飛び出してきた。
 そういえば逃走中、ラビの姿を見なかったような気がする。まあ、ラビならにおいで勝手に追ってくるから、放っておいたところで――

 …………。

『お前かーーーーーーーーーー!!』
「キュッ!?」
 言葉の一斉放火に、ラビはなぜ自分が責められているのかわからずうろたえた。
「フン、いずれ戦う相手だ。この場で片づけてやる!」
「ってコラ!」
 キュカの制止も聞かず、ジェレミアは双剣を構えて駆け出す。
 以前、歯牙にも掛けられなかったことを根に持っているのだろう。ジェレミアはルカ目掛けて一気に間合いを詰め、渾身の一撃を振るうが、
「!?」
 ルカはジェレミアの一閃をすれ違いざまにかわすと、ジェレミアの三つ編みをわしづかみにした。
「なっ――」
 悲鳴を上げる暇もなかっただろう。ルカは片手のみで、縄のついた重しでも放り投げるようにジェレミアの体を地面に叩きつける。
「ジェレミア!」
 あっという間の出来事に、さすがに目を疑う。
 攻撃をかわすと同時に、片手で、自身とさほど体格の変わらない相手を放り投げてしまった。
「次は誰だ?」
 倒れたジェレミアに見向きもせず、ルカはこちらに冷たい視線を向ける。
「まだ……だ……」
 視線を下に向けると、地面に叩きつけられてもなお手放さなかった剣を握りしめ、ジェレミアが起きあがろうとしていた。
 ルカもジェレミアを見下ろし――次の瞬間、ジェレミアの手を踏みつけた。
「ぐっ!?」
 ルカはにこりともせず、ジェレミアの手をかかとでえぐり、
「剣を手放さなかったのはほめてあげる。でもね、」
 そして、手から足をどけると、
「雑魚は引っ込んでろ!」
 怒鳴ると共に、ジェレミアのあごを思い切り蹴り飛ばす。
「ジェレミアさーん! しっかりするであります!」
 テケリが慌ててジェレミアの元に駆け寄るが、自分達はその場から動けなかった。
 キュカはぽつりと、
「ランドドラゴンやパンサーキメラのほうが、もうちょいかわいくじゃれてくれると思うぞ……」
「そんなのにじゃれてもらいたくはないんだけどな……」
「――そこの変な帽子」
「へっ?」
 唐突な指名にロジェはきょとんとすると、彼女は腰に下げた剣ではなく、背負っていた剣に手をかけ、
「相手をしてやる。少しはわたしを楽しませろ」
 言い放つと、青白い輝きを放つ剣を抜く。柄に角の生えた獣の頭蓋骨が取り付けられた、なんとも禍々しい大剣だ。
 見た目の重量感から、本来は両手で扱う剣と一目でわかるが、彼女は片手で剣を一降りすると、そのまま肩に担いで見せる。
「あ、あの剣……」
「どうした?」
 ラビを抱えて逃げようとしていたニキータは、足を止め、
「あの剣……オイラの記憶に間違いがにゃければ『デスブリンガー』って剣ですにゃ! にゃんでも、とんでもない曰く付きの人斬り剣とか……」
「げ」
 確かな殺意に、背筋に寒気が走る。
 ルカは、肩に担いだ剣を構えると、
「来ないのなら、こちらから行くぞ」
 見た目は確かに美人ではあるが――その背後には、黒竜並みに巨大化したグレートデーモンが見えたような気がした。

 ◆ ◆ ◆

 ロジェとキュカが全力ダッシュで逃げ、その後をルカが追いかけるのを見送り――視線を前方に戻す。
「ノルン以来だな」
 元より自分を標的にしていたのだろう。ルサはこちらに目を向けたまま、
「あの時のままだというわけでもあるまい。少しは私を楽しませろ」
「……別にキサマを楽しませるために、魔法を学んだわけではないのだがな」
「――レニ」
 振り返ると、ユリエルが弓を構えながら、
「ここは後方支援組同士、仲良くやりましょうか」
「なぜお前などと――」
 言い終わるより早く、ユリエルはこちらの頭をわしづかみにし、地面に押しつけるように一緒に倒れ込む。

 ――ゴッ!

