21.勇気と願いを - 2/2

「フン、仲間を先に行かせたか」
「お前一人、三人いれば十分だ」
「私一人?」
 死を喰らう男は小首を傾げ――その姿が、一瞬でアマリーの姿に変わる。
「一人に見える?」
 迷わずファイアボールをたたき込むが、人間にはありえない跳躍力でかわす。
 アマリーの姿となった死を喰らう男は、鎌を手に柱の上に着地すると、
「この人は、あたしの命を大事に使ってくれているだけ。あたしの命をムダにしないで」
「ふざけるな! お前がしていることはその子への侮辱だろう! ぶった切ってやるから降りて来い!」
「あたしを殺すの?」
 殺気立つジェレミアに、アマリーは怯えた顔で、
「二回殺すの?」
 ジェレミアに、わずかな動揺が見えた。口ではなんとでも言えるが、あの姿の相手にまともに戦えるとは思えない。
 術を唱え――突然、後ろから体を突き飛ばされた。
「!?」
 不意打ちに顔面から地面に突っ伏し、後ろから金属音が聞こえた。
 訳がわからないまま起き上がると、マハルの剣を、キュカが小手の刃で受け止めていた。どうやら助けてもらったようだ。
 キュカは剣を押し返しながら、
「おいこらオッサン! あれは娘じゃないぞ!?」
「わかっている! そんなことはわかっている!」
 口ではそう叫ぶが、行動がそれに伴わない。マハルはキュカの剣をはじくと、
「それでも……たとえそうだとしても、アマリーだ! あれはアマリーなんだぁっ!」
「――愚か者!」
 突然現れたシェイドが、衝撃波でマハルを近くの柱に叩きつける。
 そのまま、ダークフォースの黒い矢で柱に縫い付けると、
「頭を冷やせ! 自分がこれから何をすべきか、今一度考えろ!」
「ぐ……」
 魔法の矢に、完全に動きを封じられる。マハルに関しては、当面は大丈夫だろう。
「かわいそうなお父さん」
 振り返ると、アマリーの姿は涼しい笑顔で、
「もうあたしが死んでるって感づいていたのに。アナイスを出し抜こうと仲間と一緒に裏で色々やってたのに、この姿を見て、その仲間達を裏切ったの。故郷を裏切り、仲間を裏切り、ルサ・ルカを裏切り……裏切ってばかり」
「ルサ・ルカだと?」
「マハルは、ルサ・ルカと共にヴァンドールを脱出した騎士の生き残りだ」
 シェイドが淡々と答える。
「故郷の滅亡を知り、仲間と共に皇女を殺そうとしたが、逆にルサに殺され……あいつ一人が、逃げ延びたのだ」
「そう。そして、逃げた先でみなしごだったあたしを拾って、何食わぬ顔で父親を演じた。……卑怯なお父さん。あのとき、ルサに殺されちゃえばよかったのに」
「アマ、リー……?」
「そうすれば、あたしは人質に取られることも、死ぬこともなかったのに。お父さんに拾われたことが、あたしの不幸」
 アンティマジックの黒い光が降り注ぎ、一瞬でアマリーの姿が消える。
「……もう、これくらいにしろ」
「ククッ。その男への哀れみか? 実にくだらん」
 元の姿に戻されても、死を喰らう男は余裕だった。
「そんな男をかばって何になる。害悪しかもたらさぬ疫病神。ディオールでも、同郷の男に皇女殺害をけしかけましたね。ま、あっさり返り討ちにされましたが」
「なに?」
 マハルに視線をやると、顔面蒼白でかすかに震えていた。嘘ではなさそうだ。
「アナタを見ていると、つくづく人間の中の人間だと思いますよ。卑怯で、ずる賢く、平気で被害者面をする。自分で蒔いた種を、満足に刈り取ることすら出来ない。まさに人間!」
「――闇よ、射貫け!」
 放ったダークフォースの矢を死を喰らう男めがけて飛ばすが、わずかな残像を貫くだけだった。
「その愚かさ、私は好きですよ。はてさて、どのような味がするのか、楽しみですよ。クカカカカ……」
「降りてこい!」
 ジェレミアが柱の上に向かって怒鳴る。
 あんな高い位置に逃げられてはこちらは不利だ。かといって下は、ゴーレムの残骸が散らかっている。
 ならば――
 ジェレミアの後ろに近づくと、小声で、
「ヤツの動きについて行けるか?」
 一瞬、彼女は驚いた顔をしたが、無言でうなずく。
「サポートする。うまく追い込め」
 それだけ伝えると、ジェレミアの背を押した。
 
 * * *
 
 ――サポートってこれか!?
 
