「疲れた……」
ベッドに転がり、身を沈める。
あまり質のいいベッドではない。堅くて、めったに使っていない感じはしたが、ニキータの宿だけあって、きちんとシーツは交換してあるようだ。それだけでも御の字だろう。
体もそうだが、もしかすると精神のほうがきついかもしれない。
信じられないことばかりが起こり、気持ちがついて行けない。
聖剣云々もそうだが、まさか水の神殿のルサ・ルカとやらが、自分より年若い女の子だとは。
* * *
どうしてあの時、剣を捨てて都へ向かわなかったんだろう。
激しく後悔するが、もう遅い。
「ふぉっふぉっ……よく来たな。待っておったぞ」
見た目は少女なのに、その姿に似合わぬ齢を重ねたような口ぶり。違和感しかない。
「あの……ジェマ?」
「この方が、ルサ・ルカ様だ」
こちらのもの言いたげな顔は無視して、ジェマは真顔で答える。
透けるような、というより、色が抜け落ちたような白い肌に、赤い目と長い銀色の髪。青を基調としたドレスと白いマントを身につけていたが――その小柄な姿はどう見ても、十四、五歳の女の子だった。
ひょろっとした体型に血の気が感じられない白すぎる肌は、水に浮いていたら水死体、夜道で出会おうものなら亡霊と見間違えそうだ。
「どうしたランディ。なにをそんなに不安がっておる?」
彼女から目をそらすと、虚空を見上げ、
「……そういや、しるきーになんにも言わないで出てきちゃったなぁ」
「しるきー?」
「うちに毎日遊びに来るグレートオックスです」
「くだらん現実逃避してないで、ちゃんと話を聞きなさい」
ジェマに、現実に引っ張り戻される。
――あれ?
「……名前、教えましたっけ?」
「フン、ワシは水の流れを通して、世の中で起こっておることすべて見通すことが出来る。名前くらいどうということはない」
「じゃあ、僕の母親のこととかわかります?」
「ジェマ、近頃、マナの減少が一段と激しくなっておるようじゃ」
「ああ、だからあれほど期待するなと……」
清々しくスルーされ、しゃがんで頭を抱える。
「はい。昨日も、この少年の村で怪物が。野生の動物も狂暴化していますし……やはり、マナの影響でしょうか?」
「マナ?」
顔を上げ――いつの間にか前にいたルカが、ぴたりとこちらの額に手を当ててくる。
「あの……」
「時間が経っているから、完全には消えん。じゃがその傷は、おぬしが生きようとした証じゃ」
何を言ってるんだ?
ルカは手を引っ込めると、
「マナとは、世界を作るエネルギー……世界そのものと言ってもいいじゃろう。そのマナが失われるとはすなわち、世界の崩壊じゃ」
「世界の崩壊、ですか……」
わかりやすいよう簡単な言葉で説明してくれているのだろうが、スケールが大きすぎて、逆にうさんくさい。
マナに、世界の崩壊。そんな話があったような気がする。
「たしか……マナをめぐる戦いが、世界を滅亡に導いたとか、そんなおとぎ話がありましたね」
「おとぎ話ではない。いにしえの時代、人類はマナの力を使って、今では想像もつかないような発展した文明を築いていた。そして作られたのが空を飛ぶ巨大な要塞……人類の知恵と技術の結晶だ」
ジェマが口を開く。
「しかし、それが神の怒りに触れ、要塞を破壊すべく神獣が遣わされた。神獣の力と要塞の力、両者の力は拮抗し、世界中が炎と毒で包まれ、収拾がつかなくなったところに現れたのが『聖剣』だ」
「聖剣を携えし勇者が要塞を落とし、暴走する神獣を倒した。戦いにより世界から文明は消えたが、平和が訪れ、今に至る、という話じゃ」
「ああ、『ケンカ両成敗』ってことですね」
「……ある意味そうかもしれんが……」
率直な感想に、なぜかジェマは微妙な顔で肩を落とす。
ルカは肩を怒らせ、
「まったく……なにのんきなことを言っておる! 今度はおぬしが、それをせねばならんのじゃぞ!」
「はい?」
なに言ってんだこの人。
ジェマといい、二人グルになって、人をなにかに利用するつもりだろうか? そもそもこの女の子が、二百年生きていると言い張っている時点でおかしい連中に違いないのだ。
「まあ、昨日まで普通の村人をしていた少年に、信じろというほうが無理でしょう」
「フン。じゃが聖剣を抜いてしまったからには、嫌でもやってもらわねばならん」
ルカはこちらに背を向け、噴水のように水の流れる祭壇へと向かう。
「聖剣は力を失っている。たとえ錆を取り、打ち直したところで、力を取り戻さねば真の力は発揮出来ぬ」
壇上へ上がり――何かを両手に握って戻ってくる。
「剣を」
「剣?」
「本物なら、わかるはずじゃ」
仕方ないので、剣を収めていた布袋の紐を解き、中身を出す。
――あれ?