 状況を理解するより早く、後方の木が爆発・炎上した。
 彼は体を起こしながら、
「では、一人で戦って殺されてください」
「……わかった。手を組もう」
 今頃になって汗が噴き出す。心なし、声が震えていた。
「しっかりせい! 次が来るぞい!」
 ノームに急かされ、慌てて術を唱える。
 ルサは再びファイアボールを放ち、こちらも同じ魔法で応戦するが、ルサの術はこちらの術を押し切り、容赦なく迫ってくる。
「ジン!」
「はいダスー!」
 ユリエルがジンの力を宿した矢を火の玉目掛けて放ち、爆発が起こった。
 煙に紛れてその場から逃げ出すが、完全に力負けしている。
「火力はあちらが上か!」
「力でごり押しは無理ですね」
 逃げながら叫ぶが、ユリエルは妙に冷静につぶやく。
 相殺どころか、突破されたのでは勝負にならない。ユリエルがいなければ吹っ飛んでいただろう。
「――レニ!」
 煙から逃げていると、突然飛び出してきたエリスと激突しそうになった。
 その姿に驚いて足を止めると、
「なにをしている!? どうしてここがわかった!?」
「こんだけバカスカやってりゃ嫌でもわかるわよ! なにこの森林破壊!?」
「なにが……起こっているの?」
 エリスより少し遅れて、シェーラとウンディーネが姿を現す。
 シェーラは戸惑った顔をしていたが、すぐに、
「……エリス、私達は逃げたほうがいいみたい」
 どう考えても、自分の手に負える状況ではないと悟ったのだろう。シェーラはエリスの肩に手を置くが、エリスはその手を払いのける。
「お前に何が出来る! こちらがケガをしたところで、治している時間などないぞ!」
「危険ですから、早く避難して下さい」
 エリスはしばし、ふてくされたようにうつむいていたが――顔を上げると、
「そりゃ戦えないけど……わたしだって、やるときゃやるのよ!」
 そう言い放つと、エリスは術を唱え始めた。

「どうした? これで終わりというわけではあるまい?」
 煙が収まり、次第に視界が開けてくる。
 仕掛けてくるなら今だと思ったが、その様子もない。
 ルサは奥歯を噛みしめると、
「逃げても無駄だと、まだわからんか!」
 煙の向こうに見えた木に向かって、火炎球を放とうとした瞬間。

 ――ゴッ!

 煙を裂き、自身のすぐ横を青い稲妻が走り抜けた。
「…………」
 術を放つことも忘れ、しばし呆然と立ちつくす。
 電流で髪が逆立ち、後ろでは直撃した木がゆっくりと倒れていく。直撃すれば命が危なかっただろう。
「……ようやく、やる気になったか」
「それはこっちのセリフだ。余裕ぶっていられるのも今のうちだぞ」
 精一杯の強がりなのか、彼は口元に引きつった笑みを浮かべ、杖を突きつけた。

