18話 ついで - 2/4

「あれがフラミー……」
 城の裏手にある森に降り立ち、上空を旋回する白竜をぽかんと見上げる。
 わずか数ヶ月だというのに、別れた時の倍以上の大きさになり、ぐるぐる飛び回っていた。
「よぉー……大丈夫だったかー?」
 振り返り――青緑に光る物体に、一瞬すくみ上がる。
「トリュフォー……まさかこんな所で」
 暗い中、発光する笠につい目が行ってしまった。久しぶりに会うマタンゴ王国の国王は、ふらふらした足取りでこちらに向かってくると、
「いやー……なんかピンチっぽかったみてーだが……大丈夫かー?」
「えぇと……そっちのほうが大丈夫? なんか……老けたというか、しなびた……?」
 トリュフォーは、げっそりした顔で、
「いやー、フラミーのヤツ、今日は様子がおかしくてなー。ひどく興奮して、暴れ出してよ。押さえ込もうと背中に乗ったら、そのまま空飛んで、気がつくとこんなトコに」
「え? マタンゴ王国から……ここまで飛んできたの!? 今日!?」
 トリュフォーはこくりとうなずくと、
「すげー速いし全然下ろしてくれねーし。風キツくて寒くて息もまともに出来なくて『あ、オレ、今日死ぬんだ』と思った」
「ああ、それでそんな干しキノコに……」
 風によるフリーズドライ製法。どれだけのスピードだったかは知らないが、細長いヒゲが変な方角に曲がったままだ。
「でもまあ、これだけはなんとか落とさず持ってこれた。ホレ、やるよ」
「え? これってたしか……」
 先端に、木彫りの翼の飾りが付いたでんでん太鼓だった。フラミーをあやす時に使っていたのを見たことがある。
「ああ、『風の太鼓』だ。アイツ、これが好きでなー。鳴らすとすっ飛んできて、あちこちめちゃくちゃだ」
「……修理代の請求に来たの?」
「あー、ちがうちがう。お前を追ってきたってことは、お前の力になりたいってことだろ。後はオマエに任す」
「これで呼べって? フラミーを?」
 差しだされた太鼓を一旦受け取り、そして、
「呼ぶだけだったら指笛教えるからいらない」
「あ、そーいうこと言うんだこの人……」
「わかったよ……」
 なんだか悲しそうな顔をしたので、返品しようとした太鼓を手元に引っ込める。まあ、ポポイにでもあげればいいだろう。
「なんでここがわかったの? 『帝国』なんてフラミーにわかんないでしょ」
 トリュフォーは面倒くさそうに頭を振ると、
「はっきり言ってよくわからん。超能力? 愛の力? もーそれでいいだろ」
「『超能力』ねぇ……」
 『愛の力』はともかく、たしかに『伝説の白竜』なら、人智を越えた能力くらい、備わっていて欲しいところではある。
「オレ達の先祖に、白竜や神獣の研究をしようとしたヤツがいたけど、追跡調査をしてわかったのは、飲み食いもしないで常に飛び回ってるってことくらいだ」
「え? 僕達がいなくなった後も、なんにも食べてないの?」
「ああ。食べ物にまったく興味なしだ。資料には、マナを食っているんじゃないかって書いてあった。だから、余計な世話は焼かなくて大丈夫だ」
「そういえば……」
 妖精の長老が言っていたことを思い出す。大森林は特にマナが多くわき出ると。だからあの地でよく見かけたのだ。
「じゃあ、マナが消えるとどうなるの?」
「そりゃあ、生き物は腹が減ると凶暴化するもんだろ。言い伝えにも急激なマナの変調で凶暴化するって――」

