16話 役立たず - 1/3

「お待ちしておりました。お連れ様も、どうぞこちらへ」
 橋の前で紋章を見せたとたん、兵士は槍を下ろした。まずは疑いのまなざしを向けてくると思っていたが、意外なものだ。
「おー。テーコクのヘイシってのは、ずいぶんしつけが行きとどいてんだなー」
「ポポイ、黙って」
 さすがのプリムも緊張気味だというのに、ポポイだけは平常運転だった。大物なのか、ただ何も考えてないだけか。きっと後者。
 前を歩く兵士に、
「あの、レジスタンスのメンバーは来ていますか?」
「はい。先にお通ししています」
「そうですか……」
 ちらりと後ろを振り返ると、橋の付近に市民がちらほら集まっていて、好奇の視線を向けているのが見えた。これで一応は、『レジスタンスは皇帝の誘いを受けた』という事実は作れたのだろう。
 橋を渡りきると、城門、中庭を通り、何事もないまま城内へと案内される。
「こちらです。この先に――」
「いて……いててっ!」
 上へ行く階段の近くまで来たところで、突然、ポポイが腹を押さえてうずくまる。
 プリムが慌てて腰をかがめると、
「あらチビちゃん? どうしたの?」
「いてて……なんかきゅうにハラが~」
「まあ大変! あの~、お手洗い、お借りしていいですかぁ?」
「え? しかし――」
「――ちょっとあんた! これから皇帝陛下にお会いするのよ! 苦しいの我慢した顔で会えって言うの!? 最悪、皇帝陛下の前でこの子が粗相したらあんたのせいよ! 名前と階級言いなさい! 皇帝に言いつけてやる!」
「え? いや、あの」
「あの、行かせてもらえませんか? どのみち、遅れて行くとは伝えてましたし」
 白々しさはあったが、勢いに押されたらしい。兵士は困惑した顔ではあったが、
「わ、わかりました。それでは――」
「――それでは、私がご案内いたします」
「え?」
 突然現れた小柄なメイドに、一瞬ぎょっとする。
「あれ? ねーちゃ……」
 とっさに、ポポイの口をふさぐ。
「た、助かります。それじゃあ急ごう」
「ありがとうございます~」
「え? あ、はあ……」
 兵士をうやむやに撒くと、メイドの後を慌てて追いかける。
 角を曲がり、周囲に人の姿が見えないことを確認すると、小声で、
「どういうこと? なんでキミが……」
「あの人達だけでは不安でしたので。服は以前、クリーニング屋から拝借したものが」
 そう言って、ゼノアはスカートの裾をつまんでみせる。ずいぶん用意周到だ。
 しかし、潜り込ませるにしても、
「でも、どうしてキミなの? 他にも大人の人、いたよね?」
「サイズが合う人がいませんでしたから。どのみち、他にやりたがる人もいませんし」
「そう……」
 最初から自分用に盗んだ服だったのだろうか? もしくは、以前から城に何回も潜入していた?
 レジスタンスのメンバーは何人か見たが、どうにもこの子は――どこか、空気が違う。
「なー。クリスのねーちゃんたちは?」
「城に入ってすぐ、地下牢に連行されました。ご案内します」
「やっぱり……」