 ◆ ◆ ◆

「行くぞ、ウンディーネ!」
「よっしゃあ!」
 こちらの声に答え、ウンディーネは気合いの入った声と同時に、メガスプラッシュを放つ。
 氷の柱はルサの四方八方を囲み、閉じこめるが、
「アカン!」
 次の瞬間、光が一閃し、氷の柱がなぎ倒される。高熱で焼き切ったらしく、水蒸気があたりに吹き荒れた。
「足止めにもならんか!」
「力の差が大きすぎますね」
「そんなの私の責任じゃないだろう!」
 ユリエルの軽い嫌味に、やけくそ気味に返す。
「ジン!」
「はいダスー!」
 今度は連続でサンダーボルトを放つが、ルサも同じ魔法で応戦し、そのたびに魔法は相殺される。
 ……こうして力をぶつけ合うと、否応なしに力の差を感じる。
 エリスのマインドアップの魔法でなんとかやり合えるようになったが、元々の差が大きすぎる。現に、ルサの魔法がまだこちらを押している。
 このまま長引けば、圧倒的に不利だ。
「敵が強い時は、その強さを利用するものでしょう」
「?」
 視線の先に目をやると、水蒸気が晴れ、ルサの姿が見えた。
 ただ、顔から余裕は消え、肩で荒い息を繰り返している。
「お互い、そろそろ限界が近いんじゃないですか?」
 ユリエルの言う通り、さっきから強力な魔法ばかり使っている。すっかり息は上がり、正直、立っているのも辛い。
 それだけ自分が消耗しているということだが、それはルサも同じはずだ。
「……お前は逃げたほうがいいんじゃないのか?」
「逃げた先でエリスに殺されるのは避けたいので」
「そうか」
 ルサが魔力を高め始める。恐らく、次で決める気だ。
 前門のルサ、後門のエリス。なるほど、確かに逃げ場などない。
 ならば、やるしかない。
「粉々になっても謝罪はせんぞ」
 それだけ言うと杖を構え、術を唱える。
「来るぞい!」
 ノームの言葉と同時に、ルサのダークフォースが放たれる。
 それに対抗するこちらの術は――壁だ。
 全力で張った結界に、黒いエネルギーの矢が次々と激突する。
 ウンディーネとジン、ノームも結界に力を注ぐが、受け止めたエネルギーはその場で滞留し、じわじわと結界を押していく。
「もっときばりや! 押し切られるで!」
「わかっている! わかっているが……!」
 やはり力の差がありすぎる。
 この状況では動けない。精霊達も力を振り絞っているが、それでも押されている。
 昔なら――かつての自分なら、これくらい押し返せたはずなのに、どうして。

 どうして必要な時に、その力がない。

「……このまま、ここで木っ端微塵ですか。それもやむなしでしょう」
「死にたいのか?」
「死にたくはありません」
 ヤケクソに聞き返すと、ユリエルはあっさり答える。
 こちらの後ろにいるので顔は見えないが、彼は淡々と、
「ただ、ここで死ぬと、これまで私が手に掛けて来た者達に申し訳ないと、そう思うだけです」
「…………」
 両手が塞がっているので確認は出来なかったが、首もとに、あの指輪の感触がする。

 ――じゃあ、簡単に死ねないわね?

 以前、なんとも軽く言われたエリスの言葉が思い浮かぶ。
 虫が良いとは思う。
 それは自分にとって都合の良い解釈であり、死んだ者達にとってはどうでもいいことだ。
 どうでもいいことだが、
「だったら私も――死ねないな」
 もう、後のことを考えるのはやめた。
 とにかくこの場を切り抜ける。
 それに何より、魔法使いとしての意地か、負けたくない。
「根性論は嫌いだが……お前達、気合い入れろ!」
『オーッ!』
 精霊達はかけ声と共にさらに力を振り絞り、こちらも結界の威力をさらに上げる。もう、体が壊れてもかまわない。
「も……もう限界ダスー!」
「まだだ! まだ行ける!」
 力の滞留がますます大きくなる。
 押さえ切れるまで体が保つか、不安がよぎった瞬間、
「――――!?」
 ふっ、と、体が軽くなった。