妙な感じだった。
ただの鉄の棒が、何となく熱いような、そんな気がする。
「今、信じる必要はない。じゃが、知れ」
「なにを?」
「これが、『世界を創る種』じゃ」
両手の平を開ける。
そこにはクルミのような形の、真っ白い石があった。
* * *
「――いーえ、高くにゃんかありません。これを『適正価格』と言うんです。こんなにゃにが出てくるかわからない荒れ地で、屋根があって、ベッドに食事までついて、日用品から食料品まで売ってくれる! ここまでいいサービス、泣いてありがたがられることがあっても文句言われる筋合いはありませんにゃ!」
朝になり一階に下りると、ニキータの熱弁が聞こえてきた。どうやら宿代の高さに、ジェマが余計なことを言ったようだ。
「ああ、起きたか」
「あの……ジェマ。自分の分は自分で払うから」
「気にするな。無茶なことを押しつけたんだ。必要なバックアップはさせてもらう」
「はあ……」
ニキータもカウンターから身を乗り出し、
「おはよーございます。よく眠れましたかにゃ? にゃひひ」
「まあ、なんとか……」
正直言うと、眠った気がしない。
聖剣と、マナの種子の共鳴。
それをしてからというもの、どうにも頭がぼんやりして、重い。
いや、そうでなくとも、あの日を境に頭の中がはっきりしない。状況が変わりすぎて、まだ頭の中がついて行けてないみたいだ。
「聞けば、しばらく旅に出るとか。旅のお供に携帯性・保存性に優れたドライフルーツにゃどいかがでしょう? さいころいちご、すずぶどうもありますが、オイラのおすすめはキュートなネコアンズちゃん! 種抜きで食べやすく栄養満点。クセになる酸味が疲れた心と体を癒してくれますにゃ!」
「うん……後で見せてもらうね」
軽妙な営業トークを織り交ぜ、ミイラ化したネコアンズを突き付けてくる。
「……ジェマ、昨日のことなんだけど……」
「どうした?」
「あー……なんか、種子との共鳴? あれやってから、頭がぼんやりして……よく覚えてないんだけど。ケガも治ってるし」
バンダナ越しに、傷があった場所を押さえる。
気がついたのは、宿についてからだ。
跡は残っていたものの、昨日の今日ですぐふさがるような傷ではない。かさぶたすらまだ出来ていなかったのに。
「覚えてない?」
ジェマは驚き、少し考えると、
「傷に関しては、ルカ様が治してくださっただけだから、気にしなくていい」
「え? じゃああれ、魔法だったの?」
そういえば、額に触れられたことを思い出す。魔法など見たことはないが、そういった不思議な力が存在することは知っている。本当かどうかまでは半信半疑だったが。
それにしても、傷のことなど話していないのに。二百年以上生きているかどうかは別として、ただの女の子ではないことは信じるしかない。
「種子はマナの塊だ。見た目は小さくとも、莫大なエネルギーを秘めている。もしかすると聖剣を通じて、キミの体に影響が出たのかもしれないな」
「影響って……そんなの大丈夫なの?」
「心配するな。初めてだったから、体が驚いたんだろう。すぐに慣れる」
「はあ……」
本当か?
安心させるために、デタラメ言ってるんじゃないのか?