 ――ぷすっ。

「え?」
「あ?」
 突然、トリュフォーの笠に何かダーツっぽいものが刺さる。というか、ダーツだ。
 一瞬、静まりかえり――
「――のぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ! なんじゃこりゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「トリュフォー!?」
 突然、身に降りかかった厄災に、短い手足を振り回してパニックを起こす。
 さらに、ぱんぱんと、どこかで聞いた破裂音がトリュフォーの足下に炸裂するが、チョロチョロ走り回って命中することはなかった。
「ちょっ……ストップ! ストーーーーーーーーーーーーーーーーップ!」
 方角がわからないので、両手を振り上げ、デタラメな方角に声を張り上げる。
 トリュフォーはなんとか茂みに逃げ込み、再び、辺りが静かになる。
「――危険です。胞子を吸えば死にますよ」
「ゼ、ゼノア……」
 鉄砲を構えたまま、近くの木の上からゼノアが顔を出す。
 周囲を見渡すと、誰もいない。一人のようだ。
「今のはマイコニドじゃなくて……一応、安全なキノコだから……」
「取れましたか?」
「え?」
 ゼノアは、木から飛び降りると、
「皇帝の首」
「……さすがにそれは無理だよ」
 ため息と共に脱力する。
 急に現実に引き戻された気分だ。ぼんやりと、黒く汚れた自分の手を見下ろし、
「でも……ゲシュタールの首なら」
 その回答に、一瞬、驚いた顔をする。
「死にに行ったわけではないと思っていましたが……どうやって」
「僕の故郷は、ないない尽くしの村でね」
 思い返すと、幼い頃から身に着いた習慣が生きたのだと思う。
「必要なものがあれば、まずは何かで代用することを考える。それが無理なら、自分で作れないか考える。今回はラッキーだった。キミの協力があったから」
 精霊のコインだの毒薬だの、なければどうなっていたか。今頃になって、冷や汗が出てきた。
「自分が有利になれる状況を『作った』わけですか……」
「そう。おかげで命拾いした。ありがとう」
 礼を言うと、ゼノアはうつむき、スカートを握りしめ、
「……でしたらもう少し、『仲間』を選ぶべきだと思います」
「選びたかったよ……」
 『選ぶ余地』があればとっくにそうしてる。むしろ、なんであんな二人を。
 ゼノアは顔を上げると、
「皇帝がよっぽどの間抜けでなければ、今回のことで完全にあなたを『脅威』と見なすはずです。これが何を意味するかわかりますか?」
「え……?」

 ――危険だな。

 脳裏にタナトスの言葉が蘇り、背筋が寒くなった。
 そうだ。何も終わってなんかいない。なにしろ帝国四天王の一人を殺したのだ。
 皇帝が、このまま黙っているわけがない。
「全員、城からは脱出しました。近くにいるはずなので、合流したらすぐお逃げください」
「キミは……レジスタンスを抜けるの?」
「もう、あそこにいる理由はないので」
「そう……」
 用は済んだということか。特に未練もなさそうに、ゼノアは軽くお辞儀をし――
「――待って! 嫌じゃないの?」
「嫌?」
 立ち去ろうとしたところを引き留める。もう一つ、聞きたいことがある。
「誰か、大人の人に言われてやってるんじゃないの? こんな危険なこと……普通じゃないよ」
 鉄砲なんてそうそう手に入るものではない。ましてや、こんな少女。
 彼女の背後には、『大人』がいる。
 ゼノアは、一瞬きょとんとし――そして、小さく吹き出すと、
「……おかしなことを聞きますね。『そっち』のほうが気になるんですか?」
「え?」
 一瞬、意味がわからなかったが――すぐに、彼女の『背後の存在』ではなく『彼女自身』を案じていることに気づく。
 心の片隅で、この子も笑ったりするんだなと思いつつ、
「……僕が言うのもアレだけど。絶対、ロクな大人じゃないよ」
「…………」
 ゼノアは少し、困った顔をすると、
「……『子供』であることを理由に、ないがしろにされるのが嫌なんです。私は」
「え?」
「『マナの消滅』はみんなの危機。その危機に、『子供』という理由だけで参加出来ないのは、おかしくないですか?」
「みんなの危機……」

