「あれがフラミー……」
  城の裏手にある森に降り立ち、上空を旋回する白竜をぽかんと見上げる。
  わずか数ヶ月だというのに、別れた時の倍以上の大きさになり、ぐるぐる飛び回っていた。
 「よぉー……大丈夫だったかー?」
  振り返り――青緑に光る物体に、一瞬すくみ上がる。
 「トリュフォー……まさかこんな所で」
  暗い中、発光する笠につい目が行ってしまった。久しぶりに会うマタンゴ王国の国王は、ふらふらした足取りでこちらに向かってくると、
 「いやー……なんかピンチっぽかったみてーだが……大丈夫かー?」
 「えぇと……そっちのほうが大丈夫? なんか……老けたというか、しなびた……?」
  トリュフォーは、げっそりした顔で、
 「いやー、フラミーのヤツ、今日は様子がおかしくてなー。ひどく興奮して、暴れ出してよ。押さえ込もうと背中に乗ったら、そのまま空飛んで、気がつくとこんなトコに」
 「え? マタンゴ王国から……ここまで飛んできたの!? 今日!?」
  トリュフォーはこくりとうなずくと、
 「すげー速いし全然下ろしてくれねーし。風キツくて寒くて息もまともに出来なくて『あ、オレ、今日死ぬんだ』と思った」
 「ああ、それでそんな干しキノコに……」
  風によるフリーズドライ製法。どれだけのスピードだったかは知らないが、細長いヒゲが変な方角に曲がったままだ。
 「でもまあ、これだけはなんとか落とさず持ってこれた。ホレ、やるよ」
 「え? これってたしか……」
  先端に、木彫りの翼の飾りが付いたでんでん太鼓だった。フラミーをあやす時に使っていたのを見たことがある。
 「ああ、『風の太鼓』だ。アイツ、これが好きでなー。鳴らすとすっ飛んできて、あちこちめちゃくちゃだ」
 「……修理代の請求に来たの?」
 「あー、ちがうちがう。お前を追ってきたってことは、お前の力になりたいってことだろ。後はオマエに任す」
 「これで呼べって? フラミーを?」
  差しだされた太鼓を一旦受け取り、そして、
 「呼ぶだけだったら指笛教えるからいらない」
 「あ、そーいうこと言うんだこの人……」
 「わかったよ……」
  なんだか悲しそうな顔をしたので、返品しようとした太鼓を手元に引っ込める。まあ、ポポイにでもあげればいいだろう。
 「なんでここがわかったの? 『帝国』なんてフラミーにわかんないでしょ」
  トリュフォーは面倒くさそうに頭を振ると、
 「はっきり言ってよくわからん。超能力? 愛の力? もーそれでいいだろ」
 「『超能力』ねぇ……」
  『愛の力』はともかく、たしかに『伝説の白竜』なら、人智を越えた能力くらい、備わっていて欲しいところではある。
 「オレ達の先祖に、白竜や神獣の研究をしようとしたヤツがいたけど、追跡調査をしてわかったのは、飲み食いもしないで常に飛び回ってるってことくらいだ」
 「え? 僕達がいなくなった後も、なんにも食べてないの?」
 「ああ。食べ物にまったく興味なしだ。資料には、マナを食っているんじゃないかって書いてあった。だから、余計な世話は焼かなくて大丈夫だ」
 「そういえば……」
  妖精の長老が言っていたことを思い出す。大森林は特にマナが多くわき出ると。だからあの地でよく見かけたのだ。
 「じゃあ、マナが消えるとどうなるの?」
 「そりゃあ、生き物は腹が減ると凶暴化するもんだろ。言い伝えにも急激なマナの変調で凶暴化するって――」
――ぷすっ。
「え?」
 「あ?」
  突然、トリュフォーの笠に何かダーツっぽいものが刺さる。というか、ダーツだ。
  一瞬、静まりかえり――
 「――のぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ! なんじゃこりゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 「トリュフォー!?」
  突然、身に降りかかった厄災に、短い手足を振り回してパニックを起こす。
  さらに、ぱんぱんと、どこかで聞いた破裂音がトリュフォーの足下に炸裂するが、チョロチョロ走り回って命中することはなかった。
 「ちょっ……ストップ! ストーーーーーーーーーーーーーーーーップ!」