 ジェレミアは胸中で叫びながら、波のようにせり上がる地面を駆け上る。
 道がないなら作るまで。
 魔法のことはわからないが、今、レニは地面そのものに干渉し、死を喰らう男に続く道を作っていた。人としては気に入らないが、魔法使いとしては一流であることを認めざるを得ない。
「これは驚いた。即席の道ですか」
 さすがに驚いた顔をして、柱から柱へと飛び移る。道もそれに合わせてせり上がり、石畳を砕き柱を倒すが、こちらの足元に関しては、走りやすいよう平らだった。
 飛び移る柱がなくなり、地面に飛び降りようとしたところで、
「――逃がさへんで!」
 死を喰らう男の着地点めがけて、ウンディーネが氷の柱を瞬時に作り上げ、こちらと同じ高さまで一気に押し上げる。
「――ぅがっ!?」
 さすがにこれは予想していなかったのか、バランスを崩していたところを、剣で頭を思い切りぶん殴り、氷柱から落とす。
 
 ――いける!
 
 うつぶせに倒れた死を喰らう男めがけて柱から飛び下り――落下スピードと全身の体重をかけて、左右の肩に両手の剣を突き刺す。
「がああああああああ!」
 絶叫が響く。
 これまで、ずっと余裕の顔をしていた敵相手に、初めて有利に立った。
 しかし、油断は出来ない。すぐに剣を抜こうとして、
「!?」
 抜けない。
 背中を踏みつけ抜こうとするが、びくともしない。
「――なめるな。小娘」
 地の底から響くような低い声に、背筋が凍り付く。
 逃げる暇もなく体が吹き飛ばされ、気が付くと地面を二転、三転していた。
 
 ――やられる!?
 
 抵抗するにも剣はない。体もしびれてすぐに起き上がれない。
 顔を上げ、死を喰らう男の姿を捜し――
「――レニ!?」
 視界に飛び込んできたのは、レニの背後に立った死を喰らう男の鎌が、彼の首めがけて振り上げられる光景だった。
 
 ◆ ◆ ◆
 
「なっ……!?」
 驚愕した顔が地面に落ちる。
 何が起こったのか理解出来ていないのか、驚いた表情のまま首は地面を転がり、止まる。そして少し遅れて、首から上を失った体が、鎌を握ったまま地面に倒れた。
「まったく……俺の連れに、ずいぶん好き勝手やってくれたそうじゃねーか」
 インビジの効果が切れたのか、たった今、死を喰らう男の首をはねたキュカが現れる。
 キュカの姿に、ようやく状況を理解したらしい。死を喰らう男の首は、絶望的な声で、
「ち、ちくしょう! こ、こんな虫けらどもに……! ちくしょう! ちくしょう……ちく、しょ、う……」
 声は次第に小さくなり、やがて、動かなくなる。
 キュカは安堵の息を吐くと、ジェレミアに振り返り、
「よくや――」
 ねぎらいの言葉は、すっ飛んできたジェレミアの拳に強制終了させられた。
 転倒したキュカは、あごを押さえて起き上がると、
「なにしやがる!?」
「うるさい! あたしの獲物を横取りするな!」
「横取りぃ!? お前、仲間が真っ二つでもよかったのかよ!?」
「仲間じゃない!」
「……相変わらずの嫌われようだな」
 知ってはいたが、こうもはっきり言われると逆に清々しい。
「お前もだ! あたしをハメたな!?」
「『追い込め』と言ったんだ。ああすれば、術者である私を狙ってくるだろうしな。どのみち、お前一人で倒せる相手でもない」
「なんだと!?」
 ジェレミアの短気は今に始まったことではないが、今回はよほど悔しかったらしい。顔を真っ赤にして詰め寄ってくる。
 呆れてため息をつくと、
「まったく、自分の思い通りにならなかったら癇癪を起こす。まるで子供だな」
「こど……」
 キュカも納得した顔で、
「そうかー。子供じゃ仕方ないなー。俺は寛大な大人だから、勘弁してやるかー」
「あたしはもう十九だ!」
 頭をぽんぽん叩く手を払いのける。
 ふと、視線を感じた。
 振り返ると、死を喰らう男の首が、こちらを向いて転がっていた。
 ぴくりとも動かず、血すら流れず……奇妙な違和感があった。
「胴体……」
 たしか、首の近くに倒れたはずだ。
「おい――」
 振り返り、全身に寒気が走る。
 ジェレミアの背後に、銀色の曲線の刃が見えた。
 
