23.震える大地、運命の時 - 2/2


「……お前、あんなことよく言ったな」
 ジェレミアは髪を結いながら、後ろのベッドで寝転がっているエリスに声をかける。
 ロジェが戻ってくること、あんなに嫌がっていたのに。正直、感心した。
 ベッドに突っ伏したエリスは、枕にあごを乗せ、どこかふてくされた顔で、
「だって……よくよく考えてみりゃあ、あいつがやったことって兄弟ゲンカの末の家出じゃない。いきがっちゃって、みっともない」
 立派な殺人未遂だったわけだが、それは言わないでおく。
「――起きたかい?」
 ドアがノックされ、返事するより先にドアが開く。
「イザベラさん?」
「おはよう。眠れたかい?」
 おはようと言われても、外は真っ暗だ。長く住むと時間感覚がおかしくなりそうだ。
 彼女はドアを閉めると、
「たまには女同士というのもいいだろうと思ってね。邪魔だったかい?」
 ひとまず首を横に振る。
 イザベラは室内を横切り、窓際に立つと、
「世界の終わりが迫っているのに、静かなものだ」
 カーテンが開いた窓から、外を眺める。
「知っているか? マナの樹が代替わりするとき、決まってこんな風に世界の危機がおとずれる」
「代替わり?」
「マナの樹は、だいたい千年サイクルで代替わりすると言われている。そのタイミングでマナの樹は『種子』を産み落とし、その種子が次のマナの樹に……今こそ発芽の時のはずだが、その準備は整っているのかね?」
 エリスは体を起こすと、
「……なんの話?」
「『なんの』? キミが一番詳しいと思っていたが」
「――ちょっと待て。あたしもわからないんだが」
 言ってることもそうだが、何が言いたいのかわからない。
 そういえばマナの樹のことは、以前、エリスからも聞いたことがある。
「たしか……マナの樹から生まれるフェアリーが、マナの樹の種……」
「どうやら今回は、フェアリーとして生まれるはずの種が、人として生まれてしまったようだな」
 反射的に、視線がエリスに向かう。
「ちょ、ちょっと……なによそんな噂。そもそも、どうしてイザベラさんがそんなの知ってるわけ?」
「昔々の知り合いに、そういうのがいてね。だからかは知らないが、気配というか……なんとなく、そういうのが見える」
 どこか遠い目で、窓の外を眺める。
「昔々って、イザベラさん、いくつよ?」
「いや、そんなことより……『マナの樹の種』?」
 以前聞いた時は、冗談半分にしか聞いていなかった。
「お前が?」
「…………」
 エリスの顔は青ざめ、真っ直ぐイザベラをにらみつけていた。
 