  方角がわからないので、両手を振り上げ、デタラメな方角に声を張り上げる。
  トリュフォーはなんとか茂みに逃げ込み、再び、辺りが静かになる。
 「――危険です。胞子を吸えば死にますよ」
 「ゼ、ゼノア……」
  鉄砲を構えたまま、近くの木の上からゼノアが顔を出す。
  周囲を見渡すと、誰もいない。一人のようだ。
 「今のはマイコニドじゃなくて……一応、安全なキノコだから……」
 「取れましたか?」
 「え?」
  ゼノアは、木から飛び降りると、
 「皇帝の首」
 「……さすがにそれは無理だよ」
  ため息と共に脱力する。
  急に現実に引き戻された気分だ。ぼんやりと、黒く汚れた自分の手を見下ろし、
 「でも……ゲシュタールの首なら」
  その回答に、一瞬、驚いた顔をする。
 「死にに行ったわけではないと思っていましたが……どうやって」
 「僕の故郷は、ないない尽くしの村でね」
  思い返すと、幼い頃から身に着いた習慣が生きたのだと思う。
 「必要なものがあれば、まずは何かで代用することを考える。それが無理なら、自分で作れないか考える。今回はラッキーだった。キミの協力があったから」
  精霊のコインだの毒薬だの、なければどうなっていたか。今頃になって、冷や汗が出てきた。
 「自分が有利になれる状況を『作った』わけですか……」
 「そう。おかげで命拾いした。ありがとう」
  礼を言うと、ゼノアはうつむき、スカートを握りしめ、
 「……でしたらもう少し、『仲間』を選ぶべきだと思います」
 「選びたかったよ……」
  『選ぶ余地』があればとっくにそうしてる。むしろ、なんであんな二人を。
  ゼノアは顔を上げると、
 「皇帝がよっぽどの間抜けでなければ、今回のことで完全にあなたを『脅威』と見なすはずです。これが何を意味するかわかりますか?」
 「え……?」
――危険だな。
 脳裏にタナトスの言葉が蘇り、背筋が寒くなった。
  そうだ。何も終わってなんかいない。なにしろ帝国四天王の一人を殺したのだ。
  皇帝が、このまま黙っているわけがない。
 「全員、城からは脱出しました。近くにいるはずなので、合流したらすぐお逃げください」
 「キミは……レジスタンスを抜けるの?」
 「もう、あそこにいる理由はないので」
 「そう……」
  用は済んだということか。特に未練もなさそうに、ゼノアは軽くお辞儀をし――
 「――待って! 嫌じゃないの?」
 「嫌?」
  立ち去ろうとしたところを引き留める。もう一つ、聞きたいことがある。
 「誰か、大人の人に言われてやってるんじゃないの? こんな危険なこと……普通じゃないよ」
  鉄砲なんてそうそう手に入るものではない。ましてや、こんな少女。
  彼女の背後には、『大人』がいる。
  ゼノアは、一瞬きょとんとし――そして、小さく吹き出すと、
 「……おかしなことを聞きますね。『そっち』のほうが気になるんですか?」
 「え?」
  一瞬、意味がわからなかったが――すぐに、彼女の『背後の存在』ではなく『彼女自身』を案じていることに気づく。
  心の片隅で、この子も笑ったりするんだなと思いつつ、
 「……僕が言うのもアレだけど。絶対、ロクな大人じゃないよ」
 「…………」
  ゼノアは少し、困った顔をすると、
 「……『子供』であることを理由に、ないがしろにされるのが嫌なんです。私は」
 「え?」
 「『マナの消滅』はみんなの危機。その危機に、『子供』という理由だけで参加出来ないのは、おかしくないですか?」
 「みんなの危機……」
――この戦いにおいて、無関係な者など存在しない――
 ふいに、ゲシュタールの言葉を思い出す。
  そういえば――特に帝国に来てからというもの、まるで『皇帝を倒せばすべて解決する』かのように錯覚していた。なぜなら『帝国がマナの要塞を復活させようとしている』からだ。『要塞にマナが食い尽くされ、マナが消滅する危機があるからだ』、と。
  しかし、そもそも『マナの要塞』とは、マナで動いているのではないのか? だったら、マナが消えて一番困るのは帝国ではないか。
  第一、マナの要塞は壊れたから墜ちたはずだ。千年も昔に。
  そんな壊れたガラクタを、今さら復活させてどうする? 大人達は、なにを慌てている?