 * * *

 すぐ耳元で風がうなり、銀色の刀身が通り過ぎていく。
 キュカはなんとかかわしたが、ロジェは体制を直すと、ルカめがけて袈裟懸けに剣を振り下ろす。
「ロジェ! 受け止めるな!」
 あの重量級の剣を普通に受け止めては、剣ごとへし折られる。
 こちらの忠告を聞いたのかどうかはわからないが、ルカが下段から振り上げた剣にぶつかる瞬間、ロジェは剣の角度を変え、刃を滑らせて攻撃を受け流し、そのまま距離を取る。
 ルカも距離をとり――まるで踊るように勢いよく回転し、剣を振るう。
「――――!?」
 次の瞬間、風がうなり、ロジェの足下の土が爪で引っ掻いたようにえぐれた。
「嘘だろオイ……」
 なんとかかわしたロジェも、ぽかんとしている。
「どうした? 驚くほどのことか?」
 よく見ると、ルカの剣が黒く輝いている。
「ダークセイバーか!」
 考えてみれば姉が魔法使いなのだから、彼女が魔法を使えても不思議はない。
 そうなると――ますます不利だ。
「ロジェ! 森に逃げろ!」
 それだけ叫ぶと、自分も茂みの中に飛び込み、森の中に逃げ込む。
 真っ向勝負が不利なら、地形を利用するしかない。幸いなことに、このあたりの地形は連日のマナストーン捜索でだいたい知っている。
 キュカはロジェと並んで走りながら、
「何モンなんだよあの女は!? むしろ女か!? 人か!?」
 ヤケクソ気味に怒鳴る。
 ジェレミアを片手で放り投げ、男でも扱うのは難しい大剣を片手で振り回す。
「あんなの、ローラントのアマゾネス軍団にだっていねーぞ! どうなってんだ!?」
「俺に聞かれても知るか!」
 ロジェもヤケクソに叫ぶ。むろん、そんなことはわかっていたが、誰でもいいからぶつけたい気分だった。
「――いたいた! 何してやがる!」
「サラマンダー?」
 足を止め、見上げると、サラマンダーとルナがやってきた。
「兄さんは?」
「あっちでガンガンやってるだろーが。オレ達はこっちの援軍を頼まれたんだ」
 サラマンダーが指さした方角に目を向けると、ふたつの魔法がぶつかり合っているのか、木々の向こうから激しい轟音が聞こえた。
 ロジェはぽつりと、
「……兄さん、戦ってるんだな」

 ――ペキンッ。

 すぐ近くで、小枝が折れる音がした。
「何を恐れる」
 振り返ると、剣を片手にルカが立っていた。
 正当派の悪役なら、ここで笑みのひとつでも浮かべて余裕を見せるところだが、ルカの顔には――笑みひとつ、ない。
『…………』

 ――怖い。

 ……恐怖はいくらでも味わったが、振り返ってみると、これまでの恐怖上位入賞者は怪物などではなく、すべて人間の女だったような気がする。
 ルカは大剣を手にしたまま、
「ただの女一人相手に、何を恐れる」
「……いや、女ってのは男にとって色々恐い生き物でな」
 キュカは引きつった愛想笑いを浮かべるが、ルカはとことん無表情だった。
 代わりに、
「お前達、これまで何人殺した?」
「え?」
 唐突な質問に、きょとんとする。
「逃げるな」
 ルカは剣を構えると、正面にいたロジェを真っ直ぐにらみつけ、
「相手が怪物だろうがなんだろうが、キサマらは他人の命を踏み台にして、今、ここにいる。適当にくたばることも、シッポを巻いて逃げ出すことも、このわたしが許さん!」
 彼女が踏みだそうとした瞬間、爆発が起こった。レニ達がいる辺りだ。
 これまでとは違う大きな爆発に、びりびりと地面が揺れる。
「姉さん!?」

 ――ザッ!

 ルカの気がそれた瞬間、木の上から何かが飛び出し、ルカのすぐ横をかすめた。
「――チッ。かすっただけか」
「ジェレミア!?」
 ジェレミアは着地と同時に構えを取るが、ルカはジェレミアから距離を取ると、剣の切っ先を地につけ、右腕を押さえる。
 かすっただけのようではあるが、右腕を押さえた左手の間から血が流れている。傷を負った腕で、あの大剣を振り回すのは困難だ。
「――はぁっ!」
 絶好のチャンスに、ロジェはルカとの間合いを詰め、剣を振るうが、ルカはその場にしゃがみ込んでかわすとロジェの顔目掛けて土を投げつける。
「ぐっ!?」
 ひるんだ瞬間、ルカはロジェに体当たりして突き飛ばすと、剣を左手に持ち替え逃走する。
「待て!」
 ルカを追い、ジェレミアも駆け出そうとしたが、キュカは慌ててその肩をつかみ、
「お前こそ待て! 深追いするな!」
「うるさい腰抜け!」
「なんだとこの馬鹿! さっきボコボコにされたこと忘れたか馬鹿!」
「馬鹿馬鹿うるさい馬鹿!」
「――それよりさっきの爆発だ! 隊長と兄さんが!」
 ダメージから立ち直ったロジェの言葉に我に返る。
「っと、そうだった!」
 どちらにせよ、向かう方角は同じだ。
 すでにロジェは現場に向かっている。その後を追って、キュカ達も走り出した。