 * * *
 
 地下から出てくると、遠くから悲鳴のようなものが聞こえた。
「なに?」
「うきょ!? 怪げんしょーでありますか!? たたりでありますか!?」
 しがみついてきたテケリの手を引いてテラスに出る。
 声が聞こえた方角の空を見上げると、青白い光の玉と共に、空を舞う白い鳥が見えた。
「守護精霊? どうしてこんなところに……」
「……にい、さん?」
 光の玉はフラミーの周囲に集まると、導かれるように空の彼方へと飛び去った。
 
 ◆ ◆ ◆
 
「――ああ! 魂が! 私の魂が……!」
 真っ二つに切り裂かれた腹から、次々と青白い光の玉が飛び出していく。
 死を喰らう男の胴体はそれを捕らえようと手を伸ばすが、すり抜けるだけで、もはや捕らえることも出来ないようだ。
「……アマリー?」
 目の前を、小さな光が横切る。
 目で追うと、光はマハルの周りを一周していた。
 ほどなく守護精霊の声が響き、辺りに漂っていた魂が次々と天へ昇っていく。
 光は上空を旋回していた守護精霊の元へと集まり――そのまま、いずこかへと飛び去った。
 しばらく、呆然と空を見上げ――
「――おのれ……」
 地から聞こえてきた声に、我に返る。
 首は、たった今、自分の上半身と下半身を切り離した張本人をにらみつけ、
「おのれ……おのれ美獣!」
「まったく、相変わらず死なないな。お前は」
 巨大な白銀の獣はつぶやくと、一瞬で人間の女の形になる。
「……イザベラ?」
 猫が巨大化したような姿。恐らく今の姿が『美獣』の名の由来であり、本来の姿だろう。
 イザベラは思い出したように振り返り、鋭く伸びた爪をなめると、
「すまない。獲物を横取りしてしまったようだ」
「あ……ああ……」
 状況が理解出来たのか、今頃になって、ジェレミアはその場にへたり込む。
「おい! 大丈夫か!?」
 さすがに肝が冷えたのか、今度は怒らなかった。キュカに引っ張られ、死を喰らう男から離れる。
「……イザベラ、助かった。礼を言う」
「礼ならコイツに言え」
 そう言って、腰に下げていた羽根飾りを見せる。
「守護精霊?」
「あいつに呼ばれてな。ギリギリで間に合った」
 そう言って、守護精霊が飛び去った方角へ目をやる。もう影も見えない。
「さて。迷える魂はあるべき場所へ帰ったようだ。後は……」
 イザベラの視線の先で、死を喰らう男の首が小さく悲鳴を上げた。
 体が三分割されたにもかかわらず、ピンピンしている。断面は真っ暗で、何も見えない。まるでそこが、異空間となっているみたいだ。
「お前との追いかけっこもここまでだ。そろそろ終いにするとしよう」
「――私は死なぬ! 何度殺されようと、私は死なぬ!」
 這ってきた死を喰らう男の上半身が、首を拾い上げる。
 そしてもう片方の手で、駆け寄ってきた下半身にしがみつくと、
「これで勝ったと思うな! ここにいる全員……美獣、貴様の魂も! いつか食ってやる! 食ってやるとも! クカカカカ……ヒャーッハッハッハッハッ!」
 足は地面を蹴り、高く飛び上がると、あっという間に姿が消えた。
 ジェレミアは呆然と、
「不死身か……?」
「ヤツは何度でもよみがえる。死、そのものであり、生きることそのもの」
 イザベラは肩をすくめると、
「ヤツが求める最高の美味。それにたどり着いた時が、ヤツの消え去る時だろう」
「ああ……そうだな」
 この世のすべてを食い尽くし、最後に残ったもの。
 それまでは死ぬことすら叶わないのだと思うと、逆に哀れにさえ思えてくる。
「――イザベラさん!?」
 声に振り返ると、神殿の入り口からエリス達が駆け寄ってくる。
「終わったようですね」
「イザベラに助けてもらった。……ヤツに食われた者も、みんな」
 エリスはイザベラに頭を下げると、
「あ、あの、ありがとう。兄さん……みんなを助けてくれて」
「私は宿敵の嫌がらせに来ただけさ」
 イザベラは髪を後ろに流すと、
「さて、嫌がらせは済んだことだし……私はリィの屋敷に戻るとしよう。キミ達も、何か困ったことがあればリィを頼るといい。退屈しのぎに、力を貸してくれるだろう」
「――あ」
 突然、ジェレミアが呆けた声を上げ、視線が一斉に集まる。
 ジェレミアは呆然としたまま、
「剣……あいつに持っていかれた」
 今ごろ気づいたのか、彼女はからっぽの両手をわななかせた。
 