 ◇ ◇ ◇
 
 ぼんやりと、二階の廊下からエントランスの獣人達を眺める。家族や仲間と談笑して過ごしていたが、それでもやはり、どこか不安げで、ピリピリしているのがなんとなく感じられた。
「おいロジェ」
 後ろから声をかけられ、振り返ると、キュカが厳しい顔で、
「一応言っておくが、俺はあの時、確かに止めたぞ」
 そう言うと、どこかへ行く途中だったのか、後ろを通り過ぎていく。
「…………」
 あの時。
 脳裏に、夜の闇の中、炎に包まれる村の光景がよぎる。
 人助けのつもりだった。
 正しいことをしているつもりだったのに。
 人助けをして自分が損をする。つくづく、あの人の子だ。
 割に合わないことばかりやっている。
「休めましたか?」
 今度は、派手な赤いドレス姿の魔女がやってきた。どこでこしらえてきたのか、手には白い木の杖が握られていた。
 彼女の足取りに、
「なあ……あんた本当に、目が見えないのか?」
「ええ」
 目を閉じているから見えないのは当然なのに、どうしても疑わずにはいられない。
「兄さんから聞いたけど、魔力を高めるために視力を封じたんだってな? 視力を封じても困らないすべを身に着けたからか? それとも、そこまでして魔力を高めなきゃいけない理由でもあったのか?」
 何かしら理由があったはずだ。
 何かを成し遂げようとして、そのために魔力を高めて。私利私欲だけで、そんなことが出来るとは思えない。
 そんなことが出来るのは――きっと、父や兄のような人だろう。
 ミエインはしばらく無言だったが、小さくほほえむと、
「それは、嘘です」
「え?」
「単純に、失明したんです」
 その回答に、ぽかんとする。
「私は、世間が思っているほど立派ではない。ほめられた生き方をしてきたわけでもない。この目はきっと、好き勝手に生きてきた罰でしょう」
「罰?」
「若い頃の私は、人より強い魔力を持っていたせいか、その力を惜しげもなく振るっていました。恥ずかしい話、『正義かぶれ』だったんです」
 呆れるように、肩をすくめる。
「『自分が』悪だと思ったものを力でねじ伏せ、散々こらしめて。それで『人助け』をしているつもりになっていました。……しかしある時、気づいたんです。私の振りかざした正義が、誰かを傷つけていることに。振り返ってみると、私はたくさんの人を傷つけていました。そこには、正義も悪もなくて……ただ傷ついて、泣いている人達がいるばかりでした」
「…………」
「そんな私に、きっとマナの女神がお怒りになったのでしょう。その頃から急速に視界が曇り始め、とうとう、何も見えなくなった。……ただ、それだけです」
 閉じていた双方のまぶたを開く。
 まぶたの下から出てきたのは、白濁した目だった。
 ……もっと、ご立派な理由があると思っていたのに。
 なんとも単純で――考えてみれば、当たり前の理由だった。
 どこか、ホッとした気分でため息をつくと、
「……難しいな。『人助け』って」
「ええ。本当に」
 見返りを求めているつもりなんてないのに。見返りどころか、なにかを失ってばかりだ。
「さて、それではそろそろ行きますか。ようやく自由の身になれたことですし……思う存分、暴れますか」
「はあ……」
 タフな人だ。数年間、氷漬けにされていたというのに。
「――大変や! 大変やでー!」
 突然、慌てふためいたウンディーネが姿を現す。
「まさか、タナトスが?」
 それとも神獣?
 しかし、ウンディーネは首を横に振り、
「エリスがおらんなった!」
「は?」
「エリスが、屋敷から出ていってもーた!」
 屋敷から出て行った。
 つまり、結界から出た?
「あらあら。こんな時にプチ家出?」
「え……ええええ!?」
 人に、あんなえらそうなこと言っておいて。
 予期せぬ自体に、思わず頭を抱えた。
 