 ◆ ◆ ◆

「そんな……こんなことが……」
 ルサの、驚愕に満ちた声が聞こえる。
 まさか自分の魔法が丸ごと跳ね返ってくるなど思ってもみなかったのだろう。直撃こそしなかったものの、爆風で地面に叩きつけられ、ボロボロだ。
 正直こちらも驚いた。こうも完全にはじき返せるとは。
 ふいに、ユリエルが弓を構え、倒れたルサに狙いを定める。
「おい!?」
 慌てて止めるが、彼はルサに視線を向けたまま、
「今仕留めておかなければ、次会った時殺されるかもしれませんよ」
「そ、それはそうかもしれんが……」
「――敵に情けか? くだらん」
 振り返ると、ルサは杖をついて立ち上がる。
 もう、力はほとんど残っていないはずだ。しかし杖を支えに、気力だけで立っている。
「殺したければ殺せ。だが、私もただでは――」
「姉さん!」
 ルサの言葉は、飛び出してきたルカの声にさえぎられた。傷を負ったのか、右腕に巻き付けた布に赤い染みが出来ている。
 ルカは一目で状況がわかったらしく、抜き身の剣を構え、
「……撃ちたければ撃て。だが、その後でお前の首が飛ぶことになる」
「…………」
 その言葉に、ユリエルは無言のまま、ルサに向けていた弓を下ろす。
 ルカに少し遅れて、ロジェとキュカ、いつの間に合流したのかジェレミアも姿を現すが、この状況に誰も何も言えないでいる。
 しばらくして、
「……今回はこれで退いてやる。また会おう」
 そう言うとルカは剣を収め、ルサを連れて森の奥へと消えた。

「いや~、やっと終わったでありますな」
「みにゃさんご無事で何よりですにゃ」
 姉妹が去った後。
 ラビを抱えたテケリとニキータが、のこのこと現れた。

 …………。

「お前は今まで何してたんだ……?」
「いやあの、非戦闘員にそんにゃムチャ言わんでくだにゃいにゃ……」
「テケリは怖かったので、あたたかく見守っていたであります!」
 ジェレミアに顔を左右から引っ張られつつニキータは涙目で反論し、テケリは無駄に元気よく答える。
「それはそうとレニさん! さっきの魔法はすごかったであります! テケリ、ちゃんと見てたであります!」
「いや……さっきのは、そいつが手を貸してくれただけだ」
 近くの木陰を指さすと、しげみの中に、一カ所だけ違う形の葉がはえていた。
 隠れているつもりなのだろうが、そこだけ長い葉が垂れ下がっている。わしづかみにして引っこ抜くと、
「きゃっ!」
 悲鳴と共に、葉にくっついて人型の幹が出てきた。
「今のカウンタマジック、お前が手を貸してくれたんだろう?」
「あ、は、はい」
 髪(?)をつかんだまま顔をのぞき込むと、それは恥ずかしそうに赤面し、おどおどと答える。
 ジェレミアは目を丸くして、
「ドリアードじゃないか。何でこんな所にいるんだ?」
 ドリアードを下ろしてやると、他の精霊も集まり、
「そやそや。ギリギリまで引っ込んどいて、オイシイとこ持って行きおって」
「もうちょっと早く来てほしかったダスー」
「す、すいません……余計なお世話じゃないかと思って……」
 ウンディーネとジンの言葉に、やはりおどおどと返す。
 ユリエルもドリアードに目を向けると、
「ドリアード、おかげで助かりました。場合によっては勝てたかもしれません」
「……そうは思わないが」
 ぼそりとつぶやくと、聞こえたのか、
「いえ、十分あり得ます。だからさっさと退いたのでしょう」
「…………」
 彼が嘘を言っているようには見えない。
 しかし、信じることが出来ない。
 本当に自分にそれだけの力があるのか――むしろ、自分ではない、別の力がどこかで働いているような不気味さを感じる。
 気を取り直し、ドリアードに目を向けると、
「マナストーンは、ずっと神木の中にあったのか?」
「はい。あの木があそこまで巨大化したのも、マナストーンの影響です」
 自然と、視線が村のあった方角――トレントの方角へと向かう。
 ロジェはぽつりと、
「トレント……消えちゃったんだな」
 村はトレントごと消滅し、もはや根すら残っていない。
 完全に消し飛んだ今、もはや再生も――
「大丈夫、ですよ」
 振り返ると、ドリアードは小さく微笑み、
「みんな、根っこで繋がっている。たとえここのトレントがダメになってしまっても、別の場所で新たなトレントが芽吹く。だから……大丈夫なんです」
「……そっか」
 釣られて、ロジェも小さく笑う。
 目的であるドリアードも見つけ、危機も去った。
 去ったが――何かを忘れているような気がする。
 エリスは森に詳しいシェーラと一緒なら大丈夫だろうが、他に何かが抜けているような気がする。
「……妙ですね」
 最初に気づいたのはユリエルだった。
「ルジオマリスはどこへ行ったんです?」
 その言葉に、全員空を見あげるが、木々の向こうに青い空が見えるだけで、辺りは静かなものだった。さっきまでの騒ぎが嘘のようだ。
「とっくに逃げたんじゃにゃいですか?」
「だが、あの姉妹とあたし達をまとめて消し飛ばすチャンスだったぞ」
 ジェレミアの言うとおり、退くにしてはあっさりしすぎている。
「村を狙い撃ちにしたのも妙です。あそこにマナストーンがあると知っていたみたいでした」
「そんなのいつ知ったんだよ? いや、そもそも、マナストーンのありかを知っていそうなヤツと言えば――」
 キュカの言葉は途中で止まった。
 全員、同じことを予想したらしい。顔から血の気が引いていく。
「リロイさんを捜してください! シェーラさんもです!」
 ユリエルに言われるまでもなく、全員、一斉に走り出した。