 
「これで一件落着、でありますか?」
 イザベラを見送り――テケリがこちらを見上げる。
「一応な。これで、みんな街に戻れるだろう。……そっちはどうだった?」
「見ての通りです」
 ユリエルは困った顔で、手にした青い玉を見せる。
 以前、ウンディーネ達は大きな水晶玉に閉じ込められていたが、これは大きめのりんごサイズだった。
 エリスとルナも困った顔で、
「この中にウィスプがいるはずなんだけど、うんともすんとも言わないのよ」
「完全に心を閉ざしてしまっている。私達の言葉も届いていないみたい」
「……そうか」
 無理やり閉じ込められたウンディーネやサラマンダーとは訳が違う。自ら閉じこもったとなると、出すのは厄介だ。
 ウィスプのことはいったん保留して、柱に拘束されたマハルに目をやると、
「シェイド。もう解放してやれ」
「…………」
 柱につなぎとめていた黒い矢が消え、拘束を解かれたマハルはその場に座り込む。
 まるで糸が切れた人形のように、呆然と地面を眺めていた。
「これを」
 首から下げていた指輪を紐ごとはずし、マハルに差し出す。
「人助けをして命を落とした。お前と逆だな」
 一目見てそれが意味することを悟ったらしい。呆然とした顔でこちらを見上げるマハルに、シェイドは冷たい声で、
「……貴様の命は、もはや貴様一人のものではない。これから先、勝手に死ぬことも、我らや、ルサ達の前に現れることも許さぬ」
 マハルは、しばらく指輪を見ていたが――ため息をつくと、
「……『何をすべき』、か。相変わらず厳しいな。シェイドは」
 彼はそれだけ言うと立ち上がり、おぼつかない足取りで出口へ向かう。
 その背に向かって、
「女神の祝福あれ」
 一瞬、マハルの足が止まる。
 ほどなく再び歩き出し、その姿は見えなくなった。
 キュカは首を傾げ、
「……なんだ? 今の」
「指輪に、そう彫ってあった」
 祝福を受ける時――きっと誕生日に、家族がアマリーに贈ったものだろう。
 エリスは不安げに、
「マハルさん、大丈夫かな? まさか後追いなんて……」
「今は、何を語ったところでヤツの心には響かん。今後、ヤツがどう生きるかなど、我らのあずかり知ることではない」
「そうだな……」
 シェイドの言う通り、彼にしてやれることは何もない。
「ウィスプはどうしますか?」
 ユリエルからウィスプの玉を受け取り、のぞき込む。水晶の中に、白い封印の模様が浮かんでいた。
「……いるのか?」
「いるわ。それは間違いない」
 ルナが言うなら確かだろう。それはつまり、もはや人間には感じ取れないほど気配を潜めてしまっていることを意味する。
 ため息をつくと、
「……このまま連れて行くしかないな。こいつも、マハルと同じだ」
「出てくるのを待つんですか?」
「他に手立てがないだろう」
 何を言っても、心に響かない。
 ……ふいに、自分とよく似た顔が脳裏をよぎる。
 今、どうしているだろうか。
「……お前達に頼みがある」
「なんだ? 改まって」
 首元を隠していたマフラーをずらす。
「時間がない。私を、ロジェの元へ連れて行ってくれ」
 黒いシミは、首からすでにあごの辺りまで浸食している。ここまでくると、自我を保っているほうが異常だ。
「……会ってどうする?」
「その前に聞きたいが、ここにはまだ、ロジェの席はあるか?」
 その質問に、全員の視線がなんとなくユリエルに集まる。
 彼は肩をすくめると、
「本人次第ですかね。今のところ、席はほったらかしなので」
「そうか」
「……ロジェを連れ戻すの?」
「どうした?」
 エリスの顔に、明らかに嫌悪の色が見て取れる。
 彼女は、こちらから目をそらすと、
「わたしは反対よ。あんた、殺されるかもしれない。わたしだって殺されかけたし、兄さんだってあいつに殺さたかもしれないのよ!」
「エリス! あんなヤツの言うこと真に受けるな!」
「違うってどうして言い切れるのよ!? 誰も見てないくせに!」
 エリスの反論に、ジェレミアも言葉を失う。事実、ロジェは聖域でエリスに剣を向けたのだ。彼女にとって、ロジェは恐怖でしかない。
「……安心しろ。説得などせん」
「じゃあ、どうするのよ?」
 ウィスプの玉を手の中でもてあそびながら、
「案ずるな。駄々っ子の扱いは、私が一番知っている」
 ある意味、ジェレミアと同タイプだ。
 そのことに気づき、思わず苦笑すると、
「まったく、世話の焼ける弟達だ」
 水晶の中をのぞき込む。
 どうやら最後の精霊も、どうしようもない駄々っ子のようだった。
 