「そんなことより、外に行くぞ」
「外?」
「これも覚えてないのか? ……剣の使い方を教えると言っただろう」
「え……?」
そういえば夕食の時、そんな話をしたような気がしないでもない。
「すぐにでも出発したいところだが、『急がば回れ』とも言うしな。さっそくやるぞ」
「え……えぇ~……」
「がんばってくださーい。特訓終了後は、疲労回復によく効く特製はちみつドリンクを適正価格で販売しますにゃよ~」
ニキータの営業トークを聞き流しながら、庭へと連行される。
どうやら今日も、初っぱなから疲れる一日になりそうだった。
「ジェマって、有名なの?」
「有名と言うか……長年、タスマニカとパンドーラのパイプ役をやっているもんだから、顔が利くだけだ」
パンドーラの城下町に到着したのは昼前だった。
ジェマなら通行証を持っていると踏んでいたが、通行証どころか顔パスで通れるとは思ってもみなかった。思ってたより便利――もとい、頼りになる人のようだ。
「都に来たことはあるか?」
「小さい頃、おじいちゃんと一緒に来たことはあるけど……」
パンドーラ王国は水源が豊富だ。それを誇示するように、城下町全体に水路が張り巡らされ、あちこちに橋が架けられている。
その街並みは昔と変わらないが、
「なんだか、別の街に来たみたい」
思ったままの感想を述べる。
昔来た時は人であふれ、すれ違う人の目にすっかり怯えて、養父に張り付いていた。
しかし今は、人の気配がまったくない。時折、人とすれ違ったが、目的があってうろついているようには見えなかった。足元がおぼつかず、目の焦点も合っていない。
「ヘンな病気が流行ってるって聞いたけど……あの、うつったりとか……?」
「ああ……そういうものじゃないから、安心しろ」
「あ、感染症じゃないんだ?」
胸をなでおろす。取り越し苦労だったようだ。
しかし、ジェマは難しい顔で、
「果たして病気のほうがマシなのか……どうなんだろうな」
「え?」
「ともあれ聖剣だ。聖剣が抜かれたことを、国王に報告せねばならん」
「王様に?」
まさか、国王が出てくるとは思ってもみなかった。
「キミは聖剣をおとぎ話や迷信程度にしか思っていないようだがな。キミが思っている以上に事は深刻だ。……世界に危機が訪れた時、勇者によって抜かれるのが聖剣だ。この意味がわかるか?」
「今が、世界の危機ってこと?」
まるで実感が湧かない。
たしかにこの街は危機的状態のようだが、この街の危機はこの街だけの危機ではないのか?
それに聖剣どうこう言われたって、剣はただの剣のはずだ。本当にそんなすごい剣なら、あんなところにほっとかないで、国がきちんと管理すればいいだろうに。
ジェマはこちらの顔に、
「半信半疑って顔だな」
「そりゃあ、まあ……」
「安心しろ。私もだ」
「え?」
「さて、行くか」
話をしている間に到着した。
遠くからしか見たことがなかったが、街の中央に建つ国王の居城だ。城は深い堀で囲まれ、中に入るには一本しかない跳ね橋を渡らなくてはならない。
その橋は、今は上げられていたが――やはりここでも、ジェマの顔を見ただけで番人が橋を下ろしてくれた。
「貴重な体験かも……」
まさか、王宮の敷地内に入れるとは。
橋を渡り、門をくぐると、広大な庭園に出た。中央には巨大な噴水があったが、水が止まっている。
よく見ると水やりがされてないのか、花が咲くことなくしおれ、雑草も放置されている。
「庭師もやられてしまったようだ」
「なるほど……」
せっかくの王宮の庭園。庭師じゃなくても、誰か水くらいあげてもいいだろうに。
宮殿の玄関に到着したところで、
「さて、私はこれから国王に謁見をする。キミも――」
ジェマは振り返り――こちらの格好に、言葉を止める。
「……僕は待ってるから。一人で行って来て」
「……そうか」
立派な宮殿を前に、あまりに場違いな格好。
それなりに仕立てのいい服を着ているジェマはともかく、王様相手にこの格好はまずいだろう。
「しかし、どれくらいかかるかわからないしな……よし」
ジェマは何か思いついたのか、別の場所へ連れて行かれる。
到着した広場では、丸い的が壁に並んでいた。その的を狙って、数人の兵士が弓を引いている。街中はゴーストタウン化していたが、無事な者も、いるところにはちゃんといるようだ。
「訓練場?」
「そうだ。――おい、ちょっといいか?」
恐らくここの責任者だろう。兵達を指導していた男はジェマに気づき、慌てて駆け寄ってくると、
「これはジェマ殿! お久しぶりです!」
「突然で悪いが、彼に弓を引かせてやってくれないか?」
「この子ですか?」
男は驚いた顔をしたが、すぐに、