 * * *

 ――双子……

 リロイは木陰から、眠りの花畑の中を進む二人の女を見つめていた。一人は傷を負い、もう一人に支えられながら歩いている。
「まさか……本当に生きていたなんてな」
 死んだと思っていた。
 それなのに、どう見てもあれは――
「…………」
 ふつふつと、心の奥底からなにかがこみ上げてくる。
 自分にこんなこころがまだあったことに正直驚いた。やはり自分は、シェーラのようにはなれない。

 恨みながら、憎みながらでなければ、生きてはいけない。

 大きく息を吐くと、矢筒から矢を抜き取り――まっすぐ、傷を負っている女に向ける。
 女は気づいていない。弦をギリギリまで引き絞ると、手を離す。
 放たれた矢は、そのまま女に突き刺さる――はずだった。
 次の瞬間、もう一人の女が腰の剣を抜きざまに矢をはじき、こちらに向かって走り出す。
「ちっ!」
 弓を捨てると、潜んでいた茂みから飛び出し、剣を抜き放つ。
 あれだけ暴れた後だ。疲れているはずなのに、

 ――速い!?

 迎え撃つべく剣を振るうが、女は一瞬スピードを落としてやり過ごすと、ためらうことなく剣を振るった。
「…………!」
 意識がなくなる寸前、女と目が合った。
 まるで血のような、赤だった。

「姉さん、大丈夫?」
「私より、お前が……」
「わたしは大丈夫よ」
 ルカは剣を下ろすと、たった今斬り捨てた男の前に膝をつき、目を閉じてやる。
「…………」

 ――シェーラ――

 大切な人の名だろうか。最後の瞬間、脳裏に思い描いた人だろう。
「この男……人間?」
 この森に住んでいるのはエルフだけのはずだ。しかし、この男はどう見ても人間だった。
 ルサは戸惑った顔で男を見ていたが――手にした剣の柄に刻まれた紋章を見た瞬間、顔が、みるみる青ざめる。
「まさか、こいつ――」
「姉さん」
 ルカはルサの言葉を途中で遮ると、
「これは敵よ。どこの誰だろうと関係ないわ」
「…………」
「姉さんは姉さんのやりたいようにすればいい。敵は、わたしが斬る」
 剣をひと振りし、血を飛ばすと、ルカは剣を鞘へ収めた。