 
「あ、おかえりにゃさいです」
「ニキータ?」
 ジャンカに街の脅威が去ったことを告げ、船に戻ると、いつの間にかニキータが掃き掃除をしていた。柱に紐でつないでいたラビは、掃除の邪魔だったのか壁のフックに干物のようにぶら下げられている。
 ラビをフックからはずしながら、
「お前……何やってるんだ?」
「にゃにって、掃除ですにゃ」
「いや、そうじゃなくて」
「ニキータさん、帰ってきたでありますか!?」
 テケリが両手を挙げて駆け寄る。
「ニキータ、ジャンカさんはいいんですか? いきなり店を辞めたとかで、心配していましたが」
「いいんですにゃ」
 ユリエルの問いに、ニキータは背を向けたまま、
「そばにいるだけが助けじゃない……オイラ、決めたんですにゃ。これからは自分の力で商売するって。行く先々でウェンデルの惨状を伝え、物資を送る手配をしようと。そうすることが、ジャンカさんの……ウェンデル復興の助けににゃります」
 振り返り、照れたようにほほえむと、
「とまあそういうわけで、もうしばらく相乗りさせていただきたいんですにゃ。少にゃいですけど水と食料、その他消耗品もにゃんとか確保して積んでおきました。あ、これは納品書」
「あ、はあ。ありがとうございます」
「そしてこちらが請求書。締めて三千六百八十ルクですにゃ」
「…………」
 一瞬の沈黙の後、
「頼んでないんですが」
「でも、必要でしょう?」
「…………」
 ユリエルは、無言でこちらに振り返ると、
「ダイヤ作ってください。ゴールドでもいいです」
「簡単に言うな」
 即、却下する。
 なにしろ、売り物になるダイヤを完成させるまで百個以上は作ったのだ。出来ればもうやりたくない。
「さあさ! 時は金なり! ちんたらしてにゃいで、さっさと行きますにゃ! ぐずぐずしてるとチャンスを逃しますにゃよ!」
「お、おい……」
 ニキータは戸惑うジェレミアを操舵席まで押し、出発を促す。
 それをぽかんと眺めながら、
「ニキータ……急に強引になったな」
「ありゃあ、失恋の痛手が相当効いたな……」
 ニキータと別れの言葉を交わし、まさに去ろうとした時。ジャンカの元に、見知らぬ男がやってきた。
 その男を、ジャンカは笑顔でこう紹介した。
 
『あ、紹介するわ。私の婚約者。私達、来年結婚するの』
 
「まあ……最初から、叶う恋とは思わんが」
「失恋でそこまで変わる?」
「そりゃ変わりますよ」
 その声に、一斉にユリエルに視線が集まる。
 彼は地図を広げながら、どこか遠い目で、
「良くも悪くも」
「……う、うん……」
 怖かったのか、エリスは追求することなく適当にうなずく。
「はいはいどいたどいたー! ジャマですにゃよ!」
 ニキータはラビを追っ払い、泣きながらモップで床磨きを始めた。
 