 ――この戦いにおいて、無関係な者など存在しない――

 ふいに、ゲシュタールの言葉を思い出す。
 そういえば――特に帝国に来てからというもの、まるで『皇帝を倒せばすべて解決する』かのように錯覚していた。なぜなら『帝国がマナの要塞を復活させようとしている』からだ。『要塞にマナが食い尽くされ、マナが消滅する危機があるからだ』、と。
 しかし、そもそも『マナの要塞』とは、マナで動いている・・・・・・・・のではないのか? だったら、マナが消えて一番困るのは帝国ではないか。
 第一、マナの要塞は壊れたから墜ちた・・・・・・・・はずだ。千年も昔に。
 そんな壊れたガラクタを、今さら復活させてどうする? 大人達は、なにを慌てている?
 矛盾している。
「『良い子じゃ、何も変えられない』」
「え?」
 顔を上げると、ゼノアはこちらに背を向け、
「『幼稚な大人じゃ、世界が壊れる』……とある方からの教えです。私、大人の言いつけを守る『良い子』じゃありませんので」
「…………」
「それでは、失礼します」
 そう告げると、足早に去っていく。
 その後ろ姿が消えた方角をぼんやりと眺めながら、
「『良い子』じゃない……」
 どうやら、彼女のことを勝手に勘違いしていたらしい。
「な、なんつーか……我が道を突き進む子がいるもんだなー……」
「トリュフォー、刺さってる」
 頭にダーツが刺さったまま、トリュフォーが茂みから出てくる。ぼんやり笠が発光して不気味だった。
 ダーツを抜いてやると、
「――ランディ!」
「おーい、アンちゃん!」
 フラミーを追ってきたのだろう。プリムとポポイが山道を走ってくるのが見えた。
「プリム? ポポイも……」
 プリムとポポイの後ろには、クリス達もいる。全員無事のようだ。
「おお! 元気だったかー?」
 二人の姿に、トリュフォーは迎えるように駆けだし――

 ――どすっ!

「キャーーーーー! マイコニド!」
「気をつけて! 胞子吸ったら死ぬよ!」
 猛ダッシュで突っ込んできたクリスが、手にした棒きれでトリュフォーに強烈な突きを放った。
「デ、デジャブ……」
「わーーーーーーーー! トリュフォー!」
「トリュフォー! しっかりして!」
『ん?』
 ポポイとプリムの悲鳴に、レジスタンス三人は、きょとんとした顔をした。

 再会の喜びもそこそこに、二回殺されかけたトリュフォーは、『オレもーやだ。おうちかえる』と、フラミーに乗って帰って行った。タフなキノコだ。
 それを見送りながら、
「いやー、なにはともあれよかったな! これからはフラミーが、オイラたちの旅をたすけてくれるんだろ? オイラも子分がふえてうれしーぜ!」
「うん……そうだね……」
 風の太鼓をポポイに押しつけ、フラミーが飛び去っていった方角を眺める。
 未だ、どこか現実から離れた場所にいるような、奇妙な感じがした。
 いっぺんに色々ありすぎて、ようやく頭の中が混乱を始めたみたいだ。
「ちょっとランディ」
「え?」
 後ろから肩を叩かれ、振り返った瞬間、頬に衝撃が走る。
「何考えてんのよ!? 私達に何も言わないで、一人で勝手なことして! フラミーが助けに来てくれたからよかったけど、そうじゃなきゃ、今頃どうなってたと思ってるの!?」
「ね、ねえちゃん……」
 これまで、こちらが散々プリムに言ってきたことが、そのまま返ってきた。
「どうせ私はお荷物よ! いざって時、頼りにならないし! 散々足引って、状況悪くするだけだし! でも、だからって――血!?」
 突然、驚いた顔ですくみ上がる。
 いつの間にか、雲に隠れていた月が出て、少し明るくなっていた。たいまつの明かりだけでは暗くて気づかなかったが、自分の体を見下ろすと、あちこち黒く汚れていた。
 暗いせいで、ただの泥汚れのように見えたが――血だ。
「ああもう、なんで黙ってるのよ!? こんなケガして!」
「…………」
 血のついた腕を捕まれるが、反射的に払いのけると、
「……僕の血じゃない」
「え?」
 かすり傷や打ち身くらいはあるかもしれないが、ほとんどケガはしていないように思う。
 なのに、血まみれだった。
 それを自覚したとたん、頭の中がぐらぐらするような、奇妙な感覚に襲われる。
「あ、あの、ランディ。私ね――」
 クリスが何か言おうとしていたが、顔をそらすと、
「ごめん、後にして……なんか……疲れた……」
 体が、熱い。今頃になって鼓動が激しくなり、視界が歪む。
 急に足から力が抜け、その場に膝をつくと、自然と意識が遠のいた。