 姉妹が去ったことを確認すると、それまで潜んでいた木陰から、死を喰らう男が姿を現した。
「また……哀れな魂が……」
 男の死体の元へ向かうと、行き場所がわからず、ただ漂っているだけの魂がひとつあった。
 魂は逃げ出そうとしたが――すかさず捕まえると、
「ククッ……慈悲なき世界への恨み……裏切られた絶望……失う悲しみ……力なき自分への怒り……安心なさい。もうじき、みーんな同じ場所へ向かいますよ……クククッ……」
 捕らえた魂にそう語りかけると、迷うことなく、自らの口へと運んだ。

 * * *

「シェーラ、どうしたの?」
「今……声が……」
 シェーラは突然足を止めると、脇道にそれて歩き出す。
「どこ行くのよ? 家はそっちじゃないわよ?」
「…………」
 エリスの言葉にシェーラも思い直したのか、足を止める。
「眠りの花畑……」
「え?」
「この先は眠りの花畑。リロイと初めて会った場所」
 ようやく、どこへ向かおうとしていたのかを悟る。
 彼女はうつむくと、
「……彼と話をしている時、とても不思議な気分だったの。それまで、人間は争い事ばかりの醜い生き物だって教えられていた。でも、リロイに会って、初めて違うと思ったの」
「どうして?」
「こころを持っていたから」
 シェーラは顔を上げ、辺りを――森をぐるりと見渡す。埋め尽くさんばかりに伸びた枝葉の向こうに、狭い空が見えた。
「この森がわたしの知っている世界のすべてだった。なのに彼と話をしている間、知らない世界に連れ出されたみたいでわくわくした。これが『こころ』なんだって」
 ただ、話をした。それだけなのに、彼女にとってはかなりの刺激だったのだろう。
 ……なんとなく、その時のシェーラの気持ちがわかるような気がする。
「だからわたし、人間になりたいって思った。人間になれば、掟でがんじがらめの世界から抜け出して……こころのままに生きていけるんじゃないかって」
「ひょっとして……それでご神木を焼いたの?」
 シェーラはひとつうなづき、
「ひとつの古い命が終わりを告げて……なにか新しいことが始まるんじゃないかって、ワクワクした」
 そして、ため息をつくと、
「でも、何も変わらなかった。生きることだけで精一杯で……わたしは、わたしのままだった。何も変わらない」
 そして仲間の元から追い出され、あの洞穴に住み着いた、ということらしい。
「再会した時、彼はわたしがうらやましいって言ったの」
「……うらやましい?」
 シェーラは、足下に咲いていた小さな花に視線を落とすと、
「『こころがない』って」
 ぐしゃりと、踏みつけた。
「その辺の草と同じだって。隣の草が摘み取られても、何も感じない。物どころか、生きることにすら執着しない。余計な感情に振り回されない。全然無駄がないって」
 シェーラはどこか遠いところを見るような目で、
「彼は、心を捨ててしまったのよ。話をしていても、なにも感じない。わたしとおんなじ……こころがない」
「――なんであんたにそんなことがわかるのよ!?」
 気が付くと、思わず怒鳴っていた。
 エリスはそのまま、勢い任せに、
「さっきから聞いてれば、こころがないだの人とはちがうだの、そんなの誰が決めるのよ!? あんたリロイと出会って、一瞬でもこころを感じたんでしょ!? 花を見て、きれいだって思えるんでしょ!? 今さら気のせいだったって言うの!?」
「…………」
 シェーラはしばらく、ぽかんと突っ立っていた。
 そして、さっき踏みつけた花に視線を落とす。花は無惨に潰れ、ぐちゃぐちゃになっていた。
 その間、シェーラが何を思ったのかはわからないが――突然、背を向けて走り出した。
 どこへ向かっているのかは想像がつく。眠りの花畑だ。
 別にリロイがそこにいるという確信があるわけではないだろうが、エリスもシェーラの後を追いかける。
 華奢な見た目のわりに、そこはやはりエルフだからだろうか。足が速い。
 シェーラを見失わないよう、必死に後を追いかけ――やがて、花畑に出た。
 見たところ、変わったところはない。以前見た時と同様、花が風に揺れている。
「…………?」
 よく見ると、色とりどりの花の中、一カ所だけ異様に赤い花が咲いていた。
 シェーラも気づいたらしい。その赤い花に近づき――立ちつくす。
「どうしたの?」
 風に混じって、何かの臭いが鼻についた。
 いぶかしがりながら、自分も後ろからのぞき込み、その答えに凍り付く。
「な……なんで……?」
「…………」
 周囲の花を赤く染め、一人の人間の男が倒れていた。リロイだ。
 顔から血の気は失せ、すでに絶命しているのは目に見えて明らかだ。
「ふ……ふふ……」
 その声に、すくみ上がる。