「もちろんかまいませんよ。ただし、私の指導は厳しいです。それでもかまいませんか?」
「もちろんだ。一番厳しくやってくれ」
「え?」
とんとん拍子に進む話に、ジェマを見ると、
「なに、色々やってみるに越したことはない。あとお前、手を抜いてるだろ」
「え? ……そうかな?」
一瞬、なんのことかと思ったが、朝の特訓のことのようだ。
まじめにやったつもりだったのだが、ジェマはそう思わなかったらしい。呆れた顔で、
「見た目の割に力はあるようだしな。あとは本気さえ出せば、いい線行くはずだ。しっかりやれよ」
「ほれ! とっとと来い!」
「え……えぇ~……」
既視感にめまいを感じつつも、断ることも出来ず。
結局。
「まー、初心者だって言うなら、この辺かな」
言いながら、兵長は丸い木の板に足をつけた的を、壁に固定された的と射撃ポイントの真ん中辺りに置く。上級者も初心者も同じ場所で訓練するので、射手が的に近づいて撃つのは禁止なのだそうだ。
「余計なこと言うんじゃなかった……」
確かに、『弓を触ったくらい』とは言ったが……昨日の発言を後悔する。
「さあ、とにかくまずはやってみろ! ――おいお前達もしっかり見ておけよ! ジェマ殿の秘蔵っ子だぞ!」
いつそうなった。
声を聞きつけたのか、最初よりも兵が増え、視線が痛い。
昔、教わったことを思い出しながら弓を構えるが、背後の刺さるような視線や話し声が耳につく。
ヤケクソに矢を放つが、的をはずすどころかその手前で失速し、地面に落ちた。
「どうしたどうした! もっと近いほうがいいか!?」
笑いが起こる。
そういえば、昔やった時もこんな感じだったような気がする。
もう一度。今度は、的までの距離は飛んだが、かすりもしない。
「おい、やる気あんのか!? しっかり狙え! わざとじゃないだろうな!?」
わざと。
――お前、わざと外しただろ。
昔にも、そう言われたことがある。
「みんなよりうまくやると、後で何されるかわからんからか? もったいねぇ」
初めて弓を引かせてもらった日の夕方。家に訪ねてきたのは、養父の幼なじみであり、弓を教えてくれた村一番の猟師だった。
この老人は、こちらのことをよそ者と言うことはしない。彼にとって外観の違いなど、腹を割ってみれば関係ないのだという。内臓の位置、形、血の色……どんな動物もだいたい同じなのだそうだ。
「俺はな、これまで色んな猟師を見てきた。すると不思議なもんでな。罠の仕掛け方、弓の引き方、そういうのをちょっと見ただけで、こいつは素質がある、こいつは訓練次第、見込みなし、そういうのがわかっちまう」
「ふぅん……」
「おいおい、人ごとみたいに言うなよ。ボブとネスは見込みなしだったが、おまえは合格だ」
「え?」
「俺の孫といい勝負だと言ってるんだ。……本気出してみろ」
「――おい、聞いてるか!? しっかり狙え! 集中集中!」
――本気で……
そう言ってくれた老人は、何度か狩りに誘ってくれたが、結局行くことはないまま――四年前、土砂災害で家族と共に亡くなってしまった。
弓を引く。
矢の切っ先を的に向け、弓弦を引き絞る。
――すとんっ。
放たれた矢が、的の端に当たる。
一瞬、静かになる。
「な、なんだ。当てられるんじゃないか。いや、俺の指導の良さか?」
笑い声を無視して、矢筒から次の矢を取り出し、続けて矢を放つ。
今度は、中心に近い場所に当たった。
「お……おお! やれば出来るじゃないか! おまえら、拍手ー!」
大きく息を吐く。
音が、急速に遠のく。不気味なほど静かになる。
視線の先には、的の中央の白い円。
それしか見えない。
大きく息を吸い――止める。
風が、止まる。
――ばこんっ!
「……え?」
我に返ると、弓を持つ手を下ろす。
的の上半分が、きれいになくなっていた。
「あ……すみません! 的……あ! 切れてる!」
的だけでなく、弓弦まで切れている。
気まずい気分で、ぽかんとしている兵長に目を向けると、
「あの……これって、弁償とか……?」
「あー……いや、的も弦も消耗品だから、別に弁償とかは……いらないんだけどね……」
「ホントすみません! お邪魔しましたー!」
弓を返すと、そそくさと出口へ向かう。
「――あ! ちょっとキミぃーーーーー!」
呼び止める声が聞こえたが、聞こえなかったふりをして、慌てて逃げ出した。
* * *
本人は気づいていなかったが、
「これって……まぐれ、だよな?」
「いやでも……まぐれでも出来る気がしない……」
兵達はぽかんとした顔で、目の前の光景を見つめる。
割れた的のさらに向こう。
壁に設置された的のど真ん中に、一本の矢が深々と突き刺さっていた。