 
「『なんでわたしなんだ!』って……」
 直前まで一緒にいたジェレミアが、青ざめた顔で説明する。
「……たしかにこの前、聖域で見たマナの樹は枯れかけていましたが……エリスが、次のマナの樹?」
「こりゃあ、いよいよトーテムポールに祈ることになるか」
「バカ言ってる場合か! 本人嫌がってるんだぞ!? そうじゃなくても、タナトスにいつ襲われるかわからない状況だ! なにかあったらどうする!」
「……すまん」
 怒鳴るジェレミアに、キュカもばつが悪そうに頭をかく。
「イザベラが追いかけて行ったが……そもそも、あの女が余計なことを言うからこんなことに……」
「私が捜してこよう」
「レニさん?」
「イザベラが一緒なら、ひとまず大丈夫だ。……行きそうな場所に心当たりがある。ミエインと後から行くから、お前達は精霊達と一緒に先に行ってくれ」
「『先に行け』ったって……」
「ひとまず我々は、聖剣を探しましょう。役に立つかどうかわかりませんが……今のところ、出来そうなことと言えばそれくらいしかありませんし」
「後は、私がなんとかする」
「……兄さん?」
 なぜか一瞬、父の姿とだぶって見えた。
 腹が据わったような、覚悟を決めたような、そんな顔だ。
 なのに、胸騒ぎがする。
「おい。エリスをどうするつもりだ? 『なんとかする』ったって、マナが消えれば、魔法も消えるんだぞ。……まさか、聖域に差し出すつもりか?」
「それはエリスが決めることだ」
 ジェレミアが問い詰めるも、回答は素っ気ないものだった。反論が思いつかなかったのか、それ以上は何も言わない。
「行くのかね?」
 扉が開き、リィと二人の執事が入ってくる。リィの手には、青白い水晶がついた杖が握られていた。
 どこかで見たような気がする。兄も気が付いたのか、
「その石……」
「『精霊の杖』だ。……以前、キミから買い取った石を見ていて、不思議と杖を作りたくなってね」
 そうだ。この森で『月のしずく』を探した時、それとは別に兄が持っていたものだ。
 なのになぜだろう。他にも、どこかで見たような気がする。
 リィは、杖を兄に差し出すと、
「自分で言うのもなんだが、これまで作った中では最高の出来だ。……元々はキミのものだ。受け取るといい」
 そう言って杖を差し出すが、手で押し返すと、
「この石は、お前が買い取ったものだ。私が受け取っていい理由がない。見合う金もないしな」
「金などいらんよ。私がやりたいと思ったから出したんだ」
「しかし……」
「――お受け取りください」
「その杖は、伯爵にとってはクズ同然でございます」
「クズ?」
 二人の執事の言葉にリィは苦笑すると、手にした杖に視線を落とし、
「その通りだ。前にも言ったと思うが……私は道具そのものではなく、その道具に秘められた物語が好きなのだ。この杖は、私がこれまで作った中では一番の出来だ。しかし、物語がない」
 改めて、杖を差し出す。
「面白い物語を作ってくれ。長い時を経て、アーティファクトとなったその杖と再び巡り会えたとしたら……長寿も、悪くない」
 
 ――あ……
 
 思い出した。
 この屋敷で見たのだ。
「まったく。古いものを守り続けてきた私に、新しいものを作れと言うか」
 兄は肩をすくめると、
「いいだろう。最高の一品にしてやる」
 そう言って、杖をつかんだ。
 
 
「みにゃさん、お世話になりましたにゃ」
「まったく、よくこんなとこまでついて来たよな」
「オイラもびっくりですにゃ」
 照れたような、困ったような顔で頬をかく。
 さすがにこれ以上は付き合いきれない。屋敷の前で、ニキータと別れの言葉を交わす。
「ううう……ニキータさん、お元気でなのであります……」
「みにゃさんもお元気で……ラビきちも」
「ぷき」
 はらはら涙を流すテケリと、すっかり存在を忘れられていたラビと抱き合う。
「これからどうするでありますか?」
「世界が終わるんじゃあ、何したって意味ないか」
「――そんにゃことにゃいです!」
 キュカの言葉に、ニキータは首をぶんぶん横に振ると、
「オイラはみにゃさんを信じます! だから! この危機が去った後、街の復興のために粉骨砕身働く覚悟ですにゃ!」
「おぉ……」
「ニキータさんが輝いているであります……!」
 テケリが、今度は感動の涙を流す。
 思い返してみると、ずいぶんたくましくなったものだ。最初の頃は、隅っこでおとなしくしているようなヤツだったのに。
 兄も笑みを浮かべると、
「……そうだな。平和な世界にこそ、お前の力が必要とされるのだろう」
「はいですにゃ! オイラ、みにゃさんと旅したこと、絶対忘れませんにゃ!」
 そう言って、背負っていた巨大な風呂敷包みを下ろすと、
「それで……餞別と言ってはにゃんですが、みにゃさんのために役に立ちそうなものをご用意しましたにゃ」
 風呂敷包みを解き――武器や薬、保存食など、様々な品を並べる。
 ただ、そのどれにも――
「これまで、旅した先でちまちま仕入れてたんですにゃ。ぜひ、買ってくにゃさい」
『…………』
「特別友情割引として、五パーセントオフですにゃ。どれもお買い得ですにゃよ」
『…………』
 ニキータが用意したとっておきの道具達。
 ただ、そのどれにも――きっちりと、値札が取り付けられていた。
 