  矛盾している。
 「『良い子じゃ、何も変えられない』」
 「え?」
  顔を上げると、ゼノアはこちらに背を向け、
 「『幼稚な大人じゃ、世界が壊れる』……とある方からの教えです。私、大人の言いつけを守る『良い子』じゃありませんので」
 「…………」
 「それでは、失礼します」
  そう告げると、足早に去っていく。
  その後ろ姿が消えた方角をぼんやりと眺めながら、
 「『良い子』じゃない……」
  どうやら、彼女のことを勝手に勘違いしていたらしい。
 「な、なんつーか……我が道を突き進む子がいるもんだなー……」
 「トリュフォー、刺さってる」
  頭にダーツが刺さったまま、トリュフォーが茂みから出てくる。ぼんやり笠が発光して不気味だった。
  ダーツを抜いてやると、
 「――ランディ!」
 「おーい、アンちゃん!」
  フラミーを追ってきたのだろう。プリムとポポイが山道を走ってくるのが見えた。
 「プリム? ポポイも……」
  プリムとポポイの後ろには、クリス達もいる。全員無事のようだ。
 「おお! 元気だったかー?」
  二人の姿に、トリュフォーは迎えるように駆けだし――
――どすっ!
「キャーーーーー! マイコニド!」
 「気をつけて! 胞子吸ったら死ぬよ!」
  猛ダッシュで突っ込んできたクリスが、手にした棒きれでトリュフォーに強烈な突きを放った。
 「デ、デジャブ……」
 「わーーーーーーーー! トリュフォー!」
 「トリュフォー! しっかりして!」
 『ん?』
  ポポイとプリムの悲鳴に、レジスタンス三人は、きょとんとした顔をした。
 再会の喜びもそこそこに、二回殺されかけたトリュフォーは、『オレもーやだ。おうちかえる』と、フラミーに乗って帰って行った。タフなキノコだ。
  それを見送りながら、
 「いやー、なにはともあれよかったな! これからはフラミーが、オイラたちの旅をたすけてくれるんだろ? オイラも子分がふえてうれしーぜ!」
 「うん……そうだね……」
  風の太鼓をポポイに押しつけ、フラミーが飛び去っていった方角を眺める。
  未だ、どこか現実から離れた場所にいるような、奇妙な感じがした。
  いっぺんに色々ありすぎて、ようやく頭の中が混乱を始めたみたいだ。
 「ちょっとランディ」
 「え?」
  後ろから肩を叩かれ、振り返った瞬間、頬に衝撃が走る。
 「何考えてんのよ!? 私達に何も言わないで、一人で勝手なことして! フラミーが助けに来てくれたからよかったけど、そうじゃなきゃ、今頃どうなってたと思ってるの!?」
 「ね、ねえちゃん……」
  これまで、こちらが散々プリムに言ってきたことが、そのまま返ってきた。
 「どうせ私はお荷物よ! いざって時、頼りにならないし! 散々足引って、状況悪くするだけだし! でも、だからって――血!?」
  突然、驚いた顔ですくみ上がる。
  いつの間にか、雲に隠れていた月が出て、少し明るくなっていた。たいまつの明かりだけでは暗くて気づかなかったが、自分の体を見下ろすと、あちこち黒く汚れていた。
  暗いせいで、ただの泥汚れのように見えたが――血だ。
 「ああもう、なんで黙ってるのよ!? こんなケガして!」
 「…………」
  血のついた腕を捕まれるが、反射的に払いのけると、
 「……僕の血じゃない」
 「え?」
  かすり傷や打ち身くらいはあるかもしれないが、ほとんどケガはしていないように思う。
  なのに、血まみれだった。
  それを自覚したとたん、頭の中がぐらぐらするような、奇妙な感覚に襲われる。
 「あ、あの、ランディ。私ね――」
  クリスが何か言おうとしていたが、顔をそらすと、
 「ごめん、後にして……なんか……疲れた……」
  体が、熱い。今頃になって鼓動が激しくなり、視界が歪む。
  急に足から力が抜け、その場に膝をつくと、自然と意識が遠のいた。