 ◇ ◇ ◇
 
「クソッ、クソッ……こんな、こんなバカなことが……」
 吐き捨てながら頭と首をつなげ、数回首を回す。両肩に刺さったままだった短剣も、少し力を入れるとするりと抜け落ちた。
 崖のむこうの平原には、ウェンデルの街から追い出された住民達のキャンプが見えた。
「……助けたつもりだろうがな。お前らがいなくなり次第、一人残らず食ってやる。カカカ……」
 つぶやき、下半身と上半身をつなげようとしたところで、
「――ずいぶんいいざまじゃないか」
 ぼとっ、と、上半身が地面に落ちる。
「こ……これはこれは……ルカ、さま」
 ぎこちなく振り返り、引きつった声を絞り出す。
「すっかり抜け殻になって。これじゃあ、暗黒剣の足しにもならない」
「ヒィッ!?」
 ルカが背負っていた剣を抜こうとして――抜ききる前に、死を喰らう男は慌てて自分の下半身にしがみつくと、
「クソッ、アナイスめ! どうせ最初からそのつもりで……人間風情が生意気なんだよ!」
 捨て台詞を吐くと、一瞬でどこかへ消え去った。
「フン、小物め」
「……殺すんじゃなかったのか?」
「かまわないわ。力のほとんどを失って、当分何も出来やしない」
 吐き捨て、剣を鞘に収める。
 ロジェはため息をつき、肩に担いだ暗黒剣の包みを下ろすと、
「予定通りには行かないもんだな」
「そう? わたしは最初から、あいつに彼らを殺すなんて到底無理だと思ってたけど」
「なに?」
「あんたにだって殺せないわ。あの男は」
 ルカは、崖の向こう、ウェンデルの住民達のキャンプ地に目を向ける。
 そこから少し離れた場所に、赤い船が停泊しているのが見えた。
「いいのよ、お仲間のところに帰って。今なら合流出来る」
 一瞬、思考が停止する。
 そして、彼女が言いたいことを理解すると、
「なに……言ってるんだ?」
「言ったままよ。あんたの兄貴、あんたには殺せない。どうせ殺せないんだから、『自分が間違ってました』って頭下げてらっしゃい」
「あんた、俺のこと馬鹿にしてるのか?」
「ええ。とても」
 この上なくはっきり肯定され、逆に言葉を失う。
「どういう事情があるかは聞かないけどね。見ててイライラする。いい年してガキみたいにいじけて、家出して、兄貴を殺すだのなんだのいきがって。『みたい』じゃなくて、ガキそのものね」
「あんたに、俺の何がわかるって言うんだ?」
「あんたの事情はどうでもいい。わたしはわたしが見て、感じたままを言ってるだけ」
「――俺だって、お前らの事情なんてどうだっていい!」
 気が付くと、怒鳴り返していた。
 勢いのまま、暗黒剣の切っ先をルカの鼻先に突き付けると、
「俺は、俺からすべてを奪ったあいつを許さない! アナイス! あいつも! 邪魔をするヤツもだ!」
「だったら殺してきなさい」
 その一言に、頭に上った血が、すーっと下りていくのを感じる。
 ルカは、涼しい顔で腕組みをすると、
「悩む理由なんてないでしょう。すぐ近くにいるのよ? 今から殺しに行けばいい。もちろん邪魔なんてしないわ。ついでにアナイスも殺してちょうだい」
「あんた、アナイスの仲間じゃないのか?」
「なった覚えはない。……悲しいことに、姉さんはぞっこん。昔から、顔は同じでも正反対。男の好みもね」
 
 ――お前達、顔はそっくりなのに正反対だな。
 
 幼い頃、父に言われた言葉を思い出す。
 聞き分けのいい兄と、わがままで聞かん坊だった自分。
 病気がちでよく寝込んでいた割に、外で体を動かすことが好きだった自分と、病気らしい病気などしないのに、部屋で本を読むのが好きだった兄。
 そして今も。
 すべて、正反対だ。
「姉さんはわたしを守るために、自らの手を汚してきた。だから、今度はわたしが姉さんを守りたい。でも、それはもう無理」
「無理?」
 かすかなエンジン音が聞こえた。
 振り返ると、船が――ナイトソウルズが動いていた。どうやら、仇討に行くには今からでは遅いようだ。
「ほっとした?」
「……冗談じゃない」
 吐き捨て――同時に、否定しきれない自分の存在に気づく。一瞬でも、小さい頃のこと思い出したせいだろうか。
「前……どうして聖剣なんてものがあるのかって聞いたな」
 頭を振り、一瞬でも沸いた情念を振り払うと、
「ずっと考えていた。女神は、聖剣で何を斬るつもりだったのかって」
 手にした暗黒剣を見下ろす。
 黒い刃は光を反射することも、こちらの顔を映すこともなく、ただ、不気味な光沢をたたえている。
「灰色を、白と黒に切り分けて、いらないほうを捨てるためだ」
 ルカは、ぼんやりとこちらの顔を眺めていたが、
「やっぱりガキね」
 ため息をつき、肩をすくめると、
「灰色は灰色よ。白と黒になんて分けられっこない」
 エンジン音は遠ざかり、機影は、あっという間に見えなくなった。