 
「お世話になりましたにゃー!」
 ニキータの声を背に受けながら、
「……あいつ、たくましくなったな」
「ええ……いい商人になりますね」
 おのおの、軽くなった財布をしまい、船に乗り込む。
「それでは私は、ルジオマリスで後から行きます。みなさん、お気をつけて」
「ミエインさんも、レニさんをお願いするであります!」
「……なぜお前にお願いされねばならん」
 兄は不満げに言うと、抱いていたラビをテケリに押し付ける。
 テケリはラビを抱きかかえ、
「レニさん、後でちゃんと合流するでありますよ? 終わったら、ラビきちにお名前つけるであります」
「名前?」
「お名前つけるって、レニさんラビきちと約束してたであります!」
「ぷきっ」
「……あったな。そんなこと」
 忘れていたようだ。曖昧にごまかすと、さっさと行くよう促す。
「おい。この際、あたしはもう何も言わんが……エリスのこと、頼んだぞ」
「わかっている。……お前ら、仲悪かったんじゃないのか?」
「フン」
 一時、険悪だったというのに。女とはよくわからない。
 精霊達も手を振り、
「ほな、レニもミエインも、後でなー」
「くれぐれも、お気をつけてダスー」
「それじゃあオイラも行くッス……」
「――ウィスプ、あなたはこっち。ルジオマリスの動力をやっていただきます」
「いぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっスぅぅぅぅぅぅぅ! せっかく開放されたのにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
「…………」
 泣くウィスプをつまみ、ミエインもルジオマリスに向かう。
 それらを見送り、兄と二人になると、
「ロジェ、頼みがある」
「頼み?」
「この腕輪、外してくれ」
「え?」
 右腕を差し出す。ミエインがつけた金色の腕輪があった。
「……どうして俺に?」
「お前にしか頼めない」
「俺は、あんたを殺そうとした」
「ああ」
「腕輪をしているうちは、タナトスも引っ込んでいるんだろう? もしかすると、今なら殺せるかもしれないんだぞ」
「したいなら、とっくにそうしていただろう。なんなら、今から試してみるか?」
「…………」
 何もかも、見透かされている。
 昔からそうだ。隠し事も、ごまかしも、この人の前には通用しない。
 ため息をつくと、
「……わからない。もう、自分がどうしたいのか、まるでわからない」
「死ぬつもりだったんだろう?」
 あっさりした発言に、一瞬、頭の中が真っ白になる。
「私を殺し、自分も死ぬつもりだったんだろう?」
 顔を上げると、兄は特に怒っている風でもなく、むしろ呆れた顔で、
「だから私は、生きることにした。たとえこの身が人でなくなろうと、生き延びる。お前が、私に生きる勇気をくれたんだ」
 改めて、腕を差し出す。
 腕輪に手をかけ――人差し指にはめられた、青い石がついた指輪に目が留まる。
 
 ――まだつけてたのか……
 
 そういえば、こんなものを贈ったことを思い出す。
 適当に選んだ安物だった。
 今思い返すと、良い弟の『ふり』をしていただけだった。
「ロジェ。お前にとって、ペダンはどんな国だった?」
「え?」
 この状況で、なんだその質問は?
 急な質問に、一瞬、呆気にとられるが――
「……色々あったけど……一番、幸せな時間を過ごした国だった」
「……そう、か」
 軽く力を入れると、留め具があっけなく開き、腕輪が抜ける。
「ありがとう、ロジェ。お前がいてくれたおかげで、私は最後の勤めを果たせる」
 顔を上げると、兄の笑顔があって――一瞬で、姿が消えた。
「……最後? なんだよ、最後って?」
 腕輪を手に、呆然と立ち尽くす。
 問い詰めたくても、もはや影も形も見当たらない。
 風が吹き、木々がざわざわと音を立てて、揺れた。