 ――私達は先に行くから、キミ達は後から来て。

 こちらも城に行くと伝えた時、クリスは申し訳なさそうな顔でそう頼んで来た。暗に『助けに来てくれ』と言っていたのだろう。
 ゼノアの案内で地下へ向かいながら、
「でも、捕まっただけで、生きてはいるんでしょ? よかったじゃない」
「だといいけどね」
 今頃、拷問されている可能性だってあるのに。
 しかし、プリムはそんなこと思いつきもしないのだろう。わざわざ脅かすこともないので、口にはしないでおく。
「とにかく、急がないと――」
「――あらあなた達。こんな所でなにをしているの?」
 女の声に呼び止められたのは、地下へ向かう階段を降りきった時だった。
 左右に通路が分かれていたが、その左手側の通路から音もなく現れたのは、足にスリットの入った黒い服に、緑のマントを羽織った女だった。クセのある赤毛の隙間から見える切れ長の目と目が合ったとたん、背筋に寒気が走る。
 一瞬、緊張感が走ったが、ゼノアは頭を下げると、
「これはファウナッハ様。お客様をご案内していたところでございます」
「あらそう。ご苦労様」
 意外なほどあっさり受け入れる。客人の案内にしては、不自然な場所のような気がするが。
 ファウナッハと呼ばれた女は、こちらに目を向けると、
「あなたが聖剣の勇者?」
「え? あ、そう……呼ばれてます」
 なんだこの女。
 顔はにこにこ笑っているのに、奇妙なプレッシャーに、全身、嫌な汗が噴き出してくる。
 タナトスほどではないが、人間とは思えない奇妙な雰囲気。なんなんだ?
「やい、オバサン! クリスのねーちゃ――」
 とっさに、ポポイの口をプリムと二人がかりで押さえる。
「あら、なに?」
「あ! えーと、その! 実はこの子がおなか壊しちゃいまして! お手洗いまで案内してもらってるんですよ~!」
「そ、そうなんです! こいつ、見境なく食べるんで!」
 必死に取り繕いながら、ポポイの耳元で『しゃべるな』とささやく。ヘタに演技させるより、黙っててくれたほうがずっとマシだ。
 ファウナッハはにっこりほほえむと、
「あらそれは大変。では、私がご案内しましょう。お付き添いの方もご一緒に」
『え』
 予期せぬ発言に、全員、硬直する。
 ゼノアは我に返ると、
「い、いえ、そのくらい私が――」
「『そのくらい』? お客様が体調不良を訴えているのに、『そのくらい』はないでしょう。それとも、私の命令が聞けないのかしら?」
「……申し訳、ございません」
 そう言われては引き下がるしかない。ゼノアは慌てて頭を下げる。
「あ、あの――」
「ああ、勇者殿はここでお待ちを」
「え?」
 戸惑っていると、逆に相手のほうが不思議そうな顔で、
「あら。『危険な敵地』に乗り込んできたわけでもあるまいし、何をそんなに警戒なさるのです?」
「いや、その……」
 なんとか言葉を探すが、それより先に、
「お待たせして申し訳ありません。さあ急ぎましょう。あなたも、粗相はしたくないものね?」
「…………」
「ありがとう、ございます……」
 ポポイが無言でうなずき、プリムも一瞬、不安げな顔でこちらに振り返ったが――抵抗するわけにもいかず、通路の奥へと姿を消した。
『…………』
 しまった。プリム達と引き離された。これでは人質にしてくださいと言っているようなものではないか。
「ど、どうすんだよこれ……」
「……すみません。兵士と鉢合わせるくらいは想定していましたが……」
 思わず頭を抱えると、ゼノアが謝罪してきた。
「そもそもさっきの人、何者?」
「さっきの女は、四天王の紅一点、ファウナッハです。魔法に卓越していて、かつては魔法兵団を指揮していました」
「いました?」
「今はモンスター兵団です。皇帝は、人間の兵士をどんどんモンスターに置き換えていますから」
「人間より怪物か……」
 使いようによっては、人間より都合がいいのかもしれない。情もなしに敵を襲ってくれるし、なにより餌代はかかっても給料はいらないのだ。
「どうします? 追いかけて背後から討ち取りますか?」
「そんなことしに来たんじゃあ――」
 言いかけて、おかしなことに気づく。
 そもそも、なぜ引き離す必要があった? 捕らえるのが目的なら、一緒でもよかったはずだ。
 引き離した理由は? それとも、こちらを一人にすることに意味があるのか?
 ふと、さっき通ってきた階段の上から、足音が聞こえた。
「――謁見の間は上だぞ」
「え?」
 聞き覚えのある声に振り返り、硬直する。
「陛下を待たせて、真っ先に仲間の解放か? まあ、そこまでのんきな頭はしていなかったようだ」
「え……あなたは……だって……」
 階段を下りて来た人物の姿に、頭の中が軽く混乱する。もう会うことはないと思っていた。
「久しぶりだな、小僧。タナトスに殺されずに済んで何よりだ」
 憎悪に満ちた顔で、ゲシュタールは、真っ直ぐこちらをにらみつけていた。

「どうして……」
 死んだと思っていた。
 船から砂漠に落ちただけでも助からないだろうに、あんな怪物まで住む場所で。
 しかし、向こうは質問に答えるつもりはないらしい。腕組みをしたまま、
「言ったはずだ。『この落とし前はつける』と。……よくも俺に恥をかかせてくれたな。キサマはただでは殺さん。思う存分、絶望させてやる。そして己の罪にさいなまれながら、死ね」

 ――ごぅん!

 突然の爆音と共に、建物全体が揺れる。
 それも一つではない。二回、三回と揺れ、どこかが崩れる音と、悲鳴が聞こえた。
「え? なに?」
「和解を拒んだ『テロリスト』が、皇帝陛下を亡き者にしようと城を爆破した。明日には国中にそう伝わる予定だ」
「え?」
 また爆発音が聞こえた。それに混じって、女の悲鳴も聞こえた。

 ――プリム?

 誰の悲鳴かなんてわからない。
 しかし、全身から血の気が引き、心臓が早鐘のように鼓動する。
 なんとか落ち着こうと胸を押さえながら、
「……元から罠だったとしても。普通、主の城を本当に爆破なんてする? ここにはただ働いてるだけの人だって大勢いるんでしょう?」
「それがどうした。そもそもこれは、お前が招いたことだ」
「え?」
「あの時俺を殺さなかった、お前の責任だ。……この俺が、任務に失敗したあげく、ガキに情けをかけられた? 不愉快だ。実に不愉快だ!」
 ゲシュタールは顔を怒りで真っ赤にし、思い切り床を踏みつけると、
「こんな屈辱あってたまるか! 敵を殺めることも出来ない臆病者が、剣など持つな! それとも、人助けでもしたつもりになって、自分は善人だと優越感に浸りたいか? 俺はなぁ、お前みたいな半端者が一番嫌いなんだよ!」
「はぁ!?」
 呆気にとられて言葉が出ない。わかったのは、面倒くさいヤツだということだ。
 ゲシュタールは腕組みをすると、天上を見上げ、
「そろそろファウナッハが、お前の『オトモダチ』の処刑にかかる頃だな」
「――――!」
 その言葉に、さっき、プリム達が連れていかれた方角へ、脇目も振らず掛けだす。
「逃げろ逃げろ。そうして逃げれば逃げるほど、お前の身の回りに災いがもたらされる」
 後ろからゲシュタールの声が聞こえたが――振り返らぬまま、走った。