 シェーラだった。

 彼女は肩を振るわせ――次第に、その顔が歪んでいく。
「あは……あはははは!」
 声は次第に大きくなり、彼女は腹を抱えて大笑いする。
 初めて見る、満面の笑顔だった。
 ……殺人現場にそぐわない笑顔に、言葉を無くして立ちつくしていると、シェーラは笑いながらリロイの側に膝をつき、震える声で、
「あったんだ……わたしにも、あったんだ……こころがあったんだ!」
 そして血の気の失せたリロイの手を取り、自分の頬に当てると、
「うれしい……!」
 その目から、涙がこぼれ落ち――笑い声は、嗚咽へと変わった。

 ◇ ◇ ◇

「よろしければ、お仲間の元まで送りましょうか?」
 ユリエルの申し出に、シェーラは元からあったふたつの墓と、さっき出来上がったばかりの墓に花を手向けながら、
「ありがとう。でも、大丈夫」
「ホントに大丈夫でありますか? シェーラさん、ひとりぼっちであります」
「そうよ。それに、ずっとあの穴で暮らすつもり?」
 テケリと、そしてシェーラと特に親しかったエリスも心配そうだったが、彼女の意志は変わらないらしい。こちらの誘いに笑みを浮かべると、
「安心して。ひとまずはリロイが住んでた家に引っ越すわ。彼が何を思ってあそこに住んでいたのか、しばらく考えたいの。それから……みんなのところに、帰ろうと思う」
「みんなって……他のエルフ達か?」
 ロジェの言葉に、シェーラはひとつうなずく。
「今はランプ花の森に住んでる。わたしは一度も行ったことないけど……一度、みんなのところに帰ってみる」
「でも追い出されたんやろ? 大丈夫なん?」
 ウンディーネの言葉にも、シェーラは首を横に振り、
「大丈夫。わたしにもこころがあるってわかったから。どこにだって行ける」
 そして、はっきりとした声で、
「だから、わたしは大丈夫」
 そう言って彼女がエリスに差し出したのは、小花が刺繍された白いハンカチだった。何かが包んであるようだ。
「なにこれ?」
「リロイの遺髪。もしヴァンドールに行くことがあったら、風に乗せて飛ばしてあげて欲しいの」
「ヴァンドール? どうして?」
 驚くエリスに、シェーラは海を――地平線の彼方に視線を向け、
「彼は、ここから海の向こう……ずっと向こうにある、故郷の大地をいつも見ていた」
「故郷……」
 つぶやき、シェーラと同じ方角に目を向ける。
 よく晴れ、遠くまで見渡せたが、陸地は見えない。ただ、広い海が見えるだけだ。
 彼女は目を細め、
「帰りたくて……でも、帰れなくて……この海のずっと向こうにある、故郷の大地を見ることしか出来なかった」
 ようやく、ヴァンドールの方角だと気づく。
 自分にはただの海にしか見えないが、リロイの目には故郷の姿が見えていたのだろう。

 ――だから、ここに……

 改めて、元からあったふたつの墓に視線を落とす。
 墓と言っても、ただ石が置いてあるだけだ。はっきり言って彼の自己満足でしかない。
 しかし、たとえそうだったとしても、ここに訪れては故郷と、亡き人を思い出していたのだろう。
 エリスはひとつうなずき、シェーラの手からハンカチを受け取ると、
「わかったわ。ヴァンドールに行くことがあったら、必ず」
「……ありがとう」
 シェーラは目をほそめ、穏やかな笑みを浮かべると、
「やっと……帰れるのね」
 その目から、一筋の涙がこぼれた。